リクエストが立て続けに入りました。アリとキリギリスについて書きます。
寓話
本来のストーリーは夏に歌って遊んでいたキリギリスは冬になって困り果てると、アリに助けを求めるが「夏に歌っていたなら、冬は踊ったらどうだい?」と冷たくあしらわれて餓死する、という自己責任の話なんですが、社会が変わっていくとストーリーが捻じ曲げられます。
我々日本人からすると、自己責任社会を生きているアメリカ人が変えているのは面白いな、と思います。ルーズベルト大統領のもとで行われていたニューディール政策に気を使ってディズニーが「アリはキリギリスを助ける」という風に変えているようです。
この手の改変は本当は怖いグリム童話とかで知られていますが、現代社会は「弱者様」を叩くことを許されないのです。特にアメリカのアファーマティブアクションは良く知られており、その方針と違うことを公言すれば、社会的に抹殺されるほど厳しく禁じられています。
役割
真面目な一般庶民をアリとすると、キリギリスって誰なんでしょうか?社会主義的な考えが強い人は資本家をキリギリスだといいたがりますが、実際は資本家の税金によって社会が成り立っていて多くの庶民はろくに税金を払っておらず、フリーライダーだとは言いませんが、受け取っているもののサービスの方が多いでしょう。
だから、資本家は労働者とは違う汗をかいているだけで、遊んでいるわけでもなんでもなく極めて労働熱心なアリだと思います。日本電産、永守オーナーも大金持ちでおじいちゃんなのに完全にワーカホリックですしそういう人はさほど珍しくありません。
相続財産で遊んで暮らしている人も彼、彼女の先祖が何かしらの成功、幸運を手にしたのでそれが許されるわけで誰にも迷惑をかけていません。ルールに従って相続したなら、文句を言われる筋合いがないでしょう。既にたんまり食料を持っているアリです。
芸で生きている人は文字通り歌って踊って生活していますけど、あれは遊んでいるわけではなく仕事をしてます。成功しなければ、野垂れ死にが待っていることを知っていながらリスクとをって収益化に成功した有能な人たちですから、まさしくアリだと思います。
キリギリスの正体は「弱者様」なんですよ。自分を「弱者様」だと認定することで公共のサービスを無料で楽しむだけでなく援助まで受け取っても、まだ足りない、社会が変わるべきだ、といい続けることで冬になっても遊び続けられます。
福祉
でも、私は福祉はいると思うんです。今は健康でも、将来のことはわかりません。第2版で「欝は自己責任」という記事を書いたときに荒れ狂ったんですけど、弱者様って感情的になって暴れる人が多いので荒れます。もちろん、真面目なうつ病の方もコメントされていましたので、全員が暴れる人だとは言いません。
その記事の要旨としては「欝」という病は現在のところ癌のようにがん細胞が増えるとか、高熱が出るようなわかりやすい病ではない申告病です。だから、本人が鬱を申告するなら本人が貯めてきた貯金、保険を使って治療に専念すればいいけど、他人に気を使え、とか生意気だろう?ということです。
ぬるりと生きるにも欝の人って来るんですけど、聞いてもいないのに「自分は欝だ!」と妙に誇らしげに言うんですよ。私が仮に欝だとしたら、出来るだけ言いたくないんですけど、現実では会ったこともない私だから気軽に言うのか?現実でも言っているのか知りませんけど、言って得もないのに公言してなんか偉そうなんですよ。
癌になっても同じですよね?なんで、欝だけ特別扱いされるんですか?「頑張ってね!」と声をかけることも精神的圧迫になるので許されない。「生活保護を受けているなら出来るだけ早く仕事を見つけてね!」ということは言葉の暴力なので許されない。黙って全肯定して見守って社会保障を与えることしか許されないっておかしくないですか?
私も欝に成るかもしれませんよ。でも、そうなったら、自分の裁量で治療を受けるとかして、どうにもならないくらい辛いなら潔く死にますよ。死ぬ、死ぬ、と言って身体を張った自作自演をしながら、死ぬわけでも労働に戻るわけでもなく、最低限のレベルを下げるわけでもないって何様なんだろうな?と思います。
誰もがなりたくて病気にならないし、ハンディキャップを抱えませんから、社会の構成員として支払った、貢献した公共福祉を困った時に使うことは権利だと思いますが、使っていない人に対して感謝の気持ちがいるし、多かれ少なかれ申し訳ない気持ちがないとダメなんじゃないですかね?
