何かと叩かれる対象になりやすい団塊世代について取り上げます。
定義
第二次世界大戦が終わり、兵士として海外に渡っていた男性が帰ってきて、家庭を持った時期に生まれた人たちです。この世代はとにかく多く、戦後の物不足もあって、何もかもが足りない状態で育っています。その結果、何かに飢え、反発し続けてきました。
ちなみに彼らは二言目には俺らの頃は受験が大変だった!、と言いますが、大学に勧めるほど裕福な家の子供が少なく、大学進学率も15%程度に過ぎず、激しい競争をして、学歴を手に入れた、ともいいづらい部分もあります。
戦前はアッパーミドル出身であれば、低レベルな旧制高校に入ることが出来て、旧帝に無試験で潜り込むことができましたから、それと比べれば、団塊世代は苦労して、大学に入ったといえるのではないでしょうか?
更に学歴関係なく金の卵として暖かく社会に迎えられており、どんなダメな人でも真面目にやっていれば、のし上がることが可能な世代でした。集団就職で上京して、下積みを続けていれば、車を買い、郊外に一戸建てを買い、子供に十分に教育を与えられたのです。
罪
彼らは戦後の高度経済成長に貢献した、と主張しますが、高度成長真っ只中の60年代、70年代は戦中派が実権を握っていて、団塊世代はその部下として中間管理職をしていたに過ぎず、彼らが実権を握った80年代はバブルに踊っただけです。
結果論ではありますが、今の失われた30年の原因を作ったのは彼らであり、定年延長によって若者の雇用を取り上げているのも彼らであり、今後社会保障を食いつぶし、若者から搾取するのも彼らでしょうから、正直なところ日本の癌になっている世代だと言えます。
個人に罪はないものの、自分たちの世代が今の日本の苦境の原因になったことくらいは意識してほしいな、とは思います。でも、古今東西同じように年を取ると「最近の若者は、、、」と言い出してます。まあ、年を取って、自己否定なんてしたくないのが人情ですから。
反体制
左翼教育で育ったせいもあり、学園闘争の主役となって、犯罪行為をして、暴れまわり、それが落ち着けば、何事もなかったように大企業に乗り込む、という甘えきった青春を体験しています。私が彼らと接して感じるのは競争好き、社会に甘えており、上から目線偉そうにするのが大好きな人たちです。
犯罪行為を正当化する気すらあり、俺らの時代は世の中を変えるために戦った!、今の若者はおとなしい、とすら言います。オイオイ、何も考えず、モラトリアムの延長で暴れまわっただろう?、と言いたくなりますが、まあ、それは置いておきましょう。
悪名高い日教組の忠実な生徒としての考えをするので、反日感情、中韓への必要以上に悪いことをしたと言う気持ちを持つ人が多いです。どんなにリベラルな人でも多かれ少なかれプチ左翼的な考え方をする、と言っていいでしょう。教育は本当に重要で、ガチガチの反日を行う中韓の若者がなぜ日本を憎むのかは団塊を見ればわかるでしょう?
まとめ
素直に羨ましい世代だな!、と思います。どんな人間でも真面目にやっているだけで、ある程度の地位を手にして、一軒家を持ち、きちんと貯金をして、子供を大学に送ることができ、退職金を受け取りつつ、定年延長で収入を確保、きちんと年金も受け取っています。
問題は彼らに介護が必要な時期が間近に迫っており、ただでさえ弱った若者を苦しめることになるでしょう。あと5年もすれば、若者が何も身につくこともない糞尿にまみれた肉体労働を黙々として、呆けかかってイライラした団塊に怒鳴られたり、暴力振るわれたりするのでしょう。
さあ、この局面をどう乗り切るのかが日本のターニングポイントです。団塊の子供たちであるジュニアはさほど恵まれているわけでもないので、親世代を支えきることも出来ず、更に若い世代に借金とキツイ肉体労働を放り投げるのでしょうか?
