山奥ニートの人が書いた本を読みました。元々、私はお金をかけないなら都市部に住むべきだと考えていて、山奥だともっとお金がかかるだろう?と思っています。なぜ、山奥に住むことになったのかがわかってよかったです。
成立
ニートの才能を持った二人がニート支援団体を運営している人に出会って、無料の家、無料の支援を受けられるようになり、その空間にニートたちが集まってきた、ということだそうです。つまり、偶然、強運が重なってスタートしています。
そもそもの話、田舎で安いのは土地だけです。家はタダでも、しばらく放置するとかなり手を入れないと住める状態にならない、もしくは、かなり我慢しないと住めません。なので、たまたま無料で土地、住める状態の住居、軽トラを提供された上、最低限必要なインフラ(電気ガス水道インターネット)なんかもあらかじめ用意されていたようです。
その高待遇をネットで配信し続けることで、新しいニートが出入りするようになりました。住居費がほぼタダなので、月に2−3万円もあれば、それで生活可能になったわけです。そこに緩いバイトを紹介してもらえるようになり、一定の持続性が発生したようです。
発展
意欲的ニートブログなどで発信する中で、大手メディアも取り上げるようになりました。私もチラッと、「ザ・ノンフィクション」で取り上げられているのを目にしたことがあり、徐々に社会に認知された状態になってきているみたいです。SNS発信だけでなく、本を出版したり、名前でお金が稼げるようになってきているみたいですね。
特に目立つのが、山奥ニート同士で結婚、山奥共同生活の中で出産、育児をしていく、としている女性ですね。今、どうなっているのか知りませんが、放送当時はかなり炎上したみたいで、育児放棄、メンヘラが子供持つな、というバッシングに晒されたようですね。
これも、ある種のヒッピー文化の再来であり、ヒッピー同士で結婚して、子供を共同で育てていく、というスタイルが流行った時期があります。有名どころだと、いしだ壱成さんでしょうか?親がヒッピーで各地を転々として育ったそうですね。
子供を虐待しない限りは、どんな育て方をするのか?、どこで育てるのか、は本人たちの自由であり、なんで他人がウダウダいうのだ?と思いますね。無理だと感じたら本人たちが諦めて山を降りるでしょうよ。教育に正解なんてありませんしね。
持続
私は、ニート文化自体がヒッピー文化の現代版でしかなく、持続性はないと思っています。都市型ニートのphaさんなんかも、もはや共同生活を送っていないようですし、ずっとできるようなものではないと思います。歳を取るほど、他人と関わるのが嫌になるのが通常です。
山奥ニートは歳を取ると精神的に無理になるだけではなく、年月によって物理的に無理になる可能性も高いです。そもそも無料で与えられた住居、設備、車などが耐久年数を超えてしまった場合、新品を買うか、大掛かりな補修作業が必要になり、まとまったお金が必要になるからです。
現在住んでいる家が使用不可になったら住み替えれば終わり、そもそも生活に必要な専用設備などがほとんど存在しない都心ニートとは違います。都心には何かしらの事情で安値で放置されている住宅が無数に存在しますし、インフラは大人数によって支えられていますが、山奥には代替えがありません。
山奥の限界集落はニート以外の住民は高齢者であり、どこまで生存できるのかは不明ですし、行政が生活インフラをどこまで維持してくれるのか、物流サービスもいつの時点まで対応してくれるのか不明です。最低限のインフラが消え去って、自給自足になってもニートをしてられるのでしょうか?自給自足は大変です。
まとめ
以前、「ぬるり的老後」という記事を書いたことがあり、山奥でゆっくりとしたい、という内容でした。60代の体が動くうちはいいだろうが、70代になると無理じゃないの?、という指摘のコメントをもらいました。その時は、そうかも知れませんねぇ、というくらいの実感しかありませんでしたが、数年経って親、自分の老いを意識すると、全くその通りだと納得します。
そもそも山奥で人生の大半を過ごしてきた人ならともかく、ずっと都心、都心郊外で生活してきた人が興味本位で山奥なんて移住しても、楽しいのは数年程度のことであり、閉鎖的空間が精神的に持たなくなる、子供の教育が理由で山を降りることになる、介護などの事情で帰る必要が出てくる、自分自身の身体が万全で無くなる、などで、元々いた場所に戻っていくでしょう。
今の私が山奥で暮らすことはあるかも知れませんが、数年のことだろうと思いますし、持続性のあることではなく、人生の一ページとしてやってみたかったことをやった的な形になるだろうと思います。山奥育ちの人ですら、出て行ったまま2度と戻らないような過疎地は、相応の理由があって過疎化しているわけで、特殊能力でもなければ、そこで暮らし続けることはできません。
高学歴なのに会社辞めてみんなで共同生活。完全にあほの極みですね。無能も無能。一体何のための学歴なのか。会社辞めるのはいいが共同生活は論外です。そんなに人が好きなら会社員してる方がましです。phaは一番理解できない人種。
価値観、優先順位の違いでしょう。
ニートの才能を持つ人たちって、そもそも働きたくないわけだし、贅沢にも興味がないので才能を働かない方向に向けているのでしょうから、無能ではなく、有能でしょう。ゲーム感覚で大学受験しただけで高級社畜になりたかったわけでもなく、もったいないわけでもないでしょうね。ニートからすれば、端金のために好きでもない仕事で生活を埋め尽くされて、しょうもないマウンティングとりながら生きている社畜は理解不能な無能でしょう。
シン
>子供を虐待しない限りは、どんな育て方をするのか?、どこで育てるのか、は本人たちの自由であり、なんで他人がウダウダいうのだ?と思いますね。無理だと感じたら本人たちが諦めて山を降りるでしょうよ。教育に正解なんてありませんしね。
山奥で生活する人に限らないと思うのですが、親が正しいと信じて疑わない行動のせいで、子供の人生が滅茶苦茶にされるのって、(広い意味で)虐待じゃないんですかね?
