じゃあ、私立校受験

日本の教育システムで、あえて私立校に行くべきケースってほとんどない、と思うのですか、行かせたがる親は多いです。理由は見栄以外の何物でもないでしょうが、見栄は人生を大きく狂わせます。

トップ

私立校に行く、と言うのが、開成、灘、だと言うなら、理解できます。でも、ほとんどの人はトップ私立校に行くわけでもないのに、お受験して、中堅校なり、大学までエスカレーターの中高に進学します。これって、どんな合理性があるのでしょうか?単に無駄遣いしているようにしか感じられません。

公立校の地域トップ校以下の進学実績しかない私立校に進学する意味ってなんですか?その答えがはっきり答えられないなら、それはつまらない見栄でしょう?そんなつまらない見栄のために限られた資金をつぎ込む意味ってなんでしょうか?公立は子供、教師の質が、と言いますが、最低限の環境が整えられているなら、あとは本人次第です。

実家が裕福でもないのに親の見栄で意味もなく受験して、中学から私立で、学資ローン漬けになって、社会人になってヒーヒー言っている人がいますけど、親が頭が悪かったために、借金背負って、苦しんでいるんですよ。惨めだな、と思います。働いても、働いても、それが過去の無意味な支出を埋めるために消えていくなんて、ため息しか出ないでしょう。

高度経済成長期は大学の学費って、格安だったので、ともかく少しでも偏差値が高い大学目指して、少しでも大きい企業な入れば、割高の給与で、学資ローンはあっという間に返せたんですよ。だから、借金してでも、とにかく学歴をつけるっていう考え方も理解できるのですが、現状に全くあっていません。500万借金して、大卒になって、年に50万返していくなら、10年かかります。それに見合う価値があるのでしょうか?

無料

学費無料どころか、お小遣いまでくれるなら、それはプロですので、喜んでいけばいいでしょう。学力、スポーツ推薦なんかで、厚遇されている子供は才能があるのだから、それを非難する理由がわかりません。なんでも才能があれば、それを支援する人はいるものです。

非営利団体の公立校があからさまな区別をするのは許されませんが、営利団体の私立校が団体に利益をもたらす可能性のある子供を優遇して何が悪いのでしょうか?日本に蔓延る悪平等の考えがどんな場合でも不平等を許さないのでしょうが、世の中なんて、不平等が大前提でしょう。

資本主義をひた走るアメリカは何かの才能がある子供は学費なんて払わないし、それどころか子供に企業スポンサーがついて、あれこれ援助してもらうことが当たり前です。そうして、才能が開花するから、アメリカには偉業を成し遂げる人が多いのでしょう。

テニスの錦織さんもソニーからお金もらって、アメリカに渡り、才能を開花させましたけど、テニスが上手いだけで、優遇されるなんてズルい!、錦織さんは日本で自腹でトレーニングして、世界を目指すべきだ!っとか言うわけありません。才能開花させるのにはお金が要りますからね。

大学

大学も国立の方がいいに決まっているけど、国立に入れないから、私立に行くなら、理解できます。国立がどんどん値上げしたので、学費はそこまで変わらなくなったけど、国立は設備が違います。その点では設備など関係ないマスプロ講義しか受けない文系は国立のメリットはあまりありません。

学力的に国立理系は無理だけど、私立理系は可能だと言うなら、その投資は回収できる可能性が高いので、やってもいいと思います。高いから、理系を諦めて、文系に行って、まともに就職できない方が明らかにリスクが高いです。文系の就職率はひどいものだし、その内容も悪いです。

なんの取り柄もなく、やりたいこともない子供が実家から通える近くの私立文系に行くのは理解できなくはなく、意味もなく大卒が応募要件になっている仕事がたくさんあるので、ともかく、大卒資格だけでも取っておこう、と言うのは消極的ではあるけど、仕方ない一面があります。

Fランであれ、機電には入って、卒業できるなら、なんの取り柄もない、とは言いづらく、多少なりとも理系の素養があるだけでも、立派な才能だと思います。それを磨いていけば、技術として認められ、専門家になることも可能です。多くの子供は最低限の努力すらできないです。楽そうなことに手を出して、文句だけ言っていることを選びます。

しかし、大学で文系専攻しても、何か身につくものがあるわけでもなく、大卒資格をお金で買うみたいなもので、何かしらの方法で他人と差別化して、生き抜く方法を考えないと、淘汰されてしまうでしょう。大卒文系は完全に余っているし、ITによってもっと余ってからことが確定しているグループに所属することになるわけですから、呑気でいられません。

まとめ

いつも言っていますけど、着地点のはっきりしない行動って、投資ではなくて、見栄でやっている浪費なんですよ。見栄は張れば張るほど、落ちぶれる可能性が高くなる危険な感情です。見栄をコントロール出来ない自覚のある人、パートナーにそのけがある人は気をつけてください。

庶民にとって学校は就職を有利にするために行く場所でしかないので、それ以外のことを考える必要はほとんどありません。そして、就職をする時に中高をどこに通ったかなんて、ほとんど見られませんので、ここに力入れる意味もないです。よほど何かないなら、近くの公立に行けばいいのでは?

限られた時間、お金を何に集中してつぎ込むか?、が人生の大きな分かれ道で、ここで無駄遣いすれば、一生、資本家から搾取される人生を歩んで行くことになるでしょうから、よくコスパを考えて、教育問題に取り組んでください。多くの人にとって、住宅の次に高い買い物です。

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ニコ
7 years ago

私のように全くエンジニアとしての適性が皆無な人でも理系の大学を卒業するだけの価値はあると思いますね。

とりあえず、数学、物理、化学が死ぬほどきらいでなければ進学すればいいと思います。
やっぱり合わないと思えば文系就職すればいいですし、大学の勉強が苦手でも最低限卒業できたなら仕事はなんとかこなせる場合もあります。好きでなくても向いてくることもあります。
また、クビにできないので設計、開発が合わなくても知的財産部やセールスエンジニアみたいな仕事も用意してくれます。

それでも、嫌になったら営業や管理部門に配属を変えていただくこともできます。会社から能力が低いとみなされたりしてもなんとかなります。毎年何人かそういう人がいますので大丈夫です。

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ニコ
Reply to  シン
7 years ago

知ってる人で10年たってもエンジニアとしては新卒以下の人もいます。
事務職でも入社は、理系で技術職の人が多いです。

良いか悪いか別にして、個人の細かい適性までわかりませんし、勉強が苦手でも仕事はできる場合もあるしその逆もあります。入社してしまえばなんとかなるので敢えて文系を選ぶ必要はないですね。

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Garfield
7 years ago

私は地方出身で幼稚園から大学まで全部国公立ですが、東京に初めて住んだ時から10年以上経過しても知らない私立校だらけです。地方でも有名な私立校を除くと、地方の進学校の方がはるかに受験の実績が良い場合が多いので、何でわざわざ高いお金を払って行くんだろうというのが率直な感想です。ブログの通り、やはり親の見栄が動機なんだろうなあとは思いますが見ていて滑稽です。

実際今後子供をいつか学校に入れることを考えると、どの学校がどの程度のステータスなんでしょうかね?学校名を見ても私には全然ピンと来ないです。つまらないステータスよりも実を取らせたいですが、地方県よりも東京や神奈川の公立は荒れてそうな気もするので、実際ある程度名の通った私立に入れたほうが良いのかなあとも思っています。私としては自分の子供に開成や筑駒を薦めたいです。やっぱり経験上地域のトップ校(特に高校)はいろんな意味で楽しいので。

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Garfield
Reply to  シン
7 years ago

ご返信ありがとうございます。子供がまだ就学義務年齢前なので、じっくり(とは言いつつ早めに)段取りを組んでいきたいと思います。

首都圏の学校案内を読んではみたのですが、何だか学校が似たり寄ったりで判断が難しいですね・・・。ご指摘の通り何となくとか、皆やっているからとかいう意味不明な理由で私立に入れるのは避けたいです。時間がまだあるので、見学可の学校であれば実際に足を運んで自分の目で見て確かめようと思います。国立というのも面白い選択だと思いました。

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jjj
7 years ago

私は中高一貫私立 →やめて県立高にいきましたが、私立の最大のメリットは環境だと思います。
大学受験レベルの勉強なんて自学自習で可能のため、確かに環境に意味はないと考えがちですが、子供は周辺環境に流されがちで、周囲と異なる意識を保つことは困難です。いま、県立高の友人と中学の友人の収入を比較したときに、中高一貫6年間の学費差分の投資は回収できるのではないかと考えています。
(※もちろん、もっともコスパの良い方法は公立で自学自習ですが。)

3+
ラスカル母
7 years ago

私立の学費は大した出費ではないのですが、その為に子供時代の最後を塾漬けにするのがどうにも勿体ない気がして、なかなか踏み切れません。公立中学で殺人事件が起きているようなら考えますが。環境が私立の方が居心地がよいのは十分理解できますが、多少逆境に揉まれた方が子供にはよいのではないかと思います。

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7 years ago

こんにちは シンさん

 私の住んでいるところは「私立=頭がいい、金持ちが行くもの」という事がまかり通っているので、この記事には正直な話違和感があるのですが、「いい勉強環境が欲しい、医学部に行きたい」という希望があるのであれば、中高一貫校に行ってもいいのではないか?と思いますね。

 ただ、頭が悪いのに私立の中学・高校にわざわざ高いお金を出していく行為については正直な話、無駄遣いに近いのでやめておいたらどうだろう?としか言いようがないです。そういう浪費に近いことをするより、看護師の高専とか工業高校などに進学してインフラの企業に就職することを目指したほうが本人のためにもいいのではないか?と思います。

 私の知り合いに英語の教員をしている人がいるのですが、その方が言うには、工業高校に進学して資格をとっておくのもいいのかもしれないと仰っていましたね。電気関係の資格を取ったあとにインフラ関係の大きなところに就職した子がちらほらいるそうです。こういう事例を幾つか聞くと、「凡人には機電に行っておけ」とシンさんは仰っていましたが、それは納得できるものが有ると思います。

