前々から言っているのですが、田舎出身の人は何かしらの事情が出られない人速やかに都市圏に行くといいでしょう。
コスト
田舎って、意外に生活にお金がかかります。安いのは土地だけで、車がないと生活できなかったり、競争の原理が働かないので、賃貸アパートの家賃は割高ですし、寒い地域だと暖房にもお金がかかります。その上、仕事がなくて、それなりの仕事は奪い合いだったりします。田舎だと公務員が憧れの的だったりしますからね。
そして、義務教育の中学まではともかく、高校からの選択肢が少なすぎます。ちょっと真剣に大学進学を考えているなら、下宿しないと、高校に通えないとかなると、自分はともかく、子供に迷惑がかかります。その教育コストを捻出できるならいいですけど、できないなら、迷惑そのものです。
今後、人口が増えるどころか、大幅減少見込みの地域であるなら、その地域の財源でインフラを維持できないので、国に援助を求めることになりますが、その国が疲弊してきていると、どうにもならないのです。地域経済を支えるのは国ではなく、産業なので、地場産業が起こせないなら、じわじわと着実に衰退します。
都市圏
私の予測だと、東京一極集中は止まらない、その次にくるのは地方都市への移住ではないかと思います。東京一極集中で生活コストが跳ね上がると、多くの人にとって、行っても、稼ぎ以上に生活費のかかる場所になってしまうのです。パリ、NYみたいに、強烈に物価が高くなる可能性があります。
東京に行かなくても、地元から近い都市圏に移住してしまうのって悪くないと思います。福岡はコスパが高く、徐々にIT系の仕事が集まりつつあり、コンパクトにまとまっているので、住みやすいです。家賃が安く、車なしで生活できるので、生活必需コストを抑えることができます。東京の半分近くの生活費で2/3の給与が得られて、ごみごみしてないなら、生活水準は上がるでしょう。
だから、現在の100万人都市クラスはこれから近隣の住民がひきつけるようになるのではないか?、と思います。仕事を確保して、生活インフラを公共交通機関でまかない、たまにカーシェアリングで地元に帰って、親に顔を出したり、地元の友達と遊んだりするくらいでちょうど良いのでは?
リモートワーク
徐々に浸透しつつあるリモートワークですが、どこまで続くのかわかりません。アメリカの調査によると、家で仕事することで、気持ちの切り替えがうまくいかず、ストレスを抱えやすい、ということもあるそうで、それは理解できますから、リモートワークが標準化することはないのではないか?、と思います。あくまでオプションのひとつ、ということになるのでしょう。
となると、セミリモートワークとでもいう、必ずしも東京やる必要のない仕事が地方都市に流れていくのではないでしょうか?その方が生活コストの安い住民を雇えますし、企業にとってもメリットがあります。一物一価で下がっていく単純作業単価を日本国内に出来るだけとどめるなら、これが良いのではないかと思います。
テレオペなんかは福岡、沖縄なんかでやっているらしいです。そして、政府は補助を出して、大連にまで進出していた事務作業を日本に戻す努力をしてもいいのではないでしょうか?すでに中国、タイの物価は日本より激安、というわけでもありませんし、日本企業は出来るだけ日本人を使ったほうが良いでしょう。
まとめ
特に理由もないのに田舎で安い仕事をして、車のローンを抱えてヒーヒー言っている人は都市圏に出て、もっと効率よく生活したほうが良いだろうと思います。先祖代々暮らした土地に未練がある気持ちはわかりますが、このまま何もしなければ、その土地とともに自分の衰えていきます。勇気を出して、外に出たほうがいいでしょう。
移民一世は古今東西、大変ですけど、次の世代は親が作ったインフラをベースに活動できるので楽になります。自分が苦労してでも、子供にもっと多くの選択肢を持てるように努力するのもいいでしょう。自分自身にしたってこのままじり貧していくより、どこかで踏み出す勇気は必要です。
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名古屋や三河は田舎なんでしょうか?
