エリートって、生活の為に働かなくてもいい人のことを言うと思うのですが、世にはよくわからない自称エリートが沢山います。
学歴
一番多いのがこれで、学歴中毒、偏差値病が蔓延るのは庶民が努力だけで、エリート気取りできる唯一の手段だからではないでしょうか?実際はどんなに勉強しても、庶民は奴隷として、資本家様にお仕えするのですけどね。せいぜい、高級奴隷になれるくらいのもので、自分の鎖の重さを自慢しだす、という類のアホくささです。
安倍総理、麻生副総理が中堅大学出身だ!っとか、勝ち誇ったように言う人がいるんですが、多分、その人たちはご両人よりも、ブランド力、ランクの高い大学出身なのでしょう。でも、彼らこそがエリートであり、庶民が東大出ていようが、彼らの足元にも及びません。
だって、彼らは生活の為に政治家をやってないので、どう転んでも、庶民以下の生活をすることなんてありえない特権階級です。権益を握るルールメーカーの政治家であるだけでなく、道楽で仕事をしている資本家でもあるからです。
麻生副総理の金銭感覚を非難するマスコミがありますが、彼の産まれ的に庶民感覚なんてあるわけないし、求める方がおかしいです。彼の一族はきちんと税金を納め、雇用を創出してきたわけで、その功績の対価なんだから、なんの非難もされる謂れはありません。問題だというなら、彼を落選させるしかありません。
企業
アホな人が「東大卒、電通勤務、私はエリート!」と言いますが、亡くなったMさんが呟いていたようにエリートとは底辺私大医学部に通って、医者になれる人なことを指すわけで、庶民出身で、苦学して、東大出て、リーマンやってるMさんじゃないんですよ。死んでから理解しても、後の祭りですw (不謹慎ネタ、すいません。)
自分の所属企業に愛着を持って働くのはいいんですが、会社の持ち主は自分ではなく、株主だと言うことは意識すべきではないか?、と思います。どんなに心身ともに尽くして、その組織で出世しても、株を抑えないと、会社の持ち主にはなれないし、エリートにもよほどのことがないとなれません。
元々、資本家に生まれついている人を除けば、サラリーマンは巨額報酬をもらって、fuck you moneyをゲットして、初めてエリートになれるのであって、どんな組織に所属していも、エリートではありませんよ。官僚、巨大企業勤務サラリーマン、フリーターどれも、等しく資本家の奴隷です。
だから、サラリーマンの癖に鬼軍曹して、他人を追い込んでも、ほくそ笑むのは資本家である株主だけで、被害者に訴えられて困るのはあなただけです。株主はハラスメントが大きく報道されて、株価が落ちれば、痛手ですが、企業価値が損なわれない範囲で、自分の手を汚さず、奴隷どもに汚いことをさせたいのです。
芸事
どんな芸事もサラリーマンと同じことで、某プロ野球選手が言った「誠意とは言葉でなく、お金」という名言の通り、エリートとはfuck you moneyを作った人だけのことであり、高尚なこと言って、気取ってみても、その評価はお金なんですよ。そこを勘違いするとイタイ感じになります。
例えば、私がぬるりと生きる、でfuck you money を作ったら、エリートブロガーだと言っていいと思いますが、ブログ収入で作っているのでないなら、エリートブロガーではなく、奴隷ブロガー、または趣味ブロガーです。その意味でははじめしゃちょーさんはエリートユーチューバーです。(彼の純資産がいくらかは知りませんが。)
ミュージシャンなんかで売れてる人、曲を商業音楽、とか言って、バカにする人がいますが、ジャンルは関係なく、売らなきゃ意味ないし、売って、fuck you moneyを作ってから、売れるかは関係ない、自分の好きなことすればいいんですよ。売れなくてもいいなら、趣味でやってりゃいいです。
私は秋元康さんの主催する女の子集団に興味はないですけど、彼は紛れもなくエリートだし、素晴らしく有能なビジネスマンで、ヲタクというアホどもから、無数の若い女体の餌でなけなしの財産をむしり取るシステム、夢見る女の子からタダ同然の報酬で青春費やさせるシステムを構築するなんて、凄いです。
