日本が本格的な凋落になっていく象徴的事件は山一證券の破綻、1997年ですが、これに関する本を読んだので紹介したいと思います。
[amazonjs asin=”4062816091″ locale=”JP” title=”しんがり 山一證券最後の12人 (講談社+α文庫)”]この本は清武英利さん、読売新聞のスター記者、ジャイアンツの球団代表を務めた人が書いていて、実際に新聞記者として、現場で事件を追いかけていた人が書いていますから、かなりのリアリティーがあり、登場人物の心の動きまで描かれた傑作です。
私が気になった点を記していきます。
会社組織
山一證券の破綻は日本の凋落が始まる象徴的な事件で、この頃から日本企業の終身雇用は崩壊していきます。この本を読んでいると、当時、山一社員は終身雇用を当たり前だと考え、会社を家族のように捉えており、度重なる転勤、単身赴任など、会社都合を全面的に受け入れて、定年まですごすことを前提にしているのが伺えます。
また、年功序列を大前提にしており、登場人物は入社年度、学歴をきわめて重要に考えています。「Aさんは三七大」というような言い方をしています。ちなみに「三七大」とは昭和三七年大卒入社、という意味だそうです。この序列は崩れず、50前に部長になるくらいまでは横並びだったようです。そして、無数の役職者がおり、役員だけで40人とかいたみたいです。
山一證券は営業の会社なので、数字さえ出せば、高卒でも役員になれたそうですが、トップになるには東大、一橋が圧倒的に有利だった、とかかれており、犯罪者にまで堕ちた行平さん、三木さんがそれにあたり、時限爆弾を押し付けられた、最後の社長である野澤さんは法政出身で、これは異例の人事であり、本人が一番驚いたそうです。
昔ながらの企業序列、学歴序列を延々と語る人って、この時代のイメージを引きずった考えを未だにしているのだと思います。山一破綻から20年経って、世の中が相当変わったことも気がつかず、偏差値を追いかけ、少しでも序列の高い大学、企業に入れば、後はがむしゃらに頑張れば、栄進出世が待っている、と本気で思っているのなら、あほな情弱です。
金融犯罪
山一證券の破綻は見せしめ的なところもあり、2000年から本格的に始まるIT革命で記録がデジタル化される以前は証券会社はどこであっても、犯罪行為を平気でやる詐欺師集団であり、堅気の仕事だとは思われていませんでした。山一證券は大掛かりな「飛ばし」を問題視されて、旧大蔵省から自主廃業を宣告されています。
「飛ばし」とは法人客に無理やり買わせて、含み損になった証券を他の法人に頼み込んで、損失補てんをすることを約束し、一時的に保管してもらい、決算上はなかったことにしてしまう粉飾決算です。今では四半期決算なので、この技は使えなくなりましたが、年に一回の決算なら、決算時期の違う企業を組み合わせて、この技が使えたのです。
また、総会屋と言われるヤクザに漬け込まれて、利益供与したりするのも当たり前であり、今でも業界トップのリーディングカンパニーとして、エリート面している野村證券も総会屋への利益供与で逮捕者を出していますし、「数字が人格」と言われる世界の住人達です。
証券マンなんて、ヤクザと同じようなもので、個人口座を勝手に使って、売買して、損失を出しても知らん顔して、ごねたり、脅したりしながら、客が破産するまで自分の都合のいい取引をさせ続けるのが優秀な証券マンだったんですね。それは本質的に今でも変わらないと思います。
漢たち
野澤さんは記者会見での男泣きが有名な人ですが、彼は完全に被害者であり、元トップの行平さん、三木さんがめちゃくちゃして、どうにもならなくなった数千億円の損失を知らないままに社長就任することになり、自殺を考えるほど、追い込まれながらも、社員を守るため、「社員は悪くありません、我々、経営者が悪いのです。社員をよろしくお願いします。」と公共の場で泣きながら訴えたのです。
