じゃあ、清

さて、リクエストにより始まった中国史も最後に近くなり、清が終われば、現政権である中華人民共和国に突入します。欧州勢の侵略が進んでいく末期はよく知られているので前半を書いていきたいと思います。

女真族

清を語るときに漢民族王朝ではない、ということは極めて重要であり、清の支配者である女真族はモンゴル系狩猟民族であり、漢民族とは文化、習慣が違います。そのため、清という国も漢民族的なものではなく、狩猟民族的です。文化としては金と同系統のものであり、中国語で金、清の発音は似ています。

前時代の明ではモンゴル系諸民族は上手く飼いならされて分断統治がされ、お互いにいがみ合うように仕向けられていました。彼らは狩猟民族ですから、その収穫の売り先が必要です。その貿易権を一括させないようにしていたわけです。そうすれば、利益が集中しないし各部族が利害関係の為にいがみ合います。

その中でヌルハチという人が頭角を現してきて、李成梁という朝鮮系の出自を持ち明の派遣で遼東(朝鮮半島に近いあたり)の鎮撫に当たっていた武官の下で大きく成長をしていきます。李成梁は徐々に地方軍閥のようになっていき、明中央への対抗から女真族の統一をしようと考え、その旗頭にヌルハチを選びます。

明は豊臣秀吉の朝鮮出兵に気を取られており、ヌルハチの台頭を放置していた為、ヌルハチはどんどん大勢力に成長し、女真族の統一、モンゴル系諸族を統一すると、後金を打ち立てて中央へ進出します。ちなみに清の政権を確立したのは三代目の順治帝になります。明も腐敗していたものの、そんなに簡単に崩れない体制ではあったんですよね。

三世の春

現代でも漢民族が身内に甘く、可能な限り甘やかす文化を持っていますが、清はモンゴル系で皇帝とは一族の長であり、最も優れた人間が後を継ぐ習慣を持っています。この辺はアラブ諸国の王様みたいなもので、放牧民はそういう文化を持っているのだと思います。リーダーがバカだと全滅してしまうのは自然相手のビジネスの方が顕著です。

そのため、清の後継者争いも激しいですが、一族間の競争を経て後継者となった人間が明らかに無能であることはほとんどなく、三世の春、と呼ばれる清の黄金時代を迎えます。歴史的にも三代続けて有能な人間がトップに立つことは極めて珍しく、第4代康熙帝・第5代雍正帝・第6代乾隆帝と名君が続いて百年以上繁栄したのはすごいことです。

康熙帝は質実剛健で知られ、時間の問題で反乱を起こすことが見えていた漢民族系外様大名の制圧開始し、三藩の乱で押し込まれるものの粘り強く対処して、勝利を収めると、モンゴル文化の保護をして、武力が衰えないように気風を引き締めました。

その後を継いだ雍正帝は後継者争いでずっと混乱しました。ようやく、皇帝権力を手中に収めたのは四十過ぎてからであり、治世が短かったため前後と比べると、それほど大きな功績を残しているとはいえませんが、勤勉な勉強家として知られています。チベット、外モンゴルまで勢力圏を広げてロシアとの対峙まで持っていったのはこの人です。

乾隆帝は幼い頃から後継者として目され、若くして皇帝の座につき、次々と遠征して勢力圏を一気に拡大していきます。東南アジアまで遠征して、ネパール、ミャンマーまで進出しています。清の勢力圏が最も拡大した時代です。ただ、それ以降はイギリスが中国進出してきて次世代への火種を作り出し、本人も耄碌して派手三昧を繰り返して清の衰退が始まっていきます。

その後

イギリスから始まった産業革命は欧州、アジアの実力差を決定的にしました。武力、技術、制度、経済など、白人からすれば、アジア人など赤子の手をひねるくらい楽勝な相手になっていたんです。富を奪いながら、東へ進んで、貿易で富を奪い、麻薬漬けにして清は半植民地にされてしまうわけです。

