メイドインジャパン信頼が揺らいでますが、どういうことなのかな?と考えたいと思います。
労働
一物一価が浸透していくと、同一労働同一賃金、という当たり前のことをしていく必要があります。日本ではこの考え方が無視されて、採用形式によって同一労働に対して違うレートが採用されており、単純労働をする正社員とスキルが必要とされる労働をする契約社員の時給が逆転していることはザラにあります。
これが続くとどうなるか?、と言うと、正社員の待遇を維持する為に非正規雇用を増やして穴埋めをすることになります。その行き着いたところがメイドインジャパンと言う名のメイドバイ外国人労働者になってしまうわけですし、更に言うと、メイドバイ奴隷、外国人研修生ということになるわけです。
つまり、作業されているのは日本だけど、作業しているのは外国人、それどころか、外国人というだけでなく、法の網を潜り抜けたグレーゾーン、ろくに経験もない外国人研修生が作業しているようになるので、何がメイドインジャパンだよ?wという話になってしまうんですね。
でも、日本人で単純作業をしたがる人は少ないし、むしろ、外国人の方がいい仕事します。これは日本人が不真面目なのではなく、インセンティブの違いです。単なる糊口を塞ぐための単純作業だと考えている日本人作業員と母国に帰れば、まとまった金になるから一生懸命やる外国人作業員とではやる気が全然違うわけです。
この現象は先進国どこでも同じで、条件の悪い仕事は外国人、なんのスキルもない経済移民の仕事であり、マジョリティ出身でやる人はやる気のかけらもないような世捨て人みたいな人が中心になるので、外国人の方が質が高いくらいです。だから、フェアな環境である必要があります。
価値
先進国の勝ち組メーカーはファブレス、もしくは、かなり付加価値の高い製品に特化して本国で製造しています。誰でも知る事実ですが、アップルはアメリカの会社ですが、主に製造するのは台湾系のホンハイ、子会社のフォックスコンが中国で製造しています。それしか価格競争の激しい分野では利益を稼げないわけですよ。
欧州系メーカーは本国生産は特殊で高額なものだけであり、あとはファブレスで開発設計だけして、生産子会社、外注にやらせています。彼らは植民地時代から、外注の扱いに関しては経験があるので、きちんとルールを決めてやり切るだけのノウハウがあります。
日本企業もメイドインジャパンにこだわって海外生産、外注をしないわけではないのですが、植民地経営の下手さは折り紙つきで、持ち出しの方が多くなるような体たらくが多いです。とにかく、頭が硬く、日本人だけでやろうとするので、良い現地採用が集まらず、食い物にされるわけです。
そういうわけで、日本企業のやり方では海外生産しても大して価格を下げられないし、管理もしきれないので、メイドインジャパンとデベロップド、デザインドインジャパンの棲み分けを出来ないわけです。結果、どんどん疲弊してきているのが現状であり、付加価値の高いことを選択して本国で出来てません。
管理
日本人は管理が大の苦手で、権力、社会圧力で無理やりいうことを聞かすことしか出来ず、うまく下を納得させつつ、ウィンウィンの関係にすることが出来ません。管理とは恫喝だ、とすら思っているような人は珍しくないですが、それは日本人にしか通用しません。
そして、管理とはルールを決めて、それを徹底させ、達成できているか?できてないか?は関係なく精査して次に生かしていくことです。これが日本人は苦手だ、目標を達成していればオッケー、未達なら追い込みかける、と不毛な方向に行きます。
管理ができず、ルールが個々人に任されてしまうと、正社員のベテラン職人みたいな人がやるなら完璧ですが、非正規雇用の単純作業者がするなら漏れだらけってことになります。年功序列、終身雇用が崩れたことで、職人が減って、単純作業者が増えれば、品質は落ちるに決まってます。日本企業の不祥事はこのパターンです。
多くの日本企業ってノウハウが個人に依存して組織に根付いていません。そのノウハウを持つ個人が辞めない前提でろくに作業要領も作ってません。その個人が定年などで辞めてしまうと、困り果ててしまいます。定年再雇用で凌いだ時期が終わり、どんどんトラブルが発生しているんでしょう。
まとめ
年功序列、終身雇用が守れないなら、やり方を変えるしかありません。具体的にはアジャイル組織に変えていき、小さなチームで管理をして、不具合に対して即対策が出来る体制とし、きちんと行った処理に対して記録を残し、次回以降の参考にする、という管理をするしかありません。
でも、日本人はそれが嫌いなんですよ。議論を楽しめないし、責任と取りたがらない。面倒で黙っているか、観客として代案も出さず、無責任に文句を言うことを好む人が多いです。それじゃ、何も管理できないし、良くなってははいかないんです。単に感情を吐き出す愚痴みたいになります。
よく考えもせず、単なる思ったことの言いっ放しも時には悪いとは言いません。そういうフリートークから重要な解決策が生まれることもあります。でも、それはマネージャーの仕事ではありません。マネージャーは意見を吸い上げて、結論づけ、課題を割り振り、次回へ繋がることです。
日本人の責任感、探究心、規律は素晴らしいです。でも、それだけではメイドインジャパン品質を支えられない時代に来たんだから、きちんと管理出来るようにしていかなければなりません。そうじゃないと、メイドインジャパン復活はないでしょう。
日本の某大手メーカーで設計をやっている者です。
大体書いていることが的を得ていますね。
繰り返しになる部分もありますが個人的に感じている課題は
・肥大した社内官僚
て必要ない部署が多すぎる上に、人の割り振りが下手糞すぎます。
営業・人事・経理・企画にそんな人数居るか?と感じることが多々。
・凝り固まった古いルールと改定のハードルの高さ
一つ新しい事をやるにも部長の上までハンコリレーが必要。
部長の上なんて出張で飛び回ってるので捕まるわけでもなく、メールの承認で十分でしょうに。
・技術職の冷遇
技術の部署でどんなに頑張って良い製品、技術を開発しても定時帰りの社内官僚と給料が同じ。
青色LEDの件で問題になりましたが、特許を取った所でお小遣いにしかなりません。
これではやる気が出なくて当然です。(それでも技術職は楽しい面も多いので好きでやる人が多いですが…)
日本人は妙に真面目で、時間やルールを守ったりするのは得意で、工場では上手く機能するのですが
肥大化した組織の中でイノベーションを起こすのは難しいと感じます。(ベンチャーになれば話は別でしょうが)
年功序列の排除、成果主義の導入、プロジェクト単位での雇用が達成できれば復活できる気もしますが…
今のままでは日本の製造業は死に向かっていると考えて間違いないですね。
日本はメチャクチャになるだろうと思います。そして、そこからが再生でしょう。いくら当たり前のことを提言しても、日本企業では聞き入れられないです。
幕末だから下級武士出身の志士達の意見が大藩を動かせたわけで、衰退しているけど、なんとなくやってこれたら、藩主、上士に意見しただけで切腹モノ重罪です。今の日本企業も順序を踏んで、きちんとした意見書を出しても、黙殺されれば御の字、裏から圧かけられて潰されるのが落ちです。
