じゃあ、背水の陣

私は故事、ことわざを考えるのが好きなので、私なりの解釈を記事にしたいと思います。最初に背水の陣、を考えます。

韓信

中国、前漢時代の大将軍、韓信が趙という国を攻めている時、定石を無視して、水を背にして陣を張り、敵を打ち破った、というのが歴史的事実で、これを称して背水の陣、という故事となりました。今尚、名著中の名著として名高い孫子の兵法書の基礎中の基礎を無視した奇策として歴史に残りました。

この人は生涯無敗、という稀有の天才軍略家であり、軍を指揮して、この人以上の軍人は同時期には存在しません。完全無欠といってよく、穴が全くありません。天才にありがちな不思議な人で、若い頃はニートしてして、飯を恵んでもらったり、チンピラに絡まれて、股をくぐって命乞いしたり、と風態があがらない人だったようです。

ニートから食い扶持を得るために高祖のライバルである項羽に仕えても、見出されることはなく、腐っていて、高祖に仕えても、うだつが上がらず、夏候嬰と直接話す機会を得て、蕭何に見出され、推薦をいくらしてもらっても、高祖に受け付けられず、逃亡までしています。そうこうして、ようやく力を持った途端に連戦連勝の常勝将軍になりました。

こういう人のやり方を真似るのは極めて難しく、ほとんどの場合、中途半端に真似て大失敗に終わります。天才というのは紙一重の際どいやり方を平然と行い、成功するので、天才と言えるのでしょう。凡人が天才の真似をすると、大やけどをする可能性が高く、背水の陣は凡人が真似るべきでない戦術だろうと私は思います。

解釈

私とは違う解釈をする人が多く、何だかなぁ、といつも思うのですが、戦略が間違っていたため追い込まれて、他に選択肢がなくなって、やむなく選択したリスクの高い戦術を指して、背水の陣とするのは違うと思います。また、自分をあえて追い込むところで、最大限の力を発揮する、というのも全然違います。

背水の陣は韓信の快進撃に怯んで、城を固く守る敵をおびき寄せるためにあえて定石の逆を行く戦法を取っており、正面に気を取られた敵兵から伏兵が城を奪い取ることで完遂する作戦であり、着地点を決めてから、スタートしています。つまり、背水の陣はおとり作戦であって、破れかぶれで、後がないから頑張れる、という意味のない精神論で戦ったわけではないです。少なくとも、一般の兵士はともかく、韓信は計算ずくです。

背水の陣を濫用すると、一か八かの勝負を肯定してしまったり、気合い、精神論で乗り切ろうとする馬鹿なやり方が染み付いてしまい、最終的には大失敗するでしょう。どんな偉人であれ、仕方ない場合を除いて、一か八かの大勝負は人生の中で何度もするものではなく、出来る限り、勝つべくして勝つ形を整えることが大事です。そう意味では勝負するまでが勝負だといえるのではないでしょうか?

その後

その後の韓信を知っておくと、この故事はもっと意味深いものになるだろうと思います。連戦連勝の韓信は斉国の王となり、高祖、項羽、と並ぶ第三勢力までに成長します。蒯通という人が独立を勧めたのですが、韓信はビビったのと、高祖への恩を感じたため、独立を決断しませんでした。この決断が韓信を死に至らしめます。

「狡兎死して走狗烹らる」というように、戦乱が終息すると、狩猟犬は必要なくなるどころか、そのどう猛さから主人から嫌がられるようになります。有能すぎるうえ、野心が強く、天才的な韓信は高祖にとって、邪魔でしかなく、あれこれ理由をつけては韓信の軍事権を縮小させ、どんどん追い詰めていき、最終的には反乱を起こさざるを得なくなり、死ぬことになります。

韓信という人は軍事の天才ではあったのですが、政治には非常に疎く、大功を立てすぎた自分がどうなるかを想像できず、目の前にある敵を駆逐して、最後は自分が駆逐されました。彼が取れる方法は蒯通が独立の勧めをした時点で、第三勢力になってしまうことで、項羽がいなくなれば、高祖と交渉の余地がなくなりますから、三つ巴に持ち込むことが一つのやり方です。もう一つは適当なところで、手を抜いて、功を主君、同僚に譲る形にして、隙を見せておき、力が十分つき、チャンスが巡ってくるまで、待っているべきでした。

豊臣秀吉は政治力が高かったため、織田信長の横死に乗じて、織田家の乗っ取りに成功しています。君主の立場でない人間が天下を狙うなら、君主、同僚の嫉妬をうまく避けながら、辛抱強くチャンスを狙うしかなく、自分の有能さを全力で見せつけてしまえば、周りは黙っていなれなくなるのです。源義経が韓信に近く、軍事の天才だが、政治に疎すぎたため、悲運の死を遂げています。

まとめ

故事を噛みしめるように背景を探り、消化できないか、と思っています。何千年と残っている教訓に意味がないことはなく、何かしらの普遍性があって、現代まで残っているのでしょうから、時代を問わず、歴史から学ぶのは非常に大事だと思います。世の中がいくら変わっても、人間そのものが大きく変わるとも思えませんしね。

この背水の陣、の逸話のように間違って、理解されているのではないか?、ということも多く、たまに私なりの解釈をしてみたくなりますので、折を見て、故事を取り上げたいと思います。ちなみに名著、孫子の兵法書は曹操解釈が現代に残っているそうです。私は曹操のように有能ではないですが、歴史に何かしらの解釈をして、楽しみたいと思います。

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