最近、承認欲求という言葉をよく耳にしますし、承認欲求で動いているのだな、と思う人を見受けられるのでどういうことなのかな?と考えたいと思います。
自己愛
自己愛は何をするのにも大事で自己愛が低すぎると、どんどん堕落していくので多少なりとも自分を高く見積もって、理想の自分に近づくことは人生で非常に重要なことです。だから、自己愛は強すぎない限りは取り立てて問題ないし、誰もが自分が大好きだろうと思います。
私も自分自身が好きだから、好きになりたいから、明日をもっといい日にするために行動していますし、その自分の行動を振り返るためにブログを続けているわけで、それで他人を巻き込んで色んな進歩をしたいと思っています。これも自己愛でしょうし、そういう自分は嫌いではありません。
自己愛の強い人もそれが行き過ぎていないなら、特に珍しいことでも、鬱陶しいことでもないのですが、自己愛の上に何かが色んなものが重なってくると鬱陶しく感じるようになってきます。
承認欲
承認欲の問題点は「他人」にどう思われるのか、という観点からしか自分を評価できないので、自分を見失った状態だといえるでしょう。これは女性に非常に多くて「あなたはどう思うの?」と聞きたくなるくらい常に他人が主語なんです。他人(世間)に褒められることが行動の原点になっているわけです。
やりたいことはフワフワしていて、他人から「すごい!」といわれそうなことなら何でもいい、出来るだけ有名で、華やかな職場で働きたいというわけで、その本業部分については知識がないし、勉強する気もない、と言うことになりがちです。
こうなると、どんなことも一定の時点で伸びなくなってしまいます。何かをする、ということは一定の時点まではレールの上を走れますが、それ以上は自分の美学にしたがって走るしかなくなるからです。誰も行ったことがない領域を目指すならそういうことになります。
芸の類はなんでもそうなんですが、まずは模倣から入ってレールの上を走ってきて一定の時点に達したら自分流を確立させないと、お金を払ってまで見たいもの、経験したいものにはなりません。私の文章も一目見たら「温利が書いたな。」とならないならお金出してまで読まないでしょう?
女性の芸は元から天才の作品以外に一流はほとんどない、という主張はここから来ており、自分のやりたいことでなく他人にどう評価されるか、が指標になっているから自己愛が強いのはいいが、その人の美学があまり見受けられない承認欲ばかりが漲って鬱陶しいものになりがちです。
男性にもたくさんいますが、「意識高い系w」ってなにが「本物の意識高い」と違うかって、前者は他人にどう思われるかだけを気にして世間に評価されそうな、何かそれっぽいことを自分の頭で考えずに行動するので、どんどん矛盾だらけになっていき破綻してしまうのでバカにされるわけです。
生き様
考え方の違いはあれど、生き様がはっきりと伝わってくる場合は多かれ少なかれ評価をされていくんですけど、最初から評価を求めて生き様が決まってくると見苦しいことばかりになってしまって、ほとんど評価は得られない、得られてもどこかの時点で罠にはまって抜けられなくなることがほとんどです。
不特定多数の他人を基準にしているということは軸は存在しない、ということなので、やっていることの軸がどんどんぶれて、何がしたいのかさっぱりわからなくなってくるようになるのが一般的です。考え方が変わる、やり方が変わるのはいいんですが、その軸が変わってしまっては自分が苦しむだけになります。
だから、どんなことをするのにもまずは「好きだから」という損得度外視の感情があって、それを貫くために色んなことをしてみて、徐々に収益化することでメシを食ったり、人を巻き込むだけのパワーを身に着けていくんですが、最初から「好きではない」ことを評価してもらいたいからやるなら本末転倒です。
温利程度のアホでも駄文書いて多少の収益化が出来ているなら自分はもっと出来ると思ってブログを始めるのはいいんですよ。でも、根本的に書くことが好きじゃなきゃ続かないですよ。時給換算したら情けなくなるほど稼げないのがブログですし、ほとんどの芸です。承認されたい、収益化したい、が先行してブログを始めたって半年も続かないでしょう。
臭い言い方をすると、その対象物に愛を感じないようなテーマで芸を始めても全然面白くないんです。無償の愛、という損得度外視した感情が見え隠れしない芸なんて愛せるわけないし、愛がなければ命の次に大切なお金を出せるわけないでしょう?
