じゃあ、文学部

文学部、社会学部、国際XX学部、といった類の学部は英語圏ではすべてLiberal Artsと分類され、教養科目だと考えられているため、副専攻にする、修士で専門を学びなおすことがほとんどで、日本のように主専攻にする人はほとんどいません。社会科学系の経営、会計、経済なんかも実学ではないのですが、教養系よりはマシだと考えられているのです。

文学部

文学、というか、芸術の類って、文系のなかの文系とでも言う、完全に趣味の世界であり、わざわざ大学で勉強するようなものではなく、余暇に楽しむものだと思います。仮にソクラテス、プラトンを学んでも、お金にはなりませんし、重厚な文学理論を学んでも、売れる小説どころか、ブログもかけないでしょう。心理を学んでも、人の心が読めるどころか、非正規雇用が待っているだけです。

私は教養を否定しているわけではなく、高校生は受験科目以外にも教養として一般常識の哲学、文学、美術、心理なんかを学ぶべきでしょうし、大学でも一飯教養科目として学ぶのはすばらしいことです。というか、学ぶことはそれがどんなことであっても、すばらしいものであり、人生は死ぬまでが学びの場だと思います。問題はお金払って、大学で主に学ぶことではないでしょう?ってことです。

社会学って、社会の何を勉強するのでしょうか?私が知っている社会学部教員って、どうでもいいことをそれっぽくいうだけで、何を学んでいるのかわからないフワフワした人たちであり、そういう人がいてもいいのでしょうが、一般人のやることではないですし、わざわざ大学にお金払って学ぶことではなく、その辺のカルチャーセンターで十分なんかないかと思います。

国際学部

国際XX学部が何を目的としているのか?はわからないのですが、それっぽい名前にすることで、海外志向の子供を集めようとしているのでしょう。でも、国際的に活躍したい人は国際XX学部に入ったら、国際的には活躍できない人になるって理解しているのでしょうか?国際XX学部で何を身に着けて、どういう形で世界に羽ばたこうとしているのか?、を教員は説明できるのでしょうか?

専門性を身に着けず、フワフワした専攻で学位をとって、多少の英語力を身につけても、それを生かすことなんてできません。せいぜい、日本企業に入って、その企業から調整役として、海外駐在することくらいは出来るかもしれませんが、それは国際的には活躍しているわけでなく、国内転勤の一環で行くだけで、事務系社員は会社の看板なしには通用しません。

本当の意味で国際的に活躍したいなら、汎用性の高い機電情でも専攻して、そこで専門、英語を一生懸命勉強して、その分野で確かな技術を身につけることが最短ルートです。小手先で英語だけやたらうまくても、それはノンネイティブとして上手いだけ、仮にネイティブ並みでも、そんなアジア人は腐るほどいるので、英語を話す日本人である、ということを除くと、何の価値もないので、国際的に活躍できません。

まとめ

教養系学部は他にも学部はありますけど、どれも名前の違いがあるだけで、内容は何もなく、お金払って、時間使って、大卒、という資格を得るだけで、何か専門性が身につくわけではありません。大学の講義に出る暇があったら、街に出てナンパでもしていたほうが精神力がつくでしょうし、社会で役に立ちます。教養なんて役に立たないから、面白いし、やるべきなんです。

そもそも、文学部は、、、社会学部は、、、みたいなこという人がいますけど、社会科学系の専攻だって専門がないのは同じことで、なんで教養系だけ馬鹿にするのかわかりません。前から言っていますけど、「文系はみな同じ」で表面上何学部であっても、それに意味があるわけではなく、社会で何の役にも立たないことにしてフラフラしていただけです。

出口(就職)で「文系」「事務系」と同じ扱いをされるのに、文系内で序列をつけたがる人っていますけど、専門の中で流行り廃りがあり、市場での需要と供給の関係が変わってくる理系の需要に序列をつけるなら、まだ理解できますが、どれであっても、何の役にも立たない文系に序列をつける意味って何ですか?XX大、上位学部、とか、言う人は何を持って上位認定したのでしょうか?

