いつの時代にもパラダイムシフトは起こっていてます。それを認識して対応した人は大きな力を持ちます。戦国時代に起こったパラダイムシフトを記事にします。
経済
戦国時代に入ったことで、中央政権である室町幕府は有名無実になると同時に、貴族が持っていた各地に点在していた荘園も現地豪族に接収されます。そのことにより、ルールの一本化がされ、経済活動は活発になっていきます。
貨幣単位の統一、秤の使い方ルール、などが統一されることで、物々交換的な商売から市場の原理に従った時価がつくようになり、同じものを安い場所で買い、高い場所で売る、という行動が即され、経済規模が大きくなりました。
これにより、理財法が確立されていき、物流が管理されていくことで大規模な戦争だったり、公共事業が可能になります。これを最も上手く活かしたのが織田信長であり、豊臣秀吉です。他の戦国大名は太刀打ち不可能になってしまいました。
現代風に言うと、プラットフォームの占拠により、独自の経済圏を確立して、サービスの範囲を広げ、弱小サービスを数の力で自分のプラットフォーム内に飲み込んでしまうようなやり方が主流になってきたのと似ています。
鉄砲
鉄砲の登場以前は弓矢から始まり、槍になり、最後は刀で戦う、という流れだったのですが、鉄砲が圧倒的な存在感を出すようになりました。矢傷では多くの場合、致命傷にならず、その後の破傷風で死んでしまうのが、鉄砲だと急所にあたれば即死です。
攻城戦においては守り側が大量に鉄砲を持っていると近づくことができなくなり、こう着状態になります。そうなると圧倒的な兵力差によって飲み込んでしまうか、包囲して降伏させるしかなくなります。
その鉄砲技術を持つ兵が価値を持つようになり、単なる力自慢はさほど評価されなくなっていきます。雑賀、根来では鉄砲技術を担保にした傭兵集団が形成されて、お金で雇われて戦争に加わるようにもなってきています。
これは現代のプログラミングに当たるのかな?と思います。計算が早いとか、作業速度が速い、という技術はほぼ評価されなくなり、単純作業をプログラミングで存在しなくすることが当たり前になってきました。
茶道
褒賞である土地は有限であり増やすことは出来ず、金銀も採掘には多大な労力が必要です。そこで登場したのが茶道に使う茶器です。土の塊、鉄の塊、木の切れ端程度のものが、土地、城と同等以上の価値を持つようになった不思議です。
信長、秀吉からすると、茶道にそのものに興味があると言うより、その錬金術に魅せられたのだろうと思います。これは使えるな、と思って、どんどんやって行け!っと保護に乗り出すのは経済感覚に優れた彼らであれば当然です。
もちろん、茶室の密室会議は現代のゴルフのようなビジネツールではあったでしょうが、どちらも腕前は下手すぎて周りに迷惑かけなきゃ、大して誰も気にしないのも同じです。参加者が興味あるのは密室で行われる情報交換です。
この現象は暗号資産と同じですよね?何を担保にしているのか怪しい道具がインフルエンサー、千利休の一言で巨万の価値を持つのと、インフルエンサー、イーロンマスク氏の冗談で単なる柴犬電子データに狂ったように現金を注ぎ込むのは何が違うのでしょうか?
まとめ
温故知新とは言いますが、形を変えて同じ現象が繰り返されるものです。その流れに上手くのらないと、大きな力を持つことができません。大きな力を持つどころか、飲み込まれてしまうでしょう。
どんなことが時代に要求され、何をすれば価値を維持、向上できるのか、よく考えてやらないと、すごく努力したけれど、ほとんど評価されない、という残念な結果になってしまいますね。
千利休が 秀吉に切腹命じられたのも 秀吉が茶道自体を愛していたというより、
経済的メリット、部下への人心掌握・自己顕示欲の発露に重きを置いていたと考えると凄い腑に落ちるんですよね。
初期は千利休を立てて 茶道具のブランディング化のために千利休を取り立てて、目論見通り市場価値が出てきて 茶道具も部下への褒賞として機能してくるなど秀吉側にメリットが大きかった。
後年の秀吉は豪華な茶道具などで自己顕示欲を誇示したり、自身が考えた茶道具をブランディング化して価値を高めるなど狙ってたのかもしれませんが、侘び寂びを重んじた 千利休が秀吉の思惑に批判的で、何度も思惑通りにならない 小さなことが積み重なって処刑されるに至ったのかと思いました。 色んな説があるようですけど。
秀吉しかできないような金にあかせたような茶道具を使った茶道などを、上方茶道として 詫び寂びの世界の茶道より上におく発言などをして、配慮していれば、影響力もあるでしょうし
千利休が処刑されずに折り合えたとも思うのですよね。