自分の芸は見せたい、お金を取りたいのに、自分は他人の芸に見たくない、お金を払いたくない、とか考えているなんて愛がないんですよ。その芸が好きじゃないんです。それが文学賞にその文芸雑誌の発行部数以上の応募がある、とか言うバカ話になるわけです。
まとめ
ホリエモンは自己愛が強い人だなぁ、と思いますが、承認欲求はほとんど感じられず、世間にどう思われるか?と観点で発言したり、行動することはありません。単に自分が好きなこと、思うことをひたすら追求するので、いい人ではないと思いますが人間として突き抜けているとは思います。
でも、私が追いかけているWantedly、仲さんって起業家なので自己愛が強いのは当たり前ですが、承認欲求がプンプン匂ってきてまったく美学が感じられないんですよ。IPOまでは規定路線でアメリカにあるサービスをパクって日本風にする、資金繰り、IPOまでの道筋はゴールドマンで学んで、先輩に少し株を与えてきわどい技を教えてもらった、というところまでは来ました。でも、そこから何がしたいのか?まったくわからないんですよ。
女性はどんなに優秀な人でもあくまで他人にどう評価されるのか?という指標から逃れることは出来ず、ほとんどの人が上方婚を諦めることができません。言い換えると、自分自身よりも持ち物の方が圧倒的に重要だということに成ってしまいます。女性は男性の従属物だ、という過去の遺物みたいな考えを自ら肯定してしまっているのはどうなのかな?思います。
男性であっても、他人の真似事、他人の評価を軸に何かして大きなことを成し遂げた人なんてほとんど存在しないことはわかっているはずなのに他人の評価を気にして行動してしまうので上手く行かないし、仮に上手く行ってもどこかで行き詰ってしまい突き抜けないのです。
筋力で劣る以上、女性が「自分を守りきれる男か」を
結婚の判断基準にするのは当たり前ではないでしょうか?
自分を守る力の無い男と結婚する意味がありません。
「上方婚」とはそういう事だと思います。
当たり前といえば当たり前なんですが、そこを超えないと何かで突き抜けることは無理で「女性としては」有能であっても、男性と競って競り勝つようなことはできないでしょう。
シン
男性の多くが持っている出世欲って、モロに承認欲ではないかと思うのですが、どうでしょうか。
基本、出世とは上司から評価されてできるものですから、他人からの評価を気にしない人は組織内での出世は難しいでしょう。
記事が1つ書けるぐらいのネタだったかも知れません。すみません。
サラリーマンの仕事上の出世欲を承認欲と捉えるのか?生存競争と捉えるのか?は一記事分の内容はありますね。考えておきます。
シン
承認欲が男性は出世欲という形で、女性は世間からという形になるだけで、承認欲の強さ自体は男女とも変わらんと思います。
認めて欲しいのに認めてもらえないがため、人は古代から苦しんできたのでしょう。
女性が「世間」という不特定多数な承認を求めるのに対して、男性は「組織」という明確な序列に承認を求めているのでしょうね。どちらも実利のあることではないのですが、なかなか呪縛から逃れられないものですね。
シン
意識高い系は自意識過剰系、自信満々な人は他者の評価を気にしませんから、今は自信が無い人が多いいのでしょう。他人から叩かれるのを極度に怖れるが、目立ちたい、人よりも上に立ちたい思いが承認欲求やマウンティングになるのではないでしょうか?
確かに意識高い系wってスタンスが中途半端で目立ちたいのに叩かれたくない、愛されたいから他人の目ばかり気にした行動を取るのでしょう。
本当に意識高い人は誰がなんと言おうが淡々とやり続けますね。どんなことでも吹っ切ってやり続ける人はかっこいいです。
シン
前に、ある女性とお話をしていてテレビ局で働いている女性って素敵だねって言ってた人がいましたがまさにフワフワしたものしか見てないのだなという印象がありましたね。
また、本業に関係ない資格を取りまくって化粧みたいに着飾るみたいな人も多いと思います。
女性という生き方が容姿がどうか?っていうことが小さい頃からの判断の軸にあるので他人からどう思われるか?ってことが気になるのではないかと思います。
逆に男性の場合は、社会人になるまで他人の評価を全く気にしないような人も少ないけどいて会社に入って苦労してる人がいます。