第2版ブログで嫌になってしまったのは私が議論したいのは何が今のトレンドで、何が今後のトレンドなのか、何を見据えて勉強していけば、生存の可能性をあげられるのだろうか?、なのに、一部の序列主義者は延々と学歴、学部を偏差値、という不安定な指標で語りだして、しかも、その主張が論理破綻しているので、嫌で仕方なくなったんです。

このブログではそういう不毛な議論は受け付けませんし、明らかにズレたコメントは最初からスパム認定して、承認しないのでご了承ください。何をどう勉強すれば、効率よく稼いで、自分の好きなことに時間を使うことが出来るのか?、ぬるりと生きることが出来るのか?を議論したいと思います。その意味で文系は何を学んでも、きわめて効率が悪いので、お勧めしません、というだけの話です。

 

投稿者: シン

思いついたことを記事にして、コメントをもらって、議論するのが楽しくてブログをやっています。

“じゃあ、文学部” への 41 件のフィードバック

  1. 会社などで周りを見た実感として、文学部英文科や国際うんたら学部卒の人よりも理系学部やその他文系学部卒の人の方が英語がまともに使える場合が多いと感じます。だとすると前者の存在意義って何なのだろうと、毎回このような記事を読んで疑問に思います。

    違う大学の知り合いの英文科卒かつ英語圏交換留学経験者で、たかだかTOEIC程度のテストで800点台しか取れてないのに英語得意ですなんて勘弁してよ…という感じです。

    駐在員について本文中に触れられていますが、英語だけで駐在できている人は大昔はいたのかもしれないですが私は今のところ見たことがないです。少なくとも私の駐在先では各自がしっかりとした専門分野を持っており、かつ英語ができなければ仕事にならないです。逆に英語だけで実務の専門性がない場合は当然使い物にならないです。

    1. TOEICごときで800代しか取れなくて、英語得意です、は苦笑ですね。TOEICなんて、満点でも英語が得意だとはいえない程度のテストです。何にしても、専門があってのことであり、英語そのものが専門にはなりえない、という典型例です。

      シン

      1. 理系の自分でも英検準一級に合格できたのに、東京外語大の学生や英語教員でも準一級に合格に苦戦してるのを聞いた時には唖然としましたね。別に私は英語だけやってるわけではないし、実験や演習で忙しいんですけど・・・。っていう突っ込みをこらえるのに必死でした。
        東大とかの上位大学を除いては理系の方が文系よりも平均学力が元々優れているんだと思います。もちろん東大法学部とかの学生で難解な判例や条文解釈をサクサク理解できる人には感服しますし、そうした人たちは理系に行っても一定の成果を収めることが出来ただろうなって思います。そうした人たちはかなりの割合でセンター試験の理科の選択科目に物理を選んでいました。

    1. 自分も、そう思います。
      文系でしかなれない仕事って、文系教授や官僚、法曹などのエリートっぽいのを除けば、文系科目の教師くらいです。
      教師になりやすいか、で文系の専攻に序列をつけるのは、まだ生産的だと思います。
      法学部や経済学部は、公民や社会科にしかなれませんが、社会科教師は、採用枠が少なく難しいです。

      教育学部についても、記事にしてもらえませんか?

        1. わかりました。
          結論から言うと、このブログにお金を払う事自体はいいですが、
          教育学部に関しては、自分に直接関係のないネタなので、今回は見送らせていただきます。
          リクエストしといて、すみません。
          もっと、自分の進路選択に密接に関わるネタに、プレミアムは取っておこうと思います。

    2. 入さんへ

       私の知っている限りですが、文系学部は教職を取ったとしても、田舎ではかなり倍率が高いので教員にはなりづらい現状がありますよ。特に社会・公民科は法学部・商学部・経済学部と幅広い分野で取得が可能なので更にきついです。
       私の知り合いに英語の教員志望の人がいるけど、倍率が約90倍(正直な話、コントかと思った)と高すぎて、教員になりづらいです。知り合いの場合は、中学教員ではなく、高校教員になりたいというので更にきつさが増します。これを知ると、英文科に行きたいとかと言われても、悪いことは言わないので辞めておいたほうが無難としか言いようがないです。
       まぁ、それでも行きたいと言うのであれば、私立の指定校推薦は絶対に辞めておいた方がいい、国立大学の大学入試をくぐり抜けておいた方が、後々公務員試験に向けての基礎が多少は出来るので楽になる、ぐらいしか言いようがないです。
       私の頭では、これくらいしか思いつかないのですが、いいアドバイスって他にあるのでしょうか?知っているなら、シンさん教えてください。
       

      1. 社会科教員から聞いた話ですが、社会科は中学校高校からなるのではなく小学校の先生から異動する方法しかほぼなれないそうです。
        あと、地方自治体にもよりますが地元の教育大や国公立が採用試験に強いです。私自身も受験した経験がありますが公立高校はダメで科目重視の私立高校は最終面接までいけました。
        私は、数学だからいい線いきましたが文系の科目ならダメでしょうね。

