人付き合いで思うんですが、割り切った考えで他人に接して、自分のことを最優先にすべきだと思います。
他人
はっきり言って、人間は他人の心など読めないし、心通じ合うことなど、滅多にありません。だから、他人に共感を欲するのはワガママでしかなく、共感なんて滅多にされるものでない、と思って、期待しないのが正解だと思います。
そして、所変われば、常識も違うし、考え方も違うので、こうでなければならない、と他人に押し付けるのは間違っています。その人がいいと思うなら、その責任を取るなら好きにやって貰えばいいんです。
純粋な善意で他人にいくら気を使っても無駄です。自分の目的のために気を使うだけで十分でしょう?お金を払う客だから気を使うし、権力の大きい上司だから気を使う、それだけでいいんです。それ以上のことを持ち込むから人間関係に悩むのです。
自分
結果的にいうと、他人に気を使って発言、行動するよりも、自分を貫いた方が賛同者は増えるものです。どちらにしても徹底してやるべきだと思いますね。何事も中途半端が一番なダメですよ。
自分をひたすら押し殺して目的の為に徹底して他人が喜ぶように行動するのもいいですが、それはそれでストレスが溜まりますし、よほど上手にやらないと、逆にカモにされるだけです。便利な人、文句言わない人として使い潰されます。
だったら、最低限は守って言いたいことを言い、やりたいことをやればいいんですよ。他人を個人攻撃、人格攻撃は良くないですが、意見すること、議論に持ち込むことはまったく悪くないと思います。
反対意見を出されることを嫌う人がいますが、単に同意して欲しいなら、他人に話さずに独り言でも言ってろ!っと言いたくなりますね。聞かされる以上、こっちだって、言いたいことを言う権利はあります。
関係
みんなから好かれることなんてありません。私のような弱小ブロガーですらアンチはいますが、逆に身銭切って支えてくれる人がいます。これは私が本心、本音でやっているからだと思います。
一般的に信者あるところにアンチあり、というわけで、天下のアップルだって、強烈な信者と強烈なアンチを抱えています。それくらいじゃないと、アップルじゃないし、ジョブズの作った会社ではなくなってしまいます。
その人、その会社の本気をぶつけなきゃ、何も起きないんですよ。アンチすらいない、黙殺されるようなコンテンツになってしまいます。それで本当にいいなら、いいんでしょうが、私は嫌ですね。
嫌われ、粘着され、バカにされても、自分の言いたいことを言い続けるし、そういう場としてぬるりと生きる、を育てていきたいですね。その先に支えてくれる人が増える、という成果になるんだと思います。
まとめ
人付き合いに悩む人は割り切った方がいいです。利害関係があるなら、限度を決めて気を使うしかありませんが、利害関係がないから、本音、本心で付き合っていける人しか関わる意味がありません。限られた人生の時間を擬態で良好な人間関係を構築する為に我慢する意味がまったくありません。
本音で付き合えて、本音をぶつけ合っていける人が一人でも見つかれば、人生は豊かなものになりますが、我慢して付き合う人が溢れかえっていてもつまらない、殺伐とした人生にしかなりません。
非常に心に響く記事でした。自分を突き通せば必ず他人との摩擦がおきますし、批判されれば程度の差はあれ誰しも精神的に圧迫されるでしょう。
和を尊ぶ日本人の精神性は「自分が我慢すれば丸く治る」と、自分を押し殺してしまう傾向にあり、日本人は海外で利用されがちだと思います。
自分の利益を代表できるのは自分だけだという事実を忘れてはダメですね。
よくdevelop a thick skinと言いますが、他人の批判に大してある程度不感症になれるほど面の皮を厚くするのは競争社会で生き残るには非常に重要です。
生まれつき面の皮が厚い天才もいますが、普通の人は社会でボコボコにされながら経験を積んで、スポーツで日々の鍛錬から手足の皮膚が徐々に厚くなっていくように、面の皮の厚さを増していく必要があります。
個性のぶつかり合いの先に本当の調和がある、ということを忘れてはダメなんだと思います。男性はガキの頃に殴り合いの喧嘩をしたことが何回かあると思いますが、タイマンで卑怯なことをしてなきゃ、案外通じることもあります。漫画みたいに、親友なることは少ないでしょうが、そんなに相手に悪印象も持ってないことは多いと思います。少なくとも私はそうですね。逆にタイマンにビビって、仲間とリンチに来た相手は今でも嫌いですw
大人は殴り合えませんが、本気でぶつけなきゃならない時もあり、それで非難されたり、バカにされるかもしれませんが、そういう軋轢を恐れたら、何もやり遂げられないどころか、自分自身が楽しくないんですよね。
シン
>人間は他人の心など読めないし、心通じ合うことなど、滅多にありません。
私はシンさんと結構心通じ合っていると、勝手に思っていますよ。こういうのって、一方が勝手に共感して、内面に踏み込むと、返報性の法則で、本当に心通じ合うケースがあります。
シンさんがなんてお返事するか、すごい興味沸きます(笑)
私の返信が期待されてますねw
私が好き勝手に言い、ナマケモノさんも私の喚き散らしに対して思うことを言う。だから、通じるものがあるのでしょう。私がナマケモノさんに好かれたくて気を使った言い方で記事を書いても、ナマケモノさんには響かないし、ナマケモノさんが私に気を使って思ってもないお世辞をいうなら、私もなんとも思わないだろうと思います。
シン
こんにちはシンさん!みなさん!