まとめ
とにかく、わけのわからない序列作って、ギャーギャーいう暇があったら、fuck you money 作る努力をした方がいいです。誰にとっても、お金は命の次に大事なもので、その過多によって序列が付いてしまうのを否定する人はいないでしょう。
エリートを目指さない、と言うなら、唯一無二の存在を目指すべきで、お金でない、自分にしかできない何かを見つけて、そこで専門家として居場所を見つけて、成長していくことを選ぶべきだと思います。
これが現実なので、お金とどう付き合うのか?、は人生において、本当に重要な課題で、奴隷同士でくだらない序列を作って、高級奴隷がエリート意識を持つことを私は「資本家のナニを恍惚の笑みで丁寧におしゃぶりして差し上げる」ことだ、と評するのです。
奴隷同士のいがみ合うは資本家からすれば、非常に好ましい状態で、笑いが止まりません。彼等が恐れているのは奴隷が自分の立場を理解して、資本家に怒りの矛先を向けてくることで、これが「革命」ということです。
トランプゲーム、大貧民は革命ルール、搾取ルールの難易度が高いシステムだと、延々と同じ序列が継続するのと同じことで、資本家の目標は今の序列を未来永劫続けること、最低でも自分がこの世を去るまでは維持することです。
僕の大学の友人の高校時代の友人が、そこそこ有名な会社の社長の息子さんで、エリートですね。
高校生なのに月の小遣いが数十万円はあるらしく、
映画館でエヴァを1000回以上みたり、秋葉原のイベントに友人を奢って頻繁にいったり、オタク活動に費やすようです。
友達が浪人したから、それにつきあって自分も浪人して予備校にいったらしいですが、あまり勉強せず東京以外の関東にある無名の私立工業大学にいったらしいですね。
工業大といっても、経営マネジメントみたいな文系よりの学科らしいです。
社長の御曹司は、帝王学を学ばされたり、箔をつけるため東京の有名私大文系に入れさせられると思っていましたが、そうでないところもあるようです。
エリートの家庭は羨ましがられがちですが、中途半端なエリートだと親の教育が厳しそうで、羨ましくないです。
開業医の息子で医学部を強制されたり、箔をつけるためだけに慶応に入れさせられたり。
底辺私大医学部でも、入ってからの勉強量は、東大文系と同じか上回るレベルだと思います。
コネ入学があっても、国試は実力だから、私大医学生も割と苦労してるイメージです。
白洲次郎という政界の黒幕も、社長の御曹司で、
中学時代から、当時は今よりも高価だった車を乗り回していたそうです。
当時の学校制度はよくわかりませんが、
成績があまり良くなくて一高などに進学できなかったため、ケンブリッジ大学で聴講生を9年やっていたそうです。
昭和恐慌で親の会社が倒産してからは帰国して、新聞記者、商社などサラリーマンをやったのち、戦後まで百姓をやり、その後は吉田茂のコネで官僚になったそうです。
商社時代のイギリス勤務時にイギリス大使館で大使の吉田茂と知り合ったそうです。
白洲次郎は東大卒でなく、若い頃から官僚として働いていたわけでもなく、学歴も職歴も異色の官僚でしたね。
白洲次郎は官僚ではなく、吉田茂の個人スタッフみたいなポジションだったはずです。アングロサクソンの上流階級に個人人脈があり、扱い方を知っている日本人がほとんどいなかったので、重宝されたようです。イギリスで相当遊んだみたいで、イギリス貴族がビックリするほどだったようです。彼が帰る頃には家業は没落していたのですが、生き金を使ってたのか、助けてくれる人がたくさんいて、裕福な暮らしを続けられました。
シン
高級奴隷がエリート意識を持つことによる、本人のデメリットって何でしょうか?
奴隷序列でのトップクラスならば、会社では割りと好き勝手できますよね。資本家の存在を意識することなく死ねば、自称エリートでも幸せで、特に問題ないのでは?
