どんなにキレイゴトを言っても、誠意とは金です。それ以外の手段で誠意を見せるなら、命をかける必要があります。
契約
あるプロ野球選手が誠意とは言葉でなく、金額、と言い切って契約更新交渉をしていましたが、まったくその通りで、彼はフリーランスなので、自分の技術に対する評価は金額なのは当たり前です。言葉でいくら感謝の意を伝えられても、来年、自分のパフォーマンスが落ちたら、手のひら返され、何を言っても、年俸を下げられるでしょうから、上げられる時にあげるべきです。
日本人は契約意識が極めて薄く、口約束、慣習という不透明なもので、なあなあにしてはっきりとした契約書もなく、仕事を始めて、後になって揉めることが本当に多いです。アメリカ人は本当に些細な見積もり依頼でも、秘密保持契約のサインなしに情報公開をしません。サインしてから、知らん!っと言っても、無駄で、裁判起こされて、契約通りにむしり取られます。
弁護士の数が足らないから、日本企業は契約に弱いんだ!、と言うのまったくの的外れで、契約とはプロでなく、素人の契約意識の問題ですから、弁護士が増えても、何の解決にもなりません。実際、ロースクールの乱立だ弁護士が急増しましたが、単にインフレしただけで、需要は増えませんでした。
口約束
口約束って、人によって、国、地域によって、解釈が違い、「行けたら行く。」は人によっては「行くつもりはない。」と言う意味の断りで、はっきりと「ノー」と言って、相手を傷つけたくないから、若干の含みを持たせているわけです。私は曖昧な言い方をしませんが、他人からそう言われたら、来ないものだと判断します。
ボブディランさんがノーベル賞授賞式に「行けたら行く」Absolutely, If it’s at all possible、と言って、行かないそうですが、私は最初から来ないだろうと思っていました。アングロサクソンは契約社会の住人なので、口約束だろうが、公的な場で言い切ったことは履行を求められるので、適当にかわしただけです。
彼は反体制、反戦運動なんかを売りにしていた人なので、権威の象徴であるノーベル賞なんか嬉々して受け取るわけにいかないし、かと言って、欲しいことは欲しいし、最大限に注目を集めるまで、姿を現さず、ノーベル賞委員会が痺れを切らすギリギリまで、待ってから現れて、受賞はして、式には出ないんでしょう。反体制気取っている人って、歳をとると権威の亡者になるものです。
私は日本人同士でも、余程信用できる人以外との口約束なんて信用しません。特に東南アジア人たちは「行く」と断言したって、来ないことがざらなので、時間通りに来ない、ドタキャン、連絡も取れない、なんていうのは当たり前なので、プランBを用意して、時間を潰せるアイテムを用意したり、来ない場合に何をするかを決めています。
信用
それが紙に書いた契約であれ、口約束であれ、一度、約を交わしたことを不履行にすると信用が失われますので、注意すべきです。何回か、不履行を繰り返すと、誰からも信用されなくなるのは狼少年の逸話が有名ですが、最後は自分に返ってきます。
また、不履行にされる、と言うのは自分を重要だと思っていないからです。そういう人と付き合ってきても、いいことなどまったくないので、縁を切った方がいいでしょう。もし、本当に緊急で用事が入り、ドタキャンするなら、誠意のある人なら、何かしらの形で埋め合わせをする努力をするでしょう。
埋め合わせの方法はお金がほとんどで、契約は違約金の設定がされていることがほとんどで、違約金の設定もされていない契約はどうでもいい契約です。個人レベルなら、次に飯を奢るよ!っと約束して、次の約束を早い段階で決めるのが金銭による契約不履行の違約金でしょうか?
