じゃあ、文学部の現実

読者さんから文学部の現実について良いコメントをもらいましたので編集し、記事にして皆さんとシェアしたいと思います。

じゃあ、文学部

私が言っている「文学を教養として学ぶことは素晴らしいことではあるが、お金を払ってまで大学で主に学ぶことではない」という問題提起は、現役高校生にとって非常に重要であると思います。

下記から読者さんの見解となります。

現実

私の在籍していた大学には「村上春樹とか、小説を読むのが大好きだから」「小説家になるための勉強がしたいから」と多くの高校生が入学してきます。そんな理由で二十代の四年間という貴重な時間と、400万円以上の学費を支払うというのです。

私が所属していたゼミの学生は、約六割が就職が決まらずに卒業、決まっていた学生の企業もお察しといった模様でした。もちろん、小説家や文芸評論家として名を上げた者など、学部創立以来ただのひとりもいません。国語の教員免許、図書館司書などの専門資格を取ったのならばともかく、そうでなければ何らの専門知識も、専門技術もなく、社会に放り出されるだけです。

「大学は好きなことを勉強するところ。好きなことを学べる学部を受験すればいいんだよ」「就職のためには、どこでもいいから大卒の肩書きを手に入れないとね。大卒にさえなれれば安心」という、情報弱者の親による言葉を真に受けた若者たちの悲劇です。

文学部(哲学科、社会学科なども含めて)には「教員免許の取得」などの明確な目的がないのであれば、近寄るべきではないと考えます。教養として人生を通して学んでいけばいいものであり、貴重な二十代の四年間と学費を費やしてまで、大学でそれだけを学ぶものではありません。

文学部の教員たちは、文学部に入るとどんな悲劇が待っているかを知っていますが、自分たちの食い扶持を維持するために、あの手この手で何も知らない高校生を誘惑しにかかってきます。

その誘惑の舞台はオープンキャンパスの研究室です。指導ゼミの美人やイケメンを配置し、とっておきの秘蔵資料(直筆原稿、稀覯本など)を並べ、ちょっとでも興味を示したら、すかさず話しかけ、お茶やお菓子を出して丸め込もうとします。母親が文学好きの情弱ならば、母親がまずやられるので、まずいパターンです。

中堅大学の文学部の教員が、優良大手企業に就職のパイプなどいくつも持っているはずもないでしょうし、学生が期待する出版社へのコネもほぼ期待はできません。「一緒に勉強しようよ。僕もまだ勉強中みたいなものだよ。キミが思っているよりも、彼の描いた世界はもっともっと深いんだ」と誘うだけで、卒業後の悲劇のことなど知らんぷりです。

その横で、美人やイケメンの学生がアカデミックな雰囲気を盛り上げます。その高校生が入学してゼミに入る頃には、彼らはすでにいないのに恐ろしい光景です。

さらに恐ろしいのは、誘惑しておいて、いざ入学してみたら、ゼミの振り分けで、希望のゼミに入れないことがあり得るということです。私の大学では、三年生の進級時に、成績の良い者から希望のゼミに所属する権利を得ます。

教員の人気にもよりますが、卒業論文の難易度からいっても、たいていは近・現代、近世、中世、中古、上代、の順番に人気があります。また、詩や短歌よりも、散文の方が人気があります。とっつき易い上、卒業論文では引用で字数を稼げるからかもしれません。

上代になると『万葉集』くらいしかないですし、中古はとっつきやすいのは『源氏物語』などの女流文学、近・現代では太宰治や夏目漱石などなど人気作家がいますが、どれも長年に渡る研究でほぼ掘り尽くされており、やるべきテーマを見つけるだけでひと苦労、さらに選んだ分野によっては、膨大な先行研究を見渡す地獄の苦労があります。

しかも、上代や中古、中世あたりでは、努力もしくは才能、お金、時間などの足りないであろう、成績・要領の悪い者が来ているわけですから、逃亡、留年、退学などなど、悲惨な末路を多く見てきました。

「先行研究はすべて網羅しなければいけないといっても、日本語で書かれた論文だけですよね? 中国やフランスなど、研究の盛んな国の論文を第一線の研究者でも無視している人は多いのに、学部の卒論にそこまで求めなくてもよいのでは?」と某教員に言ってみましたが、

「そういうルールだから、先行研究を全部見ることは、絶対やらなきゃだめ。日本語で書かれた作品は、日本語の論文しか相手にしなくていい。外国の研究者の論文は無視していいレベルのものしかない」と言われました。

いやいや、日本語で書かれた論文にだって、無視していいレベルのものが盛りだくさんなのですが…。それぞれの区分ごとに大きな学会があるのだからせめて、先行研究のまとめをして、これからの研究者はそこから先をやってくれ、いう研究の整備ができないものなのでしょうか。「後から来た者が自分たちと同じ苦労をしないのは許せない!」という日本人の残念さはここでもいかんなく発揮されています。

かくして「村上春樹とか、小説を読むのが大好き」な高校生は、やりたくもない古典文学のピンキリ論文の山に埋もれ、二十代の四年間という貴重な時間を無駄にし、ご両親が必死に働いて得たお金を400万円以上無駄にし、大卒の肩書きをもらって、無職で無力なまま社会に放り出されます。

そして、文学部の教授の中には、学生の論文をちゃっかり自分の業績にしているような輩もいます。いったい、どこまでしゃぶれば気が済むのでしょうか。私が接してきた学生たちの何人かは「小さな頃から本を読むことが大好きだったのに、ここへ入ったら本が大嫌いになった。これからもほとんど読まないと思う」と言っていました。

日本中の大学に古くから文学部日本文学学科があるのにもかかわらず、『国文学 解釈と鑑賞』が休刊して6年経っても復活できないのは、読者候補である日本文学学科の学生を本嫌いにした大学の影響もあるのではないでしょうか(苦笑)

あくまで私が見てきた範囲の話ですが、技術としての読書方法を具体的に、また体系的に教えず、ただ遮二無二読ませて、資料を何度も何度も作らせる…という手応えのないやり方では、そうなるのは自明の理だと思われます。

文学部へ来たのだから、資料を素早く的確に読み、まとめあげる技術くらいは身につけて、自信につなげて欲しいです。また、それを指導できるまともな教員を配置してもらいたいものです。

余談ですが、私のいた文学部には三十歳、四十歳になっても就職せず、大学教員の研究のお手伝いをしている人(ポスドク)もいました。驚くほどの薄給でこき使われています。高等遊民という身分でもないのにです。中堅私立大の文学部など、廃止になる可能性が高いのに、手伝っている教員が退職したら自分がそこに収まれるとでも思っているのでしょうか。

文学研究でも、旧来のやり方ではなく、パソコンソフトで作品をデータ化、分析の出来る理系の素養のある研究者が結果を出しています。また、少子化する日本を見限り、中国や韓国、インドなどから教員を招聘する大学も増えるかと思います。

これからは理系の素養があるデータを扱う作業が出来る研究者、外国人研究者が日本の文学部に多く入ってきて、二十世紀の遺物のような研究者はお払い箱になるのではないでしょうか。彼らはきっと「文学は心だ。データじゃない。解釈するのは人間の心だ」「外国人に日本人の書いたものを、本当に理解できるわけがない。四季の移ろいも知らないのに」などと言うでしょう。

しかし私は、「偉い(ということになっている)大先生がこの度、こんなに素敵な解釈をしましたよ」(本文のどこにもそんな解釈の出来る材料はない)「若い美人の研究者が、斬新で大胆でエロさの漂う解釈を大発表」(顔とジジイ転がしが得意の、よく見ると微妙な容姿)みたいな研究ごっこ、学会ごっこに興じている、遺物のような研究者たちにはうんざりです。同好会として、自腹で楽しむ分には文句はありませんが。こんなことに国の税金が投入されているのであれば、文学部廃止論が出てくるのは当然だと思います。

提言

長くなりましたが、

1・現役高校生の方々には「オープンキャンパスでは、文学部には絶対に近寄らないこと」

2・文学部に入ってしまった方々には「今すぐにでも退学して、他の道を本気で探すこと(手に職をつけるなど)」

3・「大学院へ来ないかと誘われたら、全力で逃げること」(学部で就職が決まらず、大学院入りと引き替えに中学or高校教員の席を用意すると言われたら、一筆もらった上で考えてもよい)

を強くおすすめしたいと思います。

まとめ(シン見解)

文学なんてアッパーミドルに生まれてきた人間が遊びでやるか、野垂れ死ぬのを覚悟で取り組むものであってそれで食い扶持を稼ごうなんて甘すぎる考えです。強運、才能に恵まれた人がアカポスを手にしたとしても、多すぎる非実学系学部が整理されるのは時間の問題でしょうし将来は暗いです。

最初から中学、高校の教員を狙うつもりの期間限定で取り組むならいいですが、文系科目の教員は余ってますし、少子化でどの程度の枠が確保できるかもわからないので、上手く教員になれるかもわかりません。

どうせやるなら、文学に数的アプローチをして成果を挙げるべきで、学部でコンピューターサイエンスを取った上で、大学院から進み、自分でコーディングしてアルゴを組んで徹底分析したらいいのではないかと思います。

小説書きたいなり、文学評論したいなら、ブログでも立ち上げて趣味でやれば良いのです。現に私はやっていますし、お金にはなりませんが、楽しんでやっています。大学で研究しないと出来ないことではないと思うんですが、いかがなものでしょうか?

3+

投稿者: シン

思いついたことを記事にして、コメントをもらって、議論するのが楽しくてブログをやっています。

「じゃあ、文学部の現実」への66件のフィードバック

  1. 自分は、文学部は「あそ文学部」みたいなラクなイメージがあったんですが、
    古典や外国語などの言語力が必要で、卒業研究は文献漁りが意外と大変なようですね。
    自分は、読書は好きでしたが、推理小説や娯楽小説が好きで、純文学や古典は好きじゃなかったし、高校の学部説明会で文学部の話を聞いても、自分のやりたい事とは違うな、と感じたので、文学部にいこうと思った事はないです。
    ちなみに、村上春樹の良さは自分にはわからないです。

    しかし、コメントを書いた方は、就職が悪いのは文学部が理由だと考えているようにみえます。
    しかし、文系の就活に専攻や学部は関係なく、大学名とコミュ力などの本人の実力で決まるから、それは間違いだと思います。
    文学部には、もともと就活に興味ない人や女子の割合が多いのが、結果的に就職率がやや下がる原因だと思います。
    医療系や工学部など以外の、非実学系の専攻で、難関大でないなら、
    需要と供給を考えれば、就職が悪いのは当然です。
    むしろ、悪くないと考えるのが甘すぎかと…
    自分の考えをまとめると、他の文系と比較して、
    文学部は就職面でのデメリットはないが、研究者が主観だらけで学問的なレベルが低い、意外と面白くない、卒業研究が大変などのデメリットがあるから、やめといた方がいい、といった感じになります。

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    1. >文学部には、もともと就活に興味ない人や女子の割合が多いのが、結果的に就職率がやや下がる原因だと思います。

      第2版の頃に執拗に文系内序列をつけて文学部の就職が悪い、と言い続けた人に対して私が大学の公式発表を見せて大差ないことを示したことがありましたね。

      受給で考えれば、法学部だろうが、経済学部だろうが、社会でまったく役に立たないのは文学部と同じで、文学部卒が若干不利なのは本人のやる気、コミュ力が低いからだと思います。