中途半端に自分の立場を意識すると、苦しくなり損ですね。意識しない方が、ぬるりと生きられるかもしれません。
高級奴隷がエリート意識を持つことで、下級奴隷から余計なヘイトを集めたり、エリート意識で割りに合わない無理をして体を壊したりする、デメリットがあるとは思いますが、気づかないようにしている方が楽なのかもしれませんね。
Mさんは気がついてしまい、自ら命を断ちましたので、中途半端に世の中の構造を見るくらいなら、意識的に気づかないよう、見ないようにしている方が精神衛生上、健康的でいられるでしょう。
シン
例えば、地元密着型ヤンキーなどは勝ち組だと思います。悩み考える人間よりもフットワークも軽く、よっぽどさっぱりしています。資本家よりも羨ましいとさえ思います。
私は、余計なことばかり考えるので、陰湿で損をしています。色々考えて、得したことはありますか?何にも考えない人生の方が、余程ぬるりとしていませんか?
私もそう思ったことがあり、少し中に入って、どんな暮らしをしているのか?、を調査して見たんですが、そんなに楽しいばかりではありません。
東南アジアの現地系とか、日本のヤンキー系とかも彼らなりの悩みがあるんですよ。濃い人間関係で、地元ヤンキー序列とかで、しゃぶり、しゃぶられだし、乗っている車のランクが本人のランクだから、無理して借金まみれで高級車乗ったり、と別にぬるりとは生きてません。このブログに集まる人のほとんどが彼らとは無縁だから、彼らが悩みなく、楽しく暮らしていると思うだけです。
シン
シンさんがなぜ中に入って調査していたのか気になるところですが、それはさておき
マイルドヤンキー?は、学歴や会社の属性を気にせず、充実した人生を歩んでいるのかと私も思っていましたが、
そうとも限らないのですね。
確かに赤の他人同士で繋がりを持つとなると序列などが必要な気はします。
二十代なら子供時代からの延長のような感覚で付き合えるかもしれませんが、
いい歳した大人になっても序列があったら嫌な気がしますね。
見栄で維持費の掛かる車に乗るような金銭感覚では、老後がボロボロのような気もしてしまいます。
子供に面倒を見てもらうつもりかもしれませんが、あてにできるとは限りませんしね。
若い時は毛色の違う人と付き合ってみたくなるじゃないですか?w マイルドヤンキーとか名づけて、悦に浸っているのも、私立文系のマスコミの人なので、本人はヤンキーでも何でもありません。キャッチフレーズに過ぎないと思います。
彼らは学歴、社格をほとんど気にしないのは事実ですが、一般的な大卒者がほとんど気にしないようなこと(地元序列、車格)を気にするので、大して変わりません。お金はどちらも気にしますが、ヤンキーのほうが直接的にそれを表現しますし、年がら年中「金が欲しい」みたいないことを言っています。大卒者はそこまで露骨に表現するのは嫌がるものです。
どんな属性の人も人生を楽しんでいる人はいるし、楽しんでいない人もいます。隣の芝生は青いというだけの話ですよ。
シン
この記事待ってました。前ぬるりブログで投稿があった内容だと記憶してます。
要は資本主義のシステムをよく理解し、コモディティとスペシャリストを知ることが重要だと思います。
前者は文系。後者は理系だと本ブログは説いていると感じています。ぬるりといきるには?という問いに対して、スペシャリストとして自分のフィールドを確保していくことだと整理できました。
資本家がまいている餌(レーティングなど)を食べ、同族を攻撃し、消耗して人生を終わらすことの愚かさを学べました。
第2版の後期に同じ内容で記事を書いていると思います。
同じ奴隷でランクを作って、攻撃し合うなんてバカバカしいことをせず、ランクでなく、唯一無二の存在になることをめざすことが大事だと思います。それには理系の方が簡単だろう、と思います。どんなにニッチでも、世の中に何人もいないレベルの専門家になると、居場所が作りやすく、自尊心も保ちやすくなると思います。
シン
私の妻の母方の実家がとある所の創業者一族で、この記事でいう一応資本家の部類に属すると思います。彼女は働く必要がなかったものの、大学卒業後に自分の意志で一般企業に勤め、一人住まいも経験して自分で生計を立てる社会人になりました。そんな妻の言葉で印象的なのは、実家にお金はあったが全く幸せではなかったということです。