お金が出せない場合は身体で払う、ということになります。血判状、なんかは命を懸けて約束を履行する、ということを直接に血の誓い、としているわけです。もっと直接的になると、男性はマグロ漁船に売られるとか、女性は怖いお兄さんに売られるとか、身体をお金に変えさせられます。命かけてもらっても、お金にならなきゃ、取り立てて意味ないので、換金して初めて意味を持ちます。
まとめ
人間社会は多かれ少なかれ契約で成り立っており、その契約は信用になり、その価値はお金によってしか計れない、ということになります。このことを意識しているのと、していないのでは自分の行動に違いが出て来るだろうと思います。私自身もよく考えずに口約束をして、履行できず、信用を失ってしまったことが何度となくあり、気をつけなければならないな、と思います。
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前の部署でフリーランスのエンジニアが自分の技術(設計図面)に関して単価を上げろや誠意は金でということを言っている人がいましたが当たり前の考えですよね。お客の都合で設計変更になるなら追加料金を払うべきであるし、難しい仕事であるなら単価を上げるしかないです。
プロパーの管理職は、仕事にかかる時間を適当に見積り、中身のない計画表をだし、前だししたら工数を下げるとかしてましたのでフリーランスとケンカになりフリーランスが解雇されました。
フリーランスなんかサラリーマンでないのでボーナスや昇給、保障がないので日本のサラリーマンのように滅私奉公させることに怒るのは当たり前なんですよね。
日本の正社員って、プロ意識がなく、自分の市場価値、仕事の単価を正当に評価する習慣がないので、フリーランスともめるのでしょう。時間の問題で変わっていくだろうと思います。
シン
こんにちは シンさん
このコラムを見てふと思ったのは、日本人は「察する」ということに比重をおいているせいで契約の重要さを理解しようとしていないのではないか?と思いました。サービス残業問題も根底には、「皆が我慢してやっているんだから君も当然のことながらするよね?するんだよね」という傲慢さがあるように思えます。(間違っていたら申し訳ないのですが)
ニコさんのコメントに口出しするのは心苦しいのですが、フリーランスの人が自分の技術に関して値段を上げるという行為は正当化されて当然だと思います。だって、それだけの仕事をしているのですから。工数もきちんと管理せず、聞こうともしないでクビにするなんてアホじゃないかと思います。こんな事をしていると当たり前ですが、生産性は上がらないし、優秀な人材は外資へと流出してしまうし、日本の経済的地位は下がる一方なのでは?と思います。
日本人は職場を家族みたいに考えているから、滅私奉公で共同体に貢献しろ!っという強制をするんでしょう。終身雇用、年功序列が通用した時代はその理屈も通用しますが、単なる仕事なら、契約が全てだし、より良い契約を結ぶために必死になるのは当然です。日本企業が終身雇用を捨てても、滅私奉公を求めるとなると、優秀な人から外資に行くようになるでしょうね。
シン
私の知る業界は多くのフリーに支えられていますが、口約束が慣例です。契約書を交わしたいと申し出れば煙たがられて終わりでしょう。フリーの立場は非常に弱く、労働ユニオンのような団体もないし法的にも何の後ろ盾もありません。フリーに不利な変更は頻繁に普通にあり、発注側はそれを当然と思っています。ニコさんの例も、契約時に「条件相違で契約解除の場合は違約金」等の取り決めがあれば良いですがそのような契約を交わす事すら出来ないなら時間が経っても状況は変わらないと思います。正規雇用にすると廻っていかないなら、そんな業界は潰れれば良いのではとも思います。
シンガポールやマレーシア等の東南アジアでは、会社と個人がきちんと契約を交わす習慣はありますか?
