じゃあ、口達者

口達者を自称する人は多いですが、それは口達者ではないだろう、と思うことも少なくありません。

甘え

パートナー、親などに暴言を吐いて屈服させて悦に浸っている人は少なからずいますが、そんなのは口達者でもなんでもなく、相手に甘えているだけです。他人なら関係が破綻するようなことを言って、その場で持論を突き通すことは誰でもできます。

相手に多大な負担を強いているだけで、相手が耐えられなくなれば、捨てられるだけです。その限界までやりたい放題にしていることが達者なわけないでしょう。バカそのものだと思いますね。

挙げ句の果てに、暴言によって相手を無理やり屈服させているのに、相手が好きにやっていることであり、感謝の必要はない、少しでも不満を漏らせば、さらに暴言吐く。後ろめたさすら受け入れない、となると病気でしょう。

私はパートナーには気を遣わない、と言う人の考えが全く理解できません。せいぜい血を分けた親、子供は理屈じゃないところがあるのはまだ理解できますが、他人であるパートナーに甘えて良いわけありません。もちろん、親、子供には他人以上に気を使うべきだと思いますね。

難癖

ひたすら難癖をつけて屈服させようとするヤクザって、別に弁が立つわけでもなんでもありません。暴力を背景にして萎縮させて言うことを聞かせているだけです。難癖を相手が拒絶したら暴力という切り札を出すぞ、と脅しているだけです。

ヤクザだけでなく、最近は弱者様もこの手を使い出しましたね。ひたすら難癖をつけて自分の要求を押し倒し、相手が反撃に来たら弱者、被害者という立場に逃げ込んで、強引に収集してしまうわけです。これもある種の暴力です。

単に難癖をつけていても無視されておしまいなんですが、背後にある暴力によって、ある種の正当性を押し付けてくる、という二段構えの押し切り方法であり、この手で来られるとなかなか対抗するのが難しいです。

詭弁

まずは相手に持論を展開させ、自分は何も核心的なことは言わない。徐々に相手の揚げ足を取ったり、茶化したりしながらイライラさせ、失言を漏らすまで、真面目に取り合わない、最後は失言を根拠にして殴り倒す、というのは口達者ですかね?私はそう思いませんね。

相手が失言せず、徹底的に正論できて自分の都合が悪くなると、論点を逸らして関係ないところに持っていき、ウダウダにして引き分けを狙っていく、というのも詭弁の代表的なやり方でしょう。そもそも議論してません。

胡散臭い人が論破法、というようなことを言っているのですが、こんなことをすると、まともな人にはバカにされ、相手にされないと思いますよ。単に相手をやり込めるだけのテクニックを身につけても、どんどん孤独になるだけです。

まとめ

口達者、というのは相手を説得し、協力させることです。その場を自分有利な方向に着地させることではありません。その場は良くても相手はストレスを溜めるし、関係は悪化します。そんなのは意味ないと思いますね。

そもそも、弱い犬ほどよく吠える、と言うようにバカな人、薄っぺらい人、精神的に弱い人ほど、喚き散らすように屈服させるものです。自分に自信があれば、どんと構えてあれば良いでしょう。

喚き散らす人間に対する最大の防御は相手にしないことです。相手にしなくて良い人間なら関わらない。関わらなくてはならない人間ならあーあー、また始まった、と取り合わないことです。バカを相手にするとバカが移ります。

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dw
2 years ago

詭弁の件は、まさにひろゆき氏ですねw ネットでのレスバの多くは負けを認めなかったら延々に続いて、疲れた方が負けになりますからね。
最近はYouTubeなどで話題になって世の中にウケています。薄っぺらかったり間違ったことも多々言ってるのでどうかと思いますけどね。ま、彼の言うことを真に受ける人は情弱でありひろゆき氏がいなくても別の何かに騙される人生なのでしょう。

過去に彼の本を読んだことがあります。
さすがに書籍化してることもあり、一理あることも言ってましたね。議論は手段であり目的でないので、家族や上司を言い負かしても意味がない。その後、どのように結果の方が自分に利益があるか。すぐに謝った方がいいなら、さっさと謝った方がいい、などとありました。確かにその通りだなと。