      シン

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    2. ran様
      コメントありがとうございます。
      >>しかし、コメントを書いた方は、就職が悪いのは文学部が理由だと考えているようにみえます。しかし、文系の就活に専攻や学部は関係なく、大学名とコミュ力などの本人の実力で決まるから、それは間違いだと思います。文学部には、もともと就活に興味ない人や女子の割合が多いのが、結果的に就職率がやや下がる原因だと思います。

      私は新卒の時点で就職活動をしていないのですが、文学部だけ就職説明会で門前払いがあったとか、履歴書がはねられていたという話はよく聞いていました。しかし、おっしゃる通り、大学名(私の大学はダメですが)とコミュ力で挽回できることもあるので、文学部だからということは理由にならないですよね。所属していたゼミの学生たちもたしかに、就職が決まっていないことを気に病んでいる様子もあまりなかったように思います。同じバイトを続けるだけだとか、公務員予備校へ行くとか、いろいろ言っていました。それで十分なのかもしれないですね。ただ、これからの高校生には4年間と学費の痛み、また文学部にさえ来なければ、なり得たかもしれない自分の姿を知って欲しいと思います。

      0

  2. 文学部に限らず、中堅の文系学部ってのは就職が6割決まればってな感じなんですね。怖いですね。
    一般職みたいな女性向けの求人を除くともっと就職が大変かもしれませんね。

    とりわけ文学部に関しては
    本を読むのが好きだからや社会の教科が好きだからとか入学しやすいからとかいう勉強したい理由にもならないような人が多いような気がします。
    ラグビー部の推薦だからってのは理解できましたが。
    まだ、就職しにくい専攻でも理学部や農学部に行きたい人は理解できます。
    バイトの文学部の人になに勉強してるのと聞いても大学が楽しいや女の子が多いから華があるとかいう解答を貰ったのでダメなんだろうなと思います。
    また、歴史や古典だと学問のほとんど研究しつくされておりやる分野がないと思います。

    私の大学の友人で文系学部を出てキチンと就職してるのはイケメン、リア充で就職したら可愛い嫁さん貰えるくらいコミュ力高いです。
    華のある商社マンなので実家では○○さんは立派なところに勤めて結婚してお前は××とか言われたのですがこれはうまくいった例外だと思います。

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    1. ニコ様
      >>文系学部を出てキチンと就職してるのはイケメン、リア充で就職したら可愛い嫁さん貰えるくらいコミュ力高いです

      私のいた大学の日本文学学科には、コミュ力高いなと思える男子学生が圧倒的に少なかったです。女子学生は若さを武器に的確に立ち振る舞えば、多少コミュ力不足でも人生なんとかなると思うので心配はしませんでしたが、男子学生はそうはいきません。女子学生よりも男子学生に、文学研究のために大学に4年と学費を支払うことについて、よく考えてもらいたいです。コミュ力がなくても、専門知識やスキルがあればずいぶんと人生は楽になるはずですから。しっかり考えて動いて、ハードな道をうまく避ける。これは「ぬるり」的生き方の基本姿勢のひとつですね。

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    2. ニコ様
      細かくレスをつけてしまいお恥ずかしいのですが、せっかくの機会ですので、私の思うところや経験はすべて吐き出して、読まれる方々の参考になればという思いで投稿させていただきます。よろしくお願いいたします。

      >>歴史や古典だと学問のほとんど研究しつくされておりやる分野がないと思います。

      →おっしゃる通り、凡人がやれる分野はすでにありません(能力や才能のあるごく一握りの人にとっては、あると思います)。しかし、それで食べていきたい研究者たちは、あの手この手で開拓をしようとします。ウィキペディアから引用いたしますが、

      カルチュラル・スタディーズ:批評家の柄谷行人がカルスタと揶揄したことが一般に広まり、この略称が用いられる時には厳密な方法論的検討を経ずに多様な学問領域を「お手軽に」横断してしまう研究

      この「カルスタ」によって、研究には際限がなくなります。ニコ様が声優さんのラジオで疑問を抱かれた「文学部なのに伝統工芸での卒論」も、この研究手法によるものではないかと思いました。

      日本文学学科での例をあげますと、「古典文学から米や野菜、果物、魚などを抜き出し、当時の日本の農作および漁の事情を考察」「登場人物の名前、生まれ月などを調べ、占星術や四柱推命などの当時の占い技術と合わせて考察」「映画化された文芸作品の原作と映像をいくつか比較し、監督によって文芸表現の映像化にどのような差異があるかを考察」「近代に発売されていた雑誌の値段や読者層を調べ、その当時の経済状況、娯楽にかける費用などを考察」・・・などなど、無尽蔵に創り出せるのです。

      このような研究スタイルに価値を見いだし、学部運営に税金を投入してもよいと思うかどうかは人それぞれだと思います。しかし、シン様も指摘されていた記憶がありますが(記事検索しましたが見つけられませんでした)、そういうことは文学者や日本文学学科の学生のやることではなく、そちらの分野に任せたらよいのでは、と思います。

      また、カルスタをやるセンスのない人、資料研究一筋という人は、重箱の隅を突きまくることしかできません。近代の文豪の書生の嫁とか、連載雑誌の編集者とか、古典の残念な写本とか、そんなのをやるしか残ってないです。

      まだまだやりがいのあるメジャーなネタや資料は、縄張りの番人たちに押さえられているので、新参者が入り込む余地はないと思います。よほどの財力やコネ、コミュ力、運がないと無理です。

      文学研究者の教授に、二世や三世、選りすぐりの愛弟子や愛人、大企業の子息子女が多いのも、この縄張りを護り尊重する、文学研究界の慣例のためかと思っています。

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      1. 最後に、一応擁護をさせていただきますと、研究者の中には食べていくため、研究費を取るためにダミーの研究を掲げている人もいるということです。

        分かりやすくて華やかな研究を掲げて、国内外分野問わず、人やお金を集める一方で、自分のやるべき仕事をしている研究者もいます。いつ寝てるんだろう? と心配になります。こういうスター研究者は高齢が多く、引退後も非常勤で講義を持つ人がほとんどです。倒れるとか引退するとなると、困る大学もあると思います。ゴーストライターでも何でも雇って、大事にしないと学部が倒れます。研究や技術で人と金を集められる理系とは違うので、つらいところです。

        私立の中堅以下の文学部は、すべり止めに選んでもらえることが大事です。絶対に入りたくないところはすべり止めにすら選んでもらえないので、受験料を集められるだけでも御の字です。スター研究者を目当てに受験、入学する学生がいます。図書館や食堂などの豪華な設備は、受験前にさんざんちらつかせて、入学後は理由をつけて閉めてしまえば済みますが、人はそうはいかないのですよね。

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  3. 文学部を選んだ事をずっと後悔しています。親にも申し訳ない気持ちです。学部選びが考え無さすぎでした。親も私の進路には無関心で、学部選び、学校選びが話題に出た事はありませんでした。当時はバブルで、文系全盛、就職は学校名で決まる状態。Aランに入ったというだけでもう就職決まった様な気持ちでした。でも授業自体は非常につまらなかったです。教師も教える気がない様なのもあったし、わざわざ大学行って受ける価値あるのか?という内容でした。どうせ遊んでお金と時間を使うなら、美大に行っていれば良かったと後悔しています。私は物事を考え無さすぎでした。文学部の私の周りは圧倒的にマスコミ狙いでした。文学部なのに富士通や京セラの「SE」内定を得た友人もいました。当時は文系学部に対して「SE」の募集も多かったです。同級生たちの内定先は、目立つところではキー局のアナウンサー(男)、文学座などの劇団、文学部以外ではメガバンク、大手出版社、大手エアライン(男)、TVキー局、SE等でした。

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    1. お金と時間をかけて学ぶことなの?という至極当たり前の質問に答えられず、ブランドが、偏差値が、とか関係ないことで言い訳してしまう時点で本末転倒なんですよね。

      シン

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    2. 文学部などの文系でも、バブルの時代にAランク大学なので、
      メガバンクやメーカーSE、マスコミなど大卒レベルの就職ができている人がそれなりにいるので、就職予備校としては無駄ではなかったと思いますよ。
      自分は、大学には3つの側面があると思っています。
      ①学問をする研究機関
      ②就職予備校
      ③レジャーランド
      ①としては意味はないが、②、③に関しては意味があったと思います。

      また今の時代、売り手市場といっても、肉体労働などがそうなだけであって、事務系の採用は、依然厳しいままのようです。
      今の時代に、文系だとAランク大でも、新卒無職、女子の一般職、高卒でもつけるような就職先の人が多いので、大企業どころか大卒レベルの待遇の職につけただけでも御の字な気がします。
      文系で、Bランク以下の大学にしかいけなかったら、学歴フィルターのない公務員を目指すか、高卒と大差ない就職先を覚悟して残りのキャンパスライフを謳歌するかの、どちらかしかない気がします。

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      1. 今となってみると、統廃合を繰り返したメガバングで生き残るとか、技術がガンガン進歩しているIT業界で文系SEは極めて辛い立場になっているでしょうけど、その当時はわからなかったでしょうし、ともかく就職できただけでも就職予備校としての価値はあったのかな、と思います。すでに50前後になっているバブル世代なら新卒で入った会社にしがみついているうちに定年まで逃げ切れるかもしれません。その当時としてはそれで正しかったのかもしれませんね。

        今の若い世代だと、就職予備校としての旨みはほとんどなくなってきています。そういえば、「早慶文系なんですけど、三菱重工に興味を持ちました、就職できますか?」というコメントをもらったことがあり「採用人数、募集対象範囲で理系と比べると難しいですが無理ではないです。」と答えました。それから数年し三菱重工は文系の採用を停止したので文系はどんどん追い詰められてきているな、と思います。バブルの頃と同じ感覚で親が子供に進路指導すると悲惨なことになりかねませんね。

        シン

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        1. シン様
          文学部は東京芸術大学的な位置付けで丁度いいかもしれませんね。(定員を絞って、少数のエリートを受け入れる)

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          1. 文学部は、美大や音楽と同じような感覚で志望せよってことなんですかね?そう考えると存在する意義みたいなのを感じますけど。
            学問だからって考えると就職できないとかで悩むわけで。

            声優さんのラジオ聞いているとき文学部の卒論の話をしていて日本の伝統工芸の考察で卒論仕上げてるので大学まで出たのになにそれ?って印象でした。しかも有名私大でです。

            後は私の後輩の話では、馬鹿みたいな話ですが自分の書いたエロ小説で昇天したヤツとかいました。

            読者さんと周りの話を聞いてみるとどうも文学部ってのは他の文系学部と違い芸術関係に分類したくなります。

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    3. JJ様
      コメントありがとうございます。後悔している、とおっしゃる正直さ、親御さんに申し訳なく思われる謙虚さを見習いたいです。どうせ遊んでお金と時間を使うなら、美大に行っていれば良かったと後悔している、というご意見には同意します。美大の文芸学科の学生と話したことがあるのですが、やっていることは日本文学学科とほとんど変わらないのに、まるで環境が違うのです。あんなにぶっ飛んだ人たちと身近に接して暮らすのも、数年であれば得がたい経験になったかもしれないなと思いました。

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      1. 高校生のときに予備校の先生から聞いた話ですが源氏物語や枕草子っていうのは今でいうメールやLINEやぬるりのブログのような感覚で暇な人が遊び感覚で書いたものであり、書いた本人も高貴な文学で残すつもりはないそうですよ。
        枕草子で夏場に虫がいて眠れないとかいう話とかありましたからね。
        当時の女性の識字率をみる証拠で価値はありますけどね。