子供の目標が、まともな学歴を得て、まともな仕事について、まともな生活をすることだとすると、どうしても進学校や予備校など地方に無いものが要ります。そして地方に住み続けているのは親の都合に思います。
例えば、東大入学者のうち、東京出身者が30%を超えます。一方で、日本の人口のうち、東京のそれは10%です。前者は後者よりも高い。東大に行けばいい仕事に就けるとは言いませんが、可能性は高まります。で、他の地方に比べ東京出身者は東大に入れる確率が高い。
素朴な疑問ですが、どうして後で子供が親に恨み買われるような言動を、親が行なってそれを止めないのに、子供なんか作って育てるんですかね?
>子供の目標が、まともな学歴を得て、まともな仕事について、まともな生活をする
そもそも、そんなしょうもないことを目的にしなくても、なんとなくそうなるんじゃないでしょうか?大起業家になるとか、ノーベル賞学者になるとか、いう目標が目標と言えるほどの力がある子供ならフルスカラーシップが取れるでしょう。
>例えば、東大入学者のうち、東京出身者が30%を超えます。
東大出たくらい、国公立医学部出たくらいで得られる収入って上手くいって年収二千万円くらいの端金で、その程度でできることなんて知れています。その程度のお金を手にするために自分の一度しかない人生を犠牲にするのは馬鹿かげている、とする考えも、変じゃないと思います。
私は生まれ持ってその程度の端金は自分の努力と関係なく入ってくる家庭に生まれているので、学歴を得ることが成功の鍵だなんて思ってことはないです。しょうもないサラリーマンになる為になんて努力したくないと思ってきました。それは、生まれ、育ちから来ているものでしょう。そういう私からすると、学歴如きのために、必死になって子供を追い込むことが虐待です。親が自分の狭い了見で小市民気質を植え付ける必要なんてないと思います。
山奥育ちなら東大なんて興味もなければ、入りたいとすら思わないし、ニート気質ならゲーム感覚で大学受験しても、犠牲を伴うような努力はしないと思いますね。仮に入りたくて、その能力があれば、どうとでもなると思います。
シン
>山奥育ちなら東大なんて興味もなければ、入りたいとすら思わないし、ニート気質ならゲーム感覚で大学受験しても、犠牲を伴うような努力はしないと思いますね。仮に入りたくて、その能力があれば、どうとでもなると思います。
すみません、軽率ながら、この部分を上で書きぬかってました。
シンさんのような家庭はともかく、親がニート(もしくはそれ同然)だと親の脛を齧って生きるわけにはいきません。つまり、子どもはなんとかして貧乏家庭から抜け出さないといけません。子供はそう言う貧困生活から逃げたければ、将来生計立てられる選択をしないといけません。サラリーマン生活はつまらないでしょうが、今夜食べるものがない状況より、多分マシです。
次に、シンさんが指摘された通り、田舎って集落として存続し続けられる将来性がないんですよ。親はいいのですが、少子高齢化で人口減少だと、スーパーや病院が撤退します。それは子供を都会に移動させる契機になります。
それから昔と違って、インターネット他があるんですよ。つまり、将来なんとか生計立てる生活ための努力の方向性を調べれば、子供が自分が生まれながらに不幸として生まれたと自覚しかねません。
繰り返します。東大に今興味がないことが問題ではなく、親の一存で作った貧困からの脱却が課題です。それの手段として大学があります。ただでさえまともな待遇の仕事が少ない田舎で、まともな教育なく成功するって相当難しいんですよ。
>子どもはなんとかして貧乏家庭から抜け出さないといけません。
貧乏というのも、相対的で、収入の絶対額は少なくとも、時間が十分にあり、子供と過ごせる時間が長い、一緒に何かに取り組める時間があるなら、それが貧乏なのか?は疑問です。
そもそも、飢えに苦しむ、住む家にも困る、清潔に保てない、暴力に怯える、というような絶対的最低限も維持できないなら貧しいでしょうが、そうでないなら、価値観次第だと思いますね。少なくとも私は、東大を目指すに最適な環境が得られないと貧乏、不幸せだとは思いません。
シン
ですから繰り返しですが、貧困と田舎の将来性の無さゆえ、その子供の価値観がどうしても都会的な価値観にならざるを得ない、と申し上げているわけです。
