じゃあ、サイコパス濫用

最近、やたらとサイコパス、サイコパスと表現しますね。その中で私がそれはサイコパスなの?と言いたくなる人たちを挙げたいと思います。

学術的な定義はないそうなので、個人の感想です。私はサイコパスを目的のために手段を選ばない人だと定義しているので、目的の為なら常識、慣習、良心、時に法律まで平然と無視してくる存在です。

傍若無人

貧困層が他人の迷惑も考えず、自分の好き勝手に振る舞う人はサイコパスではないと思います。単に失うものがないからワガママな人がやりたい放題にしているだけで、ある意味では正常な行動だと思います。

無敵の人、と言いますが、失うもののない人ほど怖いものはありません。有形無形の資産がないので開き直って好き勝手やるので、信じられないくらい忍耐力がなく、ムカついたから刺した、というような短絡的な行動に出ます。

ガチムチ正義マンだろうが、いかにも荒んだ目、狂った目をした人間の迷惑行為を注意するのは怖いと思いますね。どれだけ腕っぷしが強くても、何の掛け合いもなく突然刺されたら対処のしようもなく人生は終了です。

サラリーマン

自分のサラリーマン上司がサイコパスだとかいう人は割といるんですが、サラリーマンやっている時点で枠にハマっているんじゃないでしょうか?つまり、目的の為に手段を選ぶしかない立場なんだからサイコパスではないと思います。

証拠が残りづらいやり方でパワハラするとか、巧妙に責任回避をすることで他人に責任を押し付けるとか、は単なる性格の悪い小市民じゃないの?と思いますね。そんな人はザラにしますしね。

働いている時に出会うサイコパスって、創業経営者くらいでしょう。労働基準法がどうだろうが、俺がこの会社の法律だ!とか言い切れるっていうのは中々です。それでいてヤバい、メリットがないと思うとサッと前言撤回してきます。

共依存

自分のパートナーがサイコパス、とかいう人もいますが、それは共依存ではないでしょうか?相手を選んで血も涙もないことをしているなら許されるという甘えでやっているのに過ぎませんから目的のために手段を選んでいます。

特定の相手に対して駄々をこねながらワガママのハードルを上げているだけであり、それを少しずつ許してしまうことで、暴言、暴力が日常化しているのでしょう。その暴力で得ている対価も大したことありません。

目的のために手段を選ばない、というなら必要なら危険人物にすら噛み付きますし、逆に大嫌いな相手のケツだって舐めるのがサイコパスだと思います。相手を選んでやりたい放題なのは性格がねじ曲がっているだけでしょうね。

まとめ

サイコパスと呼べる人はそうはいないし、出会したら相手にせず、その場を立ち去った方が良いでしょう。そういう人に関わってしまうと、ほとんどの場合、散々食い物にされてボロボロになります。

逆にサイコパスなんて滅多にいるものではないんだから、そこまで構えず、その人が入っている枠を見つけて、その枠の外を出してしまうぞ、という脅しをすれば、それ以上は何も起きません。

ほとんどの人が制約条件の中で生きており、そこを踏み越えることはまずありません。それを冷静に眺めれば、サイコパスもどきなど恐るに足らず、ではないでしょうか?

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