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        1. 私は文学研究に興味がないのでどんなに高尚な作品でも読んで感想なり論評を書くことはあってもそれを研究対象にする意義を感じません。仮にぬるりと生きるが千年後に研究対象になって色々分析されても、当の私は困惑するだけでそんな意図はなかったんだけど、、、、という的外れな論文が乱発されるだけじゃないかと思います。紫式部、清少納言も同じなんじゃないかと想像しますね。

          そんな研究をしているくらいなら、バカみたいなものでも自分の作品を書いているほうが価値があると思います。小林秀雄みたいに評論自体が文芸になっているならそれでもいいですが、分析の結果「作者の気持ち」がわかったからなんだというのかわかりませんw だから、私はぬるりと生きる、という電子クズを延々と書き続けているんですよね。

          シン

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          1. 古典や歴史を後世に残したり、当時の趣や感動を伝える仕事や学部があってもいいと思いますが、金持ち以外で中堅大学までそれを勉強しないといけないのかな?と思いますね。
            大学の教養科目の哲学の非常勤の先生がこんなに勉強して大学院まで出て年収が300万以下なのはおかしいとか学生に当たってましたね。理工学部の学生にそんなに興味がないなら自動車整備の専門学校いけとかキレてましたね。
            おいおい、整備士の専門学校と工学部は違うだろとか思いましたけど。
            dwさんのYahoo!の記事みたいなこと言ってましたね。

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          2. 世の中には役に立たないことを仕事にする人たちがいてもいいのでしょうが、トップスクールの大学院だけにしかいらないし、かなり定員を絞り込むべきだろうと思いますよ。絞り込んだってまともな待遇を全員に用意できないでしょうが、それで納得しないなら進学すべきではないです。

            >大学の教養科目の哲学の非常勤の先生がこんなに勉強して大学院まで出て年収が300万以下なのはおかしいとか学生に当たってましたね。

            趣味に勤しんでお金もらっているだけでも有難い、という発想にならないなら手を出すものじゃないですよね。

            シン

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        2. ニコ様
          『源氏物語』が巻ではなく、帖で数えられていることからいっても、価値の低いものであったことがわかると読んだことがあります。もし価値の高いものであれば、巻物形式の紙に書かれ、宮内庁が保管しているはずだと。暇な人が書き写して、また書き写して…と拡がっていき、その過程で字を間違ったり、面倒くさいからか数ページ飛ばしたり、自分の好きなように書き直しちゃったりなんかして、いろんな写本が存在しています。紫式部が書いた原本は一冊も残っていなく、最古の写本は鎌倉時代ものだそうで、一度だけ現物を見たことがありますが、とにかく汚かったという記憶しかありません(笑) 高貴な文学だったら、そんなことあり得ないですよね。これを高貴な文学にしたいのは、それで食べていきたい研究者の方々なのでは、と思っています。

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    1. dw様
      興味深い記事を紹介していただき、ありがとうございます。
      コメント欄には苦笑することしかできません。
      なぜ、多くの日本人は自分の失敗や間違いを潔く認め、次の世代に轍を踏ませないという真の優しさを見せられないのでしょうか。

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  4. 記事にしてくださり、ありがとうございます。

    「本を読むことが好き・小説を書く勉強がしたい→文学部日本文学学科」という道へ安易に進まないで欲しい、大学で文学をやるということは、四年という時間と数百万円を投資する価値があるのか、よく考えてみて欲しい、というのが、私の切なる願いです。
    また、元記事のコメント欄でも補足しましたが、

    4・退学に抵抗のある人には「大学の通信課程への転入」

    をおすすめさせていただきます。転入試験はないですし、取得した単位も活かせますし、大学によっては、教員免許などの専門資格を取ることが可能です。学費は安く、ネット環境があればオンライン授業も受けられる場合もあるので、しっかり調べて選べば一昔前よりはずっと卒業しやすくなっています。また、卒業証書に通信課程という文字は入りません。

    通信課程を卒業してから有名国公立大学の大学院、優れた研究者のいる大学院へ入った例もあります。社会人として他人の生き方や考え方などに数多く触れる中で、極めたい文学、作家などがはっきりしてから、大学院で学ぶことはいいことだと思います。
    以下、また少し長くなりますが、お知らせしたいことを並べさせてください。

    日本文学学科に限らないと思いますが、これまでの研究成果の整備がなされていないために、時間と手間が無駄にかかる作業が虚しいです。

    ゼミの発表資料作成や卒業論文において、膨大な量のコピー取り、資料の読み込みが求められます。具体的には、論文の検索サイトをチェックして、関係のありそうな論文を探して読む、という作業です。「○○大学紀要 ○○年○号」というようなマイナーな冊子を何十冊~何百冊も探し出し、ひたすらコピー取りです。
    すべての論文がオンラインで完全に読めるようになるには、著作権放棄の手続きが多くあり、まだ時間がかかりそうです。

    有名作品や有名作家だと、論文が何千本もあることも珍しくないので、そういう場合は過去5年、10年などと区切ることは許されます。しかし、それらの論文に引用されている論文は、元の収録資料にあたらなければなりません。数十年前の紙資料は、悪臭を放っていることも多く、肌が荒れたり湿疹が出たりする人もいます。つらい作業です。

    また、大学図書館が資料を自由に手に取れない方式の場合、手続きをしてその都度出してもらわなければなりません。開館時間が短いとか土日祝、長期休校の間に開館しない大学であれば、国文学資料館や他大学の図書館に出かけなければならず、ますます時間を取られます。

    これらの作業が嫌で先行研究の少ない作品や作家を選ぶと、それらの引用が出来ないので、自分で論を多く展開して卒論の規定字数を埋める必要があります。数的なアプローチを加えて計算式、グラフなどで埋めるという方法を採るにしても、それを指導する能力がある、もしくは理解して卒業させてくれる指導教員のゼミに所属しなければなりません。

    自分の好きな作家、作品をやれれば虚しい作業もまだ耐えられますが、指導教員の属性、数に限りがあるので、うまくいかないことも多々あります。

    村上春樹や東野圭吾などの現代作家をやりたくても、くずし字・古典文法で書かれた作品を解読、解釈するゼミに入る可能性は大いにあります。特に近世は手のつけられていない資料が無尽蔵にあり、誰も手をつけていないまっさらな資料を指導教員が持ってきて、さあ一緒に読んでいこうなどと言ったら、参考資料のないゼロからの作業となり、難易度の高い、面倒なことになります。

    人気の現代作家をやりたくても、そもそも存命作家は研究対象にしてはならない、というルールがあります(ここ15年くらいでだいぶんゆるくはなりましたが、守っている教員は多いですし、自分がやっていないのだから指導ができない)。それに存命作家は先行研究もほぼないに等しいので、批評理論や文化研究を指導できる教員に付いていても、かなり苦労すると思います。死後10年以上経って、同時代の作家、批評家、研究者などによる評価が集まって落ち着いたところで、なんとか手をつけられるのが普通です。

    元記事でいただいたコメントにもありましたが、原語(原典)を解読する作業は多くのゼミで行われ、能力や時間に不足のある学生には非常につらいものです。私の知るゼミでも年に3,4人は逃亡、留年していました。留年すれば学費が発生しますので、それを補うためにアルバイトを増やし、作業ができなくなるという悪循環です。こうなると鉄のメンタルと鋼の肉体がなければ、その上に就職活動、公務員試験などの勉強など、出来ないと思います。とにかくキツイです。心が折れて、就職先未定のまま卒業する学生の気持ちもわかります。

    ブラック企業でないのなら、就職さえきちんと出来れば、べつに文学部で四年間過ごしたっていい、好きなことをやればいい、という意見もわかります。
    しかし、四年という時間と数百万円という学費を投資するのだったら、もっと慎重になるべきでは、というのが私の意見です。
    それだけの時間とお金をかけて、本当に好きな文学はやれず、簡潔で要領を得た文章ひとつ書けず、専門知識もスキルもなく、社会人としての価値もさほど上がっていない、というのでは寂しすぎます。これは人間の尊厳の問題です。

    高校生の皆さんには、ご両親が働き、買いたい物も我慢している姿を思い出して欲しいです。どうすれば、ご両親が自分に投資してくれたお金のリターンをしっかり取れるか、真剣に考えてみて欲しいのです。
    進学実績の欲しい教師や、子どもがかわいくて現実を見られない親は、正しく導いてくれるとは限らないです。

    「本が大好き」「小説家になりたい」というセンスを強固に保ちながら、理系の学部へ行くのがいいと個人的には思います。どの学部・学科がいいのかは、この「ぬるりと生きる」ブログで、多くのアドバイスを見つけられます。

    多くの他人と同じ方向へ行かないことが、オリジナルな魅力を生み出すカギです。
    経済学部で統計をやっていた人、コンピュータサイエンスをやっていた人などが文学部へ転籍して、スター研究者から教員になった例がいくつもありますが、共通しているのはすべて、理数の素養があるということです。

    とにかく、文学をやるにしても、理数の素養がある人が勝つと言いたい。

    数学が苦手な人は、たいてい数学の先生が苦手だったのではないですか? 数学の先生は嫌いでも、数学のことは嫌いにならないでください。

    たとえいま高校生でも、今から公文式に入塾して、小中学生にまじって分数からやり直したっていいじゃないですか。公文式は積み重ねのシステム、わかるまで手を動かしてやり続ける方法が徹底しているので、効率的に算数からやり直せるように思います。
    数学が苦手でも、理科系科目が苦手でも、それを得意な人たちがどういう思考アプローチをするのか、さらっと知っているだけでも、ずいぶん違います。

    私は高校一年で数学を捨てた文系ですが、小2から中1まで公文式をゴリゴリにやっていたせいか、頭の基本構造が理系だと、理系の友人たちに言われます。その友人たちにはずいぶん助けられてきた人生でした。

    以上、本当に長くなってしまいましたが、読んでくださり、ありがとうございました。この場をお貸しくださったシン様に感謝申し上げます。

    本、小説が大好きな高校生と親御さんに、ひとりでも多く、文学部へ進学することの実りのなさ、寂しさ、そして同じ時間とお金をかけた他学部の学生との差異を知ったときの虚無感を知っていただけたら、と思います。

    文学にかぶれ、一度きりの人生を無駄にした私です。
    しかし、自分の人生ですからその責任は取りますし、ほぼ詰みの中、自分の闘いを続けていく所存です。

    ありがとうございました。

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    1. 9行目
      ×卒業証書に通信課程という文字は入りません。
      ○卒業証書に通信課程という文字は入らない大学もあります。気になる方は入学前に調べてください。

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    2. マーライオネス飛鳥様
      一つ付け足すとすると、国語か社会の教員免許が取れるという目的を上げましたが、それよりもその学科で小学校の先生の免許が取れるかどうかで決めたほうがいいです。
      というのは、文学部史学科で歴史の先生になるんだとか言ってた知り合いがいましたが、社会科の中高の採用がない自治体が普通にあり得ます。国語なら中学校ならまだチャンスありですが。
      知り合いで社会で採用ないから留年して数学取ってた人がいました。

      数学(理科)であれば、大学1、2年レベルの微分方程式や私が出会った問題で”複素数はなにか論述せよ”みたいな歯ごたえのある問題が多いことや工学部や理学部を出てないと難しい問題で参入障壁があるのに対して、文系科目は難問奇問が出せないので難易度がセンターレベルになるので学力で差がつきにくいです。文系科目で大学レベルってなんぞ?って話なのですが。