男性はサラリーマンになったら他人の評価を気にしないと居場所を失い稼げなくなってしまう、というところがあるので単なる承認欲とも違う気がします。でも、序列を上げるための政治活動は承認欲なんでしょう。女性にとって仕事はファッション要素が大きいので、世間体のいいことに終始しがちです。
シン
女性の場合、ファッションのために仕事をする人と、生活のために仕事をする人にはっきり分かれる気がします。
女子アナが典型的ですが、外資系で働くとか欧米に海外留学するとか、通りがよくて見栄を張れるような仕事に就く人は大体が働く必要がないようなお嬢さん育ちで、結婚するための花嫁修業のような形で働いており、エリートの旦那を捕まえたら寿退職か出産退職をし、そのままセレブ主婦コースというのが典型的な勝ち組女子の歩む道です。
でも、ここからが私の言いたいことなのですが、そのようなセレブコースを歩める女性はほんの一握りであり、大体が看護師とか保育士、介護士や会社事務といった地味な仕事を生活のため、子供のためにこなすというのがほとんどの女性が歩むコースだと思います。両者の生活は全く異なるので、接触は業務上接する以外ほとんどないでしょうね。嫌い合っていることも多いでしょう。
まあ、派遣社員でも実家住まいだとそこそこ贅沢な生活を送れるので、セレブでもないのに派手な生活をするなんちゃってセレブも居ますし、庶民の娘でも見てくれがよければ金持ち男性の愛人になるような人も居ますけど、そこまで多いわけでもないです。
シングルインカムで暮らせる家庭が減って、女性も生活のために仕事をすることが求められてきています。なので、すべての女性がファッションで仕事をしている、というような言い方は語弊がありますね。ただ、女性は上方婚によって夫の庇護下で好き勝手したい、という潜在的欲求を多かれ少なかれもっているのだろう、と思います。
シン
シン様
初めまして。
たまたまネットを徘徊していたら興味深い記事を書いていらっしゃったので他の記事も合わせて拝読しております。
『承認欲求』。SNSがこれだけ広まった現在、実によく聞く言葉ですよね。
性別に関係なく、もともと人間が持っている大きな欲求の一つだと思いますが、
SNSの台頭により個人単位で情報の発信をしやすくなったことで、それが顕著に現れるようになったと思っています。
※最近ではそれがとても厄介で、ただの自慢大会になっている面もありますが(笑)
私は職業柄、作品を作り不特定多数の人様に視覚的に見てもらい、それを購入してもらってお金をいただいて生活している部類の人間ですから、絶対に誰かに認めてもらわなければ生きていけないのです。
とはいえ、自分の作風を見る人に合わせていたらいつまでたっても自分の芯はブレたままです。
やっぱり、ただ認めてもらいたいのではなく、『私という個人』を認めてもらいたいわけなので、私は自分の伝えたいものを常に心に置いて作品を作っております。
シン様の仰ることの本質を私が理解できているかどうかわかりませんが、
サラリーマンであれ、アーティストであれ、評価というものを初めから求めていてはいずれ自分の芯も価値(市場価値といってもいいかもしれません)も失っていくのだろうと思います。
駄文、失礼いたしました。
表現で生活している人からコメントを頂けるとは説得力がありますね。私自身も思っていることをまとめて、フィードバックをもらって再考しているので確信があるわけでもありません。
>『私という個人』を認めてもらいたいわけなので、私は自分の伝えたいものを常に心に置いて作品を作っております。
>サラリーマンであれ、アーティストであれ、評価というものを初めから求めていてはいずれ自分の芯も価値(市場価値といってもいいかもしれません)も失っていくのだろうと思います。
この美学がなくなると、どんどんブレていって何がしたいのかわからなくなると思います。プロである以上売ってなんぼなのは間違いないですが、美学なく売れても時間の問題で行き詰まるだろうと思います。売れ線狙う人は次々に現れるので、飽きられるのも早いです。
でも、とにかく売りたい、ということを突き詰めるのもある意味美学だろうと思います。短期間荒稼ぎくらいなら出来るだろうと思います。そこから自分のやりたいことをやってもいいですしね。ファッキューマネーを手にしてから好き放題にやる、というのもありです。お金のための妥協をしなくていいので、悩みが少なくなります。
シン
>私の文章も一目見たら「温利が書いたな。」とならないならお金出してまで読まないでしょう?