シン
メーカーの設計や生産技術もほとんど派遣で外注になってますね。
研究開発だけは、それなりのスキルの人集めてプロパー社員でやりますね。
私は、子会社なので上記のブログのようなのもわかります。
今の職場は外国人も多く、平和なんですが、多くの日本の職場は、責任を取るのが嫌いな人が多いのかアジャイル式に早めに未完成や自信がない成果物を持っていくことや相談をすると仕事に対する真剣さが足りないや上司の手間を増やしたとみなす人がいるんですよね。
設計の相談で資料のエクセルの字が印刷したら切れてる等で些細なミスや誤字、相談回数が多いからプロパーの上司の手間を増やしたでクビにされた派遣社員もいます。
アジャイル式のが早いと思いますし、派遣(外注)や新人の教育効果も高いと思います。それをやらない、できないなら管理職として失格だと思います。
とりあえず、過程で小言を言われても、納期に間に合って品質の高いものを提供できれば問題がないのでは?と思います。
ニコさん
>>過程で小言を言われても、納期に間に合って品質の高いものを提供できれば問題がないのでは?と思います。
→本当にその通りです。お客さんからしてみたら若手が誰に相談もせず、独力で仕上げたものであろうと上司に相談しながら仕上げたものだろうとアウトプットが同じなら関係ありません。例え相談しても独力で仕上げたものよりも早くアウトプットが出せるならば、お客さんはそちらを歓迎します。自分は何もアドバイスせずに、とにかく完璧なものを持って来いってという管理職はどう見ても怠慢です。そもそも完璧って具体的にどういうことか明確なビジョンも示せません。おそらくアジャイルを嫌う人って目が外に向いていないんですよ。自分の手間だったり、保身ばかりに関心が言って、お客さん目線じゃないのです。
Yさん
外注さんというか派遣さんがメーカーに増えて、プロパー社員と無用な争いを避けるために派遣会社側も技術のあるベテラン社員を高額で召し抱えて、派遣社員の管理や相談をして中継の役割を果たしてる人がいるっていう構図が見られますね。
メイドインジャパンの衰退を目の当たりにして久しい我々日本人にとって、「ためになるor腹の足しになるor実利につながる」コメントの議論とは、メイドインジャパンの衰退から抜け出して再びJapan as Number Oneに返り咲く方策を導き出す議論だと思います。
その返り咲き方策を導き出す手法として、衰退の深層原因を究明し、その深層原因を踏まえた上での解決手段を考えます。いかんせん私一人では力不足のため、皆さまの叡智の連鎖に期待します。長くなって申し訳ありませんがお付き合いください。
1 衰退の深層原因の究明
先ず、戦後メイドインジャパンが世界を席巻できた原因は、世界に先駆けて「トヨタ生産方式 + 日本的品質管理 + 生産技術開発」に突っ走ったためだと思います。逆に衰退した原因は、「トヨタ生産方式 + 日本的品質管理 + 生産技術開発」を世界中が習得した結果、20年ほど前からごく当たり前の量産技術のノウハウになってしまい(コモディティー化)、日本独自のお家芸ではなくなった点にあると思います。
この量産技術ノウハウのコモディティー化問題は20年以上も前から叫ばれてきた問題です。だとしたらとっくの昔に次の手を考え出して実行するのが普通です。次の手として考えられる典型例は、「画期的イノベーション(破壊的イノベーション)」の開発です。
しかし、日本人or日本企業or日本国家は次の手の創出及び実行を行わなかった(いや行えなかった?)。なぜなのか?
その深層原因は、「困れば困るほど現状維持にしがみつく日本人or日本的組織のDNA」にあるのではないかと思っています。現状に駄目な原因が内在されているから今が駄目になっているにもかかわらず、その駄目な現状に必死でしがみつくという、不思議な(非論理的な)性質がありそうです。
この性質は、日本人個々人のDNAなのか、それとも日本人が複数集まって組織になると生じる性質なのか? 私は、日本人個々人がDNAとして多少保有している性質であり、それが複数集まって組織を構成すると増幅されて顕著化するのだと考えています。
2 解決手段
上記深層原因を根底から改善するには、日本人一人ひとりの遺伝子組み換えでも行わなければなりませんが、それは不可能です。それではセカンドベストの方策の1つとして、属する組織の外で日本人個々人のイノベーションに対する目利きのスキルを磨く仕組みを作ってはどうかと思っています。併せて、企業が行うイノベーション開発のリスク軽減の仕組みを作ります。それを実現する1つのアイデアが「β版投資市場」です。β版とはプロトタイプ(試作品)のことです。以下に「β版投資市場」のアイデアを紹介(提案)します。
【要約】
(目的) 製品やサービスが完成する前の研究開発段階で、市場での完成品の人気度を事前に予測できる仕組みを提供することにより、イノベーションの開発リスクを軽減する。
(達成手段) 研究開発段階の製品等の完成イメージ映像を市場に晒して消費者からの感想や意見等を集め、研究開発段階で、市場での完成品の人気度を事前に予測できるようにする。前記完成イメージ映像をネット上に公開し、それを閲覧した多数の消費者のうちから完成品等に対する思いが本気の消費者のみを選別するべく当該完成品等の製品株(一口千円等の単位数を特定するための券)を購入させ、製品株主になった消費者のみからアンケート(購入限界価格等)や意見や改良提案等の情報を投稿させる。それら情報および製品株の販売総額に基づいて市場での完成品の人気度を事前に予測し、完成品等にまで仕上げて市場に投入するか否か決断する。完成品等が市場に出て売上げが上がればその売上の一部を製品株数に応じて製品株主に配当する。
(改良案1) 製品等の製造販売を行なっていない一般人や大学教授が開発者側となり自分のアイデアのイメージ映像をネット上に公開して製品株主を募ってもよい。製品株主の数やアンケート結果や意見や改良提案を見た企業が完成品等を市場に投入すれば売れると判断した場合に、公開されたアイデアを基に製品化を請け負い市場に投入する。売上げが上がればその売上の一部を製品株主に配当するとともに、アイデアを公開した者にも売上の一部を配当する。これによって、一般人にもイノベーション開発のインセンティブを与え、イノベーションの裾野を一般人に広げることが可能となる。
(改良案2) 完成品が市場に投入された後に製品株を売買取引する「セカンダリーマーケット」的な運用を行ない、株式会社に対する一般的株式市場と同様に、製品に対する製品株式市場なるものを作り上げる。信託の仕組みも取入れてもよい。従来の株のディーラーは売上げがアップする会社か否かを見極める専門家であるが、このβ版投資市場でのディーラーはイノベーションが市場でヒットするか否かを見極める専門家となる。このようなイノベーションの目利きとなるディーラーを育て上げる土壌を構築することができ、イノベーション大国に必要な人材を育てることができる。しかも、このようなイノベーションの目利きが増えれば、それらの専門的知識経験に基づいた高度な意見や改良提案を入手できるという、相乗効果が期待できる。