      なにが言いたいか申し上げますと語学のセンスがあってそれが好きな人で覚悟がない限り文学部はやめといたほうがいいです。在学中にヨーロッパの言語をほとんど話せるような語学センスの持ち主を見たことありますがそれくらいの人物なら食い淵くらい稼いでます。
      普通の人は、悲惨な大学生活と就職活動を見ました。
      同じ文系ならまだ遊べる専攻にしたほうがいいです。

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      1. ニコ様
        >>社会科の中高の採用がない自治体が普通にあり得ます。

        (中高の社会科は)小学校教諭からのスライドでないと採用されない、とコメントされていらっしゃいましたが、そのことでしょうか。そのようなルールはおそらく、明文化はされていないのでしょうね。情報の強者と弱者の差は、ますます開いていく一方であるのだな、と思いました。教育免許を取る目的で文系学部へ入るにしても、情報を仕入れ、戦略を立てることは大切ですね。そういう意味では教員養成のための大学、学部は安心できると思いました。

        >>語学のセンスがあってそれが好きな人で覚悟がない限り文学部はやめといたほうがいいです。

        同意します。たとえ理解のある教員で、原文でカントを読む必要はない、というスタンスだとしても、ドイツ語でものを考えた人について研究するのであれば、それを理解する語学的なセンスは必要です。私の考える語学的なセンスとは、うまくいえませんが、外国語を習得するというのではなく、たとえばドイツ語だったらロマンス諸語のルールの肝を取り込んで、その上で読んだり考えたり出来るセンスです。

        0

    3. 非常に重要な経験の共有をありがとうございます。これで不幸な子供が少しでも減るといいです。

      ふと思ったんですが、マーライオネス飛鳥さんは割と年配、バブル世代以上でしょうか?年代がわかると若い世代にもイメージしやすいと思います。

      早稲田が文学部をなくしてしましましたが、最近の教養系学部でゴリゴリ文学研究する学校はほとんどないと思います。大学院からでしょう。だからと言って、文化なんとか学部とか、国際なんとか学部になって就職はしやすくなっているわけではないです。文系はみんな苦しいです。実需がほとんどないですから。

      文学部だから、他の文系より明らかに就職しづらいという最近のデータを見たことはありません。でも、池井戸潤さんが文学部から法学部に移っているのを見ると彼の世代は文学部がそれだけ特殊で敬遠されたのかな?、と思います。彼の世代、それ以前にはそういう経歴の人はさほど珍しくありません。最近は文系が歳食っていることを嫌われるので、学士入学して2年余分に大学に通うことがもっと不利になります。その為、文系内で学位の取り直しをする例は極めて例外的でしょう。違う学部に編入して、4年で学士を取るならありかもしれません。

      シン

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      1. シン様

        私はバブル世代の次の世代である、氷河期世代です。このことを明らかにすると、せっかくシン様が記事にしてくださった私の拙い文章が、氷河期世代の恨み節と捉えられないかなどと危惧し、あえて明らかにしませんでした。しかし、高校生、親御さん(私と同世代の方も多いかと思われます)には必要な情報です。ご指摘ありがとうございます。

        「じゃあ、文学部」のご投稿より5ヶ月近く経っていますが、その間に考え続け、思い出していました。接してきた学生たち、中でも、本当に不幸な末路をたどった、人生を二度と取り戻すことのかなわなくなった、物語好きの若い学生たちのことを。

        「自己責任」で片付けることは簡単です。しかし、進学実績の欲しい教師や我が子可愛さゆえに盲目の親御さんによって、日本文学学科へ導かれてしまった若い学生に対して、自己責任だ、運命だ、心が弱かっただけだ、と言えるでしょうか。経済的弱者であり親思いの彼らは、厳しい決断を下すよりは、思考停止に陥りがちでもあります。

        文学部の就職が、他学部に比べて悪いとはいえない、というデータを出してくださっていますが、就職先の質についてはどうでしょうか。自分のしていることに誇りを持ち、長く続けていけるような仕事に就けているでしょうか。
        「もうそういう時代ではない」「文学部を出て就職さえ出来れば御の字」と言われるかもしれません。恥ずかしいことですが、私は本当に世間を知らないのだと思い知らされます。

        これからも「ぬるりと生きる」を拝読することで、世間のことを知り、学んでいけたらと思います。よろしくお願いいたします。

        本文において、オープンキャンパスでの罠のお話をさせていただきました。「文学部に近寄るな」と過激な言い方をしてしまいましたが、彼らの多くはコミュニケーションスキルの塊なので、高校生や親御さんが正常な判断が出来なくなってしまうことを恐れてのことです。

        また、論点がずれるかと思い書きませんでしたが、私立大学で付属中等部・高等部がある場合、大学教員が子飼いの院生を国語教員として送り込み、生徒を日本文学学科へ進学したいと思わせる仕掛けもあります。

        良質な国語教員を育て、供給することは、日本という国のために非常に大切なことだと私は考えています。ですから、その才能のある生徒を本人の意思を尊重しつつ、国語教員へと導くことは悪いことだとは言いません。しかし、社会人経験のない学校教師の孕む問題点は、古くから指摘されているで、実際にそれに起因するトラブルも多いです。私学の大学教員がすべきことは、優秀な国語教員候補生の囲い込みだけではなく、多様な専攻出身、社会経験をもつ人物が付属校の国語教員になれるシステムの構築だと思います。

        社会経験値のない純粋培養の教員たちが、グローバル化に伴う日本社会の変化、日本人が世界に求められている役割とそれらにつながる有効な教育へと、的確に対応できずにオロオロしていることが、残念でなりません。

        早稲田大学は学部を再編し、「第一」文学部をなくし、文学部と文化構想学部に分けられたようです。いつか必ず早稲田に帰るんだと頑張っている第一文学部出身者は多いので、文学部が完全になくなったらショックで倒れる人が続出しそうです(苦笑)

        たしかにシン様の言われる通り、教養系でゴリゴリに研究する学校はほとんどないでしょうし、大学院ですら学部で就職し損ねた学生の新卒資格再取得の場になってきているので、大学院ですらぬるま湯が多いと思います。私の大学の大学院はぬるま湯とゴリゴリが混在しています。またこれもシン様の指摘の通り、文系で年齢が少しでも上だと企業に嫌われがちです。それも文系院卒となると、さらに嫌われるでしょう。それなのに、2年分の年齢と学費を積んでまで「新卒」を買う意味があるのでしょうか。私が見てきた限りでは、無意味です。学部で就職できなかったのなら、大学院に積む時間と金を有益な資格取得に費やすべきです。

        語れば語るほど、おかしな文学部日本文学学科です。研究機関としての存在価値を問われ、国公立の学部廃止を突きつけられるという未曾有の危機の中、なぜ彼らは何らの有効な手も打たないのか、という疑問は誰でも持つでしょう。
        「何をやっているのかわからない」「何の役に立つのか?」「実需がほぼない」と言われる状況は、放っておいてはなりません。都合が悪くなると黙り込んで、時間が過ぎるのを待つのは、日本文学学科ではよく見られる戦法(苦笑)ですが、世間には通用しないと思います。

        とりあえず、何をやっているのかを包み隠さず公開することはできるはずです。税金を使っている以上、その義務もあるでしょう。しかし、しない。その理由は、自分が一体何をやっているのかを見失っている、もしくはran様が「研究者が主観だらけで学問的なレベルが低い」「意外と面白くない」「卒業研究が大変」とまとめてくださった数々のデメリットを隠したいからだと思います。そして、自分たちが社会的価値を失うかもしれないと、恐れているのでしょう。

        「科学研究費助成事業データベース」で検索すると、文学部教員たちの自称「研究」に多くの税金がつぎ込まれていることがわかります。文学部廃止論が出るのは当然だと理解できます。dw様が案内してくださったリンクの記事『阪大学部長の式辞の言葉「本領を発揮するのは、人生の岐路に立ったとき」』に、まるで菩薩にすがるかのように自己弁護のコメントをつける、大勢の文学部出身者を見ました。

        彼らが4年と数百万の投資により、文学部の毒に犯されたのがわかります。あくまで「文学部」を廃止しようというのであり、「文学の学問」を廃止するとは言っていないということを読み取ることすらできないのです。「部」として立てなければ絶対に出来ない研究とはなんですか、そもそも何をやってるんですか、という質問に、大学教員の誰もまともに答えようともしていないのにです。

        これでも自分たち文系は、理系の人よりも文章を読み取る能力が高いと信じ切っているのであれば、かわいそうだと思います。

        文学部が廃止になれば、大学という場から放出せざるえない研究者が出ることは避けられません。しかし、彼らがアカデミズムの世界から出て社会へ入っていき、自分たちが身につけた教養を多くの人々に還元できるのであれば、悪い話ではないと思います。大切なのは、その道筋を考え、適切なシステムを構築、実施することだと考えます。

        しかし彼らは、「教授」と呼ばれ、研究室を持ち、成果を出さなくとも定年まで高い年俸が保証され、一年のほとんどをのんびりと暮らせる環境を手放したくない、またはそれを求めていきたいのですね。それを夢見て、報われないお手伝いを続けて中年になっているポスドクたちを見ていると、「夢」という言葉のおそろしさを感じずにはいられないです。

        国公立に限らず、文学部を統廃合し、教養科目として組み込み、学生全体の教養の充実を図ることは必要な改革だと私は考えます。私立の文学部に副専攻として、国公立や他私立や海外の学生を受け入れるのもいいと思います。
        「学問の場は常に開かれている」などと言いつつ、実は閉鎖的で硬直化しがちなのが文学部一般の現実だと思います。外国人研究者に対する態度、日本の豊富な資料を期待して来日した留学生たちが、大学の図書館がほとんど開いていないことに激怒したことなどを見てきて、このことを強く感じます。

        文学部擁護の阪大学部長いわく「少しの書籍と、考える頭さえあれば、たいてい間に合う」学問であるのに、なぜ一部の理系学部と変わらないような高額な学費を取るのでしょうか。その価値のある教員を揃えているとは思えないところもあります。学生による教員の逆評価すらしていないこともあります。やる気のない教員が講義をし続けていれば、魅力的な講義の出来る優秀なポスドクにチャンスが廻ってきません。もっと人が流動すべきなのです。

        また、文系理系に限らず、多くの研究者には縄張り意識があります。それが研究の進歩を阻害している例が多々あります。日本文学学科においてはそれが顕著で、「○○氏とその弟子の論文は絶対に引用してはいけない」「○○という言葉は我々のもの。他の時代の研究者には使わせない」などという組織のいがみ合い系、「○○という作家(作品、雑誌など)は自分の研究範囲なので、手をつけるな」などの個人の業績争い系があります。

        くだらないだけの前者はともかく(苦笑)、研究者や志望者は余っているのだから、協力して研究すべきかと思います。学部を越えて人が流動すれば、理系のコンピュータや数字に詳しい学生の助力も期待出来ます。人力や文系の脆弱なコンピュータ知識では散らかりがちの研究に、確固たる秩序をもたらすのであれば、興味を持つ理系の学生もいるかもしれません。

        個人の業績、手柄にこだわっているから、能力不足、その必要性のない学部生に原語(原典)を読ませる行為を強要するのではないか、と思っています。ライバルではない自分の学生たちと読み直して、何か発見、ヒントが欲しいのでしょう。学生や他人の発見や意見を自分の論文に組み込むことはいいとしても、無断でやる人がいるのには閉口させられてきました。

        最後になりますが、「(文学部は)何をやっているのかわからない」という言葉に対して、実際に論文をオンラインで公開するとか、学会の発表動画をYOUTUBEにでもアップしたらどうかと思います。せめて英訳もつけたらいいです。それで答えは一発で出ます。

        これが「学問」? 胸を張って世界中に言えますか?

