私は「お金がない」という感覚を実体験したことがなく、第三者目線みたいな書き方になってしまうのは否めません。
自分語りをしたくないですが、私は生まれてこの方、一度たりともお金に不自由したことはなく、親からお金に対して厳しく躾けられたので、自分が納得したもの以外を買うこともありません。必要なものを買うお金はあるし、必要ないものを欲しいと思わないので、お金がない、という感覚を味わったことがないのです。
目線
漫画家、西原理恵子さんは「お金がないのは首がないこと」と称しましたが、私は「大変だなぁ」とくらいにしか感じず、そのまま噛み砕くこともなかったんですが、ふとした機会に腑に落ちたんですよ。首がない、と言うのは視界がメチャ狭い、ということなんですね。
目線の上下左右で見える視界って、かなり狭くて、首を動かさないと視界の確保は出来ません。そうなると、身体を動かさないと視野が確保できなくなるので、目に入るものを瞬時に判断出来なくなるし、入る情報が制限されてしまい、目の前のことに精一杯になってしまう、という意味なんですね。
確かに貧乏人って、なんでそんなバカなことに拘っているのに、メチャ大事なことを平気でスルーしているのかな?と不思議に思っていたんですが、「首がないから」という説明でようやく理解ができましたよ。見えているものがお金がある人とまったく違うんですよね。
身体
首がないなら、身体を動かせばいいので、貧乏人でも身体を動かす人は視野が広がるし、そのうちお金を稼ぐので、首が出てきます。だから、貧乏人ほど、自分が動いて体験して、学ぶ意思が必要で、お金がある人みたいにそこにいるだけで他人が教えてくれたりはしないんですよね。
私の親は必要ないものに一切お金を使わなかったので、私は幼い頃は実家が貧乏人なんだと思っていましたし、実際、友達の家には色んなものが溢れていると感じたものです。でも、必要なことにはガツンと使っていたので、学費、体験なんかで、したいことを我慢したことは一度もありません。
これって、私は自分の身体で動いて経験しなくても、親がお金の教育をしてくれたわけで、知らぬ間に首が出来ていたので、大人になる頃には視野がある程度は確保出来たわけです。だから、冷静に色んなことを見ることができたし、お金もない癖に贅沢な人を冷ややかに眺めることも出来ました。
心
お金を一杯持っている人でも、何かに対して飢餓感がある人っています。代々のお金持ちなのに、必要もないものを買って、すぐに飽きて使わなくなることを繰り返す人がいて、使うことで代わりに何かを得ず、まさに散財している人っていますね。こういうのは心が貧しいのでしょう。
私は車に興味がないですが、車が大好きで、フェラーリの虜になっている人が自分の家計が許す範囲で購入して大事に乗っているなら、それはまったく散財ではないと思うんですが、フェラーリがイタリア車であることくらいしか知らない人が買うなら、完全に散財です。
そういう風に使うと、何も返ってきません。有意義な使い方をしたなら、経験、満足感、など、有形無形で返ってくるものがありますが、散財は何も返ってこないので、延々と出血していくことになり、代々のお金持ちもその人で終わりとなります。放蕩息子によって稼業が傾くって、よくある話ですね。
まとめ
故マイケルジャクソン氏ですら、破産出来るわけで、お金なんていくらでも使うことが出来るし、お金を持ってりゃ、ワラワラと怪しい人が近寄ってきて、使わせようとします。そして、自分に必要なこと、したいこと、がキチンと整理できてないと、貯まらないんですよね。
自分が貧乏人だと自覚がある人は首を作るために身体を動かしましょう。まぁ、経験もしてない私が言うのは上から目線で偉そうなので嫌ですけどw 西原理恵子氏は実体験から語ってますし、私の考察からしても本当だと思います。
お金がない、節約するために体を動かすってのはいいことだと思いますね。
そうなると無駄にエネルギーを使う必要がなくなりますから。
貧乏人がやたらとペットボトルの飲み物を買うのと同じで、自分の体を動かして麦茶でも沸かしてりゃ、その出費は要らないんですよ。なぜ、ほんの些細な行動を拒むのか?理解できません。それが首がないってことなんだと思います。
シン
>>お金もない癖に贅沢な人を冷ややかに眺めることも出来ました。
→家賃の安いアパートにベンツやセルシオが駐車されている違和感はおそらくその類でしょうか?
