これもまたリクエストで中国史を記事します。
成立
貧農出身、孤児、朱元璋が立てた王朝で、何でもアリの中国史でも彼以上の底辺から上り詰めた例はありません。次が農民、前漢創設者の劉邦ですが、彼は自作農出身であり、裕福ではないものの極貧から身を起こしたわけではありません。
英雄、チンギス・ハーン、日本への侵攻で知られる元王朝は分裂によって混乱し、それに対抗する勢力として白蓮教が台頭し、紅巾の乱が発生します。これは日本で言うところの一向一揆に近く、不満を抱えた民衆の救いのはけ口として宗教が受け皿になり、そこに色んな勢力が便乗したものです。
その中で勢力を持った郭子興、という人物は切符のいいヤクザみたいな人だったらしく、異相をしていた朱元璋を将来性があると見込んで養女を妻に与えて身内として取り込んでいきます。そこで朱元璋は自分の出自を宣伝材料にして、貧民の味方として一大勢力になります。
その後、郭子興は病死して、朱元璋は勢力を継承する為、郭家子弟を謀殺して正統後継者として君臨していきます。そして、白蓮教とも縁を切って独立勢力として江南を制し、皇帝を名乗ります。利用するだけ利用して、価値がなくなれば捨ててしまうのは酷いものです。
後は北を本拠地とする元を中原から駆逐することが課題となり、腹心の徐達を北伐に向かわせ、内紛でまともに戦えない元を制圧して中国統一を果たします。ちなみに徐達はこの遠征で力をつけすぎた為、朱元璋は猜疑心を持つようになり、冷遇され毒殺されたとも言われています。
特徴
明は漢民族王朝であり、現代の中国人の考え方に色濃く影響を残している、という指摘が依頼者さんからありましたが、それはそうだな、と思います。(次世代の清はモンゴル系王朝なので、漢民族らしい文化の王朝ではありません。)
明の政治は皇帝独裁制を強いており、その独裁を支える為に科挙が大々的に行われました。その科挙に合格しないと、家名を保つことができない為、親戚で最も有能な子供をひたすら追い込んで合格を目指す、というスタイルだったそうで、現代中国とまったく同じです。
中央政権の為、地方官は中央から目が届きづらいことをいいことに不正し放題であり、中央に嘘をつきつつ、実数との差額を懐に入れる、という現代中国でも行われている不正手法はここで培われたものなのだな、と思います。
また、明の皇帝は家族主義で、部下には厳しいが、家族にはアマアマであり、甘やかし放題にしていたのですが、現代中国の大金持ちもまったく同じことをするので笑ってしまうくらいです。身内以外は些細な失敗でも解雇しますが、身内はどんなに無能でも見捨てず、お金の力でどうにかしようとします。
衰退
初期は勢力は拡大していき、隣のベトナムへの侵攻し陳王朝を撃破、領土に組み込んでいますしていますが、遠国を維持することも出来ず、そのまま放置しているうちに黎王朝が発生して支配を諦めます。(この当時の統治を理由にベトナムは中国の一部だと主張する中国人もいます。)
日本には朝貢と言う形で屈服させて威光を轟かせます。日本は室町時代、足利義満の時代に倭寇の取り締まりに悩んで、勘合貿易で利権付与をするので、なんとかしろ!っという要求に実利を取って、形だけ下についたような形ですけどね。
漢民族の敵は常にモンゴル系なので、内紛によって北方で潰しあっていてくれるうちはいいのですが、女真族が台頭して、モンゴル統一を果たすと、圧迫に耐えられなくなってくる、といういつものパターンです。
明の中期、後期皇帝はみんな無能でもなく、何代かに一人はそれなりに有能な人が現れるので、かろうじて王朝を繋いできたんですが、最後は外圧に耐えられなくなって滅亡という流れになりますね。
まとめ
調べれば調べるほど現代中国人的で、施政者はポーズとして貧民の味方を気取るけれど、実際は自分、身内の利益が最優先で、庶民は世に出る為に暗記漬けの勉強をする。役人になったら、不正をしまくって蓄財をしていくし、そのために勉強してきた、という悪びれる態度すらない、という感じです。
歴史が繰り返される、というなら、汚職が進み過ぎて、統制が出来なくなったところに周辺国からの圧迫を受けて屈する、というところでしょうか?現代中国を圧迫するほどの力を持つ周辺国はインドくらいで、両方、核保有国なので本格衝突をしたら壮絶な戦いになるでしょう。
リクエストありがとうございます。
明の皇帝は、歴代の王朝の中でも特に暗愚が多いこと、役人や宦官の不正、粛清が多いのは中国人の家族主義が原因で身内にアマアマ、他人に厳しいということが中国人らしい思想だなと納得しました。
次の清は、その影響を受けているのか順治帝以降でも康熙帝から乾隆帝までは厳しい教育によって名君が誕生しており、満州族の風習からか一族から一番優秀な人物を皇帝にしているため清は明ほど堕落した皇帝は居なかったように感じます。