今は私のサラリーマンとしての収入で暮らしていますが、こっちの方が楽しくて幸せだそうです。頼めば私の奨学金返済や日本での家の購入もしてもらえそうですが、それでも最低限の礼儀および矜持として妻実家からは1円も支援をもらわないようにしています。
本記事での「エリート意識」が鎖の重さを競い合わせることと同値であるのはその通りで、他人と比べることの先に幸せはないです。普通に働いて家庭を作って子供がいて健康で明るく暮らしていければそれで十分なのではと考えています。他の方はどうなのかわからないですが、学歴にしろ何にしろ「エリート意識」は結局自分の事で頭がいっぱいになってしまっているだけで、結婚をして子供ができればそんなくだらないことはすぐにでも薄れていくのではと思います。
どんなことであっても、「足ることを知る」「あるものに感謝する」「絶対価値を持つ」という基本的な志向を確立しないと、不満だらけで、同じような他人を攻撃するようになります。どうせ怒りをぶつけるなら、同じ奴隷でなく、資本家にぶつければいいのではないか?、と思います。
>結婚をして子供ができればそんなくだらないことはすぐにでも薄れていくのではと思います。
自分に満足していない人ほど、子供に理想像を押し付けて、塾漬け、習い事漬けにして、相対価値を植えつける家庭教育をしがちです。染み付いた奴隷根性は一生モノになります。それに出来るだけ早く気がつき、自分を確立していこう、というのがぬるりと生きる、です。
シン
おっしゃる通りです。おそらく本当に幸せを望まない人はいませんが、ある程度類型や共通性はあっても幸せや価値観は本来人によってそれぞれ異なるものであり、それを見つけて確立できるのは親でも友人でも世間でもなく、他ならぬその人自身でしかないと考えています。
育児中にアンパンマンの歌を聞く機会がありますが、昔馬鹿にしていた歌が実は本質を突いていたんだと感じます。相対価値に埋もれていては本当に、「なんのために生まれて なにをして生きるのか こたえられないなんて そんなのはいやだ」「なにが君のしあわせ なにをしてよろこぶ わからないままおわる そんなのはいやだ」で終わってしまいます。
確かに幸せは自分の中にありますよね。
私は若いころ相対価値の罠でずいぶん苦悩していましたが、
絶対価値に気づきだしてからは、ずいぶんと悩みが少なくなっていますね。
「普通に働いて家庭を作って子供がいて~」は私も同意します。
平凡ですが、ささやかな幸せというのも悪くないと思います。
ただ、すべての家庭が幸せとは限らないので人に勧められるものか悩ましいですけどね。
話はそれてしまいますが、アンパンマンを何気なく見てたら、ロールパンナちゃんの誕生秘話だったのですが、
メロンパンナちゃんが「お姉ちゃんが欲しい」と言ったら、ジャムおじさんが「よし、いまから作ろう」という展開になったのですが、
ジャムおじさんはこの世界の創造主なのかとか、創造主の力を持ってすれば「姉」を作れるのかとか、なんだか真剣に考えてしまいましたw
ロールパンナちゃんは善と悪の両方の心を持ち、苦悩しながら戦う姿を見ると、やたら人間くさいキャラで気になってしまいますね。
アンパンマンは深いんですよ。「愛と勇気だけが友達さ!」と言うところで、中学の頃、粋がった同級生が「友達いないのかよ?w」と言っていましたが、私も「しょくぱんまん、カレーパンまんは友達じゃないのかな?」と思いました。でも、今思うと、完全に中二病です。
やなせたかし先生は人間は究極には等しく孤独であり、一人である。自分の頭を分け与える、それによって、力を失ってしまうにも関わらず、アンパンマンは困った人に愛を与える。そして、ジャムおじさんはアンパンマンに新しい顔を与える。これは何かを失い、恥をかいたり、躓いても、他人に合わす顔がない、とか、考えず、勇気を持って、新しい顔で臨め、とおっしゃっている、と解釈しています。