(改良案3) 製品株主同士、ディーラーあるいは開発者も交えて議論する場(コミュニティ)を作ってもよい。そこで素晴らしい改良提案をした製品株主に対して製品株券を追加贈与する。
(改良案4) 「β版投資市場」を世界規模で下支えし育むプラットフォームを日本で構築し、世界中から研究者、イノベータ、アントレプレナー等の人材を集め、さらにはイノベーションの卵を集め、育むことにより、日本を世界のイノベーション生成拠点にする。
【詳細説明】
(従来)
イノベーション開発リスクの主要なものとしては、完成品にするのに莫大な費用が必要でその完成品が仮に市場で売れなければ初期投資が回収できない、というものです。よって、完成品に至る前の段階つまりβ版(プロトタイプ)の段階で市場の反応を見て事前に売れるか否か判別できれば、上記のリスクは回避できますが、従来においては、そのような仕組は存在しなかった。
(従来の欠点)
日本でのイノベーションが停滞しいている深層原因は、市場ニーズを射止めることのできる製品開発ができていない点にあります。近年、ニーズの多様化が原因で、市場ニーズが見えにくくなっており、しかも、すぐに変化して移り変わる傾向があります。
よって、このような性質を持つ近年の市場ニーズを射止める最良の方法は、市場ニーズの大まかな位置が分かった段階で、その市場ニーズが変化する前に間髪をいれず多数の弾丸を撃ち、そのうちのいずれかが命中するという、「数撃ちゃ当たるマシンガン方式」です。つまり、多数のトライ&エラーを繰り返さなければ、市場ニーズを射止めることはできません。
ところが、日本の大企業等の巨大組織の中には、相変わらず「狙いをすました一発方式」から卒業できずにいるところがあります。全ての巨大組織がそうだとは申しませんが、長時間かけて何度も会議を繰り返して市場ニーズを絞り込み、必ず命中するまで狙いを絞り、その上で一発撃つという、旧態然としたやり方です。
それでは、日本も「マシンガン方式」に切り替えればよいではないかと言うことになりますが、そう簡単にはいきません。その深層原因は、日本的組織の人事評価基準にあります。日本的組織では、命中率(成功率)が人事評価につながります。但し、この人事評価基準は、明文で規定されているものではなく、暗黙の基準(空気のようなもの)です。明文規定があれば、その規定を破り捨てれば解決しますが、暗黙の基準の場合には人の心の中にしか存在せず、破り捨てるわけにもいかず厄介な代物です。
このような日本的組織か持つジレンマを即効的に解決する特効薬が「β版投資市場」です。
(アイデアの目的)
本アイデアの目的は、製品やサービスが完成する前の研究開発段階で、市場での完成品の人気度を事前に予測できる仕組みを提供することにより、イノベーションの開発リスクを軽減し、命中率(成功率)を重んじる日本的組織でも市場ニーズを射止めることのできるイノベーションを可能にすることです。
(目的達成手段の詳細)
このβ版投資市場は、研究開発段階の製品等の完成イメージ映像を市場に晒して消費者からの感想や意見や改良提案を集め、研究開発段階で、市場での完成品の人気度を事前に予測できるようにしたものです。
先ず、インターネット上にβ版投資ウェブサイトを構築する。このウェブサイトにはウェブブラウザによりインターネットを介して誰でもアクセスでき、閲覧できる。
新製品や新サービスの開発を行なっている開発企業または個人の開発者(以下「開発者側」という)が、研究開発段階において完成品等が市場でヒットするか否か、その人気度を事前に予測したい場合に、このβ版投資ウェブサイトを利用する。先ず、開発者側が、現在研究開発中のイノベーションの完成イメージを予測してそのイメージ映像を作成する。そして、そのイメージ映像および説明文をβ版投資ウェブサイトにアップロードする。
次に、アップロードされたイメージ映像を閲覧した多数の一般消費者やディーラー(以下「消費者側」という)が、その完成品を気に入って市場でヒットすると判断した場合に、当該完成品等の製品株(一口千円等の単位数を特定するための券)を購入する。製品株を購入して製品株主となった者には発言権が与えられ、アンケート(購入限界価格等)や感想や意見や改良提案等の情報を投稿することができる。その投稿は、例えば、当該アップロードされた完成品等に対応づけられたコミュニティ(「アイデアコミュニティ」という)内で行なう。そのアイデアコミュニティには、製品株主の他にもその完成品等を開発している開発者側も参加でき、製品株主からの質問に答え、また自らの意見も投稿できる。これにより、開発者側は、消費者側と共同で議論してアイデアを出し合い、消費者受けする完成品等に仕上げることができる。
開発者側は、製品株の販売総額や消費者側からの投稿情報を参考にして市場での完成品の人気度を事前に予測し、完成品等にまで仕上げて市場に投入するか途中で開発を断念するかの決断を下す。途中で開発を断念した場合には、製品株の購入代金は各製品株主に払い戻される。
一方、完成品等にまで仕上げて市場に投入した場合には、定期的に売上高の一部が製品株数に応じて製品株主に配当される。
完成品が市場に投入された後に製品株を売買取引する「セカンダリーマーケット」的な運用を行ない、株式会社に対する一般的株式市場と同様に、製品に対する製品株式市場なるものを作り上げる。信託の仕組みも取入れてもよい。従来の株のディーラーは売上げがアップする会社か否かを見極める専門家であるが、このβ版投資市場でのディーラーはイノベーションが市場でヒットするか否かを見極める専門家となる。このようなイノベーションの目利きとなるディーラーを育て上げる土壌を構築することができ、イノベーション大国に必要な人材を育てることができる。しかも、このようなイノベーションの目利きが増えれば、それらの専門的知識経験に基づいた高度な意見や改良提案を入手できるという、相乗効果が期待できる。
【知的財産権】
上記アイデアコミュニティ内で投稿されたアイデアを特許権等により保護可能にする仕組みが必要です。アイデアコミュニティ内で投稿されたアイデアは、新規性喪失の例外規定(特許法30条)を利用すれば特許権化も可能となります。問題は、アイデアコミュニティ内に投稿されたアイデアを見た他人がそのアイデアを盗んで特許出願した場合の防止策です。これを抑止するには、アイデアコミュニティ内へのアイデア投稿者と投稿内容と投稿日付とを立証する証拠を特許庁に提出して上記盗作特許出願を無効にする手立てがあります。立証方法の一例としては、アイデア投稿時に認証局による電子証明書等を作成する方法があります。
さらに、開発者側がβ版投資ウェブサイトにアップロードした製品についても、特許出願前であれば上記方法を利用して後から特許権化が可能となります。とりあえずβ版投資ウェブサイトにアップロードしてみて、反応が良ければ特許出願するという方法が取れます。
私は議論が好きですし、色んなことを気づき、何かのキッカケになることが多いのでブログをしていますが、多くの日本人は議論が嫌いです。フェアネスさんの提案は素晴らしい考えですが、日本人に議論文化が根付くでしょうか?
