去年から日記をつけ始めたことは記事に書いたのですが、どんな効果があったのかを記したいと思います。
記録
当たり前ですが、記録が残ることで、その日に何が起こったのかを確認が可能になりました。人の記憶など曖昧なもので、どんなことでも半年もすれば、忘れてしまうものです。重要なことは記録しておくのが良いと思います。
日記は証拠としても採用可能です。日時、内容が明確になっていれば、何かしらの理由でトラブルに巻き込まれたとしても、重要参考情報として提出可能です。言った、言わない、の話にならないように記録しておくべきです。
その意味で、私は写真、動画、録音も日記の一部として扱っています。重要な打ち合わせ、電話のやりとりは録音をしていますし、何かをした時は出来るだけ写真に残しています。動画はあまり使いませんが、これは重要だと思ったら録画して身を守るべきだと思いますね。
反省
半年くらい経って見直してみると、反省点が出てくるものです。あの時どうすべきだったのか、他に選択肢があったのか、などを検証してみると良いです。その時に日記が残っていないと、なかなか検証できず、何となくになってしまいます。
今年は過去日記に対しても後日談、追記をしても良いかもしれません。もしかしたら、ぬるりと生きる、も過去記事を掘り起こして、追記を加えてみると、新しい考え、コメントがもらえて盛り上がるかもしれません。
何事もトライアンドエラーであるとともに、月日とともに人の考え方は変わります。事実、腕時計に興味がなく、単に邪魔くさい機器としか考えていなかった私が、今は一日中腕時計をして過ごすようになっています。腕時計をしていないと気持ち悪さすら感じます。
挑戦
気がついたのですが、日記をつけていると、少しだけ挑戦してみようかと思うようになりました。面倒だからいいや、とか、忙しいからいいや、というのも、日記があると、記録が残るので、せっかくだからやってみようかな、という気持ちになりやすいです。
記録に残す、という行為は過去に対しての反省だけではなく、現在、未来に対しての積極性も出てくることを感じます。時間、資金の大きなロスがないなら、やってみた方が面白い、という考えになりやすいのでしょう。それをネタとして記録します。
大きな挑戦は難しいので、毎日何か小さな挑戦をしていくことが、大きな流れになるだろうと思います。もうオッサンなので、大きな成果を出すのも無理でしょうが、自分自身が満足できるようなことを少しでも増やしていこうと思います。
まとめ
日記は良いですよ。かなりオススメです。お金も時間もかかりませんが、効果はあります。少なくとも時間の無駄を避けるようになりました。今日という日が無駄にならないように、何かしら痕跡を残していこうとする姿勢になりましたね。
今のところ3日坊主とならず、続けられております。休みの日は12時間以上寝ていることもある人間に、毎日ロクな出来事が起きるべくもなく、そもそも日記って何書けばいいのかわかりませんでしたが、適当にその日思ったことを書き留めるだけでも、十分役立つと思われます。それが日記の効用の1つと思います。頭の中だけであーだこーだ考えるより、文章化したほうが、より難解なことを正確に考えられるのは、明らかです。ペンを持たずに暗算だけで解ける東大の数学や物理の入試問題はほぼ皆無です。関連資料も調べて読みつつ記載することもあります。
>日記は証拠としても採用可能です。日時、内容が明確になっていれば、何かしらの理由でトラブルに巻き込まれたとしても、重要参考情報として提出可能です。言った、言わない、の話にならないように記録しておくべきです。
後に弁護士が関与する事件になりうる出来事に関して、もちろん日記に記載するでしょう。それにそういう事件では動画や写真を欠く主観的な文章は証拠としての立証能力はまずありません。このため、思い返すと以前と比べると、撮影が許可されているならば、より頻繁に書類などの写真や動画をとるようになったと思います。それに文章だけでも、過去の出来事について「いつ何を誰がしたのか」という記載があるので、それを把握するのが素早くなると思います。これらも効果の1つと思います。
一見するとTwitterやFacebookの投稿と似ているのですが、明確に違うところがあるように思います。今のところ何より思うのが、日記って自分しか読まないことが長所だと思います。他人の反応を伺いながら、記載する必要がありません。他人の興味を引くネタは頻繁に起きません。他人の歓心を買おうとする記載を願う結果、ひいては日常的にそういう出来事を積極的につくるようになってしまいかねません。本心では使いたくもないのに、他人の反応を得るためだけに、貴重な時間やお金をつぎ込み、それに関して投稿しかねません。そう言う問題は、日記にはありません。