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ran
7 years ago

シンさんは、私大に特にメリットはないといっていますが、僕はあると思いますよ。
ちなみに、僕は駅弁大学工学部ですが。
文系は国立私立関係なくコスパが悪いので、工学部の機電についてのみ論じます。
1.入試科目が数学物理英語だけ
国立だと、古典と化学、社会をやらないといけません。
現代文や公民はノー勉でも余裕ですが、地理や古典、化学はしっかり勉強しないと死亡します。
機電だと、数学物理英語が全てですから、関係ない科目はやりたくない人には適した入試制度です。
ノーベル賞の中村さんも暗記科目はからっきしだったらしいです。
2.下宿して国立と自宅から私大なら、大学にもよるが学費はさほどかわらない。
3.都会にある。
遊ぶだけでなく、都会の方が人生経験は豊かになると思いますし、就活のときすごくラクだと思います。
都会の国立は難しすぎるので、国立に行くとなると基本都落ちしないといけないです。
4.自分の大学だと、学部から博士までオール私立の教授が意外と多いです。
教授は、旧帝大など国立大卒のイメージがあったので、意外でした。
私大といっても、早稲田や慶応や海外の大学ではない、明治や立命館、東京電機などです。
トップレベルの私大でなくても、教授になる人がいるなら、それなりのレベルはあると思います。

以上の理由で、僕がもし東京都民なら芝浦工大あたりにいっていたと思いますよ。
都会民には、自宅からそこそこ私大工学部はコスパ最強だと思います。

1+
ニコ
7 years ago

よくお金持ちのボンボンが、トップ校以外の私立の中学校を受験させてるのを見ますが高校までその金を貯金して大学に例えば、中堅私立でも薬学部のような学科に入れさせてあげたほうがいいのになと思うことがあります。
知り合いでも薬学部は国公立でないととかいう家庭が多いです。

私は兄弟がいたので身内のとこで下宿できる場所でないと私立に進学させてもらえなかったのにと思うともったいない気がします。

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カッペ
6 years ago

地域によって違うので適当ですがw

公立を落ちたので滑り止め私立に行った。
内申重視県なのに積極性がなかったり実技が苦手なため私立に行った。
中高一貫が進み高校から入れるところが激減したので中受で私立に行った。
公立は部活も1年半位で受験へシフトしていくため、5年位打ち込める私立中高一貫へ行った。
塾の費用なしが期待できるので、時間費用のコスパから私立に行った。
親が公立の緩い風紀が気に入らないので、私立に行った。
宗教教育が期待できるので私立に行った。
地域の受験熱が高く、公立中が優秀層が抜けた絞りかす、荒れているため私立に行った。
おっとりした家庭で、おっとりと女子大、親のコネでおっとりと就職、親のツテでおっとりと結婚専業主婦になる予定なので、おっとりとした女子校に行った。

4+
dw
5 years ago

身の回りでもいますが、中学受験のために塾漬けの子を見るとかわいそうだなと思います。
ところで、中学受験の勉強をした子としてない子、高校受験時点での学力で差が出るのでしょうか?
個人的には、中学受験はコツがいるので、そのコツを知ってるか知らないかが問題であり、頭の良し悪しには影響ないと思うのですがいかがですか?

中学はグレ始める子が出てくるので、できればそういう子がいない環境においてやりたいなと思う気持ちもあります。自分の場合は、ヤンキーがたむろしてるような中学より、進学高校の方が断然居心地が良かったです。公立中学でそのような進学中学があれば良いのですが。

3+
マグナム
Reply to  dw
5 years ago

dwさん
>中学受験の勉強をした子としてない子、高校受験時点での学力で差が出るのでしょうか?
→中学受験と高校受験の両方を塾で教えていましたが、単純な積み重ねだけを考えれば、学力で差は出ると思います。
理科、社会、現代文においては、中学受験と高校受験(公立高校)では、テキストの難易度はあまり変わらないように思えました。
範囲は異なりますが、中学受験の時点で、高校受験(公立高校)レベルの問題を解ける学力があれば、圧倒的に有利です。
しかし、中学受験失敗→公立中学でやる気を失い勉強せず→中学3年の夏から高校受験向けの勉強を始めた生徒と、
小学校時代をのんびり過ごし、中学2年の夏から高校受験向けの勉強を始めた生徒では、後者の方が高校受験では上位に来るのではないか、と思います。
算数の場合は、数学と大きく異なるので、そのまま役に立つことは少ないと思います。ただ、思考の訓練にはなるので、やっている方が有利でしょうね。
まあ、基本的に中学受験は、中高一貫で効率的に大学受験を突破するのが目的なので、両方経験する人は少ないと思いますが…。

>中学受験はコツがいるので、そのコツを知ってるか知らないかが問題であり、頭の良し悪しには影響ない
→受験指導をしない筑駒が東大進学率一位なのは何故でしょうか。
中学受験で頭の良い生徒を選抜出来ているからだと、私は思います。

2+
dw
Reply to  マグナム
5 years ago

マグナムさん

ありがとうございます、中学受験には疎いので参考になりました。

>>中学受験はコツがいるので、そのコツを知ってるか知らないかが問題であり、頭の良し悪しには影響ない
>→受験指導をしない筑駒が東大進学率一位なのは何故でしょうか。
>中学受験で頭の良い生徒を選抜出来ているからだと、私は思います。
少しズレていると思うので補足しますが、ある個人が中学受験をした場合と、していない場合で学力に差があるのか、という質問でした。マグナムさんの言うとおり、思考トレーニングにはなるのでしょう。

>まあ、基本的に中学受験は、中高一貫で効率的に大学受験を突破するのが目的なので、両方経験する人は少ないと思いますが…。
参考になりました。中学受験・高校受験両方あるものだと思っていました。

1+
マグナム
Reply to  dw
5 years ago

dwさん
>少しズレていると思うので補足しますが、ある個人が中学受験をした場合と、していない場合で学力に差があるのか、という質問でした。マグナムさんの言うとおり、思考トレーニングにはなるのでしょう。
→すみません、一部勘違いしました。補足いただき、ありがとうございます。

ところで、ある個人が高校受験をした場合と、していない場合(中高一貫)ではどうでしょうか。
先取り学習をする上位中高一貫校では、授業に付いて行くために毎日勉強をする上、効率的なカリキュラムを組めるので、高校受験の無い方が、学力が高いです。
しかし、下位中高一貫校や私大付属校だと、中学での学習内容を理解しないまま高校に進学出来てしまうので、高校受験をした方が、学力が高いのでは、と思います。

0
dw
Reply to  マグナム
5 years ago

マグナムさん

知り合いの中高一貫の子どもでは、やる気がなくなってしまったりするみたいです。
ある程度のレベルならば中高一貫のほうが効率がいいですが、それでなければだらけてしまい良いことはないかもしれませんね。
高校受験のためのブレイクは勉強面はもちろん、部活などでも一旦体力が落ちるので非効率だなと思います。環境をリセットしたい子にはいいかもしれませんけどね。

また、東京23区で公立中高一貫で探すと、17,18くらいしかないので、どうしたものかなぁと思います。

0
マグナム
Reply to  マグナム
5 years ago

dwさん
公立中学は真ん中のレベルに合わせるので、中学受験で上位層が抜けるとかなり残念になりますね。
昔の公立中学のように学力別クラス編成をしなくなったので、出来る生徒は中3にもなると授業中は暇を持て余し、夕方から塾で本気を出すようになります。
真の平等とは、クラスのレベルを均一にするのではなく、金が無くても能力に合った教育が得られることだと思うのですが…。

1+
マグナム
Reply to  マグナム
5 years ago

>日本の公立校なんて十分な質であり
→仮に公立中学が3クラスあるなら、上中下に分けて授業をすべきです。すべて中にすると、上レベルの生徒は退屈し、下レベルの生徒は付いて行けません。

親曰く、昔は公立でも学力でクラス分けをしていたが、平等(?)の観点から学力別クラスを止めたそうです。
(地域差が大きいと思いますが)

今の制度では、中レベル以外の教育を受けたいなら私立か、トップレベルの国立中学に行くしかありませんが、行ける人は極一部です。

公立中学が学力別のクラスにすれば、進学塾、補修塾いずれも必要性が減り、財力による学力差が減ります。

公立中学では学力の高い生徒が暇を持て余し、学力の低い生徒も付いて行けずに暇を持て余しています。

学力別クラス編成によってこれらを改善すれば、お金を掛けずに平均学力が上がります。

文句があるなら私立に行け!
という公立校の言い分には納得が出来ません。

4+
マグナム
Reply to  マグナム
5 years ago

>教育とは自分がしたいことに近づく為、人生の満足度を上げる手段なのに、目的になってしまう考え方は極めてバカらしいと思います。
→同意です。

>学力順にクラスを決めて、無駄なストレス、競争心を煽るやり方など、バカらしいも良いところです。まだ、シンガポールではしてますが、人格形成に最悪だな、と思います。
→国家全体の学力を向上させるために、公教育はどうあるべきか、議論の余地があると思います。

小学校:受験なし、学力クラス分けなし
→教師の保護のもとで社会性を学ぶのが主目的であり、落ちこぼれる児童も少ないのでこのままで良いと思います。

中学校:受験なし、学力クラス分けなし
→学力差が付いて来るので、学力クラス分けが必要だと思います。
学力の高い生徒は退屈ですし、学力の低い生徒は落ちこぼれます。これは非常に勿体無いです。

高校:受験あり、学力クラス分けなし
→受験によって学力で高校が分けられるので、学力クラス分けは不要だと思います。
しかし、高校の選択肢が少ない田舎では、学力クラス分けをしても良いでしょう。

韓国では高校受験を廃止し、住所によって高校が決まるようですが、日本もそれに倣うべきでしょうか?
生徒のレベルがまとまっている方が教育効果が上がるので、学校選択制(高校受験)は必要だと思います。
同様に、中学でも学力クラス分けをした方が、教育効果が上がります。

