リクエスト記事です。
カンボジアの独裁者、ポルポトは人類史上、最も純度の高い共産主義を目指した革命家であり、最も凄惨な残虐な施策をした政治家だろうと思います。
育ち
ポルポトはアッパーミドル出身で、学業で落ちこぼれています。こういう人が非合法活動に手を染めることはよくある話で、日本の過激な安保闘争をしていた人たちも多くが割と裕福な家庭で、高等教育を受けていた人たちが身勝手に労働者の権利を主張していたんです。
ポルポトの従兄弟が王室に側室として入ることになった為、その口添えで貴族が通う学校に通い、プノンペンの名門高校を受験するものの失敗、地方の高校に通い、再度、プノンペンの高専に入り技術を学び、奨学金を得て渡仏、グランゼコールに入りました。出来は良くないが出身が良いので、優遇されてきたのでしょう。
フランスで共産主義に触れて、思想に取りつかれるようになり、民族主義と合わさって、仏領インドシナからのカンボジア独立を夢見るようになります。革命活動に熱中して学業の方はまったく振るわず、三年連続で試験に失敗すると、奨学金を打ち切られ、強制帰国となります。
ちなみに妻のキューポナリーはフランス滞在時代に出会ってますが、ポルポトとは正反対に秀才で、カンボジアの高校を首席で卒業すると、カンボジア人女性としてバカロレアに初めて合格しています。若き日のワルぶったポルポトの危険な感じにやられたんでしょう。
クメールルージュ
ポルポトが帰国したカンボジアでは対仏独立運動に共産主義が加わって、混乱状態になり、母国では新参だったポルポトはさほどの地位にはなかったようです。フランス帰りのインテリ、というところで、ぞんざいには扱われない、という感じだったのでしょう。
そこにシハヌーク国王陛下が蔓延してきた共産主義を止めるため、退位、自らが政治家として活動するようになります。この辺の活動は先頃、崩御されたタイ、プミポン元国王陛下みたいなもので、単に王族ではなく、政治家として混乱を戦い抜いた歴史上の人物です。
ここで、次第に力をつけてきて左派の旗頭となったポルポト、右派元国王のシハヌークの闘争になり、国は二つに割れて大混乱になり、その混乱にアメリカが介入、右派を支援し出すと、ポルポトは窮地に陥ります。そこで、中国、北朝鮮へと逃げ、共産主義リーダーと何かしらの接触をしたようです。帰国後はゲリラとなり、活動を再開します。
アメリカはシハヌークがベトコンを支援していると判断し、シハヌークを見限ると、軍人、将軍のロンノルを支援する方向に切り替え、ロンノルはアメリカの支援を根拠に軍事クーデターをして政権を奪取、シハヌークは北京に亡命します。そこで、敵の敵は味方、とシハヌーク、ポルポトは手を結びます。
独裁
アメリカはパリ協定でインドシナから手を引き、シハヌークの支援を得たポルポトは首都を落とし、ロンノルを追放、政権の座につきます。この時にサロットサルからポルポトに改名しています。そして、毛沢東主義を基盤にした原始共産主義を掲げて、究極の方向に向かいます。
多くの共産主義者はいきなり共産主義を始めることは無理だと知っており、社会主義から共産主義を目指す、という中道路線を採っていますが、ポルポトはこれを良しとせず、最初から共産主義を目指したので、とんでもない方向に進みます。
貨幣は廃止、都市住民を農村に強制移住させ、知識階級は処刑、医師、教師を殺害、メガネをかけているだけで知識階級とみなされて殺害されたそうなので、百万人と言われる国民がクメールルージュの思想によって殺されました。
そうなれば、反発も当然あるわけで、ベトナムの支援を受けた反乱軍が首都、プノンペンを制圧、傀儡政権が成立すると、ポルポトはゲリラ軍に戻り、反乱軍としてゲリラ活動に入ります。アメリカ、タイ、中国は反ソ、反越の政治的立場からポルポトを支援、ベトナム傀儡政権も倒れます。
最後はポルポト、シハヌーク、軍の三国志になり、混乱の最中、ポルポトは心臓発作でなくなりますが、暗殺という説もあり、事実、葬儀は質素なもので、国家の宰相まで登った人に対するものではなく、古タイヤと一緒に火葬されたようなので、厄介払いされた、という感じかもしれません。
まとめ
金持ちのドラ息子が思想にかぶれて、そのまま革命闘争に突き進み、自分の出自を無視して、同族嫌悪のように資本家、知識階層を残虐に殺戮の限りを尽くし、カンボジアを地獄に落としました。今のカンボジアは暗い歴史を引きずり、発展をし続けるタイ、ベトナムを尻目に最貧国です。