        1. ニコさんへ 
           
           へろです。コメントどうもありがとうございます。私が中学の頃は、社会人していた方が教員のほうが安定しているということで鞍替えして社会科の中学教師やっていた人が居たのですが(私のクラスの担任でしたね)、今は小学校からじゃないとできないんですか?き・・・厳しいですね。

           国立大の方が採用試験に強いのは、なんとなくですが、イメージが付きます。私も教員採用の試験の過去問を見たことが有るのですが、これは、センター試験をがむしゃらの勉強してある程度の基礎をつけたあとに受けるべきものだ…としか思えませんでしたね。
           

  2. 国際~は帰国子女の受け皿で、長く海外に住んでいたけれど、一度は日本に暮らしたいという人の為の学部で、内容はリベラルアーツ(一般教養?)最終的には英米の学部もしくは大学院で専門を学んで卒業するのが目的でしょうか。シンガポールにあるジュニアカレッジの位置づけで中高一貫校の高2、高3で留学希望の高校生の為だとおもしろいかもしれません。言語距離の問題で文系に偏ってしまい残念な結果になるかもしれませんが。

  3. シンさん
    記事拝見しました。大学系の記事にはつい敏感になってしまいます。

    二年程前の話になりますが、文科省が国立大の文学部廃止案をすすめていたのを覚えてますでしょうか。当時は衝撃でしたけど、時間がたってシンさんのブログなどを読んだ後だと、社会に貢献しない事にお金をだしたくない政府の考えもわからなくはないと思えます。同じく役に立たないとされる理学部の基礎研究は、遠い将来に何らかの形で貢献できますからね。しかし、学部の廃止はうまく言えないですが素直に賛成できないです。

    シンさんは教養を学ぶ事の素晴らしさを理解されていらっしゃるので、この廃止案についてご意見を聞きだいです。また、学問に価値を求めるのは見当違いですが、あえて言うなら文学部など人文系にはどういった価値があると思いますか。

    1. 文系学部を廃止にしなくとも、定員を大幅に削るなり、大学院のみにして、就職できなくても、文句言わない人だけが進学する先にすればいいのではないか?、と思います。

      どんなことも突き詰めて、研究することに価値があり、やりたい人は自己責任でやったらいいです。学問でなくても、スポーツでも、音楽でも、なんでも同じだと思います。一定の条件をつけて、国が援助してもいいと思いますよ。

      問題は一般就職希望で、就職できないと困る人、野垂れ死ぬ覚悟もない人が平気で文系に行く現状だと思います。

      シン

      1. 返信ありがとうございます。
        やっぱり学問それ自体に罪はありませんよね。
        自分達学生は、目先だけでなく少し高い所から遠くを見るようにしないと。
        質問がフワフワしていて答えづらかったと思いますが、なかなか周りと話せないことなので勉強になりました。

        余談ですが、僕の受験志望はマクロスと勇者シリーズなどのロボットアニメが好きという単純な理由から東工大の機械工学にしました。具体的に目標が決まり、自分で勉強しようとすると数学も物理もなぜか苦にならなくて楽しいです。自分語り失礼しました。

        1. 最終的にはご飯食べていかなければならないので、目先の好き嫌いよりも、これをやれば、こんなことして、飯を食えるなぁ、というイメージをしておかないと、お金を払っているお客さんである学生から、お金をもらう労働者になれないし、食う為に流されるように内定くれる企業に行けば、働くこと自体が嫌になる可能性が高いと思います。

          シン

    2. 私の考えでは、文系を学ぶ価値はあると思いますが数が多すぎるということでしょう。また、目的もなく、技術や問題意識のない学生がたくさん輩出されて行き場がなくなるということが社会問題だと思います。
      国公立が減っても私立大の文系があまるほどあるのでどうしても勉強したければ私立大へってことなんだと思います。