高級車と分類される自家用車を持っているのに、屋根も付いてない駐車場に停めているなんて、勿体無いなぁ、と思います。
シン
私の両親は自営業で、二人とも四六時中工場で働いていたのでほぼ放置状態で育ち、お金についても特にあれこれ厳しく言われたこともないですが、本人達が規律ある金銭感覚を体現していたので自然にそれが身についたんだと思います。
早朝から深夜まで必死に働きつつ質素な生活をする両親を見て、私も幼少時はうちは貧乏なんだとずっと思っていたので、自然と何もねだらない子供に育ちました。ただ、質素だけれども必要なものは普通に購入していたので、生活事態に不自由は感じていませんでした(友達の家が羨ましいというのはありましたが)。一方で、家を新築した際には一括現金で購入したり、私が留学したいと行った時には何も言わずに資金を出してくれたりと、ここぞという時にはドカンとお金を使っていました。
借金は悪という意識を持って育ったので、未だにレバレッジを有効活用するのに二の足を踏んでしまいますが、お金に振り回されない生き方を身をもって示してくれたのは、両親からの最大の贈り物だったと思います。
私の育ちと似てますね。
違うのは私の両親は必死で働いておらず、マイペース、ゆっくりと仕事をしており、朝食、夕食を家族で食べるのが当たり前だったことくらいです。私の職業観もここから来てます。
>借金は悪という意識を持って育ったので、未だにレバレッジを有効活用するのに二の足を踏んでしまいますが、お金に振り回されない生き方を身をもって示してくれたのは、両親からの最大の贈り物だったと思います。
ここも全く同じです。私もレバレッジを頭で理解しても、身体が嫌がりますし、心地よい金銭感覚を教えてくれた両親に非常に感謝してます。
シン
貧乏だと感じるのは精神的な飢餓感で、ストレスから逃れる為に買い物依存したり、他者と比較して幸福度を計ったり、過去や将来の不安や後悔から人生に絶望します。逆にお金が無くても、不安無く、無駄金を使わず、他者と比較しなければ、心豊かに生活出来ます。
私がいつも言う無間地獄ですね。最低限は必要ですが、そこから先はキリがないです。自分にとっての最低限、希望レベルをハッキリさせて、具体的な行動につなげて行かないと、現状に対する不満だけが溜まります。
シン
結局は親に似ますから、お金と教育にしっかりした親の元に産まれたことをありがたく思います。
私の場合は貧乏だと思ったことはありませんが、おねだりをあまりしたことがなく、また欲しいものはお菓子などを我慢して自分で買っていました。幼稚園のころ、10円玉などの小銭を必死で貯めて買ったミニ四駆のエンペラーが始めての大きな買い物でしたw
小学校の頃は金魚すくいやクジの300円や箱菓子の200円より、ミニ四駆、SDガンダム、マンガの単行本の方が明らかにコスパ良くね!?同じ価格帯だぞ!と子どもながらに感じていましたw
なぜか科学的なものに興味が出た時期があり、小さい顕微鏡や天体望遠鏡を欲しがり買ってもらいました。教育に良いっていうことで買ってくれたのでしょうが、天体望遠鏡は月しか見えないし、顕微鏡はすぐに見るものが無くなってしまったので両方とも飽きてしまいました。今思うと親に申し訳ないことしたなと思います。普通の子どもではそれらの機能を活かしきれないので、レンタルなどで乗り切ればよかったw
自分語りになってしまいました。笑
うちもシンさんと同じような家庭環境ですね。
ただし、兄弟が多く外食はほとんどしたことなく、一世代遅いゲーム機でしたが、高校も大学も私立はダメだと言ってましたが、弟が私立の全国有数の進学校に合格したら行かせてあげてましたし、私自身も小言は言われましたが、私立理系で奨学金を借りないで行かせてくれたので助かりました。
とにかく、旅行や贅沢、向いてない習い事は、ほとんどさせてもらえなかったですが教育にはお金をかけてくれました。
ブログは管理人の考えに近い人が読者として集まってくるので、ぬるりと生きるも似たような育ちの人達が多いんでしょうね。
シン
教育費用のかけ方が間違っている人っていますよね。バブル世代でなんとなく成金になった人に多いのですが単語帳一冊こなせないのに子どもを留学させたり、ゲームみたいに塾でたくさん授業受ければ成績伸びるみたいな考え方の人多いですね。
