じゃあ、欧州の共通語

ふと考えていたのですが、地続きの欧州で共通語は何回か変わっているのですが、何回変わったのだろうか? 我々が生きている間に英語が共通語としての地位を失う可能性があるのか?、と考えていました。

ラテン語

ローマ帝国が支配した古代欧州はラテン語が共通語として使われていました。欧州だけでなく、アフリカ、西アジアまで勢力を広げていて、かなり広範囲で公用語としての地位を築いていたのでしょう。この時代は支配者階層の使用語であり、文章語としての意味しかなく、庶民はそれぞれが地方語を話していたのだろうと思います。

西ローマ帝国の滅亡からラテン語は教会、学問で使われる学術語になっていき、西欧州では俗ラテン語が使用され始めて、徐々にロマンス語派の言語へと別れていきます。ゲルマン系言語もラテン語の影響はたぶんに受けているものの、野蛮人の言語とみなされていたようです。

東ローマ帝国は中世も続くものの、支配地域は東なので、ギリシャ語が公用語なので、ラテン語は特殊な場合に使われる言語になっていたのだろうと想像します。欧州の教養人がラテン語、ギリシャ語にこだわるのはこの辺の事情で、彼らの祖先が築いたローマ帝国の文化を学ぶなら、ラテン語、ギリシャ語、と言うことなのでしょう。

フランス語

フランス語が17世紀くらいから共通語になってくるのはラテン語からの派生語であり、フランスが力をつけてきた体と思われます。欧州を政治力で支配したハプスブルグ家はスイス出身で、オーストリアはドイツ語圏なのですが、上流階級ではフランス語教育を受けていたみたいです。

かの有名なマリーアントワネットもフランスに嫁いだからと言って、フランス語がわからない、文化的に合わない、と言うことはなく、彼女はドイツ語もわかるにはわかるが、普段からフランス語を話し、フランス風の暮らしをしてきたので、パリでの暮らし自体は大したカルチャーショックはなかったでしょう。

この辺はイギリス王家なり、スペイン王家も同じですし、スウェーデンにいたってはフランス系の王朝ですし、フランス的なものサイコー!、ローカル的なもの野蛮!、という風潮だったのでしょう。この辺は中華思想、マンダリンも同じですし、世界中どこに行っても、何かしらのトレンドが出来ると、それ以外は野蛮みたいな感じになるのでしょう。

英語

元々、イギリスはゲルマン系のアングロサクソン民族の国でフランス人からしてみれば、野蛮人もいいところだったのでしょうが、産業革命の大成功でフランスに並ぶくらいの力をつけます。それでも、先行者利得があり、フランス語の共通語としての立場は崩されなかったのですが、アメリカが力を付けてくることで英語に取って代わられます。どうも第一次世界大戦の外交文書が英仏二言語で作成されたことが契機みたいです。

それが欧州の共通語だけでとどまらず、世界中の共通語になって今に至るわけです。これが崩れるとしたら、アメリカが世界一の地位を失うことなのですが、今のところ競合もいないので、我々が生きているうちは英語の共通語としての地位は失われないものと思います。

EUも瓦解寸前、中国もバブル崩壊、インドは複雑すぎる、ので、数十年で地位はひっくり返ることはないだろうし、フランス語が負けたのは産業革命から結構経ってからです。つまり、今すぐ何かしらの人類史上大きな事件が起こって、アメリカはどこかの国に主導的な立場を奪われたとしても、そこから実際に英語が力を失うのには数十年はかかるでしょう。

まとめ

共通語を母語にも持つ、共通語で教育を受ける、のは圧倒的に有利なので、どんな時代でも支配者階層ほど英語重視するのは当然だと思います。支配者階層はプライベートチューターを雇って、共通語で教育を受けましたし、アッパーミドルは全寮制のエリート校に通っていたわけです。そうすることで庶民と差をつけて、特権を世襲していたのでしょう。

そういう意味で発展途上国の富豪が子弟をスイスの全寮制名門インターナショナルスクール、イギリスのパブリックスクールに送って、早いうちから英語を身につけさせるっていうのはごもっともなのでしょう。彼らは自分が技術を身につける必要のない人たちなので、支配者階層の白人たちと対等にやれるだけの英語力、マナー、文化理解を身につけて、自分の利権を食い物にされないようにすればいいだけだからです。

イギリスは植民地官僚システムを構築する課程で、現地人のエリート層をイギリス人化させる政策を採ってきたので、旧英領ではどこでも、イギリス的なものを好みますし、未だにイギリスびいきです。もちろん、アメリカがトップであるものの、イギリスも底力があり、それはアメリカのオヤジであり、長い時間をかけて、ブランドを培っているからでしょう。

ただ、一般人も同じように英語重視すべきか?、と言うと、富豪と違って、自分で汗をかかないとお金にならないので、まずは技術のほうが大事で、そこから英語なんだろうな、といつもの感想になります。ローマ帝国でローマ市民権のない人民が自活して、少しでものし上がりたいなら、ラテン語学ぶよりも、技術を身につけて、ローマ市民とまともにバッティングしないニッチ分野に手をつけるのが大事だったんだろうな?、と思います。

人類史で広域にわたって共通語となった言語なんてそう沢山はないので、一度流通すると、それがひっくり返ることは大事件なんだな、と思います。だから、何かしら特殊な事情がない限りは英語以外を勉強する意味なんてない。また、ローマ市民(白人)、ラテン語母語話者(英語ネイティブ)で初めて特権的な立場を得られるわけで、そうでない人はニッチを身につけ、共通語を学び対抗するしかないと思います。

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