元々、彼は長野県の農家に生まれ、数年の家業を手伝い、苦学で法政大学を卒業した苦労人で、会社に入ってからも地味な個人営業を積み上げて実績を上げてきた叩き上げであり、会社の中枢に入る為に重要なポジションである「内務官僚」を経ずに役員まで上って来た人物です。アクの強い人物ではないので、操り人形にするために選ばれたのです。
そして、負け戦の殿を務めた12人の漢たちの物語が「しんがり」なのです。正確には二人の女性も含まれていますので、漢、姐なんでしょうか?w それぞれが事情を抱えて、もう手がつけられなくなった山一に関わっている場合じゃないのですが、責任感から真相の究明、顧客への誠意、自分のけじめの為に殿を買って出るのです。
これも古き良き日本だな、という感じで、みんな生活があるので、廃業するというなら、真っ先に辞めます!、という人ばかりではなかったみたいです。我先にメリルリンチに駆け込んだ人も多くいたみたいですが、そんなことはまったく責められることではありません。こういう責任感の強い人がいるのは日本の良さですが、それが発揮されるのはどうにもならなくなってからです。
その後
12人の侍たちのその後も書かれているのですが、多くの人が転職先で落ち着くことなく、次々と職を変えています。金融不況のせい、業界再編でポジションの減少、ということもあるのですが、終身雇用を信じて疑わなかった人でも一度、転職をすると、転職に対するハードルが下がり、我慢しなくなるのです。我慢するインセンティブが存在しなくなる、とも言えるでしょう。
日本の多くの大企業では生え抜き、中途で会社内での役割を変えています。中途には縁の下の力持ちとして生え抜きを支える役割を求めて、幹部候補とは考えていないことが多く、使い捨ててもいい人材として、いきなり無茶振りして、出来なければ、居場所を奪い、辞めさせるわけです。そうなると多くの中途は職を点々とすることになります。
そんなやり方も転職の一般化で、徐々に変わりつつありますが、日本企業は終身雇用を約束することで、新卒を社風に染めて、意図的に世間知らずにすることで、操り人形にしてきたわけで、それがいきなり変わりはしないでしょう。今は終身雇用は約束されないが、新卒を洗脳する行事はなくならない、というわけです。良い習慣は消え、悪い習慣だけが残っています。
山一破綻の頃、就職活動で地獄を見た、自分の親が苦しむのを見えているはずの氷河期世代ですら、40代になり、オヤジ社会の鬼軍曹として、同僚、部下に理不尽なことを吼えているのですから、日本のオヤジ社会問題は根深く、社会を蝕んでいるんだなぁ、と思います。日本が破綻寸前にならないと、気がつかないのかもしれません。
まとめ
ドラマにもなった有名な物語ですが、バブルの頃の証券会社が何をやっていたのか、金融業とは本質的にどういうものなのか、高度経済成長期が完全に終わり、日本が凋落し始める事件を知るのにいい資料だと思います。金融業に進む人はこれを読んでから、覚悟して進んでください。お金とはこれほどの魔力を持つものだと知ることになるでしょう。
また、年功序列、終身雇用、といった過去の遺物はこんなシステムだったのだよ、といういい資料でもあります。今から見ると、大企業がこれほどまでに、信じられないくらい家族的であり、社内結婚し、いつ、どこへでも転勤し、自らの意思で自社株を買って、無理なノルマを乗り越えるためにみんなで夜中まで電話をかけ、励ましあい、仕事に取り組んできたのだ、ということがわかるでしょう。
私は二度とこんな時代に戻って欲しくないですけどw
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最近バブルの暴露本が流行ってますよね。アメリカでは80,90年代にロケットサイエンティストと呼ばれるゴリゴリの理系人材が金融に流れてきましたが、なぜ日本では未だに文系ウェイなんでしょうか?これもエンジニアを軽視する日本特有の文化なんでしょうか?