トヨタ生産方式はひたすらトップダウンであり、やり方が自動車製造のフレームに合ったから突き抜けて行きました。ネット社会ではアイディアの吸い上げ、議論、具現化のスピードを早めるしかなく、議論が嫌い、責任を取りたがらない、行動する人間を馬鹿にする日本人が出来る気がしません。
日本人には強烈なトップの独断、独自方式に染め上げていく方式しか出来ないのではないか?と思って来ました。決まったことに対しては従順でしっかりやるので、それを活かすには決めてしまうしかないのかもしれません。
このブログは議論ブログなんだ、と言っているのに、聞いて欲しいだけで議論したくない!反論された!否定された!っと怒り出す人がいるし、どうでもいい記事にはやたらコメントがついて、真面目な議論をしたい記事には限られた人しかコメントしません。やるなら、広く議論するのでなく、議論したい人を集めて、そこで建設的議論ができる人だけを審査した上でプラットフォームにするしかないのかもしれません。
シン
>多くの日本人は議論が嫌いです。
→そのとおりです。日本では議論(特に建設的発展的な議論)が生じにくいです。
古い話ですが、私は「ウェブ進化論」(梅田望夫著)を読み、「リナックス等のオープンソースでは、不特定多数のプログラマーによって叡智の連鎖が生じOSがどんどん進化している。この叡智の連鎖をリナックス等のOS開発以外のあらゆる分野に拡散したい。」との著者の志に触発され、はてなでブログを始めました。
その後もmixiの専門的コミュニティにより「叡智の連鎖」を誘発させるための社会実験を行い、「叡智の連鎖は難しい」との結論に達したことは、以前コメントで述べたとおりです。梅田望夫氏も後になって「ネット上での叡智の連鎖を成功させるには参加者の志が重要となる。日本人には無理かもしれない。」と発言しています。
私の場合、ネット上には金のなる木が沢山埋もれており、それを見つけ出して発掘するためにネットを利用しています。ネットは断じて娯楽ではありません。ネットを単なる娯楽と捉えている人(例えば感情的な誹謗中傷によるストレス発散のはけ口と捉えている人)は、みすみす金の鉱脈を見過ごしているのに等しく、もったいない話です。
シン
>>多くの日本人は議論が嫌いです
→その通りだと思います。そもそも教育現場で、積極的に問題点を論じようという生徒は多くの人から煙たがられました。(そんなことよりもそれを早く終わらせて遊ぼうぜっていう人が大半でしょう)そして何よりも先生自身が議論をどのようにコントロール出来るか分かって無かったと思います。1980年代に日本が先進国として十分に成熟し、次のステップを見据えた時に、国もそれを憂慮したのではないでしょうか。しかし、そのガイドラインをなかなか示すことが出来ませんでした。そのような中でディベートが1990年代から国語教育に取り入れられました。ディベートというフレームを提示してあげて教師や生徒が困らないようしたいというのが意図だったのではないでしょうか?
ただし、それは学校生活の中だけの話で、日本人には議論する習慣は定着しませんでした。利害対立の中で、議論でどこまで歩み寄れるかを探ることは積極的にしません。利害対立は無いことにする。利害対立があっても弱い立場が黙ってそれを黙って飲み込む。それを美徳するのが多くの日本人の特色です。雄弁は銀、沈黙は金ということわざが、それを的確に示しています。自分自身はそのことわざには違和感を感じています。何か訴えたいならば正直に言えばいいですし、それで自分が省かれるのであれば、その程度の共同体でしかないので、さっさと次に行けばいいだけです。
2011年の福島第一原発の事故の際に首都圏での放射能汚染の影響を友人同士で論議することは皆無でした。むしろ皆がそれをタブー視してしまった印象を受けました。それをタブー視はしますが、自分達より状況のひどい福島の人(立場の弱い人)を差別することに絶望感を禁じ得ませんでした。
日本人には議論を楽しむ、という文化がないので、意見するということが攻撃として捉えられてしまうんよね。喧嘩になってしまうのが嫌で黙っていることが多いです。それは違うんじゃないかな?と思うなら、きちんとそれを伝えるロジックが必要ですが、難癖、暴言、差別だと喚く、などして議論を無理やり止める方向に持っていくことを選択しがちです。
特に日本人女性は納得しないから陰口を叩く、という方向に持っていく、と外国人女性が言うのはちょこちょこ聞きます。確かにシンガポール人女性は議論はしませんが、自分の言いたいことをストレートに喚きますね。それがいいとは言いませんがw
良くしたい、考えたい、と言うなら議論は必要だ、文句をつけるのは対案が必要ですが、その対案の立て方が教育で身についてないし、攻撃的にならない、最後まで相手の話を聞く、関係ないことを持ち出さない、というマナーを誰も教えず、盲目に従うことを求めるんですよね。
産業革命からの大量生産、という流れからIT革命による個性生産の流れに変わって、他人と自分を差別化でないと価格がつけられなくなってきています。だったら、自分の意見をしっかり持って、それを適切に伝え、議論して、良い方向に持っていけるようにならなければ、何の個性にもならず、埋没するんだと思いますね。
これをほんの少しでも変えられるようなプラットフォームを作りたいなぁ、と思っています。長文を嫌がり、短文で根拠も出さず言い切ったり、バカにしたりする文化のプラットフォームはお腹いっぱいです。
シン
>そして何よりも先生自身が議論をどのようにコントロール出来るか分かって無かったと思います。
>ディベートが1990年代から国語教育に取り入れられました。
1990年代後半に地方都市の中学生でしたが、議論という観点では酷いものでした。通っていた公立中学校ではどのクラスにも大体数人は学力が高く議論好きな生徒がいましたが、どの授業も教師は彼らが授業中に挙手をしていてもほとんど当てることはなく、ひどい場合は無視という状態でした。
授業参観の日も同様で、私の親を含む何人かの父兄が教師に直接理由を聞いていましたが、理由は「彼らを当てると答えを喋って授業が終わってしまうから」とのことでした。ならば授業が終わらないようにそこから議論を発展させて授業内容を深めれば良いのにと率直に思いましたが、どの教師にもそこまでの力量もやる気もなかったようです。日本の戦後義務教育が、できる子を伸ばすよりもできない子を普通の水準まで引き上げることを重視する方向性であり続けたのも大きな要因だったのでしょう。
ではできない子の学力水準を上げることができたのかというと、答えはNoでした。なぜなら学校や教師にはその方法論が存在しなかったからです。彼らがやったことといえばクラス内を5~6個ほどの班に分割し、高学力の生徒と低学力の生徒が同じ班になるように配置して、高学力の生徒に丸投げするというだけの酷いものでした。一応教育のプロである学校の教師にできないものを普通の中学生に求めてもできるわけはなく、結局卒業まで学力差は拡大するばかりで、クソのような授業は彼らのその後の進路に大きな影響を与えて様々な格差となって今に至ります。教師も結局面倒くさかったのでしょう。