私の感覚では大きな村ですね。仕事はあるし、安い仕事でもないし仮に若いとき給料が安くても勉強になることも多いのでいいとは思います。
しかし、なんだかつまらないし、周りの人もシンガポール人じゃないけど金太郎あめのような同じような価値観や意識でつまらない人が多いから息苦しいです。
仕事は遊びではないので我慢するのですが、給与の仕組みや周りの人のライフスタイルの同調圧力が強いです。うまい日本語でなくてすみません。
大した娯楽もないのでマイホームと家族を持つことが村でのヒエラルキーが高いから独身に当たりが強いです。
その点に疑問がなければ生活しやすいと思いますが、、
個人的なメリットで実家が近いので食糧貰える、友達に会いやすいということがなかったらつらいです。
三河はこの記事とは関連しません。仕事があるなら、それで食っていけますから、その土地が好きなら、出ていくこともありません。嫌なら、出て行ったほうがいいでしょう。名古屋は大きな田舎、と言いますからね。
シン
私は田舎から出てきていますが、両親が高齢になってくると、
いつか帰らないといけないかなと思うことがありますね。
田舎だと収入が少なくなる上に生活コストがあまり安くないので、
やっぱり帰れないという結論になってしまいます。
車を一人一台持たないと生活できないというのはちょっと考え物です。
両親とはスカイプでよくやり取りしているので、当面はこのままで大丈夫かなと思っています。
便利な時代になったものです。
将来定年を迎える頃に田舎に帰るのもよいかなと思っていますが、
その頃に過疎化が進んでいたら帰れないかもしれませんね。
理系だと工場配属が多いので
都会→田舎
田舎→田舎
で結局田舎にいくことになりますね
私は名古屋の出なので、名古屋は大都会だと思っていたのですが・・・
ネットだと田舎といわれてびっくりします
田舎が嫌なら、情報系、外資系で都会勤務前提、地方に拠点のない会社に行くといいと思います。商社、銀行でも地方勤務だと、ど田舎でないにしろ、田舎勤務はあります。
経済規模、人口はともかく、名古屋は福岡より田舎だと思います。なによりもメンタルが田舎者なんですよね。
シン
シンさんお久しぶりです。3年位前に突然ブログが閉鎖されてしまい、久振りに検索するとヒットしたので嬉しく思います。これから記事を遡っていこうと思います。少し読んだ感じでは少し表現がマイルドになった様に感じました。以前の様に切れ味抜群のブログを期待しております。
お久しぶりです。
試行錯誤を繰り返したんですが、前のブログのスタイルでは行き詰まったので、内容は同じ、書き方を変える、ということで、発展を試みています。
また、いろんな議論をしましょう!
シン
JR西日本の赤字路線発表に対して田舎首長の反応が面白いです。
廃線への拒否反応を示していますが、時の流れがないんでしょうか。
人口動態予測から2060年まで人口推移の結論は出ています。
「利用促進」とか言ってる場合か?と思います。
さも突然沸いた問題のように扱ってますが、数十年前から想像つく話です。
今あるものを失くす・やめるって、一部の人は本当に怖いみたいですね。
収納術みたいなのが大好きで、断捨離は嫌いな人たちです。
路線など関係なしに限界集落は色々もう限界です。
>>今あるものを失くす・やめるって、一部の人は本当に怖いみたいですね。
収納術みたいなのが大好きで、断捨離は嫌いな人たちです。
→断捨離とはいい例えですね。
以前にシン様も仰せになられていらっしゃいましたが、日本国そのものが既に衰退は避けられず、撤退線の段階に来ています。過疎化した田舎は、路線だけでなく自治体そのものの「終活」が求められていると思います。どんなにローカル線の利用促進をしたって、人口が減っているんだからさして意味はありません。少し赤字を減らせる事は出来るかもしれませんが、収支の改善は望めません。末期ガン患者の延命治療みたいなもんです。
ローカル線だけででなく、自治体自体を廃止すべきです。ローカル線振興に使う予算があるなら、それで住民の集団離村の補助をした方がいいです。
おっしゃるとおりで、過剰医療と同じ価値観です。
長生きがそんなに良いことですか、と。
2005年前後の平成の大合併は、少子高齢・人口減少を見越した政策ではありましたが、更に進めていかざるを得ない状況です。4,630万円誤送金というブースターが落下した阿武町(萩市への合併拒否)など、行政組織として欠陥してると思いますね。イージスアショア配備拒否の際での移住増加がどうとかの説明が皮肉なもんです。
フロッピーディスクを使っている行政なんて消滅すべきですよ。
シン
そもそも多くの地銀がフロッピーディスクを取扱いをやめたのが2020年前後ですよ。山口FGの場合、相手先によって継続していたようです。
金を扱う「安心感」が違うとか言って技術を否定した結果だと想像します。