金融営業の根性主義が日本に根付く根性主義と結びついて、典型的日本的組織になったので、日本の金融機関って、IT革命後も文系の職場であり、非効率なことをやり続けてますね。
何でもそうですが、日本人は一度決まったことを明らかに間違っていると感じても、突き通す美学を持っているので、どうにもならなくなるまで、続けるのでしょう。
シン
本は読んでないですが、WOWOWのドラマ版は見ました。
この作品も含め金融系のドラマは好きですね。
この手の話で思うのは、しんがりの12人はかっこいいですけど、
自己犠牲の美学に酔っているだけでは?とつい冷めた目で見てしまいます。
転職する人が悪い人に見えてしますが、
真っ先に転職する人こそ、自分や家族のことを一番大事にしていると思いますね。
当時は「握り」と呼ばれる、違法の利回り保証の株式運用もありましたし、すさまじい時代ですね。
実際、残った12人の家族はキツかったでしょうけど、その家族にとっても会社は家族的な存在であって、介錯してやる、というパートナーの気持ちも理解したのかもしれません。
金融はお金がむき出しになった人間模様なので、外から見ている分には面白いですよ。特にIT革命以前の話は唖然とするようなとんでもないことを平気でしますからね。
シン
シンさん
面白そうな本やドラマの紹介ありがとうございます。
山一が潰れたときにちょうどガキんちょでした。そのときに両親があの山一がとか言っていたのを覚えています。
金融関係のドラマって面白い作品が多いですね。半沢直樹もそうですが、銀行員の横領の石田ゆり子主演(映画なら宮沢りえ主演)の紙の月もなかなか面白かったです。
ニコさんのような若い人が読むと、中高年が主張する時代錯誤な考えはどのような価値観から発しているのか?、理解できると思います。
余計なことを考えず、単なる読み物としても面白いので、オススメです。
シン
ビジネスの失敗例や負け戦って他人の成功体験や自慢話や苦労話よりも勉強になりますよね。
成功体験ってのは本人の努力もありますが運や成行きもあるのに対して負け戦や失敗はしてはいけないことや反省点がたくさんありますからね。
シンさん
今は終身雇用は約束されないが、新卒を洗脳する行事はなくならない、というわけです。良い習慣は消え、悪い習慣だけが残っています。
→会社に対する忠誠心とは終身雇用と引き換えだったはずなのです。しかし終身雇用は崩壊したけど社員に忠誠心だけは要求するというのが2000年代以降の労働環境の矛盾なのですよね。
Yさん
私も感じることですが、新卒なら昔みたいに雇ったら責任を取らないいけないのに新卒に対して一方的に即戦力を求めて教育しないとかあります。
そういうことです。水が高いところから低いところに流れるように、良い習慣から消えて、悪い習慣は残るのが日本では一般的で、お上の言うことには逆らえない、となるのが日本人です。
アメリカではやりすぎる上を下が猛然と殴り返しますし、裁判所は企業、個人に立ち直れなくなるくらい制裁を加えますから、上は無茶できないんですよね。
シン
旧日本軍を彷彿とさせますねw
ひどく負けなければわからないでしょう
そういう文化・民族性だからしょうがないです
日本人の良いところは、一度忠誠を誓ったことに最後まで責任を果たそうとするところじゃないでしょうか?
この本は読んでいないので詳細は分かりませんが、この時代の世代だったらそういう方たちが多かったのではと。
逆にそれが仇となり、今となっては悪い習慣となっているといえるように思います。
つけものさんがおっしゃるように、旧日本軍を彷彿とさせますね。
白人社会では企業がもともと終身雇用制ではないのと、小学校の頃から個人主義を叩き込まれていますので、良くも悪くも自分にとってメリットがなければ、会社がまずい感じになってきたら、さっさと転職します。
これも先の大戦を見れば、明らかですよね。
私も時間を見て、この本、読んでみようかと思います。
新卒で即戦力ってのがそもそも矛盾しているのに責任を取って雇ってもらえないからつらいときあります。
昔はどうか知りませんが拘束時間が長い、人間関係がちょっと…ってのは耐えられるのですが能力不足だったり、教育しなかったり、配属されて居場所がないってほうがメンタル殺られる気がします。日本企業のメリットがなくなったからでしょうか?
ニコさん 新卒採用がまだまだ主流な日本って、これもオヤジ社会の弊害のひとつだと思います。
低能な管理職としては、何もわからない扱い易いのが新卒社員であるからでしょう。
また拘束時間が長いというのも同じくオヤジ社会の弊害であると思います。
本来であれば、専門職(エンジニア等)のインターンシップ枠を設けて、またインターンシップ中に社蓄する教育をするのではなく、インターンシップ終了後、即戦力となるためのニッチなトレーニングをすべきです。カリキュラム制でも良いと思います。そこをパスすれば、そのまま本採用、パスしなければ不採用というのが、アメリカでは一般的です。
日本企業のメリットは終身雇用制があればこそ、能力が低くてもなかなか解雇されない。その分失業者が少なく、一億総中流家庭という国家が維持できたということでしょう。
その分、能力の高い人が割りを食っていたということでしょう。
本来であれば、能力別に給与設定をするべきで、終身雇用が崩壊してきた今の日本では、能力の高い人から転職、海外へ技術流出ということにつながり易く、残りのは転職が難しい文系のDQN管理職ばかりでは、そりゃ、日本企業が凋落するのは当然だろうと思います。
外から見ていて、あの時、この時、世界に進出し、特許を取っていれば、こんなことになっていなかったであろう製品や企業が日本にはたくさんあります。インターネット、IT革命の急速な変化に取り残された、でもお宝が眠っている まさにガラパゴス諸島です。お宝は眠らせてはいけないです。
かりりんさん
かりりんさんが生まれるのがあと15年くらい後だったら、日本社会でも活躍できたのではと思うととても惜しいです。新卒で日本の大手SIに数年勤務されていたと以前コメントに書かれていたと思うのですが、女性で技術系総合職となると女性の同期も少なかったでしょう。同じフロアに総合職の同期なんていなかった筈です。やっぱり居場所の無さとか居づらさみたいなものは感じられましたか?
