じゃあ、西晋

リクエスト記事で三国志から西晋までの流れを書きたいと思います。あまりこの流れは関心を持たれず、三国志好きでもあまり知らない人は多いと思います。

後漢の衰退により中国は戦乱に陥り群雄割拠の時代になりました。そこで頭角を現したのは曹操です。元々は漢の名門の家に生まれ、官僚をしていたのですが、乱世の奸雄と称されたように世が乱れるとのし上がるために謀計を張り巡らします。

曹操という人はなんでも出来る人で、自分で指揮して戦争も出来るし、軍略は孫子の解説本、孟徳新書を書くくらいの知識があり、文学にも才能がある、と言う、ある種の天才みたいな人だと言えます。人たらししか能のない劉備、二代目らしい協調主体の孫権とは違うタイプのリーダーです。

長男曹丕は軍略、次男曹彰は武勇、三男曹植は文学の才能を受け継ぎ、特に三男の文学は天下に鳴らすくらいのものでした。長男も有能ですが、あまり目立たない次男、と言う感じです。上と下が優秀なのはわりとありがちなことなのかもしれません。

その曹操は後漢の乗っ取りに成功し、ほぼ中国全土の統一に成功したのですが、お馴染み諸葛亮孔明の神がかった活躍によって赤壁の戦いに破れ、大きく損害を受けました。その隙をついて劉備が西に台頭し、天下三分の計を許してしまいます。

長期政権の樹立は創設者が天下統一して、二代目が上手く中をつなぎ、三代目が安定させる、というパターンが必要ですが、曹操は赤壁の戦いに負けたことでグダグダになり、志半ばで倒れ、跡を継いだ曹丕も禅譲という形で前漢を終わらせ、皇帝になっただけで天下統一出来ませんでした。

こうなると、魏も徐々に乱れて来るわけで、曹操ほどではないにしろ才能のあった曹丕の跡を凡庸な曹叡が継ぐことで、主導権が皇族、臣下に移ってきて、重臣による政治が当たり前になり、政治闘争が過激になってきます。そこで台頭するのが司馬懿です。

司馬懿

司馬懿の出身である司馬家は文官として有名で、優れた人材を輩出しています。司馬懿の時代も司馬八達、と称される有能な人たちを輩出しており、その中でも図抜けていたのが司馬懿です。そして、司馬懿の息子たちも有能だったため、魏は晋へと移行することになります。

三国志演技では宿命のライバル、諸葛亮に押されて、なんとなくやられた印象を受けますが、司馬懿は突出した軍略家であり、曹操亡き後の魏が蜀、呉からの圧迫を凌いだのは彼の功績であり、あまりにも功績が大き過ぎたため、疎まれるようになります。

諸葛亮も劉備から跡を託されたわけですが、劉禅の出来が悪かったら、帝位は諸葛亮が継ぐように言われていたと言われます。まぁ、これはプレッシャーをかけていたわけですが、古来からあまりにも優れた人間を下に使うなら、跡を任せてしまうか、誅殺するしかありません。諸葛亮が抜けたら蜀は人材不足で崩壊するので、まとまっていたのです。

司馬懿は曹家から疎まれるようになり、次第に魏の皇室縁者からの圧迫に耐えれなくなります。魏は蜀みたいに人材不足ではなく、司馬懿の独壇場にはならないんですね。そこで、隠遁を装うことを決断します。都からの使いに警戒をしてボケたふり、耄碌したふりをしながら、本気で信じ込むまで延々と我慢したわけです。

そして、曹家の中でも内紛の様相を見せて来ると、好機と捉えてクーデターを起こして、実権を握ります。実質的な最高権力者になったものの、司馬懿は丞相就任も断り、皇帝、王にもならず、曹家皇族をすべて封じ込めた時点で志半ばで亡くなります。

後を継いだ司馬師は大将軍として呉と対峙しますが、諸葛恪(瑾の息子、亮の甥)に敗れます。(ここまで来ると、世代が完全に変わっていますね。)敗れたものの、その責任を部下に押し付けることなく、自分で引き受けた為、かえって名声は高まることになります。