      本来、専攻はともかく、文理=3対7くらいが適切なんだと思います。

  4. 本題とは関係ないんですが、市場での需要と供給の関係ということで、私の通っているスポーツクラブに美容師のおばちゃんがいて、今年ではなくって来年の4月まで予約で一杯ということでした。
    そんなカリスマ美容師には見えないけどと思っていたところ、このおばちゃん20年くらいブラジルで暮らしていたということで、ポルトガル語が堪能で、警察にもポルトガル語を話す外人さんがらみの事件があったときなんか通訳でいくということでした。
    日本に来ているポルトガル語を話す外人さん相手にもパーマをかけるわけで、なかなかポルトガル語を話す美容師はいないと思います。口コミで、そっち方面の外人さんが来るようになったみたいです。
    日本語をうまく話す外人さんだって、パーマをかけているときくらい母国語で話してみたいでしょう。
    なるほどと納得したわけですが、何でも需給関係なんだなぁと思った次第です。

    1. たぶん、そのおばちゃんって、個人的に在日ブラジル人の面倒も見ていて、その人たちはおばちゃんの人柄が好きだから、人気なんだと思います。美容師のようにあふれかえった職業を何かしらのアクセントで差別化して、とがらせていけば、十分に食っていける、という好例です。

      シン

  5. 企業側からのニーズを学生に対して明確にすべきだと思います。高等数学とそれを土台にした論理思考力、看護医療学、電気、機械工学がどんな企業でも要求されていて、古代史のニーズが全くないことを高校生に示せれば、誤った進路選択をする生徒は減るでしょう。結果的に上位大学でもそうした学部では定員割れが生じて収益が悪化し、企業ニーズの高い学部を拡充するという良い流れが生まれるのではないでしょうか?
    社会科の教師の門戸は狭いですが、社会科を教師がかみ砕いて教えてるべき教科なのかは疑問です。歴史小説や教科書をしっかり読んだり、実際の土地を旅行すればどんな人でも勝手に身につくと思います。中高時代の社会科教師の多くは毎年同じ板書ノートを見て、板書しているだけで何の工夫も進歩もありませんでした。あなたの仕事は黒板に文字を書くことですかという言葉が思わず漏れそうになったことがあります。

    1. 今の新卒一括採用が続くなら、企業はもっと明確に欲しい人材を記すべきだと思います。「自分で行動できる」「経営者目線」とかフワフワしたことをでなく、物理数学、微分方程式、四力学、CAD、のように明確なテーマを出して、その適正で選びます、とホームページに明言したほうが、誰にとってもいいとでしょう。採用する企業は欲しい人材が来るし、教育する大学はそれにあわせてカリキュラムを組み、進学する学生は就職実績、行きたい方向とのマッチングで選べます。

      シン

      1. シンさん
        自分の意見を持った個性的な学生が欲しいという大企業の人事のコメントも無責任だと思います。個性というものが具体的に何なのかを明確にしないと学生は迷ってしまうと思います。また大企業だと尖った個性はむしろ障害になると思います。誰が抜けても回る仕組みだから大企業なわけですから。
        自分の意見を強く主張する若手を受け入れる器量が官僚主義的な大企業に存在するのかも怪しいです。
        結果的に個性があって自己主張できる人材を採用して、企業と学生の双方のミスマッチを起こすという残念な結果に終わる訳です。本当にお互いにとって不幸です。
        人事がそうした現場目線のニーズをくみ取って採用の為のアナウンスをしているのかいつも疑問に思うのです。

        1. 個性的、というのは漠然としているので、企業は具体的なスキルを示すべきですよ。あとは直属の上司との相性で決めればいいです。

          シン

  6. はじめまして。いつも興味深く読ませていただいております。ありがとうございます。ぬるり歴は2年ほどになりますが、コメントをするのは初めてです。どうぞよろしくお願いいたします。

    首都圏某中堅私立大学の文学部日本文学学科に在籍しておりました。

    シン様の「文学を教養として学ぶことは素晴らしいことではあるが、お金を払ってまで大学で主に学ぶことではない」という問題提起は、現役高校生にとって非常に重要であると思います。

    私の在籍していた大学には「村上春樹とか、小説を読むのが大好きだから」「小説家になるための勉強がしたいから」と多くの高校生が入学してきます。
    そんな理由で二十代の四年間という貴重な時間と、400万円以上の学費を支払うというのです。

    私が所属していたゼミの学生は、約六割が就職が決まらずに卒業、決まっていた学生の企業もお察しといった模様でした。
    もちろん、小説家や文芸評論家として名を上げた者など、学部創立以来ただのひとりもいません。

    国語の教員免許、図書館司書などの専門資格を取ったのならばともかく、そうでなければ何らの専門知識も、専門技術もなく、社会に放り出されるだけです。

    「大学は好きなことを勉強するところ。好きなことを学べる学部を受験すればいいんだよ」「就職のためには、どこでもいいから大卒の肩書きを手に入れないとね。大卒にさえなれれば安心」という、情報弱者の親による言葉を真に受けた若者たちの悲劇です。

