じゃあ、成功体験

圧倒的な能力を持って生まれているならともかく、人間の違いを産むのは自信であり、自信の源となるのは成功体験です。

モテ

モテる人って、幼稚園児の頃からモテているんですよ。周りの大人から可愛い、可愛い、と言われて育ち、同年代の異性からもチヤホヤされます。それが、基礎的な自信になっていきます。

育ちの良い人に成功者が多いのは当たり前です。親に愛されて育っているし、他人と比べられて育ったのでなく、自分の個性を認められて育っているので自然に自信がつくからです。

逆に凄惨な環境で育って大成功する人は愛されて育ってない為、愛されたくて大きなリスクをとるのかもしれませんね。大成功しても卑屈な感じは変わりませんし、ほとんどが失敗しますけど。

そして、人間が動物である以上、基本的に遺伝子を残すことができるモテを避けて通ることは出来ません。アホでも異性にモテれば、周りから一目置かれますし、有能でもモテない奴は残念な感じになります。

例外はあれど、男性の原動力とはエロであり、英雄色好む、と言われるようにセックスへの飽くなき要求が行動原理になるのは仕方ない話でしょう。やりまくっている男性は余裕があり、自信を持ってます。

また、女性がどんなに成功していても見た目が悪かったり、子供がいないと、なんとなく見下されたり、コンプレックスを持つのも仕方ない話だと思います。手にした男性が社会的に評価されていると、女性本人のスペックは無視されます。

親、異性に愛されて育った人は自然体で自信があり、周りに好かれ、助けてもらえますので、成功体験を得やすいものです。反対に愛されずに育った人は捻くれていて能力があっても、突き抜けてない限りなかなか評価されません。

学歴

日本に学歴に異常に拘る人が多いのは産まれながらに持つ能力を挽回できる最大の武器だと思われているからでしょう。実際、ここ何十年かは学歴順で組織に採用されていき、序列により昇進し、終身雇用によって立場が守られていました。

実際、ほとんどの人が参加する学力競争を勝ち抜いたことは成功体験になりますし、二十歳前後の子供にとってはトップランナーとして走っていることは大きな誇りだろうと思います。

ただ、学力競争というのはキリがなく、同じ東大生でも首都圏有名進学校からスコッと現役で入学している人に負い目を感じる地方の無名公立校出身、二浪以上で入っている人は多いです。理三が、文一が、進振りが、と東大内での序列を作っていてはキリがありません。

学歴による自信というのは他人のブランドに乗っかっているだけで、自分自身が認められたわけではありませんから、拘れば、拘るほど、ドツボにハマるのでしょう。学歴に拘って周りからバカにされていることも多いですね。

社会

三十路に入って、学歴が、序列が、という人は少なくありませんが、もはや十年以上前の学力競争でどうだったとか、真面目に語るのは恥ずかしくないのだろうか?、と思います。単なる正解のある敷かれたレールを走り切っただけですよね?

社会に出れば、正解のない問いに対して試行錯誤し、目に見える成果を出してこそ成功体験になるのだと思います。先人と同じことしても成功などできませんから、違うアプローチを考える必要があります。

もちろん、ケーススタディーは大事ですが、それをどう解釈し、アイディアを出し、周りを巻き込んで資金、時間を調達し、リスクをとって踏み出し、目に見える成果を出すまでやれないなら意味がありません。

成果さえだせば、周りは否が応でも黙りますし、しょうもない事でマウント取らなくても協力的になるものです。偉そうにしていても成果がなければ、どれだけ取り繕ってもバカにされ食い物にされます。

管理

他人を管理しようとする場合、ベースとなるのは成功体験だと思います。成功体験がない管理など、どんなに理論的に正しくとも、誰も自然にいうことを聞かないので、権力を背景に無理やり聞かせるしかなくなります。

成功体験が基礎となっていない、恐怖による管理を行っても、失敗を避ける消極的な行動しか産まれず、現状維持が精一杯、右肩下がりになっていくのは当然です。

日本の公務員、大企業はこうなっていると感じますし、日本に限らず、成功体験のない管理職が当たり前の組織は単なる権威主義になっていきます。コネ、ゴマスリが横行する湿った組織ですね。

管理者、担当は求められることが違いますが、担当として成功体験のない人が管理をすることは極めて困難であり、高度に理論化された現代サッカーですら、選手として全く成果のない名監督は少数派です。

担当としてはイマイチでも管理者として有能ということもあり得ますが、であるなら、どんな小さな組織でも良いので管理者としての成果を確実に出して登っていくしかありません。

達成

最終的には達成感が人生の満足度を決めると思います。それは自分自身、自分自身がやったこと、その成果がどのくらいの人を巻き込み、経済規模になったのか、だとか、どれだけの先進性があったのか、社会貢献したのか、だろうと思います。

