世間でよく言われる「女性の敵は女性」っていう話をしようと思います。
仕事
女性が女性に協力的ではない、と言うのはどこでも言われることで、日本だけではなく、アメリカでもFacebookのシェリルサンドバーグさんもそのことを語っていますし、私もシンガポールで女性同士が血みどろの戦いをするのを見ています。
個人同士だけでなく、立場の違う女性グループで戦争になることがほとんどです。立場は違えど、同じ女性であり、同じ境遇を共にする仲間だとは思わないのです。正社員vs派遣社員派閥を作って、血みどろの戦争状態になることは非常に多いです。
総合職女性が上に上がっていくのを一般職女性はアシストするのでもなく、むしろ、足を引っ張って、自分たちと同じ土俵に引きずり落とそうとしますし、上に上がった総合職女性は一般職女性のために手を尽くすわけでもなく、男性以上に冷ややかな眼で見て、全然助け合いません。
びっくりすることに育児休暇なんかも同じ女性のほうが無理解である傾向があり、おじいさんは別として、男性の方が育児休暇に好意的で、世の中がそう言う流れになっているので、法律には従いましょう、という反応に対して、独身女性が育児休暇を取る女性を露骨に攻撃したりします。
友情
女性は友情っていうのを持ちあわせておらず、立場が同じだから、ベタベタするだけで、立場に差がつくと嫉妬するので仲良く出来ないのではないか?、と思うことがあります。
同じ学校の、同じスクールカーストだから、ベタベタするだけで、その後の就職先に差がついたり、旦那の社会的地位に差がつくと、友情を維持しないようです。男性は立場に関係なく、地元のツレを大事にすることが多いです。
あくまで自分と同じ立場にいるから、その環境に対する共感をし合って、分かり合った振りをしているだけで、立場は違えど、ずっと友達であり、その立場を理解していこうという気持ちはないのでしょう。
女性の友情がないとは言いませんが、男性の友情とは違うものであり、ドライで、何よりも優先させて、大切にする、ということはないのでしょう。男性の友情はウェットで、自己犠牲を伴っても、友を助けるために動きます。少なくとも親友の為になら、なんでもやる人は多くいます。
性
人間は動物で、性のカルマから逃れることが出来ませんから、女性は性的魅力を何よりも誇ります。女性がミニスカを履くのは可愛いからでなく、男性を引き付けたいから、であるのは当然で、非難されることではありません。
そして、手にした夫を誇るのも変なことではなく、メスが強いオス好むのは当然だし、現代では経済力がある男性が強いとみなされることがほとんどであるため、スーツの決まった男性がモテるのは当たり前でしょう。
ヤンキー女性が相手男性の地元での権力という原始的な魅力を感じるのも、変なことではなく、群れの中での序列を重視するのは極めて動物的本能に従っているだけで、何も変ではありません。
夫だけでなく、子供の能力も誇りますし、むしろ、女性最大の特権である出産の成果を誇らしく思わないわけありません。子供の容姿がいい、学力が高い、スポーツ万能、など、小さなことでも、きそうのは当然ですよ。
まとめ
人間は動物なので、本能のカルマから逃れることは出来ませんから、綺麗事を言ってはぐらかすより、自分の本能を認め、相手の本能を認め、上手く折り合えるようにした方がいいではないか?、と思います。
LGBTなど、例外的な人もいますが、それはそれとして認めるのは大事ですが、例外を一般化して、本質を見えなくするのは得策ではないと思います。近年、男女の違いを論じることすら、タブー化して来ていると感じることもあり、なんだかな?、と思います。
特殊な仕事を除いて女性の働きやすさを考えると、男性:女性=8:2くらいが女性にとっても働きやすい環境かなと思います。もちろん、男性が多いデメリットもあるのですが。
時短勤務や育児休業、その他の女性の制度を使いづらくするのが独身女性からの嫉妬だと考えてます。男性の多い職場のが制度に理解があります。
仕事に関しては、納期の厳しいものを割り当てられることは少なく、出来が悪くても居場所をなくす、査定でこらしめることは女性相手ならオッサンは今できないですね。下手したら管理職のオッサンがやばいです。並み以上に優秀ならそれだけで評価されます。
逆に男性の育児休業や家庭に参加はオヤジ文化だと馴染みにくく、趣味や家庭重視にしようとすると甘えたこと言うんじゃないとか言われ職場に居づらくなります。
女性だけの職場は女性自身が嫌がるくらい嫉妬にまみれた険悪な職場になりやすいので、8:2くらいで、女性優遇が受けやすい職場が居心地がいいでしょうね。女性が男性と同じように仕事をするのは妊娠、出産を諦めなければならないだけでなく、いろんな犠牲が伴うので、まず無理です。
シン
男性だけの職場もあまりよくなくて事務所が汚い、意味もなく残業する輩やそれを楽しむ人が出てくるのでオバチャンでいいのでいるといないのでは大違いです。
意味もなく残業してる輩ほど忙しいとか言ってイライラしてますし。
そうですか?