まとめ
困った人を助けたい、という気持ちは少なからず私にもあります。でも、それはその人が立ち直ることを願って助けたいだけで、助かる見込みもない、助かる為の努力もしたくないなら、諦めて死んでくださいよ、と言いたくなります。
本来は人間は一人で生まれて、一人で死ぬ。生まれ持ったカードを使いこなして一番有利な戦略を選択しつつ、その場に応じた戦術で生き残りを図っていくものだと思うんです。そして、それがダメなら、諦めて土に戻るしかないでしょう。それが人の一生であり、それを強く信じて足掻いていくのが個の力だと思います。
「俺は欝なんだから、疑問を投げかけるんじゃない!」「私は障害があるから最優先で助けろ!」とか違うじゃないですか?それが生まれ持ったカードなんだから、受け入れていくしかないでしょう?世の中が豊かになったから、そういう恥知らずなことを騒げるだけで、過去の時代なら間引きにあっていましたよ。
精一杯生きるなら、支援者は現れるはずですから、キリギリスからアリになってそれぞれの形で満足のいく人生を歩んで欲しいものです。
記事の主旨は、「鬱となり社会的補助を受けている人は身の程をわきまえろ」という事でしょうか?
鬱による休職者が通うデイケアがあります。会社員であれば
休職中は傷病手当が出るので羨ましいです。公務員は最も手厚く、2年間の休職が認められています。そこに通っている人達は声高に鬱を主張するような人は知る限りいませんでした。復職に向けて毎日デイケアに通い、卒業目指して課題に取り組んでいました。今回の記事は、私の経験ではあまりリアリティを感じません。
「自分がくすぶっているのはメンヘラだからだ。配慮しろ。」という主張がうざいという事でしょうか?
サイコパスなら鬱にならないでしょうし、本人の感受性の問題もあるし、親が冷淡だったりという成育環境の影響が大きいので、自己責任は言い過ぎかと思いますね。自覚してなんとかしようと思っても自助努力でリカバー出来ない程重い事もあります。通院しても日本の精神科は投薬するだけで、精神治療のきちんとしたプログラムを保険で実施できる医院は殆どないといってよい状況です。
私はこういう話題の時、施設で死ぬまで税金で生かされる知的障碍者について思い出します。リアルでそういう人を知ってますが、彼らは一生のうち一瞬も社会に還元しませんからね・・。
鬱だろうが、障害だろうが、癌だろうか、公共の世話になっているんだから身の程をわきまえろ!ってことで、鬱だけを特別扱いする必要はまったくない、と言うことです。鬱に関しては延々と言い訳する人が本当に多いです。現にファンタさんのコメントも鬱中心ですよね?
真面目に社会復帰に取り組んでいるうつ病患者をどうこういうつもりはなく、自己責任で頑張って下さい、と言うだけです。たぶん、話にならないうつ病患者はそういう真面目な取り組みは拒否するんだと思います。
>本人の感受性の問題もあるし、親が冷淡だったりという成育環境の影響が大きいので、自己責任は言い過ぎかと思いますね。
ガン、糖尿病だって遺伝要素はあるし、別に他の病気と変わらないでしょう?それらの病気の人と同じ程度に配慮すべきだけど、それ以上のことをする必要はないと思う、と言うことです。そして、自己責任で治療して貰えばいいです。
シン
私の周りだけかも知りませんが、鬱病を名乗る人がふてぶてしく主張するという場面をリアルで見た事が無いので・・ちょっと記事の言ってる事がイメージ出来ませんでした。ネット限定の話なんでしょうか。ネットでも見た事がなかったので、わざわざ取り上げられるのがよくわからなかったです。癌にせよどんな病にせよ第三者に自分の病名を積極的にアピールするものなのでしょうか?鬱で引きこもって働かない人をバッシングしたシーンで「鬱なんだから動けない、仕方ないだろ!?」と逆切れするという感じですか?
