じゃあ、才能がない

才能がないことを認めるのって、結構辛いですけど、諦めるタイミングは大事です。

実行

好きなことなら、御託はいいから、やって見なよ!っと思いますし、やることはいくらでもできます。ミュージシャンになりたいなら、ギター抱いて寝るほど音楽が好きじゃないなら、そんなに好きじゃないってことです。

他人の作品を評論して悦に浸るくらいなら、自分の作品を形にする努力すればいいんです。評論でいいので、自分の考えをまとめて、ブログにでも発表すればいいでしょう?なんで、マイナーな作品を知っていることをひけらかしたり、文句ばかりつけているのでしょうか?

評価されるかは別にして、何かを表現することには価値があるけど、他人の作ったものに上から目線で偉そうな批評だけしていることって、なんの価値もないんです。言いたいなら、きちんと考えをまとめて、正面からぶつけてやればいいんですよ。

評価されないこと、失敗するのを恐れて、何もやらない完璧主義者になるより、やるだけやって、限界を感じてから、諦めた方がいいんでしょうけど、それすら出来ず、匿名掲示板で暴れ回るのが憂さ晴らしなんて、惨めそのものです。

三年

私はいつも「石の上にも三年」と言うんですが、三年全力を尽くせないなら、才能がないどころか、才能があるかすらわからないまま終わります。そして、三年やれば、何かしらのはっきりした成果が数字なり、形で見えるはずです。

何かしらの賞をもらう、とか、数字としてこれだけ売上たとか、このまま頑張れば、その道で飯が食えて、ひょっとすれば、大成功するかもしれない、という客観的な証拠がなければ、気持ちを継続するのは困難です。

三年で成果が見えてこれば、更に努力を続ければいいですし、成果が見えないなら、諦めた方がいいでしょう。これ以上続けても、傷口が広がるだけで、他の可能性を潰してしまい、普通にしていれば、得られる小さな幸せも放棄することになりかねません。

20代

稀に大器晩成型がいますけど、一般的にその道で成功を収める人は遅くとも20代の内に世に出ています。世に出ると書いて、出世なので、自分の名前、作品が世に出て、認知されることを意味します。

なので、20代後半になって、自腹切って学校に通うとか、何の経験もない業界に下積みとして飛び込む、とかって、何の意味もない自己満足で、時間とお金の浪費となります。誰かにお金を払ってもらい学ぶなり、きちんとした労働対価をもらって、自分の時間を売るべきです。

何の成果もないなら、大それたことを考えずに、今までやってきたことを継続していく時期に来ている、と言うことです。夢見ることはいいですが、趣味の範囲内で楽しんで、小さな幸せを見つける努力をした方がいいです。

まとめ

ほとんどの人には何の才能もありません。才能ないながらも、出来るだけ好きなこと、出来るだけ得意なことをして、それをお金に変えていくしかありません。その敗北を認めるのタイミングを書きました。苦い経験であっても、は知ることで、人間は深みを増すのです。

才能のある人間はキラキラとして魅力的ですが、才能のない人間も敗北を知っている人ならそれなりに魅力的です。才能がなく、努力もしてない、敗北を認めもしない、他人に文句ばかり言う人はダサいもいいところです。

それでも敗北を認めないなら、全てを捨てて、ゴーギャンを目指すなり、寝る時間を削って、仕事の合間に作品を作ったらいいじゃないでしょうか?世間に認められなくとも、野垂れ死しようが、表現することを止めず、悪あがきするのも美しいものです。

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