子供の教育に正解はない、と言いますが、絶対にしてはならないことが存在します。
期待
子供に必要以上に期待しても無駄です。基本的に人間は生まれながらに能力は決まっており、その範囲内で努力していくしかないからです。能力がなければ、どんなに環境が良くても伸びることはありません。
どんな能力も際立つ才能を持つのは1%以下であり、強運、環境が重なって飛躍できるのは0.01%くらいのものでしょう。そもそも上位1%に入っていない時点で飛躍する可能性はほとんどありません。ほとんどの子供は期待に値しません。
東大の一学年は約3,000人、入学レベルは大学進学者の上位1%、東大の中で多少の成果を出せるの一学年2-300人、0.1%、その業界じゃ有名人レベルで一学年20-30人、0.01%、世に知られる存在だと0.001%レベルで、一学年2-3人でしょうか?他はしがないリーマンです。
客観的に見て明らかに学力がある子供というわけでもないのに時間とお金を使って塾漬けにして何になるんですか?並の子供が中学受験するとか全く理解のできない愚行だと思いますね。
人間は与えられた配牌で戦うしかなく、上がり目はかなり早い段階でみえています。それでも「本人が」足掻くならともかく、親が足掻かせてもお互いにしんどいだけです。国士無双もあり得ないわけではありませんが、危険な狙いですから本人以外が選択することではありません。
否定
でも、子供を否定してはダメです。「どーせ、無理」は子供の可能性を奪う、極めて残酷な言葉です。無理なのを決めるのは本人であり、親ではありませんし、まして教員な訳ありません。本人が無理ではないと思うならそれで良いんです。
結果がどうあれ、親に負担にならない範囲で本人が納得するまでやらせてやれば良いです。別にサポートしなくても良いです。親には親の都合がありますしね。本人に能力があれば、第三者からでもサポートを受けられます。
才能がなくても強い意志によりチャンスを勝ち取り、プロになる人、一流になる人だっています。ただ、それは本人が全てをかけて取り組むしかないギャンブルに勝ったというだけです。負ければ、責任を取るのは本人です。
人間は否定をされると、出来ることも出来なくなるものです。否定なんてしなくて良いです。結果は残酷なので、嫌というほど現実を突きつけてくれます。そんな時に肯定してやるのが大人でしょうよ?
否定などアホでも出来ます。否定している方がもっともらしく聞こえます。でも、否定はまったく生産性がありません。良いところを見つけて、そこを肯定してやらないと伸びるわけありません。
比較
誰かと比べてどうとか、言われて嬉しい人はいるのですか?自分は自分だと思いませんか?子供を比較するのはやめましょう。子供自身も他人と比較してしか自信が持たなくなります。
偏差値なんていうのは相対評価の最たるものです。そもそも比較対象でないサンプルすら一緒くたにして数字にして無益な競争心を煽る罪悪のような悪魔の数字だと思いますね。
二言目には学歴が、偏差値が、という人って、比較されまくって育ったケースが多いでしょう。自分に自信がないので学歴を根拠に他人を見下したり、自分を卑下して正当化をします。そして、誰からも嫌われます。
誰がどう、という以前に自分がどうだ、というのが大前提であり、自分の立ち位置を把握するのはそのあとで十分です。最初から他人ばかりを意識して自分と向き合わなければ、不満ばかりが溢れるのは当たり前です。他人の恵まれているところしか見ませんからね。
ひたすら他人と比較し、マウンティングを欠かさず、勝ったと思えば上から目線、負けたと思えば卑屈に媚びる人が他人に好かれるわけないし、嫌われるからもっと捻くれるという悪循環です。これは育ちが大きいと言いますね。
何もなくとも自然体の人には協力者が現れるものだし、明るい雰囲気に、笑い声が生まれ、楽しくなるものです。そうやって生きていければ、悪くない人生だと思いますね。
まとめ
自分の子供であっても他人です。他人に期待しても仕方ないし、否定されて嬉しい人などいません。誰だって人生の主人公は自分であり、他人がどうこうなんて関係ないでしょう?そんな当たり前のことくらいは子供に教えましょうよ。
XXXくらいは当たり前、YYYでないとダメ、ZZZはあーなのに、なんでお前は、という自分の勝手な了見を子供に押し付けている親など、どれだけ金持ってようが、社会的地位があろうが、毒親以外の何者でもないと思います。
ごく一部の人を除けば、人間なんて大差ありません。小さな差のために一生懸命になるより、自分自身がどんなことに満足できるのかを突き詰めて、できるだけ納得できる選択をするように教育するのが親の役割だと思いますね。
本当にその通りだと思います。
自然体でのびのび育った子は、大人になっても惹きつけるものがあるしいい人生を歩みますよね。
受験については、中学受験で中高一貫の公立校を受けるのはアリだと思います。
受験というハードルをおくことで、わりと価値観などが近い人たちに囲まれるので楽しく過ごせると思います。
中学→高校で部活や勉強などが区切られないのもメリットだと思います。
受験がない学校だとヤンキーやバカな子と一緒だったりすることがありますが、相手のことを理解できないことも多いし暴力的なことに巻き込まれるのであんまりいいことはないと思いますね。体験談です。
だからといって私立中高一貫校はコスパ悪いと思いますが。
国公立なら子供が進学したいならさせれば良いでしょう。でも、私立中高一貫に進学させた挙句、大学進学の為に子供に借金背負わせる親は毒親ですね。