ストレスになったり、競争心を煽ったりするのは駄目ですが、手つなぎゴールのような制度は、日本の衰退に繋がるのではないでしょうか。
飛び級を認めるのも、良いかも知れません。

1+
dw
Reply to  マグナム
5 years ago

私は中学でのクラス分けがあってもいいと思います。
公立の中学は玉石混合すぎて、be動詞が理解できないような子や学校に来ないヤンキーの子と、東大にいけるようなレベルの子が同じクラスにいることがあります。
私は、学校の意義は「楽しく過ごせること」だと思います。それにより素直で真っ直ぐな人間性が育ちます。
中学から人間性に差がつき始め、優等生組はヤンキーに気を使って過ごすようになります。それでは楽しくないので、できるなら気を使わないメンバーの中にいれて生活・勉強するのがいいと思います。学力は会話レベルに比例すると思いますので、クラス分けはそういう意味でも効率的だと思います。中学校では大人しくしていた優等生組が、高校になると途端に楽しそうにする姿を多く目にしました。
またクラス分けをしたところで、勉強偏重になるとも思いません。ただ、「学力が低い」クラスは作る必要はないと思いますね。

>灘、開成は高校からも受け入れていますが、高校組の方が大学進学実績が良いそうです。
これは気になりますね。もしそうなら、色々考え直す必要がありそうです。
東大への進学実績では、中高一貫校のほうが有利みたいです。それは中学から効率のよいプラグラムを敷くからだと思っていましたが、その学校が教えるのが上手or単に頭のいい子が集まりやすい、からでしょうか。

4+
イワノフ
Reply to  マグナム
5 years ago

十数年前まで中学生をやっていた立場からすると、僕はマグナムさんの意見に同意します。

僕が中学校のときは、学校の進度が塾の進度よりも常に遅れており、授業が退屈だったからです。ホームルームを無くすところまで行く必要はないと思いますが、中学校での教科ごとの習熟度別のクラス分けは最低限必要だと思います。

同じ授業を習熟度がバラバラの生徒40人が一斉に受けても理解度向上の妨げになるだけです。はじめから習熟度別でクラス分けした方が教員・生徒双方の負担低減になりますし、生徒の理解度に合わせて難易度を調整することが容易になります。税金と時間を使ってやる以上、効率の良いほうが望ましいと思います。

それに、定期テストの点数や成績という形で個人差が可視化されてしまう以上、クラス分けをしなくても競争の発生は避けられません。既存の方式をやめて、公文式や寺子屋方式のような個別の習熟度別学習主体にするしかありません。

3+
イワノフ
Reply to  マグナム
5 years ago

確かに僕の場合、塾通いしなければトップ層にはなれなかったと思います(上位にはなれたと思いますが)。でも、塾通いをすること自体はごく普通のことです。テストの点については、中学生の環境下で『俺はテストの点数を言わない』という姿勢を貫くのは周りとのコミュニケーション上、なかなか難しいことです。

僕が公立中学に通っていたころを思い返すと、周りの人間の8割は塾通いをしていたと思います(首都圏の話です)。学力レベルは関係なく、上位・中堅・下位問わずです。結果的にみんなが学校の先取りをしているので、センスの有る無しの話でもないのです。塾に通わせない家庭は子供の学力に無頓着か、とくに貧乏なところだけでした。僕は高校は一番いいところの県立高校に進んだので、中学時代にまして塾・予備校に行くのは当たり前のことという認識でした。

そして、特に公立中学校の場合は授業がダメなだけでなく、DQNが暴れまわって荒れているために生徒が安心して勉強できないケースがあります。こういうところでは教員側も神経質になっており、些細なルールで生徒を叱ったり束縛を強めてくるもので、不必要に強いストレスを受けやすいのです。公立中学校より私立の中高一貫校が選ばれる理由の一つです。

こうした理由から、親・生徒のどちらからも公立校の教育は信頼されていないのです。学力を担保するためには教材・授業の質がよりまともで、学習環境の整っている塾・予備校、時には私立中高に通わざるを得ないというだけのことです。

受験産業が発達しているのは利権でも何でもなく、既存の公教育システムが社会のニーズに応えられないまま温存されているからと言うほかありません。公立校(とくに中学)の存在意義は、金がかからないのとDQNと底辺の生態を身をもって体験できる(叩き込まれる)くらいではないかと思います。

6+
イワノフ
Reply to  マグナム
5 years ago

長いものに巻かれろではないですが、僕自身は塾に通ったことはよかったと思っています。学力の底上げになったという実感が確かにあったからです。学校の中身の薄い教科書と授業だけでは絶対に達成できなかったことです。とはいえ、これ以上は平行線になりそうなのでこれ以上の議論は避けます。

あと、習熟度別クラスに関しての言及をしていませんでしたね。

僕個人としては習熟度別クラスはやっぱり必要だと思います。上位の少数派のためだけではなく、下位の人たちのことを考えても絶対に必要になります。中間層だけを想定した授業で、できる生徒の学習を足止めし、できない生徒にはわからない部分のフォローをしないままやっても、生徒全体のためにならないからです。

少なくとも習熟度別クラスを導入するにしても選択制にすれば角は立ちません。例えば中学校において教科ごとに発展クラス・普通クラス・基礎クラスなどのように分けることができると思います。

先取りをしたい生徒には発展クラスを希望させて本人のペースを尊重して学習させる。一方でまったく中学レベルがわからない生徒には基礎クラスで小学生レベルでも何でもいいので立ち戻ってやり直し、そこからできるところまで理解度を高めていく。

こうしたやり方のほうが、ガチガチの学習指導要領に沿って全員が同じ授業を受けさせられるよりもずっと健全ですし、教育効果も高まると思っています。勉強に限った話ではなくて、スポーツだって野球の上手い中学生ならシニアのチームでやりますし、サッカーならユースチームに入るものです。レベルで分けることはいたずらに競争を煽る性質のものでもありません。

結局は棲み分けをした方が人は肯定感を得やすく、個々人の長期的成長には有効に働くと思います。

3+
ニコ
5 years ago

私もシンさんの意見に賛成ですね。
受験生や高校生には、勉強しなくていい言い訳になるので言わないですが、教育って何のためにやるかは人生の満足度を上げるためですね。
偏差値追いかけてもいいことないですからね。
物の例えで受験に例えますけど。

0
くろねこ
Reply to  ニコ
5 years ago

ニコさん

教育とは、教育産業の金儲け、ですねw
高校、大学、予備校などなど。
本来、小学中学の指導要領を完璧に習得すれば教養程度の学力は全く問題無いはずなんですから。
それ以降は、何をして稼ぐか?を習得すべき話なんですよね。
実際には、自動的に進級する仕組みのおかげであほうが量産されてますけどもw
義務教育だと言うのならば完璧に習得できるまで延々と留年させるべきだと思いますw

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Y
5 years ago

シン様
>>与えられる環境に文句を言っても楽しくはならないのは大人とて同じなので、中学生くらいで、自分が考えて退屈を潰せば良いです
→自分が通っていた公立中学の教師がこれをさせてくれなかったんですよね。授業の進度が遅くて退屈だと思った生徒は教科書の先の範囲を(もちろんその時間に授業がなされている教科です)一人で読んだりしていても問題ないと思います。しかしそれを妨害する教師が一定数いたのです。(退屈で教科者の最後の方のページを一人で読んでいると、「Y君、今授業で説明しているのはそこじゃないぞ」というお咎めを度々貰いました。それが半端なく息苦しかったです。→違うだろ教師が咎めなきゃいけないのは要点もろくに理解もしないで漠然と板書を写している生徒だろ。情報の選択眼を有さずに思考停止になっていることの方が学業にとってはよっぽど害悪じゃないか。これじゃ社会に出ても自分の頭で考えるようにはなれないぞ。という言葉を必死で呑み込んだものです)
そこまで自分の授業に生徒全員の意識をフォーカスさせたいならば、レベル別に授業しろよと思ったものです。さらに板書をノートに書き写すことを強要するとか半分人権侵害ですよね。情報の取捨選択権は基本的に情報の受け手である生徒にあるのに・・・。
大学に進学して麻布中学や武蔵中学に通っていた生徒に話を聞くと彼らの中高時代が心底羨ましくて仕方なかったです。彼らは10代の多感な時期を自分の興味を少なくとも教師には阻害されずに追求出来て、それを共有できる仲間に恵まれて・・・。
従って習熟度の高い生徒が授業中に先取りをしていてもそれを許容するとの条件付きであれば、公立学校でレベル別に授業をする必要は無いと思いますが、それを許容できる器の大きい教師なんてわずかですよ。そう考えるとレベル別にするのは致し方ないと思います。
今までのコメント読んでいて、違和感が一つあります。ぬるりの読者さんはそれなりの高学力の方が多いので、レベルの高い生徒が遅い進度に合わせるのが非効率という視点での意見が多かったのですが、むしろ逆にレベルの低い生徒にとってこそ習熟度別クラスは有効なのではと思うのです。
残念なことに小学生レベルの筆算が出来ずに中学を卒業してしまう生徒が一定数います。そうした生徒に最低限の四則演算を理解させて社会に送り出すのは、社会にとってそれなりに有意義かとも思います。義務教育である以上、義務に見合う学力レベルの生徒をを少しでも多く社会に送り出すのが本来のあるべき姿ではないでしょうか?
(Fラン大学で筆算や方程式の基礎をやり直すとか正直手遅れです。) 

7+
ニコ
Reply to  シン
5 years ago

シンさん
私は、わりと中学校の授業は好きでした。多くの先生は、教材研究もよくやってわかりやすく教科書を進めてくれて学校が好きでした。
私の友人で中学校の英語の先生になった人は高校の先生は受験対策でつまらないから中学校にしたと言ってました。
なので、公立中学の内容ってそこまで悪いもんじゃないと思います。

授業面白くないですか?