議論や学力の代わりに学校や教師が大好きだったのは、「絆」や「仲間」や「優しさ」という耳心地は良いが実質的に何の意味も持たない言葉でした。しかし実態は議論を避け、教師の言うことに疑問を持たずに従うだけの生徒が欲しかったに過ぎません。この逆に非常に学力が高く、いろいろと疑い深く議論が好きだった友人は教師に嫌がられ、どの教科も100点満点を取っても5段階評価で3ばかり与えられていました。代わりに5がもらえたのは教師に従順な生徒(特に女子生徒)ばかりでした。このため学力が高く議論が好きな層も、いつしか何も言わない方が得だと悟り、内申点を確保できるように教師の求める生徒像に表面的には合わせていくようになりました。
このような光景は今でも多くの義務教育段階の学校で変わっていないのだろうなと思います。そして学校と教師の体質が変わってかつ能力が向上しない限り、いつまで経っても議論は無理だろうと思います。
>議論や学力の代わりに学校や教師が大好きだったのは、「絆」や「仲間」や「優しさ」という耳心地は良いが実質的に何の意味も持たない言葉でした。
これは本当にそうです。キレイゴトは良いから、もっと役立つことを教えろよ!っと思います。議論の仕方を教えられるほどの知識も技術もないなら、基礎学力を高めることに専念した方が良いです。
本当の仲間、絆、優しさは激しいぶつかり合いの後に発生するもので、最初からそこを目指しても意味ないです。
シン
Garfieldさん
>>一応教育のプロである学校の教師にできないものを普通の中学生に求めてもできるわけはなく、結局卒業まで学力差は拡大するばかりで、クソのような授業は彼らのその後の進路に大きな影響を与えて様々な格差となって今に至ります。
→先生たちは自分達でまともに教えることも出来ないくせに塾の批判はご立派でしたね。そもそも塾がなぜ成立するかと言ったら学校教育に学力増進の点で欠落した部分があるからです。
>>この逆に非常に学力が高く、いろいろと疑い深く議論が好きだった友人は教師に嫌がられ、どの教科も100点満点を取っても5段階評価で3ばかり与えられていました。代わりに5がもらえたのは教師に従順な生徒(特に女子生徒)ばかりでした。このため学力が高く議論が好きな層も、いつしか何も言わない方が得だと悟り、内申点を確保できるように教師の求める生徒像に表面的には合わせていくようになりました。
→これはひどいですね。個性尊重とかいう教育スローガンと矛盾してますね。大人の言うことを疑って議論をするのも立派な個性のはずですが。これではトガッた人材が日本ではなかなか生まれないわけです。むしろ一定数トガッた子供はいたはずなのにそれが教育によって伸ばされるのではなくスポイルされてしまうなんて。私自身もそうした中学校の教育スタンスに疑問を感じて、内申点が重視される推薦入試には意地でも頼らず、学力試験で合格してみせると決意を強くしたものでした。
おっしゃるとおりで学校による塾の批判はかなり多かったです。教師は自分たちの存在意義が軽んじられるようで不愉快だったのでしょう。しかし学校の教育は信用できないので仲の良い親同士が情報共有をし合って塾を探していました。そして高校受験がありながらも、学校ではどの受験教科も結局はすべての分野が完了しないまま終わりました。
それでも綺麗事だけは本当に盛んで、各クラスで例の「絆」や「仲間」や「優しさ」系のスローガンを決めさせて、各教室の教壇の上に額縁に入れて飾ってありました。スローガン決定の際は「話し合い」をするのですが、ホームルームの時間を下校時間以降2時間も3時間も延長して、クラスによっては数日も同じことを繰り返して、教師が納得する結論になるまで話し合わせるというものでした。
しかし実際の現場では生徒が教師の顔面を蹴って鼻を骨折させたり、別の生徒が警察に補導されてパトカーに乗せられたり、片親の子供をいじめたり(もちろん教師は黙殺)、高校に進学しても暴走族や麻薬に関わって逮捕退学というのを見てきたので、この学校は本当にダメだなと思います。これでも当時は周辺の他校に比べればまだマシな中学校でした。
100点満点を取っても5段階評価で3ばかり与えられていた友人は、少し出自が特殊であったことも原因かもしれません。彼は自分を取り繕うようなことをしなかったので、最終的には内申点の平均が3.xしかありませんでしたが無事に学力で合格しました。大学は県外に行って今は医者をやっています。
ちなみに彼と私が行った高校(公立の普通科)は表向き推薦はないのですが、学力が微妙なのに内申点が満点で入ってきて後々ついていけなくなった同級生がいたので、実質内申点がかなり入試総合点に加算されたのではないかと思います。
フェアネス様
素晴らしいアイデアですね。つまり会社と市場の垣根を低くして、製品開発のコストとアイデアを市場から借りる仕組みを作り、それに貢献した市場の参加者には一定のリターンを享受してもらうことで、インセンティブを与える。
ただし以下のことは可能であるか疑問です。
>>途中で開発を断念した場合には、製品株の購入代金は各製品株主に払い戻される。
→株式と同じく失敗しない場合の元本保証はしない代わりに成功した時の売上額に応じたリターンを高めにするといった方式じゃないと成立しないのではないでしょうか?失敗した時の元本保証を企業が行うとなると最終的に企業の新規事案の検討意欲が後退してしまうことになるのではないでしょうか?
フェアネスさん
日にちが経ってしまい、もう読まれてないかもしれないですが、面白い提案なのでコメントさせてください。
おっしゃる通り、「β版投資市場」のように、資金的なリスクを抑えながら、イノベーションを起こしうる場を提供できれば、日本からもイノベーションの種が萌芽する場になりうると思います。
ご存知かもしれないですが、実はそれに近いサービスというのは既にあるのでご紹介します(実際に使ってないのであまり詳しくないのですが)。
ファンディーノ
https://fundinno.com/
売り出したい、製品やサービスを紹介して、複数の投資家からお金を集めて、未上場株式を提供しています。
実際に投資という形でお金を出しているので、投資家の人数や、提供して貰った金額・性別・年齢などのデータを集計すればサービスの有望性を推し量る上で、単なるアンケートを取るよりも有望なデータが取れるんじゃないかと思います。
さらに、コミュニティや知的財産権の保護など課題を潰していくことができれば世界を席巻するイノベーションが生まれるやもしれません。
ただ、スタートアップ時の企業は時間も資金的な制約もかなり大きいので、コミュニティとコミュニケーションをするコストがかなり負担が大きいのでないかと思っています。
製品のプロトタイプなどを体験できる場や、株主総会など、定期的な報告を義務付けるなどそういったところから始めるのが現実的なのかなぁとは思います。
一物一価や同一労働同一賃金にちなんでですが、シンさんはグローバルグレーディングはどう思われますか?