    文学部(哲学科、社会学科なども含めて)には「教員免許の取得」などの明確な目的がないのであれば、近寄るべきではないと考えます。

    シン様の言われる通り、教養として、人生を通して学んでいけばいいものであり、貴重な二十代の四年間と学費を費やしてまで、大学でそれだけを学ぶものではありません。

    文学部の教員たちは、文学部に入るとどんな悲劇が待っているかを知っていますが、自分たちの食い扶持を維持するために、あの手この手で何も知らない高校生を誘惑しにかかってきます。

    その誘惑の舞台はオープンキャンパスの研究室です。指導ゼミの美人やイケメンを配置し、とっておきの秘蔵資料(直筆原稿、稀覯本など)を並べ、ちょっとでも興味を示したら、すかさず話しかけ、お茶やお菓子を出して丸め込もうとします。母親が文学好きの情弱ならば、母親がまずやられるので、まずいパターンです。

    中堅大学の文学部の教員が、優良大手企業に就職のパイプなどいくつも持っているはずもないでしょうし、学生が期待する出版社へのコネもほぼ期待はできません。

    「一緒に勉強しようよ。僕もまだ勉強中みたいなものだよ。キミが思っているよりも、彼の描いた世界はもっともっと深いんだ」と誘うだけで、卒業後の悲劇のことなど知らんぷりです。

    その横で、美人やイケメンの学生がアカデミックな雰囲気を盛り上げます。その高校生が入学してゼミに入る頃には、彼らはすでにいないのに。

    恐ろしい光景です。

    さらに恐ろしいのは、誘惑しておいて、いざ入学してみたら、ゼミの振り分けで、希望のゼミに入れないことがあり得るということです。

    私の大学では、三年生の進級時に、成績の良い者から希望のゼミに所属する権利を得ます。

    教員の人気にもよりますが、卒業論文の難易度からいっても、たいていは近・現代、近世、中世、中古、上代、の順番に人気があります。
    また、詩や短歌よりも、散文の方が人気があります。とっつき易い上、卒業論文では引用で字数を稼げるからかもしれません。

    上代になると『万葉集』くらいしかないですし、中古はとっつきやすいのは『源氏物語』などの女流文学、近・現代では太宰治や夏目漱石などなど人気作家がいますが、どれも長年に渡る研究でほぼ掘り尽くされており、やるべきテーマを見つけるだけでひと苦労、さらに選んだ分野によっては、膨大な先行研究を見渡す地獄の苦労があります。

    しかも、上代や中古、中世あたりでは、努力もしくは才能、お金、時間などの足りないであろう、成績・要領の悪い者が来ているわけですから、逃亡、留年、退学などなど、悲惨な末路を多く見てきました。

    「先行研究はすべて網羅しなければいけないといっても、日本語で書かれた論文だけですよね? 中国やフランスなど、研究の盛んな国の論文を第一線の研究者でも無視している人は多いのに、学部の卒論にそこまで求めなくてもよいのでは?」

    と某教員に言ってみましたが、

    「そういうルールだから、先行研究を全部見ることは、絶対やらなきゃだめ。日本語で書かれた作品は、日本語の論文しか相手にしなくていい。外国の研究者の論文は無視していいレベルのものしかない」

    と言われました。

    いやいや、日本語で書かれた論文にだって、無視していいレベルのものが盛りだくさんなのですが…。それぞれの区分ごとに大きな学会があるのだからせめて、先行研究のまとめをして、これからの研究者はそこから先をやってくれ、いう研究の整備ができないものなのでしょうか。

    「後から来た者が自分たちと同じ苦労をしないのは許せない!」という日本人の残念さはここでもいかんなく発揮されています。

    かくして「村上春樹とか、小説を読むのが大好き」な高校生は、やりたくもない古典文学のピンキリ論文の山に埋もれ、二十代の四年間という貴重な時間を無駄にし、ご両親が必死に働いて得たお金を400万円以上無駄にし、大卒の肩書きをもらって、無職で無力なまま社会に放り出されます。

    そして、文学部の教授の中には、学生の論文をちゃっかり自分の業績にしているような輩もいます。いったい、どこまでしゃぶれば気が済むのでしょうか。

    私が接してきた学生たちの何人かは「小さな頃から本を読むことが大好きだったのに、ここへ入ったら本が大嫌いになった。これからもほとんど読まないと思う」と言っていました。