2+
Y
5 years ago

シン様
>>まったく選抜されていない公立中学だと、一軍から五軍みたいな分け方になり、殺伐とした空気になるでしょう。実際、それをしていた団塊ジュニア世代なんかは校内暴力全盛期です。まったくメリットを感じられません。
→一つ質問なのですが、そうした習熟度に応じたクラス分けシステムと校内暴力にはどういった相関関係があるのでしょうか?

1+
Y
Reply to  シン
5 years ago

シン様
回答が遅れてすいません。気が付いたらこんなにもコメント欄が盛り上がっており、驚いております
>>質問に答えず、逆質問をするということは良い実例はないという事でよろしいですか?→申し訳ないですが、どの部分がシン様の質問にそうとうするか教えていただけないでしょうか?
>>実際、それをしていた団塊ジュニア世代なんかは校内暴力全盛期です。
→習熟度別授業と校内暴力の相関は0とは言えないですが、比較的低く、それよりも高度成長期を経て1970年代に急速に進んだ核家族化。ニュータウンの開発により、従来なんの縁もゆかりも無い人(日本国内での微細なバックグラウンドが異なる)達が集うことになったことの方が因子としては大きいと考えております。
2003年には文科省が学習指導要領に習熟度別指導が可能であると明記)それに伴い、全国での公立小中の習熟度別授業が2000年代初頭では実施校は四割くらいでしたが、現在では七割くらいに増加しています。そしてその時の校内暴力での小中学生の検挙、補導人数は1000~1500人で推移しています。(2000~2010年代)
その一方で、昭和55年~60年代初頭(1980年代)では5000人から10000人で推移しています。
http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/58/nfm/images/full/h7-2-1-4-02.jpg
こうしたことから習熟度別授業が校内暴力などの直接的な原因とはどうしても考えにくいのです。1980年代に習熟度別授業がどのくらいの割合で実施されていたかのデータが探せなかったのですが、少なくとも文科省が正式に学習指導要領の習熟度別授業が可能であると明記した2003年以降よりも実施割合は少ないはずです。
統計データのみを抽出すると新潟県の中学校の教員数と生徒数の年次推移のデータがサンプルとして容易に抽出できるので、それによると1980年代の教員一人当たりの生徒の人数が約18人、2010年では約12人です。よって1980年代の方が明らかに習熟度別授業の実施は困難であったと考えられます。

強いて言うならば、1980年代くらいまでは業者テストを公立中学校で導入し、それに基づいた進路指導や定期テストの成績優秀者を校内に張り出すなどの学力偏重型の評価を行っていたことは間違いなく、それが学力下位層や貧しくて家庭内教育が覚束ない生徒の劣等感を扇動し、非行に走らせたことは一理あるかもしれません。

3+
イワノフ
5 years ago

(※超長文なので注意)

> シンさん

僕は逆に聞きたいのですが、そこまでして塾や予備校を私学を嫌う理由とは何でしょう。塾でもコーディングを学ぶのならば社会的ニーズがあるからOKで、高等教育で必要となる数学や英語を学ぶのは受験対策で本質を考えないからNGなのですか。どうにも理のないことに思えますが、いかがですか。議論しても結論が出るものではないと思いますし、単に志向の問題かと思います。

僕自身の話になりますが、公立小中校での授業がほとんど自身の学力向上に役立ったためしがないのです。逆に、学研や地元の進学塾は大いに役立った記憶があります。公立校の授業のレベルが低くて不安だから、テキストも授業の質がずっと高い塾や予備校に通う、という理由では駄目なのでしょうか。

多額の金をかけていながら、生徒や保護者からの信頼度がそこいらの民間の塾・予備校にすら劣る公立中高の存在意義とは何でしょう。私立中高に人が流れるのも実利あっての選択で、公立校に需要がないから避けられているということではないですか。僕の通っていた県立高校だって、学校の授業がまったく当てにならないからとみんな自分で勉強し、おのおのが塾や予備校に通って勉強していたんです。

学力が真ん中以外の人間にひたすら我慢や暇つぶしを強制し続けることに意味がありますか。それに、わからない授業を適当に聞きながしていれば劣等生が劣等感を持たずにすむわけでもありません。偽善的な平等の幻想などさっさと捨て、格差があることを認めた上で教育制度を再構築すべきです。そうでなければ、有効な施策は打ち出せません。

授業が退屈ならば自ら暇つぶしを考えろ等と、教育制度の構造的欠陥を個人の努力問題に帰着すべきではありません。

〜〜〜

習熟度別クラス編成の効果については、なかなか信頼性のある資料が少ないです。自身の主張に都合のいい資料を挙げるならば以下のようなものになるでしょうか。あくまで少人数の話ではありますが。

『習熟の遅いグループに対する少人数指導を行った学校に在籍する低学力層の児童生徒は、学習に対する関心・意欲・態度に関する質問項目に対して、肯定的回答をする児童生徒が多い傾向が見られる 』

http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/21/03/__icsFiles/afieldfile/2009/04/01/1259912_1_1.pdf

〜〜〜

校内暴力と成績別のクラス編成との相関についてはどうもハッキリしません。これらに相関があることの論拠とは一体何でしょう。団塊ジュニア世代が中学生だったのは1980年代前半〜後半にかけてですが、その時代に校内暴力の件数が際立って多いというデータはなく、むしろ最近のほうがずっと多いという結果になっています。

http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/29/10/__icsFiles/afieldfile/2017/10/26/1397646_001.pdf
8ページ / 学校の管理下における暴力行為発生件数の推移

昔なら校内暴力として認知されなかったものも数多くカウントされているというのはあると思いますが、人口が減少し、学力競争が昔よりはるかに落ち着いているはずの現在の方が校内暴力の件数が多いことの理由が説明できません。今の生徒が昔の生徒よりずっと暴力的になったからという結論もナンセンスです。

団塊ジュニア世代が校内暴力全盛期だったというのは単なる印象論であり、校内暴力と成績によるクラス分けとに有意な相関はない、とみるのが適当ではないですか。

〜〜〜

ギスギス・殺伐というのはつかみどころのない議論ですが、『生徒間の競争の増加=ギスギス、殺伐』という前提でお話をされているようです。僕が思うにギスギスというのは互いが疑心暗鬼に陥り、少しでも得をしてやろう・他人を出し抜いてやろうという心理状態から生まれるものだと思いますので、こうしたものが発生しないような習熟度別クラスの作り方を考えてみます。

① ノーレイティング (生徒の成績を一律で5)
② 教室分けせず、同一教室での習熟度別学習 (いわゆる公文式)

①であれば勉強が出来る・出来ないの差では成績の差が発生しません。必ず内申点が取れるので、みんなを納得させられます。いくら習熟度別でクラス分けをしようが誰にも損はないので殺伐とする必要がありません。現在の学校教育では、相対評価ではなく絶対評価なので、全員に5をつけても問題ないことになります・・・

これは極端な例ですが、ノーレイティングではなく、個人の到達度にインセンティブを与える方式も考えられます。生徒ごとに到達目標を設定し、個別に難易度調整した試験で合格点をとるか、指定された単元まで到達できれば成績5を与えるというものです。他人を出し抜く必要がなく、個々の努力次第なのでやはり殺伐としようがありません (逆に上位層へのインセンティブの薄さが問題になりそうですが・・・)

②のケースでは、習熟度別での教室分けを行いませんが、公文式よろしく同じ教室で生徒一人ひとりが自分のペースに合わせて学習します。これであればむやみに他の誰かに劣等感を抱かせるような心配はありません。

習熟度別クラスが本当にギスギスとした環境を生み出すかは個人的には疑問ですが、もしそれが事実だとしても、制度設計や運用次第でいくらでも回避することが可能だと思います。

スポーツ選手に至っては、才能あっての世界でありパフォーマンスや待遇の差が出るのが当たり前で、クラス分けするのは止むを得ません。クラス分けの粒度はどうとでも出来ますし、チームの方針次第です。ここではこれ以上の議論はしません。

〜〜〜

自己肯定感というのは、ただの出来る奴の優越感とは違います。以前の自分を基準とし、自分が前よりも成長できたとして、自身の成果を肯定的に捉えられることです。これは人が持続的に成長するためにはいちばん大事なことです。

自己肯定感を得るのに、必ずしも他人を見下す必要はないのです。相対主義の精神で、常に他人と優劣の比較をしていたら誰でも不幸になるに決まっています。勉強でもスポーツでも音楽でもどんな分野だってそうです。僕だって高校時代は他のできる奴との埋めがたい差でいつも悩んでいたのです。

それでも、前に進むためにはどこかで自分より優れた人間への際限のない妬みを断ち切り、自分のやるべきこと、自分の得意分野をまずは見つけなければならないのです。別に勉強が苦手だったとしても他の得意分野があるなら、劣等感に溺れる必要はないのです。

日本の公教育の問題点は、モノサシが成績とテストの点と部活動くらいしかなく、多様な才能を認められないことにあります。スポーツで際立った成果を挙げられない者は、不本意であっても塾通いをして成績の底上げを図らなければなりません。現行の評価制度の弊害で、成績を上げることが最適戦略となるためにこのような事態が発生しているのです。

それでいて職業教育がまったく充実しておらず、勉強への適性がないからとドロップ・アウトして職業訓練に移行しようという人間の受け皿が非常に少ないのです。これはもう、既存の学校という枠組みでは解決不可能です。どうしても精神的な悪影響を避けたいならホームスクーリング・フリースクール・通信制なり多様な学習形態を認めるというくらいしかないと思います。

6+
CI
Reply to  シン
5 years ago

日本の中学二年生の四千人規模の学力の要因の検証によると、習熟度別クラスの効果があったことが確認されています。

https://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2011/09/pdf/016-027.pdf

習熟度別クラスにすることで、150点中、理科が3点の効果がありましたが、数学は1.2点と小さいです。
少人数クラスは全く効果がなかったようですね。
この検証では家庭環境も対象で、例えば父親が大卒以上だと5点の効果、辞書を所有していると7点の効果でした。