もう一つ言いましょうか。一見して結論が矛盾しているような例ですが、教育レベルの低い人間て都市部に行かないんですよ。中国の勃興都ともに、アメリカの1万から2万ぐらいの地方都市で見られた現象ですが。
こう言う都市って、人口規模からして、モノカルチャー経済なんですよ。ある程度の規模の工場や職場が1法人あるだけという。そして、なんらかの拍子(例えば中国が中程度で安価な商品をアメリカに輸出し始めることなど)にその工場の法人が悪化すると、途端にその労働者の年収が下がり、ひいてはその地域の年収なり失業率なり都市の税収なり行政サービスなりが悪化するんですよ。さて、都市部でも雇ってくれるスキルがある人間は、その地方都市から逃げられます。一方、高卒レベルだと大都市に行っても、今より劣った仕事しか得られないかもしれないと言うことになります。だから、例外的な人間はいるにせよ、総じて言えば、学歴が低い人って、居住地がよほど酷い状況になっても逃げ出さないんですよ。
しかし、その都市が限界集落まで落ちぶれた時に、果たしてこの人の人生はどうなりますかね?住み続けるも移住するも先行き暗く、根本的な原因が自分が生まれる前の親だったら、たまったもんじゃありません。
「自分がこの状況から幸せになるには、どうすべきか?なんで自分は人生の選択肢がないのか?」を子供が考慮する時、親に対して敵愾心を抱きかねない言動を、どうして親が行うのか?と言うのが疑問です。
はっきり言いましょうか。「貧乏というのも、相対的で、収入の絶対額は少なくとも、時間が十分にあり、子供と過ごせる時間が長い、一緒に何かに取り組める時間があるなら、それが貧乏なのか?は疑問です。」は親の考えとして甘すぎです。
そもそも、この書き込みって、親の意見であって、子供の感情についての言及じゃないですよね。
ついでに言えば、親が子供と触れ合う時間が長いことは、子供の敵愾心を緩和するわけではありません。社会心理学的にいえば、単純接触効果の理論では、もともと好感度の低い相手を何度会っても、好意度は上昇しません。それに、物理的近接性は好感度を上げますが、それは初期に限られます。時間の経過とともに、正確や態度などの両者の類似性が好感度を上げる要因となります。
>ですから繰り返しですが、貧困と田舎の将来性の無さゆえ、その子供の価値観がどうしても都会的な価値観にならざるを得ない、と申し上げているわけです。
だったら、子供の意思で都会に行けば良いだけの話です。それを阻害せず、必要最低限の物資を与えれば、親として十分に責任を果たしていると思います。
>はっきり言いましょうか。「貧乏というのも、相対的で、収入の絶対額は少なくとも、時間が十分にあり、子供と過ごせる時間が長い、一緒に何かに取り組める時間があるなら、それが貧乏なのか?は疑問です。」は親の考えとして甘すぎです。
私が子供の立場として、親に最も感謝しているのは、彼らが価値観の押し付けをしてこなかったこと、です。もちろん、私の家庭が裕福であった為、得られた特権も感謝してしますが、仮に裕福でなくとも、さほど、どうかということはないです。私の能力なりにどうにかしたでしょう。あーしろ、こーしろ、と決めつけてごちゃごちゃ言われる方が圧倒的に迷惑だっただろうと思いますね。実際、同じように裕福に育った人でも、親の価値観押し付けによって、親子関係が最悪な人も見受けられます。
私は、子供がどうしてもらおうが勝手ですが、自分で判断つかない間は私の価値観に沿って生活してもらおうと思っています。判断がつく年齢になったら、その判断を尊重します。それが、良い大学、良い会社、より良い報酬が幸せだと思うのなら、それに沿ってやってもらったら良いです。私がそう思わないのは、私の勝手でしかありません。
親子であっても別人格であり、子供が自分の意思で何かしたいなら勝手して貰えば良いと思います。自分の人生の責任は自分にしか取れないと強く思います。他人のせいにしても、結局は自分の意思によって今があります。
シン
返信が遅くなりました。
正直言いましょうか、何度か見てて思うのですが、あなたはね、常識の欠落に立脚する警戒心が不足しているようです。あなたがどこで何をしているか私は知りません。しかし、あまりにも前例に反する受け答えのため、これまで書かれてきた記事が冗談ではなく本心に基づくならば、あなたはいつか寝首を掻かれる可能性が私には懸念されます。
じゃあこれでどうでしょかね?下記はあなたの本望ですかね?