汚い男性は女性がいても汚いし、残業大好きな人は女性がいても関係なく残業をさせようとしますので、あまり関係ないと思います。おばちゃんも他人の机までは片付かないし、すぐに帰るので、残業時間には会社にいません。単にその会社の統制の問題です。
シン
うちの妻のことをご存知のようですね(笑)女性脳は生存に特化した脳な気がします。比較的均一な性質を持ち、泣いても喚いてもしぶとく生き残りますからね。男は、天才とクズの差が激しく(紙一重?)、理想を追うものの意外と弱くコロッと死にます。
女性脳は今を生き抜く為に最善なことを選択するように出来ているのでしょう。
シン
記事は、日本女性の話ですか?日本人以外ではどんなかんじですか?
世界中、女性は多かれ少なかれ同じです。
シン
女が汚いのは生き残るためですね。
もともと自分に力がないのをわかっているから、生き残るために男性を使うしか思い浮かばないのです。自分の力では生きていけません。
それをわかって男性を気持ちよく動かせるとお互いうまくいくのではないでしょうか。
女同士足を引っ張らずにうまくいく方法もやっぱり自分を理解することですよね、女の性質を理解した上で仲良くやっていけたらいいのに、と思いますが難しいでしょうね。
彼を知り己を知れば百戦危うからず、と言うように、上手くやれると思いますが、それが出来ないのが凡人なのでしょう。
シン
披露宴に招待された女性の多くは友達である花嫁に口ではおめでとうと言いながら、内心は先を越しやがって、いい旦那捕まえやがってと嫉妬していると女性の知り合いから聞いたことがあります。(たった一人だけだとサンプル数として少ないので十人くらいに聞きましたが、概ね間違って無さそうです。)子供のころから、女性同士の表面的な友人関係の脆さを薄々感じていたのですが、それを知った時、それが確信に変わりました。それじゃ本当の友情なんて成立しないわなって思いました。
パーティードレスで着飾っているのも花嫁をリスペクトしているというよりは着飾った自分に酔い、あわよくば披露宴や二次会でいい男を捕まえたいという潜在的な欲望を抱いているというのは勘ぐりすぎでしょうか?花嫁との集合写真でかわいい笑顔を作ったり、ポーズをとったりとお前目立とうとしすぎだろって突っ込みたくなることもありました。
男性である自分からすると、そんな気持ちなら相手に失礼だから来るなよと口をついて出てきそうになりますが、悲しいことにそれがしたたかに生き残っていくための女性の性なのかもしれませんね。どうやら披露宴の出席を断って、自分が冷たい人だと思われたくない、自分が披露宴を催す時に来てもらうために恩を売っておきたいといった複雑な思惑が絡んでいるようです。そのために適齢期の女友達が毎月、せっせと友人の花嫁の披露宴に参加してご祝儀ばら撒いていた姿に妙な痛々しさを覚えました。女性は特に披露宴への出席者の数が自分の結婚の格を左右する一つの証左ととらえているのかもしれません。個人的には友達が来なくて、こじんまりとしていても婿と嫁の信頼関係が強ければそれでいいじゃんって思いますが。
女性が嫌いな人を結婚式に呼んで、その人も嫌々出席する、というケースを何度か見たことがあり、首を傾げたことを思いましました。安くないご祝儀出して、時間使って、祝福したくもない人の結婚式に出席する気持ちが理解できません。断ればいいのに、と思います。
まぁ、地味婚で、祝福してくれる身内、親友しか呼ばない結婚式をする女性もいるので、全員が世間体だけで、結婚式するわけではないですけどね。
シンガポールだと、誘う基準が緩く、自然集合、自然解散です。好きな時に来て、88SGD(5-6千円)払って、飯食って、酒飲んで、少し新郎新婦と話して帰るスタイルの人が多いです。それでも、女性同士のドロドロ関係は目撃します。人種、属性で違います。
シン
記事とは関係ないのですが、女性にとってのぬるりと生きるとはどういうことだとお考えですか?