その意味で清は漢民族的ではなく、現代中国人の気質を持ってません。明が現代中国人の骨格ですね。目を剥くのうなすごい文化、芸術、技術はありませんが、強国には違いない、という感じも似てますし、ガチンコの侵攻は勢力圏までで、それ以上は本気ではないのも同じです。ベトナムにちょっかいかけても侵攻まではしないでしょうし、仮にしても早めに放棄すると思います。
シン
>現代中国を圧迫するほどの力を持つ周辺国はインドくらい
→ ロシアと在日・在韓米軍を忘れていますよ。軍事力のバランスで言えば、ロシアの方がまだ上ではないでしょうか。中国が周辺国を侵略する可能性が言われていますけど、異民族の統治コストを考えると、今の領土が限界であり、あとは東シナ海・南シナ海の人がほとんど住んでいない離島くらいでしょう。特に歴史上、中国の影響下に入ったことがほとんどない日本を統治するのは不可能です。
中国は多くの国と国境を接しており、その多くとは関係が必ずしも良好でないので、一国を攻めると他の周辺国全てを敵に回してしまいます。なので中国政府は日本を征服したいというより、仲間に引き入れたいと思っているはずです。何せ、日中連合ができたらアメリカにも対抗できる勢力が誕生することになり、それはアメリカが最も恐れていることですから。
ロシアを忘れてましたね。内モンゴルが中国に取り込まれているので、北伐はロシアと言えます。緩衝地帯が現モンゴルですが、ここはそんなに力がないですから壁にはなりません。
>なので中国政府は日本を征服したいというより、仲間に引き入れたいと思っているはずです。
これはあり得ません。中華思想は食うか食われるかであり、仲間という概念はありません。朝貢、冊封という日本が降る形で緩い協調体制になることはあるかもしれません。
いずれにしても、中国、日本ともにアメリカ国債を買いまくり、アメリカへの輸出で経済を成り立たせているので、この依存体制を脱却しない限りはアメリカに対抗するなんて鼻で笑われるレベルです。
当の中国共産党幹部子弟が拝むようにしてアメリカのトップスクールに入れてもらい、アメリカに居ついてアメリカ国籍まで持っているくらいなので、完全に飼いならされてます。対抗する気なんてまったくありませんよ。
シン
中華思想は食うか食われるかで仲間という概念はないと言いますが、中露関係はまさに仲間のように見えます。
日中関係で今後あり得るのは、名目上は中国が上に立ち、日本が実利を得るという関係でしょうね。中国が日本を支配下に置いたことは数千年の歴史を通じてもないので、それだけでも大満足の筈です。台湾やベトナムすら支配下に置けないのに、日本を統治できるわけがないです。
また、シンさんの言われるように中国は米国に対抗できるとは(口では強気なことを言っていますが)思っていないので、日米同盟が強固な内は日本に手を出すことはないでしょう。
>中華思想は食うか食われるかで仲間という概念はないと言いますが、中露関係はまさに仲間のように見えます。
中国、ロシアは仲間なんでしょうか?中国は口では反米ですが、腹では親米に見えます。(少なくとも幹部はアメリカ大好きです。)ロシアは皇帝プーチンが反米なので国是として反米ですね。ロシアの新興財閥も資産、第二拠点はアメリカではなくイギリスに移しているようです。一部、ニューヨークもロシア人コミュニティーがあるみたいですけど、ロンドンの方が好きみたいです。アブラモビッチさんが代表格です。アメリカに大きくお金を移すと皇帝の逆鱗に触れかねないからでしょうか?
>台湾やベトナムすら支配下に置けないのに、日本を統治できるわけがないです。
これはまったくですね。尖閣を取った時点で懐柔してくるでしょう。
>また、シンさんの言われるように中国は米国に対抗できるとは(口では強気なことを言っていますが)思っていないので、日米同盟が強固な内は日本に手を出すことはないでしょう。
日米同盟が今までの形では続けられなくなった以上、憲法改正などで実態に即した取り組みをすべき段階に来ており、与党、別働隊(希望)、維新(憲法改正は賛成)で余裕の三分の二が確保できそうな今、対応に迫られているんでしょうね。
シン
明の永楽帝の時代に陳朝(ベトナム)と同様に日本を征服をしたいと構想していたらしいですが、元寇のトラウマで中止したらしいです。
また、清の乾隆帝の時代あたり?にも領土拡大のために日本も考えたらしいのですが秀吉の出兵で明が滅んだ原因の一つであるためコスパ悪いからやめたそうです。
いづれも構想なのでハッキリとわからないこともあるのですが、二人とも激烈な性格のため考えたことくらいはあると思います。
現代中国が侵攻するなら、尖閣諸島までで、そこを突破されたら日本は事実上の降伏をすることに成ると思います。中国としても海を越えた日本の統治をやりきれないでしょうし、長くは持たないでしょう。だったら、事実上の支配下において搾取するだけの方が楽です。漢民族はアングロサクソンばりの統治ノウハウを持っているわけでもないので、派遣された都督から下士官まで度を越えた汚職が蔓延して、植民地支配を維持できないだろうと思います。
シン