グローバル展開している企業にとって不可避にもかかわらず、日本企業はろくに取り入れられていないか、コングロマリット系日本企業でグローバル化してますアピールのために導入してる(導入目的を検討できていない)場合がほとんどのように感じています。
正直、仕事をろくにしない(または、価値のない仕事をして忙しいふりをしている)人が、客観的に職務評価され、等級制度を構築されてしまうと、減給にも繋がりかねないので、導入を拒否しているケースが多いと考えてます。
または、コングロマリット系日本企業では、予算を掌握している人間だけ、イレギュラーなケースとして、客観的に職務評価していないと考えてます。
上記の認識に対してご意見いただけますと幸いです。
日本企業は本国ですら同一労働同一賃金が出来ないのに、海外で出来るわけもなく、ろくに英語も話せないと事務屋が駐在としてフルパッケージをもらっている姿を見て、現地採用が頑張れるわけありません。
フランス系なんかは外資でも本国主義ですが、にしても、英語もろくに扱えないような人間が駐在していることなんて見たことないし、本国じゃ、平社員が出先で偉そうにしていることはありません。平社員なら多少の割増だけもらって研修の形で現地の平社員並みの待遇で仕事をします。
日本企業でもようやく若手平社員の研修は研修生扱いで現地採用のプライドをズタズタにしないようになりましたが、それでも、主任程度の権限しか本国でない人が二階級特進することは変わりません。まして、同じ階級は物価指数だけ係数をかけて同じテーブルになんて出来るわけもありません。
シンガポールで日本企業勤務なんてバカ、やる気ない人しかしません。バカな日本人が高給もらって偉そうにしていて、ポジションを独占しているのを見て頑張れるわけがありません。
日本人はバカなことを前例だからと、崩壊寸前まで続ける人たちだと思っています。
シン
>日本企業は本国ですら同一労働同一賃金が出来ないのに、海外で出来るわけもなく、ろくに英語も話せないと事務屋が駐在としてフルパッケージをもらっている姿を見て、現地採用が頑張れるわけありません。
同意です。今のところ、日本以外の国籍の駐在員で英語が話せない駐在員を見たことがありません。それでも一級品の技術や知識があればぜひ教えてくれ手伝ってくれと頼りにされるのでしょうが、普通の事務職だと一体何のために駐在しているのかと現地社員が思うのは当然です。あえて言えば監視に来ているというのはありますが、それだといつまでも「管理」まではいかないと思います。
夜飲食店に行って他社の日本人駐在員が隣のテーブルにて英語で会話しているのを聴くと、ちょっとさすがにそのレベルはないんじゃないのという英語の水準であることがほとんどです。(ちなみにほとんどの日本人駐在員はそもそもドイツ語を話せません。)
ある程度以上の規模の企業だと家賃補助、車支給、プライベート健康保険加入、給与加算かつ日本円との二階建て、日本の労働法による雇用保護、現地でのそれなりの地位、語学学校代、日本本社社員と同じ福利厚生享受などなど多くの手当てが付いてくるので、もし現地社員が手当ての全容について正確なことを知ったら本当にやってられないと感じるのではと思います。
Garfieldさん
実は私は数年前に旅行でデュッセルドルフを訪れたことがあり、そこで出会った日本人駐在員のレベルが全般的にひどかったのですね。(もちろん私の体験の範囲内なのでそうではない人もいることは承知しています)毎日夕食は馴染の日本食レストランで済まし、顔見知りの日本人と言葉を交わし、日本語の雑誌を読む。ドイツにいるのに日本文化の狭いコミュニティで完結してしまっている人が多い印象を受けました。彼らはガイドブックを少し読めばわかるような近所の名所にも驚くほど疎いし、近所づきあいもほとんどありませんでした。ドイツ語の簡単な挨拶を覚えて店員とドイツ語であいさつを交わす人も皆無に等しかったです。海外という空間には身を置いてますが、精神性は日本国内のままなのです。
そのため、話をしていて大変退屈でした。思わず「何のためにドイツに来たんですか?」という言葉を発しそうになりました。
これはドイツに駐在している人に限った話では無いかもしれません。日本人は基本的に海外の現地のコミュニティに自ら溶け込んだり、現地の文化を知ろうという積極性に欠ける傾向があります。(もちろん平均像です)曲がりなりにもその会社の日本を代表して来ているわけですし、ドイツという欧州の先進国に駐在出来るのですから、積極的に現地の文化に触れあい、良い点を吸収していけば良いのにというもったいなさを強く感じたものでした。
Yさん
Yさんのおっしゃることは、長年デュッセルドルフに住む知人から聞いた話と全く同じです。Yさんは旅行でそう感じられたのですから、相当なものだと思います。しかし、現場のコストはぎりぎりまで削っている余力のない企業が、高い人件費でこのような駐在員を多数送り込んでいるのです。このような駐在員が企業に利益をもたらしているとは、とても思えません。
余談ですが、テニスの伊達公子さんが会見で日本人選手が世界でなかなか勝ち抜けない理由として、海外ツアーの公式試合前の一般練習で、日本人は日本人同士と練習したがることを問題点の一つとしてあげてました。せっかく欧州、アメリカの身体能力の高い相手が参加している海外ツアーなのだから、積極的に彼ら、彼女たちにアプローチして練習パートナーになってもらい強い球に慣れて行く必要があると・・。
スポーツだけでなくしごとでも世界で通用するかどうかの一つの分岐点として、技術、体力の他にこのようなメンタリティが大切になってくるのだろうと思います。
>日本人は基本的に海外の現地のコミュニティに自ら溶け込んだり、現地の文化を知ろうという積極性に欠ける傾向があります。
→ 海外にいる中国人・韓国人の方が同じ国だけのコミュニティを作り、現地と溶け込まずに暮らしている人が多いイメージがあるですがどうでしょうか。むしろ日本人は比較的現地に溶け込んでいるイメージがあります。
そして駐在員の方がむしろ特殊で、彼らは会社の命令で赴任した人達であり、数年で日本に戻ることが確定した人達なので、現地でも日本本社の命令に従って動いているだけであり、現地に溶け込もうとしないのは分かります。
でらさん
コメントにぶら下がれないので、こちらで回答します。もちろん中国人、韓国人が現地文化に歩み寄りを見せず、それが日本人よりも顕著なのはおっしゃる通りです。しかし中国人に関してはそれが突き抜けていて、場合依っては現地の文化やコミュニティや文化を圧倒する存在感を放っています。現地にも積極的に溶け込もうともしない。かと言って日本人としてのアイデンティティを強く持っているわけでもない。そうした中途半端さを残念に感じています。