        これが「研究」? 家で趣味として極めて下さい。

        うまくやって大先生と呼ばれているけど、それはあなたが若い頃は、手つかずのお花畑が拡がっていたから、業績をあげられただけ。もう40分も発表制限時間過ぎてます。なぜ係員はベルを鳴らさない?

        …絶句させられる自称「学問」「研究」「発表」を見ることが出来ると思います。

        もちろん優れた研究発表もあります。扱う資料の価値を客観的に明確にし、現代の人々へ確実につなげることの出来る、いわゆる財産というべき研究をする学者は、文学部の統廃合が行われても、護らなくてはなりません。

        しかし私が見る限り、そのような学者は、護ってもらうまでもなく、自分の脚でしっかりと立ち、ぬるりと生きていますね。妙な学内政治活動などしなくとも、好きな研究は順調、家庭が充実していて、しあわせそうです。

        やはり、いつでもどこでも誰でも、しあわせのカギは「ぬるり」ですね。

        また長々と書いてしまいましたが、筒井康隆の『文学部唯野教授』をお勧めしていらっしゃるようなので、多少は許されるかと甘えてしまいました。お許しください。今後、長文は控えます。

        ありがとうございました。

        0

        1. 色々考えさせていただいたいます。好きなだけコメント下さい。

          まず、早稲田が文学部を廃止したわけでない、と訂正します。思い込んでいました。大変失礼しました。

          ただ、このままいくと定員は減り続けて文化系に飲み込まれるでしょう。多くの学生は単に早稲田に入りたいだけで、文学なんてほとんど興味ないので、楽なテーマで論文をかける文化比較、社会学に近いテーマを望むでしょう。

          次に文学部の就職ですが、質も他の文系学部と変わりません。文系学部は金融業へ2割以上進みますが、金融業が文学部を避けるので、若干数字が悪くなっているものと思います。金融業は一般職でもノルマがあり、浮世離れした人が集まりやすい文学部出身者には合わないことが多く、若干のハンデを与えて採用しないようにしているように見えます。実際、金融業はどんな大手でも離職率が高く、合わない人は関わらない方がいいので、文学部を避けるのはある意味で優しさです。それでも敢えて応募してくる人は選考しますし、文学部で金融業に行く人も珍しいありません。

          文学部は公務員が他より多く、浮世離れした人には公務員、特に教員は花道だからでしょう。

          文学部に限らず、文系学部は何の実需もないことをやっているので、やりがいのあることを仕事にできることは少なく、理系のお荷物になったり、社内官僚として何の生産性もない言いがかりみたいな仕事をして過ごしたり、ノルマに追われることになります。やりがいのある仕事をしてやっている文系出身は少数派でしょう。大金と若い時間で社会で通用する専門を身につかなかった代償です。

          アッパーミドル出身者はともかく、ミドル、ローアーミドル出身者はご両親が行きたい所に行かず、買いたいものを我慢して、少しずつ貯めたお金を本当に実需のない遊びに使っていいのか?を問いかけてから、文系学部に進んでもらいたいです。

          シン

          0

          1. シンさん
            なんだか文学部というのは、中世ヨーロッパの大学であり貴族が勉強して社会に貢献するみたいな感覚ですね。
            文学部の専門が活きる人というのは、日本の皇族が日本や海外の歴史や趣を学んで国事行為や外交に貢献してるってことだなと思います。

            0

          2. 日本の皇族に限らず、世界の王族も教養系を学ぶことが多いです。天皇陛下は生物系ですが、実学でなく研究なので広い意味で教養系だと思います。

            金融国家だと理論系経済を学んでから、投資銀行、ヘッジファンド勤務というパターンもあります。かつては軍勤務も一般的でしたが、徐々に避けられる傾向があります。左側の人に叩かれやすいからでしょうか?

            高貴な人たちは実務なんてしないので、実需なんて考えなくていいし、機電なんて学ぶ必要は全くありませんw

            シン

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          3. シン様

            ありがとうございます。記事にしていただき、多くの方が読んでくださるまたとないチャンスを得たのですから、くり返しの長文で失礼はございますが、新着記事に表示されている間に、私個人の思うところや経験を余すところなくお知らせできたらと思います。内容の重複も多く含みますが、お許しください。少しは読みやすくなるかと思い、章立てを致しました。

            【日本文学学科の際立つ「4年と数百万円」投資の無意味さ】

            私は同じ文系の学科の中でも、日本文学学科に「4年と数百万円を支払うという行為の無意味さ」は、際立っていると感じています。たとえば、同じ文学でも英文学科は英語を使いますし、人類のリーダーたるアングロサクソンの社会の成り立ち、考え方などを体感することができます。哲学、心理学、法学、政治学、経済学、商学なども広く見れば、私たちが生きている現代の人間社会に関係しているといえます。

            しかし、日本文学はどうでしょう? そのほとんどが個人が勝手に創り出した、架空の物語です。その実際にありもしない物語につながるものを「カルスタ」などの手法を使ってそれらしくこねくり回したところで、所詮は素人の虚しい作業でしかありません。

            私は、日本文学を学ぶことが無意味だとは言っていません。「4年と数百万円」をかけて、日本文学を主専攻として学ぶことが無意味だと、若い人たちに何度でも、本当にわかってもらえるまで言いたいのです。
            日本文学学科で学び、若い時代の数十年と家一軒建つほどの金をムダにした人間として、若い人たちに轍を踏ませたくないのです。

            【日本文学学科の不誠実さ】

            「文学学科」「研究方法」「具体的手法」などのキーワードで検索すると、日本文学研究の名門大学の研究室案内が上位にヒットします。

            しかし、そこに書かれている文章を読んでも、いったい彼らが学生に何をどう教え、どのような成果が出ているのか、具体的にどういう方法論で日本文学にアプローチしているのか、そこで学ぶことが「4年と数百万円」に値するものなのか、まったくといっていいほど見えてきません。

            「日本人の心の遺産である日本文学を学び、人間力を育てる」「国際化する現代社会における日本文学の意義を追及し、それを正しく広めることの出来るグローバルな日本人になりえる教育」…などの作文が並んでいます。

            また、どういう経緯で就けたかを明らかにせず、一流企業や高校に就職した容姿端麗、コミュ力の塊みたいなキラキラ卒業生の「日本文学をここで学んだからこそ、今の自分がある」というコメントを掲載しています。
            そういう人は、どこで何を学んでも就職は出来るし、親を泣かせるようなことにはならないはずです。むしろ、理系の実需のあることを学んでいれば、もっとラクに楽しくいっぱいお金を稼げて、人種問わず理系の素晴らしい人たちとのコネも出来て、グローバルで充実した人生になりえたはずです。ある意味、不幸な人たちです。

            ぬるりブログではあまり評判の良くない(苦笑)作家の村上龍の『あの金で何が買えたか―バブル・ファンタジー』ではないですが、「4年と数百万で何が買えたか」日本文学学科の出身者および出資者である親御さんは現実逃避をせずに考えた方がいいし、大学側も真剣に考えるべきです。しかしそれをやらずに文化だ教養だ多様性だと甘えたことばかり言って話が通じないので、日本政府は「国公立の文学部廃止」と言わざるをえなかったのだと思います。このぐらいのショックを与えないと、まともに話をしようという姿勢すら見せないからです。

            研究機関としての存在意義を問われ、何をしているのかを明確に公表しなさいと、政府や世論からも迫られているのに、日本文学のスター研究者たちに目立った動きは見られません。それどころか、無知な高校生たちやその親御さんに必要な情報を与えず、経済的に恵まれているとはいえない多くの学生が、精神疾患、留年、退学などに陥っています。未来ある若者をしゃぶり尽くして大学の肥やしにすることが、どれだけ罪深いことがわかっているのでしょうか。そのような若者が精神疾患などを抱えて引きこもりになり、親御さんをも苦しめている例をいくつも知っています。これといった専門知識もスキルもなく、コミュ力もない、年齢だけ重ねた彼らはこれからどうなっていくのでしょうか。阪大部長の言われる「文学部の勉強は人生の岐路に立ったときに力を発揮する」というのは、他の必要条件が整っている場合の話です。文学部の勉強だけではどうにもならなく、人生が詰む可能性が高くなるだけです。

            【日本文学学科でも、国公立や一・二流私立ならば別世界】

            私のコメントは三流以下私立大学での経験、そして経験から出る考えですから、ピンとこないとか、大げさだろうと思われる方が多いかと思います。

            「たとえ実需のない日本文学学科でも、文系はコミュ力という武器があるんだから、選びすぎなければ就職は出来るし、そんなに悲観しなくてもいいだろう、べつに本人と親がよければ4年と数百万を費やそうが、大好きな文学とやらをやり、いっぱい遊べばいいじゃないか、そういう人間も社会には必要なのだから」…といわれる方もいらっしゃるでしょう。

            しかしそれは、国公立や一・二流私立までです。学生本人の地頭が良く、周りもそういう学生で溢れている彼らと、三流以下の私立を一緒には語れません。大好きな文学を自由に研究できるとは限らないという現実については、本文および以前のコメント具体的に述べさせていただきました。「山のような論文(ゴミ論文を多数含む)のコピー取り、関係資料の読み込み、くずし字や古典文法を含む原文の読み解き→資料作り→発表」などがメインです。膨大な時間がかかりますし、楽な作業ではありません。

            また、三流以下の私立大学で、私がいちばん問題だと感じることは、就職予備校としてはともかく、遊ぶ場所、学ぶ場所としても三流以下だという事実です。

            食堂や学習室などの一部も、知性のかけらも感じられない学生たちが占拠して、時には大騒ぎしています。鼓膜の破れるような叫び声、乱暴な振る舞いには、身の危険を感じることも多いです。

            貸与式の奨学金返済、生活や遊びの資金などのためのアルバイトをするも、三流以下の大学は家庭教師や公的機関などの割のいい仕事はないので、ほぼ肉体労働です。社会問題にもなっていますが、学生アルバイトをフルタイムでこき使うブラックバイトも少なくないです。疲れて勉強がおざなりになると、希望のゼミには入れません。ハードなゼミに入ると、課題がこなせない、卒論が書けない→逃亡→留年からの退学という道も現実味を帯びてきます。

            また、身も蓋もない話ですが、三流以下の大学ですから、学内で出会う人間たちの大半もそれなりなのです。努力や能力、運などに恵まれていない人たちです。行動力とコミュ力で、他大学や他の世界の面白みのある人たちと交流できるところへ入っていけなければ、退屈な学生生活になりがちです。

            そしてたいていの三流以下の大学は、建物や備品をとっても、歴史やプライドがまったく感じられません。外側のデザインこそ時代の最先端っぽくお金をかけていても、何の味わいもない下品な建物がほとんどです。それでもお金をかけていればまだましで、団地のような単なる建物でしかない校舎もめずらしくないです。無菌室のような講堂と安っぽい机と椅子からは、アカデミックな雰囲気はまるでなく、ただの集金所であることがまざまざと感じられ、惨めな気持ちになります。