WW2の頃ですが、とある田舎の集落で、地主で畑作もできて裕福な少年がいたようです。疎開につき祖母と生活していましたが、WW2で物資不足だと言うのに相応の生活ができていたようです。オマケに成績も体育を除き10中8以上でしたね。ですが、当時不治の病とされていた結核の罹患につき徴兵不適(正しくは乙種合格)となった事実が周知されてから、地元の人の態度が冷ややかになります。相応に女性にモテてらしいですが、女性に関係を拒絶され、挙句はいろいろな人に謂れのない風評被害を受けることになります。
そして、この人は何をとち狂ったか知りませんが、散弾銃を購入し、夜中にそれを持って、山中で練習を始めます。のちに育ての祖母に怪しい薬を味噌汁位入れたことが発覚し、警察に猟銃等を没収されましたが、再び武装をこの少年は開始します。
そして当日。なんの話をしているかもうお分かりだと思いますが、一番最初に殺したのは、この祖母で、斧で首をちょんぎったようです。その後瞬く間に(祖母含めると)30人を殺したようです。
WW2で生活困難の時代に、裕福で成績も良くついでに徴兵すら事実上ほぼ逃れられた少年にとって、祖母を殺すほど何が不満だったんですかね?
それでね、質問ですが、「私は、子供がどうしてもらおうが勝手ですが、自分で判断つかない間は私の価値観に沿って生活してもらおうと思っています。判断がつく年齢になったら、その判断を尊重します」と思うのは崇高であり私は同意いたしますが、あなたが良かれと思ったことが、時にあなたの子供の殺意を冗長しかねないんですよ。行為遂行能力が確固とした年頃に、あなたがあなたの子供にそれで殺されても本意なんですか?
まあ、私の文章があなたを改善できるとも思いません。しかし、私があなたにしてあげられることは、これぐらいですがね。
お気をつけて。
自分で判断できるようになったら、自己責任で好きにすれば良い、と言っているでしょう?自分で判断できるまでは、私の価値観に従ってもらうだけです。人によって違うと思いますが、さすがに10歳の子供にどうしたいのか?なんて判断はつかないでしょうから、私がしたいことに付き合ってもらいます。小学校卒業くらいで、親元を離れたいなら大学卒業までの学費、生活費を渡して送り出そうか、と思います。それが、私にとって理解できないような希望だったとしても、話は聞きますが、反対するつもりはありません。私の人生ではないので、好きにして貰えば良いです。田舎に行こうが、都会に行こうが、なんなら火星に行ってもらっても良いです。なぜ、殺意が生まれるほど、恨まれるのですか?
>しかし、私があなたにしてあげられることは、これぐらいですがね。
してもらわなくて結構ですよ。それこそ、小さな親切、大きなお世話、で他人に恨まれる典型的な頼まれてもいない助言です。私はThe lone wolfさんに助言を求めましたか?求めてませんよね?私は頼まれない限りは助言することはありません。これは、家族に対しても同じです。頼まれてもない助言は他人の為ではなく、自分のエゴの押し付けです。
これをThe lone wolfさんが日常的に他人にしているなら、嫌われて当然、場合によっては殺意が生まれるほど恨まれるでしょうね。少なくとも、私は鬱陶しいし、身近な人間に毎日やられたら、相当険悪になると思います。
シン
健康・医療と衣食住が整っており、そこに一般常識と偏ってない思想、教育を提供してれば最低限のことはしてあげられてると思います。
山奥ニートにそれができるかは不明ですが。
東大にいくのが目的だったら確かに都市部の方がいいでしょうけど、地方に生まれたことも含めてその人の人生ですし、その子がその中でできることをすればいいんじゃないのかなって思います。いい大学と大企業が目的じゃない場合もあります。
まったく虐待の要素はないです。
それよりもマイルドヤンキーの人生って幸せなんじゃないかなって思います。地元で生まれ育って就職して、だいたいが家を買ったりして、それなりに顔のいい伴侶を持ってその中で幸せに暮らしてます。若いうちから結婚するので子育ても楽しくやりますし、妊娠もわりと苦労しません。
東京の競争社会よりもストレスがなく健康的なのかもしれません。
東京は仕事だけでなく恋愛の競争も地方と比べると激しくなってるので、心が疲労していきます。
努力次第で何とでもなるので、日本の普通の家庭に生まれた時点で世界的に見たらついてるので、あとは自分の努力と価値観次第だと思います。
>健康・医療と衣食住が整っており、そこに一般常識と偏ってない思想、教育を提供してれば最低限のことはしてあげられてると思います。山奥ニートにそれができるかは不明ですが。
私は、少しでも偏差値の高い大学に行く、少しでも大きい企業で働く、少しでも多く報酬を得ることが、幸せだと考えることは、偏った考えだと思います。それも一つの考え方ではあるが、絶対的な価値ではないと思います。だから、出来るだけ中立の立場で子供を育てることが良いと思っています。
>それよりもマイルドヤンキーの人生って幸せなんじゃないかなって思います。