そうなれば、次にやるのは帝位の簒奪準備としてあれこれ言って自分の操り人形になる人物を皇帝に就けるため、曹芳を退けたのですが、意見を郭皇后(曹叡皇后)に押し切られて曹髦が皇帝になります。この時点では完全に権力を掌握していなかったのでしょう。

これくらい好きにやれば、内部から反発が起きるのも世の常です。都督をしていた毌丘倹が大軍をまとめて反乱を起こすのですが、これを辛くも退けて、司馬師は若くして亡くなることになります。

そして、司馬師には子供がいなかったため、その後を継いだのが弟の司馬昭です。彼もやったことは兄の踏襲であり、反乱を抑えつつ、内乱を制御して、晋王と言う形で王の地位につきます。司馬懿からずいぶん経ってから、王位につき、晋という名前が登場します。

さらにそのあとを継いだのが司馬昭の長男、司馬炎で司馬一族がついに帝位につくことになります。天下統一は軍縮、鎮撫、と国を落ち着かせることに専念したのですが、徐々に女色にふけるようになり、後の混乱の要因になります。これも繰り返された歴史ですね。

まとめ

司馬懿が亡くなってからの出来事はそんなに面白くないので、あまり物語になりませんが、司馬家の天下になるのはずっと後のことです。こんなグダグダを三国志の延長として民衆が興味を持つことはあまりないでしょうし、そんなに面白いものではないです。だから、三国志演技では登場しません。

後の東晋と区別するために西晋と呼ばれる国は司馬懿が生きている間どころか、その息子たちの時代にも興りませんでした。この辺は曹操が皇帝にならなかったのと同じで、名実ともに簒奪するには代が変わってからでないとダメだということでしょう。この辺がアジア的だと感じます。

長男の司馬師は志半ばで倒れ、次男の司馬昭が跡を継ぎ、ようやく司馬炎が魏からの簒奪します。その晋もすぐに初代の司馬炎の時代に世が乱れ始め、また、中国は戦乱になります。同じことの繰り返しというか、人の世はいつの時代も先例に学ぶことなく同じ過ちを繰り返すんですね。

6+

投稿者: シン

思いついたことを記事にして、コメントをもらって、議論するのが楽しくてブログをやっています。

“じゃあ、西晋” への 15 件のフィードバック

  1. 難しいテーマだと思いましたが、リクエストありがとうございました。
    非常に勉強になりました。調べても三国志のあとは教科書では八王の乱になり、すぐに東晋になってしまいずっと疑問でした。
    私は、ずっと司馬懿が魏を乗っ取り、それだからすぐに晋が乱れたのだなと誤解してました。

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    1. あまり面白くならないので少し申し訳なかったです。私の腕もイマイチかもしれませんが、グダグダで面白くないので教科書ではスルーなんだと思います。八王の乱がテーマならもっと面白くなると思いますね。

      シン

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      1. 確かに、この記事からだと八王の乱に繋ぐと面白いかもしれません。
        調べたら今度は司馬一族でのバトル・ロワイアルからの滅亡ですからね。
        魏の崩壊の原因が能力主義?のため一族に権限を与えないために短命で終わったからだと思いますが。

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        1. >魏の崩壊の原因が能力主義?のため一族に権限を与えないために短命で終わったからだと思いますが。

          曹操旗揚げの頃から副将は従兄弟の夏侯惇ですし、親戚筋の重臣は多いと思います。むしろ、劉備の方が親族の登用は少ないと思います。魏末期は皇族が重臣として君臨し、司馬家と戦っているので一族に権限がなかった訳ではないです。晋は一族分断統治をしすぎたことは崩壊に繋がっていますね。特に司馬攸、司馬炎のどちかが正統後継者なのかを定まらないまま司馬師が亡くなってしまったのが痛かったですね。

          シン

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  2. 司馬懿の忍耐や政治力というのは、徳川家康を彷彿させるものがあります。三国志の司馬懿の部分を読むときは、信長や秀吉の下にいた頃の家康と重ね合わせて読んでしまいます。
    でも、政権を取ったものの後でグダグダになってしまったという点で、足利尊氏の方が近いかも知れませんけど。