昼食とかってお一人で食べられてましたか?一般事務職のキャピキャピOLとかとはどう考えても話題が合わなそうですし。同期や同じ部署の男性社員と食べられたりとかでしょうか?
Yさん、苦労をしてきたというか、あからさまな女性差別や女性軽視発言を浴びせられたのは、就職活動中、親父面接官からでして、就職した大手SI企業では特に苦労はありませんでした。でもこれはたまたま勤務地が研究所内であったからかもしれません。99%技術畑の人しかいませんでしたから。また全体的に当時としても平均年齢が若く、何人か天下り官僚管理職がいましたが、私は下っ端でしたので、直属の上司(彼も技術畑の方)くらいしか上の人とは関わる機会があったことも幸いしたかなと思います。確かに女性技術職は100人中、2、3人くらいの割合しかいませんでしたが、同じリケジョ同士だと、結構さばさばして、さっぱりした人間関係で居心地は良かったです。ランチはチーム内 ほとんど男性でしたが、ほとんど研究所内の食堂で一緒に食べてました。他にも大手製造業にも内定をいただいていましたが、そっちに進んでいたら、もしかしたら居心地の悪さを感じていたかもしれません。研究所勤務でしたのでキャピキャピOLはいなかったですね。しいていえば、お酒が入れば私が研究所内で一番キャピキャピしていたかもしれないです。
若いうちはいいですが、年齢が上がると、おそらく同期の男性は管理職、女性はいつまでたっても下っ端、結婚を機に肩たたきされていたかもしれないですけどね。私3年でその会社を辞職し、渡米しました。もし渡米せずにずっとそこで働いていたら、いずれ居心地の悪さを感じていただろうということは安易に想像はできます。それでもIT系だったので、製造業よりはマシだったと思えます。今だから言えますが、今でも第一線で働けるのはアメリカに居るからこそ。日本ではこうはいってなかったでしょうね。
かりりんさん
かりりんさんが二十代の頃は終身雇用の旦那と専業主婦の家族形態がまだまだ一般的だっと思います。能力のある女性にとってチャンスが少ない日本の雇用環境をある意味受け入れて、会社の居心地が良い二十代にお金持ちの男性と結婚して専業主婦になっちゃえっていう気持ちにはならなかったんですか?以前学生時代にモデルのバイトしていたとかコメントされてましたので、彼氏を探すのは困らないでしょう。まして研究所なんて女性は一握りです。平井理央みたいに本当は知ってるクセに「すごーい。私分からない。」って、うまく男性を乗せて操って生きることも自分をごまかせば出来たはずです。でもそれはやはり自分の信念に反することだった・・・・。仕事で一本立ちしたかった・・・。のでしょうか?それとも理系人としての純粋な好奇心を抑えることは出来なかった・・・。のでしょうか?
新卒で入社した会社で将来的に自分の能力を発揮できる見込みが薄いだろうと感付いていたのでしょうが、そこからアメリカに行く発想は並みの女性じゃ出来ないですよね。いきなりアメリカに行かなくても外資系の日本支社に転職すれば、それなりに女性が活躍できる環境はあったかと思います。
しかも時代はバブル。日本を捨てるにはまだまだ惜しい。
そういったことを踏まえるとかなりストイックな生き方されてますよね。
その当時でも日本の国際的な立ち位置、人口動態を冷静に鑑みて、終身雇用やバブルが崩壊する。女性でも稼いでいくスキルが必要だと読んでいたんですか?
