サラリーマンって、ほとんどの場合、五十歩百歩、目くそ鼻くそであり、突出した存在になれることはありません。にも関わらず、サラリーマンなのに妙なエリート意識があったり、羨望対象になるのは不思議だな、と思います。
二人馬力
大前提ですが、一人で稼ぐより、二人で稼いだ方が楽に安全に稼げます。しかし、日本はまだまだ共稼ぎが一般化しておらず、共稼ぎの為に社会が変わりきっていません。保育園、学童などのインフラだけでなく、残業、転勤の原則廃止、時短勤務の一般化など、まだまだ進んでいませんね。
日本だと、年収一千万円くらいをもらう仕事になると、共働きがかなり困難になることが多いです。残業、休出などで、時間が足りなくなるだけでなく、本人の希望を無視した頻繁な転勤があり、片方が犠牲になる必要が出てきます。
そうなると、700/300万円の共働きを継続していく方が、1人で一千万円稼ぐよりも、明らかに内容が楽になると思うのですが、社会が共働きに優しくないし、人の意識が変わらず、女性は結婚したらパート程度、という家庭は多いです。ただ、これは色んな意味でリスクだと思いますね。
累進課税
二人馬力だと、税制優遇があります。各自に控除がつくので手取り収入が増えます。一人で稼ぐと、年収一千万円くらいから、加速的に累進課税が進んでいき、税金負担がどんどん大きくなって聞います。
体感的に累進課税を仕方ないものと諦められるのは年収二千万円を超えてからかな?、と思います。ここまで行って、ようやく多少の贅沢が許される手取りになる、というところです。手取り収入が月割りにして百万円を越えるので、あまり節約の必要がなくなります。
ただ、年収二千万円程度では、裕福では全くないです。ちょっと贅沢したら、あっという間になくなる程度の端金でしかありません。そして、この辺りがサラリーマンが稼げる一般的な限界値になって来ます。それ以上は少々の出世ではもらえる金額ではありません。なんで、この程度のために命を削るようなことでは絶対にないです。
経費増大
そして、少々稼ぐと、どんどん経費が増えていくのが普通です。もちろん、一定の役職についたことによる必要経費のようなものもありますが、多くが見栄、驕りで、どんどん使ってしまうことが多くなります。根が貧乏人だから、持ち慣れないお金は使ってしまうのでしょう。
貧乏人は少しお金を持つと、よく考えず、使用頻度が少ない、こだわっているわけでもないことに、なんとなくお金を使うようになり、入ったら入っただけ、出ていくようになるのです。そして、残っているお金は少しだけ、と言う状態になります。
少々稼ぎのいい人でも、ほとんど貯蓄がない人がいるのは、ほんの少しだけ多く稼いでいると言う意識ではなく、選ばれしもの、というような自意識過剰からする浪費の末だろうと思いますね。逆に本物のエリートはその収入、資産に対して節約していたりします。
まとめ
良いおっさん、おばさんの癖に、学歴ガー、社格ガー、とか言っている人って、自分の頭で考えられない典型的な貧乏人だなぁ、と思います。もう少し俯瞰して見れば、五十歩百歩でしかなく、そんなつまらない差にこだわるより、もっと自分自身と向き合うべきだと思います。
本当にエリートになりたいなら、サラリーマンなんてやるべきではなく、何かしらの方法で突き抜けるしかありません。サラリーマンで満足している時点で資本家の奴隷なんですよ。奴隷同士で鎖の重さを競い合っても、喜ぶのは資本家だけです。
学歴なんぞ、しょうもないサラリーマンになる為のハクヅケに過ぎず、それだって、新卒終われば、どこまで評価されるかは不明です。つまらないマウンティングが取れるくらいしかメリットがありません。何かを学んで、それをどのように活かすのか、という明確な答えがないなら義務教育以外は必要ないと思いますね。
サラリーマンをやるなら、きちんと区切った上でやるべきだと思います。リスクも少ない代わりにはリターンも少ないんだから人生を賭けてやるようなことではないです。自己表現として、そのサラリーマン仕事が必要ならともかく、生活のためにやっているなら割り切るべきです。
テスタさんのように就職せずに株で資産60億とかの人生はどう思いますか?彼は高卒です。
大谷翔平さんのように非正規雇用でスーパースターになる人生をどう思いますか?彼は高卒です。
シン
サラリーマンは従業員に過ぎないのですが、つまらない序列に拘る人はいますね。