>>むしろ日本人は比較的現地に溶け込んでいるイメージがあります。
→私の偏見かもしれないですが、溶け込んでいるというよりも必要以上に現地の白人達におもねっていたり、自己主張が希薄なだけで、結果的に溶け込んでいるように見えるだけという印象を受けるんですよね。彼ら現地人に嫌われないようにニコニコ相槌を打って、自分の意見を論じて話あおうとしないというか。私は旅行先や仕事先で外国人と話す機会はある方ですが、彼らは自分たちの国の情勢や社会システムに関心が高く、なおかつ話し相手の日本人にもそうした話題を積極的に振って行きます。しかし、そうしたことに正々堂々と対峙して、日本の情勢は現在~の問題点があって、~を解決しなくてはいけないということを主張出来ている人は少なかったです。意に沿わないことを言われても、反論して、議論を交わしてお互いを分かり合おうという人は指で数えるほどでした。その結果、外国人から見ると日本人は何を考えているか分からないとう印象を抱かれやすいのだと思います。そして言葉は悪いですが舐められてしまう。日本は経済が右肩下がりで苦しいと言われていますが、対外純資産は300兆円あって、世界最大の債権国なんです。それは我々日本人が一生懸命働いて、築き上げたものです。もう少し、自分たち日本人にに誇りを持って、世界と対維持しても良いのではと思います。英語アレルギーのせいかもしれないですが、白人にビビりすぎ、遠慮しすぎだと感じてしまうんですよね。会社の命令だからと割り切って駐在するのではなく、少しでも日本を世界に知らしめてやるという気概を持って欲しいと思うんです。
>溶け込んでいるというよりも必要以上に現地の白人達におもねっていたり、自己主張が希薄なだけで、結果的に溶け込んでいるように見えるだけという印象を受けるんですよね。
→ 私が考えるに、白人におもねっているのではなく、相手を立て、気を遣うのは日本の文化だからです。その証拠に、日本人同士でも結構気を遣っており、外国人に対してそれより気を遣っているようには思えません。まあ、日本人同士だと気を遣っているように見えるのに、白人に対してはおもねっているように見えてしまうのはあるかもしれませんが。
>少しでも日本を世界に知らしめてやるという気概を持って欲しいと思うんです。
→ 73年ほど前にアメリカに叩き潰された経験でしょうね。日本が明治維新を成し遂げたのは凄いことですが、そのことにより西洋列強から少なからぬ反感を買ってしまい、目立って潰されるよりは目立たず実利を得るように動いた方が何かと有利だと多くの日本人が気付いたということでしょう。
Yさん
デュッセルドルフにいらしたことがあるんですね。あまりに日本人密度が高い都市であり、事業内容、会社規模、そして職種によってはほぼ日本人の相手をするだけで済んでしまう駐在員もいます。仕事だけでなく住居契約も食事も買い物も病院も日本語で済んでしまいます。日独通訳さんも多いです。もちろん中には何ヶ国語も流暢に話せるような駐在員もいますが。
40歳を超えているであろう太ったスーツ姿のおじさんたちが4人も5人も端っこに固まって、日本の居酒屋でやっているのと変わらない姿で他人の噂話や愚痴を話しているのを聞くとなんだかなという気持ちになります。来たくはなかったが会社に言われたので渋々来たという人も多いです。
現地に溶け込むという話ですが、目立たず無難という意味での溶け込んでいるというのが実感です。もちろん現地で店を開いて根を張ってドイツ人相手に仕事をしている方々は本当にすごいですが、その方たちとは異なり上記は特に一時的な居住者に当てはまります。日常の風景に溶け込んではいるのですが、現地の言葉も話さないし、集団でいてもなんだかひっそりとしている感じです。良く言えば他人様の土地なので静かにしているという感じでしょうか。相手が白人で体も大きく強そうというのもそれを助長していると思います。
他の東洋人を見ると、韓国人は日本人と同じようなやり方をしているように感じます。そして日本人が最初に始めたことを後追いで取ってしまう感じで、日本食スーパーやカラオケスナックなどがそうです。中国人は最近存在感を増していて、インマーマン通りの隣の通り(中央駅中央口から真っ直ぐ伸びている通り)は中華系のお店ばかりです。オーバーカッセルにHuaweiができてからは高級住宅街に中国人駐在員がかなり増えています。彼らは道を集団で横に広がって大声で話しながら歩くのですぐにわかります。ドイツ経済の中国依存が以前から強いので強気なのかもしれません。
シンさん、Garfieldさん
「ろくに英語も話せないと事務屋が駐在としてフルパッケージをもらっている姿を見て、現地採用が頑張れるわけありません。」
「夜飲食店に行って他社の日本人駐在員が隣のテーブルにて英語で会話しているのを聴くと、ちょっとさすがにそのレベルはないんじゃないのという英語の水準であることがほとんどです。(ちなみにほとんどの日本人駐在員はそもそもドイツ語を話せません。)」
デユッセルドルフに、このような事務屋の日本人駐在員が多いと聞いています。決して給与水準の高くない企業でも、彼らに高い駐在手当を払っているとのことです。何故このようなことになってしまうのでしょうか。これでは、日本企業の国際的な競争力は落ちる一方です。
日本人は管理が下手で、結局は品質が現場にいる個人の力量任せになるというのはそのとおりだと思います。一般的に日本人は集団主義的だとは言われますが、昨今の日本企業の事例を見ているととてもそうだとは思えないです。集団主義的ならば、きちんと組織の中で個人を管理しているはずなので。
このような日本人に関する誤った論はそこら中に浸透しているのではないかと感じます。例として日本人は農耕民族で欧米人は狩猟民族というのもおかしな話です。むしろ農耕に関しては彼らの方が何千年も先に始めていて歴史が長いです。一神教の聖書にある大量の細かい規定集は、おそらくは長い年月をかけて毎年同じサイクルで農耕生活を繰り返す中で、ある種の法則や摂理として文書化していったものと思われます。そして農業というのは集団での作業ですから、実のところ管理というのも彼らは日本人よりも長く歴史を積んでいるものと思います。
欧米人はこれに加えて牧畜経営という形での管理の歴史も長いです。1人の羊飼いが数頭の犬を操って、多数の羊たちを同じ方向に誘導して追い込んでいく様子は典型的な管理の姿です。
このように考えると、欧米人と同じやり方で管理をしても日本人には板に付かないのではないかと思います。しかし同時に日本人に合った管理のやり方はどこかに存在するのではないかとも思います。とはいってもそれが何かということは分かりませんが、日本で上手くいっている会社の経営者達(このブログでも何度も名前の挙がっている永守氏、孫氏、柳井氏など)がオーナー経営者であることを考えると、昔のような強い主従関係でかつ主の能力が高い組織が日本人にとっては実のところ実力を発揮しやすいのかもしれません。
