じゃあ、褒める

私は褒めるのが好きで、良いことは大袈裟なくらいに褒めます。でも、危ないな、と思う時があります。

年齢

その年齢としては凄いことを褒めるのは怖いな、と思います。確かに10歳の子供が微分積分が解ければ、子供としては凄いは凄いですけど、何年か後にはほとんどの人ができることであり、大人であるなら、微分積分が解けることはどうと言うことはあすりません。

同様に学業成績が図抜けているだけで天才児扱いするのは危ないな、と思います。シンガポールではたかが小学校の卒業試験を上位合格しただけで、新聞に取り上げられ、広告に出てることすらあります。そうすると、子供は根拠もなく特権意識を持ちます。

その根拠のない自信が年を取るとともに実際の成果になっていくなら問題はないのですが、「二十歳過ぎればただの人」となってしまうと、無駄なプライドが邪魔をして、あれはしたくない、これはしなくない、になりニートになりかねません。

その点で元バルサ、カンテラにいた、FC東京の久保君を騒ぎすぎるのは問題で、確かに才能はあるが、サッカー選手として伸びるかどうか、最も重要な期間である18歳を越えてないので、怪我に悩んだり、一流になるだけの身体が出来ない可能性もあり、未知数です。

絶対

絶対評価で褒めているなら良いと思います。本当にどうで良いことで、昨日出来なかったお片づけが今日は出来た、なら褒めるべきですし、アリの研究を延々として、それを観察日記として夏休みやり通した、とかでも素晴らしいことだと思います。

だから、私は凄いと思ったことは老若男女問わずに凄いと言いますが、誰かと比較して、年齢に対して、どうだというのではなく、その成果を絶対評価して褒めるようにしています。どんなにつまらないことでも、その人基準で成果を出したのに、貶すなんて嫌ですね。

例外的に将棋の藤井君は年齢がどうとかでなく、大人であっても異次元の強さであり、タイトル戦を戦えるだけの力があるので、周りが騒ぐのは当たり前であり、静かにするのは無理だと思います。こういうのは挫折が怖いのはあるけど、年齢の問題ではないと思います。

自分自身に対しても同じで、小さな達成感に対して自信を持とうとしてます。ブログを休まずに一年続けられるだけでも成果ですし、半年間、風邪を引かなかったのも成果です。どんなことでも、自分自身の課題がこなせたら、自己肯定をしています。

比較

友達のA君が、偏差値が、順位が、とかで褒めるのも、叱るのも、本当に罪悪だと思います。そんなことされても、屈折したガラスの自信なり、劣等感が染み付いて、他人の目ばかりを気にする人間になります。

そりゃ、世の中は競争で、自分が位置するそのランクが気になるのは誰にとっても当たり前ですが、そんなことを他人から指摘されなくても本人が一番知っているでしょう。親だろうが、教師だろうが、ほっておいてやればいいんですよ。

二言目には序列の話をする人はそうやって育ってきたと思いますが、そういう考えだと、努力だけでどうにもならない類のことが、自分の思うようにならないと精神崩壊してしまいます。思うような夫が見つからずにおかしくなるとか、思うように職場で評価されず自殺するとかですね。

序列の話なんて話す方は自分が常にあると思うから気持ちいいけど、聞かされる方はほとんどの場合、面白くないです。クイーンビーとサイドキックスみたいな関係ならともかく、そうでないなら、鬱陶しいだけで、嫌われますね。

つまり、序列意識の強い人は脆いんですよね。自分の努力でどうにもならない状況になるとパニックに陥りますし、周りにも嫌われがちなので、逆風が吹くと、一斉に去っていく、攻撃を加えられることになります。

まとめ

褒めることは素晴らしいけど、年齢に対して褒めたり、誰かと比較して褒めても、余計なプライドが染み付いて、生きづらくするだけなので、したくないな、と思います。自分は自分でしかないし、それは他人も同じことなので、勝手に基準を作って序列をつけたり、勝ち負けを決めなくても良いと思います。

 

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