人生というのは成功体験を積み重ねていくことであり、どれだけ御立派な理想論を並べても、成功体験のない人はついてくるものはありません。天才でもなければ、小さな成功体験を重ねるうちに大きな成功がついてくるのでしょう。
自信
何をやってもダメな人って自信がありません。自信とは文字通り、自らを信じることであり、どれだけ自分を信じられるか?が挑戦への燃料になるといっていいででしょう。逆に言うと、自信という燃料のない人は走ることはできないといえます。
それじゃ、自信はどうやって身につけていくかというと、日々の積み重ねしかないでしょう。早寝早起きをする、元気に挨拶をしてみる、一駅分歩いてみる、とか、ほんの些細なことから始めるべきでしょう。
あまりにも大きな目標を立てて挫折を繰り返すようになると、何もしない完璧主義者になっていきます。あれこれと御託を述べて、どう考えてもやったほうがいいことすら言い訳してしないので、ダラダラと時間だけを食いつぶすようになります。
そうやって繰り返してきた成功体験だけが自分を支え、勇気の源になり、忍耐力を培い、孤独に耐え、より大きな成功体験を得る糧になります。その繰り返しが大成功という結果なんでしょう。目に見える成果さえ上げることができれば、それは大きな原動力になってきます。
他人
何か始めるとき、真っ先に「他人がどう思う」ということを気にする人は本当に多いですが、典型的な敗者のメンタリティーだと思います。人は一人で生まれ、一人で死ぬ、という当たり前の現実も受け入れていないのなら、何も出来るわけありません。
自分を信じてやり続けた結果、他人を巻き込んで大きなうねりに出来るわけです。最初から他人の顔色を窺って要領よく行動したつもりでも、当の本人が強く信じていないことなど、誰も信じられるわけないので、相手にもされないということになります。他人も馬鹿ではないので、毎日コツコツとやっている姿を見ているし、口だけで何もしていない姿も見ています。
目に見える成果があれば、他人はついてきます。お零れにあずかろうとする烏合の衆がほとんどでしょうが、手弁当で共闘してくれる人が現れれば、面白いことができるはずです。何かを大きなことをしようとするなら清濁併せ吞むことができないとダメなのは、気の移りやすい野次馬もいないと盛り上がらないが、彼らを期待すると痛い目に合うからでしょう。
メッキ
成功体験のメッキってありませんか? 子供のころから親の指示で塾通い、習い事漬けだったので一定の成果が出ていた人が、ある時点で気が抜けたように落ちこぼれていくことって少なからずあります。上の学校に進学したタイミング、就職したタイミング辺りがありがちな挫折点です。
それは他人が用意してくれたルールに乗っかって成果が出ていたが、次の舞台に立って、もっと成果を出せる他人に打ちのめされたとき、今まで自分の意志で何もしていないかったので途方に暮れてしまうからでしょう。レベルが上がるほど、自分の頭で考えていることが要求されます。
他人に凄いといわれること、他人よりも数字が良いこと、という他人との比較でしか自信を持っていない人は成功体験を持っていないということです。自分の頭で考え、行動し、自分を信じ、忍耐を重ねてきたということでしか、成功体験は得られないのです。
評価基準が他人になっていることの恐ろしさは失敗したときです。失敗したとき、ほとんどの人、烏合の衆は去っていくどころか、石を投げて来る人すらいます。その時に自分を信じられず、再起を図ることができなくなります。どんな天才でも常勝ということはほとんどなく、負けたときに真価が問われます。
まとめ
私自身のことを振り返って、成功体験と呼べるのは自分で考え、コツコツと続け、耐え忍んで、他人を巻き込んでいき、最終的に成果が出た時だけです。他人が用意した下地を進んでいった先に成果が出たことは、ほとんど覚えてすらいません。そして、成果の大小よりも、どこから手掛けたのか、どれだけ挑戦的だったのか、ギリギリの苦境を乗り越えたのか、が重要だったと思います。
経験的に3年真剣にやってみてダメなら諦めても良いと思います。ほとんどの人がそれ以上は集中力が続かず、惰性での継続になりがちです。3年やってみれば、まったく方向性が間違っているのでないのなら一定の成果は出るはずです。その間に起こる苦境、不安、疑心に耐えて継続できないので、成果が出ないのです。
日々の積み重ねを大事にしようと思います。