「人付き合いで思うんですが、割り切った考えで他人に接して、自分のことを最優先にすべきだと思います」
同感です。結局、他人に期待しないということでしょうね。ただ、ここにコメント書いてシンさんや他の方からの返事を期待する自分もいます。
また、人から認められたいという気持ちも無いわけではありません。こんな心持ちになれば悟りを得たに等しいんでしょうね。
俺はここにコメントを書きたいから書く。そして、誰からの返事も期待しない。心穏やかに過ごすw
そりゃ、私だってPV上がれば嬉しいし、好意的なコメントがつけば嬉しいですが、その為に思ってもいないことを書いても面白くないですからね。何かを書く以上は思ったような反応が得られない、反論が出るのは覚悟するしかないと思います。
シン
私はたまにシンさんとぶつかるようなコメントを書いて議論することがありますが、日本人は本能的に議論を避けようとする遺伝子があるようです。
その証拠として、ここのコメント欄にも当たり障りないことしか書かない読者さんが結構いらっしゃいます(誰とは言いませんがw)。
私は今後もこのコメント欄では衝突を恐れず、本音を書いていこうと思いますww
それでお願いします。私に賛同しないならコメントするな、とか、場を乱すことをコメントするな、というつもりは毛頭ないです。本音でぶつかり合うから、新しいアイディアが生まれ、生きるヒントになっていくのだと思います。
シン
「人付き合いで思うんですが、割り切った考えで他人に接して、自分のことを最優先にすべきだと思います」
→大賛成です。
私も議論の連鎖反応により有用なアイデアを生出すことが好きです。
但し、議論を吹っかけてはまずい人のタイプが1つあります。思考回路がノット回路のみで構成されている人です。自分の考えはこうだと主張するのではなく、人の提案を必ず否定して反対する人です。
以前の職場で上司に1人いました。この上司の前ではだれも発言(提案)しません。なにか言おうものなら必ず否定されて反対されるため、仕事が前に進まなくなり、生産性が極端に低下します。
この上司をプロファイリングしてみたところ、悪気があって反対しているわけではなさそうでした。生まれつきノット思考回路のため、脳への入力に対して必ず反対の出力を脳がアウトプットする構造になっており、他人の発言(提案や意見)に対し真摯に一生懸命考えれば考えるほど否定する結論に達するようです。
ともかく否定してくる人とは議論にならないし、面白くないので意見したくなくなりますね。私は異論を唱えると怒り出す人も嫌です。自分の意見を正当化する為に関係ない難癖に走られると、無視するしかなくなります。
考え方が全く違うのでしょう。
シン
否定意見のほうが、それっぽいことを言っているように聞こえるのでそう言ってるのかもしれません。
例えば、食べものの感想で、「すごい美味しかった!」と「イマイチだったなぁ」では、後者のほうが玄人の意見のように聞こえます。
でも、否定ばかりする人にはイラっとするのが人情ですw
はい、そういう人もいます。そのような人は自分が「それっぽいことを言っている」という認識を多少なりともしており、まだましです。
「ノット思考回路」の人は、例えば、自分自身で考えたときにはAという結論に達すりケースでも、「これはAですよ」との他人からの意見(提案)を聞いた場合に、それを真摯に受け止めて一生懸命考えれば考えるほど「ノットA」の結論に達します。
そして、「ノットA」こそ自分の考え(意見)だと錯覚し、良かれと思って「ノットA」を主張します。故に、そこには罪の意識が微塵もありません。自分こそ正義(善)だと思い込んで執拗に主張を繰り返します。根が真面目だけに始末に負えません。