上記の質問は個人のプライバシーにも関わるので、差支えない範囲で大丈夫です。スルーしても問題ないです。
かりりんさんが以前のコメントで、貴殿と同じく高度な知性に恵まれていた女性でありながら、対照的な生き方をしてきた美和さんのことをうらやましいと述べられたことが少し引っかかっていたんです。もし人生をやり直せたら、日本で専業主婦をしながらゲームプログラミングをする生活を少しは味わってみたかったのでしょうか?(笑)
Yさん、そうきましたか?(笑)
ストイックといえば、そうかもしれませんが、渡米した経緯に関しては計画的ではなく、たまたまだったんです。
この たまたまだった ということろを突っ込まれると個人的なプライバシーに関わることになります。
またこの記事にはそぐわない方向の議論内容になるので、詳細は自叙伝でも出した時にでもw
もし人生をやり直せたら?確かにもっとイージーな生き方はあったでしょう。
自慢ではないですが(自慢か?w)、高スペックな男性からプロポーズされたことは数知れずあります。
ただ、それを自分で選んできていないし、今の自分は好きなので後悔はないです。
食べるに困らない、安全ではあるけれど、自由がない籠の鳥
自由はあるが、自分で食料を探し、外敵が存在する 危険な籠の外
自分は後者を選んだということです。
もし専業主婦になる道を選んだとしても、きっと長く続かなかったと思いますよ。
性格的に無理だったように思います。
そもそも自分は女に産まれてきたのが間違いだったように思います。
男性脳、女性脳テストでも 80%男性脳と結果が出ました。
*このテストは科学的な裏づけがないので、信用するに値するかどうかはわかりませんが。。。
ところで、自分はゲームプログラミングを職業とはしてないんですが。。。苦笑
かりりんさん
話は反れますが、やっぱり、見た目がいいと特をしますね。
見た目は大切です。
故に、自分に似合うファッションや美意識を持ち続けることも大切です。
ですが上記は手段であって、目的と手段を取り違えないことが大切です。
かりりんさん
大変なこともあったかもしれませんが、かりりんさんの生き方の方が面白いかもしれませんね。きれいな若いころに寵愛されて、専業主婦に収まっても自分が打ち込めるものが何も無かったら、あとはママ友との間で旦那のステータスや子供の進学した学校の自慢、お隣さんの噂話といった生産性の無い話をして消化試合的な人生を送るだけになるかもしれません。そこに自分という主体はどこにも無いです。
美貌も年齢とともに衰えます。そうした時に他者からの承認(周囲から美貌をほめたたえられる)からでしか自身のアイデンティティを確立出来ないと本当に行き詰まると思います。
ところで、自分はゲームプログラミングを職業とはしてないんですが。。。苦笑
→ゲーム会社でアルバイトしてたと書かれていたので、専業主婦の余った時間にやっていそうという半ば想像で書かせていただきました。どう考えてもママ友の輪の中には入っていけないでしょうし。
シンさん
「偏差値を追いかけ、少しでも序列の高い大学、企業に入れば、後はがむしゃらに頑張れば、栄進出世が待っている、と本気で思っているのなら、あほな情弱です。」
おっしゃるとおりです。第2版でこの序列主義者の方々が、数多く登場しました。「この大学、この企業に入れば一生安泰だ。勝ち組だ。負ける気がしない。」とか、「離職率の高い大手金融でも、この大学出身者は離職しない。強い学閥力で役員を多数輩出している。」このようなことを、本気で考えているわけです。
山一証券破綻は、日本の凋落が始まる象徴的な事件でした。あれから20年も経過していますが、このような考え方いまだに蔓延っているのでしょうか。そうではないと、思いたいのですが。
平凡なサラリーマンさん
仰ることはごもっともですが、仕事で50代、再雇用の60代とお話してると序列主義や偏差値に拘るような人もいます。
雑談のネタで大学の話題になるのはいいと思いますが、関係のないところや学歴コンプレックスみたいなものを会社に入ってずっと抱えているような人もいます。
徐々に減って来ては居るのでしょうが、なくなりはしないと思います。古今東西、人はわかりやすいサクセスストーリーが好きですし、本質的なところを探る努力をするより、わかりやすい対立構造を見つけて、自分を何か有利な立場に当てはめて、他人を見下していると、安心しますし、個の力が弱い人ほど、他人のブランドに依存します。
シン