日本人がダメだとは思いませんけど、弱さが際立つ世の中だなぁ、と思います。
個の力
日本人って、誰かがなんとかしてくれるのを待っているんですよね。ブラック企業に勤めていたり、気狂い上司にパワハラされたり、食い物にされていても、自分で戦うのではなく、他人がなんとかしてくれるのをひたすら待っています。そして、他人に責任を持っていきます。
いつも言いますけど、人間は一人で生まれて一人で死ぬ、という当たり前の事実すら受け止めることはなく、他人が、世間が、と二言目には言い出して、自分と向き合うことを止めてしまいます。「みんなと同じ」というフワフワした考えに流されている方が楽なので思考停止しています。
どんなことも他人に迷惑がかからない範囲内なら、自由にする権利がありますが、他人と違うことをするのは怖いし、孤独です。それは誰でも同じですが、日本人は孤独を恐れるあまり、自分の思うことをやる、間違っていると思うことに反抗する、という権利を放棄しているんですよね。それどころか、みんなの為に戦う人をバカにしたり、足を引っ張ります。負の同調圧力が大好きなんですよ。
議論
日本人が2ch、ツイッターが好きなのは根拠も出さずに短文で言い切っても構わない媒体だからなのだろうか?と思います。日本人の他に2ch形式の掲示板を使うのは韓国人くらいかな?と思いますし、有名人でもないのにどうでも良いことを呟きまくるのは日本人くらいのものです。
このブログでは反論は受け付ける、といくら言っても反論するのでなく、根拠もなく言い切ったり、私に正面から挑むのでなく賛同の得られそうなアンチの溜まり場に行って共感を求めます。それであなたの疑問、不安は解消されるのだろうか?と思いますね。傷の舐め合いしても不毛だとすら思いません。
日本人の若い人で句読点をつけない人っているんですけど、根拠も出さない短文の言い切りに慣れてしまって、長文をしっかり書く癖がなくなってしまったのだろうか?と思います。そう思うことは大事にしたいですが、感情を前面に出されても反応のしようがないんですよね。
若い人に限らず、空気読んで欲しい、とか、言わなくてもわかるだろう?、とか考える日本人は本当に多くて、言わなければ伝わらない、伝える為には理路整然としてないと伝わらない、という事が理解できてない人が多いです。それは母語、文化が違う人とコミュニケーションするとモロにトラブルになります。
多様性
日本人が多様性を叫ぶ時って、自分の意見を根拠もなく突き通したい時だけです。人それぞれ、と魔法の言葉を使って、他人に説明する義務を放棄してしまうんですよ。説明したくないなら、別にする必要はないんですけど、だったら、黙ってやれば良いのに共感が欲しくて口にします。そういう人って、他人にはやたらと不寛容なんですよね。
親子、兄弟ですら違うのに、なんで他人と同じでなきゃダメなんですか?自分に迷惑がかからないなら、好きにしてもらったら良いんですよ。理解しなくて良いから、黙って好きにさせてやれ、と思いますね。でも、多数派と違うことをする人に対して黙ってられないのが日本人です。
私はイスラム教徒ではないし、教義に賛同も共感もしません。でも、ラマダンを断食して過ごしても、ハラルしか食べなくても、毎日お祈りしても良いと思います。私がしないからといって、それに彼らが合わせることはないと思いますよ。
逆にイスラム国家でもないところで、いきなり公共の場でお祈りしだすのは他人の迷惑になっているのでやめて欲しいですし、何の権利があって他人を自分に合わせるように強要するのでしょうか?日本の給食がハラルではない、と文句を言うイスラム教徒の記事を見たことがありますが、こういうのはふざけるな!と怒鳴りたくなりますね。お前が弁当用意しろ!だと言う話です。
まとめ
日本人がほぼ単一民族国家であり、単一言語でコミュニケーションをするから、この悪さがでているのだろうと思います。もちろん、良さもありますが、経済のグローバル化、人の流動化、足の速い現代社会に合わない考えを持ち続けても、食い物にされていくだけです。
リベラルが行き過ぎて、不法行為すら多様性だと認めたり、公共の迷惑を省みない行動を許せ、と言っているわけではないです。日本は法治国家で国民の信任を受けた国会議員が立法した法律がある。その法律で決まったことを行使することすら許されない圧力はあり得ないと思いますね。
ダメなことはダメだ、とキチンと整理して自分の考えを伝えるべきです。それには自分のことを大事にすること、他人を尊重することだと思います。一切自分の考えと合わないことを我慢して、他人の目を気にして輪を乱さないことを最優先にして、何が楽しいのでしょうか?