1+
ベル牛
Reply to  dw
2 years ago

dwさん

>>まさにひろゆき氏ですねwネットでのレスバの多くは負けを認めなかったら延々に続いて、疲れた方が負けになりますからね。

SNSで 子供が そういうのに影響受けて それあなたの意見ですよね?とか 子供が真似しているという話を聞きました。

それを現実の人の目の前でやったら 人間関係で一発で致命傷負うくらい 相手怒らせかねないだろう?って 思いました(結局親御さんがきつく注意したそうですけど)。

物事に疑問を持ち 疑問点や現象について 深掘りするために 議論をするのはいいことですが
揚げ足をとりまくって 相手を言い負かすだけで現実的な対案や方針も示さず 傍観者で批評するだけでは 人は離れていくし 相手にもされないでしょう。

人が離れると こういう馬鹿なことしても 注意してくれる人もいなくて 自分で気づく機会もなくて 結局そのまま どんどん居場所なくしていきますよね。

これ本当に恐ろしいですが 結構似たようなケース見ますね。 めんどくさい人なんて 学生なら距離おきますし。 

記事内の最後に
>>口達者、というのは相手を説得し、協力させることです。
とありますが これに成功させるには
 口で詭弁を言ったり やたら口数が多いことでなく
真摯に物事に取り組むとか しっかりと自分の技能や技術で信頼なりがないといけないので
口というより 日頃からの積み重ねた 行動・努力・技能のが 効いてくるのは間違いないでしょう。

口達者とは言ってますが 口よりも行動が重要なのは 面白いですね。

0
つけもの
2 years ago

ひろゆき論法には ずっと黙秘すれば失言は発生しません

1+
ATSU
2 years ago

突然のコメント失礼いたします。

日本における議論が上記で述べてられいるように議論にならないのは、国語教育で討論(話し合い)におけるルールをしっかりと教えていないことも一因であると思いました。
少なくとも議論に置いては以下のHPに記載されているルールや論理を守る必要があると思います。

論理的思考力と議論
http://ronri2.web.fc2.com/index.html(引用ですいません。)

勿論、シン様や読者様には当然の論理でしょう。
しかし、日本の国語教育においては、以上のような事は教えられていない気がします。だからこそ、テレビ番組を含め、日本は議論になっていない
ケースが多々見られるのではないでしょうか。(本来はこのようなスキルこそが必要なのに・・・)
その要因として、今までの国語教育が古典も含めて文学偏重だったからだと考えられます。(2022年から高等学校の国語ではと言った会議や裁判
などの記録,報告書,説明書,企画書,提案書などの実務的な文章を読み解く「論理国語」といった授業が始まります。遅すぎたかもしれませんが、
根拠を元に読むといった「リテラシー」を身につける教科がやっと出たかって感じです。それに対して、文学が大好きすぎる国語教育
関係者は「根拠」のない反対論を唱えていますが・・・)

古典を含めた文学の学習を否定するわけではありまんが、まず、優先順位として、「論理」をもとに読み解き、「論理」(根拠)を元に主張する
といった訓練を国語教育ではまずするべきだと思います。それがおざなりにされていたからこそ、このような現状になってしまったのではないと思われます。

1+
ぼやき
2 years ago

判断能力の欠如によって、詭弁を正当な主張だと思ってしまうため、詭弁がうまい人を口達者だと認識してしまうのではありませんか。

①詭弁と認識できるか
詭弁であっても、判断能力が欠けている人にとっては、真実だと思ってしまいます。
例えば、根拠の有無を気にしない人にとっては、興味を引かれれば、主張を信じ込むでしょう。

②根拠ある主張か
相手の主張の真偽を疑うことが詭弁を見抜く初めの一歩かもしれません。
しかし、現実的には一々根拠を確認することはできません。
だから根拠となる知識を自らが学んでおくことが重要だと考えます。
対抗する知識があれば安易に信じ込むことはないのでしょうね。

そうは言っても、私も含めて、多くの人は怠惰だと思います。
怠惰な人が多方面の知識を習得することは難しいです。

③主張内容は重要か
そこでもう一つ重要な考え方は、相手の主張に重要性があるかどうか判断できる能力だと思います。
相手の主張を聞き入れなければ、生命が脅かされる、大きな経済的損失があるということであれば、重要な主張に間違いありません。
しかし、主張は本人が気になるだけで、放置しても被害は何も生まれないということであれば、重要性はないといえます。