    日本中の大学に古くから文学部日本文学学科があるのにもかかわらず、『国文学 解釈と鑑賞』が休刊して6年経っても復活できないのは、読者候補である日本文学学科の学生を本嫌いにした大学の影響もあるのではないでしょうか(苦笑)

    あくまで私が見てきた範囲の話ですが、技術としての読書方法を具体的に、また体系的に教えず、ただ遮二無二読ませて、資料を何度も何度も作らせる…という手応えのないやり方では、そうなるのは自明の理だと思われます。

    文学部へ来たのだから、資料を素早く的確に読み、まとめあげる技術くらいは身につけて、自信につなげて欲しいです。また、それを指導できるまともな教員を配置してもらいたいものです。

    余談ですが、私のいた文学部には三十歳、四十歳になっても就職せず、大学教員の研究のお手伝いをしている人(ポスドク)もいました。驚くほどの薄給でこき使われています。高等遊民という身分でもないのにです。
    中堅私立大の文学部など、廃止になる可能性が高いのに、手伝っている教員が退職したら自分がそこに収まれるとでも思っているのでしょうか。

    文学研究でも、旧来のやり方ではなく、パソコンソフトで作品をデータ化、分析の出来る理系の素養のある研究者が結果を出しています。
    また、少子化する日本を見限り、中国や韓国、インドなどから教員を招聘する大学も増えるかと思います。

    これからは理系の素養があるデータを扱う作業が出来る研究者、外国人研究者が日本の文学部に多く入ってきて、二十世紀の遺物のような研究者はお払い箱になるのではないでしょうか。

    彼らはきっと「文学は心だ。データじゃない。解釈するのは人間の心だ」「外国人に日本人の書いたものを、本当に理解できるわけがない。四季の移ろいも知らないのに」などと言うでしょう。

    しかし私は、「偉い(ということになっている)大先生がこの度、こんなに素敵な解釈をしましたよ」(本文のどこにもそんな解釈の出来る材料はない)「若い美人の研究者が、斬新で大胆でエロさの漂う解釈を大発表」(顔とジジイ転がしが得意の、よく見ると微妙な容姿)みたいな研究ごっこ、学会ごっこに興じている、遺物のような研究者たちにはうんざりです。同好会として、自腹で楽しむ分には文句はありませんが。
    こんなことに国の税金が投入されているのであれば、文学部廃止論が出てくるのは当然だと思います。

    長くなりましたが、

    1・現役高校生の方々には「オープンキャンパスでは、文学部には絶対に近寄らないこと」

    2・文学部に入ってしまった方々には「今すぐにでも退学して、他の道を本気で探すこと(手に職をつけるなど)」

    3・「大学院へ来ないかと誘われたら、全力で逃げること」(学部で就職が決まらず、大学院入りと引き替えに中学or高校教員の席を用意すると言われたら、一筆もらった上で考えてもよい)

    を強くおすすめしたいと思います。

    1. マーライオネス飛鳥さん
      興味深く読ませていただきました。

      高校時代に文学部歴史学科に進んだ知り合いを思いだしました。
      その人は社会のテストができたからという動機ですが、海外の古典を原書の難しい外国語で読まないといけないのが苦痛とか言ってました。本当に理解するためには天性の語学センスが必要です。
      話を聞く限り、当時の政治評論みたいなことを繰返しやるだけみたいな学問だなと思います。
      まだ、戦国無双をやってたほうが楽しいです。

      何度か書きましたが文学部でアカポスしたいなら心理学なら統計、哲学なら科学技術社会論みたいな理系や情報に近い分野じゃないと正採用は難しいと言ってました。
      科学哲学みたいな分野であれば著作権や技術倫理みたいなのは工学部で必修科目なので雇われる可能性があると思います。

      1. ニコさん
        1990年代から文学論で流行ったのがコンピューターを用いて頻繁に使用されるフレーズの洗い出しや文体の規則性の分析することなど理系の知見を文学に振り向ける研究だという印象を受けます。文学に興味のあることは結構ですが、生き残るためにはベースとして理系の能力が必須なのだと思います。

        1. Y様
          横から失礼いたします。それは「計量文体学」という研究分野ですね。『源氏物語』の写本の系統を客観的な手法で明らかにしようとしたものが、もっとも有名だと思います。たしか昭和二十年代に始まり、手と紙を動かすことで頑張っていたのが、コンピュータの登場で飛躍的に作業効率が上がったという印象です。