dwさん、私はマイルドヤンキーではないと思うので、彼らが幸せなのか?は判断できないと思いますが、価値観というのは単一ではなく、都会に住み、良い大学、良い企業に所属することが、絶対的な幸せではないと思います。
自分がどうしたいのか?、ということを突き詰めることが大事で、他人がどうとか、世間がどうとか、言い出すと、永遠に満足できないでしょう。
シン
シンさん
「私は、少しでも偏差値の高い大学に行く、少しでも大きい企業で働く、少しでも多く報酬を得ることが、幸せだと考えることは、偏った考えだと思います。」
私も強くそう考えます。コロナ前に中学校の学年同窓会がありました。5年に1回あり参加者は毎回80人以上です。偏差値や社格が高い同級生が、現在豊かな生活をしているわけではありません。高卒で地元の中小企業や役所に勤めている同級生の方がずっと余裕のある生活をしています。理由は親が代々広い土地を所有していて、住宅ローン等の借金とは全く無縁の生活をしているからです。つまり偏差値や社格より、資産相続がある方がはるかに強いということです。偏差値や社格が高い同級生は、親が転勤族なので不動産等の資産はありません。あるとしたら売却が難しい古い家です。それも兄弟と取り合いになります。これが60代になるとその差が歴然としてきます。偏差値や社格など吹っ飛んでしまいますね。偏差値や社格に拘るのが馬鹿らしくなりますね。
身もふたもないことを言うと、サラリーマンは目くそ鼻くそ程度にしか変わりません。正社員でさえあれば、生涯獲得賃金は2億程度、少々稼ぎが良くても2.5億程度、3億となると、よほど出世するなり、給与水準の高い会社で無風でやり過ごす必要があり、かなり難易度が高いです。学歴を手にした、大企業に入っただけではダメ、出世して、リストラをかわし、役職定年をすり抜け、定年再雇用を好条件で獲得してようやく3億です。もっと頑張って4億、5億、と稼いでも、目くそ鼻くその端金です。
年に億貰うほどの大出世をすれば話は別ですが、サラリーマンは高給だろうが、低給だろうが、さほどの差はないです。貯蓄という意味では、比較的稼いでいるサラリーマンの方が散財するので少ないこともあります。
私は、学歴がー、社格がー、役職がー、とか言いながら、しょうもない優越感のために、やりたくないこと、面白くもないことをやっている人は可哀想だと思います。一度しかない人生を楽しむという意味では、ニートの皆さんは上級国民だと思います。
シン
>一度しかない人生を楽しむという意味では、ニートの皆さんは上級国民だと思います。
これはシンさんなりの皮肉ですね。シンさんが本当に言いたいのは、実際は”最初からニート”はそれしか選択肢がないので、宜しくはないですと言うことでしょうか。現状の仕組みの中では、一流大学→一流企業→ニートの方が、後々の微々たる選択指という点では上級臣民というになるかもしれません。
私が思うに一番不幸なケースは70過ぎてまで、上場企業などの、常務、専務、社長、会長。相談役などをやっている連中です。肩書がなければただの人ですが(そもそも肩書なんていうのが会社生活の中だけのもの)、その肩書がなくなった時点でアジャストするのは10年以上かかりますからね。勘違いしたまま死んでいくのはその人の勝手ですが、私から見たら滑稽でかわいそうな人達です。
完全に皮肉、というわけでもなくて、実際にニートがそれを望んでいて、それを最大限に実現しているのなら、人生の満足度は高いだろう、と本当に思っています。逆にサラリーマンとして多少の成功をするために、やりたくもないことを続けてきたり、多くを犠牲にしているなら、本当にそんな人生は良かったのかな?、と思いますね。そういう人を上級国民、というのには違和感を覚えます。麻生太郎大臣みたな人を上級国民と言うならわかりますが、サラリーマンは上級国民ではないと思います。むしろ、やりたい放題ニートの方が上級国民ですね。
>肩書がなければただの人
その肩書きを得ることが何よりも大事で、実際に得られたなら満足度は高いと思います。失ってからの人生は短いので、その落差はあれど、悪い人生ではないと思います。
ただ、スタートはその仕事が好きで、その仕事を通じて自己実現、家族を養っていきたい、幸せになりたい、と思っていたのに、出世の為に自分の意思とは全然違うことをやってきて、家族との時間も取れず、家庭崩壊しているなら目的と手段がおかしくなっていると思いますね。特にサラリーマンだと、自分の会社ではないので、いつでもスパッと切られますしね。
シン
>失ってからの人生は短いので、その落差はあれど
その落差というのが、往々にして量ではなくて質の落差ではないかと思います。この場合質というのは、現役時代は俺は重役で偉いと思っていたが、実は会社を一歩でるとそうではなかったなど。私だったらある程度死期が近づいてにそういう真実がわかるとしたらぞっとしますね。まあ本人がそれでよかったと思っていれば、それだけの話ですが。