>日本人って、誰かがなんとかしてくれるのを待っているんですよね。
女性専用車両は悪って言いたいんですね
女という言葉を使わずに女叩きするとか…ある意味すごいですよ
ヤクザの難癖と変わらなくなりつつありますね。ここまで来るとゼツユルさんのコメントが楽しみになって来ましたw
シン
日本人はダメだと、いつも言っていた大学生の頃を思い出しました。シンさんのおっしゃる「日本人」はどこにいますか?
近所ですか?本の中ですか?マスメディアの中ですか?思考操作している頭の中ですか?
日本人とはあなたであり、私でしょう?そういう意図不明な質問をして本質から目を背けようとするのがまさに「日本人の弱さ」です。反論があるなら、そうでない理由を伝えれば良いんです。
シン
なるほど。妙に納得しました。ここにいましたかw
納得したなら、きちんと反論して下さい。
シン
弱い日本人の私から「反論」を試みます。今回のシンさんの記事について、視座が曖昧だと感じます。理由は次の3点です。
1 日本人であるシンさんが、どの立場で発言しているのか曖昧である。
〉日本人って、誰かがなんとかしてくれるのを待っているんですよね。
〉他人がなんとかしてくれるのをひたすら待っています。そして、他人に責任を持っていきます。
「弱い」日本人である俺に「反論せよ」と責任転嫁されている感じでしょうか。
2 匿名のシンさんがどの立場で発言しているのか曖昧である。
〉有名人でもないのにどうでも良いことを呟きまくるのは日本人くらいのものです。
私は、キレのある現状分析だと思っています。もう少しで橘玲レベルになれると感じています。
3 「強い」「弱い」日本人のシンさんがどの立場で発言しているのか疑問である。
〉日本人がほぼ単一民族国家であり、単一言語でコミュニケーションをするから、この悪さがでているのだろうと思います。
まとめで、唐突に単一民族の話が出てきています。この話、前に出できたかな?結論に新しいこと出したら小論文減点だよな。ただ、日本人の「弱い」私には、まあいいかと思ったりします。
※シンさんの事実認識は豊富なご経験(どんな方か存じないので、本だけの知識か経験あるのか知りませんが)に基づいたもので唸らされます。ただ、価値判断の方は、失礼ながら凡人の域を脱してないと思ったりもしました。
なぜ、凡人の域を脱していないか、説明が必要なら後日お話します。
いいですね。何かに対してキチンと意見を述べることが出来るなら、それが何かにつながる可能性があります。でも、短文で言い切るのであるなら、それは子供が気に入らないことを喚き散らしているのと変わりません。
1) 私の立場
これは明かさないのが前提になったブログなので、ここを明らかにするなら、他の媒体でやるしかないですね。そして、それはあまり関係ないと思います。私の立場が大金持ちの権力者であれ、なんの権力もないワーキングプアであれ、私の言う内容は変わることはありません。むしろ、それで判断するのが本質を見えなくします。
そして、立場を明らかにすることで個人攻撃する人が必ず現れるのが日本社会です。スポーツ選手にすら学歴が、と喚いてみたり、たかが大企業社員を上級国民、と皮肉って、そんなヤツの言うことなど聞くことはない、と平気で言います。それが弱いと言うんです。私が無一文の中卒フリーターなら、私の意見など聞く価値もないんですか?