しかし、心の底から五十歩百歩と思えるくらいになるには、少なくとも3,000万円~5,000万円くらいの金融資産が必要ではないかと考えています。従業員の給与を貯蓄したとして、40年程継続してこの額くらいあれば御の字ではないでしょうか。資産額から見れば、3,000~5,000万円は五十歩百歩の範囲でその違いはありません。この額に到達したら、出世の程度など気になりません(平社員窓際という意味ではなく、課長部長の違いを想定しています)。
ただの気休めですが、個別株で別会社の株を持ってれば、所属意識から離れることが出来ます。社員として参加している会社の業績の方も大事です。気分の分散ですが、割り切った線引きには結構役立っています。
私にとっては、自分の物かどうかが重要です。
資産形成の方が大事ですし、ある程度の額があれば、サラリーマンは助っ人気分になりました。
嫌になったらリタイア出来るくらいの資産を持っていると組織を俯瞰できると言うのはあると思います。生活がギリギリだと、その組織を離れたら生活できないので必死になってしまいます。
気になる会社の株を持って業績チェックも良いと思います。会社なんて世の中にいくらでもあるわけで、所属企業なんて、その中の一つなんだよ、という客観視が出来ますね。
やはり視野を広く持たないと、目の前の小さなことに囚われて大事なことが見えなくなります。最終的には自分が満足しているなら、他人がどうとかなんて関係ない、という意識は持ち続けるべきでしょうね。
シン
私は日系企業に勤めていますが外資系企業からのオファーがあり、一時期悩んでいました。
(その時はシンさん相談にのっていただきありがとうございます。)
外資系企業のブランドに憧れていた部分もあったと思い、オファーは見送りましたが良い経験になりました。
サラリーマンはどこまでいっても雇われなので明確なゴールが無い限り動かない方がお得だと思い直しました。当面は収入を増やすというよりも支出を減らして、適正化する方向で考えています。(昨年は車を処分しました!(笑) 駐車場代がかからないので一気に楽になりました。)
他、借り上げ社宅制度などを利用して、可処分所得を増やして、手元資金をインデックス投資に回して細々とやって行こうと思っています。20代のころにあった仕事に対する熱意は趣味や別の形で昇華できればと思っています。
>明確なゴールが無い限り動かない方がお得
それが何であれ同じだと思います。全くリスクがないようなことならともかく、リスクを取るだけの理由を見出せないことはしない方がいいと思います。特にふわっとした理由でやっても、得られるものはないのが一般的でしょう。
シン
>サラリーマンって、ほとんどの場合、五十歩百歩、目くそ鼻くそであり、突出した存在になれることはありません。
この理屈でいくと、それこそ糞の投げ合いにも発展する『文・理の差』なんてものは、ゴールがサラリーマンであるならば、誤差の範囲内に過ぎないですね。
>『文・理の差』なんてものは、ゴールがサラリーマンであるならば、誤差の範囲内に過ぎないですね。
大金を払ってやることなんだから、誤差なわけありませんよ。大差があります。一千万円くらいは大金じゃない、端金だ、誤差だ、というならその通りでしょう。
サラリーマンしなくて良い立場なら、そもそも大学に行く必要すらありませんし、行ったとしても実学をやる必要もありませんね。ただ、サラリーマンやるしかないような平凡な人が限られた資源である無駄なお金、時間を払って他人と差別化できない専攻にあえて進まなくてもいいんじゃないの?、とは思います。他のことを使う方が有意義です。
お金をもらうとは言え、同様に似たようなことするのに、あえて待遇の悪い業界、企業に就職する必要なんてないです。ただ、他に選択肢がないならサラリーマンなんて五十歩百歩なんだから、別にどうとでもなる、ということです。たかがサラリーマンなんだから嫌なら辞めれて別を探せば良いだけです。
シン
>大金を払ってやることなんだから、誤差なわけありませんよ。大差があります。一千万円くらいは大金じゃない、端金だ、誤差だ、というならその通りでしょう。
>東大出たくらい、国公立医学部出たくらいで得られる収入って上手くいって年収二千万円くらいの端金で、その程度でできることなんて知れています。
(『山奥ニート』でのシンさんのコメントの一部抜粋)
上記を踏まえて、いくつか確認したい点があります。
『(年収二千万円程度までの)サラリーマンって、ほとんどの場合、五十歩百歩、目くそ鼻くそ』というのが、シンさんの今回のテーマの主訴だと思います。
今のサラリーマンの平均年収が461万円で、中央値は433万円なので、ざっくりと考えて一般的な年収を440万円とします。