確かに後期高齢者になってずっと信じ込んでいたことをひっくり返される衝撃は激しいでしょうね。だから、意地でも死ぬまで、何かしらの役職を手放さないサラリーマン重役経験者が多いのかもしれません。
シン
私はつるむのが得意ではないので全くそういう集まりに興味はないのですが、町内会か何かその様な集まりで、引退後の医者、公務員、学校の先生、民間企業の役職者が一番たちが悪いと以前聞いたことがあります。
それは聞きますね。職業によって先生と呼ばれていたひとは現役時代の偉そうな癖が抜けず、嫌われるとはよく聞きます。その人の人格を慕って先生と呼ばれていたわけではないですからね。
シン
>>歳を取るほど、他人と関わるのが嫌になるのが通常
40代とか50代でみなさん変わるんですか?意外でした
意外ですか?年をとるごとに偏屈になりやすく、新しい価値観を認められなくなります。従って、他人と関わるのが嫌になりますね。一定年齢までいって、独身だと結婚が難しくなるのは、男女共に偏屈になりやすく、折り合えなくなるからだと思いますね。
シン
私もそう思います。学生の頃から約30年間、一時期を除いてずっと寮生活をしてきた私でもそう思います。
10代20代の頃であれば、少々他人の価値観や生活習慣に違和感があっても、ノリと勢いでスルー出来ました。しかし30代にもなると、自分の生活スタイルという物が固まってきて、私生活ではそれを乱されるとストレスが溜まるようになります。具体的には、エアコンの温度、入浴・洗面・歯磨きのタイミング、料理の味付けなんかですね。
寮生活の場合は、寮の規則、先輩という従うべき絶対的な基準があります。寮は自分の家じゃない、と割り切っているから我慢できます。それでも、好きな時間に風呂に入れない、トイレや洗面所が順番待ちになる、献立が好みでない事がある、といったストレスはあります。
あの手の共同生活で快適に過ごせるのは、本当に他人との干渉が気にならないタイプなのか、自分が中心で好き放題できる立場にいるからでしょう。これは完全に資質の問題で、訓練や心がけでどうなるものではありません。私は長年の寮生活でかなり鍛えられているとは思いますが、鍵付き個室があって、お互いに職場の同僚だからという一定の線引きがあるからこそ耐えられています。完全にプライベートでの共同生活となったらその線引きが無くなって、図々しい奴、声の大きい奴ばかりが好き放題やって崩壊すると思います。
余談ですが、昨今の女性は、結婚生活は二人で折り合いをつけて新たに生活スタイルを築き上げていくものだ、との概念が無く、自分か自分の実家のスタイルを絶対視し、それを夫にも強制します。夫は対等なパートナーではなく、金と種を運んでくる奴隷としか思っていません。
全くです。歳をとると、仕事ならともかく、プライベートで自分のペースで崩されるのが大きなストレスになります。phaさんは住民同士の争いは、殺し合いにでもならなきゃ放置すれば良い、とくらいに達観していたそうですが、やはり、歳をとり共同生活にストレスを感じて一人暮らしをしだしたみたいです。ニートの共同生活には、持続性がないと思います。
シン
ニートの共同生活には持続性が無い、と言うのは真理だと思います。
土建の寮なんて体育会系の極みのような共同生活ですが、冷静に考えると合理的なシステムです。
まず入寮して最初の1-2年はパシリ状態なので本当に辛いです。しかし、その期間を乗り越えれば後輩が入ってきて、後輩がパシリになって解放されます。そして入社して10年もすれば結婚適齢期を迎えて皆結婚し寮を出ていきます。
単身赴任は多いですが、単身赴任者にとって寮は一時的な滞在先であって、くつろぐ家ではないので割り切って我慢できます。
つまり、共同生活をするのは人生の一時期だけ、というシステムなのです。一生共同生活を続ける訳ではありません。自衛隊のような寮生活が前提の職種もありますが、良く出来たもので、そういった職種はそもそも高齢になっても働く事が想定されていません。
共同生活なんて、多かれ少なかれどこかしら我慢する部分が生じます。職場・学校の延長だから、上司・先輩だから、と納得して割り切らなければ耐えられるものではありません。
ニートの共同生活の場合、その共同生活のコミュニティが自分の全てになってしまいますから、些細な事がストレスの種になりやすいです。そしてこの目標の為に他は我慢すべき、という明確な指針が無いので、各自で不満を押し殺す事が出来ず、内ゲバを起こしやすいです。
私は、中高6年間の寮生活でしたが、いつきさんの仰る通りですね。
若かったから我慢できた、期限が決まってるから我慢できた、です。
それでも中学で1/3,高校で1/4のリタイア者が出ましたので、相当のストレスって事だと思います。
警察官、自衛官などはイジメやしごきが相当きびしく中途退職どころか自殺者も多いです。
ちなみに入学させた親には相当恨んでますよw
共同生活に憧れる人種ってのは、田舎暮らしに憧れる都会人と考え方の根っこは同じなんだろう、と思います。