東南アジアだと、大手に限ると、雇用契約、請負契約にサインしてからスタートで、書面契約なしでフリーランスが仕事をすることはありません。
しかし、華僑系中小なんかは口約束でやらせることはあります。ただ、彼らは信頼関係が出来ないと、フリーランスに仕事を頼みません。人間関係が濃いので、不義理をすると、コミュニティで相手にされなくなるので、あまり不義理をしませんね。
日本ほどフリーランスの立場が弱い国は韓国くらいではないかと思います。元請けが強烈に立場が強すぎます。
シン
日本人が契約意識がないというのは本当でしょうか。BtoBの金銭の授受が絡む場面で契約書を交わさないのを私は見たことがないんですけど。雇用契約、請負契約なんかも必ず契約書を交わします。特に請負契約は、相当細かいところまで契約書に落とすのが普通ですよ。
口頭で済まされる場面は、例えば職場内での上司が部下に対する指示、部下の上司に対する報告や、契約書を交わした後の細かい連絡調整などではないかと思います。これらが契約書を交わさないのは、一々契約書を交わしていたら事務の負担が大変になりすぎるからです。それは外国でも同じでしょう。
日本人が外国人と違うのは、口頭だけの約束でも比較的守る傾向があること、責任感が強いので任された側は契約書に書かれていない事項まで言われたらやる人が多いことです。ブラック企業は日本人のそういう習性を利用して限界まで労働力を利用しているわけです。
でらさんはよほどしっかりした組織としか付き合いがないのでしょうか?日本企業だと、基本取引契約すら取りかわさず、口頭でスペック、支払い条件だけ決めて発注する、とか平気でやりますよ。
雇用契約も紙切れ一枚に正社員、等級、役職、基本給、勤務時間など、最低限だけでも記して、ハンコ押して終わりです。一番大事な職務領域、責任範囲が一切書かれてないので、雇用契約になっていません。そのくせ、保証人、保証人の印鑑証明まで取らせたり、と本人以外は責任を取らせようとします。
世界的に見ると、かなりいい加減な契約をする国だとおもいます。
シン
日本企業の雇用契約はいい加減だとおっしゃいますが、それでは世界ではどこもしっかりと職務領域を記した契約をするのでしょうか?職務領域や責任範囲を明確にできるのはよほどしっかりした大企業でないとできないでしょう。少なくとも人事部がないとできないです。
海外では日本に比べて起業が盛んであり、ベンチャー企業が大きくなって大企業になるというケースが多いですが、ベンチャー企業の事業なんて試行錯誤しながらどんどん変化していくのが普通であり、職務領域や責任範囲を明確にするのは不可能で、それは海外でも同じことです。
シンさんと私の考え方の根本的な違いは、シンさん(ブログ再開後)は日本は他の世界とは全く異なる異質な社会で劣っていると考えられているようですが、私は日本は世界とそれほど異なるものでなく、特徴はあるものの、それは欠点にもなり長所にもなりうると考えている事です。
でも考えてください。日本が他の世界とそこまで違うことがあるでしょうか。人間の社会なんてどの国も一定の連続性の範囲に収まります。なんだかんだ言っても日本は先進国ですし、問題があるのは確かですが、それはどこの国も同じであり、日本だけが取り立てて問題の多い国だとは思っていません。
はい、アメリカほど契約をしっかりしなくとも、ほとんどの国、小さな会社でも数枚に渡る職務領域を記した契約書を用意します。人事がいないとできない、と言うのが日本人的な考えで、こんなものは外注化すればいいし、ネットで落としてもいい、自社に合わせたテンプレを作れば、使い回すだけです。そんな程度の合理性がないのが日本企業なのです。特にアメリカのスタートアップなんて、人を雇うとかはメチャクチャ気を使いますし、キチッと契約書を用意しますよ。そうしないと、あとで揉めますから。シンガポールでも、仕事を始めるまでに取り分をキッチリ決めます。
そんなことしないのは汚職まみれの新興国国営企業、家族経営の零細企業だけです。そこと日本の大企業を比べる意味はなんですか?そのレベルまで落ちたんですか?
事実、日本は30年近くほとんど成長していません。バブルまでの遺産を食い潰している国です。そんな国が先進国がありますか?これを異質と言わず、何を異質と言いますか?
いくらでも付き合うので、反論してください。強調したいことがあるなら、それも明記してください。わたしはスルーするつもりなくとも、説明済みだと認識している可能性があります。
シン