年収440万円の手取りは、大体約347万円であり(所得税10万円、住民税20万円、社会保障費63万円)、年収2,000万円の手取りは、大体1,307万円です(所得税374万円、住民税160万円、社会保障費159万円)。
つまり、一般的なサラリーマンと年収2,000万円のサラリーマンとでは、手取りで約1,000万円弱の差があるかと思います。
ただ、この差はシンさんにとっては『はした金』という認識なんですよね。
なぜ、この1,000万円弱については、些末な扱いをするのに対して、それよりも安い学費については、同じ金であるのにかかわらず『大金』という認識と扱いに変わるのでしょうか。
学費に費やす資金が大金という認識であるならば、その大金の捻出に一苦労の一般的なサラリーマンと相対的に考えて捻出が容易な年収2,000万円のサラリーマンを一括りにしていることに違和感があります。
『年収2,000万円くらいの端金で、その程度でできることなんて知れているでしょうが』、少なくとも『大金』である学費の捻出については、一般的なサラリーマンよりかは『できる』のではないでしょうか。
>ただ、この差はシンさんにとっては『はした金』という認識なんですよね。
私の家庭にとってはそうですよ。ただ、多く人はお金借りて大学進学します。
>なぜ、この1,000万円弱については、些末な扱いをするのに対して、それよりも安い学費については、同じ金であるのにかかわらず『大金』という認識と扱いに変わるのでしょうか。
一つは払う側、使う側の意識の違い、もう一つはその時間軸の違いです。お金が貯まることでお金が回って増えていきます。その時、入る分を増やす努力をするより、出ていく分を減らす方が明らかに簡単だからです。記事にしたように、入る分を増やす努力をしていく過程で、どんどん使う分を増やしてしまうことになりがちなので、桁違いに入る分を増やせないなら、出ていく分を減らさないと貯まりません。将来的に入る分を増やせるかもしれないから、今大きく使う、というのは甘いです。明確に近い将来返ってくる想像ができないなら大きく使うべきではありません。40年後に年収2000万円になるかもしれないから、専攻無視して見栄え重視、少しでもランクが上の大学、企業に入るなんていうのは、アホだと思いますね。そんな先のこと誰が保証するの?、という感じです。そんな不確かなことにかけるより、米株インデックスにでも突っ込んでおいた方が良いです。逆に実需がある専攻をやっておけば、卒業後はまずまずの仕事を見つけられる、というなら、硬い話です。近未来の話なので、そんな簡単に前提は崩れません。
事実、私は入ってくる分には無頓着で、増えても減ってもほとんど気にしませんが、使う分にはかなりシビアです。明確にメリットのないことにほんの少しも使いたくないです。それが、たった十万円だろうが、二十万円だろうが、かけた労力、リスクに見合うものなら満足しますし、一千万円、二千万円くらいの臨時収入はなんとも思いませんが、理解できないことに使った千円には大きな後悔がありますし、長く覚えています。
>『年収2,000万円くらいの端金で、その程度でできることなんて知れているでしょうが』、少なくとも『大金』である学費の捻出については、一般的なサラリーマンよりかは『できる』のではないでしょうか。
年収2000万程度しかもらってない人が、具体的な成果が不明な文系進学を当たり前に認めていたら、いつまで経っても貯まりません。稼いだだけ出て行きます。それが貧乏人の考え、という奴でこの記事の内容ですね。
シン
シンさんの書き込みを読むに、どうも前提条件として、文系学部卒の年収2,000万円のサラリーマンと『理系学部卒の一般的なサラリーマンとを比較材料にしていませんか。
その上で、前者は徒にホラーストーリーを、逆に後者は無理にハッピーストーリーを吹聴しているように見受けられます。
では、例えばなんですが、仮に将来を良く考えて実需のある理系学部を卒業した年収2,000万円のサラリーマンと単に本や詩が好きで何となく文系学部を卒業した一般的なサラリーマンがいるとします。
ただ、理系学部卒の年収2,000万円のサラリーマンもシンさんの言うような、将来の見通しが甘く、今大きく使っちゃえ的な残念な人だとします。
この場合、理系学部卒の年収2,000万円のサラリーマンと文系学部卒の一般的なサラリーマンとの差についても、五十歩百歩、目くそ鼻くそという解釈で良いのでしょうか。
それとも、費用対効果の良い理系学部を選んだという時点で、その先にある部分は無視して、『大差ある』という考えに代わるのでしょうか。
>シンさんの書き込みを読むに、どうも前提条件として、文系学部卒の年収2,000万円のサラリーマンと『理系学部卒の一般的なサラリーマンとを比較材料にしていませんか。