うーん
教育に関しては正解はないと思いますね
、私の家は結構使っていたイメージですが
反動で自分はドケチになってしまいましたし。
私の受けた教育が正解となんて言ってませんよ。どれだけ多額を使おうが「生き金」として使えるならそれで良いと思います。使うべき時に使わない単なるケチはむしろ大損です。
そう言えば、コミュニティとして発展する為にリクエスト記事は有料にしますよ、と言っているのに、お金は払いたくないですが、xxxという記事を書いてください、とか書いてくるクソが居ましたけど、そういう品性のないことすると、誰からも相手にされなくなりますから大損です。払う価値がないと思うなら黙って読んで記事を頼まなければいいだけです。こういうのは倹約ではなくケチです。長い目では確実に損をする考え方ですね。
シン
お金を払う奴が偉いとは思いませんが、シンさんに無理矢理私の趣味に付き合わせるために記事を依頼している感覚があります。
それに乗っかってワイワイやるのが楽しいです。
女性とのコミュニケーションを取るときには無理矢理自分の話題に引き込もうとすると嫌われるのでオススメしませんが。
そうです。お金は払う人が偉いわけではなく、その価値があると思うなら投げ銭して楽しめばいいと思います。
シン
お金に関しては、寮生活が長く、プライベートで金を使う機会が
少なかったせいで、あまり語れることはありません。
非常に厳格な父親の元、「男は仕事一筋、余計なことにかまけるな」との方針で、
外食・行楽・漫画・ゲームなどは一切禁じられ、
口答えすれば立ち上がれなくなる位殴られて育ったので、
自然と金を使う娯楽には疎くなりました。
せいぜい国内の史跡巡りと安い居酒屋での飲み食い程度です。
自分は武骨な技術者タイプの人間で、
投資や運営で財産を増やす才は無いと自覚しているので、
お金についての方針は唯一つ、
「絶対に借金はするな」ということです。
これには奨学金や家のローンも含まれます。
クレジットのリボ払いやサラ金は当然論外としても、
奨学金や家のローンとなると、抵抗なく
大金を借りてしまう人が多いのは驚きです。
情弱から金を巻き上げたい文系クズ大学と、
小市民から巨額の融資を引き出そうとする銀行、
夫を一生掛けて搾取し尽くそうとする妻の思惑に嵌って、
何十年もの借金を背負うのは愚の骨頂です。
現金一括で購入できないのであれば、それは分不相応として諦めるべきです。
金が欲しくて強盗をする奴はいない、借金で切羽詰まった奴が強盗をする、
と聞いたことがあります。
身の丈に合わない金を使うことの恐ろしさを端的に表現していると思います。
都市銀大手がカードローンをやりだして、ついに日本の銀行も、日本人も行くところまで行ってしまったかという諦観を感じざるを得ませんでした。分相応をわきまえることが大事ですね。一般家計で借金しなくちゃ回らないことはせいぜい家を買うことくらいだと思います。私は車のローンには違和感を感じてしまうクチです。車をキャッシュで買えなければ、とてもじゃないですが維持費の工面なんて出来ないです。家や車なんて見栄で買うモノじゃないです。子供三人を住まわすために、無理なローンを組んでいることはそもそも家族計画が出来ているのかという話になります。
一般家庭がカードローンで月々の家計を切りつなぐのはどう考えても危なっかしいですね。
私は両親に「お金のない生活は悲惨だ」と口酸っぱく言われて育ったため、どうしてもこの言葉がチラついて無謀なお金の使い方が出来ないですね。
今では、自分が亡くなるまでのキャッシュフローを作るようになってしまいました。
収入や出費に大きな変化が起こりそうなとき、キャッシュフローを再検討し、不足が起きないように更新しますので、なかなかお金が不足する事態にならないですね。
ここのサイトの情報も参考にさせてもらっていまして、日本の将来を考え終身雇用の崩壊で、定年前にリストラを食らい収入減となるのをベースのキャッシュフローとしています。
結果的にリストラされなくても問題はないわけですし、
リストラを食らわない前提のキャッシュフローにして、急激な変化が起きたとき、生活レベルを下げられなくて苦しむという事態は避けたいですね。