イギリスに触発された他の欧州諸国、イギリスの植民地だったアメリカの台頭が続いて、現代に続く白人王者、アングロサクソン支配体制が確立されていき、日本は清が白人達の食い物にされるを見て危機感を持ったことが一因で、明治維新が決行され富国強兵への道に進んでいきます。

現代、中華人民共和国がチベット、ウイグルを勢力下において、それを正当化しているのは清の勢力圏だったからで、今と同じように一定の自治権は認めるものの中国中央の支配が及んでいたのだから、一国とみなす、ということらしいです。

清も女真族という少数民族でありながら、多数民族の漢民族を支配下において、文化、言語の全然違う民族を支配下に置くことは苦労していましたが、明を直接的に滅ぼしたのは李自成であり、えげつない形で簒奪したわけでなく、大義名分があったうえ、明の遺産も生かしたのでそこまで反発されなかったのがあるでしょう。

現代中国が反日を止めないのは中国共産党が日本帝国を中国から追い出して政権の座についた、という大義名分が強権発動させるために必要なので、国民の一致団結を叫ぶ時、あわせて反日も叫ばれるのは当然といえば当然でしょう。単に日本を含めた帝国主義強国が去った後、中国は空白地になり、内乱の末に共産党が勝って、国民党は負けた台湾へ去った、ということではダメなんですよね。

まとめ

リクエストを受けたのが西晋からスタートだったので、そこから1500年くらい後の中国の話ですが、ここまでくると現代中国に大きな影響があり、欧州勢のアジア進出まで話が進みました。ここから先の歴史は欧州勢の侵略とそれに対抗する日本との戦いになって行き、中国はひたすら食い物にされる弱者へと落ちぶれます。

改めて思うのが、中国は戦乱の歴史、内乱の繰り返しであり、他民族国家であり、今は他民族を虐殺されている漢民族も、逆に下についている時代もあったわけですね。(満州族に関しては同化されているので、独立、政権奪取を目指して蜂起することはないでしょうがね。)

こうしてみると、中国の復活は当たり前であり、一時期であっても、小国である日本が中国を圧倒して満州を割譲させた、というのは歴史的例外だと言っていいでしょうね。我々の先祖が白人達に食い物にされない為に必死に喰らいついていくうちに結果としてそうなっただけで、中国を圧倒することなどは本来、無理なんだと思います。

6+

投稿者: シン

思いついたことを記事にして、コメントをもらって、議論するのが楽しくてブログをやっています。

「じゃあ、清」への7件のフィードバック

  1. ありがとうございました。
    中国史シリーズを完結することができました。
    古代中国を除いて長持ちした王朝で三世の春の康熙帝と擁正帝と乾隆帝の継投が見事だったと思います。
    康熙帝に関してはピョートル大帝、ルイ14世あたりも尊敬をしているあたり本当に優秀な皇帝だと思います。西洋の文化にも通じており、彼が末期にいれば清朝は挽回できたのかもしれません。
    擁正帝は父親ほど天才ではなかったために朝4時から夜中12時まで政務を果たす努力家であり、父親ほど能力がないのを自覚してるために勉強熱心だった人で資料にはおそらく過労死したんだろうと記載があります。
    乾隆帝は、明朝の永楽帝に似たようなタイプかなと思います。内政ではなく外征で実績をアピールをしています。
    末期は、油断してます。

    皇帝独裁、民主主義の政治主導でキチンと国を治めるには、皇帝が天才であるか血を吐くまで勉強する覚悟がないと官僚を指揮できないんだなと思いました。

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    1. ありがとうございました。私も大変勉強になりました。中国に対する認識が少し変わったような気がします。

      >皇帝独裁、民主主義の政治主導でキチンと国を治めるには、皇帝が天才であるか血を吐くまで勉強する覚悟がないと官僚を指揮できないんだなと思いました。

      現代社会でもまったく同じなので、上手く行っているオーナー企業は天才、突き抜けた努力家なんでしょうね。単に親のあとを継いだだけの経営者が会社を傾かせるのは当たり前です。

