じゃあ、唐

またしても、中国史をリクエストもらいました。今回は唐となります。長い時代ですし、かなりの強国だったのでまとめるのに苦労しましたが、いくつかの点に集中して記事を書きました。

成立

戦国時代を制した隋が短期間で瓦解し、禅譲と言う形で政権簒奪したのが李淵です。公式には漢民族と言うことになっていたみたいですが、実は北方モンゴル系民族出身のようで、唐と言う国は漢民族よりもモンゴル系民族の特徴が良く出ているように思われます。

勢力範囲は西の狩猟民族の中央アジアに広がっており、一時、唐から政権簒奪を行う安禄山はイラン系の血を引く人物だったようで、残っている肖像画もコーカソイドの特徴が出たものです。唐は漢民族的な長子相続ではなく狩猟民族の特徴が出ていますね。

初代高祖(李淵)の長男を武力により廃し、次男の太宗が後継者となり唐の政権維持を確実のものとして、三代高宗も後継者争いで散々ゴタゴタした後に即位した人物で、この人が唐の阻害になっていた高句麗を下すことで唐が完全成立したといっていいでしょう。そして、高宗の妻が中国史、唯一の女性皇帝、武則天です。

武則天

現代においても中国人女性は女傑が多いですが、この人は日本の女性天皇と違って皇族出身者ではなく、中継ぎ登板でもなく、自らの手で政権を簒奪している女傑であり、世界史においても他に例がほとんどない存在だと思います。後の世で皇帝同等の権力を持った西太后は即位まではしてません。

武則天は病気となった夫、高宗に変わって実権を握ると、政治闘争を勝ち抜き、さまざまな工作をして自ら皇帝に付き、武周という新しい国を興しています。ある種のミソジニーもあり、後世で不当な低評価を受けることもありますが、治世の間、大きな反乱も起こっていないので無難な運営をしたといえるでしょう。

誰に目にも武則天は異常な形で政権簒奪をしており、保守的な貴族階級の支持が得られなかったため、自分の側近を登用しようとして、科挙を強化し庶民からの抜擢をしました。これがうまくいって次世代に活躍する数多くの名臣が採用されています。これが最も大きな功績かもしれません。

政治体制としては現代式の政治家(貴族出身者が多い)、官僚(学力登用)の二本立てがバランスがいいのかもしれません。次世代の北宋では官僚が増えすぎて、官僚同士の闘争で政治混乱を起こしているので、貴族の政治家は要らない、官僚だけでいいわけではなさそうです。

彼女は自分の子供がそんなに可愛くなかったみたいで、自分の都合で挿げ替えたり、甥の武姓を継ぐ男子を後継者にしようとしたので、極めて男性的と言うか、女性でありながら、あまり女性的な振る舞いをしていません。多くの女性は自分の子供だけは他人の子供よりも、どんなことがあっても優先するものです。

楊貴妃

次の女傑は傾国の美女、楊貴妃ですが、この人自身は皇帝になってやろう、という野心があったわけでもないようです。親族を要職につけていますが、その人たちを取り仕切って自分が上に立ってやろう、と運動した形跡は見られません。権力者に愛され、ワガママ放題をしたかっただけみたいですね。

玄宗もゴタゴタの末に即位しますが、政権前半は武則天時代に採用された名臣たちに支えられて開元の治と呼ばれる唐の全盛期を迎えます。しかし、玄宗は息子の妻だった楊貴妃を取り上げ、徐々に楊貴妃におぼれて堕落していき、安禄山が蜂起します。この為、楊貴妃は傾国の美女と呼ばれますが、玄宗が決めたことであって、彼の責任だと思います。

楊貴妃の親戚、楊国忠が宰相になり、安禄山と対立したことが蜂起するきっかけを作ったともいえますが、こんなのは外戚政治で実力とは関係なく一国の宰相が決められたら、世が乱れるのは古今東西同じです。その安禄山は明智光秀のように三日天下になります。子供に裏切られる無残な最期です。

安禄山の乱があったとは言え、この時代がもっとも唐が華やかであり、勢いがあり、文化が花開いた時代だったと思います。杜甫、李白、王維、といった後世に名残す詩人はこの時代の人たちですし、彼らの漢詩を後の日本人も教養として勉強していますので、凄く影響力があった時代ですね。

阿倍仲麻呂

日本人留学生だった阿部仲麻呂は玄宗時代の人で、安禄山の乱にも巻き込まれています。唐の全盛期に留学し、科挙に合格、帰国せず、唐に仕えた人です。その時期の人としては海外就職するなんて例外的な存在です。

海外留学生がそのまま現地に留まって史上もっとも成功した日本人はこの人なのかもしれません。日本にいるときに学問で名を挙げ、遣唐使(国費留学生)として唐に留学し、そのまま現地の官僚登用試験を突破して、植民地支配をしていたベトナムの都督にまで上っているのですから圧巻です。

単に宮仕えで出世しただけでなく、李白、王維、と言った一級の詩人とも親しく付き合っており、本人の漢詩も評価されており、百人一首に採用されているくらいですから、これ以上ないくらい大出世だと思います。本人としては凱旋帰国出来なかったことが唯一の心残りでしょう。

現代風に言うと、全国区の進学高からフルスカラーシップでハーバードに入り、国連職員に採用され、中南米へ派遣されて、そこのトップになり、国連本部長官級になっただけでなく、英語圏のノーベル賞作家級の文人と付き合いを持って、日本国内においても芥川賞を受賞している作家という感じでしょうか?

没落

安禄山の乱で疲弊した唐は十四代、憲宗で一時期盛り返しますが、四十代のはたき盛りに宦官に暗殺されると、宦官の横暴はひどくなり、脱税目的で僧籍を取る人間が増えたり、どんどん世の中が乱れていきます。そして、群雄割拠の戦国時代へと突入します。

菅原道真で知られる894(白紙)に戻そう遣唐使、で知られる頃には唐はわざわざ危険を侵していく国ではなくなり、日本は中国と距離を置くようになります。そして、日本独自の文化が花開いていきます。しかし、唐は日本文化への大きな影響をもたらし、その後も中国のことをずっと唐(から、もろこし)と呼んでいましたし、唐風の官職名もずっと使っていました。水戸黄門様は中納言の唐名です。

政治的にも唐の留学生だった吉備真備はさほどの家柄でもないのに大臣になっています。吉備真備が学んだ唐の律令は日本に大きな影響を与えましたし、官僚といえる吉備真備の排除をもくろんで貴族の藤原氏の政権奪取をもくろんで藤原広嗣の乱が起こっていますから、日本にとってかなり大きな影響があった国だといえます。

まとめ

中国が最も隆盛したのは唐時代でしょう。現代におけるアメリカみたいなもの何だと思います。勢力範囲も広いし、文化的、軍事的、技術的、政治的に中国が世界トップをひた走った時代です。儒教思想が弱まって、自由の国であり、外国人が流入してきて新しい風を吹き込んでいたんですね。

唐では食文化も発展してパン、餃子、饅頭、ワンタンなどの小麦粉製品が流通し、肉も牛、豚、らくだ、羊、鶏などが食べられますし、果物もたくさん食べられるようになり、中国人の思想である医食同源思想もこの頃に始まっています。

ファッションもどんどん発達して、服の種類が増えて、髪型が多様化し、化粧技術も発展して、アクセサリーの種類が増えてきて、奇抜なファッションが許されるような国だったのでしょう。まだまだ、独自文化が育ちきっていない当時の日本から来た阿倍仲麻呂が帰りたくなくなるのもわからなくないです。

中国は深いですね。

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