教育投資に関してですが、ある奥様が高校生のうちに社会勉強のためにアルバイトをするべきだと言ってた人がいましたが、その時間を勉強したほうがリターンが大きいのでは?と思ってしまいましたね。
お金や時間の使い方を知らないってのは怖いなと思いました。
高校生のアルバイトは必ずしも無意味ではないと思います。
医学系・工学系など、食える資格や手に職を得られる道で
確実に成果を出せる資質があるのなら、
余計なことはせずに勉強に専念したほうが良いでしょう。
しかし、資質が微妙で、文系や手に職以外の理系学部に
行かざるを得なくなる可能性があるのなら、
本人が望むならアルバイト経験をしておくのは悪くないです。
その程度の資質の人間が、多少のアルバイトに費やす時間・労力を
勉強に差し向けたとしても、結果はたかが知れています。
極限まで無駄を絞り込んで勉強をして、多少ランクの高い大学へ合格できても、
ついて行けなくなって挫折し、勉強のために犠牲にしてきたものを悔いて、
そのまま人格をこじらせてしまうリスクがあります。
そして何より、金を稼ぐ苦労を知り、
勉強には金が掛かるという事を実感しておくのは大事です。
それが判っていないと、例え堅実な性格の子供でも、
学費に関しては感覚が麻痺し、文系に進んだり、
資格の講習を受けておきながら真剣に合格しようとしない、
という無駄極まりないことを平気でするようになります。
タクシーの利用は一般的に贅沢と捉えられやすいです。しかし本当に車が必要なシチュエーションを考えると、強い雨の日、大きな買い物をした日、足を怪我してしまった時など極めて限定されているんですよね。子供の送り迎えも、本当に必要なときは夜遅く駅に着いた時などです。日中で雨も降っていなければ自分で歩いて行かせるべきですし・・・。
そうした要所で、タクシーをうまく活用すれば大変経済的です。
その根拠としては200万円の車を購入して、六年間維持する費用とタクシーを六年間毎日2500円分乗車する費用がおおよそ拮抗します。一般的な郊外の家庭では土日に買い物にタクシーで往復2500円分程度の距離圏内に大きな買い物施設はあるでしょうから、土日のいずれかと週の真ん中の水曜の二日の買い物だけしか車に乗らなければ、車を所有した場合の1/4~1/3ほどのコストで収まりそうです。(土日いずれかと水曜の二日分/一週間七日分=1/3.5、土曜日と日曜日のどちらかと週の折り返しの水曜日の二日に買い物が出来れば十分物資の維持は出来ます)
さらに自分で運転することによる、事故を引き起こす賠償責任リスク、疲労なども加味すると車好きでなければタクシーに軍配が上がると思います。
巷では子供が出来たら車が必要と言われますが、幼児期さえ乗り切れば自家用車が無くても良いのではないでしょうか?子供が出来た勢いで、新車を購入する方が多いですが、じっくりと必要性を考えてみるべきです。購入するとしても最低五年乗れる中古車で十分でしょう。
確かに車の購入はよく考えた方がよいと思います。
我が家は子供がいますが、車を持っていないです。
利便性の良い地域に住む必要がありますが、移動はバス、電車、タクシーを使い分けています。
郊外への移動で車が必要な場合はカーシェアを利用しています。
ネットの通販を利用すれば、買い物に出かける回数も減らせますし、
オムツなどは amazon 定期便が届けてくれますし、ネットスーパーで食料品も買えますからね。
子供がいると車のない生活は大変ではありますが、工夫すればなんとかなります。
私は生活コストを抑えて他に配分したいのと、保有にこだわらないというのがあるので、保有したい人を否定するつもりはありません。
しかし、郊外に家、車を持っていてお金がないという人はどうかなと思いますね。
自家用車にはこだわるくせに、遠い田舎に帰省するときに3000円の格安バスに乗る人を見ると首をかしげたくなります。むしろ長距離を移動する時こそ、多少高くても、新幹線などの安全性の担保された乗り物に乗るべきでしょう。バス代と新幹線の差額なんてせいぜい2~3万円です。そのために自分の命を危険にさらすのでしょうか?
それは思いますね。一時費用、固定費は分けて考えて、一時費用はケチらず、固定費はケチった方が良いと思います。
シン