安心感が違う、と頑なに現金を使い続ける人と同じなんでしょう。言い出したらキリがないことを主張して慣れ親しんだ方法に固執して変化を拒む。取り返しがつかないところまで放置して大問題になってからようやく重い腰をあげる。その時には周回遅れで撤退戦になってしまっています。
地銀もほとんどが淘汰されるでしょうね。存在価値がありません。
シン
フロッピーディスクとか舐めてるとしか思えません。都市部の労働者の血税で何十年タダ飯食べてるんでしょうか。まあ存在価値のない限界集落を維持するために血税が垂れ流されてることを国民は知る機会になりましたね。人の稼ぎに寄生して引きこもりと同じです。
変化を極度に避け、責任、リスクを一切負わない、という役人気質が日本を蝕んでいるように思います。公共性が強いほど、地方度合いが強いほど、その傾向が強く、その手の組織、人はもはや世の中に必要とされていない、ということなんだと思います。
シン
私の元実家のある瀬戸内の町を通る鉄道はかろうじて赤字路線リストには載っていませんが、人口は減るばかりで何年かに一度帰郷しても町は寂れて元繁華街も寂しいかぎりです。
元実家は急傾斜の畑を整地したところにあり、昔豪雨で土砂崩れにあって元実家は立て付けが悪くなっただけでしたが、隣の家は全壊しました。現在は急傾斜地危険地域に指定されており新築・改築はできず不動産としての価値はゼロです。そのため、母親に次いで父親が亡くなった時、既に独立していた弟と相談して二人で相続放棄をしました。
民法によれば、最後の相続人は相続放棄しても相続財産管理人(債権者、弁護士等)が選任されるまでは土地や家の管理責任があるとされています。父親が負債を残していたなら債権者に管理人になってもらい不動産を精算してもらって債務返済に当てればよいのですが、そのような負債もなく不動産にまったく価値がないので今も亡くなった父親名義のままです。問題は、家が倒壊して近所に迷惑がかかった場合に管理責任を追及されることです。元実家のある町には今にも崩壊しそうな空き屋がいくつかあり、私も家部分を解体することが許可されるのなら、その費用を負担することは問題ないのですが所有権のない私が解体できるのか無料法律相談に行っても相続財産管理人を選任しというだけです。故郷を捨てて都会や海外で暮らしていて相続放棄したのに管理責任を問うのは理不尽だということで、民法改正の動きがるというニュースを見たことがあるのですが、その後どうなったかわかりません。私が死ぬまで近所に迷惑がかからないことを祈るばかりです。
1955年~1965年頃の一戸建て信仰の行く末ですね。
沿岸部はもともと平野部が少なく傾斜に無理やり建てた戸建てが多いです。
古民家カフェ(または民泊)に転用できる農家系家屋ならともかく、この頃の家屋の多くは転用できません。MDCSさんの事例は、結構考えさせられますね。倒壊で行政介入を待つのが残念ながら最良といったところでしょうか。相続土地の国庫帰属制度の要件は、事前準備がまぁまぁ必要でハードルの高さを感じます。
>1955年~1965年頃の一戸建て信仰の行く末ですね
中途半端に古い家の多くが、安普請で、条件の悪い土地に立っているのでタダでも欲しがる人がおらず、長期放置して危険になってから税金で解体、というケースがどんどん増えるでしょうね。高度成長期に乱開発を許した代償です。
シン
>1955年~1965年頃の一戸建て信仰の行く末ですね。
もろにその頃の建物です。
>沿岸部はもともと平野部が少なく傾斜に無理やり建てた戸建てが多いです。
元実家は海を望む標高数10メートルの傾斜にあり、瀬戸内海と近くの島を展望できる場所だったのですが、買い物の帰りにも結構な坂道を登らなければならず、近くに駐車できる場所もなく年をとったらとても住み辛くなる場所でしたね。
>倒壊で行政介入を待つのが残念ながら最良といったところでしょうか。
自然災害や火事で倒壊するのを期待しているところです。そうでない場合、管理責任は継承されないという弁護士サイトの見解が正しければ、私の相続人の時代にはこの問題は無くなるのでいいのですが。
>相続土地の国庫帰属制度の要件は、事前準備がまぁまぁ必要でハードルの高さを感じます。
明治時代に起源を持つ民法では、全相続人が相続放棄して土地を捨てるなんてことは想定されていなかったのでしょうね。今後も過疎化する地方や温泉リゾートマンションなど空き屋や土地の問題がもっと大きくなった時に政治が動くことを期待するのみです。
どのレベルから脱出すべき、地方に入りますかね。
当方北九州市在住で人口は減っていくもののインフラは整っている部分に住んでいて、脱出すべき基準があれば教えていただきたいと思いまして。
必要なインフラが整えられないレベル、とするなら中核都市未満、というところでしょう。北九州市はそれには当たらないと思います。
シン