してませんよ。そもそも、サラリーマンとして年収2000万稼ぐだけでも例外に近い存在です。その例外まで到達しても、大したことない、五十歩百歩だと言っています。
>ただ、理系学部卒の年収2,000万円のサラリーマンもシンさんの言うような、将来の見通しが甘く、今大きく使っちゃえ的な残念な人だとします。この場合、理系学部卒の年収2,000万円のサラリーマンと文系学部卒の一般的なサラリーマンとの差についても、五十歩百歩、目くそ鼻くそという解釈で良いのでしょうか。
もちろん、専攻が何であれ、あればあるだけ使うなら貯まるわけないのは同じです。理系なら費用対効果を考えず、使ってもいいわけないです。理系だってほとんど実需がない専攻もありますしね。文系は総じて費用対効果は最悪だというだけです。きちんと考えた上で支出をできない人は並大抵の稼ぎではお金は貯まりません。最低でも年に億はもらわないと貯まりません。2000万円は、ほんの少し贅沢するだけであっという間に消えていく小金です。そんな程度稼いでいるだけでは、その辺のしょぼいサラリーマンと大差ないと思いますね。
大前提として収入よりも純資産です。収入を増やす努力より先に支出を減らす、無駄なことをできるだけ減らすのがスタートでは?文系の時点で無駄支出してますよね?という話です。なぜ、サラリーマンなんて知れてたもの、それでもサラリーマンをやるなら上手く付き合っていく方法を考えるべきで、身を粉にして出世を目指すのは無駄でしょう?というのが、サラリーマンになるなら文理なんて関係ない、となるのか理解できません。文系選べば、そもそも専攻したことを活かして就職できない、供給過多による激しい競争にさらされる、失敗した時の保険が存在しないわけで、サラリーマンとして割り切って生きることすら難しくなります。
シン
>してませんよ。そもそも、サラリーマンとして年収2000万稼ぐだけでも例外に近い存在です。その例外まで到達しても、大したことない、五十歩百歩だと言っています。
それは失礼いたしました。
では、くどいようですが再度確認をさせてください。
年収2,000万円のサラリーマンと一般的なサラリーマンがいるとします。
年収2,000万円のサラリーマンの方は、日々きちんと考えた上で支出しているため、今も昔も無駄な支出はしていませんし、これからもするつもりもありません。
結果、子どもを大学進学させても十分残る貯金(純資産)もできています。
そして、子どもには将来性を考えて実需のある理系学部に進学させる予定です。
逆に、一般的なサラリーマンの方は、将来の見通しが甘く、今も昔もこれからも大きく使っちゃえ的な残念で人であり、貯金(純資産)も全くありません。
結果、子どもを大学進学させようと思ったら借金しなくてはなりません。
そして、子どもには本や詩が好きだという思いを尊重してとりあえず文系学部に進学させる予定です。
この場合でも、両者は、五十歩百歩、目くそ鼻くそという解釈で合ってますか。
>この場合でも、両者は、五十歩百歩、目くそ鼻くそという解釈で合ってますか。
明らかに違いますね。ただし、収入の違いではなく、支出の違いです。
収入に関して言えば、年収2000万円程度では、支出を制限しない限り、純資産が蓄積される訳がありません。少々稼いでいることを根拠にして、あれもこれもと効果不明な支出を増やせば、純資産は平均的な稼ぎの人と五十歩百歩になるでしょう?、という話ですよ。
シン
>明らかに違いますね。ただし、収入の違いではなく、支出の違いです。
収入の違いと支出の違いですか。
では、念のため最後に確認をさせてください。
最初は収入の話です。
年収2,000万円のサラリーマンと一般的なサラリーマンがいるとします。
この両者が卒業した学部の文理は問いません。つまり、下記のとおり4パターンあります。
①文系学部卒の年収2,000万円のサラリーマンと理系学部卒の一般的なサラリーマン
②理系学部卒の年収2,000万円のサラリーマンと文系学部卒の一般的なサラリーマン
③文系学部卒の年収2,000万円のサラリーマンと文系学部卒の一般的なサラリーマン
④理系学部卒の年収2,000万円のサラリーマンと理系学部卒の一般的なサラリーマン
上記においては、各サラリーマンが卒業した学部(文理)は一切関係なく、年収2,000万円と一般的なサラリーマンの収入自体には差がないため、①~④は全て五十歩百歩である。という解釈で良いんですよね。
次に支出の話です。