            東京大学で行われる学会に参加すると、最高学府としての学習環境レベルの違いを思い知らされます。石造りの重厚な雰囲気、艶やかな黒光を湛えた一枚板の机、ビロード張りの美しい椅子…。ここで名だたる学者が講義を行ってきたのだと思うだけで、とにかく胸がいっぱいになります。図書館や食堂などは夜遅くまで開館されていますし、また、周辺には古書店が多くあり、教科書や専門書を手に取りながら選び、安く買うことができます。学ぶための環境が整えられているのです。

            東大とまではいかなくとも、一・二流の私立大学でも、学びの環境は非常に充実しているところはあります。個別大学名をあげてお勧めをしたいのですが、私の行動範囲を明らかにはできないことをお許しください。

            ご家庭の経済に余裕があり、ずば抜けて容姿端麗である上でコミュ力や語学的センスも持ち合わせ、どうしても日本文学に青春を賭けてみたい、という情熱を燃やす高校生が国公立や一流私立の日本文学学科に進むのであれば、私は反対しません。むしろ進んで欲しいと思います。そのような人が大学院まで進み、スター研究者になれば、多くの人が日本文学に感心を寄せ、資料の価値を理解しようとしてくれるかもしれません。

            シン様が言われるよう、文学作品に数的アプローチを駆使して成果を挙げることもいいでしょう。そのような研究行為を評価してくれる企業もあるはずです。

            二十世紀の遺物のような教員は「文学は心だ。数字じゃない」などと言うでしょう。しかし、その数字は人間が心を込めて書いたものから出来ているのだから、何らかの成果を期待してもいいはずですし、実際に計量文体学やコーパスやシソーラスを利用した文学研究など、一定の成果は出ているといっていいと思います。

            【金融へ就職した日本文学学科の知人たち】

            シン様のコメントで思い出しましたが、文学部で金融へ進んだ人を国公立出身者含め何人か知っていました。ポスティングなどの長時間肉体労働、契約や売り上げのノルマに追われて心身ズタボロになって、ほぼ全員が辞めています。ほぼというのは続いているという意味ではなく、消息不明だからです。

            企業側としては、文学部出身者がどうしても来たいのならば来ればいいけど期待はしない、続けばそれはそれでいい、というスタンスで採用しているのですね。

            私の個人的な感想ですが、日本人はお金は汚いものだ、お金の話をするのは悪いことではしたないことだ、という教育を受けて育つ人が多いと思います。

            「子どもが親のお金の心配などしてはいけない。親の恥になる」と厳しく言われた人は多いのではないでしょうか。また、お金が足りない、足りなかったらどうしよう、という話はよく聞いても、お金が必要なだけ十分にあることがありがたい、という話を、人はなかなか言葉にしないものです。

            このように日本人にとって、お金についてはネガティブな感情を持つことの方が多いように思います。お金にポジティブな感情を持てない育ち方をした上で、文学部出身であれば、数字に強いということもないでしょうし、お金を扱うことがノルマを含めて大好きでもない限り、金融業に就職しても続かないのはわかる気がします。

            【失敗を認める勇気も、真の優しさもない文学部出身者】

            この記事を取り上げていただいてから、他の匿名掲示板などで、文学部出身者関係のスレッドを見てみました。文学部は、大学で「やりたい」ことをやれるから、その後の「やりがい」から見放される運命なのだという意見が多く見られました。そして、4年間やりたいことをやれたし、楽しかったから、後悔はない、と。

            経済的に中流、それ以下の家庭出身で、大学=遊ぶところという考え方を素直に表明できるのは、バブル世代、団塊ジュニアの就活がうまくいった人くらいまでだと思います。就職氷河期で「文学部は除外」などと門前払いされ、理系学部の同級生たちが驚くようなコミュ障でも易々と就職を勝ち取るのを見てきて、自分が大学で遊んだこと、しかも履歴書を盛れるような良い遊び方もしていなかったことを認めるなど、とてもできません。

            それに、高齢者向けのカルチャースクールでも十分にやれるような、名ばかりの勉強に、親の苦労と我慢の結晶である、大切なお金を費やした後悔、心の痛みは、バブル世代の方でもそう忘れられるものではないでしょうし、忘れてはいけないと思います。

            そして、その正直な気持ちを、経験や事実と共に、後の世代へ伝えることが必要だと考えます。それでも轍を踏むというのであれば、それは彼らの熟考を重ねた末の選択です。茨の道の先達として手を貸せば、悪いことにはならないかもしれません。

            私はそれをしたい。そして、その気持ちをわかってくださったからこそ、シン様は記事にしてくださったのだと思っています。

            いつも思うことなのですが、なぜ日本人の多くは、自分の失敗や後悔を認めないのでしょうか。後の世代に包み隠さず話をしてあげないのでしょうか。手を貸してあげないのでしょうか。

            後の世代には、自分を越えて欲しい、さらに幸せになって欲しいと、なぜ考えられないのでしょう。それが人間としての真の優しさではないでしょうか。

            それほど世界を知っているわけではありませんが、「自分たちがした苦労を、後から来た人間がしないのは許せない!」という考え方は、日本人独特のものであるように感じています。

            留学生たちを見ていても、彼らは有益な情報をシェアすることを躊躇しません。もちろん、とっておきの情報は自分だけで大切にすることは当然です。しかし、自分に直接的な損得はないのに黙って見ていて、そら見たことかとせせら笑うような気味の悪いやり方をする人は、日本人以外で見たことがありません。

            少子化を嘆いてばかりではなく、無知で不幸な若者を増やしている日本の悪しき慣習こそがまず、厳しく問われるべきではないでしょうか。

            2+

          4. 貴重なコメントを沢山ありがとうございます。ただ、一つだけ言わせてください。

            ヤフーコメントとかにドヤ顔で「文学部」なんてダメだ、と言うようなことを書いている人間に「文系」がザラにいると思います。これを私は問題視していて文系なんて全て実需がなく目くそ鼻くそなのにスケープゴート作って自己肯定してどうするのだ?、と言うことです。

            人間は弱いので自分より下を見て、作って意味もなく安心します。でも、それでは何の解決にもなりません。だから、私は「文系は皆同じ」と声高く言っているのです。どんなことも需給によって値段が決まるので、誰にどう思われるとか、世間がどうだからでなく、よほどの覚悟がないなら実需のないことはするな、と言うことです。

            経済学部だろうが、何の専門にもならないので、金融に入ればノルマに追われて胃をキリキリさせます。それを快感と捉えるサイコパスみたいなメンタルの人は大学で何をした人であろうがほんの僅かで、ほとんどの人が続いていても辛くて辛くて堪らないが、他に出来ることもなく耐えているのです。文学部出身は一般的にもっと浮世離れしているのでもっと適性のない人が多いでしょうが、本質的には変わらないと思います。

            ある意味でバカにされる文学部は自覚症状がある方で、他の文系みたいに根拠もないのに何となく許された気分でいる方がもっと危ないのではないか?、と思います。今現在、ぬるま湯につかってその場でしか通用しないような業務を嬉々してやってエリート気取りで得意になっている人間はその組織が危機になったらそれで終わりです。

            文系の最大の受け入れ先である金融業はフィンテックでガンガン採用を減らし、理系を欲しがって来るのは確実です。アメリカではそうなっているので、日本もそれに追随するのは歴史的にも間違いないでしょう。その時に目に見えて就職率が悪化して現実を思い知るのでは遅すぎます。40歳前後の中途半端な年代で用意もなく、いきなり切り捨てられたら地獄を見ます。自分のやっていることを意識して客観的に捉え保険をいくつか用意しておくべきです。それは理系だから胡坐をかいていられるわけではなく、当然同じように自分のおかれた立場を意識して行動すべきです。

            庶民は出来る限り文系に行くな、と社会が次の世代に言い続け、特に後悔の念が強い人は意味のわからない自己肯定でなく、自分の選択の誤りを素直に認め、後進に率直な意見を言うべきです。その意味でマーライオネス飛鳥さんの悲痛な叫びを形に出来てこれを見た子どもが少しでも感じることがあればブログをやって来た甲斐があります。

            実際、長くブログを続けてきて、私の意見に大なり小なり影響を受けてそれがいい方向に行った、という報告を受けることもありますので、単なる私の戯言であっても意味があったのだと思います。

            シン

            2+

  5. 文系で1番ラクな専攻は、みなさんは何だと思いますか?
    文系でも、語学系はかなり忙しいと思います。
    文学部も卒業研究は意外と忙しいし、法学部法学科は忙しそうです。
    となると、法学部政治学科か経済・経営・商学あたりが1番ラクそうなイメージです。

    0

    1. ran様
      身も蓋もなくて恥ずかしい意見なのですが、専攻よりも教員のユルさがラクかどうかの決め手になると思います。
      ユルい教員が多ければ、単位を集めるのもラクですし、ユルいゼミに所属すれば就活に全力投球できます。

      出席や試験に厳しいのは、若手の教員、女性教員、有名スター教員、などで、彼らの割合が高ければハードになりがちだという印象でした。
      逆にユルいのは、老人大御所教員、世捨て教員、欧米系外国人教員などです。
      私の大学は中堅以下の私立ですが、教員全体の質や研究意欲が高いので、ハードになりがちな側面はあります。
      コピペを発見したら、即お叱りです。大学教員自らが学生のコピペを見つけてわざわざ叱責するなんて熱心だな、ここは中学校かと思うくらいです。懸賞論文でもあるまいし、放っておけばいいじゃないかと思います。

      ちょっと話しただけの学部生や一般教養でかじっただけの印象ですが、経営と商学はラクそうだなと思いました。バイトに恋愛、サークル活動などなど、キャンパスライフをエンジョイしている華やかな雰囲気です。

      0

      1. マーライオネス飛鳥様
        文学部に限らず、文系学部の女性教員って厳しそうですね。
        教職課程やっていたころに会った人ですが文系の大学院生は、男性は世捨人みたいな人に対して女性はガチで研究している人でした。彼氏が頑張って働いているからいいかなと言ってました。
        とりわけ、私の大学では文系は女性が大学院にいってました。
        文系で厳しい課題で就活邪魔するのは逆効果です。

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        1. 私の親戚や知り合いも文学部やその似た学科に入学してメンタルで留年したり、引きこもりになったりしています。文系なのでコミュ力ない人が就職出来なかったりしてるので現実を理解してほしいです。

          国文系に対して、外国語系だと帰国子女や外国人が多いので学校の雰囲気に馴染めないとかの悩みもあると聞きました。

          そのデメリットは想定できると思いますが未だに偏差値の学部序列があることや大学選びが社会科が得意だったからや受験勉強でできなかった英語の成績があがってその喜びが忘れられなくてとか言ってる人がいます。本当に聞いた話です。
          そんなつまらないことに喜びや学部を選ぶ価値を見いだせるのは幸せだと思いますけど残年な人が多いです。

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        2. ニコ様
          >>文学部に限らず、文系学部の女性教員って厳しそうですね。

