じゃあ、やりがい

当たり前ですけど、やりがいって、大事ですけど、常にお金との兼ね合いになりますし、やりたいことをやるには才能、忍耐が要求され、誰もができることではなく、多くの人が文句を言いながら、いやいや仕事を続けています。

仕事

つまらないから仕事で、面白いことは趣味だ、と言われますが、趣味が仕事になれば、それ以上に楽しいこともないです。確かにお金が絡んでしまうと、楽しいことが楽しくなくなる部分もありますが、元から好きなんだから、食っていくことさえ出来たら、なんだかんだで楽しいです。少なくとも、嫌いなことをやっているよりも圧倒的に楽しいはずです。

元は興味がないことでも、やっていくうちに楽しくなくなることもありますし、前向きになるために意図的に自分を洗脳して、楽しくすべきなんでしょう。仕事にやりがいを一切感じないと、起きている時間のほとんどを費やすので、かなり苦痛です。それもできないなら、辞めてほかのことをしたほうがいいのでしょうが、その勇気もない人は多いです。

仕事にやりがいを見出せず、ダラダラ時間を潰していると、頭を擡げるのは「誰か養ってくれないかな?」という気持ちで、国なり、親なり、配偶者なりが養ってくれるなら、仕事なんてせず、好き勝手に時間を使いたいと思うものです。人類が永久機関を手に入れたら、ベーシックインカムが施行されたら、それは達成できるかもしれません。

才能

明らかに才能があったり、明らかに才能がない場合はある意味で楽だ、覚悟してその道に突き進むなり、スパッと諦めるなり、趣味として楽しめばいいです。困ってしまうのは才能はあるようだけど、特別目立ったものではなく、続けても、食っていけるだけのものになるかわからないケースです。

その時、石の上にも三年、という諺で、とにかく、三年くらい真剣にやってみて、その成果で判断することになります。芸人なんかで、遅咲きの人もいますけど、その場合でも、三年くらいで食っていけるくらいにはなっていて、ブレイクするのに時間がかかった、ということで、まったく誰からも評価されないと、下積みを続けることができません。

アイドル、芸人なんかは運だけで、上昇気流にのって、一瞬ブレイクすることもありますが、逆も同様に運だけでは三年も持たずに、いつの間にか仕事がなくなり、知らぬ間にその世界からいなくなっていることになります。でも、才能のなさそうな人が一瞬とはいえ、ブレイクするのを見ると、才能の無い人も諦められなくなるのかもしれません。

忍耐

やりがいを感じるには忍耐がいります。頭抜けた才能、強運があって、ほとんど下積みもなく、あっという間にやりたいことで食べていける人もいますが、そういう人は例外で、多少の才能しかない人は地道に努力をし続け、成果が出るまで、ずっと忍耐になります。

この忍耐が結構辛くて、大した成果も見えないのに、三年くらいはずっとやり続けないと、食っていけるか?、の判断すらできないので、その期間を耐えきれない人が多く、毎日同じことをやり続けられるほど好きっていうのも、すでに才能なのかもしれません。好きこそ物の上手なれ、と言います。

間違った努力は身を結ばないですけど、その正解を見つけるのも試行錯誤を繰り返して、正しく努力をすることを覚えるわけで、やりがいを手にしたければ、色んな苦労があり、好きであれば、その苦労を乗り越えられるし、乗り越えられないなら、好きではないのでしょう。元から努力すらしてない人は好きですらなく、それをしている自分が好きなだけなんですよ。

まとめ

仕事にやりがいがない、と嘆く人は多いですが、ほとんどの人が好きになる努力もしてないし、結果が出るまでの忍耐をしてないんですよ。自分と向き合わないから、好きなことを何かも知らないし、調べないからやれそうかもわからない、成果が出るまで我慢もできないので、延々と文句を言って、人のせいにして過ごしているわけです。

本当に好きなら、努力するのは当たり前です。芸能人志望とかでも、多くの人はろくに練習もしてないもので、芸事で飯を食いたいなら、結果が出るまでは寝ても覚めても、そのことばかりを考えて、3年くらいを過ごすのは当たり前で、それすらできないなら、才能の有無関係なく、不向きってことなんでしょう。

人類は飢えを乗り越え、仕事が強制でなくなりつつあり、飢えを満たす程度なら、仕事に真剣にならなくても、対価を得られるようになりましたし、やりがいのあることをしたい人は増えたと思います。でも、やりがいを得られる仕事をするのは簡単ではないし、諦めてしまう人も多いです。ネットの登場で、世間に発表する機会は増えたし、手軽になったので、真剣に3年くらいやっていれば、何かしらの形で成果が見えてくるかもしれません。

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投稿者: シン

思いついたことを記事にして、コメントをもらって、議論するのが楽しくてブログをやっています。

「じゃあ、やりがい」への4件のフィードバック

    1. やりがい感じて、手弁当、それに近い待遇で喜んで働く人、業界もあるので、給料による錯覚ではないと思います。

      シン

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      1.  仕事にやり甲斐を感じていて一定のレベル以上の成果を上げていた(成果は数値で出なかったりしますが)としても、業界的に
        世間並以下の収入しか得られない事が長年続くと搾取されてる感が強くなり、たとえやりたくてやっている仕事だったとしてもモチベーションが落ちてくると思います。

         逆に、納得できる十分な報酬を得られるのなら、短調だったり、発展性が感じられないそれほど面白いと感じない仕事でも”やりがい”を得られるものなのでしょうか?そうなった事がないのでわかりませんが・・。仕事としてやる以上報酬に納得できる事は最終的には重要と思います。

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        1. ひもじさを感じるレベルの報酬しか受け取れない、となると、やりたいこと、やりがいがあっても不満になるでしょうし、労働強度にくらべて待遇さえ良ければ、つまらない仕事もそこそこ楽しめます。割高の報酬でいい思いできますが、それは優越感に浸れるだけではないでしょうか?だから、やりがい求めて、好待遇を投げ打つ人は少なからずいます。

          待遇の為にやりがいを犠牲にしている人は相対価値を見出しているように見受けられます。大企業に勤めてる、役職がある、平均よりこれだけいい給料もらっている、という優越感にやりがいのような錯覚をするので、やたら、人と比べないと気が済まないのでしょう。相対価値にハマると、無間地獄です。

          人が年老いた時に一番後悔するのは挑戦しなかったこと、らしいので、やりがいを感じないことを惰性で続けて、少々人よりいいお金をもらい、贅沢しても、金銭的に不自由しても、やりたいことをやったほうが後悔は少ないのかもしれません。

          シン

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