現在のカンボジアにはルールもへったくれもないので、世界中の怪しい人たちが出入りする怪しい国に成り果てて、ヤクザから詐欺師、お笑い芸人、世捨て人、買春マニアがウロウロする訳わからないになってしまったのはポルポトが起因してます。
アンコールワットの華やかさ、文化的成熟を見ると、悲しくなります。それほど、危険思想は全てを破壊するだけの劇物ですね。でも、タイ、ベトナム両国の発展で、間にあるカンボジアにもお金が流れ、徐々にインフラが整ってきてますし、今後に期待します。
リクエストありがとうございます。
歴史を勉強しているといろいろな独裁者を見るのですが、ここまで酷い人はあまり見ないですね。
格差がない社会を作り、その究極の形ってのがポル・ポトの政策だなとも思います。
ありがとうございました。
目指した理想があまりにも究極であるが、究極であるがためにえげつないことになってしまいましたね。
シン
難しい大学の世界史の論述問題を見ると定住を始めたら、貧富の格差ってどうしても起きてしまうらしいので究極の社会主義にすると石器時代になるしかないですね。
定住しない遊牧民でも格差はあるので、貨幣経済が始まると格差は出来るのだろうと思います。そして、格差がないと競争が生まれず、発展もしないようです。そして、格差が広がりすぎると革命が起きます。繰り返しですね。
シン
オウムの教祖の麻原の妻も浪人中に知り合い、育ちの良いお嬢さんだったのでポル・ポトの奥さん同様に危険な臭いに惹かれる人って少なくないんだなと思います。
インテリ歌手として知られる加藤登紀子さんは実刑食らって服役中の革命家と獄中結婚してます。危険な匂いにフラフラとついて行く良家のお嬢さんはいますね。
シン
カンボジアに行ったことがないですが、タイ・ベトナムに挟まれていながら、怪しい国なんですね。確かに、中国・韓国に挟まれていながら北朝鮮にも出入り出来ませんし、国の立地以上に、政治の重要さが思い知らされました。
共産主義はじめ理想を追及すると、結果が悲惨になるという類いのことは、身近にもよく起こっている気がします。高過ぎる理想を掲げず、目先のことを愚痴を言いながらも、具体的にこなしていく方が、結果的には理想に近づいているような気もしますし。
ただ、例えばGoogleやソフトバンクなどは、遥か遥か先に理想を掲げているのでしょうし、理想的であり具体的でありの、バランスの取り方は難しいですね。
まったくです。なんでもバランスが悪いと、ひっくり返ってしまうということですね。基本指針ほど大事なものはありません。
シン
ポルポトはアッパーミドル出身で、学業で落ちこぼれています。こういう人が非合法活動に手を染めることはよくある話で、日本の過激な安保闘争をしていた人たちも多くが割と裕福な家庭で、高等教育を受けていた人たちが身勝手に労働者の権利を主張していたんです。
→オウムやシールズもこういうイメージです。
小人閑居して不善をなす、ということわざがぴったりです。
ポルポトの大虐殺を知った時は衝撃を受けましたね。慰霊塔に収められている頭蓋骨は強烈でした。虐殺対象になったのは知識人だけではなく、美男美女も対象とされたみたいなので、ここまでくるともはや意味が分かりません。それにしても凄惨な過去があったとはいえ、2000年代に入り20年近く経とうとしている現在においても尚、最貧国から脱出できないでいるのですから、もうずーっとこのままなんだろうなと思いますね。
毛沢東もポル・ポトもそうですが、知識人やエリート層を虐殺したために国が発展が遅れた印象があります。
中国の王朝は、科挙によって知識人を権力側に取り込む政策でした。
ポル・ポトの場合は、完全に嫉妬ですよね。
>知識人やエリート層を虐殺したために国が発展が遅れた印象があります。
社会をリードできるだけの能力がある人が消えてしまうので停滞します。人材が明らかに足らないので敵陣営に居た人、海外に逃げて居た人まで抱えて新政府が運営するので、カンボジアの中枢には元ポルポト派がいたり、海外に逃げていた中華系カンボジア人が企業経営をしてます。
シン
少し話は逸れますが、戦後から1980年代までの日本がアジアで無双できた一因に中国が文化大革命で足踏みしていたことが挙げられます。