          アファーマティブ・アクションで女性教員の採用は増えていますが、男性教員が研究成果や立場などでも圧倒的優位なのは変わりません。私の見える範囲では、結婚している女性教員も、子どもを持っている女性教員も、ほぼいません。人生を研究に捧げてきた女性たち、というふうに捉えています。たいていの女性教員は、ちょっとの隙も見せたくない、とピリピリしている印象です。女子学生がある書類にサインをしたとき、男性教員のサインよりも文字が大きかったのですが、「こういうところからでも、女は潰されるのよ」と注意されたそうです。大変だなと思いました。授業の出欠もテストもきっちりやって誰にも文句は言わせないし、卒論の指導もきっちりやって優等賞を自分のゼミから出す努力を惜しまない、もちろん自分自身の研究も成果を出す、とフル回転です。すごいなとは思いますが、見ていて少し疲れます(苦笑) 「子どもも育てたことないのに、学生を育てるなんて出来るのかな?」と男性教員が言ったときには、その場から逃げたくなりました。言ってはいけないことを面と向かって言う、あいさつができない、衣服が汚くて悪臭を放っているなど、困った教員、学生がいるのは、べつに文系だけではないですが、困ったものだと思います。文系はコミュ力が高いといいますが、そうではない人もいっぱいいます。実益の取れる理系学部へ行くべきだと思います。

          >>文系で厳しい課題で就活邪魔するのは逆効果です。
          卒論は書かなくてもいい、ゼミも休んでいいから就活に全力をあげなさい、という教員を知っています。しかし、ゼミ選択の一番人気かといえば、そうではないのです。不思議なものですね。学生にも、文学を勉強したい、何か勉強したことを形にしておきたい、という気持ちはあるのです。しかし、厳しすぎる課題はダメです。さじ加減をわからない教員のゼミ生は、忙しさやら無力感やら虚無感で、弱っていきます。

          0

  6. シンさん
    以前にシンさんがおっしゃってた歌がうまい人は語学の上達しやすいという程度に受け取っていただければいいのですが、文学部の言語系の人はプログラミングをさせてみると飲み込みが早く、向いてる人がいたりします。
    調べたことはないですが、コンピュータサイエンス系の学科にいましたのでそんなことを見聞きしました。英語圏の人の考え方がプログラミングに含まれるからなんですかね?
    逆に理工学部情報学科でも数学は問題なくできても生理的にプログラミングに合わないで単位落とす学生もいます。ソフト系が嫌な人は機電に近いハードや電磁波工学や情報分析科学(ORや統計や離散数学の情報科学の数学系)の研究室や就職を考える人が多いです。
    私もあまりプログラミングが好きでなく数学系にいきました。
    かりりんさんのように女性がコンピュータサイエンスで活躍してますし。

    私自身の推測ですが、プログラミングをやるには語学の素養が少しは必要なのではないか?とも考えられるのです。
    古典や英語が苦手、嫌いで理系にきたという人で情報にきて苦労している人もいる一方、私の大学と同じ文学部出身でバリバリにSEとして活躍してるよっていう話も就活の説明会で聞いたことがあります。

    0

    1. 日本語の「SE」は範囲が広すぎるし、本来の意味から逸れている、という記事を書きましたが、プログラミング言語、と言うように語学センスがある人はプログラミングと相性が良いと思います。ORのように数学の素養は不可欠ではありません。別物だと思います。

      コンピューターサイエンスの研究だと数学は得意だが、プログラミングが苦手でアシスタントを雇って研究している人もいます。

      シン

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      1. シンさん
        ありがとうございます。

        取引先からなぜかプログラミングやソフト開発は英文科やその辺の人がコードを書くセンスがいいんだよね。と言われたのですね。
        文学部をオススメはしないのですが、私の大学の文学部では、文系なので就職先が多岐にわたっていますが代表的な就職先にソフト会社が紹介されていました。

        シンさんのおっしゃる通り、情報系の先生でも統計やORの先生だとプログラミングが苦手な人は多いのか、ソフトは購入してますね。

        0

        1. あえて文学部に進む合理的意味はないですが、語学センスがある人がプログラミングを学びつつ、就職先を確保してから好きな語学に耽溺するのはありだと思います。

          シン

          0

          1. 私自身の経験からの推測ですが
            語学センスのある方は、文学部ではなくコンピュータサイエンス方面も視野に入れたらどうかな?と思います。心理や哲学など文学部の学生が興味を持つような内容をデータを用いて解析しています。
            私の大学でも何年かに一人は、文系学部から理工学部情報科学系の大学院に進学してくる人がいます。(研究者目的でない)
            語学センスがある人には、プログラミング等と相性がいいと思いますし、機械いじりや実験に抵抗があるなら内容次第なら文系タイプの情報学部でもいいと思います。

            >>パソコンソフトで作品をデータ化、分析の出来る理系の素養のある研究者が結果を出しています。
            研究を行うにしても古典や歴史の趣や感動は研究されつくされています。

            これは名古屋大学情報学部人間・社会情報学科の資料です。
            こういったコースもあります。

            0

  7. 色々と議論が紛糾していますが、結論はシンプルになると思います。

    文系学部は学部を問わず就職を考えるなら皆同じように無価値、
    文化振興という点では価値がある、そしてその価値があるのは東大・京大のみ。
    以上です。

    敢えて言うなら、文学部は割と「就職を度外視してこれを研究したい」
    という学生が多いので、その学習内容が好きな人には居心地が良いでしょうね。
    その分、卒業後に地獄を見ますが。

    確実に就職することを考えるなら、
    優先順位は1.医学部、2.工学部、3.防衛大学、となるでしょう。
    1.はずば抜けた学力が要るので人を選ぶものの、
    2.3.は並み以上の資質があれば、根性次第で何とか食い込む余地があります。
    寮が充実していて生活費がかからない、という点でもオススメです。

    0

  8. 私自身の生活上全く関係ないトピックですが、真実に近い良いお話が聴けたと思います。此から未来に生きる子ども達の為になる記事が増えることを切に願います。記事に良いね出来れば押したい位です。

    0

    1. 松本様
      ありがとうございます。残念ながら現在の日本社会では、一度レールを外れたり、変更に失敗すると、人並みの生活をし、しあわせを求めることすらも難しくなってしまうことが珍しくありません。これから未来に生きる人たちには、「選択」の場面では慎重になって欲しいと願っています。

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  9. <文系学部は学部を問わず就職を考えるなら皆同じように無価値、
    文化振興という点では価値がある、そしてその価値があるのは東大・京大のみ。
    以上です。

    就職に関して、文系は価値は低いが無価値、すなわち0というのはいいすぎな気がします。
    また、文化振興という点で価値があるのは東大と京大だけ、と思う理由は、なんですか?

    防衛大は、国公立大みたいなイメージとは裏腹に、私立型の3科目の入試科目で、理工に関しては意外と難しくないです。
    だから、5教科7科目は苦手だが、学費の安い大学にいきたい人にはいいかもしれないですが、体育会系で寮生活で卒業後は自衛隊に入らないといけないことを考えると、あんまり万人向けではない気がします。

    0

    1. 文系学部は文系は価値がないとは言っていません。
      「文系学部は価値がない」と言っています。
      普通の文系学生がやる研究など、独学や社会人向けの講座でもできます。
      司法試験でさえ、大学に行かずに合格することは可能です。

      そして文系の研究者としてマトモな著作のある教授の出身大学を見てください、
      ほとんどが東大・京大であるのに気づくはずです。
      マスコミに出てチヤホヤされてるだけの自称識者は早慶卒も多いですが。
      文系の学問は、膨大な文献資料を読んで幅広い知見を得る必要があり、
      その点、自身の専門分野さえ究めれば良い理系とは異なります。
      それには、東大・京大に入れるだけの知能のポテンシャルが必要、ということです。

      そして防衛大は万人向け、とは言っていません。
      「根性次第で」と言っています。過酷な寮生活に耐え、自衛隊に入る根性があるなら、
      頭の出来は並みでも、平均以上に安定した就職ができる、ということです。
      それは工学部にしても同じで、例えば地方の新設の公立大(国立ではない)ですと、
      実学に力を入れている所が多く、偏差値は40台で入りやすいです。
      しかし田舎のキャンパスで、華やかなキャンパスライフとは無縁の日々を送り、
      しっかりと技術を身に着けなければなりません。

      結局、実家に資産があって働く必要がない、継げる家業がある、
      ずば抜けた頭脳を持っている、といったアドバンテージがない凡人は、
      どこかで苦労して社会の需要に応えられる人間に改造されないとダメなんですよ。

      0

      1. <「文系学部は価値がない」と言っています。
        普通の文系学生がやる研究など、独学や社会人向けの講座でもできます。

        それは、研究や学問に関しての話ですよね?
        確かに、文系学問をするだけなら、独学や社会人向け講座でできます。
        しかし、今は就職に関しての話をしています。
        高卒でもできそうな仕事でも、大卒しか採らなかったり、出世や給料面で優遇したりする風習は、これからもなくなりそうにないです。
        自分も、学問をする場所としては、文系学部は無価値だと思いますが、
        就職予備校としては、まだある程度の
        価値があるというのが、現状ではないでしょうか?

        文化振興とは、具体的に文系学問の研究ということですね、わかりました。
        確かに、どの分野でも、東大と京大はたくさん教授を輩出していますね。
        しかし、研究者養成のためなら、文系学部は4年制を廃止して、6年制または9年制にして最初から研究者になるつもりの学生だけが入ればいい気がしました。

        地方の新設公立大は、国公立にしては簡単なので、受験生のなかで平均的な学力があれば入れる割に、学費が安いので、金も学力もない人にはいいと思います。

        0

      2. いつき様
        コメントありがとうございます。おっしゃる通り、日本文学学科だけについて言うならば、東大と京大に集約するのもいいと思いました。両大学は研究者や学生の優秀さがずば抜けています。また、保有している資料の数、質も多いです。私立大学にも貴重な古典資料などが多く散らばっており、それらを保管、研究するという役目として研究員を置いておかなければならないので、資料も一緒に集約すればよいかと思います。となると、もう国の一大事業になるのでしょうけれど、やってもらいたいです。どうしても見たい資料が他大学にある場合、手続きも面倒ですが、わざわざそこの大学まで出かけなくてはならないのです。全国に散らばっている大学の間を移動するなど、大変な苦労です。すべてを一カ所にまとめておけば、それらの手間がなくなり、熱心な研究者を助けることにもつながります。

        余談ですが、意地悪をしてライバルの研究者に資料を見せない、という話もあると聞きました(苦笑)。真偽は定かではなく、よくある冗談かもしれませんけれど、そういう可能性があるのならば、なおのこと集約してもらいたいと思います。

        0

  10. 大阪大学文学部長の式辞について
    人生には様々の苦難が必ずやってきます。
    果たして、文学部で学んだ事柄が、その問題に考える手がかりをきっと与えてくれます。

    そうなのかも知れません。
    でも、それは機電系等の理系を学んでいても言えることだと思います。むしろ、論理的思考能力では理系の人の方が文系の人よりも勝っているように思います。
    様々な岐路と言いますが、卒業していく時点で希望する職にありつけなければ、どうなっていくのか。大阪大学はまだ、職はあるかもしれませんが、中堅以下の大学の文学部では、希望する職にありつける人はほとんどいないんじゃないでしょうか。
    卒業する時点で既に岐路です。
    今から死ぬまで嫌な仕事をしていくことがどういうことであるか、この学部長は考えているんでしょうか。

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    1. >卒業する時点で既に岐路です。

      笑いましたw 大金と貴重な時間をかけて大学でやったことが社会で通用しないなら、社会に出る段階で岐路ですねw

      シン

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    2. nobunobu様
      >>大阪大学はまだ、職はあるかもしれませんが、中堅以下の大学の文学部では、希望する職にありつける人はほとんどいないんじゃないでしょうか。

      →おっしゃる通りだと思います。文学部といってもピンキリで、4年と数百万を費やした環境が、上位校と中堅以下では、何もかもが違うのです。人も建物も景色も。その環境が、学生の自己肯定感や心の強さなどにも深く関わっているのです。

      この大阪大学文学部長の式辞のニュースのコメント欄に、
      「文学部の存在そのものが岐路に立っていることから、目を背けないで欲しい。
      この苦難にこそ、文学部で学んだ学問の本領を発揮して、文学部廃止の危機を回避して見せてもらいたい」
      というものがありました。その通りだと思います。

      0

  11. シン様

    文系、文学部、文学学科などの言葉を多数使ってきましたが、中堅以下の私立大学へ吸い込まれそうな高校生は、将来を考える行為の不安などから思考停止に陥っていることも考えられ、それらの違いがきちんと伝わるかどうか、自信が持てません。

    しかし、私は日本文学学科の出身であるので、そこだけに集中して述べることで、なんとかまとめられたかと思っております。

    シン様の危惧されることは、ごもっともだと思いました。

    >>文系なんて全て実需がなく、目くそ鼻くそなのにスケープゴート作って自己肯定してどうするのだ?
    >>ある意味でバカにされる文学部は自覚症状がある方で、他の文系みたいに何となく許された気分でいる方がもっと危ないのではないか?