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    1. 司馬懿は生きているうちに政権簒奪が出来なかったので、そこが家康との違いですね。家康は征夷大将軍について、それをすぐに息子に渡した上、生きているうちに完全に豊臣家を殲滅できたので天下統一できましたね。

      シン

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  3. wikipediaも詳しく歴史が書いてありますがなかなか内容が難しいときあるのでぬるりのわかりやすい記事で助かります。
    しかし、中国史では、最後の皇帝って悲惨な人が多いですね。西晋の皇帝も趙の劉氏に捕まり奥さん寝とられ、奴隷になって処刑ですから。

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    1. 大したことは書いてないですが、こうしてコメントで意見交換できるのは魅力だと思います。中国人って激しいので、適当に終わらせず、徹底的に締め上げますからね。転落した人への残酷な話がたくさんあります。

      シン

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  4. シンさんのおかげで、歴史について勉強する意欲がわきました。
    今は、youtubeでもかなり良質な講義が上がっているので、ノートさえあれば時代を気にしないで勉強できますね。(英語もですが)
    参考書で独学することが苦手な人、お金をかけたくない人や趣味で勉強するにはいい時代になりました。

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    1. ニコさんは西晋という、かなりマニアックな時代に興味があるのですね。西晋は中国を統一しますがすぐに滅亡し、南下して東晋になってからの時代の方が長いです。
      中国史で三国志の次に学ぶべきは、漢、隋、唐、宋、明、清あたりが王道だと思います。乱世が好きなら春秋戦国時代、南北朝時代、五代十国時代、南宋時代あたりでしょうか。
      中国の全盛期っていつになるでしょうか。私は漢、唐、宋あたりではないかと思います。日本との関係でいうと、唐や宋の時代は圧倒的な国力の差があり、交易も盛んで多くの日本人が憧れていたようですが、明になると秀吉が征服を計画していたくらい国力の差は縮まり、清に至っては異民族が征服した政権であり、徳川幕府が敬った様子はほとんどありません。

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      1. でらさん
        確かにマニアックな部分に焦点は当てていると思います。
        高校生みたいにテストや受験があることではないので、王朝の最期や征服後に負けた将はなにをしているのだろうや処刑に興味があったりしてます。
        この人何人子供いるのだろうな?やそんなことばかり考えています。

        いろいろ見ると、歴史は繰り返すんだなと思ったり勉強になることが多いですね。

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  5. あまり取り上げられる事のない時代であり、面白かったです。

    特に詳しいわけでもなく、西晋とも少し違いますが、私は諸葛亮も五虎将wも死んでからの三国志が結構好きです。英雄たちの時代が終わって、人材難と国力の疲弊等、少子高齢化の現代の話みたいです。
    特に成都に乗り込んだ鍾会が、姜維に唆されて反乱を企てるくだりは、のちのハリウッド映画のテンプレ(ex.ラストサムライ)みたいで、子供心に胸が熱くなりました。

    日中両国で、蜀の為に奮闘した善玉として語られる姜維ですが、同時代人からは嫌われてたんだろうなー、と想像します。はっきり言ってぬるりで否定してる鬼軍曹そのものな生き方で、下々の者達は「あんたはそれでいいんだろうけど、やりたきゃ一人でやってくれよ…」という感じで、暑苦しく、煩わしい上司No. 1は、彼で決定だと、私は勝手に思いますw

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    1. 第一次北伐で街亭を守りきれなかった時点で蜀に将来はなかったわけです。孔明ですらダメなのに姜維がどれだけ頑張っても無駄です。

      もう落ちぶれるしかない会社で亡くなったカリスマ番頭が出来なかった大手とトップのシェア奪取を弟子の鬼軍曹が下に強要しているような感じでしょうね。もう無理なんだから、定年まで逃げ切りたい人ばかりで迷惑そのものだったでしょうねw 頑張らず、適当なところで身売りして欲しくて仕方ないでしょう。

      シン

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  6. また、歴史物をリクエストしたいと思います。
    コメントで意見交換できるのは楽しいですし、教科書にあるようなつまらない出来事でない話がしたいです。

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