このブログでは「人それぞれ」ということを禁止しています。議論ブログなので議論にならなくなってしまうからです。
大前提
大前提として人それぞれなのは当たり前です。所変われば品変わる、郷に入れば郷に従え、というように、人の価値観など多種多様であり、正解などない、と言うのは紛れもなく真実でしょう。そして、紛れもない真実だからこそ、人それぞれ、と言い出されるということがなくなります。議論は完全に停止されます。
全肯定
ただ、人それぞれ、と言い出す人の多くは相手の指摘に対してきちんと反論はできないが、相手の考えを認めないし、自分の考えを改めるつもりはない。自分の考えに口出しするな、という意味合いで人それぞれを使います。
誰になんと言われようが、自分はやる、というなら、それで良いんですよ。ただ、相手の言い分に対して反論もできないくらい自分の中で考えがまとまってない中で、その思いを貫けるのかな?と思います。根拠が固まってない感情的な思いは長続きしないものです。
多かれ少なかれ人は同意を欲しているし、自分の考えに対する賛同者がいると心強いものですが、同意してもらっても、賛同者がいても、やるのは自分であり、自分自身の中で考えがまとまっていないなら達成なんてできないでしょうよ。
例外
強引に自分のやっていることを肯定しようとするときに使われるが例外です。例外を一般化して、だから自分のやっていることはおかしくない、と主張するやり方です。これも例外は存在するのでなかなか否定しづらいです。自分が例外なのだと信じ込むのは自由です。
ただ、例外は万に一つであり、ほとんどの人は凡人、汎用例に収まってしまいます。風俗嬢との真実の愛を信じるのも、セフレから正妻になることを夢見るのも自由ですが、信じるものは騙される、というのがほとんどですね。
実行
どんなことも自分の責任でやるなら本当に個人の自由です。そもそも前例がないことをするのも自由です。よく考えて自分の中で考えがまとまり、忍耐強く続ける覚悟があるならどんなことを言われても聞き流し、結果で周りを黙らせれば良いのです。
前例がない分だけ、なかなか理解者は現れないので、辛抱強くやり続け、自分を支えてくれる人を探し続ける必要があります。ほとんどの場合、1人だけでやり切れることはなく、周りの助けがないと達成できません。
まとめ
典型的な破天荒な人である大谷翔平さんって言い訳をしているのを聞いたことがなく、人それぞれ、だとか、逃げ場を作って批判を黙らせたこともないです。常に結果で自分の考えを証明してきました。
破天荒とまで言わなくても、変わったことをしていれば、多かれ少なかれ批判めいたことを言われるのは当然だし、失敗すれば死体蹴りになるのも当然です。その覚悟を持ってやるべきだな、と思います。
人それぞれ、と言いだした時点で自分に対して負けだと言って良いのかも知れません。きちんと反論もできない、結果を出すこともできないが、自分を省みることもなく、批判は許さない、と感情的に自己弁護をしだしたら終わりです。
衆議院選挙が近づいてきました。そこでこのテーマに合うのではないか、と思った出来事を思い出したので書き込ませて頂きます。
「政治なんか興味がない。政治家なんてみんな同じなんだから選挙なんて行くだけ無駄。選挙は一度も行った事が無いしこれからも行かない」と言う人に会った事があります。
私が「政治に興味がないなら適当にクジ引きで候補者を決めてもいいから、とにかく投票はすべき。誰でも政治に参加出来るのは、長い歴史の中で勝ち取った貴重な権利なのだから、その権利を正当に行使するのは、大人としての義務だ」と説得を試みました。
しかしそいつは「人それぞれなんだからアンタの考えを押し付けるな。そんな政治、政治なんてゴチョゴチョ言う奴はドン引きする」と返してきました。もうこいつは話が通じない奴だと思って諦めました。
確かに選挙に行かないのは犯罪ではありません。犯罪でない限り、どんな愚かな行為であっても、それをするのは個人の自由です。しかし、選挙権を放棄するのは市民社会に生きる大人として極めて恥ずべき行為である、との自覚は持つべきと考えています。
選挙に行くか否かは「人それぞれ」、行かない奴を批判するな。この意見に対し、シン様や読者の方々はどう思われるでしょうか?
>選挙に行くか否かは「人それぞれ」、行かない奴を批判するな。この意見に対し、シン様や読者の方々はどう思われるでしょうか?
私は選挙権を行使するかしないかは自由であり、批判するつもりはありません。ただ、政治に対して文句を言う権利も同時に放棄したと見做します。政治によってどれほど不利益を被ろうが、自己責任だろうと思います。
シン
いつきさん
シンさんの意見に同意します。
私も以前は 行くだけ無駄派でしたが、ぬるりと生きるのブログや選挙ができた経緯・歴史などを学ぶうちに 選挙権行使しないなら、どれだけ自分の意に沿わない政策を取られても文句を言う資格がないという考えに変わりました。
確かに一票で選挙の結果が変わることはほぼないでしょうけど
現役世代・若者の得票率が上昇すれば それを完全に無視した政策はとれないですし
殆ど納税してない 年金世代などは 選挙権を剥奪しては? という流れになる可能性もあると考えます。
どういう政策を支持するか、しっかりと自分で考え 投票で意思表示し続けたら
長期的に考えたら 現役世代が、何らかの形で報われる時期は来る可能性は十分あると思います。
与えられた権利について自分が行使していなければ 委任しているのと同じで それでどれだけ不利益被っても文句言う資格はないでしょう。
先週、シンガポールの日本大使館で衆議院選挙の在外投票をしてきました。今回の投票で在外選挙人カードの記入欄(実施日、選挙内容)がいっぱいになったので、大使館経由で日本の海外転出前の市役所に新規発行を申請してきました。ベストではないがベターだと思う候補者、政党で選んでおり、選挙に行かないで政府批判をする権利はないと思っています。
シンガポールでは21歳以上の国民に投票が義務づけられています。『民主主義において指導者を選び出すことは、市民の基本的な権利であり、市民の責任でもあります』とあり、入院中、服役中など正当な理由なく投票しなかった場合には以後の選挙権が失われ、権利の復活には手数料として4千円が必要になります。スイス、オーストラリアなどでも同様のペナルティがあるそうです。アメリカなど選挙義務制に対する反対意見も多いようですが、周囲のシンガポール人に今の制度を否定する人はいないように思います。
>選挙に行くか否かは「人それぞれ」、行かない奴を批判するな
批判する必要もないし、義務でもないし、好きにすればいいと思います。
ただ行くことによるデメリットは無いうえ、メリットしかないのでもったいないなーという感じです。
1票でも塵が積もれば結果が変わりますからね。
ただ、最高裁裁判官の国民審査については本当に無駄だと思います。絶対に結果は変わりません。
無記入でも信任、×を書いてやっと不信任になりますから。「どちらでもない」が不信任になります。
過去42年間、150人くらい(だったかな?)で1人も審査落ちした人いないみたいですね。こんなの審査でも何でもないと思いますね。
大きな裁判で世論に反する判決を出した場合など(飯塚氏を無罪にするとか)はこの審査が仕事するかもしれないですね。そう考えると変な判決にならないように抑制する効果があるのかな・・?