昔見た映画キリング・フィールドを思い出しました。ホーチミンからメコンデルタ2泊3日のツアーに参加し、カンボジアとの国境まで数kmの町 Chau Doc に宿泊したことがあります。周囲には一面美しい田んぼや水草に覆われた湿地がありますが、映画の中でカンボジア人助手が逃げて行く途中でこのような場所でおびただしい数の白骨死体に囲まれる光景が思い浮かびました。実話にもとずいたこの映画でポルポト政権の残忍さをはじめて知ったものです。
私はバンコクからホーチミンまで陸路で旅をしたことがあります。カンボジアの国境にカジノがあり、売春婦がうろついていて雰囲気が変わり、妙に英語の上手い子供の物売りが来てビックリしましたね。完全に外国人しか相手にしてないのでしょう。
アンコールワットは壮大で、カンボジアを一歩も出たことない通訳の各外国語のうまさにもびっくりしました。毎日ネイティブと話すとなると、とんでもない訓練になるからでしょうね。外国人が落とすお金にそこだけ別世界になります。
プノンペンはアングラな匂いがプンプンして、川を越えてベトナムに抜けると、急に雰囲気が変わります。ノロノロと大して整備されてない道路から割とスムーズに走るようになります。
この差はフランス統治も関係していて、良港のないカンボジアにほとんど投資せず放置して、ホーチミン(サイゴン)には投資したので、元のインフラが違うのもあるようです。それをポルポトがめちゃくちゃにして、地雷だらけの国にしてしまいましたね。産業がろくにないので外国に依存しきってます。これじゃ、最貧国は当たり前ですね。
シン
私も記事を読んで、国境沿いのカジノを思い出していました。
百台近くスロットマシンが無人で光を放って、
世界のどの中華街で見たものよりも立派な関帝の騎馬武者像を
照らし出し、なんとも毒々しい美しさでした。
日傘を差して水恵んでくれとまとわり付く膝丈くらいの子ども(通常、封を開けた水は換金できないはずで、
ガチで貧しいと思われる)、国境のカオスな雰囲気と小銭をねだる役人、と
残念ながら良い印象はありません。
以前の記事にあった、大物組長さんの様に、自前の武力と頬を張る札束が用意できるなら、
チャンスもあって、お勧めなのでしょう。
旅行で短期間訪れる以外は、ロングステイ()も含め、文字通り素人にはお勧めできないと思います。
外国の地で事業を軌道に乗せることと、それを肴に情弱からお布施を募るのは、
天と地ほどの差があり、どうせ本気で面倒見る事など誰にも出来ないだろうに、
安易に「日本で仕事が無いなら、ホットな新興国、カンボジアで働こう!」と
若者を煽る大人には強い憤りを感じます。
そもそも聡明なぬるり読者は海外就職コンサルに用事は無いと思われ、
必要な助言が必要とする人には届かないのだと思います。
本人が拗らせたプチブル、いっちょ噛みヒール役のロンノル、とキャラが想像できて、
記事を楽しく拝読しました。
シンさん
私はバンコクからホーチミンまで陸路で旅をしたことがあります
→すごいですね。勇気ありますね。友人が同様の旅をして国境で法外な賄賂を要求されました。ガイドブックにもアンコールワットのみを訪れるのであれば、空路での移動を特に推奨と記載されていました。私はプノンペンは経由せず、ソウルからシェムリアップまで空路で直接訪れたので、カンボジアの闇の部分をそこまで目には出来ませんでした。プノンペンの裏の黒さは行ったものにしか分からないと聞きます。闇で拳銃が流通し、ちょっとしたトラブルで発砲されかねないらしいですし。
しかしそうした中でもシェムリアップで観光客がコーラを飲んで歩いている横で、バラック小屋のような病院に地元民が長蛇の列を作っていたことが強く印象に残っていますね。さらに言えば、米ドルが市中にもかなり流通し、通貨に対する信頼度が非常に低かったことでしょうか。確かに思い返してみるとにぎやかな観光地でも国家の不安定さが随所に垣間見られたかもしれません。
ポル・ポトに関して言うと正直常人では理解不能です。理屈ではなく、自身の衝動性に突き動かされて何でもやってしまう恐ろしさがあります。王宮の踊り子をいきなり射殺したりとか。え!?何で?残忍という感想の前に、疑問が付きまといます。それを実行するに至る思考プロセスが全く見えないのです。
独裁者の歴史を紐解くと幼児期、思春期のコンプレックスをこじらせて、思いがけなく強大な権力を握った結果、こじらせたコンプレックスを残忍な形で一挙に開放してしまう点が比較的共通しているように感じます。多かれ少なかれ誰しも有するコンプレックスをうまく開放して大人になることの困難さなど、色々考えさせられます。