2) ぬるりと生きる
>なぜ、凡人の域を脱していないか、説明が必要なら後日お話します。
私は凡人だとずっと言っていますし、本当にそう思っています。だから、説明してもらわなくても、私自身が最もわかっているでしょう。
その凡人がより良く生きたい、すこしでも自己実現したいともがく過程がぬるりと生きるであり、他人様を指導してやる!だという気持ちはゼロです。仮にも誰からも相手にされず、まったくPVがなく、コメントがつかなくても続けるでしょう。実際、休止を挟みながら8年になります。
そのより良く生きる為にまったく道理に合わない、ルール違反を受け入れることはストレスでしかないし、自分が思うことを隠して他人に合わせていても疲れるだけです。でも、その場では楽だから、それを選択する日本人は多いわけです。少なくとも私が見てきた限りで日本人ほど、自分を殺して他人を合わせてある民族はいません。一番近い韓国人すらデモは壮大にします。
弱いが上の良さもありますが、結果が出ていない。新たなお金を生み出せない、選択の自由度が上がってない、という経済的、精神的、両面でバブルの頃から向上していない事実を受け止めるべきだと言いたいですね。
そして、私はどんな理不尽に対してキチンと戦ってきましたし、我慢に我慢を重ねて糊口を塞ぐような惨めな思いをしないように取り組んできました。
個人攻撃にならない限りはいくらでも付き合うのでとことんやりましょう。でも、それも出来ない日本人は多いです。正面から対決を拒んで逃げたり、アンチの集まりで傷の舐め合いを選択するんですよね。それを弱いと言うのです。せっかく、縁あってこのブログに来たのだから、納得するまでやりましょうよ。ここではルシさんがどういう立場なのかは関係ありません。言いたければ言ってもいいし、言いたくなければ言わなくてもいいです。そして、私はその意見にしか興味ないし、何の評価もしません。
シン
下層が弱いってのはそうでしょうね。
弱いから下層なんでしょうし。
非下層は忙しいから、関わる物事の優先順位やコスパを考えますしね。
コスパ考えて、仕事の為の仕事をさせて残業代払う、サービス残業のリスクを負う中小、零細企業オーナーも下層ですね。その企業では絶対的強者として振舞ってますけどねw
シン
個の力より、協調性が重視される国ですからね。
会社で、権利を主張しても「義務を果たさないのに権利ばかり主張するな!」とぶった切られて最悪クビか左遷されて終わりです。
「義務」にjob descriptionなどの明確な定義がないので、義務を果たすことなんて永遠にできないんですよねw 常に上を上を求められます。
まったくです。
自分の職務領域が規定されてないんだから、仕事は終わりません。終わってない奴を助けろ、資料作れ、掃除しろ、とか延々と義務を果たせないようにゴールポストを動かしていくようになります。そして、権利は行使出来なくなります。
シン
日本人の個の力が弱いのは、日本文化の精神性が幼児的だからかなと思います。
幼生の特徴を残したまま成体になる個体を、生物学ではネオテニーというそうですが、日本人は肉体的にも精神的にもネオテニー的だと思います。
幼児は何事においても「お友達もみんなそうだから」と口癖のように言い、個人として主体性を欠く傾向が強い一方で、権威・権力(親や先生などの大人)に対して妙に従順なところなんて、まさに日本人の精神性の特徴に合致していると思います。
日本人に主体性を求めるのは、日本文化の根本の精神性を変えろと要求しているように思え、現実的ではないように思います。私も日本の凋落は悲しいですが、日本人が自己主張をガンガンするような国民性に変わったら、それはもう私が個人的に愛している日本人や日本文化ではきっとないですね。
日本の凋落は避けられないと覚悟した上で、品のいい老夫婦がしっとりと、慎ましくもそれなりに幸福な晩年を過ごすような感じの社会を作れないものでしょうか。
そうなんですよ。
だから、ソニーはアップルにならなかったし、日立がGEにはならないし、日本からグーグルは生まれません。でも、信越、ファナックみたいな会社だってあるんです。そこを目指せばいいと思うんですよね。