学力は学校教育よりも、家庭環境の要因の方が大きく影響するという結果ですので、学校教育の限界を感じます。

それでも、習熟度別クラスが多少効果があることが確認されていますので、習熟度別クラスが小さな費用で出来るのであればやる価値がありますが、
大きな費用が掛かるのであれば、あまりやる意味はないでしょう。教育も費用対効果で考えるべきですね。

1+
松本
5 years ago

金八先生の世界をリアルに体験してきた自分としてはシンさんのお話の方が共感出来ます。
社会経験が長くなればドキュン上司に巡り会うことも有るし、そんなタイプの方が出世するので確率は高いと思います。人の手柄を自分の手柄に出来るような鬼畜タイプの方が、
きっちりと計算して上への胡麻すりが確り出来て、失敗は下の人間に擦り付ける卑怯者程、権力者の寵愛を受けるものです。
学業に専念してもスポーツで一流になってもこの呪縛から逃れられないと思います。
このブログはぬるりと生きるですから、どうやれば他人に迷惑を掛けずに自分を貫いて好きに生きるかを究めて行きたいものです。

2+
マグナム
Reply to  松本
5 years ago

貧しい凡人がぬるりと生きるには、理系大学行くのが良い。
→貧しさから国立大学にしか行けないため、高度な学力が必要。
 →高度な学力を身に付けるには、上位高校進学が必要。
  →上位高校進学には、塾が必要。
というのが、現実だと思います。
しかし、中学でクラス別授業をすれば、塾無しでも上位高校に行ける可能性が上がります。
金の無い人間は、私立や塾には行けないので、公教育にすがるしかありません。

>学業に専念してもスポーツで一流になってもこの呪縛から逃れられないと思います。
→底辺に対応する能力は、社会を生き抜くのに必要ですが、そのために学力を犠牲にしても良いということでしょうか。
仮に学力があっても、底辺校やFラン大学に進学する方が良いのですか?

2+
マグナム
Reply to  シン
5 years ago

>公立高校の入試は公立中学のカリキュラムに沿ってしか出題されないため、授業をきちんと理解し、9割得点できれば、合格可能
→確かに、春ぐらいから自分で過去問を研究し、戦略を立てて1年間ガリ勉、さらに分からない部分を教えてくれる教師がいれば、高校入試で9割得点出来るかも知れません。
ただし、それは中学生には酷なので、塾に行くのが現実的だと思います。

>予備校頼みでようやく東大合格するくらい人で大成する人はほとんどおらず
→大成しなくても良いと思います。予備校無しで地方旧帝、予備校ありで東大なら、後者の方が楽に生きられるというだけで十分価値がある、というのが凡人です。

2+
マグナム
Reply to  マグナム
5 years ago

>公立中学なら普通に部活をして、塾にも行かず、楽に9割取れるのが当たり前で、地域トップ校に行くのが王道
→公立から予備校無しで東大に行く人達ですね。
凡人は塾でトップ校に行き、予備校を使ってようやく極一部が東大、一部旧帝、残りは駅弁以下でしょう。
塾ありでトップ校から駅弁なら、塾無しの二番手校で駅弁の方が良いかもしれません。耳が痛いですが…。

>生涯獲得賃金に数千万円の差がついたら、明らかに楽になるのですか?そんなのはやり方で簡単にひっくり返されます。
→しょぼい話で申し訳ないのですが、塾の100万円、予備校の200万円、私立中高一貫の1000万円で、生涯獲得賃金に数千万円の差が付くのなら、投資価値があると思います。
しかし、全くプラスにならない人もそこそこいるので、それが難しい所ですが。

追伸
シンさまを始めとする、みなさまのご意見が非常に勉強になります。
議論に参加させていただき、ありがとうございます。

4+
nobunobu
Reply to  シン
5 years ago

>>そもそもサラリーマンなど、たかがサラリーマンであり、大した違いはありません。生涯獲得賃金に数千万円の差がついたら、明らかに楽になるのですか?そんなのはやり方で簡単にひっくり返されます。

これは、全くその通りだと思います。
考え方一つで、自分の必要なものだけを買い、必要でないものは買わない。
必要なものは高くても自分の好きなものを買う。
見栄でものを買わない。
これだけで、サラリーマンで少々年収が高い人より、はるかに豊かな生活を送ることができます。

1+
nobunobu
Reply to  マグナム
5 years ago

私も、塾で成績を上げて無理して自分の実力より上位の高校に行って、勉強ついていけなく苦労するより、その高校より1ランク下げた高校に進学し、そこで基礎学力をつけ、大学もそれなりの自分の実力に見合った大学に進学した方が本人のためにもいいと思います。
高校3年間、自分の実力・校風に合わないといやなもんだと思いますよ。
それよりも、少しランクを落としても、校風に合い、上位で卒業できそうな高校、大学に進学した方が本人も楽しいはずです。

就職のこと考えて機電系にいくなら駅弁に受かれば十分だと思いますし、たとえ奨学金を借りながら私立に行っても十分返済できるはずです。
そのために、進学する大学の就職状況を精査するのは当然です。

1+
マグナム
Reply to  nobunobu
5 years ago

nobunobuさま
>塾で成績を上げて無理して自分の実力より上位の高校に行って、勉強ついていけなく苦労する
→上位校はほとんどの生徒が塾上がりですし、公立高校は中堅でも上位校でも進度は同じ(教科書は違いますが)なので、そんな事態はほとんど起こらないと思います。
上位校へ行く一番の理由は、切磋琢磨できる仲間を得るためなので、1ランク下げた高校に進学すれば良かったと思う生徒もほとんどいないと思います。
(高校を1ランク下げて評定上げて指定校推薦というのはあるようですが)
正直、公立中学よりも塾で身に付けた考え方、勉強習慣の方が血肉になっているので、高校受験が終わったら無意味なものだとは思いません。ドーピングではなく、ずっと役に立つ基礎体力の養成です。
私は中三の夏に部活を引退し、それから塾に通い始めましたが、塾は部活感覚でした。(辛いことも楽しいこともある)

しかし、中堅普通科に行ったが付いて行けず、実業系に行けば良かったと思う生徒や、
私立中学の厳しいカリキュラムに付いて行けず、ランクを下げれば良かったと思う生徒はいるのではないか、と思います。

>たとえ奨学金を借りながら私立に行っても十分返済できるはず
→親から国立のみと言われた高校生が、600万円の学資ローンを受けて私立に進学するのは至難です。

0
nobunobu
Reply to  マグナム
5 years ago

>>上位校はほとんどの生徒が塾上がりですし、公立高校は中堅でも上位校でも進度は同じ(教科書は違いますが)なので、そんな事態はほとんど起こらないと思います。

進度は同じだと思いますが、その教科書並びに問題集の違いが大きいと思いますよ。
例えば数学で同じ例題でもトップ校なり2番手の高校と4,5番手の高校では例題そのもの難易度が違います。そして私は、基本的なことを理解し、基本的な計算ができれば大学で機電系に進学しても困ることはないと思っています。

>>上位校へ行く一番の理由は、切磋琢磨できる仲間を得るためなので、1ランク下げた高校に進学すれば良かったと思う生徒もほとんどいないと思います

切磋琢磨し合ってお互いに伸びていくことができれば、それに越したことはないと思いますが、必ずそこで落ちこぼれていく生徒は出ます。
それよりも1ランク落とした高校に進学する方を私は選びます。

>>正直、公立中学よりも塾で身に付けた考え方、勉強習慣の方が血肉になっているので、高校受験が終わったら無意味なものだとは思いません。ドーピングではなく、ずっと役に立つ基礎体力の養成です。

これは、その通りだと思います。
高校の3年間を切磋琢磨し合って勉強することができる人は、もちろんトップ校にいくべきですが、やっと、入学できるくらいの人は1ランク下の高校で、塾で培った勉強習慣で自分の勉強方法で自分に合った高校で勉強していくのがいいと思います。

>>親から国立のみと言われた高校生が、600万円の学資ローンを受けて私立に進学するのは至難です。

昔と違い、今、国立理系と私立理系でそんなに差がありますか。
国立の入学金 282,000円、授業料 535,800円ほどです。
私立理系の場合授業料が年間120万円ほどです。
国立理系と私立理系の学費の差が、年間70万として4年間で280万ほどです。
これが、私立文系で就職もできないとなると、大変な借金ですが、
普通に就職できる機電系では、この300万円の低利の借金を返済していくのが、そんなに困難ですか。
普通のサラリーマンでも2000万くらいの家の借金でも、定職があれば返済していけるのですよ。普通のサラリーマンでも2000万くらいの家の借金でも、定職があれば返済していけるのですよ。
まして、機電系を修め定職に就いたエンジニアが返済できないわけないと思いますよ。

0
マグナム
Reply to  マグナム
5 years ago

>基本的なことを理解し、基本的な計算ができれば大学で機電系に進学しても困ることはないと思っています。
>それよりも1ランク落とした高校に進学する方を私は選びます。
→なるほど、国立狙いなら上位校で切磋琢磨するべきだが、そもそも中堅私大狙いなら中堅高校でじっくりやるべき、ということですね。鶏口となるも牛後となるなかれ、とも言いますし。

>国立の入学金 282,000円、授業料 535,800円ほどです。
→国立は授業料免除が充実しているので、親の収入が少なければ授業料半額は難しくないです。
仮に半額なら、差は400万円となりますが、それでも普通に就職できる機電系なら十分に払える額です。

>普通のサラリーマンでも2000万くらいの家の借金でも、定職があれば返済していけるのですよ。
普通のサラリーマンでも2000万くらいの家の借金でも、定職があれば返済していけるのですよ。
まして、機電系を修め定職に就いたエンジニアが返済できないわけないと思いますよ。
→その通りです。しかし、それは一部の大人にしか分かりません。
親が高卒などで理解が無い場合に、子供が親を説得するのは至難、ということです。勉強しない言い訳に聞こえますしね。
親に国立しか駄目と言われたら、子供は国立に行ける確率の高い、上位校を目指すしかありません。
実際、地方だと二番手、三番手校から高卒公務員になる人も多いですしね。