鬱だと電車に乗れなかったり、パニックになって泣き出してしまったり、怒声で体が動かなくなったりという症状は実際あるので家の外に出れない人はいますけどね・・。
言いたいのは、記事の様にリアル鬱の人が自分をもっと保護するように主張するというのを見た事がないので疑問を感じたという事です。荒しではありませんw
特別な配慮を求めないなら良いんじゃないですか?自助努力でなんとかして下さい、と言うだけです。
でも、偽鬱なんかが社会問題になってますし、だらしない人の自己正当化の道具に使われているのは事実なんではないでしょうか?偽癌とか偽糖尿病とかはありえませんしね。本当に鬱の人は気の毒だとは思います。
シン
全くです。
常日頃思っていたことをシンさんに見事に述べてもらいました。
生活保護費で昼間からパチンコやっている人いますが、なんで俺らの税金でおめえらのパチンコ代出さないといけないのかよー。死ねよ。と思ってしまいます。
生活保護費の抜け穴を利用して離婚したように見せかけ2重に受け取っている人もいるようです。
財源も枯渇しているので、本当に必要な人のために厳しく精査してもらいたいです。
鬱になる人って、仕事とかなんかで行き詰って鬱になる、自分では気が付かないでうつ病になっている、まじめな人も多い気がするので、そういう人に対しては、回りが気にしてあげることは必要かなと思います。
>鬱になる人って、仕事とかなんかで行き詰って鬱になる、自分では気が付かないでうつ病になっている、まじめな人も多い気がするので、そういう人に対しては、回りが気にしてあげることは必要かなと思います。
これは体調が明らかに悪そうな人に検査に行ってきなよ!っという気をつかうのと同じだと思うんです。当たり前の配慮をしてあげるだけで、特別扱いしなくて良いと思います。
シン
過去に何人かうつ病の同僚に遭遇してきましたが、うつ病で休職する半年位前からある種の共通の特徴が見られました。あくまでも私の私見で、一般論ではありませんが、紹介します。
休職半年くらいから見られる傾向
・とにかく何でもいいから理由をかこつけて会社を休もうとする。
(妊娠している妻の定期検診の付き添い、妹の結婚式の準備・・・)
・会社に出勤する途中の駅から電話がかかって急に体調が悪くなったから、会社に来れなくなったと連絡がはいる。(大事な会議やプレゼンで絶対に会社に来なければいけない日に多い)
→上記二つの連絡が電話連絡からメール連絡になる。
→それといった事由がなくなると、無断欠勤することも・・・。
・昼休みに誰とも話さず一人で食事を黙々とすませる。食事内容はいつも似通っていて、明らかに栄養が偏っている(毎日コンビニカレー、菓子パンetc)
・髪の毛がぼさぼさだったりと身なりが粗雑になってくる
・無表情で、感情の機微が無い(口元は笑っていても目が笑ってない)
うつ病になりやすい人の特徴
・自分より立場の強い相手には八方美人で、言いたいことを抑える。その一方で、自分よりも立場の弱い相手には強気な態度に出る。(感情のバランスを自分の中でコントロールしきれてない)
つまり、自分に正直に生きて、相手の立場に関係なく健康的に自己主張が出来る人は陥りにくいと思います。
・自分の能力に釣り合わない会社、自分に釣り合わないパートナーなど、等身大の自分から背伸びをする状況に長時間置かれる人も危ないと思います。
世間体を気にしすぎて、無理して有名企業に入る。顔がいいだけのパートナーと無理して関係を継続している。(企業の看板に満足しているだけで会社の仕事を楽しめていない。顔がいいパートナーを連れて歩く自分に陶酔しているだけで、自分はそのパートナーから癒しを得られていない。)
Yさん
私も似たような経験があるので、わかります。能力に見合わない会社と仕事に興味がないこと以外にも体力がないと苦しいかもしれません。
私はダメ人間なので異動でぬくぬく仕事してますが。
確かにうつ病になる人はぬるりと生きてないですね。人の目を気にして自分を抑圧するから鬱になると言っても良いでしょう。他人のことなんて気にせず、自分を貫くサイコパスは鬱になりようがありません。
シン
子供のころに親に勉強しないと蟻とキリギリスのキリギリスみたいに将来困るよと言われたことはあります。
私の解釈は、若い頃にやるべきことをやらないと将来に付けが回るよという意味だと思います。
基本的にはそうなんですが、視点を変えてみました。親の言う努力は的外れが多いよ、という視点でも面白いと思います。何も考えずに一心不乱に偏差値追いかけて、企業格で仕事を選べ、と未だに言う親がいますからね。
シン
そうですね。
私も親に偏差値を追いかけさせられましたからね。
ニッコマ理系くらいが精一杯だったので親に文系を受けるように追い立てられましたね。親のいうことを聞かないで自分で考えて正解でした。