日本人による外国人の管理については、オーナー経営者の親衛隊のような日本人を大量に送り込んで早期に外国人社員を染め上げ、そして染め上がった外国人社員の中で優秀な人間をいずれは現地経営者にするという感じが良いのではないかなと思います。
>日本人による外国人の管理については、オーナー経営者の親衛隊のような日本人を大量に送り込んで早期に外国人社員を染め上げ、そして染め上がった外国人社員の中で優秀な人間をいずれは現地経営者にするという感じが良いのではないかなと思います。
管理できないなら、自分たちのやり方に染め上げて着いてこれる外国人を探すしかありません。中途半端なことをするサラリーマン経営者は食い物にされますし、食い物にされてきました。
シン
Garfielさん
>>一般的に日本人は集団主義的だとは言われますが、昨今の日本企業の事例を見ているととてもそうだとは思えないです。集団主義的ならば、きちんと組織の中で個人を管理しているはずなので。
→私もそこには違和感を感じていました。日本人には管理能力、組織力が優れていると一般的に言われていますが、本当にそうなのか疑問を抱いてきました。しかしそれはまやかしです。単純に積極的な議論を避けて表面上はまとまっているように見えるから組織力がある、集団主義的であると言われるだけです。会社から一歩外に出て居酒屋などに繰り出せば話題の中心は会社や上司の悪口大会がお決まりのパターン。実は心はバラバラなのです。自分自身で方針が見いだせないから周囲に合わせているだけで、管理がなされている訳でも組織力がある訳でもないのです。
これに似た問題点は会社の採用ホームページにも見受けられます。おおよそ、どこの会社欲しい人材として、自ら問題点を見出し、それを解決するために主体的に行動する人物などという文言が書かれています。しかしながら、問題点を見つけ出すのは本来その会社のしかも経験を積んだ上層部の人間なんじゃないですか?そもそもそれを外部に、しかも新人に頼るのって情けなくないですか?百歩譲って、新人が問題点を見つけ出して、それを上層部に上奏したとして、それを素直に聞きますか?自分たちの管理能力、問題発見能力の欠落を、無意識なのか故意なのかしれませんが末端に都合よく委ねようとしてませんか?委ねようともしてないですね。そうした問題発見を平気で闇に葬り去るわけですから。話は少しそれましたが、本当に情けなくなります。
Yさん
確かに、新人のときに問題点を見つけて主体的に行動しろって表面的なことしか教えなくても自分でできるようになれという放置プレーなんですよね。
それで育つ人材もいますが、例外を一般例にした話なんですよね。
新人時代についた上司が報告しても炎上するまで放置するタイプの人で完成品しか受け付けないという担当者としては優秀でも管理者として失格な人がいましたね。
>先進国の勝ち組メーカーはファブレス、もしくは、かなり付加価値の高い製品に特化して本国で製造しています。
→ こういう論調を見るといつも思うのですが、欧米の勝ち組メーカーと日本の負け組メーカーの比較になっており、そういう比較の仕方は公平ではないということです。まあ、シンさんだけでなく、多くの人がやってしまいがちな間違いではありますが。
欧米でも勝ち組メーカーはほんの一握りで、多くが負け組に分類されますし、日本にも日本電産、信越化学といった勝ち組メーカーが存在します。
そして勝ち組になった理由ですが、無論企業努力もあるでしょうが、市場環境や一か八かの投資に成功といった偶然の要素も大きく、必ずしも真似したからといって上手くいくものではありません。
まあ、外国のことはよく見えて、日本のことは悪く見えるという典型的な事案ですね。
そうでしょうか?同じ立ち位置の企業群を比較しても日本メーカーは負け組になってきています。
化学業界でいうなら信越が例外であり、日本の化学メーカーは総じて負け組です。財閥化学メーカーの統合はずっと前から必要だと言われてましたが、放置しているうちに同じポジションの国策企業の競合は遥か彼方に行ってしまいました。同じ業界にメーカーが多過ぎて日本勢同士の潰し合いになっています。
化学業界に限らず、ルールを守ってまともに国際競争に勝てている日本メーカーは少なく、ブラック気味の労働環境で辛うじて優勢を保っているくらいのものです。
でらさんは前もこの話題に熱くなってましたが、すでに日本は強国ではなく、海外から注目を集める存在ではありません。労働環境は最悪、勢いもない、辛うじて信頼があったメイドインジャパンというブランドすら崩れているのが現状であり、本気にならないと話にならないほど落ちぶれるのは時間の問題です。
私は危機に陥った時の日本の底力は信じてますが、それまでは放置する国民性も知っているので、ズルズルとダメになっていくのだろうと思います。
シン
例に出されている外国企業がアップル、ホンハイという孫氏、永守氏並の天才経営者に率いられている例外中の例外の超勝ち組企業なので、比較対象として適当でないという思いを強くしました。
そんな天才経営者はそういるものではなく、日本全体で10人もいればよい方だと思いますので、それに比べたらほとんどの企業が劣るのは当然でしょう。
日本には企業が多すぎるため、再編が必要という意見には賛成ですが、超トップ企業と比べて貶すのはさすがに可哀相です。
平凡な高校生に対し、東大理三に行けないお前は馬鹿だと言っているようなものです。
確かにそれはありますね。
凄すぎる外国人経営者を引き合いに出すなら、凄すぎる日本人経営者を出すべきです。
ただ、そうでない会社ですら、国の主導で再編してオールジャパンでやれば戦えるはずなのに日本勢で潰し合いをしているので、やる前から負けてるだろう?という嘆きはあります。韓国勢は天才経営者が率いているわけではなく、国主導で一点投資で来るので敵わなくなるというのはあります。レッドオーシャンで一点投資で戦ってダメなら諦めもつくけど、点在した企業群で漠然と戦ったら、負けるに決まってるじゃん?と言いたくなります。
シン
まあ、議論でお金が入ってくるフィールドより、年寄の説教・昔話・自慢話を傾聴してお金が入ってくるフィールドの方が広いですからね。
在ドバイの若者のブログで、現地で流れる日系企業のCMが印籠のごとく「MADE IN JAPAN」と出しているのを、「今だに世界で価値があると思ってるようなのが痛い。思いあがりだ。」と評しています。ダサイですね。
でらさん
明治維新の時期って清朝では同治の中興と呼ばれる時期と重なり、アメリカで南北戦争があったりと東アジアに構っている暇がなく圧迫が弱くなってきたとあり、一気に近代化できたってあるんですよね。