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自分は今19歳ですが、羨ましくないです。
当時は、ネットもサブカルもなく、すごく暇そうな印象しかありません。
管理教育が強く、人権意識が低いイメージがあり、生きづらいだろうなと思います。
自分は、江戸川乱歩が好きなので、当時の雰囲気を味わいに
、短期間タイムスリップできたら、してみたいですが、その時代に長い事いたいとは思いません。
30代後半くらいは、テクノロジーの発展を肌で感じられそうでいいと思いますが、この年代は校内暴力で荒れていたイメージが強いので、結局昭和生まれにはあまり羨望の気持ちは抱きません。
やはり、不景気でも自分はサブカルの発展した今が一番です。
幸せな時代って、常に更新されていくものだと思います。
確かに人権、寛容、と言う意味では今の方が明らかにいいです。学校は坊主強要、体罰上等だったり、仕事はパワハラ、セクハラなんのその、でした。
今はそんなことすれば、即証拠を取られて、ネットに上げられ、ネットリンチにあいかねないので、迂闊なことはできません。
シン
会社でまだ団塊の世代がいろいろな実権を握っているところもあるので彼等と私の世代で考えや感覚が違いすぎて話が通じないところがあります。
具体的な部分が書けずに申し訳ないのですが、とにかく精神論で物事を解決できると考えており、無茶なことをやらせる、それができなければキレるとかITの時代に逆行してるような人が多いです。
参考になりました。バブル世代もよろしくお願いします。
社会全体が伸びていたので、精神論で成長できたからでしょう。
シン
団塊世代ってつまり、戦後の 産めよ増やせよ に生まれた世代のことなのですよね?
もしそうだとすると私の両親もその世代に当てはまります。
ranさんがおっしゃってる通り、確かに人権意識が低い時代だといえます。
もっと言えば、この団塊世代以前の(私の祖父母にあたる世代)はもっと人権意識が低い時代です。
バブル世代の記事、私も希望します。
団塊世代が育った時代は人権意識という意味では酷かったみたいです。戦前派、戦中派の時代は人権意識はは低くとも、世の中全体が緩かったみたいです。何度も転職するのもあまり前で、ダメなら逃げる、みたいな緩さが戦後、失われました。
昔、書いたバブル世代の記事が残っているはずなので、探してみます。この記事も昔書いたので、若干修正しないと、現状に合いませんでした。
シン
今の若者が苦労してる理由がわからないのが話が噛み合わない理由だと思うんですよね。
提案もとんちんかんだし、私も同期も含めてその大学でてなんでうちの会社なの?もっとあるだろ?とか煽ってきたり、嫌みな学歴コンプレックスもあるようで正直苦手なんですよ。
競争に追われた人生だったので、競争しまくない、という気持ちがわからないのだと思います。また、とっくに定年過ぎて、お金に不自由しなくても、働きたがるので、もっとまったりやりたい、という意見がわからないのだと思いますよ。
シン
競争を好むくせに自分が負けた時に負けを素直に受け止めて学ぼうとしないのもこの世代の特徴ですね。負けた理由、出来ない理由をあれこれ理由をつけて言い訳して、それを論理的に突っ込むと最後はキレて終わるという・・・。
とにかく、数が多くて、常に競争、大声あげないと何も自分に回って来ない、負けを認めると、袋叩きにあう、という考えが染み付いているからでしょう。
シン
やたらお金を持っているのにも関わらず、あまり消費しない世代という印象です。
きっと長い老後に備えてのことと思いますが、年金も十分に貰えているので
この世代にもっとお金を使ってもらえればデフレ解消にも繋がるのにと思います。
その団塊世代の子、比較的裕福な生活を味わえた団塊ジュニアの記事も期待します。
団塊はそれほど贅沢でもなく、定年後も働きますし、溜め込んでいるイメージがありますね。子供にはよく使ったし、孫にも良く使うので、彼らを動かすには孫のためにビジネスかもしれません。
団塊ジュニアの記事を考えておきます。
シン
団塊の世代のエンジニアの先輩達は、再就職先で70歳近くになってもまだ現役で働いている人、ラオスでラム酒を作っている人、九州で炭焼きをしている人などがいます。