シン
奨学金という名の借金まで背負わせるのはありえないですね。
私立の学費年間約100万×6=600万
公立との差額、見積もって500万
高校卒業時点で500万をポンと渡してもらった方が有意義な使い方できそうですよね。会社だって起こせそうな金額です。
>私立中高一貫校はコスパ悪いと思いますが。
公立中は、授業崩壊や旭川女子中学生いじめ凍死事件みたいのがありますからね。
時折、貴殿のブログを拝見している30代男性独身です。
他人と比較することがいかに愚行であると私は他人、家族にいろいろ感じていましたが、第3者のご意見を聞くことで確信しました。
不幸なことに、私はシンさんが述べられた
期待
否定
比較
すべて経験し、重い青春時代を過ごしてしまったので、これから残された余生は自分にも、周りにも、自分の言い分・価値観を押し付けることなく、認め合い、どう歩んでいくかを考えていこうと思います。
これからもご活躍を祈念しております。
そうですね。大事なのは他人だけでなく、自分にもしないことです。こうでなくてはならない、と期待で縛り、否定し、他人を見て羨み、感謝の気持ちがなくなると、何もかもが楽しくありません。過去は変えられないので、今からでも意識していくのが良いと思います。
シン
全国屈指の私立の進学校で素質があって本人も希望して進学するなら中学からでもいいと思いますが、そうでないなら高校からで私立はいいかなと思います。
なぜ、高校からなら私立でも良いのですか?学費だけを見ると公立以上の何かがないなら私立校は大学を含めて行く意味はありません。子供自身に何かがあるならスカラーシップを取れます。多くお金を払う客観的根拠を示せないなら払う価値はないと思いますね。
単にどうしても大学に行きたいが入れる国公立がない、とか、下宿しなければならない国公立にこだわるのでなく家から通える範囲に私立がある、というなら理解できます。
シン
私はまだ20代かつ独身なので教育についての経験はありませんが、塾講師として大学時代バイトしていましたのでその切り口から教育について思うことをコメントしようと思います。
塾に通わせている親からすると自分が必死に働いて稼いだ金を注ぎ込んでるんだからリターンとして成績向上とかをよこせよ!っていう気持ちがやっぱりあるんだろうと思います。
実際私は一応指導していましたが、やはり伸びる子と伸びない子がおり、後者の親は塾のコマ数を増やすか退会してほかの塾に移るかしていました。
これは塾だけに限らず、学校生活や進路という生活のいろいろな場面でも、自分が金(労力)を出してるんだぞ!という気持ちがあると思います。
ただその気持ちも理解できなくはないですが、言葉や態度でそれを子供に示してしまうとシンさんがおっしゃられた期待・否定・比較の三つが一気に子供のメンタルや可能性を押しつぶしてしまうんだろうなぁと思います。
またもう一つ思ったのがその三つをしてしまう親は、その親からもその三つを受けて生きてきたんだろうなとも思い、貧困スパイラルに近いものを感じました。
そう考えると子供の教育は親がいかに理性的になれるかが本質なのかなと思います。
といっても難しいと思いますけどね、特に教育は金がかかりますからどうしても感情的になってしまうのかもしれません。
>特に教育は金がかかります
親の勝手で金かけてるのなら子供に変な期待をするな、と思いますね。子供が自発的に塾に行きたいと言って、全く成果が出ないなら金の無駄だから辞めろ!っと言うことは普通だと思います。
シン
偏見かも知れませんが、父親が医者、特に開業医だと、子供の教育でシン様ご指摘の「してはならないこと」をしてしまい、悲惨な末路になるパターンが多いと感じています。
再三述べたように、私は地方の中高一貫の男子校の理数科に通っていました。30年も前の地方都市なのに、わざわざそんな学校に入学したのは、医者の父親の命令で、という同級生が多くいました(私の場合は金属加工エンジニアだった父親の意向です)。
・期待
→父親の医院を継ぐ事を期待されます。特に長男だと、期待というより絶対命令です。
・否定
→医院を継がなければこの世に居場所はない、という位に物凄いプレッシャーを受けている同級生を何人も見てきました。
・比較
→医学部ならどこでもという訳にもいかず、最低でも国公立、出来れば旧帝を、という感じで、大学の序列に凄く敏感なようでした。
自身の経営する医院を息子に継がせたい、という思いは理解できますが、それなら別に息子本人が医者である必要はないでしょう。息子は2代目オーナーとして資産の管理に専念させ、医者は看護師と同じく外部から人材を雇って医院を運営する、という方法もあるはずです。しかし開業医というのは何故か息子も医者、それも序列の高い学歴の医者にさせないと気が済まないようです。
そして医者と言うのはインテリなイメージに反して、家庭内や職場の下の人間に対しては高圧的・暴力的な者も多いようです。特に外科医は気が荒いと聞きました。
それでも医者になれれば勝ち組ですが、資質の問題でいくら厳しい教育を受けて努力しても、医学部の難易度に到達できない子供もいます。多浪の末に引きこもり、自殺、息子の出来の悪さを妻のせいにしてDVで家庭崩壊、何とか医者にはなったが、灰色の青春の反動なのか猥褻事件を起こし逮捕、等々。同級会に姿を見せない奴が今どうなっているか、という話題になると、ちらほらそうした話が聞こえてきます。