やなせたかし先生の生き様は素晴らしくかっこよく、最後まで自分の好きなアンパンマンを書き続け、まだまだ死にたくない、やりたいことがあるんだ、と言い続け、全力疾走で人生をゴールされました。私も先生のようになれたら、と思いながら、悩み多き人生を歩んでいます。
シン
アンパンマンって深いですよね。
子供と見ていて同じ様なことを思いました。
私は永遠の敵キャラであるばいきんまんも結構好きです。
しぶとく次から次へと新しいものを産み出して研究熱心です。
悪党には違いないですが、自ら率先して最前線で戦う姿勢はちょっとかっこいいです w
ご覧になった方もいらっしゃるかもしれませんが、NHKのドキュメンタリー番組でやなせたかし先生が生前、アンパンマンは「正義とは何か」を伝える物語だ、と語っていらっしゃいました。
アンパンマンは自分の顔をちぎって困っている人に与えますけど、自分が傷つかないと正しいことはできない、正義を実現するには必ず自己犠牲を伴う、それを体現したキャラクターがアンパンマンだ、とおっしゃっていました。
これはご自身の戦争体験が影響していて、大東亜戦争はアジアの同胞を解放する正義の戦いで、帝国陸軍は神の軍隊と信じて従軍したのに、敗戦後一夜で悪魔の軍隊として忌み嫌われる存在になったことを目の当たりにし、「正義」は儚く移ろいやすいものであると悟ったそうです。じゃあ本当の正義って何かを考えると、世の中から飢えを無くすことが時代に左右されない究極の正義で違いない、それは就学前の子供にも理解できるはずだ。それでアンパンマンが生まれたそうです。
番組を観るまでやなせさんのことをよく知りませんでしたが、画面のやなせさんは上品で可愛いおじいさんで育ちの良さが感じられる素敵な方でした。
また、童謡「手のひらを太陽に」の作詞者であることをその番組で知りました。私はこの歌詞の意味を「何の取り柄も無い市井の人間だって笑って生きる権利がある」と解釈していて、挫折を経験しある程度達観した中年にならないと良さが解らないと感じています。
シンさん、はじめまして。
興味深い記事がたくさんあって
読んでいるうちにこちらの記事に
たどり着きました。
率直に発言しながら
議論を深めるということにも
魅力を感じます。
エリート意識で
立脚しているのなら
自分の足で立っていられるのなら
ブランドバックを持ち歩くように
持ち歩く価値はあると思います。
自分を支えられる確固たるものを
見つけられるまで
段階的にそういうものが
色々あっていいのではと
記事の本質は
そういった話しではないのですが
コメントの流れで
こう言ったことも書いていいのかもと
思い書きました。
記事の本質についてですが同意です。
シンさんが明確に示されている通り
こういった本質を知れば
例えば学歴コンプレックスなどに
右往左往させられることも
少なくなると思います。
本質を知ればなんだそんなこと?と
楽になれます。
生きるうえで役に立つ
良い記事をありがとうございます。
はじめまして。
若気の至りで、エリート意識持ったり、ブランド物で着飾り、徐々に地に足をつけて、自分というものを確立するのは良いでしょうけど、三十路のオッサン、オバサンがそれじゃダメでしょう?、とは思いますね。
人は孤独ですが、一人では生きられません。だから、私もチラシの裏に書かず、ブログとして世間に公表して、議論しています。読者さんの反応が大きな気づきになることが多いからです。
気が向いたら、コメントください。
シン
シンさん、お返事ありがとうございます。
私はいくつになっても
上記に書いたように自分を
その事によって支えられるのであれば
いいと思っています。
思うに自分を支えられないで
自分を傷つけたり
他人を傷つけたりする人がいます。
自分を支えられない人が
多いと感じます。
ですから学歴でもいい
ブランドバックでもいい
確固たる自分を支えるものが
一生見つからない人でも
わずかな支えるものがあれば
それで生きていけるのではないかと
思います。
私はシンさんのブログと
出会えて嬉しく思いました。
大抵のブログは
議論の余地がないのですもの。
私の考えも書き込むことができて
別の考えもこうして頂ける。
こう言う貴重な場を頂いて
感謝します。
確かにブランド物で自分を支え、自分、他人を傷つけないなら、何歳になっても、それにすがっているのも悪くないですね。