また、議論においては、あげあし取りかどうか判断できることも重要だと考えています。
相手の主張に反駁し、相手の誤りが明らかになれば、相手の主張は無効だといえるでしょう。
しかし、主張に影響がないような間違いを指摘して、相手の主張が全て誤っていると印象付けようとする場合があります。

だから、そもそもの主張は重要なのか、また、議論している点は重要なのか判断できる能力があれば、正当な判断をすることができると考えています。

④私は詭弁がわからない
上記のようなことを考えていますが、私は詭弁を詭弁だと判断できないことが多いです。
それは知識不足や理解力不足なのだと思います。
有識者がデータを使って解説していても、なるほど・・・?といった具合です。
できる人が根拠をもって詭弁だと指摘できるところを見ると羨ましく思います。
また、そんなことすら考えていない人も居るように思います。
だから私たちは正常な判断ができないのではないでしょうか。

⑤これができたらどんなに楽か
>>喚き散らす人間に対する最大の防御は相手にしないことです。相手にしなくて良い人間なら関わらない。関わらなくてはならない人間ならあーあー、また始まった、と取り合わないことです。

私は悔しいですが詭弁を詭弁だと見抜けません。
だから、相手にしないという選択肢を選ぶことができません。
クレーマーとしては、対応してくれてラッキーとか思ってるかもしれませんね。
私の場合は、少しずつ判断能力を高めるいくしかないと思っています。
例えば、知識を付けながら、自分の意見は思考プロセスと共に表明することで良くなると思い日々生きています。(されませんかね?)

⑥まとめ
ということで、判断能力の欠如(考えない、考えられない)によって、それっぽいことを言える人は、口達者のように見えるのではありませんか。
また、事実として口達者の幻影をまとっているのではありませんか。
皆さんは詭弁を詭弁だと判断できますか?

2+
ベル牛
Reply to  ぼやき
2 years ago

ぼやきさん
 
個人的には 言っていることに整合性があると判断できれば その時点である程度信用します(あまり深読みしてもドツボはまりますし、発言だけでわかる情報って少ないですし)。

矛盾点や 違和感感じたら距離を置きますけど。

あとは 発言者の行動を見ます。 その発言内容に対して 凄いコミットしていれば、力を入れる価値あるなぁと思いますが、言ってるだけで何もしないなら 何だよコイツ!ってなって 発言の信用度格段に落として判断します。

ぼやきさんが仰る通り、詭弁かどうかは 本当に判断難しくて 

ブログとかyoutubeでも 企業の案件で割高だったり、質がイマイチな製品なんて ゴロゴロしてますけど 騙されてもいいやって思うような金額、時間の消費なら 敢えて載ってみて 実際に自分で使って判断して 失敗しながら判断力養うしかないと思いますし、失敗するのはしても 致命傷ならない方が大事な気もします。 失敗したら致命傷なるようなことなら いくら整合性あるなぁ 意味があるなと思っても やはり及び腰になりますしね。

ちょっとぼやきさんが仰ってることとは論点ずれてる気もしますが 回答しました。

1+
ぼやき
Reply to  ベル牛
2 years ago

ご返信ありがとうございます。
論点がずれているということはないと思います。
私の主張は、
・人々は詭弁を見破れない。
・だから詭弁であっても共感されることを話す人を口達者だと勘違いする。
・人々が詭弁を見抜くことができれば口達者だと勘違いしないのに。
です。
この三ポチ目に対して、詭弁に対応する方法を教えてくださったのですよね。
発言と併せて行動を観察する方法は詭弁を見抜く良い方法ですね。

また、自分が行動することが判断能力の向上につながる点に賛同します。
自分が当事者になると知識量や理解能力が格段に上がりますよね。
(本でいくら読んでもわからなかったことが、自分で手を動かすと細かい点まで理解できるようになってしまう・・・なぜこうなるのでしょうか。余談でした。)
ありがとうございました。