隣の芝生は青い、で経験したことが無いから負の部分が全く見えてないだけだと思います。
>共同生活に憧れる人種ってのは、田舎暮らしに憧れる都会人と考え方の根っこは同じなんだろう、と思います。
全くその通りだと思います。ニートの多くが、多かれ少なかれ甘やかされて自由にさせてもらってきたので、制約の中で生きることに淡い憧れがあるのだと思います。都会で暮らす人がキャンプ、登山に行きますが、田舎で暮らす人はアウトドアに興味を持たないのと似ていると思います。
シン
シンさん、
おっしゃる様な傾向は確かにあるとは思うんですが、自分でもその傾向が他の要因・原因であるのかよくわからないことが結構あるんですよね。例えば、
1. よっぽど無意味に暮らしていない限り、年齢を重ねるに従って洞察力というものが身に着くので、若い年代が判断に時間を取られていると、何をいつまでちんたらやってるんだと思ってイライラしてします。ただこの現象は往々にして年寄りの短気だと思われてしまう。
2. 文化や物事のやり方の劣化に対して文句や批判をすると、新しい価値観に対応できないと言われる。例えばPCを使えない若者に説教しても、スマホやタブレットがあるからそんなものは入らないと言われる(アメリカでは流石にそこまでひどくはない)。ところがMSDOSの時代からコマンドに親しんできた世代の方がコンピュータに詳しかったりする。ここ30年年位の映画はもう殆ど個性もなくてストーリーも面白くなく駄作だと思うが、自分が経験した時代の回顧趣味ではない証拠に、自分らのさらに前の時代の映画の方が芸術性や含蓄に富んでより面白い傾向がある。
果たしてこういう事って、単に歳をとって偏屈になったということで片付けられるものなんでしょかね。正直言って良くわからないです。
山奥ニートは長い人で8年住んでおり、ここまで来たら一生住むのではないかと思われます。
彼らの多くは都会生活に疲れて山奥に逃れたのであり、その理由からするとそう簡単に都会に戻ることはないでしょう。
食材は車で1時間ほど行ったところの田辺市で買っているようであり、そこは街なので都会と変わらない安い値段で買えます。
おっ、でらさんおひさしぶりです。
ギークハウスの創設者、意欲的ニートの先駆け、phaさんが共同生活をやめている現実を見ると、このまま山奥というのは難しいと思います。phaさんは四十半ばでしょうか?四十超えて共同生活が出来るのか?がポイントだと思います。自分自身が目に見えて衰えてきて、こだわりが強くなっていく中で、仕事でもない、プライベートで赤の他人と折り合っていけるのか?は疑問ですね。
シン
私はもう20代の頃から共同生活は嫌でしたね。できない訳ではないけど、性に合わないんですかね。それから最近こだわりが強くなりました。と言うよりはゆとり世代と話が合いません。身近な所で、歌謡曲でも何でもそうですが、芸術に個性がなくてつまらなく感じます。昭和の頃だと70年代と80年代の音楽は明らかに違いますが、最近30年位の歌謡曲はどれも同じです。比較的フラットな主旋律でたまに裏声的な高音のあるメロディーで、すべて平成版アニメソングの様です。昭和の頃だと(それ程個性を押さえつけられていたとは思いませんでしたけれど)、一応ベースに集団生活があって、皆と同じことがどういう事かわかっていた様な気がします。それで、よし俺は大人になったらもっと人と違った事をやろうといった意識があつたのかもしれません。ところが平成組はいきなり”個性、個性”と言われているので、逆に個性というのがどういうものなのかというのが、実の所解りづらいのかもしれませんね。
山奥ニートについては、このブログで初めて存在を知りました。興味が出たので軽く調べてみました。記事と重複する部分もありますが、概要としては以下のようです。
・場所はコンビニも娯楽施設もない和歌山県の限界集落の山村で、元々集落には農林業を営む5人の高齢者しか住んでいなかった。
・初期メンバーの山奥ニート10数名は廃校になった小学校を改装したシェアハウス「共生舎」を生活の場にしている。
・山奥ニートたちに明文化されたルールはないが、共益費として毎月18,000円支払うことと周りに迷惑をかけないことが最低限のルールとなっている。
・リーダー格は、最古参の石井あらた氏で7年目に突入(2020年時点)。基本的には皆2~3年で、山奥でゆっくりできたし、次の一歩を踏み出そうかな、みたいな感じで出ていく。
(石井あらた氏いわく、出ていく理由はポジティブな理由が多い)
・ただし、最低限のルールを守らない場合は追放され、実際に過去追放されたメンバーもいる。追放させるのは、リーダー格の石井あらた氏の役目
・日本中のニートから移住の問い合せがあり、窓口になっているのもリーダー格の石井あらた氏。
・シェアハウス「共生舎」は満室のため、新しい移住者は近隣の空き家(一軒家)をリフォームして生活の場としている。リフォームするのは、石井あらた氏と移住希望者自身。
・ニート同士の関係はあっさりしたもので、お互いのこと素性はもちろん、本名さえも知らないことも多い。