あと、私が嫌いなのは明らかにダメなこと、間違ったことを訳わからないことで肯定したり、感情的に関係ないことを言い出す日本人が多過ぎることで、自分の意見を否定されたことを人格否定と捉えて噛み付いてきます。そんなことでは本質が見えなくなります。でも、そういう子供みたいな感情がなくなったら、私の愛している日本人ではなくなるのかもしれません。
シン
幼形成熟は進化の証と考えられていると聞いています。
日本人はネオテニーの特徴があるので何かが進化してるのかも知れませんが精神的に大人じゃないなというのは同意です。TV番組や日本で作られる映画・ドラマなどを見てもそう感じます。刹那的なのかも知れません。おタク的な自分たちを揶揄しならその状況を楽しむみたいなセンスは好きなんですけどね。
シンさんが「日本人を辞めたくなる時も」と述べてますが
、医療分野にてメーカーお手盛りのガイドライン、国民の健康はどうでもいい、大学やメーカー利権のための保険点数制度などに対してどこの途上国かと日本人辞めたくなります。日本には実力主義は無いどころか純粋に科学の進歩を求めるという精神が無いんですね。進歩や変化を求めない国に先があるわけないです。
海外では意味が無い、有害と評価された遅れた医療がメーカー
利権で日本に輸入され、英語で世界の趨勢を調べる事の出来ない情弱は食いものにされているようです。
シンさんの記事読むと勉強になるので、何かコメント残さないとと思ってしまうんですよね。次からは反論と批判以外は、コメントせずにいいねボタンを押すにとどめますね。
ただ、価値判断が凡人とおっしゃるシンさんを批判することは、死んだ犬を蹴飛ばすのと同じですから、しません。
そうすると、事実認識に誤認があるとか、そんなコメントしかできそうにありません。あとは質問でしょうか。
いずれにしても、勉強になります。
追伸
〉休止を挟みながら8年になります。
ここまでの文章は、さすがだなあと思いました。
お互いに楽しみましょう。きちんと意見してもらえるなら批判は受け入れます。死体蹴りをしたいならすれば良いですが、それはルールがあります。リングの上に立って拳を交えるなら、立ち上がる限りは殴れば良いです。タオルを投げているのに殴ったり、蹴ったりしないなら大歓迎ですね。ただし、死体蹴りされるのはルシさんかもしれませんよ。その覚悟がなければ、他人に意見は言えませんし、覚悟して意見できないのが弱いというのです。私に対して素性を問うのはルール違反です。ブログの趣旨を無視しているし、次に来るのは個人攻撃です。私だってその反則攻撃は出来るので、ひたすらルシさんの素性を詮索して上から目線でダメ出ししまくってりゃ虐殺できます。それはつまらないです。
そうやって凡人どころか、並みにすら及ばないかもしれないクソが8年も書き連ねて来たんですよ。そして、これからもゴミみたいな文章を垂れ流すつもりです。
シン
本記事を閲覧して、2011年の東日本大震災の津波で犠牲になられた大川小学校の生徒、学校関係者を思い出さずにいられませんでした。生徒を校庭に集合させて、先生同士がどこに避難するか、そもそも非難すべきかどうかの結論を出しあぐねた結果、逃げ遅れて悲惨な事態に至ってしまいました。(地震の約五分後には津波警報発令され、20から30分後には消防車のスピーカーで津波警戒の広報が出されていました)
通常、先生に反論しない生徒がいい子であると評価されますが、それは学校教育という狭い枠組みの中だけです。先行き不透明な現代では、子供でも自分で危険かどうか判断して、逃げるべしとの結論が出たら、先生の静止を振り切ってでも安全な場所を判断して逃げる子が本当の意味で、生きる力を持ったいい子です。もちろん危険を察知して、避難を試みた生徒もいたようです。しかし、先生の言うことに従わなくてはいけないというある種の洗脳の呪縛から逃れられず、避難が遅れてしまったことは最大の悲劇であり、非常に無念です。
事故検証委員会の資料を読みましたが、そこには教師への教員養成課程での災害対策教育の徹底、小学校におけるマニュアルの配備などが挙げられていました。もちろん今後の津波被害の再発防止に向けて有意義ではあると思います。しかし、究極のところ、本件を教訓に自分の身を守るのは自分しかいない、最後に決断するのは自分だということを個々人(子供達にも)に徹底させることが本質なのだと思います。これから日本がどうなるかも分かりません。そうした時に逃げるのかとどまるのか、それは災害対策マニュアルが教えてくれるわけではありません。自分で考えるしかないのです。
