じゃあ、仕事

仕事と言っても、必ずしも義務ではなく、権利でもあり得ます。

自己表現

どんなことをするにしてもある一定レベルになると、生活の為ではなく、自己表現の為にするようになります。そうなると、どれだけ高みに登っても辞めることがなく、生涯現役ということになります。

還暦超えた孫正義氏どころか、古希を過ぎて尚、現役の永守重信氏なんかは、ビジネスこそが自己表現であり、辞める時は死ぬ時なんだろうな、と思います。こういう発想は老害になることもあり得ます。オーナーであるなら自由だと思いますが、サラリーマンなら完全に老害です。

芸術家なんかも同じことであり、一定レベルで評価されれば、相応の経済的評価も付いてきますし、売れ線を狙って、自分のやりたいことを曲げる必要もなくなります。やりたきゃやればいいし、やればそこそこは売れる、というところまで行きつける人は大成功だと思います。

ここまでたどり着く人は万人に一人というところで、稀有の才能、強運を持った人だと言って良いだろうと思います。ここを目指しても、早い段階で挫折しますし、ここに到達する人は遅くとも二十代には頭角を現しているものです。

食い扶持

多くの人は生きる為に仕事をしているだけで、その仕事を自己表現だとは思ってません。惰性でしているだけで、ファッキューマネーを手にした後に続けるか?という問いにはノーという答えが返ってくるでしょう。

なんとなく生きてきて、なんとなく選んだ仕事をめんどくさいなぁ、と思いながらダラダラと続けて、そこにやりがいを見つけられるように前向きになろうとするのが精一杯であり、どこに辿り着けるわけでもありません。

たかがサラリーマンというところであり、ファッキューマネーという観点ですら大企業の部長程度では到底たどり着けない領域であり、サラリーマンをしている時点で仕事を自己表現とする高みに行くのは諦めたも同然ですね。

と言っても、自営業、起業したら必ずしも高みに行けるわけもなく、なんとか喰うに困らない程度の評価で独立している方が辛い場合も多いです。喰う為に主義主張と食い違うことをしなければならないなら、趣味でやっている方がマシであるとすら感じることもあるでしょうね。

その中間

実はその中間くらいの人もいて、ビジネス、芸で大成功するとまでは言わないが、食えるくらいにはなっている人はある程度の満足度は得られているだろうと思います。少なくとも自分の意思を市場に伝えて、それが対価になっています。

サラリーマンでも、トップレベルの技術者、研究者は経済的にはともかく、その分野では大家として評価され、自分の名前がその世界で轟き、教えを請う人が後を絶たないくらいになると、一生の仕事と言って良いのでしょう。この辺は公共性の高いものだけになるでしょう。

かなり前に書いたアカポス関係の記事に延々とPVがつき、時折、感情的になって殴りがいたようなコメントがつくのも、経済的価値でない何かがあると信じているので、経済的価値で評価されると感情的になるのでしょう。わからなくもありません。

何の専門もない仕事だと、やりがいを得ようとすれば、偉くなって権限を得ることしかなく、それはサラリーマンではなく、オーナーになった方が早道だと思います。

逆に何らかの形でファッキューマネーは手にしたが、承認欲求を満たされてない、というケースもあります。投資家なんかは3桁億を動かすようにならないと、そこらのサラリーマン以下の扱いになりかねません。側から見れば、ただのフリーターです。

まとめ

仕事を自己表現に出来る人を目指すなら高校生くらいから狂ったように取り組むべきで、どんなに遅くとも二十歳前後で意識的に動いてないと達成することはほとんどありません。二十代を終えてしまえば、後は惰性で仕事をすることになります。

なかなか残酷な現実ではありますが、出来るだけ早い段階でこの事実に気がつき、リスクを取り、リターンを得る、ということを覚えないと、自己表現で飯が食えるようにはならないということです。