      シン

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  2. リクエストが無かったのだと思いますが、唐の時代が抜けています。
    清の全盛期も長いですが、唐も太宗から玄宗まで100年以上も繁栄を続け、清と並んで領土が広く、そして長く続いた王朝です。
    日本は律令制などの唐の制度や文化を積極的に取り入れて国づくりをしたため、唐が日本に与えた影響は非常に大きなものでしたが、菅原道真が遣唐使を廃止した後、宋、元、明、清といった王朝とは交易を行っただけで力関係としてはどちらか上ということもなくなり、それぞれの侵略の試みもありましたが全て失敗し今に至ります。
    日本人は宋以降、中国にどんな王朝があるのかも関心が無かったようで、中国のことをずっと「唐(から)」と呼び続けており、明治時代まで続いています。ということは中国からの影響も微々たるものだったのでしょう。
    中国の経済的な影響力はこれから増すのは間違いないでしょうが、文化的な影響力をこれから持つようになるかは疑問です。中国人は日本の文化やサブカルが大好きで、そして今や大阪や京都に旅行するのがトレンドになっており、まるでバブル期の日本人がパリやローマに押し寄せたような感じです。日本人からすれば中国は大国ではあるが魅力がない、例えるなら西欧白人からみたロシアのような存在になるのではないでしょうか。

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    1. でらさん
      唐は番外編あたりでリクエストしようかなと思います。
      元々、シリーズ化するつもりなく、私の趣味で始めた話で西晋から宋になってしまいました。

      いろいろ議論でき、面白かったです。

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  3. 清朝中盤から科挙役人登用の弊害みたいなものが出てきたと思います。
    高校の世界史の先生曰く、科挙は今で言う私大文系の入試でそういう人もいてもいいけど科学知識に乏しい人材ばかりになってしまったと言ってました。

    私の意見になりますが、当時イギリスから一部の人は天体望遠鏡だとかを購入していたので、そこで西洋の技術を三角貿易のときに買えばアヘンなんか買わなくて済んだのでは?と思います。

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    1. 科挙は中国の歴史に良くも悪くも大きな影響を持っていて、どの政権でもある一定の時期を過ぎると弊害になってくるんですよね。これは現代社会の大企業病みたいなものでしょう。かといって、皇帝独裁は本人がよほど有能でないと、もっと弊害になります。完璧でないにしろ選挙によって政治家を選ぶ民主主義が一番ましなやりかた、ということなんでしょう。

      >私の意見になりますが、当時イギリスから一部の人は天体望遠鏡だとかを購入していたので、そこで西洋の技術を三角貿易のときに買えばアヘンなんか買わなくて済んだのでは?と思います。

      産業革命が起こった時点で決定的な差がついているので、中国が取れる策は日本と同様に技術を買って来て富国強兵に突き進むことだったのでしょうけど、アヘンを撒かれるとどうしようもないですね。麻薬は人格を破壊するほどの力を持っています。イギリスはこういう虐殺みたいなことをやりながら、紳士ぶっているんだから面の皮が厚いです。

      シン

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  4. ただ、私個人としては、清朝の文化はラーメンマンヘアの辮髪とチャイナドレスしかなくなんとなくつまらない時代だなと思います。
    宋は、教科書にはない文化や先進的な統治システムや当時の平和主義の限界という面白い時代であったと思います。
    明は、ダメな皇帝を調べると面白く、19才年上の熟女好きな皇帝、引きこもりの万暦帝(おそらく宦官にそそのかされ如何わしい部屋で遊んでいたであろう)、ほとんど強姦目的で遠征を繰り返すような皇帝、遊びすぎで死んだり、変な宗教にハマる皇帝だったりよくこれで国が大丈夫だったなと勉強していて思いました。
    シンさんが家族主義で身内に甘い漢民族の特徴と分析されてました。

    中国の国がいろいろわかりました。

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