親が子供に対して、先生の言うことをよく聞くようにと教え込みますが、むしろ自分の頭で考えろと教えるのが先です。特に今後の不透明な世の中では・・。先生の言うことを聞きなさいというのは親自身の怠慢です。自分の子供を守るのは親で、先生ではないのです。普段から親が子供に対して自分の頭で考えて、その最終判断には自分で責任を持たせる教育をしなくてはいけないのです。
また避難先として、三角地帯の高台が適切だったのか、裏山にすべきだったのかなど様々な意見が挙げられています。これに関しても、究極のところ、自分自身で判断し、その結果を自分自身で受け止めるしかないのだと思います。未成年の子供達にそうしたことを要求するのは厳しいですし、そうした未成年の子供達の精一杯の判断が場合によっては凶と出てしまうことは非常に残酷です。本当は思慮のある大人が子供たちを導いてあげるのがあるべき姿です。私もそれを望んではいます。しかし、非常事態にあっては通常のルールは通用しません。そして子供を導いてやるべき大人が自分で考えられる人とは限らないのです。
本件に関しては幼い74人の大切な命が失われてしまい、本当に無念で一杯です。同調主義、責任回避の悪い部分が露呈された悲惨な結果となってしまいました。
最終的には自分のことは自分で決めるしかなく、誰かに責任を押し付けることは出来ません。そういう当たり前の動物としての本能を停止させていると、取り返しのつかないことになりかねませんね。
シン
日本人の私が日本にいた時の話なので、発言してもokだと思いますが、還暦過ぎたいい大人が、「法律さえ守れば何してもええんか!?」と恫喝して来たので、柔和な言い回しで、「いいに決まってんだろ…w」と反論しました。スポンサーがいる訳でも、社会の公器でない、上場企業でない一個人が、自分なりに筋を通してるつもりの事に、どんな「道義的責任」があるんでしょうか。まだ、「黙って俺の言うこと聞けや!」の方が潔いと思います。
その同じ人物が一週間程の有給の取得に難色示す際に「(日本の組織は)規律を重 視 し ま す か ら!」と言ってたのを覚えてた為、この様な負の同調圧力は至る所で見られると思います。
多様性も大嫌いな言葉で、素でダイバーシティとか行ってくる人には、お為ごかしの有無に関わらず距離をとると思います。この手の人間に限って本質に関わらない些細な差異でいちゃもんつけ始めるものです。
>日本人が多様性を叫ぶ時って、自分の意見を根拠もなく突き通したい時だけです。
↑正にこれだと思います。
以前シンさんの別の記事で、「そのうち、家ではタイガーマスクの被り物をしてるので権利として認めろ、となって収集がつかなくなる」とあって、声を出して笑いました。
以前、ちきりん氏が、「ハラール対応しない日本はおっくれてるぅ〜、シリア難民受け入れない日本は三等国!」、と例によって吠えてましたが、すごく違和感を覚えたんですよ。商売でやってるのか不詳ですが、そこまで言うんだったらあなたのトコの2LDKの空いてる部屋で小山の様なアラブの大男を住まわせたれよ、と思いましたね。
普段「京都人は信用ならん」「大阪人はガラ悪い」(事例)と日本人同士でいがみ合ってるのに、何で人種、国籍をまたぐと一足飛びに「寛容」を押しつけ合うのか理解できません。
以前少し触れられてましたが、ぬるりブログが今以上にもっともっとメジャーになって、いつかちきりん氏とサシで討論できる未来を私も強く望みます。
>まだ、「黙って俺の言うこと聞けや!」の方が潔いと思います。
まったくです。まったく理屈が通らない謎理論を展開するくらいなら、単なるパワハラだけど何か?と言い切られた方がいいですw
シン
筑波山さん
ちきりんさんの着眼点や知見には時々驚かされるときがありますが、自分の心に刺さってきません。その理由は基本的に自分の手を汚さずに高見の見物のスタンスを貫いてしまっているからでしょうね。ブログで高尚なことを言って何も行動しないよりも、舌足らずでも駅前で募金活動をしている大学生の方がずっと魅力を感じます。
例えその募金が適正利用されるようにコーディネートまでは出来なかった不完全な募金活動だとしても・・・・。