3+
nobunobu
Reply to  マグナム
5 years ago

>>ドーピングではなく、ずっと役に立つ基礎体力の養成です。

上で、私は、その通りだと思います。と書きましたが、よく自分のこと考えるとやっぱりドーピングですね。
私は、家が本当に貧乏だったのですが、母が教育熱心な人で貧しいながらも私が中学生の時、塾に入れてくれました。
そのせいもあって調子のいいときは、結構ないい成績とれてました。(当時は、成績上位者の順位を期末試験、実力試験ごとに発表していたので、自分の順位がどのくらいか1目瞭然だったんです。)先生の授業はよく理解していたとは思いますが、授業に退屈するようなことはなかったですね。
で、高校に進学すると(県内ではいい高校ですが)入学当初、とたんに授業が難しく感じられました。
明らかに今までの中学の成績は塾によるドーピングだったんですね。私の場合、ずっと役に立つ基礎体力の養成じゃなくって単なるドーピングだったんです。
それと、私も東大に進学していった人のことを思い出すと、彼等から授業の悪口、先生の悪口、中学の悪口なんか本当に聞いたことないですね。
彼等は、与えられた環境で淡々と勉強していました。
私は、あいつは教え方下手だなぁとかよく思っていたし実際言っていたと思います。そして、今でも教え方下手な教師はいるなと思います。
ちょっと外れますが、今ではYoutubeなんかで非常にうまい教え方している先生もいるので、昔よりは勉強しやすい環境にいると思います。

>>親が高卒などで理解が無い場合に、子供が親を説得するのは至難、ということです。勉強しない言い訳に聞こえますしね。

親が高卒とか大卒とか言うのは関係ありません。
むしろ子供が何の考えもなく人が行くから自分も私立文系に奨学金を借りていくというのを、そりゃだめだよと言うのは子供の将来を考えたいい親だと思います。
私立機電系に行く場合、就職状況等の資料で、自分は返済できると言うことを親に納得させるのは至難というほど難しいでしょうか。

>>実際、地方だと二番手、三番手校から高卒公務員になる人も多いですしね。

その人にはその人の考えがあって、国立にいけないから公務員になったと考えるのは短絡です。
むしろ、文系の大学に行っても行かなくっても同じだと割り切り、自分の進路を考えた賢明な選択かもしれません。

2+
マグナム
5 years ago

シンさま
>中学レベルでついていけないなら学力競争から降りた方が良いです。
→その通りです。それでも、基礎学力は必要です。
教育業界には7、5、3という言葉があり、学習内容を完全に理解している生徒の割合は、小学校7割、中学校5割、高校3割と言われています。
そこで、中学に習熟度別クラスを導入すれば、中学校6割、高校4割になるのではないか、と考えます。
中学で応用問題が解けなくても、基礎さえ理解していれば、高校でもやっていけます。
その結果、これまでは中学で諦めていた生徒が中堅高校に進学し、私大機電を卒業出来るかも知れません。

>高校でしっかりとコースを分けるために中学は分けない方が良いと思います。
→それも一つの考えだと思います。ただ、高校で分けても遅いのではないかとも思います。

>同じ学校での飛び級はストレスになるので、空気を読まないアメリカ人ですら避けるそうです。
→米国などでは飛び級は当たり前と思い込んでいました。子供の頃に聞いた記憶のままでした。

>灘、開成は高校からも受け入れていますが、高校組の方が大学進学実績が良いそうです。
→都市圏の中学受験率を1割とすると、高校受験者は中学受験者の9倍います。(質は異なりますが)
しかし、下記のように、高校の募集人数が少ないことによる、入学難易度の差ではないでしょうか。
  中学募集  高校募集
 灘:180人  40人
開成:300人  100人
灘中学、開成中学に上位合格した生徒以外が公立中学に進学していたら、灘高校、開成高校には受からないと思います。

>公立中学の授業で本当に退屈している子供なんてほとんどいません。楽に9割とれて、公立トップ高校に行く子供は2-3%しかおらず、そこで楽にトップスクールに入る子供はその中の2-3%とするなら、何千人に一人しか存在しません。
→公立中学の授業は真ん中の生徒に合わせて行われます。40人クラスなら、20番目、定期テストで60点、中堅校進学想定です。
しかし、同じクラスに定期テストで90点以上の生徒(上位1割)と、10点未満生徒(下位1割)がいます。
授業で退屈している生徒は、上記の2割くらいでしょうか。楽にトップスクールに入る生徒だけではありません。

>セレクションがないグループで習熟度によってクラスを分けて効果を出した実例
→効率化のために集団レベルを揃えるのが目的なので、公立中学でもセレクションをするのが理想です。
しかし、中学生に遠距離通学は大変ですし、受験は手間が掛かるので、次点の策としてクラス分けを求めています。

dwさま
>学校の意義は「楽しく過ごせること」だと思います。
→同意です。公立中学は退学にならず、教師も殴ることが出来ないから、無法地帯になるんですよね。
ヤンキーに妬まれて集団で苛められたら成す術が無いので、必死で目立たないようにします。
面倒な連中の適当なあしらい方は早めに覚えるべきだとは思いますが、授業を妨害する生徒と同じクラスで勉強しなければならないのは、辛いし効率が悪いです。
実社会では、ヤンキーはそもそも入社出来ないし、仮に入社できたとしても言葉の暴力でクビ、物理的暴力なら懲役です。
ヤンキー客がいても、会社や警察が守ってくれます。
灘、開成の件は、単に高校受験の方が難易度が高いからだと思います。

イワノフさま
>既存の公教育システムが社会のニーズに応えられないまま温存されているからと言うほかありません。
→おっしゃる通りです。ウォーターフォールのお役所なんですよね。
私も県立トップ校出身ですが、塾に通っていなかった生徒には一人しか知りません。
(彼は塾無しで東大に行きました)
公立中学の授業は、中堅高校進学想定です。
高校受験は中学の内容を逸脱しませんが、受験は相対的なものなので、天才以外が上位2,3%のトップ校に入るのに塾は必須です。

>学力の底上げになったという実感が確かにあったからです。学校の中身の薄い教科書と授業だけでは絶対に達成できなかったことです。
→公立中学の教師は授業が崩壊しないことを第一に考えた上で、中間層に合わせるので、内容が薄いんですよね。
塾に通って初めて本質が見えて、学力の底上げになったという実感が確かにありました。

>結局は棲み分けをした方が人は肯定感を得やすく、個々人の長期的成長には有効に働くと思います。
→成長を目的とするなら住み分けた方が良く、趣味なら一緒が良いのではと思います。
補習塾、進学塾、私立中学、高校、大学などは住み分けた方が良いですが、
社会人のランニングサークル、草野球などは一緒の方が楽しいし、裾野も広がります。
大学スポーツだと、1部リーグはプロ入りを目指す学生、5部リーグは大学から始めた学生となり、上手く機能しています。
もし一緒にしたら、1部リーグの学生は退学して高卒社会人チームに行き、5部リーグの学生は退部してバイトでもするでしょう。

Yさま
>麻布中学や武蔵中学に通っていた生徒に話を聞くと彼らの中高時代が心底羨ましくて仕方なかったです。
→彼らをガリ勉受験マシーンみたいに言う人は多いですが、実際には受験に関係ない教養の部分でも、秀でているんですよね。
公立中学で退屈な授業を聞き流した後に、塾で高度な授業を受けていた生徒と、
私立中学で高度な授業を受けて、放課後は自由に過ごした生徒の違いだと思います。

>むしろ逆にレベルの低い生徒にとってこそ習熟度別クラスは有効なのではと思うのです。
→授業が最も苦痛であり、今後リカバリが効かないのは彼らですね。最低限の四則演算を理解出来ないと、給与、賃貸、保険、ローンなどで食い物にされますし。

同じ上位10%を能力を持っている子供でも、環境によって下記のように大きな差が生まれてしまいます。
下位10%の能力の子供も同様に差が出ます。

・私立中高一貫→トップ大学
・公立中学(クラス分けあり、塾なし)→公立トップ校→上位大学
・公立中学(クラス分けなし、塾あり)→公立トップ校→上位大学
・公立中学(クラス分けなし、塾なし)→公立中上位校→下位大学
→公立中学でクラス分けをすれば、財力による学力差が少しは改善するのではないかと思います。

恐らく、シンさま、ニコさまは「中学くらいまでは一緒にやれば良い」と考えており、
dwさま、イワノフさま、Yさま、私は「中学時代に習熟度に応じて学習することが将来の礎となる」と考えているのではないでしょうか。

3+
ニコ
Reply to  シン
5 years ago

シンさん マグナムさん
中学校レベルの話をしますと
塾で習熟度別のクラス分けを行うとある一定のレベル以上(中堅上位)から機能しますが、それ以下だと話を聞く、ノートを書く、授業に参加すること、宿題をやることから始めないといけないです。
なにが言いたいかいうと習熟度をしても荒れるかやる気をなくすかなのであまり意味ないです。
ただ、外で遊んでいるより、教室にいるだけでもマシなので、授業をする側も雑談や飽きない工夫をする必要があります。内申点のため、答えを写してでも学校の宿題をやればOKとしないといけません。
中堅上位だと学校が勉強の面倒を見るというより、個人の目標によるとこが大きいです。
なので、義務教育で受験対策までやらなくてもいいのでは?と思います。
優秀な人間やDQN耐性とストレス耐性やいろんな人格に触れることは義務教育には大事かなと大人になって思います。

2+
マグナム
Reply to  ニコ
5 years ago

ニコさん
>塾で習熟度別のクラス分けを行うとある一定のレベル以上(中堅上位)から機能しますが、それ以下だと話を聞く、ノートを書く、授業に参加すること、宿題をやることから始めないといけないです。
→下のクラスの生徒が、自身を掃き溜めクラスと言っていたのを思い出しました。
中の下、下の上の生徒にとっては、全員一緒のクラスの方が雰囲気も良くなるので、伸びるかも知れません。