・日中は集落の農林作業を手伝う人、街に出て福祉施設でアルバイトする人、漫画やイラスト書いてSNSに投稿する人、ギター弾く人、皆の食事を作る人など様々であるが、上記の共益費月18,000円を捻出するため、何かしら金銭を得るための労働行為はしている(この時点で厳密には「ニート」ではない)
・集落(高齢者5人)との関係は良好で、定期的に一緒に食事やパーティーしたりしている。中には山奥ニートたちにこの地に永住してもらって、所有している農地や山林を譲渡しても良いと思っている人もいる。(ただ、実際は石井あらた氏以外は2~3年で出ていくため、実現はしていない)
・石井あらた氏自身は、山奥ニートになった後に狩りでこの地を訪れた猟師見習いの女性(会社員)と結婚。普段は一緒に住んでいないようであるが、しばしば妻の実家にも遊びに行っているようであるため、妻及び妻の両親との関係は良好であると思われる。
ざっくりと概要を書きましたが、これを読む限り誰も損していないですし、個人的な見解を述べるなら良い試みだと思います。以下理由です。
山奥ニートたち
⇒ 仕事や人間関係が原因で自宅に引きこもったり、精神病んで薬漬けの無味乾燥で孤独な生活状況から、大自然の中で疲弊した心身を癒し、2~3年で前向きな精神状態になるまで回復して、次の目標に向かって社会復帰できている。
生活保護費も医療費もかからない、一種の自立支援プログラムである。
リーダー格の石井あらた氏
⇒ 色々と世話焼きや無償労働をしてはいるが、本人にとっては生きがいになっており、また著書を出版したり、SNS・ブログ発信することで多少なり収益化もできている。
奥さんは価値観が同じ会社員の妻であり、相手方の親族との関係も良好そうであり、一種の恋愛勝者。
行政
⇒ 廃校になった校舎など、使いどころのなかった公共インフラの再活用や空き家の活用
に繋がっている。
限界集落に若者が集まることで地域に活気が生まれ、結婚して子どもが生まれること
で多少なり少子化対策にもなっている。
SNSで本などで情報発信や話題になることで、自治体PRにもなっている。
近隣住民
⇒ 超過疎ってる集落に若者が移住してきて、一緒に農林作業したり酒飲んだりすることで生活にハリが生まれている。
将来的に定住者が生まれれば、貴重な地域の担い手となり、また衰退している第一次産業の後継者にもなりうる。
私も良い試みだと思いますが、持続性に関しては疑問を持っています。石井さんは、まだ三十過ぎなので、四十超えて続けられるのでしょうか?別居している奧さんが子供を欲しがった時にどうするのでしょうか?、というテーマが出てくるのも時間の問題じゃないか?、と思います。
シン
>私も良い試みだと思いますが、持続性に関しては疑問を持っています。石井さんは、まだ三十過ぎなので、四十超えて続けられるのでしょうか?別居している奧さんが子供を欲しがった時にどうするのでしょうか?、というテーマが出てくるのも時間の問題じゃないか?、と思います。
石井あらた氏自身は「一流のニート」を目指しているので、いつまでも現役ニートに固執しそうですが、この人はプレーヤーでありながらも山奥ニートを支援している側のNPO法人の理事も兼ねているので、プレーヤーの持続が難しくなった際には、山奥ニートの中から手頃な人材を後継者として指名して現場を仕切ってもらい、自身は組織人として山奥ニートたちを支援する側に回るんじゃないでしょうかね。
>山奥ニートの中から手頃な人材を後継者として指名して現場を仕切ってもらい、自身は組織人として山奥ニートたちを支援する側に回るんじゃないでしょうかね。
これは見たい展開です。一個人としての持続性がなくとも、組織、思想が続いていくなら、より良いです。ただ、その手のことって、今までも沢山あったんですよね。新しき村、とか、きちんと持続しているものはないと思います。
シン
>ただ、その手のことって、今までも沢山あったんですよね。新しき村、とか、きちんと持続しているものはないと思います。
「新しき村」と対比して考えるなら、「新しき村」が今行き詰っているのは、次世代を担う若者の入村希望者が過去に何人もいたにも関わらず、古参のメンバーたちが入村を拒み続け、超閉鎖的空間にさせてしまったことが原因だと思います。
『どんなコンテンツでも古参による新規ユーザーの参加阻害は、コンテンツ自体を衰退させてしまう。』とは言われますが、「新しき村」はこの良い例ではないでしょうか。
(それでも「新しき村」が1世紀以上も持続できていたことについては評価すべきでしょうね。)
その点、「山奥ニート」では、現状来る者拒まずですし、石井あたら氏を除けば2~3年で人も入れ替わって、組織の新陳代謝もできているので、今の体制が継続するようならとりあえずは大丈夫だと思いますよ。
2、3年の人生の寄り道的な役割りとして新陳代謝しながら残っていくなら、100年後も残っていたと不思議ではないですね。山奥ニートは生涯現役でいられるようなものではないと思います。
シン