支出においては、『良く考えてシビアに使っているサラリーマン』と『何も考えず無駄使いしているサラリーマン』がいるとしたら、両者には明確な差があるため、圧倒的に前者の方が良いということですよね。
つまり、上記の①を例に出すならば、
1.シビアに使う文系学部卒の年収2,000万円のサラリーマンと無駄使いする理系学部卒の一般的なサラリーマンならば、
『文系学部卒の年収2,000万円のサラリーマン > 理系学部卒の一般的なサラリーマン』
2.逆に無駄使いする文系学部卒の年収2,000万円のサラリーマンとシビアに使う理系学部卒の一般的なサラリーマンならば、
『文系学部卒の年収2,000万円のサラリーマン < 理系学部卒の一般的なサラリーマン』
3.両者共に「賢く使う」、「無駄使いする」場合においては、両者の金の使い方が同条件であり、また両者の卒業学部には差はなく、かつ年収差についても五十歩百歩であるため、
『文系学部卒の年収2,000万円のサラリーマン = 理系学部卒の一般的なサラリーマン』
という解釈で合ってますよね。
それとも文系学部卒のサラリーマンは、現在の年収額(収入)や金の使い方(支出)に関係なく、文系学部を選んで卒業したという時点(事実)で、全てにおいて、無条件に
『文系学部卒<理系学部卒』になるのでしょうか。
モデルケースを沢山出してもらっていますが、何が言いたいのかわかりません。どっちが上とかも興味ありません。収入より支出の方が大事であり、支出が管理できなきゃ、収入の多少など、なんの意味もない五十歩百歩だ、と繰り返し、私は言っています。
支出の観点だと、文系進学は賢いお金の使い方ではない、と考えています。費用対効果は最悪なんだから。ただ、理系出ても、賢くお金を使えるわけでもありません。これは大学なんて関係ない素養です。
実需のある専攻を勉強するなら、近い将来、明確に優位点を見出せるので、お金の使い方としては悪いものではないと思いますが、その専攻を生かさないなら無駄遣いです。私の知り合いにも何人か、それなりの大学でコンピューターサイセンスを専攻しているのに、専攻と特に何のつながりもないサラリーマンやっている人もいるので、その場合は無駄遣いだな、と思います。修士まで行ってりゃ、もっと無駄遣いです。自分の適性をもっと見極めてから進学しろよ、と思いますね。
逆に、その人にとっては文系進学が明確にメリットがあると言い切れるなら、無駄遣いではないと思います。実利はないかもしれませんが、野垂れ死にしても本望なくらい好きなことをやれるなら、素晴らしいことです。まあ、文系なんて独学できるので、どうしてもやりたきゃ、大学に行かなくてもできるだろう、とも言えますけどね。
人生の質を上げようとすると、時間、お金の管理が何よりも大事であり、そこさえ整理できているなら、大学なんて行く必要もありません。まして、実需がない文系に進む意味なんてありません。大卒でさえあれば良ければ、夜間、通信で十分です。全日制で時間とお金を使う必要がないです。
それと同じように、何も考えずに不相応な住宅を買ったり、ほとんど使わない車を買ったりするのも、賢いお金使い方ではないと思いますよ。なくても、人生の質を上げられると思いますね。考えずに使う人はお金がたまりません。学歴の話に繋げて熱くなってますけど、同じ話ですね。
シン
20代の時に、年収1000万だとさぞ裕福な生活ができると思い、年収2000万なんて雲の上、殿上人だと思っていました。30代の今、シンさんの言う、年収1000万程度、2000万程度という意味が良くわかってきました。
給与所得だと、このブログの記事でも書いてある通り、本当に、税金(特に社会保険料)が高すぎて、可処分所得が残らないです。ブログで散々言っていると思いますが、固定費を見直し支出を見直すことが第一歩かと思っています。
私は、コンビニで良く買い物をするのですが、回数を減らしたり、MVNOにしたり、車の所有を辞め、カーシェアに変えるなど、出来るところから進めています。
>30代の今、シンさんの言う、年収1000万程度、2000万程度という意味が良くわかってきました。
ある程度資産を持って初めて、お金の価値が見えてくるのだと思います。日々の支払いに追われている人は、お金を制御できませんからね。むしろ、お金に制御されてしまいます。
シン
シンさん コテツさん
「大前提として収入よりも純資産です。」
こういった考えのサラリーマンは、少ないと思われます。まずは収入です。そのため年収1000万円でも貯金なしが1割もいるわけです。また50代でも住宅ローン等の借金のため、純資産がマイナスになることが多いようです。そのため子供は借金をして進学し、60代の貯蓄の中央値は700万円台です。コテツさんがおっしゃる通り、大半のサラリーマンは資産形成に失敗しています。