と言っても、ほとんどの人はなんとなく生活の為に仕事をすることになり、仕事の中で出来るだけ達成感を得ようともがき、仕事以外に生き甲斐を得ようとするのです。

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つけもの
5 years ago

宗教がなくなったから 自己表現をどこかで発散しないといけなくなったんですね
労働教の日本らしいです

ネットが出来て多少マシになったかと思います

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しゅうまい
5 years ago

フロイトは人生においてもっとも重要領域は、仕事、愛、そして責任感だと言っています。また、「夜の霧」を著したヴィクトール・フランクルも、ナチの強制収容所で最後に生死を分けたのは絶望的な状況でも生きる意味を見出せたかどうかという気力の差で、人生に意味を与えるのはやはり仕事、他者に対する愛、そして逆境に対する勇気だと言っています。

彼らが言うように、例えそれが自分で好んで選んだ理想の職業でなかったとしても、仕事を自己表現の器とすることは、多くの人にとって人生に意味を見出す上で重要なのではないでしょうか。

馬鹿らしい奴隷根性だという見方も理解できますが、食い扶持のためだけにしている仕事であっても、むしろ意味を見出して自己表現の場と考える方がむしろ精神衛生上良い気がします。

13+
ベラ
4 years ago

初めてコメントさせていただきます。

最近は、そこそこ収入ある方でも、独身の方が多いですが、
独身なら正直フリーターや派遣でもいいんじゃないでしょうか?
正社員は金はありますが、時間や責任などのデメリットも大きいです。
仕事が好きだったり、仕事がラクならいいですけど、
ほとんどの人は仕事なんかやりたくないでしょうし、決してラクそうに見えません。
独身主義で、わざわざ我慢して正社員を続けるメリットなんでしょうか?
車や家、長生きでしょうか?
長生きや家庭、家や車に興味ないなら、どう考えてもフリーターでいいような気がします

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松本
4 years ago

フリーターや単純労働程仕事はきつく単価は安く、実家が金持ちとか寄生する保険がないと、ぬるりと生きて行くことは出来ないと思う。自活して他人に迷惑を掛ける事なく生きて行けるので有れば、無職でも投資家でも良いと思いますが、普通のフリーターだと景気減速場面では、年越し派遣村のお世話になるかも知れません。

4+
いつき
Reply to  松本
4 years ago

現代の日本は衣・食・住のコスパが大変良くなっています。娯楽に関しても、交通費や外食費は高いですが、ネットのおかげでコンテンツはタダ同然になったので、家に引きこもってブログを読んだりYouTubeを観たりすれば、いくらでも時間を潰せます。結婚とマイホームを諦めれば、年収200万円もあれば十分に暮らして行けるでしょう。

この単身フリーターに都合の良い状態がいつまで続くのか、と言う懸念はありますが、そもそも、安定した職と持ち家と配偶者があっても、天変地異や離婚で全てを失う可能性もある訳です。フリーターは手に職系正社員よりは、生活破綻のリスクが多少大きくなりますが、そのリスクの備えるために、向いてない勉強をしたりキツイ仕事をするのはコスパとしてどうなのか、という話です。

無理な勉強はせず、負担の少ない仕事をやって年200万円稼ぎ、一生独身で低い生活水準でもそれなりに満足して楽しく生きる。景気が悪くなって仕事が無くなったり、多額の治療費が必要な怪我・病気になって生活が立ちいかなくなったら、そこが潮時だと思ってサッサと死ぬ。そういう生き方が一般的になってもいいと思います。

8+
たま
4 years ago

仕事をしていると使う場所がそんなにないので、支出を減らす為に仕事をしている程度だと精神的にも良い気がします。相続と貯蓄で1億程度の蓄えがあれば税引き後年200万くらいの収入を得て追加でパートタイムを続けるのが良いかもしれません。専業主婦をやめてパートタイムででも仕事をした方が良いのは仕事をしていると支出をする機会がへることにメリットがあるのだと思います。世帯に1億以上ありそうな家庭はいつまでも正社員で8時間労働をするのではなく、毎日朝9時から3時まで時給800円程度で5時間働くくらいの低賃金で気楽な隠居生活を送ったらいいような気がします。時間がある人が多いほうが世の中のためになるような発想が生まれるかもしれませんし。

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