よく考えると相対的に数学や物理を諦めた人が多いなか、ニッコマ理系や四工大って難しいと思うのですよ。
特許の仕事を始めてから高校レベルからいろいろ参考書を見るのですが逆転合格とかいうのは文系ばかりです。
この記事がリクエストならば依頼は蟻とキリギリスの深堀ではないでしょう。仮に依頼者無しの場合はシンさんが記事にしたい事で日頃感じていることで、荒れるのは覚悟の上で議論を進めたかったのか?依頼があった場合は依頼者は鬱や社会的弱者を社会がもっと手厚くすべきだとシンさんに議論を展開して欲しかったのか?ただずっとブログを読んでいる読者ならばシンさんが好意的な記事を書くはずないので、依頼者はこのブログの活性化が目的なのかなと思いました。
記事の内容に異論はありません。
確かにアリとキリギリスの深淵ならニコさんの指摘が正攻法でしょう。リスエストを無視して私の言いたいことに持って行ってしまった感はあります。アファーマティブアクションに対しての私の疑問を議論したいのはあります。
この記事は超常連さんがリスエストされたもので特に流れは指定されてません。ニコさんのような若い頃の努力という路線でも十分かけるので、ご要望があれば、そちらで書いても良いですね。
シン
私も基本的には自己責任論者です。
しかし、この思想が極端な方向に行くと相模原の障害者施設の殺人犯にいきつくので注意が必要です笑
ファンタさんとシンさんのコメントを拝見して少しズレが生じているなと思いコメントします。
ファンタさん:鬱になるのは自己責任ではない
シンさん:鬱になった後は自己責任の範囲で行動すべきだ
と、お互いbefore,afterの片方のみの話をしてるので、噛み合ってないのかな?と思いました。
ちなみに私は両方の意見に賛成で、鬱は資本主義が生んだ弊害だと思ってます。世界で最も忠実に資本主義を実践しているアメリカでは近年精神科医の数が急増しているみたいです。理由は、鬱患者が増えていて需給マッチしているからだそうです。資本主義社会で勝ち上がるには、サイコパス的要素が必須で、残念ながら人間全てがサイコではないので、合理的システムについていけず、ドロップアウトしてしまうのは致し方ないと思います。
一方で、鬱になってからはシンさんの仰る通り自助努力でなんとかせい!って思います。
お互いbefore,afterそれぞれどうお考えなのでしょうか?そこからが議論のスタート地点だと思います。
私も鬱になること自体は仕方ないと思いますよ。癌、糖尿病になるな!っというのが無理なのと同じだと思います。なったら、自己責任でなんとかしなければならないのも同じだと思います。書いたつもりですが、上手くかけてなかったのでしょう。
シン
自助努力でなんとかする能力が低下した状態を鬱というのでは?
よくわかりませんが。。。
まあ、それでも自己責任以外には解決の方法はないわけでして、
もし他己(タコ)責任の方法なんてーもんがあるんなら、
今後の為に知っておきたいもんですねw
他己責任は生活保護になりがちですね。もしくは女性しか使えませんが、夫のステータス、稼ぎに乗っかって逆転することでしょう。
シン
桂梅太郎社長の責任に話が行くかと思いきや。。。
まあでも、存在する制度を活用するのは自己責任の内ですし、一方、制度が不合理なら国民の自己責任の希ガスる所ではありますね。
キリギリスの正体=社会にたかる「弱者」というのは鋭いご指摘ですね。
さて、この寓話は、元はアリは貧窮したキリギリスを追い返し、
キリギリスは野垂れ死んで終わりです。
しかし、シンさんが述べられた通り、アリはキリギリスを
巣に入れ食糧を分けてやり、キリギリスは改心する、
となっている穏当に改変されたパージョンもあります。
この穏当版の続きを考えると、非常に興味深いことになると思います。
というのは、現代の「仕事」は高度化・専門家しており、
例えキリギリスが改心して働き者になったとしても、
労働力として役に立たないことも有り得るからです。
童話の世界の様に「仕事」が食糧集めなら、
健常な身体さえあれば誰でもそれなりにこなせるでしょう。
しかし、現実問題として、例えばキリギリス=中卒中年ニートが
真面目に働く気になったとして、現代の社会で使い物になるでしょうか。
寓話の続きはこんな風になるかもしれません。
改心したキリギリスはアリたちと一緒に一生懸命に働き始めました。
しかし働いたことのないキリギリスは無能でほとんど役に立ちません。
一生懸命に頑張るキリギリスに対し、アリたちは丁寧に仕事を教えました。
しかし、それでもキリギリスは一向に仕事ができるようになりません。
そして……
A. アリたちは遂にキリギリスに見切りを付け、巣から追い出しました。
追い出されたキリギリスは自力で何とか食糧を集め、
巣を作ろうとしましたが、結局何もできずに冬に野垂れ死んでしまいました。
B. アリの巣の中で自分が無能で役立たずな居候である
