じゃあ、説教する人

説教って本来はありがたいお話なんですけど、ネガティブなイメージを持っている人が多いと思います。そこで、説教の分類をしてみたいと思います。

宗教

本来の説教は宗教家がその教義を民衆に伝えるためにするもので、布教活動の一環です。どの宗教も説教が面白くないことを理解しているので、どれだけ娯楽性を持たせて、興味をもって貰おうか、と創意工夫をしており、面白い人の説教は含蓄があって、なかなかいいものです。

とはいっても、宗教は困った時の神頼み、というように自分が必要としたときにしか入ってくるものではないので、説教を一回、二回、聞いたところでのめりこむようなことはないだろうと思います。繰り返していくうちにふいに染み入ることがある、というところでしょう。

上から

目上の人、上から目線の知り合いからの説教は鬱陶しいことこの上なく、聞くだけ損だと思ったほうがいいです。ほとんどの人は他人に教えられるほどの経験、知識がないので、上から目線で偉そうなことを言うこと自体に快感を覚えて、説教するだけです。酒の席で延々と自分語りからスタートして、だからお前はダメなんだ、へと移行する人はその人自身がダメ人間です。

この手の説教は受け流して、その人が自分をどう評価しているのかだけを確認すれば十分です。上司ならともかく、友人、知り合いで説教をしてくる、ということはあなたに対して優越感を持っている、ということです。仕事ならともかく、プライベートで上から目線でくる人を相手にする必要はありません。

親ですら、子供のため思って説教しているのでなく、自分の偏狭な価値観の押し付けをするために全く不合理、非効率的な精神論で子供を諭そうとすることがあるので、これも聞き流しておけばいいです。親ですら、子供の人生に責任は取れませんし、時代は変わるので、親の時代に通用したことが、今の時代に通用するかの保証はありません。

受容

親身になって説教してくれても、自分からその説教を欲していないと、受容しないんですよ。残念ですけど、私を含めて、ほとんどの人は経験からしか学べません。人から聞いたこと、本を読んで、それを理解して、実践できるような賢者は滅多にいないのです。そのため、親身な説教も、後になって、納得するものです。

若い人は自分に自信を持っているので、年寄りの忠告なんて、理解できないし、理解したくもないものです。それが若者の特権だし、そういう若者にひたすら説教することが無駄です。もし、本当にその人のことが心配なら、聞くことができるタイミングまで待って説教すべきです。

自信満々の時は人の言うことなんてバカみたいに聞こえるので、自信を失い、助けを求めてくるまで待っているしかありません。上手く行くなら、それはそれで結構なことです。無謀さは時に大成功に行き着くことがあります。

まとめ

説教なんて聞くことはないです。説教されて、へこんだり、嫌になる意味がありません。逆に上から目線で、この人も寂しいのだな、とか、思っておけばいいのです。その人が立派な人なら、他人が進んで話を聞きに来るものです。誰も聞いてくれないから、目下の人間を捕まえて、くだらない説教をするのです。

投稿者: シン

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