          論文には難しい数式などが登場しますし、理解出来る文学分野の人間はほとんどいません。学会発表でも、「文学は心だ。数字じゃない」とか言って、相手にする方が愚かだ、というポーズを崩さない人が多かったです。すぐに「心」を持ち出して煙に巻こうとするんですよね。

          たしか関西の方の大学で、芥川龍之介の書いたものかもしれない未発表原稿を、この手法で明らかにしようとしている人がいました。私は数式がまったく理解できないのですが、作者不明だった『家畜人ヤプー』の作者を割り出して欲しい、という期待を抱きながら、この研究分野を長く見守っていく所存でした。しかし、作者が名乗り出たため、もう興味はありません(笑)

      2. ニコ様
        ありがとうございます。
        これからはグローバル、クールジャパン=大学で日本文化を勉強して世界で活躍しよう、などと言い、理数系科目を捨てた高校生を騙そうとする動きが見て取れるので、コメントを投稿させていただきました。

        日本文学学科の近・現代では、カルチュラルスタディという文学と文化をリンクさせる手法があり、歴史学科の学生とも交流がありました。歴史よりは文学の方が女性が多く華やかだからか、やたら張り切って無意味な議論をやりたがっていた男子学生が目立ったように思います。

        原書を読むことは、その語学のプロでも時間のかかることであるのに、なぜあんなに効率の悪いことを一学生がやらなければいけないのでしょうね。それをやり続けても専門スキルにはなりえません。やはり教養は、大学で専門にする必要はないですね。「原書読み、資料作成、発表」という行為は日本文学学科に限らず、他言語の文学学科、哲学学科などでも多くあり、学生はかなり苦労しています。私が観てきた範囲では逃亡、留年からの退学も多いですが、お金と時間の無駄です。退学は早い決断が大事だと思います。

        私立大学のいくつかは通信課程を持っており、そちらへ転学する学生も増えてきていると聞きました。学費は15万円程度と格安で、面接授業では別途費用が発生しますが、通学課程の学費とは比べものにならないほど安いです。それまでに取った単位も活かせますし、大卒資格も得られます。

        働いたり、他の専門学校で学びながら、続けることも可能です。文学部の学生さんは一考の価値があると思います。ゆでガエルになる前に、逃げた方が勝ちです。

    2. 日本文学なんてのも理論物理と同様、覚悟がなければ近寄ってはならないところですね。

      1. 774様

        おっしゃる通りです。覚悟と不労所得があれば、しがみつき続けるのはなかなか楽しいと思います。

        1. マーライオネス飛鳥さん、

          個別記事にした方がいいと思うので移行させてもらってよろしいでしょうか?

          シン

    3. マーライオネス飛鳥 様
      >>文学部へ来たのだから、資料を素早く的確に読み、まとめあげる技術くらいは身につけて、自信につなげて欲しいです。また、それを指導できるまともな教員を配置してもらいたいものです。
      →学生時代、社会人時代と様々な人たちを観察してきましたが、平均的に上記の能力は理系の学生の方が文系の学生よりも圧倒的に高いです。
      理系の学生は毎週実験と実験レポートを通じて、仮説を立てて、実験で確認して、結果と仮説の齟齬を分析し、齟齬はどこが原因だったのかを結論としてまとめる訓練を受けています。さらに大学入学時の平均学力も理系の学生のほうが文系の学生よりも高いです。理系の学生が負けるわけありません。文学部に限らず、文系の学生はもっと危機感を持つべきです。
      新卒の合同研修の時にレポートを提出しなければならなかったのですが、私が三十分以内にサクッとレポートを仕上げている横で一時間経過しても半分も書き上げられていない事務系総合職の同期の姿が印象に残っています。

      1. Yさん
        理系のが優れているというのはわかりませんが、以前おっしゃってたメーカーであれば全員技術系で採用して仕事やらせて向いてないなら事務系配属でいいと思います。
        というのはメーカーならどんな配属でも技術的な素養は必要なのでそれでいいと思います。
        知財業務にも事務系の人がいるのですが申し訳ないですが設計開発で落ちこぼれたポンコツの私でも事務系以上にできてます。

