じゃあ、大学の商業化

各国で大学が商業化していますが、これは当然の流れだと言ってよく、本来必要のない人間が高等教育を望むので、安易な大学教育が求められ、そこに商機を見出した人たちがなだれ込んだわけです。戦前の日本で高等教育がどう行われていたのかを検証したいと思います。

帝大

東大は官僚育成校として設立され、税金を湯水の用の注ぎ込んで教育体制を整えてきた大学で、東京の中央政権化を進めるべく、各地からエリートを集めてきた学校です。それに続いて京大は日清戦争で得た賠償金を使って京都出身の西園寺公望が設立した大学であり、関西財界を担うエリート、研究者などの育成を目的としており、東大とは違う校風のトップスクールを作りたいっていう意図があったのでしょう。

他の地方帝大は小規模理系単科大に近い存在として設立されており、文系が設置されたのは戦後になってからです。旧制高校を卒業すると無試験でどこの帝大にも入学できるので、東大、京大以外への進学者は明らかに変わり者であり、何かしらの明確な目的を持った人以外が進学する大学ではありませんでした。例えば、医学部などの定員が少ない学部は東大、京大に入れず、他の帝大に行くっていうこともあったようです。

彼らは学力エリートと言うよりはアッパーミドル出身かつ、学力がそれなり以上に高い人たちであって、純粋に学力で選別されてきたわけではないです。と言うのも、戦前の日本、特に地方では旧制中学を出ていれば、高学歴と言っていいくらいで、旧制高校、帝大と進めるような資金を調達できる人は滅多にいなかったからです。

家がさほど裕福でないが、優秀な人は高等商業、高等師範、高等農林などの職業直結系の準大学的学校に進んでいたようです。帝大でなくとも、官立高等専門学校を出ていれば、優秀であるってことが証明されているわけで、彼らは中央官庁にでも行かない限りはどこでも幹部候補生だったようです。

そういう点で考えると、戦前から現在までの産業構造の変化を考慮しても、官吏、企業幹部として迎えられる東大、京大しか文系は必要ないっていうことになります。他の帝大文系は本来はなかった存在であり、戦後、高等教育が大衆化する家庭で出来た新しい存在に過ぎません。それでも、理系専門を学ぶなら、地方帝大は十分以上な存在でしょう。また、就職先に不安のない今の駅弁理系は官立高等専門学校にあたると考えていいのだろうと思います。

私大

帝大、官立高等専門学校が出来のいいボンボンたちだったのに対して、私立は大学ではなく、私立専門学校扱いであり、バカボンが集まるところでした。旧制中学を出ても、どこの旧制高校に受からない人がモラトリアムのためにお金さえ払えば入学できる私塾に入ったわけです。

慶応義塾は文字通りに私塾であり、他の私大も著名人設立の私塾、キリスト教宣教師設立の教会学校に過ぎなかったわけです。これはこれで何の問題もなく、金持ちの家に生まれた人間は生活のために働く必要もないので、しばらくプラプラして、親の家業を継ぐなり、コネでどこかに放り込んでもらうなりして、いずれは相続が出来るので、誰に迷惑をかけることもなく、タラタラ暮らしていたということです。

第二次世界大戦中の将校が死を覚悟して、戦地から妻に子供の教育を託すために書いた手紙を読んでいて笑ったのが、まずは陸軍幼年学校を狙って受からない、本人に合わないなら、官立学校に進むこと。それでもダメなら、私立学校なんかに進学させずにそのまま就職しろ!っと書いていました。

戦前の将校は二種類いて、皇族、華族の特権階級、たたき上げエリートの二手に別れます。上記の将校は後者のパターンで、変えれは旧制中学出た後、進学先は陸軍士官学校、海軍兵学校しか選択肢がなかったそうです。タダで勉強できて、お金までもらえる学校なんてそうはないからです。

要するにその将校は実家に資産のない人間は私大文系なんか行ってプラプラするのは言語道断だって言っているわけです。特にその当時の私立専門学校は理系はほとんどなく、文系メインの虚業をちんたらやる学校に過ぎなかったので、まったくごもっともな意見だと思います。理科大は漱石の小説にも物理学校として出てくるので、例外でしょうか?

商業化

高度経済成長期に入り、高等教育が庶民の憧れになると、国はお手軽高等教育を用意しなければならないので、駅弁大学が竹の子のように誕生し、私立学校は大学昇格し、定員をバンバン増やしていき、理系学部の設置にはお金がかかるので、あまり積極的ではなく、増えるのは文系だらけになるのは当然です。

国、私立大学が具体的な出口は考えてあげなくとも、大卒って言うブランドだけでいくらでも就職口がある時代がしばらく続いたので、学生が何を学び、何をして生きていくのかを考えて学校を運営していないのです。そして、バブルが終わり、IT革命が発生し、産業構造はがらっと変わったのに、旧来のお手軽高等教育は何も変わりません。

結果として、企業側が欲しい人材である理系専門を持った人間は取り立てて問題なく就職していくが、企業側が幹部社員しか必要としていない文系事務系社員はあぶれてくるのは当然だと言っていいでしょう。それにIT革命による事務の作業化、単純作業者の非正規雇用が進むので、社会に必要とされていないことを学んでいた文系が悲鳴を上げるわけです。

私立大学は高校生に何学部も併願させて、入試手数料で荒稼ぎして、合格通知を出し、入学が決まれば、学資ローンで学生に借金をさせて、収入を確保し、マスプロ授業を提供して、レジャーランドで4年過ごしてもらって、叩き出しているのでウハウハなんですよ。特に東京にある私大は東京志向の田舎者がなだれ込んでくるので、少子化でも何とかなります。苦しむのは情弱どもで、既得権益は高笑いです。

英語圏はもっと露骨で、グローバルな搾取を進めており、発展途上国の小金持ちの子どもを集めて、ろくに入学審査もせず、文系学位と言う紙切れを与えて、がっぽり搾取をし続けています。酷い大学になると、本国のみならず、各地にキャンパスを作り、情弱をかき集め、紙切れ乱発して、とんでもない荒稼ぎをしているのが現状です。こういった大学を私は「英語圏Fラン」と呼ぶのは当然でしょう?

まとめ

本来の社会構造は1%エリートにしか高等教育は必要ないし、ボンボン、オジョーでもないなら、私大文系なんか進んでも何の意味もないのは当然です。戦後、日本は高度成長して、国民は一億総中流化したので、本質が見えなくなっていますが、人間社会は産業構造は変わっても、1%エリート、1%アッパーミドル以上、10%エリート補助者っていうのがスタンダードなんだと思います。

現在の日本ではどんな貧乏人でも、大学に行くことができるので、そこで何かを身に着けて、それをお金に考えるべきでしょう。アッパーミドルなら、遊び狂っているのもいいですけど、そう多くはないです。一番ダメなのが、エリートでもないし、専門もない、手に職もない、大卒と言う紙切れしか持っていない文系だって言うことです。

非エリート貧乏人はそれを理解して、大企業に就職して、小さな利権、待遇を守るために必死に動き回るもいいし、手に職を身につけるもいいし、公務員になって不測の事態が起こらないことを祈りながら、しがみついているのもいいですが、何かしらの指針を持たずにタラタラやっていて、結果的に下流に落ちぶれても、それは国が悪いのではなく、自己責任だと思います。

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