最初に戻りますけど、自然体の人には人が集まってきますし、ワイワイガヤガヤと面白いことが産まれるものです。そうやって産まれた成果はかけがいのないものだと思いますね。

A社のB長になりました。X億の個人資産を手にしました。Y人の異性をモノにしました。とか、そういう表面的なことは大した達成感にはならないだろうと思います。他人と比較してますから、キリがない話です。

ゴーン氏が世界的企業のサラリーマン社長として長年君臨しても、オーナー社長と比べて満足が行かず、汚職によって満足度を上げようとした結果、すべてを失ったのが好例です。

まとめ

どんな小さな達成でも良いので、自分がこれと思うことを継続し、目に見える成果を上げ、成功体験の積み上げをすることが自分の達成感を上げ、他人を動かすようになります。

A大という学歴を手にした。B社に属している。というような他人のブランドに乗っかっても、虚しさしか残らないと思いますよ。

秋山好古は「男にとって重要なのは若い頃は何がしたいのか、歳を取ってからは何をしたのか、だけだ」と言ったそうですが、その成果が端的であるほど、自信になると思いますね。

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投稿者: シン

思いついたことを記事にして、コメントをもらって、議論するのが楽しくてブログをやっています。

「じゃあ、成功体験」への12件のフィードバック

  1. https://ameblo.jp/eiichi-k/entry-12434103410.html

    確かに、成功体験は人生において大切ではありますね。
    しかし、成功体験の呪縛に嵌ってしまうと、大失敗することも考えられます。
    したがって、時代の流れや状況を客観的に考察した上で行動することも重要であると私は考えますね。

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    1. それはそうですね。過去にうまく行ったことが、今現在に通用するとは限りません。過去の成功体験をベースにして現状にあった方法を模索しないと、次の成功にはつながりません。

      俺は東大卒だ!元大企業勤務っとか喚くしょぼくれたオヤジと同じことになります。過去の成功体験を今になってから主張しても恥をかくだけです。

      過去、新卒一括採用、年功序列、終身雇用がうまく行ったからと言って、それを今現在でも継続しようとすると破綻するのと同じです。やめなくても良いので、現状にあったやり方に変える必要があります。

      シン

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  2. 成功の定義が難しいので、成功体験も中々定義が難しいですよね。
    まあ、社会的成功(モテ、学歴、年収とか?)って、how toテクニックを勉強して、試行錯誤すれば、大半の人がそこそこ(凡人が満足できる)のレベルで達成できるので、最終的な自己満足が大事になってきますね。

    極論、東大卒で商社勤めで美人の奥さん貰ってます、って人でも満足できない人は満足できないです。
    最低限の社会的成功を確保したら、自己満足に走った方が人生の満足度は高いです。
    人間なんて所詮生物なので、エリートだろうが、1万2660人とセックスしようが、最後は死んで、自己の意識を失うだけですからね。
    自分の感覚をハックして、気持ちよく生きて、気持ちよく人生を終えるのが肝要かなと。

    1+
    1. >自己満足に走った方が人生の満足度は高いです

      自分の価値観を明確にし、目標を立て、達成し、自己満足に走った方が人生の満足度は高いです自己満足に至ることが成功体験だと思います。満足度の高い人の周りに人が集まりますし、話を聞いてもらえます。

      それに対して他人にどう思われるか、を基準にして目標を立て、常に他人と比較している人は、常に不満であり、嫌われるものです。どんなスペックだろうが、何の成功体験もない、ということになるでしょうね。

      シン

      2+
    2. >成功の定義が難しい

      簡単とは言いませんが、はっきりと形にはなると思います。成功していると認められれば、人がついてきます。本人が勝手に成功していると思っていても誰もついてきません。

      成功体験も同様であり、その体験により人を惹きつけられるものでないなら何の価値もありません。精神的に自己満足をしていると自然と人が集まりますが、ブランド品集めてマウンティングし、自己満足していてもバカにされるだけです。東大卒、総合商社勤務、美人妻持ちでもバカにされ、誰もついてこないことはザラにあるでしょう。

      シン

      2+
      1. まあ確かに成功しているかはともかく、明らかに人生に失敗していると、公私問わず、まともな人間が寄ってこないですねww
        小さな成功を試行錯誤して得ていく中で、成功体験を得て、人生の達成感を高める、というのが凡人の出来る最良の生き方ですかね。
        ここら辺、何に成功、成功体験、達成感を得るかにある程度、個人間の揺らぎがあるので、自分の欲望に素直になるといいと思います。
        ブランドで食っていかない人間が必ずしもトップスクールいかなくていいし、女に興味ない男が1000人切りしようが無意味です。
        極論すれば、質素な生活で満足できる人間なら、リスクをとって大金を得る必要すらないです。