2+
dw
Reply to  ぼやき
2 years ago

相手の口がよく回る場合は、その場ですぐに詭弁だと見抜いて指摘するのは難しいですが、ほとんどの場合は後から思い返すと詭弁だと気づきます。

0
ぼやき
Reply to  dw
2 years ago

ご返信ありがとうございます。
後からでも気づくことができるのはすごいことだと思います。
情報が整理されるから気づくことができるのでしょうか。

少し趣旨は変わってしまうのですが、このBの主張は詭弁だと思いますか?
A:伝統工芸は引き継いできた技術であり文化なのだから、保護しなければならない。
B:伝統というだけでは保護する理由にならない。例えば、歴史の上で奴隷制度は長い間続いてきたが、あり得ないだろ。

伝統を引き継ぐことは良いことだという気持ちは理解できます。(根拠は自分でもわかりません。なぜですかね?)
しかし、長く続いていることが必ずしも良いものではないという事実も理解できます。
Bの主張を聞いた時になるほどと思いましたが、後々考えると、Bの主張は詭弁なのかなと思いました。
詭弁ってなんだろうという話でした。

1+
ベル牛
Reply to  ぼやき
2 years ago

ぼやき さん

面白い内容ですね。 私向けではないですが 意見を・・・

これは詭弁だと思います。
伝統工芸は、一般的に ある地方で引き継がれていた 職種や技能であって

奴隷制度は 元々農園等で安価な労働力を求めて 戦争などの捕虜だったり、植民地等から無理やり攫ってきて、過酷な条件で労働に従事させていますよね?

これ明らかに憲法に規定されている 職業選択の自由を奪っており、抵触しているので、 伝統工芸と奴隷制度を同列に扱って、保護しないという論調にもっていくのは詭弁と感じます。

質問内容とはずれますけど 、伝統は私も引き継ぐべくと考えます。
人間の生活が、技術向上・発展によって成り立っている以上、歴史的な発展・文化
は残せる範囲で残す意味はあるでしょう。 どこまで時間や労力・金銭的コストをかけてまで残すのか?って話にはなると思いますけど。 

これが仮に 全くマネタイズの目途も立ってなくて、クッソ金かかるような芸時だったりの為に 毎月数千円位税金として払ってください って言われたら 流石にかなり抵抗あるし反対しますけど。

・全く見たことない 道具のいらない踊りや、芸時的なものなら 
実際に実演してる様子や受け継がれてきたストーリーなどを、動画にでも残して
おいて、協力してくれた人に報酬渡せば 最低限必要な部分残るのでは?とも思いますし、文化庁みたいなところで 一か所にまとめて 日本の歴史的な舞踊・踊りなどのカテゴライズして 残しておけば また祭りや展示などで活用しやすく、価値もあるでしょう。 ただそれを保存するために 人をわざわざ雇って、継続的に多額の費用出すなら やめてくれよって思います。

・一方で伝統工芸のような実際に製品としてできるものなら、メーカーと同じで
極端な保護するのもどうかと思います。

海外の富裕層向けに アピールして売り上げを伸ばすために 営業をかけたい。
空港・アトラクションパークや、駅など 観光客向けの場所に 展示会・作品を実際に作る場所を借りて 売り込みをかけます。って形でいろんな工芸品等を展示して 売り上げの見込みが立ちそうなものに重点的に補助していくとかなら、将来的な雇用を産んだり、税金を納めてくれることが期待できるので理解はできます。

多少保護的な意味で 徐々に減額しても補助金を継続して出してもいいと思います。
他業種とかで活かせる場合も多いでしょうし。
 
ただ、ほぼ売れないような 工芸品にまで ジャブジャブ補助金を出すのはおかしいだろう?とは思います。 保護するにしてもフィルタリングは必要とは思いますし、手心加えすぎる必要はないのかな?って思いますけどね。 市場原理ゆがめてまで残す弊害や負担は大きいと思います。

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ぼやき
Reply to  ベル牛
2 years ago

コメントをいただきありがとうございます。
いただいたコメントを読み考えを整理できたように思います。

また、伝統工芸の保護に関する考えをいただきありがとうございます。
考え方も勉強になりましたが、宣伝がうまくいっていない伝統工芸にビジネスチャンスがあるのでは?と思い、刺激になりました。

ありがとうございました!

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