自分こそ正義(善)だと思い込んで頑張っている点は、ISのメンバーに似ています。
しかし、「自分こそ正義(善)だとの思い込み」は、人間(私も含めて)多かれ少なかれ持ち合わせているのではないかと思います。
結論ですが、有意義な人付き合いを妨げる最大のネガティブ要因(深層原因)は、この「自分こそ正義(善)だとの思い込み」ではないかと思います。
私も学生時代の帰国子女の不思議に思ったことをぶちまけたり、マニアックな歴史トークや恥ずかしい話ができて満足してます。
身銭切って無理矢理趣味に走りまくりますけど。
対面だと最低限のマナーや言ってはいけないことがありますからね。
対面ではない良さがありますね。あと、不特定多数に対する意見表明なので、思わぬところから面白い指摘があるのも面白いです。
シン
尾崎放哉の咳をしても一人の心境で、元来人は独り生まれ独り死んでいくのが当たり前を受け入れるとすっと心が落ち着きます。家族がいても第三者的に俯瞰している自分を感じるときに、孤独とぬるり的自分を強く意識します。
どんなに仲のいい家族だろうが、親友だろうが、最後は一人であり、それを受け入れられると吹っ切れるものがあります。自分のことは自分の責任でやるしかありませんし、責任さえ取るなら何やっても大抵のことは許されます。
シン
>だったら、最低限は守って言いたいことを言い、やりたいことをやればいい
理想としてはそう出来ればいいですが、会社だとそうも行かないですね。
日本って「上官の命令は絶対、先輩に楯突くとは何事だ(どんなに低姿勢でもとにかく意見したり異論を唱えるだけでもう許さない)」の上司や先輩も多いので、最低限を守っても言いたい事が言えないのが現実です。
だから、私は個の力を磨くべきだ、と言っており、相手が有能で、気魄をみなぎらせているなら無茶は言えません。脅せば、従うと思われているからパワハラ受けるんですよね。
シン
自分のことを最優先にしたいなら周囲に気を使わないと。自由を求めたら不自由になったという罠。
あと、広義だと利害関係のない人っていないですよね。街で前後を歩いている人がちょっとした拍子にブチ切れる輩かもしれませんし。
最低限すら気を使わないなら、忌み嫌われるのは当たり前でしょう?例えば、公道を塞ぐように話し込んでいたら怒鳴られたとしたら、塞いでいる方が悪いです。そんなバカなことで好き勝手しろ、と言う話でなく、自分の信念に関わることは出来るだけ曲げるな、という話ですよ。
最低限、本文を読んでください。
シン
確かにそうですね。好き勝手やってる人の方に人は集まります。
これは、その人が何を考えてるか分かりやすいからだと思います。人に合わせる人は、正直何を考えてるか分からないのでこちらも警戒します。
ちなみに、ペットも同じで、彼らは感情のままに生きているので何を考えているか手に取るように分かります。そういう存在って、安心するし可愛くみえるんですよね。
裏がある人間には、人はあまり寄ってこないと思います。そういうのって分かりますしね。
相手に合わせるなら徹底的に合わせて、合わせていることを一切悟らせないくらいやるべきで、それは本当に難しいので誰にでも出来ることではありません。だったら、最低限を守って、自分が思うようにやった方がお互いに楽しい、と言うことです。
シン
協調性がない人は日本には必要ないですね、自分を優先する人は日本から出ていくべきです
ぬるりと生きる、というコミュニティでは協調性を求められてない。アベノさんは自分を優先させて協調性を求めてきているので出ていってもらいます!
と、協調性と強固に言い出すと、力を持った人間が些細な難癖で異論を封じてしまうので、明らかにダメなこと以外は何が本当の協調なの?と思いますね。
シン