現役組で多いのは特許庁の天下り先の財団法人に、各業界の有力メーカー人事部からの紹介という名目のリストラで転職して経験分野の特許の事前審査を行っています。幹部は天下り組、実務部隊はほとんど全員がメーカーの管理職経験者という団塊の世代を中心にした世代の集まりだそうで、一定の成績を残せば70歳以上でも継続して勤務可能だとのことです。特許の事前審査では過去の特許・文献などをデータベースで検索して新規性の有無でふるいにかけるのだそうですが、他人のアイデアにケチをつけるのはこの世代の人達に合っているのかもしれません。いずれはAIに置き換えられる仕事なので近い将来に無くなるでしょうが、現在の人達は逃げ切りですね。
ラオスでラム酒を作っている人は、何人かで退職金を持ち寄ってサトウキビ畑を買いラム酒工場を作って日本に輸出しているそうで、地元の経済にも貢献して良いのではないかと思います。
九州の地元に戻って炭焼きをしている人は、エンジニアの経験を生かして炉の温度や炭の電気抵抗を測定して品質管理をしているそうで、ラム酒の人と同様に団塊の世代の生き方として何年か前にテレビで紹介されたようです。パワフルな先輩達が多く、引き籠もりぎみの私にはとてもまねができそうにありません。
団塊世代は生涯現役意識が強く、おじいさんになっても、挑戦する人が多く、それは尊敬します。ただ、その挑戦心が若手の邪魔になっているパターンもあるので、老いては若きを助ける人生の大先輩として、温かく見守ってもらえると、人生を終えるときに泣いてくれる人が増えるのだろうと思います。それは団塊世代に限らず、下の世代にとっても同じです。
シン
世代ごとにそんなに特徴があるという考え方をしたことがありませんでした。しかしシンさんの記事は説得力を感じます。私は頭が固いのかもと思いました。話がそれますが、私は小学校入学時から全く勉強しないでも高校入学までずっと学年1番でした。その為勉強や努力をする習慣が身に着かず今は落ちぶれています。数学、物理は得意でした。(IQは去年病院で検査受けた時125くらいでした。MENSAには足りません。)IQは低くなかったとしても、「頭の良さ」は別問題だとつくづく思います。自分が望む人生を実現させる能力を頭の良さと定義するとしたら、本当の頭の良さって、どうやって作られるのでしょうか・・。やはり本人の性格が大きいんでしょうか。今からでも頭が良くなりたいです(笑)
頭がいい、というのがどういうことなのか?、とは常々思いますが、おっしゃるように人生は楽しんだもの勝ちであるなら、自分がしたいように生きるための知恵のことなのかもしれません。少々何かに才能があっても、それがずば抜けてない限りはそれほど意味のあることでなく、その才能を生かすための戦略のほうが大事だと思います。
その道の一流になりたい、というのはある程度の年になると無理ですが、なんとか食っていく程度に好きなことをやったり、お金を稼ぐためにする仕事、好きなことをするための余暇をきちんと分けて、人生を楽しむことはいくつになってもできるのではないか?、と思っています。
シン
団塊世代のサクセスストーリーやお説教を聞いていると素直に羨ましい時代だなと思いましたね。ITで今ではほとんど消えた仕事も延びしろになっており、今の時代なら間違いなくフリーターだろうなと思うような職業選択でもなんとかやっていけるとか羨ましいです。
自営業でもそれなりにやっていけたみたいなので
私の考えなんですが、IT化の影響でどの仕事も内容が濃い、スピード感が求められるので仕事のやり方や進め方が違うのですよね。
団塊の時代は人口ボーナスであったのは大きいですが、今はITさえ活用できれば、お手軽起業が可能になったので、やる気さえあれば、やりたいことをできる時代でもありますよ。
シン
2年前の記事ですが、管理者殿が書かれてる内容は身に沁みます。
私は団塊世代にギリギリで遅れた世代ですが、本当に団塊世代は「競争ですり減らされた世代」です。
若い皆さんは想像がつかないかもしれませんが、小学校の教室が足りずにプレハブ(と書くとまともな建物ですが、現実的には工事現場の飯場の大きいやつ)で授業していたくらいの子供の数でした。
勝者と敗者の塊ですよ。
だから、悪質クレ-マ-は団塊世代に凄く多い。やはり、競争に次ぐ競争で疲弊してるんですね。
超高齢化社会が来ることは、団塊世代には分かり切っていた未来の筈だったのに、ナニも対策を講ずることなく今に至ってしまいました。
同調圧力に弱い情けない世代ですよ。だから、祝日で国から休日を貰わないと休暇さえ使えない。周りが職場を出ないから、自分もとりあえず席に留まる。
日本社会の悪弊を矯正できる世代だったのに、ナニも出来なかった。
愚痴しか出ませんね、彼らには。