>習熟度をしても荒れるかやる気をなくすかなのであまり意味ないです。
→下の中、下の下の生徒は、負の同調圧力によってそうなる可能性がありますね。
ただし、その中にも向上心があり、時間が掛かっても理解して積み上げたいという生徒もいるので、悩ましいですね。

そう言えば、新卒で入った会社の技術研修は、以下3クラスに分かれていました。
①事前基礎研修の成績上位→応用研修からスタート
②事前基礎研修の成績下位→応用研修からスタート
③事前基礎研修を受けていない→基礎研修からスタート
①②と③はスタートが異なるので、分ける必要がありますが、①と②に差を付けたことで、雰囲気が悪くなったような気がします。

研修修了後、①~③に全く差はありませんでした。
これは、大して差が無いのに無理矢理クラス分けして煽った結果、の失敗例だと思います。
選抜を経て入社している→即ち差が小さい場合にクラス分けをすると、デメリットがメリットを上回るのかも知れません。

0
マグナム
Reply to  シン
5 years ago

>私は中学前の選別がシステムとして組み込まれることは反対ではありません。欧州はギムナジウム、リセという大学進学を前提としたコースに進むのか?を10歳過ぎに決めますし、アメリカはそもそも所得層、考え方で住む地域が違っていますから、進む学校も違います。シンガポールも同様に小学校から所得で行く学校が違い、10歳過ぎに学力で選別されます。
→シンさまの考え方が理解出来ました。
個人的には、都市部の公立中高一貫に期待しています。

>学力関係なくドキュン、その類はそこら中にいますよね?
→いなし方も学問もどちらも大事なので、その塩梅が難しいです。
いなし方はタブー視されがちですが、無視出来る物ではありませんし。

1+
ニコ
5 years ago

自分の話や経験になって申し訳ないですが、学力の下位の中学生に教室で話を聞かせるってのは難しくて習熟度クラスでなんとかなるほど簡単でないです。
私は、不登校や荒れた奴ややる気ない中学生ばかり塾で相手にしたことありますが学校の宿題をこなしてお昼の高校にいけるようにしただけで親に感謝されてびっくりしました。
その経験から、不登校を受け入れるような高校から採用の声がかかりました。
でも、バイトですらかなりキツいのでみなさんが考えているよりよほど注意して習熟度別を運用しないとうまくいかないと思います。
上位を伸ばすのは簡単で誰でもできるけど、下位は下手したら殴られます。

4+
マグナム
Reply to  ニコ
5 years ago

ニコさん
>不登校を受け入れるような高校から採用の声がかかりました。
→凄いですね。私にはとても出来ません。しかし、それを一生やるとなると、寿命が縮みそうです。

Fラン大付属の中学と少し絡みがあったのですが、ここは公立中学よりも進度が遅いです。
学費が高いので、問題を起こす子供はそもそも来ませんし、仮に来てもすぐに退学にされるので、平和です。
公立中学で苛められたり、付いて行けなくなることを恐れた、お金持ちの子供がメインです。
(公立でそうなってから編入する生徒もいます)
こういった、悪さをしないけど勉強が苦手な子供を育てる環境が、私立のみになってしまうのは残念ですね。
特別支援教育は充実しているのですが…。
彼らが付属から上がり、Fラン大を卒業した後にまともな就職先は無いと思いますが、中学から不登校で引き篭もりよりは良いのでは、と思います。

>下位は下手したら殴られます。
→女教師だと、殴られるだけでは済まないこともありますね。
公立中学・高校で問題を起こしたら、少年院のような施設に入れるべきだと思います。
未成年でも他人の人権を踏みにじるなら、人権は剥奪すべきです。
彼らの相手をするのは、教師ではなく、刑務官だと思います。
(毒を吐いてすみません)

1+
ニコ
Reply to  マグナム
5 years ago

マグナムさん
ぬるりの読者の多くは、学生時代は勉強ができる人が多いから学力別のクラス編成を希望するのだと思います。
駅弁機電以上の大学を卒業してきちんと社会で活躍してると考えてます。
ただ、私のような公立中学で上位35%程度の人には、授業内容や進度は適切だと思いましたし、定期試験については、先生も馬鹿ではないので学校の問題集の問題がそのまま出るなんてなかったです。
高校の授業みたいに受験学年になると放置プレイみたいな授業と比べると中学の授業は、きちんと最後まで説明と板書をしてくれて多くのことを勉強させてもらいました。

3+
イワノフ
5 years ago

シンさん

僕は何度も論拠を示しているし、提案もしましたよね?

格差があるのだからそれに合わせた制度にした方がいいと繰り返し言っています。わからない人がわからない授業を受け続けるメリットはあるのかと何度も聞いています。クラス分けしてでもわかるところから始めなければ達成感などあり得ません。

あと、校内暴力と習熟度別クラスに相関のあることを前提にしていますが、校内暴力と学力別クラスの実施時期が重なっていたからという説明しかしていませんよね。その程度でも相関があると言えるなら1980年代の体罰廃止と教師の権威低下という要因のほうが、説明としてはより適切だと思いますが。

あと、習熟度別クラスだとどうして細かいクラス分けをしてギスギスした空気でやるという話になるんですか。この前提条件はどこから出てきましたか?ギスギスするのは確定事項ですか?この件は僕なりに対案を上げましたが、シンさんは本当に何も根拠を提示していませんよね?

『一軍から五軍みたいな分け方になり、殺伐とした空気になるでしょう。実際、それをしていた団塊ジュニア世代なんかは校内暴力全盛期です。』←これは根拠と言えますか?

付け加えるなら、僕は前の方でホームルームを分けるところまではいかなくても良いと言っています。教科ごとに移動教室をするのでも十分です。これなら大きなコストは不要です。

なぜ極端な仮定と前提条件からスタートして、自分と反対の主張を一通りこき下ろしてから、自分側の主張が優位だから反論してみろという展開の仕方になるんでしょう。せっかく数字や論拠を出しても、そんなもの無意味だ、馬鹿だ、で一蹴しているのでは一方的な勝利宣言と何も変わりませんし、まともな議論にもなりません。

6+
松本
5 years ago

世の中のドキュンは何処にでも居ますよ。高速道路を猛烈にパッシングしながら走る車、電通の鬼10則の様に一部上場企業でも会社その物が猛烈な会社は有ります。
そもそも「ぬるりと生きる」を実現していれば中卒でも東大出ていても全く関係ないと思います。コスパ最高なのは中卒で総理大臣まで上り詰めた田中角栄先生だと思います。
生きていく為に必要な経済力を用意出来て入れば好きなように趣味に没頭するも良し、真の自由を満喫出来ますね。目的はあくまでもどう生きるかだけです。

3+
kawaji2
5 years ago

中学校の学力別クラス分けが議論されていますが、テーマは私立校受験ですよね。私の考えとしては金があれば良いんじゃない?くらいです。そもそも地域によってはまともな私立中どころか高校も無いですから。(1時間以上通学時間をかければ別ですが、私はそれをよしとしません。)私は関東某県育ち在住ですが、そんな環境です。だから高校までは公立で充分だと思います。団塊ジュニア世代ですが学力別クラス分けもありませんでしたし。私自身も地元の定番自称進学校高校でしたし、そこは正にカオスで、上は東大、東工大だし、下は名前を聞いた事も無いような大学もいっぱいいました。このカオスって何気に大事で、中学高校と色んな意味で揉まれた気がして、それが今の自分に繋がっている気がします。今機械系生産技術の親玉をやってますがヤンキー耐性があるおかげか現場の人間とは不思議と溶け込めます。
ここで議論されている一部の方の話の前提が良い大学に入れればその後も安泰!ではないでしょうか?部下を持って分かったのですが頭でっかち(学歴学力優秀)より少々馬鹿くらいの方が使える様に感じます。あまりにコミュ障は扱いに困りますが。
何が言いたいか分からなくなってしまいましたが十代の頃は好きに、でも少し熱く過ごせば良いではないでしょうか?大人になったら好きに生きれませんから。

7+
マグナム
Reply to  kawaji2
5 years ago

>私の考えとしては金があれば良いんじゃない?くらいです。
→金が無い場合、私立が無い場合にどうするか、を考えています。
結局、学校分け、クラス分けの粒度が荒いと、上位の人間が損をするんですよ。
公立中学上1割だと、公立中学の授業の物足りなかった、下位の人間に邪魔をされたと感じ、
公立中学の中間層なら、公立中学の授業がちょうど良かった、上位の人間に良い刺激を受けたと感じるのではないでしょうか。
「トップ校出身だけど、中学の玉石混淆が良かった」という意見は、今の所出ていません。

>そこは正にカオスで、上は東大、東工大だし、下は名前を聞いた事も無いような大学もいっぱいいました。
→その東大、東工大の人、あるいは旧帝の人は、自称進学校高校が良かったと思っているのでしょうか。
本当はカオスではなく、トップ校で切磋琢磨できる環境が欲しかったのではないですか。特に、旧帝の人はその環境があれば東大だったかも知れませんしね。
ここでも中間層なら、自分のレベルにあった授業が受けられるし、上位の人間から良い刺激を貰えます。

>一部の方の話の前提が良い大学に入れればその後も安泰!ではないでしょうか?
→ひっくり返せないレベルではありませんが、良い大学の方が平均年収は高いし、安泰な率も上がるので、凡人はまずそこを目指します。

>ヤンキー耐性があるおかげか現場の人間とは不思議と溶け込めます。
→ヤンキー耐性は大切です。しかし、それを玉石混淆の理由にしてはいけないと思います。
自称進学校高校ではなく、工業高校の方がもっとヤンキー耐性がついたのではないですか?