        >精神的に自己満足をしていると自然と人が集まりますが
        確かに99%の凡人にはこれが当てはまるのですが、ごく一部の異常者は魔性で人を魅了しますねw
        ヒトラーなんかはいい例ですが、美大落ちのコンプ持ち、偏見の塊、ノンエリートの彼が生涯の内で一度も精神的満足というか、足るを知るなんてことがあったとは思えませんが、エリートから大衆まで多くの人間を魅了し、ドイツを地獄へ導いたのは歴史的事実です。
        凡人としては、歴史上のファナティックな指導者(サボナローラとかw)に憧れますね、関わりたくもなりたくもないですがw

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  3. 以前シンさんが、太宰治について「ファッションでクズをやってた」とおっしゃっていて、その視点はなかったので、おおぉ、と思いました。
    心中自体がネタだった可能性もありますし、彼が異様にモテたのも、長身イケメンというだけではなく。言うても津島さんとこの坊ちゃんやし、という余裕も関係した事でしょう。
    戦争未亡人とかええ味やったろなぁ、と悶絶しそうな程羨ましいですがw、
    1億円配ってた元社長には、騒がしすぎて、個人的には全く興味が湧かないのは、本文の通りだと思います。

    最近、殆どの日本人も美味しんぼのキャラのモデルとしてしか知らないであろう北大路魯山人の生い立ちについて初めて知りました。
    時代背景を差し引いても複雑すぎるものであり驚きました。スノッビーで傲岸狷介なイメージでしたが、裕福な家庭で甘やかされた結果だと思っていたので…。

    SNSではよく、クリエイターの文化資本にばかり焦点を当てた議論が見られますが、(当記事が指摘する様な)円満な家庭環境が与える好循環については、余り語られていないという印象です。

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  4. 土建の現場に人間はエンジニア・作業員問わず、成功体験とは無縁で癖の強い人格になってるオッサンばかりですね。

    そもそも借金持ち、ムショ帰り、暴行で高校退学等、何らかの切羽詰まった状況にならなければ、3Kと悪名高い土木作業員などにはなりません。エンジニアは理系大卒・院卒で「エリート・インテリ」と言えなくもないですが、華やかさ、特に女とは無縁の灰色の青春を送っているので、その方面で拗らせている率が高いです。また昭和オヤジの体育会系の縦社会の「シゴキ」に耐えた人間でなければ生き残れない世界なので、必然的に癖の強い野郎ばかりになります。

    苦労の末に、安定した仕事に就いた、誰もやりたがらないけど、確かに社会に必要とされている仕事をしている、と言えば、如何にも酸いも甘いも噛み分けた円熟した人格を想像をしがちですが、苦労を重ねた人間は、根性は付くが人格は歪んでしまう、と言うのが残酷な真実なのかもしれません。

    かくいう私も家庭生活で苦労したせいで、かなり人格が歪んで、もう一生仕事以外の人間関係は作れないだろうなと諦めてますけどねw

    6+
    1. >土建の現場に人間はエンジニア・作業員問わず、成功体験とは無縁で癖の強い人格になってるオッサンばかりですね。

      癖は強いにしろ、成功体験はあるでしょう。そうでなければ、大きなプロジェクトをやり遂げられないし、癖の強い人間の中では生き残れません。何かしらの形で認められないと続けることもできません。その自分を認めさせる方法が仕事以外の非合理的なことが多く、時代に合わなくなっているだけだと思います。軍隊、ヤクザみたいなものでしょう。

      シン

      2+
      1. 確かに、あのドン引きレベルの昭和体育会系な環境で、同期・後輩が皆脱落する中、20年間現場でエンジニアを続けてこれた事自体を成功体験と思って良いのかも知れません。

        やはり問題は、それだけでは「成功」と世間から思われなくなってしまった事ですね。先輩の例で言うと、1960年代前半生まれの世代までは、仕事さえ真面目にやっていたら、30歳前には上司や仕事関係の知人から見合いを持ちかけられて結婚。妻は専業主婦となり常に夫に付き従い、本心はどうだか知りませんが少なくとも表面上は円満な夫婦、というパターンが多かったようです。

        これが私のような1970年代生まれ以降になってくると、生涯未婚で風俗にハマり借金とか、ATM狙いの地雷女や東南アジア人嫁と結婚したものの家庭崩壊、金まで毟り取られるといった、私生活が悲惨なパターンが増えてきます。

        男はしっかり仕事さえしていれば万事良かった、不器用で武骨な男にとっては古き良き時代が終わってしまったという事ですね。

        5+
        1. >それだけでは「成功」と世間から思われなくなってしまった事ですね。

          自分が成功と思っていれば十分だと思います。世間に認められようとすると、相対価値に嵌まり込みます。

          >妻は専業主婦となり常に夫に付き従い、本心はどうだか知りませんが少なくとも表面上は円満な夫婦

          時代は変わります。結婚という制度自体が存在価値を失いつつある時代ですし、お互いに不満を抱えながら結婚することも結婚生活を継続することはないでしょう。

          シン

          2+

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