これもリクエスト記事です。
嫌なら見るな、読むな、という意見はよく聞くんですけど、まったくごもっともな話で、好きの反対は無関心なので、私はわざわざ見に行って暴れることが理解できないんですけど、ネチズンは些細なことを祭りにするのが好きですね。
テレビ
私事をことさらに言うことではないですが、私はテレビを見なくなって10年くらいが経ちます。テレビが欲しいと思わないし、見たいとも思いません。シンガポールのテレビがつまらないから、ということが理由でもなく、ネットにタダでついているケーブルテレビも見ないんですよ。メディアとしてテレビに興味がないのです。
だから、もっと言うと私は映像を見ること自体がさほど好きでもないので、映画もほとんど見ません。好みの問題で、情報は文字媒体の方が好きだし、想像を掻き立てられるので面白いです。かろうじてドキュメンタリーは見ますね。
でも、未だにテレビの影響力が大きいのは理解していますし、好きな人もいるのでそれはそれでいいと思います。テレビを全録画とでもいうんですか?全部、HDに落として食い入るように見ている人もいるので、中毒性があるんだな、と思います。
テレビの偏重報道に怒り出してデモまでしている人がいるのはテレビが大好きなんだな、と思います。多かれ少なかれ広告料で生計を立てているメディアが利潤の為に事実をゆがめて報道するのは当たり前で、そんなことは世界中同じです。
テレビ局は公共の電波を無料同然で占拠しているインフラ企業でもあるので、純粋な私企業みたいに「嫌なら見るな!」と上から目線でいう権利なんかはなく、文句を言っている人の意見は理解できないことはないです。でも、一番の攻撃は無関心だと思います。フジテレビなんかはかつての栄光が遠い昔のようです。
テレビに限らず、既存のマスコミに対する不信感が爆発しているというか、今まで上から目線の情報操作によって庶民をあの手この手で煽り続けてきた広告業界に対する反動が来ているのかもしれません。自分達の都合で流行を作り出して、消費社会を作ってきたのですが、消費が時代遅れになりつつあります。
バブル世代からすると、頭がおかしいとしか思われないミニマリストなんかは消費社会に対するアンチテーゼで、私自身も程度の差はありますが、流行なんか一切追いかけず、ずっと同じ衣食住を続けているのでミニマリストといえば、ミニマリストなのかもしれません。
ネット
私にはネットの方がテレビよりも中毒性があり面白いです。何が面白いって、自分の意見を気軽に発信してその反応をダイレクトに受け取ることが出来ます。その分だけ自己責任で自分のみを守る必要がありますが、ネチケットを遵守さえすれば、これほど面白いメディアはありません。
第2版の頃には執拗なアンチがいましたし、彼らもぬるりが好きだから粘着するのであって、本当に嫌いなら、たまたま目にしても数秒でクローズして訪問したことすら覚えていないくらい薄い記憶になります。私自身も興味ないブログはそういう扱いをしますね。
芸能人ブログなんかだと、朝から晩まで張り付いて粗探ししている人がいますけど、ある意味でその芸能人が大好きなんだな、と思います。嫌なら無視すればいいのに、他の場所で騒いで宣伝し、PVに貢献して、ご本人の収益に貢献しているんですから大ファンみたいなものです。
その意味では私も強烈なアンチの一人や二人は再登場しないと、本当の意味でブログを大きくしていくことは出来ないのだろうと思います。それだけの強烈なメッセージがなければ、好き嫌いは別にして他人を惹きつけて、巻き込みながら面白おかしい祭りをぶちまけられません。
ネットの良さは情報発信が一方通行でないことなので、つまらないならつまらない、と言えば良いんですよ。ただし、つまらないという感情を持ったと言うことは好きでないにしろ興味は持ったわけで、それなりのものだった証明です。特に溢れるほど情報があるネットで感想を持っただけでもインパクトがあったのです。
インフラ
でも、嫌だからと言って無関心でいられないインフラは困りますね。電気、ガスなんかは徐々に自由化が始まりまってサービス競争になりましたし、郵便局の職員も民営化されて本当に態度が良くなりました。社会主義国はサービスと言うものが存在しませんが、競合がいないと甘えきるのが人間です。
政治、役所などはクズだからと言って代替はないに等しく、政治、役所を変えるために政治家、公務員になり、何十年かけて権力者になって変革していくのは大変です。少なくとも私はそんな地道な努力は出来ません。
世が壮絶に乱れた時に志士のようにそこらじゅうで命を懸けて暴れるならやりがいもあるでしょうが、中途半端に平和な世の中で危機感を煽っても、ほとんどの人は自分のケツに火がついていることすらはっきりと認識せず、無関心を貫くんですよね。
だったら、自分の考えに近い国に移住してしまうほうがいいし、まったくそういった国がないなら、パーマネントトラベラーとして便利な国籍、住所、居住地を使い分けながらフリーライダーを出来るだけの資産を築くほうが早いでしょう。
選挙に対して無関心って言うのは日本に興味がなく、自分にも興味がない、ということに近いです。政治家が選挙権放棄する層に対して厳しい政策をするのは当たり前ですし、放棄層はその責任を取ることになります。若者は元から数が少ない上、投票率が低いんだから、そこからしゃぶろうとするのは当然です。
ある意味で日本の最大支持政党は無関心党ですね。選挙のときくらいは世の中のことを考えるべきだし、誰にも入れられないなら白票を投じたらいいです。その程度のこともしないなら、しゃぶられて当然ですよ。ウヨ、サヨ、どちらもバカ共だと思いますが、何かしらの意思表示をしているだけ、無投票層よりは愛国者ではあるのでしょう。
まとめ
何度も言いますが、「好きの反対は無関心」なので、嫌いなことは無関心を貫くのが最も適切な対処法です。私がこれほど日本の問題点を書き記したり、改善点を定義するのは愛国者だからであり、日本が良くなって欲しいからです。本当に呆れたら、日本国籍も捨てて無関心を貫きますよ。
テレビだとか、ネットだとかでギャーギャー騒いでどうでもいいことを言う人はその対象が大好きなんです。意味があるか、ないか、は別にしても、そのエネルギーだけは元気があっていいな、と思います。
私は、民放はほとんど見ないですね。
マニアックな人なのでCSのアイドル声優のライブや特集やAV女優のトーク番組だったり、中日ファンであるため野球を見るくらいです。
後は、ネットです。
好きなものはお金を払って見るけど嫌いなら無関心です。
私は受動的な情報の入れ方に疑問があり、何が見たいわけもないけど、家に帰ったらテレビをつける、という習慣は馬鹿げていると思いますね。民放はタダだからなんでしょうが、時間の無駄ではないのか?と思います。だったら、お金を払っても見たいもの、知りたいこと、楽しみたいものを限られた時間に当てているほうが本当はお得なんだと思います。
シン
テレビは私も持っていないのでほとんど見ないのですが、時々人の家とかで見ると、ぼけ~っとしてても音声と映像で情報が入るのも楽でたまにはいいかもねとは思います。
ただ、それが受動的である、というのを忘れない程度の付き合いにしておいた方がいいですな。一億総白痴化とはよく言ったもんです。