日本人は大学、学部を評価するのにプロ、素人問わず、偏差値、偏差値、と二言目に言いますが、そんな国は日本だけで、他国でそんな意味のない指標を使っているケースを私は知りません。
過去
偏差値とは平均を50にして、そこからどれだけ遠いのか、を分布図にして、数字化しているだけで、同じサンプル、同じ試験方法をしないと、比較すること自体が無意味な数字なんですが、数字化することで、絶対的な価値があるような気にさせられます。数字の魔力といいますか、そのサンプル、試験方法がはっきりしなくても、数字が出てしまうと、それが正当化されてしまうのです。
元は予備校を主体とした受験業者が大学をランク化して、大学進学希望者の競争を煽り、集金システムを築くために使った意味のない数字のはずですが、その数字が独り歩きして、比べることができない数字同士を比べるようになりました。大人が騒いだことで、子供も偏差値ばかり追いかけるようになり、進学後にどうしたいのか?、が二の次になっていきます。
偏差値システムは日本が人口ボーナス、経済成長、終身雇用、年功序列をしていく前提で成り立っており、それが壊れた時に何の意味があるのだろうか?、と思います。大学で「何を」を学んだかでなく、「どこで」学んだのかだけを基準にして、企業が就職希望者を選んで、一から教育し、定年まで面倒を見るなら、数字さえ追っかけていれば、何も考えずにいられました。それが壊れてしまい、今に至ります。
受験
シンガポールの教育は日本以上の詰め込み教育で、子供は試験に追われまくって成長していきます。子供用の雑誌なんかを読んでみると、受験のことばかり書いてあるくらいですが、それでも、偏差値なんて存在せず、統一試験の評価がこれくらいなら、このランクの学校から入学許可が出る、というくらいの目安でしかないです。
また、日本のように同じ大学の違う学部を乱れ撃ちする習慣のある国も知りません。これって、何を勉強したいかではく、どの大学に入りたいのか?、になってしまっていているので、大学に入って勉強しなくなるのは目に見えていませんか?だから、日本の文系はレジャーランドと言われるわけで、偏差値追いかけて、大学に入ったら、学業とは関係ないことをメインにして生活しているって、異常だと思いませんか?
受験して合格したことが人生で一番頑張ったことだ、とか言ういい大人が存在するって、恥ずかしいないのだろうか?、と思いますが、それが日本の受験システムで、二言目には相手の学歴を聞き、それによってマウンティングする人っていますが、薄っぺらい人生を送っているんだなぁ、と思います。たかが人生の1ページでしかない受験結果を最大の評価基準にしているのですから。
学歴序列の話になると、生き生きして「マイランキング」を披露しだす人、他人を評価するのにまず最初に学歴を持ち出すって多いんですけど、その人にとって、学歴っていうのが凄まじく大きな存在になってしまっているのは偏差値教育の弊害なんだろうな、と思います。自分の判断力より、学歴のほうを信用するようになっているって、中毒です。
個の力
自分は何ができて、それをどうやってお金にするのか?、と言うことが何よりも大事になる時代は近いだろうと思います。日本も徐々に雇用が流動化し、国際競争に晒されると、偏差値がどうとかなんて気にしてられないですし、どんなに華やかな経歴だろうが、お金にならなきゃ、相手にされなくなります。そうなれば、お金になることを勉強することが入試難易度より重要だという当たり前のことが浸透するでしょう。
一物一価というやつで、日本人だから、単純作業やっていても、労働単価が発展途上国の人間よりも高いっていうのは通用しなくなるってことです。付加価値の低い仕事が物価の高い国から低い国へなだれ込んでいくので、先進国には単純作業は残らなくなる、もしくは移民によって担われるようになっているのです。やることのなくなった人は社会保障のお世話になります。
まず、自分の頭で考えてください。誰がどういったとか、そんなの関係ないでしょう?そして、誰が言ったかでなく、何を言ったか、で判断する癖をつけてください。だから、私は一切自分の経歴を披露するつもりはありません。私の学歴、職歴を延々と聞いてくる人って、自分の頭で考えられない人だと思うのですが、「ぬるりシン」というオンライン上の人格が言う意見がどうなのか?、を率直に述べられなのでしょうか?