>部下を持って分かったのですが頭でっかち(学歴学力優秀)より少々馬鹿くらいの方が使える様に感じます。
→失礼ながら、頭でっかち(学歴学力優秀)で人間力が低い人と、少々馬鹿くらいで人間力が高い人なのだと思います。
前者が勉強をせず低学歴だったら、人間力が上がったのでしょうか。

議論を通し、中学校の学力別クラス分けをした場合、以下のようになるのではないかと思いました。
上位層:レベルの合った授業を受け、切磋琢磨して、足も引っ張られないので伸びる。
中間層:上位層、下位層ともに影響が無くなる。コンプを持つ人が増えるが、それがモチベーションになる場合もある。
下位層:レベルに合った授業を受けられるので、理解出来る人が増えるが、ヤンキー比率が上がるので足を引っ張られる。
同じ学力でも、下位クラスのトップと考えればモチベーションが上がるが、下位クラスだからそもそも駄目と考えればモチベーションが下がる。

所属する層によって意見が分かれ、全体としてはメリットデメリットの両方があることも理解出来ました。
ヤンキー耐性も大事ですしね。

現実として、学力別クラス分けにはならないのだから、中学受験を考えるほうが建設的です。

現状は都市部の金持ちしか中学受験が出来ませんが、
今後の公立中高一貫の広がりに期待しています。

ちなみに、文京区は4割が中学受験するそうですが、このエリアの公立中学にはあまり関わりたくありません。

3+
kawaji2
Reply to  マグナム
5 years ago

ろくな私立校がない、すなわち私立校進学は選択肢になかった私の地域の話をしています。私立校が無ければ公立でベストを尽くすしかないのでは?東大、東工大に行った連中がどう思ってるかは分かりようがないですが、私の主観では、あいつらは切磋琢磨とか関係なくて、自分がこう決めたからただとにかくやる!的に勉強してましたよ。あいつらはどの学校に行ってても結果は変わらないのではないかと思います。周りは気にしないからか文句も聞いた事ないです。逆に出来ない奴程授業がー、教師がー、って喚いてましたよ。出来ないのは自分のせいなのに。
中学校の学力別のクラス分けを押している様ですが、良し悪しは別にしてもこれは仕組の変更で、自分で出来ることじゃないですよね?議員に陳情とか具体的な行動を起こさないならいくら良い仕組を考えても絵に書いた餅ですよ。置かれた状況が公立ならそこでどうするのが自分にとってベストなことか、戦略をじっくり練ることの方が建設的じゃないでしょうか。

7+
ニコ
Reply to  シン
5 years ago

シンさん
本当に優秀な人なら教科担任から難しい問題を用意してもらえたり、全国クラスの私立高校を高校から受験するように言われます。
また、その手の生徒は生徒会や私のような馬鹿な塾の先生にも文句は言わないです。
生物化学者の弟は、全国クラスの私立に編入するように勧められましたし、予備校から医学部どうされますか?と言われたそうです。
だから、それくらいずば抜けないと文句は言えないですね。

2+
マグナム
Reply to  シン
5 years ago

ずば抜けないと文句は言えない、ずば抜けた人は文句を言わない、だと誰もなにも言えなくなってしまいますね。
「文句」と言うと言葉が悪いですが、改善提案を上げて、議論することは大切だと思います。

出来ない生徒がいたら、どうして個人のせいにされてしまうのでしょうか。
講師を選べる予備校ならば、そうでしょう。
しかし、公立教師は一度雇われたら、どんな授業をしても給与が変わらない公務員です。
教師が悪いかも知れませんし、生徒が悪いかも知れません。それとも、単に相性の問題かも知れません。

>クソ環境にいる出来る人はさして文句を言わず、そこで得られるものを得たら、良い条件の転職先を探してスッといなくなります。
→その通りですね。これと同じことが教育でも起こっています。
公教育を変えようとせず、私立に行かせるという流れです。
公立中学教師で、子供を私立中に入れる人もいます。
私はこの流れが良いとは思わないので、公教育の改善提案を議論したつもりです。

1+
Y
5 years ago

私のコメントのキックが悪かったとも思いますが、コメント全体を俯瞰して日本の教育で習熟度別授業が総合的に有効かという点と自分の与えられた環境を受け入れてそこで努力することの大切さが混在していると感じております。
個人的に日本の公教育での習熟度別授業の有効性の観点で、皆さまの建設的な意見が集まることを望んでおります。私自身も現在様々な統計データなどのエビデンスに当っているところです。塾に通えない生徒が公教育で少しでも勉強の楽しさを見出してくれることを願って止みません。
シン様
>>むしろ、言うのは公立トップ高校には入ったが、冴えない大学に進学し、冴えない仕事、高校ブランドが心の支えになっている人が文句を言ってますね。
→シン様の身近にこうした人が多かったかもしれませんが、このようなコメントは今までのコメント欄で習熟別授業の長所を書き込んでくれた方々を間接的に貶めているような印象も受けます。もちろんコメント者の誰かを名指ししている訳ではありませんが、個人の属性に対する批判はしないというルールを逸脱しかかっている危うさを危惧しております。
コメント者の中には幅広いテーマで建設的、有意義な意見を書き込んでいただいた方々が多くおられ、胸が痛む思いです。

4+
イワノフ
5 years ago

出来るやつが文句を言わないというのは、ただの幻想ですね。不満を口に出していないだけの可能性も排除できません。

本当は「出来るやつは与えられた環境に文句を言わない」のではありません。所詮は生存バイアスに過ぎません。一握りの人間は才能に恵まれ、どんなやり方でも結果が出るので、与えられた環境に文句を言う必要がないというだけです。あとは、これを言う人は無意識に「文句を言う人間をはじめから出来るやつの範疇から除外している」ということにも気づく必要があるでしょう。

僕の話になってしまいますが、文句を言うところまでは行かないまでも、塾や予備校よりも高校の授業のほうがよかったという意見は同級生からはほとんど聞かれませんでした(一部マイナー科目は面白いという評判でした)。公立中学の評判についても、高校の同級生からの評価は全般的に芳しいものではなかったですね。授業の質以前に、ウチの中学校は荒れてて大変だった云々の話が出てくるのもよくあるパターンでした。

中学校は物足りない授業に悩みました。高校に入ってみると、今度は自身の趣味丸出しで『勉強は自分でやってね』という教員の方が多数派になりました。教員の自己満足に付き合わされるのはたまりませんでしたね。公立校の授業だけでトップスクールに行くなんてまるで夢物語です。

僕の居た県立高校は東大合格者を現浪合わせて毎年20人前後出すのですが、同期の東大合格者のほとんどが予備校に通っていた一方で、学校の勉強だけで東大に行った人も一応はいました(1人か2人くらいだったと思います)。

この手の人達は、教科書を2,3回見て覚えてしまうとか、中学校時代数学オリンピックに出ていたとかというレベルなのですが、自分の才能を自覚しておらず、無邪気に「学校の教科書だけで十分」「学校の授業だけでも東大に行ける」などと勘違いして語ってしまうケースが少なくなかったように思います。

2+
ニコ
5 years ago

馬鹿馬鹿しいと思いますが、学校をうまく利用することも考えてみてもいいと思いますよ。
一般入試がキツそうな人に学校の授業をしっかり勉強して指定校推薦でランクの高い理系に進学させたりしました。
内職して先生に文句言ってたりしてる人は不合格になったりしてました。

0
dw
5 years ago

何回も反芻して考えています。ゼロベースで考えることが大切ですね。
自分は、同じ学部ならより良い大学に行くことがいいと思ってましたが、もしかしたらそれほど意味がないのかもしれません(努力に対するコストパフォーマンスはそれほどよくない)。無理しないでも行けるところにいけばいいじゃん、ということでしょうか。

ヤンキーの件に関しては、私自身処世術が分かってないのでなんとも言えません。今は「気に入らなかったら関わらなければ良い」という対処法です。やはり私は、彼らと関わってるからといって扱い方が上手くなるわけでもないと思うので、ヤンキーの少ないところで安心して授業を受けられる方がいいと思います。公立でも、そういう環境が与えられればいいですね。

1+
ニコ
Reply to  シン
5 years ago

シンさん
私個人の考えでは、Eラン、Fラン機電なら就活市場では、ちょっと扱いが変わるのかなと思います。
就職が全くないわけではないが、電気工事の管理技術者、試験評価等の準技術者といったようなちょい技能職系が含まれるのかな?と思います。
準技術職で扱いを分けてる会社も見たことあります。
うまく就活して生産技術かなと思います。
技能系が含まれても苦手でなければいいのですが、設計や生産技術を目指してるならちょっと違うなと思います。
成績が悪ければ派遣になりかねないので最低でもDラン機電は目指してほしいなと思います。

1+
ニコ
Reply to  シン
5 years ago

確かに、EランとDランって見えない壁があるかなと思います。
シンさんのおっしゃるように上記の環境が違うので、Eラン機電が精一杯なら文系でもいいかなとか思ってしまう自分がいます。
Dラン機電に合格する努力って私の感覚からだとマーチレベル文系なら行けちゃう気がします。

1+
kawaji2
Reply to  シン
5 years ago

たしかFランってどこぞの予備校が合格偏差値を測定出来ないレベルをボーダーフリーって呼んでそのフリーからFランクになったと記憶しています。いつの間にかABCDEFにランクという言葉を付けて序列付けしてるっていかにも日本的な気がします。私の時代にはこういう言い方はしてなかった記憶があります。
興味本位でお聞きしますが、ギリギリDランクといったらどの辺の大学になるのでしょうか?人によって基準がまちまちな気もしますが。学部学科で違うでしょうが、一般的な機械系ということで。
ちなみに私基準だと4工大日大辺りかなと思います。

1+
ニコ
5 years ago

kawazi2さん
Dランは日大、4工大レベルと思っていただいて構いません。

0
kawaji2
Reply to  ニコ
5 years ago

ニコ様
そうなんですね。固有名詞を出すのはどうかとも思いましたが、Dランがどの程度かある程度はっきりさせた方が良いと思いました。

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