これまで読んできて、ぬるりと生きるの定義は男性向けのように思いました
女性はぬるりと生きられないものなのでしょうか
無理だとは思いませんし、ぬるりと生きている女性を知らないわけではないですが、やはり少ないとも事実です。何かを決める時に自分と向き合うのでなく、他人の評価で判断するなら、ぬるりと生きてない、と思います。
シン
妻の友人関係を見たり話を聞いたりすると、結婚をして子供がいて経済的にもまあまあ中間層以上でというように安定している方ほど、性格が穏やかでさまざまな有益な情報をいただけたり長く良好な関係が続いていたりします。性格が良いからそうなったのかそれともそういう社会的背景だから性格が良いのかは鶏と卵の話と同様よくわかりません。互いに影響し合っているとは思いますが。
また無意識的なのかもしれませんが、奥様同士互いに違う会社の奥様方といる方が楽しく自然体でお付き合いできているようです。社格については特に意識していない(むしろ互いに伝えていない)ようです。
同じような社会的背景(家族構成、所得階層、年齢層など)であってかつ適度に距離がある(夫同士が違う会社、同じまたはすぐ近くのマンションじゃない、子供同士が何か互いに競争していない)場合は、本記事にも書かれているとおり女性同士で互いに差を意識せず余計な気を使わなくて済むので、仲良く付き合えるのかなと思いました。
あと観察していて他に面白いなと思ったのは、外国の狭い一都市の世間であっても、同じ女性が複数のグループに属してそれぞれで違う役割を持っていることですね。
女性の人間関係はある共通点を持ったカーストを形成して、上下関係を作らないようにします。自分の心地よいカーストに所属している時は穏やかですが、居心地悪いカーストに入ると、メチャクチャ荒れます。男性は利害関係がなければ、無頓着であることがほとんどですが、女性は直接の利害関係がなくとも、お互いの関係性に最大限の気を払いますね。古来からバックオフィス業務をして来て、関係を悪くしないことが最大の目標として、仕事をして来たからでしょう。
シン
yshrさん
女性は自分自身を相対的な位置に置いて、自身のアイデンティティを構築する傾向があるので、ぬるりと生きるのは難しいかもしれません。シン様がおっしゃるぬるりと生きるスタイルは自分自身の中で絶対的な価値観を構築し、周囲の雑音に左右されない精神性を持つことだと思います。例えば前述の披露宴の例であれば、披露宴のあり方、ご友人との関係性を自分自身で冷静に考えて、その上で出席の可否を決することではないでしょうか?友達も出席するから、自分が披露宴を開催するときに人数が沢山いる方がいいから、気持ちは進まないけど、とりあえず出席しておこうという思考を絶つということだと思います。このように世間体を切り捨てて、自身の意思に問いかけた生の声に忠実に生きることがぬるりと生きるという私の解釈です。自分の頭で考えて自身の中で価値観を構築するという基本的な部分に関しては男女関係ないと思います。
子育てが落ち着いて、パートや派遣で働いていますが、6年間で6回転職しました。理由の大半は、女の先輩からの妬みやいじめです。年齢が上がるほど、女の嫉妬は強まります。私なんてもうオバさんだし、妬まれないだろうと思っても、毎回妬まれ、辞めさせられます。地味な服装や、最低限のメイクで、目立たないようにしていますが・・・それが私の人事を握った女上司だったりすると、契約更新をしてもらえないし、他の人には『仕事ができないからやめさせた』といい触れ回られてしまいます。上司は男性がいいです。女性が活躍する社会を、もう応援する気がなくなりました。
>6年間で6回転職しました。
ここまで多いとなると、何か重大な原因が隠れているような気がします。ともあれ、女性がほとんどいない仕事を探したほうがいいタイプの人なんだと思います。
シン
「女性の敵は女性」という事もあるでしょうが、それは男性にしても同じ事(男性の敵は男性)ですね。
結束力、足の引っ張り合いというのはそれぞれに合って、男性と女性では出る場面が異なるだけでしょう。
それは違いますね。男性は自分に利害関係のないことは無関心であることが多いのですが、女性は利害関係のないことすら嫉妬することが多いです。
また、男惚れしてまったく得のないことをして相手に尽くす男性はいますが、女性はまずいません。
生物的に女性は損を出来ないんだと思います。実際は損しなくても、潜在的に損するかもしれない、他人が自分より得をするかもしれない、ということですら嫉妬する、イライラするんですよね。
シン
>男性は自分に利害関係のないことは無関心であることが多いのですが、女性は利害関係のないことすら嫉妬することが多いです
同感です
どう見てもあなた達にとってどうでもいいでしょ、というオッサン・じいさんしか男性陣がいないような場でも、
そこそこ綺麗で若い女性がくると、必死にあら探ししてケチつける女達がいます
逆に、どう見てもあなた達が付き合うの無理でしょ、というイケメンかつ超モテてる男がいる場でも、
顔もスタイルもよくなく若くもない女性同士で、無駄に張り合いを繰り広げてます
確かに女性の集団を見ていて当てはまるところが多いなと思いますが、正直「一定年齢以上の世代の考え方」という壁を感じずにはいられません。
SNS中毒者は別ですが、下の世代に行くほど個人意識が強くあまり他人に干渉しない傾向です。結局僻み合う女性達は「暇」なんですよね。気に入らない些細なところまで首を突っ込むのは、暇で暇で仕方が無いからです。主体性を持って人生で何かしらやることを決めている人はまずその界隈にいません。