ちょっと人気が出ると、批判されるのが嫌で、コメント欄を閉鎖するブロガーは多いですが、私はコメント欄を閉鎖するくらいなら、ブログを止めます。言いっ放しの独り言なんて、面白くないですからね。
シン
確かにブランド物で自分を支え、自分、他人を傷つけないなら、何歳になっても、それにすがっているのは良くはないが、悪くないですね。
ちょっと人気が出ると、批判されるのが嫌で、コメント欄を閉鎖するブロガーは多いですが、私はコメント欄を閉鎖するくらいなら、ブログを止めます。言いっ放しの独り言なんて、面白くないですからね。
シン
シンさん、お返事ありがとうございます。
どちらがましかの話しになってしまいました。
それでは解決になりませんね。
初めてお邪魔したのに浅はかな考えを言って
しまって申し訳ありませんでした。
ブログに関してはその通りですね。
その点シンさんは真摯に対応されて
尊敬します。
本質を突く
私にはとても言葉に表すことのできない
記事凄い能力だと思います。
いきなり失礼しました。
失礼いたします。
謝らなくて良いですよ。最低限のルールさえ守るなら、どんな意見も尊重されるべきですし、自分なりに精一杯に考えた意見は私に響くものがあります。
逆に私が本音むき出しにして、意見するから、読者さんに読んでもらえるのだと思います。格好つけた上から目線でブログやっても、私自身がそんなブログを読みたくありません。
そらさんの意見も素晴らしいかったです。これからも暇なときに遊びに来てください。
シン
資産家と違う大多数の無産者は、自身の能力で自分を保つ(経済的・自尊心的)しかないです。 これまでの日本はどんな能力の人間に対しても等しく役割を与える余裕がありました。 しかし今では能力をスペシャリストとコモディティに分けられ、後者が生きる道が狭まっています。 前者も大多数は限られた市場の奪い合いをしています。 私は二本の柱(職業専門性と仕事に活かせる趣味)を会社の環境を活用して訓練中です。 自分の能力を訓練できない職場に(私にとって)価値がないと思います。
無産者が手に職もない、売れる技術、知識、経験がないって、恐ろしいことですし、技術より、ブランドイメージ、世間体を優先させて、進学、就職を選んでいるって、冷静になると、恐ろしいことです。
シン
そもそも、会社が無期雇用を約束できないのに、能力開発も実績にもならない業務を続けるメリットがないですね。 極論ですが会社とは他人の金で事業化・技術開発を試す実験場だと思います。 (勿論、話の持っていき方がありますが…)
その考え方が世界標準で、入ったら、無能でも、責任持って、定年まで給料出せ!っと騒げる方がおかしいです。日本IBMの裁判は日本の成長を阻害する考え方だと思いました。
シン
経済的かつ自尊心的に個を保つ能力を「社会」を活かして更に磨きたいです。 目標は日本人の勤勉性を保ちつつそれを活かせる思考法を身に付けたいですね。 華僑やユダヤ人の考え方が面白そうですが、「生まれながら」「育った環境」で得られた特質なんでしょうね。
まさしくこれですね。
ブランドイメージ、世間体を優先して慶応だの早稲田だのマーチだのの文系に流されるようにいっても身に就いた専門技術何にもないんだから就職のとき困るでしょうね。
本当に文系は就職の幅を狭めます。
銀行、保険業、証券等の金融関係に就職しても金融の職場に合う人の方が少ないと思います。というかまともな人は合わないんじゃないかなとすら思います。
他には金融以外の一般企業の営業とか管理部門ですか。
倒産したら、それまでですよね。
倒産しなくても、引きこもり気味の子は毎日が地獄でしょうね。
よく考えたら本当に恐ろしい。
ほとんどの文系の人は大学行ってもいかなくても関係ないようなところに就職していくんでしょう。
本当は高校がこういうこと教えないといけないと思うんですが、本当のことは教えられないんですね。
いろんなしがらみがありますからね。
自分の頭で考える癖を子供の時から身につけないといけないもんなんでしょうね。
考えてみたら厳しいですね。
流されるように文系に行くのなら、多少でも数学できたら、ランクを落として機電系の大学に進学して、技術を身に着けたほうが後の人生がまるっきり違ったものになるでしょうね。