という現実に耐えられなくなったキリギリスは
自ら命を絶ってしまいました。
アリたちは表面上は同居虫の死を悼みましたが
内心は厄介者が死んでくれてホッとしていました。
C. 無能なキリギリスの教育と補佐にかまけていたせいで、
アリたちは例年通りの食糧を集められませんでした。
冬になると、アリもキリギリスも皆飢えて死んでしまいました。
……いずれにしろ救いのない結末です。
だったら、弱者を中途半端に働かせるより、ベーシックインカムで捨て金を与えて大人しくさせるほうがいいのかな?と思います。
シン
うつ病についてですが、近年「非定型うつ病」というものが流行っているそうです。
通常のうつ病は何もやりたくなくなるのに対し、非定型はやりたいことはするけど、やりたくないことはできない、といった内容です。
この非定型は若い女性の間で特に流行ってるようです。これは「わがまま」ではなく「病気」だから、ちゃんと理解されなきゃいけない、といった記事をみました。
私の身近にはいませんが、これってワガママとしか思えません・・
そもそも人間なんて多少なりにしろ病んでるし、自己防衛が働かなかったのが悪いんじゃないか。と厳しく見てしまいますね。生まれつき貧困などは救済の余地がありますが、自己責任は救済する必要ないと思います。
dwさん
気持ちが乗らないので、有給にしたりとかしますけど毎日調子がいいなんてないですよね。
調子が悪い、やる気がないなりにダラダラとでも仕事をやるんですよね。
「やりたい事しかしない」
自分の事だと思いました。
私はある特定の仕事しかしないのです。
その仕事は一見時間に縛られないフリーランス
(定時に縛られる生活は嫌)、
専門職ですが資格も不要だし誰でも挑戦出来る
門戸の広い仕事です。
割りに合わないので人数調整されるだけで、
これが平均年収くらいもらえるなら、すごい競争となり、おいそれと
仕事を取れないでしょう。
ここ数年さすがに納得いかなくなり、仕事を離れ、
他の真っ当な仕事を本気で探し
ましたが、紆余曲折数年悩んだ末結局戻ってしまいました。
この仕事は、拘束時間も長く、ろくに
寝ることも出来ず休日も取れませんが、
精神的にはまあ耐えられるのです。
一度、勤務時間がきっちり決まっていてホワイトな会社で短期派遣を
してみましたが・・ 時間を浪費してる様に感じてしまい精神的に
ダメでした。
結局この仕事以外、「労働」として自分の時間を捧げるのは気持ち的に無理なようなのです。やりたい事しかしない私なのです。長々と失礼しました。
それは個人の自由だと思いますよ。どんなに薄給でも自分の信念に従ってやりたいことをやって満足できるなら、それ以上に幸せなことはないでしょう。それくらい覚悟を持って取り組むなら、何の実績も上げられなくてもカッコいいです。
でも、新型欝っていうのはそうじゃなくて、「ジャーナリストになりたいけど、大手マスコミ勤務しか嫌だ。」「零細メディア勤務で奴隷労働はしたくない。」「自分の持てる時間をジャーナリズムに出来るだけ捧げてネットで公表するような地道なことはしたくない。」「海外に興味はあるけど、欧米の大都市勤務しか嫌だ。アフリカの僻地は論外」「自分のやりたいことが何にもできないから欝になる。」とか言うのはワガママじゃないの?って話です。
本当にジャーナリストになりたいなら、まったく割に合わない待遇だろうがやればいいし、どんなところでもキャリアに成るなら行けばいいです。でも、それはしたくないなら、駄々こねているクソガキです。
シン
原因がワガママだろうと病気だろうと、
働く気のない者を無理に働かす必要はないと思います。
現代の「仕事」は人海戦術で生産を高めれば良かった時代とは異なり、
意欲のない者、能力の低い者が働くことはむしろ有害です。
そんな連中の仕事を確保するための、本来はする必要のない
「仕事のための仕事」が今の日本には多過ぎます。
パソコン・ネットが使えない老年役員のために、紙とFAXでやり取りをする、
自治体と癒着した業者の仕事を確保するために、要らない箱物を田舎に造る、
新聞社と配達屋の仕事を確保するために、読まれもしない新聞を刷る、
文系アカポスの職を確保するために、Fラン私大を開設する、等々。
思い切ってベーシックインカムを導入し、
本当に自分の能力を社会に活かしたい、と思う者だけが働き、
意欲や能力の乏しい者は、捨扶持と引き換えに引っ込んでいてもらう、
というのも、一種の社会実験として検討に値すると思います。
それは思いますね。何のスキルもない人に無理やり仕事を作るなら、ベーシックインカム出して好きにしたもらったほうが効率がいいです。
シン
ベーシックインカム、ありだとおもいます。
その場合の1人あたり試算はいくらになりますかね。
成人で、月10万+健康保険4万で約15万円程度でしょうか。年金は、いらないですよね。これで生活できるのかな?