「収入を増やす努力より先に支出を減らす、無駄なことをできるだけ減らすのがスタートでは?」おっしゃる通りです。ただし全体的にはそうではなさそうです。
私はある銀行で投資を強く勧められました。そこで「今は5人に1人が投資をする時代です。投資格差が広がっています。」と言われました。そこで私は「投資はお金持ちがやることです。」と言ったところ、「そうではありません。大半は100万円以下の資金で始めています。」とのことです。支出を減らすのではなく、あくまで収入を増やそうとしています。私が非常に驚いたのは、「住宅ローン等の借金がありながら投資する人が多い。」ということを聞いた時です。信じられませんね。本当でしょうか。とにかく収入を増やそうとする方が多いようです。投資の時代なのでしょうか。
今の日本は過去30年間全く成長していないんです。
今、若者一人が、一人の老人を支えているような日本の状況です。
老人の生活を支えるために若者の税金が使われているんです。
老人の生活を支えるために今までも今からも政府のすることは
増税だけです。
それで若者はますます貧乏になり、結婚も子供も作らず
ますます日本の人口は老人だらけになります。
そして、老人を支えるために、ますます増税する。
今の日本の政府は、この悪循環を断ち切ることができません。
日本が衰退するということは円の価値がなくなるのと同等です。
だからせめて円をイノベーションの勢いのある国アメリカの通貨に
替えるくらいの投資は必要と思います。
収入を増やすことより支出を減らすことが大事なのは全くその通りだと思います。
収入を増やすことは難しいですが、支出を減らすことは今日からでもできます。
> ただし全体的にはそうではなさそうです
世の中には広告があふれ、買い物は依存性もある高揚感が伴うので、この結果は自然だと思います。
> 住宅ローン等の借金がありながら投資する人が多い
2021年頃から増えているでしょうね。
日本学生支援機構奨学金の貸与利率や住宅ローン利率が現状のままであれば、私自身は借りてもいいかなと思っています。少額投資であれば、資産形成の効果は薄いでしょうが、行動としては多額・少額投資も同行動となるのが基本なので、投資行動はやった方が良いと考えています。
> 収入を増やすことより支出を減らすことが大事
自分の意志だけで変わる(=難易度が低い)のが支出を減らすことです。その効果は少額投資で成功するより大きいです。転職による給与増額なら別ですが、昇給に期待するのは難しそうです。
私の投資額でさえ、私の月給くらいは1日で変動することは多々あります。4月28日植田総裁の発言による為替変動(2%弱)だけでもそうです。私の理想は資産拡大・収入縮小なので、多数派の収入を増やそうとする方とは考えが違うようです。
nobunobu さん
コメントありがとうございます。
おっしゃる通りですね。日本は老人大国といってもよいのではないでしょうか。高齢者は手厚く保護されていると思います。私ももうすぐ高齢者なので強くは言えませんが、もっと老後は自己責任的な政策に転換して若い世代にお金をまわすべきだと思います。特に子育て世代に対してです。今60代で7割、70代で4割も働いています。これだけ元気なわけですから、手厚く保護する必要はないと思います。「お金はない。働けない。」これが自己責任というのは酷でしょうか。
コテツさん
コメントありがとうございます
貯蓄額の最新のデータでは
60代の平均1689万円(全年齢:1150万円) 60代の中央値552万円(全年齢:280万円)
となっております。コロナ前より明らかに減っています。特に全年齢が下がっています。コロナの影響もあるのでしょう。コテツがおっしゃるように、100万円以下の投資では資産形成はできないのでしょうか。また、支出を減らす方向にはいっていないのでしょうか。投資を勧められた銀行で聞いたのですが、今は20年前と比較して車をローンで買う人は明らかに多いとのことです。
これだけ貯蓄が減っていると、そもそもコテツがよく言われる「資産形成」を考えているサラリーマンはかなり少ないと思われます。私もそれ程意識しておりませんでした。コテツさんの御意見を拝見して、3000万円以上が金融資産と言えるものだと理解しました。
コテツさん
申し訳ございません。呼び捨てにしてしまいました。単なる入力ミスです。
謝罪致します。私はできてはいませんが、コテツさんによって少し資産形成
について考えるようになりました。ありがとうございます。