じゃあ、最低限の尊厳

ぬるりと生きるは清貧を目指すものではありません。私はそこらの凡人、俗人であるうえ、おかしな思想にも狂ってはいないので、最低限の尊厳も守れない生活をしたくありません。逆にありのままを受け入れられる仙人のような精神状態になっている人にあこがれを感じます。

プライバシー

海外では日本ほど、ワンルームマンション(Studio)ってないので、フラットシェアは一般的で、若い人で一人暮らしをするとなると、誰かとシェアをする形になります。日本でも増えてきましたけど、30過ぎのオッサン、オバサンが20代の若者に混じって、なんのプライバシーもないシェアフラットなんかに住むのはキツイと思いませんか?

20代の若者の最大の武器は若さ、時間です。若いからこそ、それが実になるかどうかは別にして、何かのために今を犠牲にして頑張れるし、そのための時間もまだ残されています。そして、そういった若者に世間は温かい目で頑張れ!、と声をかけてくれます。私も若い人が恵まれないながらも頑張っているのを応援する気持ちはあります。

でも、30過ぎが今を犠牲にしなければならないようなことをするのは単に惨めです。世間も大きな伸び代があるとは思ってはいないので、ああ、負け組だな、と思うだけです。実際に30になってろくに成果が出ていない人が巻き返すことは相当困難で、若い時間を使い果たしたあとは人生の消化試合が待っています。なんか、寂しい気持ちになります。

若者への援助

30過ぎのオッサン、オバサンなら、若者とご飯を食べたときくらいおごってあげましょうよ。自分が若いときも同じようにおごってもらわなかったですか?10歳も若い人と割り勘しなければならないような経済状態、精神状態では尊厳が守られている、とは思えません。

精神的な援助も同じで、若者が行き詰ったときに助けてやれるくらいの経験をしてきていますか?知識を持っていますか?持っていないなら、尊重してくれ!、と言っても無駄で、長く生きているくせに何にも知らない負け組だと思われるのは当然です。若い人にダメな人だな、と思われるのは結構つらいと思います。

社会生活をしてきて、若いということで、人生の諸先輩方から有形無形の援助をしてもらった人が世の中の大半だと思います。私も例外ではなく、先輩に飯を食わせてもらったり、アドアイスもらったり、慰めてもらったり、時に怒られたり、いろんな形で世話になってきたんですが、それを若い人に返せない、となると、精神的にしんどいです。

迷惑をかけない

私は公共への貢献を大なり小なりして、若い世代に迷惑をかけたくはないです。いい加減な人生を過ごしてきて、ろくに貯金もない、年金もろくに払ってこなかった老人など、社会保障を食いつぶす存在でしかない、と思っています。本当に不幸な事情があった人もいるんでしょうが、その年まで生きてきて、他人に迷惑かけないと、生きられないの?、と思ってしまうこともあります。

なぜ、若い人を助けてこなかったのに、若い人に助けてもらおうとするのでしょうか?そういったろくでなし老人にならないのも大事だと思います。きちんと計画的に生きてきてきた人が貧窮するなんてありえないでしょう?、と言いたくなりますし、他人がどうあれ、私自身は若い人の負担になるような老後を過ごしたくないです。

いざ、自分が社会の負担になってくると、若い人に迷惑になっている、という気持ちが薄れてくるのかもしれませんし、言い訳がいろいろ出てきて、自分を肯定する気持ちが湧き出てくるのかもしれませんが、そういう老人にはなりたくないです。ピラミッドに「最近の若者は、、、」という落書きがある、という冗談がありますが、世代が違えば、価値観も違うはずで、若者を非難することなどできません。

まとめ

ぬるりと生きる、は尊厳をもてるだけの生活をしましょう!、ということです。自分のプライベート空間くらいは維持して、若者に対するちょっとした援助を出来るだけの余裕を持ち、他人に迷惑をかけないようにきちんと計画して生きているものです。

清貧というのもいいですが、片付け代、火葬代くらいは貯金しておいて、自分が死んだ後のこともきちんと考えている、という条件付で立派な思想だと思います。もっと言えば、賃貸で死ぬと、大家さんに迷惑がかかるので、持ち家を持ってもらいたいですね!

飛ぶ鳥跡を濁さず、と言いますが、あの世があるのかわかりませんが、自分がこの世から消えるときは後始末をしてくれる人に少々のお礼が残るくらいは最後まで資産を保持したいですし、それくらいは些細な努力でできると思いますので、死ぬ準備は多少の老いを感じた時くらいから始めたいものです。

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投稿者: シン

思いついたことを記事にして、コメントをもらって、議論するのが楽しくてブログをやっています。

「じゃあ、最低限の尊厳」への1件のフィードバック

  1. この記事を初めて読ませていただきました。そして、「死ぬ準備」を初めて意識しました。
    生きている時間は死ぬまでの時間、限られた時間なのに、私はなんだか無限にその時間が与えらているような感覚でいました。
    世間体を気にして、自分を誤魔化して生きてきた私としては、自分の過去を振り返り、その過去の話を若い方々にお伝えすることしか出来ないのが情けないのですが、それでも逃げてばかりいた自分を恥ずかしく思えるようになったことが私の中での大きな変化であると感じています。自分に向き合うことなく、意識高い系で突き進んでいたら、と思うと恐ろしいです。
    あらためて今これから自分ができることをしっかりと見極めながら、生きたいものです。
    深く考えさせられる記事でした。

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