10年前くらいですが、バンコク、カオサンで現地ツアーを予約してシェムリアップからは自分で行きました。危険というほど危険ではなかったです。観光客がウロチョロできるところなら特に問題ないと思いました。
米ドルをATMで下ろすことが出来て、そのまま払って現地通貨でお釣りをもらう、という感じで、米ドルの補助通貨みたいでしたね。
二ドルくらいでぶっかけ飯が出て来たときに、ぼったくりか?シンガポールの方が安いぞ!っと口にすると、ぼったくられているのではなく、カンボジアには物資がないので割高になり、ローカルはぶっかけ飯すらなかなか外食できない、と通訳が言ったときに、申し訳なさに黙りこくりました。人件費がタダ同然でも、物資がタイ、ベトナムから来るので、輸送費の分だけ割高になり、物価は安くなく、ローカルは飲まず食わずになるってことですね。
人の命が安いですね。些細な争いで拳銃が出て来ます。暴力の使えない女性は売るのは自分だけ、となります。外国人は内側にいないので、外国人相場を払って大人しくしておけば、トラブルがあっても大きくはなりません。最悪、有り金置けば、それで終わりです。向こうだって外国人を殺すリスクは高いです。相手を激昂させて損得勘定を失わせない限りは殺されることはないでしょう。
ポルポトの狂気が延々と続く平野で農作業をして暮らした温厚な人たちを地獄の底に突き落とし、日々の生活に困ってしまうようにしたんですね。
今はどうなっているのでしょうか?インフラを破壊されると、なかなか変わらないだろうと思います。また、行きたいな、と思いました。
シン
>>ポルポトの狂気が延々と続く平野で農作業をして暮らした温厚な人たちを地獄の底に突き落とし、日々の生活に困ってしまうようにしたんですね。
→地雷の処理がまだ完全ではなく、未だに立ち入り禁止区域がありますしね。
>ちなみに妻のキューポナリーはフランス滞在時代に出会ってますが、ポルポトとは正反対に秀才で、カンボジアの高校を首席で卒業すると、カンボジア人女性としてバカロレアに初めて合格しています。若き日のワルぶったポルポトの危険な感じにやられたんでしょう。
に記載されていますように知り合いの自称サバサバ系の女性が私に対して「ニコさんはおとなしすぎるため付き合えない。女の子は不良っぽい子が好きなんだよ」と説教してきましたが本能みたいなものなんでしょうかね?
確か、昔、バイトしてた塾の卒業生の女の子が高校生になって塗料の臭いのする危ない系の彼氏を連れていたので本能なんだろか?と思ってしまいます。
東洋経済の記事の貧困女子の記事もシングルマザーの記事が多いのですがまともな女性が危ない男と仕事をやめて結婚して離婚して・・・って記事が少なくないです。
私は、最近歴史上の英雄や独裁者のウィキペディアをみるのにハマっています。
ウィキペディアは、正確性はないので、レポートの参考文献にするのはダメですが、趣味で読む分には読み応えがあって面白いです。
教科書にはない、逸話やエピソードがあるのが、ポイント高いです。
ヘタな小説より面白いのに、無料なのでコスパ最強です。
特に、スターリンのウィキペディアは、面白かったです。
スターリンは、革命家時代は劇的で強烈な人生で、独裁者になってからは粛清の凄まじさ、病的な猜疑心の強さが興味深いです。
1人の男にこれほどの独裁ができてしまう事が、とても不思議です。
それと、日本に独裁者はいませんね。
個より集団を重視する国民性だからでしょうか。
ヒトラー、スターリンに並んで昭和天皇や東條英機が出てくるとかなり違和感があります。
昭和天皇は独裁者らしい事はしていませんし、
東條英機が総理になる頃には、既に戦争は始まっていました。
独裁者が戦争を巻き起こしたという構図は、日本には当てはまりません。
昭和天皇は、育ちがよいからか、人格は良いと思いますが、自分の意見を言わない優柔不断なところがあったと思います。
東條英機は、ビジョンのないただの官僚タイプで、総理になるほどの器ではなかったため、流されて戦争してしまった印象です。
日本が戦争に向かったのは、少数の人間が扇動したというより、集団心理が原因だと思います。
日本で恐ろしいのは、1人の異常な独裁者ではなく、どこにでもいる普通の人たちの集団心理でしょうね。