永楽帝や康煕帝、乾隆帝が日本征服を検討したって本当ですか?どこを調べても出てこないですが。
例えあったとして、信長が中国征服を検討したのと同じくらいの妄想だと思いますが。
でらさん
正確に言うと朝鮮のような属国を望んだって言い方が正しいです。
永楽帝に関しては嵌合貿易をしてますが、明、清共に朝鮮には厳しい主従関係を結んでいる印象があります。
朝鮮は、実際には明が滅ぼされるときに清にはボコられてましたし、資料によると国旗に大清属国と書かれてましたしね。
室町幕府の将軍は明から日本国王の称号を貰っていますが、それは明の冊封に入ったというより、そうしないと貿易が認められなかったかららしいです。まさに中国が名を取り、日本が実利を取った例ですね。
明の末期はニコさんの言われる通り、呉三桂が万里の長城を開けて降伏しますが、明が弱体化したのは豊臣秀吉軍と戦ったからと言われており、満州族(モンゴルではありません)の攻勢と順番が異なれば日本が中国を征服した可能性もあります。
あの当時、戦国で鍛えられた日本の武士が満州族の兵士より弱かったとは考えにくいですから。
まあ、中国を征服したら政権はすぐに中国化し、日本本土と独立した勢力になるでしょうけど。
明が滅んだときに官僚が軍人がほとんど抵抗しなかったみたいです。
しかも、呉三桂あたりが賄賂で万里の長城を開けてしまう体たらくだす。
暗愚の独裁が多いために粛清を恐れて官僚になる人が減ってしまい悪い宦官が権力を握って国が滅びました。
南宋は、北宋での反省もあり、官僚の採用もそれなりにやっていたので文天祥あたりが必死に元に抵抗しました。
外圧に悩みましたが、農民反乱で倒された王朝ではないです。
また、火薬や印刷技術といった文化や統治方法は当時最先端でした。
同じ漢民族の統治でもこんなに違うというのは調べていて面白いです。
中国に限らず、世界史を眺めて見るとその民族それぞれにあった治め方があるのかなと思います。
良くも悪くも強力な独裁者がいないとまとまらない国もあります。また、民主化しても自立できない民族もあったりします。
北朝鮮もいろいろ言われますが李氏朝鮮のようであり、朝鮮民族にあった政権だと言われてます。
中国史の記事は面白いです!
明は政治腐敗とモンゴルとの抗争でグダグダになって停滞したのに、
王朝自体は300年近く続いたというのが実に奇妙ですね。
こんな停滞した状態の王朝が無駄に長く続かなかったら、
中国はまた史実とは違った発展が出来たのではないか、と思えてきます。
ぜひ明の次の清、さらにその後裔の満洲国も記事にして下さい。
いつきさん
私の気になった歴史ばかりリクエストしたため時代はいくつか飛んでますが、こうして議論できて良かったです。
お金を払うので少し勉強してからリクエストするのですが、元のように武力制圧しただけで政治や社会に中身がないと面白くないので記事にしたら面白いだろう時代や教科書にはあまりない宋のように発見がある時代に注目して王朝全てだと長いので時代や人物、出来事を限定して依頼してます。
明の3代目の皇帝の永楽帝は、長子相続でなく、なり行きでモンゴル系の王朝のように戦って皇帝になったので優秀な皇帝ですね。
ただし、太祖が皇帝権力を強化したために明の独裁政治は太祖や永楽帝のように皇帝がよほど優秀でないと成り立たないシステムになっており、それ故能力がない、やる気がない人だともたないですね。
国ができて三分の一くらい皇帝不在の王朝なんて明くらいですね。
現代ですら、トップの能力がそのまま組織の能力になるのですから、封建社会ならもっとなんでしょう。内部抗争が激化して弱体化しない程度に後継者争いはした方がいいんでしょうね。
シン
初代と3代目のみ優秀な政権というと、日本の室町幕府を思い出します(初代尊氏、3代義満)。
明と室町幕府は時代も結構重なっていますし、初代・3代以外は駄目な皇帝(将軍)が続いてグダグダになっているところや、それでも二百数十年続いたところなど共通点が多く、なんと泣く重なって見えてしまいます。
でらさん
私が高校のとき、理系の世界史の授業で受験にいらない人が多いため、世界史は南宋と金が終わったらモンゴルがやってきて、清朝とアヘン戦争になりましたね。
今思うと、室町幕府のようにグダグダな王朝だったので山川出版社ではない中身スカスカの教科書だと明は朱元璋と陶磁器だけ載せて清になりますね。
唐や宋であれば現代でもあるような省庁や大臣がいたのですが、明代に皇帝が全ての権力を掌握する形にしたために皇帝の出来で国家が決まるようになってしまいましたね。
また、全て皇帝任せになると皇帝にかかる負担と必要な能力が半端なく高くなります。夜12に寝て朝4時に起きる生活で死なない、病気にならない人でないとできないですね。
明の太祖朱元璋と清朝の康熙帝くらいしかこの生活に耐えた皇帝がいなくて、擁正帝は過労死しました。
結局、乾隆帝は皇帝補佐の部署を設けましたし、明のその他の皇帝は、政務を宦官か科挙の官僚に丸投げするかしてましたね。