    →関係者から「他の文系学部だって似たようなものだ。うちだけがスケープゴートになる必要はない」と言われました。私もそう思っていたので、黙ってきました。しかし、学部生、院生問わず、友人知人の悲劇、その親御さんの嘆きを見てきて、やはり黙ってはいられないと思ったのです。

    私は、あらゆる文系の中で、日本文学学科がもっとも投資価値がない、と言いました。この世界出身の人間であるにもかかわらず。今の本当の気持ちではありますが、言い過ぎたとも思っています。しかし、そうではないという意見もあるでしょうし、ヒエラルキーを設けるのは愚かだと思われる方もいるでしょう。大切なのは、考えることだと思います。そして、できる限り感覚的・感情的にならずに、意見を表明することが大事だと思います。世論も政府までもその期待をしているのですから。

    私は文学部が統廃合され、学者たちが社会へ入っていったときに、何か力を発揮する可能性に期待をしたいです。例えば、特別養護施設にいる高齢者の中にも元文学青年、文学少女は多いですから、話がいのある話相手になるなど。たとえ身体の自由がきかなくなるほど弱ってはいても、ひとりの教養人として尊重され、知的な会話をしたいと願う入居者はいます。美術館などが解説や翻訳をつけていない古典資料の展示を補佐するなどもいいかもしれません。

    とある展示会にて、近世の洒落本を読んで思わず吹き出してしまったことがあるのですが、「この字が読めるのですか?」と尋ねてこられた方に読んで差しあげたことがあるのです。とても感謝されました。日本では展示物の撮影がほぼできないので、くずし字アプリなどは使用できません。それに、ただ字が読めてもわからないこともあります。実施回数も少なく、大勢で短時間にて移動する館内ツアーではなく、細やかに来場者の興味を広げ、助けることが出来、なおかつ外国語で説明のできる補佐がつけば、日本の文化遺産を真の観光資源に出来るかもしれません。今のままでは、日英語のわからない方の満足度はあまり高くないのではないでしょうか。

    それで人ひとりが食べられるようになるわけがない、と切り捨てるのは簡単ですが、さまざまな可能性や価値を考え、システムを作るトライを重ねることが大事だと考えます。

    最後に、この場をお借りして、日本文学学科の卒業生、関係者の方々へ申し上げたいことは、自分の年月や金銭を費やした研究について、どんどん話をした方がいいということです。

    特に理系の人は、実益のほぼない文学研究をする人について興味を持っています。本が大好きで、自分でも物語を創作してみたいと思っている人もけっこういたりします。そういう夢は理系の同業者にはなかなか言えないらしくて、書籍の紹介や取り組み方の説明などをして、感謝されることもあります。

    私たちの多くが、数学や理科系科目を捨てたために、それらの話が出来ないことと、一緒にしては損をします。理系の人の国語、文学のセンスはためになることが多いです。あくまでの研究対象の話に集中し、くだらない自分語りをしない限り、しっかり聞いてくれますし、まして見下すような態度をとる人はまずいないと思います。たとえ感覚的・感情的な自分語りになっても、冷静に指摘してくれますし、なぜ感覚や感情を剥き出しにするのか、理解を寄せてくれる人もいます。

    そのような理系の人は、文系の人を助けてくれます。私は理系の友人・知人に助けられてきた人生でした。女性男性問わず、そのような理系の優しい人と恋愛関係になることも少なくないのではないでしょうか。ただぶら下がられる理系の人はたまったものではないと思いますが(苦笑)。私の女性の友人の中には、理系の男性の手ほどきを受けてコンピュータ言語をいくつか学び、驚くようなキャリアアップを成し遂げた人もいます。彼女のプログラミング適性を見抜くことは、理系の人でなければできませんでした。

    文系の中で階層を設けたり、情報弱者をしゃぶろうとするのではなく、もっともっと、私たちの世界を開いていって、そこから楽しみやしあわせを共有していけたら最高だと思います。

    ありがとうございました。

    0

    1. >文系の中で階層を設けたり、情報弱者をしゃぶろうとするのではなく、もっともっと、私たちの世界を開いていって、そこから楽しみやしあわせを共有していけたら最高だと思います。

      これはまったくです。どんなことでも学ぶことは楽しいので、自分の得意なことを何かしらの形で表現することは素晴らしいですし、それが気軽に出来る時代になりました。趣味、副業として好きなことをお金にしてみよう!ということは素晴らしいです。

      でも、文系内で序列を作って悦に浸る、情弱を引きずり込むとかは論外なんですよ。「やらかしてしまった」人間が出来るのは反省して、その経験を後進にありのまま伝えることです。自己弁護で終始して前向きさを失ったら情弱として延々としゃぶられます。

      シン

      3+

  12. 文学部が嫌いなわけではないですが、三重大の文学部の大学院に忍者学ってのができるらしいのですがここまでやると文系って就職ないよねって言われても仕方ない気がしますね。
    なんだかちょっと面白そうですけど大学院まで出てやるべきではないですね。

    ナルトでも読んでればいいのでしょうか?

    2+

    1. ニコ様

      忍者はクールジャパン(笑)の天板なので、日本人の文系情弱に加え、外国人の文系情弱もしゃぶれそうですね。そのうち、侍学、芸者・幇間学などなどの講座でも出来るんじゃないでしょうか? 情弱の学生、留学生に社会人聴講生のハリキリ高齢者も入り乱れて、とんでもないことになりそうですね。

      実際の忍者(普通の市民にまぎれてスパイ活動など)と、外国人が大好きなハリウッドのニンジャ(黒装束で天井に張り付いたり、煙玉を投げつけるなど)は別物なので、大学院でまでシコシコと忍者を真面目に勉強したところで、お金にはならないと思います。

      2+

      1. マーライオネス飛鳥さん
        お金にならない学問でもやる人はいてもいいと思いますが、あまりにも品がないよねって思いますね。
        なんか声優やライトノベルの専門学校みたいな感覚なんだなと思います。

        1+

        1. ニコ様
          すみません言葉足らずでした。時間とお金を投資して、金銭的・社会的な見返りがなくてもいい方は、ぜひやって欲しいです。「忍者学」という学問にするからには、国立の最高学府の研究として、日本文化に寄与できる可能性があるのだという覚悟も三重大学にはあるのだと思います。そんな覚悟もなく、ただアカポスを増やしたかった、学生を釣りたかった、というだけなのなら、言葉もありません。

          アジア方面から日本へ来て、日本文学や日本文化をやっている院生が、「自分はこんなに珍しい勉強、経験をしているのに、企業が評価しない」と愚痴っているのをよく聞きます。こういう情弱学生をしゃぶるのにも、忍者学はおあつらえ向きかと思いました。

          2+

        2. 私が散々指摘した通り、駅弁大学の文系なんて存在意義がないんですよ。

          そりゃ忍者の研究なんて、趣味でやったら面白いでしょうけど、
          そんな酔狂な物に税金を注ぎ込む程の価値がありますか?
          若者の貴重な時間と親の金を費やさせるつもりですか?
          曲がりなりにも国が運営する最高学府でやることですか?
          カルチャースクールで、金と暇のあり余った高等遊民や
          専業主婦や年金暮らしの老人相手にやっていればいいことです。

          どうしても大学で忍者をやりたければ、忍者ショーの出演者を
          養成するためのコースを体育大学に設けた方がまだ有益です。

          文系の大学の教授や職員には、「そんな社会に還元されない
          無駄な事を、教育の皮を被ってやっていて恥ずかしくないのか!?」
          と言ってやりたいですね。
          また文系に進む学生・院生には、「貴重な若い時の時間と親の金を
          無駄にして、将来の自分と親に申し訳ないと思わないのか!?」
          と憤りを思えます。

          こんな無駄三昧の連中と「大学教授・大学院生」と一括りに扱われては、
          日々社会のために尽くしている理系・実学系の方々が可哀想すぎます。

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          1. いつき様

            >文系の大学の教授や職員には、「そんな社会に還元されない
            無駄な事を、教育の皮を被ってやっていて恥ずかしくないのか!?」
            と言ってやりたいですね。

            →「社会に還元されることがすべてではない」「無駄なことなどこの世に一つもない」などと言い、会話が成立しない人たちですから、力業で国が巣を壊すことしかないと思います。こういう人たちを放っておくと、大学院から小中学校、高等学校などへ入っていき、未来ある子どもたちに悪影響を及ぼします。

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  13. 昔の大蔵省があの手この手で税金をかけたように、私立文系大学も必要は無いがお客様を呼び込める学部を常に創造し続けるのでしょう。

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    1. 松本様
      社会人聴講生や公開講座などでは集金が足りません。やはり若者を食い物にするのが効率がいいです。院生を持っていると査定がプラスになったり、雑務をやらせたりできますし、授業のコマを増やして身内で金を回せるので、「忍者学」をマネたような目新しい学科の大学院も増えていくかと思います。日本の大学の学位は600を越えているそうです。

      0

  14. 国公立の文系学部の縮小というのは、文系学部を一部再編成して世の中に必要なことが学べることにしましょうと言ってるだけなんですよね。
    成果が出るかどうかは別にして取組はすべきでしょう。
    例えば、滋賀大学のデータサイエンス学部のようにコンピュータサイエンスが勉強できる仕組みにしたりという時代にあうように教育内容を変えなさいって意味合いだと思います。

    少しでも役に立つ技術が、身に付くような学部になれば変わると思います。

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  15. ニコ様
    >国公立の文系学部の縮小というのは、文系学部を一部再編成して世の中に必要なことが学べることにしましょうと言ってるだけなんですよね。

    ニコ様の言われる通りです。しかし、自分たちが自由に使える金が減る、ポストが減らされる…未来のある若者たちのことなどどうでもよく、自分たちのことしか考えられないのだと思います。だから、まともに議論をしようとしない。「世の中に必要ではないことなどない」などと言うのは、残念な女性の常套句「ひとそれぞれなんだから!」と同じです。

    文学ゴロが教授と呼んでもらえて、休みたっぷりで給料いっぱいもらえただけでも奇跡です。奇跡に感謝して、需要、能力、情熱のなき者は潔く最高学府から去るべきだと思います。門外漢の方々へ向けて、自分が文学部教員の中でも重要な人物であると見せかけるため、ウィキペディアの項目を自作自演する動きもありますが、痛々しいとしか見えません。

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