よく文系のデメリットは、就職できないからという人がいますが、就職するだけなら、文系でも8割はできています。
しかし、東京の私立M大の文系の就職先は、
金融・保険・不動産が25%、メーカー・建設が15%、情報通信が10%、公務員が8%、大卒の必要のない業界が15%、その他が7%、就職できないのが20%。
金融あたりは向き不向きが激しいです。情報通信は幅広すぎますが、文系SEは地雷な気がします。
独学でかなりできるならともかく並みの技術だと、SEとして定年まで生き残るのは厳しいかもしれないし、職歴がSEだけだと転職もしづらい。
大卒の必要のない業界の小売などでも、幹部として採用ならいいと思いますが、幹部をこんな大量には雇わないと思います。
よって、普通の大卒待遇の会社員になれるのは、メーカー、建設、公務員、その他の30%くらいだと思います。
この大学の大企業就職は、金融が多いので、これらの30%のほとんどは中小・中堅だと思いますが、十分だと思います。
就職という関門を乗り越えても、スキルがないので、転職には苦労すると思います。
ran様
文系の人でもと言うと語弊がありますが、そういった方々でも就職できる分野では高卒で就職した方が社会人としての成長は大きいと思います。わざわざ大卒の募集制限をかけるのはもったいないです。四年間ダラダラ勉強もせず、本もきちんと読まないで過ごすくらいなら働いた方がよっぽど有意義です。
古い記事ですが、気になったのでコメントします。
エリートと金持ちはイコールではありません。エリートとは、高級奴隷(別名、企業戦士)そのものですから(大金持ちがエリートになる場合ももちろんありますけど)。
多くの場合、資本家が能力と意欲の高そうな下僕を選抜してエリートと呼んで特権意識を持たせて頑張らせ、多少の高給と役職を与えてプライドをくすぐり、成果を我が物とするのです。エリートというと真っ先に思い出すのは、政治家や資本家の下で働く軍隊や企業の幹部候補でしょう。ファッキューマネーを持たないとエリートと呼ばないなんて、どこにも書いていません。
そしてファッキューマネーを持ってたとしても、働いていなければ誰もエリートと認めません。 エリートとは、社会の中で選ばれた、優秀とされ指導的役割を担う人間という意味ですから。
昔はそういったエリートが資本家の娘と結婚したりして、資本家の仲間入りすることもあったんですけどね。
ケンブリッジディクショナリーによると、the richest が一番最初にくるので、資産家であることがエリートの第一条件なんじゃないでしょうか?働いてなくても高等遊民もエリートだと思います。私はどんなに学があってもお金がなきゃエリートではないと思いますね。まぁ、単なる単語の定義の話ですけどね。
エリートは英語、英語の発祥はイギリスですが、同じ大学、オックスフォードを出ているブレア、キャメロン両元首相はミドル出身の前者はエリートと扱われず、アッパーミドル出身の後者はエリートと扱われていると思います。労働党、保守党、という政党カラーもあるとは思います。
シン
https://www.google.co.jp/amp/s/dictionary.cambridge.org/amp/english/elite
それは英語のeliteですね。
日本語のエリートはフランス語から来ているので、若干の意味の違いが生まれているのかもしれません。
言葉の定義の問題ですが、私は金持ちではなく組織の幹部や集団の指導者という意味で使っていますし、これからもそう使うと思います。
確かにフランス語のエリート文例を見ると、資本家のことではなく、学と職のある人間のことを指すようなものが多いですね。
シン
エリートとは、自分で自分のことを考えることができる人だと思うのですが…
そのような人が減った結果、日本は没落していったと考えていますがいかがでしょう?
余談ですが、本物を見極められる人は減りましたよね。
本物を見極められる人はいつの時代も少ないと思います。情報が溢れる時代だから、自分の頭で考えることが難しくなっているのはあると思います。
シン