        学力だけでなく、工業高卒でも優秀な設計者や派遣エンジニアでもその人がいないと仕事まわらないくらいの人もいるので能力ってのは多様性があるのだと思います。

      2. Y様
        >>文学部に限らず、文系の学生はもっと危機感を持つべきです。

        おっしゃる通りです。文系の学生は、理数系の学生よりも言語運用能力が高いと思っていると勘違いしている人も多くいると思います。文系の学生は単に理数系の科目を捨てた人というだけで、特に言語運用能力が優れているわけではありません。コミュニケーション力と言語運用能力を一緒くたにしているのかもしれません。

        私の大学には、外国人学生も多くいます。日本語の語彙量やカジュアルな運用に関して、ネイティブにはかなわない部分は当然ありますけれども、レポートや発表などは日本人学生のものよりも優れています。論点を際立たせ、簡潔にまとめています。また、海外の文学批評理論についても広く目配りしていて、それを応用しようとする意欲もあります。彼らは「文系」ではありますけれども、日本の文系とはまったく種類の違う人たちです。

        そのことを理解できない日本の文系人間たちは多いと感じます。自分が日本人であること(日本語を母語にしていること)を盾にして、難しめの日本語で質問をまくし立てて議論を潰そうとしたり、彼らが日本語で書かれた作品をきちんと理解できていない、日本人の心をわかるはずがない、と安心したりしている姿を、学会などでも実際に見てきました。
        外国人の研究者、学生は、日本人のそういう姿勢を見て、衝撃を受けているようです。

        私は外国人(欧米系)の学生たちに、なぜ日本人の学生は理論をきちんとやらないのか、個人の主観で作品を読むのなら、それは研究ではなく、小さな子どもの感想文と同じだ、と言われました。返す言葉もありません。

        日本の国語教科書では、最後に作者の顔写真を載せています。そして、小説、論説問わず、同調読みが中心に行われてきました。書き手に感情移入できるかどうかで、テストの点数が乱高下するような生徒が多くいる時代が長く続いてきたと思います。感情移入が推奨されてきたのです。批判読みや複数視点の読みを指導していないわけではないですが、メインはやはり同調読みで、マンガやアニメなどでそれは日々鍛えられます。

        国公立や一流の私大の文学部日本文学学科ならばわかりませんが、私の大学のような中堅(以下かもしれません)私立では、同調読みの枠から出られずに、論旨明快な客観的な文章など書くことも出来ないでしょうね。大学教員も自分のことで忙しく、できの悪い学生を指導する時間も情熱もないでしょう。

        こんなところへ留学してきた海外の学生たちは気の毒ですが、指導教員さえしっかりしていて、付いて学んだという事実が残ればまあいいのでしょう。彼らは家族の生活費まで奨学金が出ていることもめずらしくないので、たくさん勉強出来ています。アルバイトに追われて勉強が出来ない、というような文系学生たちとはここでも差が歴然です。

        能力も資金も十分な外国人学生ですが、夏期や冬期の長期休暇中に、私の大学の図書館がほぼ開かないことには怒り狂っていました。学習環境は大切です。うちの学生は勉強しないから、図書館を使う人がいないので冷房代がもったいないから開館しない、という大学側からの正式な回答書を見せたら、唖然としていました(苦笑) 

        文系の学生は、理系の学生だけではなく、外国人の学生にも負けているだということを、自覚した方がいいと思います。能力も、情熱も、可能性も。残酷ですが、事実です。ここからどう動くかだと思います。

        1. ×文系の学生は、理数系の学生よりも言語運用能力が高いと思っていると勘違いしている人も多くいると思います。
          ○文系の学生の多くは、自分たちが理数系の学生よりも言語運用能力が高いと勘違いしていると思います。

    4. 非常に考えさせられるコメントなので寄稿として編集して記事にさせてもらっていいですか?いい議論になると思います。

      シン

      1. シン様
        ありがとうございます。
        本が大好きな高校生とその親御さんに、読んでいただけたらと思います。
        よろしくお願いいたします。

        また、返信欄をお借りして、多くの補足をさせていただきました。
        コメントをくださった方々、ありがとうございました。

    5. マーライオネス飛鳥さん
      私にとっても非常にいい勉強になりました。

      実は、文学部で留年が割といてなんでだろ?とか思ってました。文系で留年ってのはラグビーや野球部と就職できない人以外はサボりすぎだと思ってました。
      一応、私立の体育会系なので練習は厳しいです。
      知り合いもラテン語や文献を精読するのが苦痛で留年したみたいな話だと聞いてますが本当みたいですね。

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