まとめ
学歴の話題をすると、荒れるので避けていたんですが、避けるのでなく、その名前だけにこだわる無意味さを記事にしていきます。こだわるのはそのコスト、内容、それがどれだけのリターンをもたらすかです。その部分についてしっかり書いていきたい、と思います。高校生が記事を読んで、何かしら感じることがあれば光栄です。
とにかく、人生は一度きりしかなく、それをどれだけ楽しむかの競争です。絶対価値を強く持ち、相対価値を持たないことでしか、楽しむことはできません。相対価値を持っている限り、他人がうらやましくて仕方なくなります。偏差値は相対価値の権化みたいなもので、非常にあいまいな指標なのに、あたかも絶対指標かのようにふるまうので、頭の悪い人はそれに振り回されます。少し弁護するなら、それは社会、親の教育に責任を求めても、いいのかもしれませんね。
馬鹿な高校教師が言ってたのですが、おそらく偏差値やブランドのことですが中堅私立の理工系いくなら浪人しろとかいくなとかいう指導する人がいるみたいです。本人のやりたいことを無視したやり方とか就職を台無しにする指導が横行してますよね。
教師は世間知らずなサラリーマンなので、進路の相談相手としては不向きだと思います。自分の評価のために上っ面の偏差値を絶対視した指導を平気でする人が珍しくありません。
シン
本人が卒業できればが前提ですが、中堅公立から中堅私立の理工系や下位~中堅薬学医療系ならおいしいと思います。
予備校講師の頃、指定校推薦の権利でいけるはずでしたが担任のクラスの方針で進学できなかった生徒がいたのがもったいなかったです。
なんの責任も持てないのに担任が生徒の進路を決めるのか理解できません。なんでもそうですが、自分の人生なので自己責任でやって貰えばいいです。その為の客観的な判断材料を示すならいいと思いますが、多くの教員は感覚で話をします。
シン
本末転倒の考え方をする人って多いですね。
ニコさんシンさんのおっしゃるとおり、バカ高校教師は多いと思います。
私の想像ですが、高校で1学年10クラスあるとして、
7クラスを文系3クラスを理系とか、生徒の意向を無視して、
最初から割り振ってるんじゃないでしょうかね。
で、人員の関係で、理系に行くことを希望する生徒がいても、君のこの成績では
理系は無理だとか言ってそうな気がします。
もしそうだとすると、ほんとに余計にお世話ですよね。
生徒の将来奪うなと。
受験のための数学ができなかったとしても、
基本的な考え方は理解できる人はいるし、
数学できなくったって、看護師にだってなれるし、
勉強すればD~Eラン理系にだって行けますよね。
やる気があったら、大学入ってからだって勉強できるし、Eラン理系行くにしても
数Ⅲ、物理は必要になってくるから希望する生徒には希望するコースをとらせりゃいいんですよ。
高校側がなんかいってくれば、証拠とって教育委員会にでも直訴すればいいと思いますよ。
教員って、世間知らずなのに、それに気づいてない人が多いので、イメージだけで、根拠もないことを平気で言うし、強要をする人が多くなるのは当然だと思います。無視することはないですが、一意見として、冷静に捉えるのがいいと思います。
シン
いつも読んでます。
非常に考えが近く、本質を突いている記事を楽しみにしております。前blogの記事をもう一度読み直したいと思いながら最新記事を拝読しております。
私は、学位ビジネスに振り回されてるひとが多いと思います。
日本では、学校歴がブランドに結び付くので。
そんなことに時間を使うより、稼ぐ力を身につけたほうが、一万倍良いと思ってます。
前のブログ記事の加筆修正をしてアップもしていますよ。この記事がまさにそうです。徐々に増やしていくので、お目当の記事もそのうちアップされると思います。
早い段階で好きなことをみつけて、それで稼げるように努力することの方が単にブランドだ、偏差値だ、を追いかけるよりいいと思います。日本には子供に本質を教えられる親、教師が少ないのだろうと思います。
シン
偏差値は高校生の間で”頭いい競争”に使われるので
しょうがない点はあります
大人だって公の場では言わないでしょうが給与の高い低い
を気にしたりしますし
サンプルの取り方でブレまくる間違った指標の偏差値で競争する意味ないと思いますよ。
お金は常に正しいため、その報酬の過多で競争するのは特に変ではありません。お金を人生の主体にしないのも自由ですが、なしでは生活できません。
シン
もし、よかったら、学歴ロンダについての記事を書いてもらえませんか?
昔、要望の応えて書いた記事があるので、それを加筆修正します。
シン
お暇でしたら昔のブログにあった相対価値と絶対価値の記事を
書いてほしいです
あとブログ主さんは文章が上手なので
宗教や自Xなどのサイコな記事も読んでみたいです
雰囲気に合わなかったらこのコメは消してください
徐々に昔の記事を整理しているので待っていてください。繊細な話題は大丈夫なラインを探っているところなので、書くには時間がかかると思います。
シン
シンさん
「偏差値システムは日本が人口ボーナス、経済成長、終身雇用、年功序列をしていく前提で成り立っており、それが壊れた時に何の意味があるのだろうか?、と思います。」
おっしゃる通りです。
「日本企業で出世する人たち、じつは「超低学歴」ばかりになっていた…!」
最近この長い記事を読みました。
この中で特に印象に残ったのは、「18歳がピークでした。・・・」です。
受験結果を最大の評価基準にしている学歴序列主義者も、18歳がピークです。
この長い記事には、日本が凋落している大きな原因となっていることが沢山含まれていると思うのですが、如何でしょうか。