これによって、削減できるのは生活保護と、他になにがありますかね。現在の社会保障費ではまかないきれないですね。。
http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%A0
働きたくないなら、大学生みたいな生活して貰えばいいです。なんなら、健康保険も自己負担にして、自己責任ではいるかをどうかを決めてもらい、何の保険もない人は覚悟して無保険で対応、お金が尽きたら死んでもらったらいいです。
シン
ベーシックインカムはありだと思いますが、その場合は居住の自由が制限されても仕方ないように思います。
例えば過疎地の廃校や廃屋を改修した建物に住めば月10万円とか。
そこから出たらお金が支給されなくなるだけなので、憲法にも違反しません。
まあ、過疎自治体が人の呼び込みのために既にやっていることではあるんですが。
>居住の自由が制限されても仕方ないように思います。
これだと居住地制限付きの生活保護みたいなもので、ベーシックインカムの考え方ではないと思います。ベーシックインカムは富裕層も含めて一定額を国民全員に支給するものではないでしょうか?それによって審査、取締り、助言、援助といった行政指導を一切排除して自己責任を即すものだと思います。
シン
居住地制限付きの生活保護、いいと思います。
支出で一番大きいのは住まいにかかるお金なので、そこを削れるのは大きいです。
とにかく、生活保護はなんとしてでも減らさなきゃいけないですね。
定員割れしている公団住宅に住むことを条件に生活保護を支給するとその地区が貧困層だけで固まってスラム化する恐れもありそれは怖いです。
シン
実際に鬱の人の近くにいたことがあります.遺伝的要素が強いのか,母親も鬱の傾向がありました.
長年,生活保護をもらっての生活でしたが,仕事が出来ないのみならず,時たま,母親や他人に対して攻撃性を見せることもあり,親族や近所の人たちではとても対処できませんでした.
もしも,生活保護を出さず,周りの人間がその人に対処しなければならないとしたら,いつきさんのおっしゃるとおり,周りも共倒れです.お金でなんとかなるなら,周りの人間は喜んでお金を出すでしょう.
社会保障というのは,周りの人間が対処する代わりにお金で解決するという面もあるのだと思います.
まさにそれなんですよ。
私の職場である道路建設を例に採ると、一昔前なら
建材を運んだり、土を突き固めたり、土砂を一輪車で運んだり、
といった、単純肉体労働が多くありました。
であれば、鬱だろうが知的障害ボーダーだろうが発達障害だろうが、
どやしつけて無理やり動かせば、ある程度は労働力になったんです。
しかし今は、そういった作業は機械化されて、
それ用の機械の免許と操縦技術を持った者でないと作業ができません。
勿論、単純作業が全くの0になることはないですが、
技術者が片手間にこなせる程度の量です。
単純肉体労働のためだけに人を雇うのは非効率過ぎます。
技術を仕込むにしても、資質の問題でいくら教えても物にならない人はいます。
というか、昔から土木に流れてくる人材はそうした低スペックが大多数で、
「誰にでもできる作業」の需要があったからこそ、
低スペックな食い詰め者でも、「働かざる者食うべからず」と追い込んで
何とか働かせれば社会の役に立つ、という仕組みが成立していた訳です。
しかし今では、一定の水準以下の人材は、むしろ居ない方が効率良く仕事ができます。
そういった方々には、大学生の仕送り程度の金と保険証はあげる代わりに、
余計な仕事はしないで大人しく引きこもってもらい、多少は消費者として
経済を回すことで社会に貢献してもらった方が、お互いのためだろうと思うのです。
「土に戻るしかない」
仰る通りだと思います。
アリとキリギリス、誰もが知ってる童話なのに学ばなかった本人がなにより悪いと思います。
冬が来るのは人生終盤
秋のうちになんとかするべきですね。
それすらも理解できない人は土に返るべきです。