私の場合は絵ですが、この域に達するのが本当に難しいですし、また創作のやりがいと面白さがあるところだと思います。
私は全然その域に達していないですが、他の上手い人の絵を見ていてつくづく思います。
ソフトの発達、そしてiPadの登場で絵を楽しむことは格段に身近になりました。
多少の絵心とソフトの操作を知っている人なら、誰でもある程度のクオリティのものは作れます。
でも「その人の描いた絵」という境地には、一朝一夕では到達できないように思います。
結局地道に一枚でも多くの絵を描くしか無いと思い、毎日なにかを描くように心がけています。
描くものが無い日は好きな絵師さんの絵を模写したり、手のデッサンをしたりしています。
(絵の世界では「手は口ほどに物を言う」ので手の上手さや表情が全体のクオリティを大きく左右するように思います。)
野球選手でいうところの素振りみたいなものだと思うのですが、この単純な模写やデッサンがなかなか奥が深くて面白いです。
ぬるりと生きるに出会って、読み深めていくうちに「趣味で絵を描く」という答えにたどり着き、毎日が楽しくなりました w
それまでは転職サイトを覗いたり、需要の怪しい資格に手を出したりとブレまくっていたのですが、「好きなことをただやる」というシンプルな答えを見つけることができました。
絵はずっと続けていきたいと思います。
ごもっともです。
上手いだけの人はどの分野でもいくらでもいますから、その人の味がないと価値はない。味を出すには毎日やるしかない。毎日やれるくらい好きじゃないと続かない、という論法です。
どんな形でも日々が楽しくなるような仕掛けをどんどん作る方が良いですし、このネット時代ではほとんどリスクらしいリスクもなく出来ます。ゴチャゴチャ言い訳する暇があるなら一枚でも書けってことだと思います。試行錯誤するうちに少しずつ応援してくれる人が現れるのだと思います。
シン
現在、話題になってる青山学院ミスコンの準ミスの子が別アカウントを使って、自分を持ち上げたり、グランプリの子や運営を非難していた事件ですが、自己愛と承認欲求を極めるとこんなことになっちゃうんだなぁと思いました。
自分に自信を持つのはいいですが、陰で他人を激しく攻撃したりしだすと、ちょっとしたキッカケで闇堕ちしそうですね。ミスコンなんていうのは自己顕示欲の戦いなのでよほど上手く利用しないと害になりかねません。
シン
>女性の芸は元から天才の作品以外に一流はほとんどない
「一流」の定義が「一般人にも名前の聞こえた成功者」という定義だと何とも言えませんが、
例えば絵を描く事に関して(ここでは油絵など以外のイラスト系という事にします)
女性で幼少から絵を描くのが好きな人は多いですし
好きであるから仕事にする人も多いです。彼女らは承認なんかじゃなく好きだからやっているわけです。そしてプロとして一線を張ってる人に性差は無いです。スタッフィングする側も純粋にその人の持ち味と技量で決めてますよ。むしろ他の職位と違って政治力より実力で決まる事が多いですし。
女性は他人評価で仕事を選ぶと断じる論調はおかしいです。
それと、一流の仕事をするかどうかと上方婚とは関係ないと思います。
>女性で幼少から絵を描くのが好きな人は多いですし、好きであるから仕事にする人も多いです。
>それと、一流の仕事をするかどうかと上方婚とは関係ないと思います。
絵を描く、ということを例にするなら、凄まじいレッドオーシャンでクラッシック、モダン、漫画、イラスト、キャラデザインとやりたい人で溢れかえっており、そこを勝ち抜くなら、突き抜けた才能があるか、ひたすらやり続ける必要があるのでしょうが、夫の傘に入った上で、趣味レベルでやっていく、というなら、やはり一流になるのは無理だと思います。また、他人にどう思われるかで夫のステータスを気にしているような感性の人が芸の分野で一流になるのは基本的に無理です。むしろ、強烈な自意識で世間からかけ離れた自分の感性が絶対だ、と信じ込めるくらい傲慢でないとダメです。
芸の道で一流に成る女性の多くが独身、むしろ自分が夫を養っているような状態です。上方婚で成功した人は思い浮かびませんね。レッドオーシャンで勝ちあがっていく人って、ある意味で狂っているくらい突き抜けてないとダメなので、誰かに養ってもらおうとかしている時点でほぼ成功はしませんね。
趣味レベルは完全に別問題で、そんなレベルなら夫の傘に入っている人の方が好きにやるでしょう。そんなレベルで成功することはまずありません。主婦の芸が一流に成ったことなどありますか?そのレベルの趣味なら、多くの男性は何かしら年単位で取り組んでいる趣味を持っています。女性はその趣味すらほとんどない人も珍しくないです。
>そしてプロとして一線を張ってる人に性差は無いです。
アファーマティブアクションによって少々劣るくらいなら、女性を採用していく、という社会風潮は確立されていますが、それでもほぼどの分野でも一線級は男性なのは性差と言えるでしょう。
>女性は他人評価で仕事を選ぶと断じる論調はおかしいです。
内容でなく、イメージ、勤務地、世間の評価で仕事を選ぶのは女性の方が圧倒的に多いです。そして、所属カースト内という狭い世界を絶対視する人も珍しくありません。
シン
鬼の様な反論が来て驚きました。
私は自分が長く関わっている世界での実感を述べたまでです。
少なくとも、男女が同じ土俵でしのぎを削る世界に置いてトップで活躍するメンバーに性差が無いという事実は反証になると思うのでコメントしました。職業レベルじゃなくて芸術家レベルの話というなら私は良く知りませんが。
上方婚が関係ないと思う根拠は、活躍している女性の多くが結婚している事、私の知る限り全員が自分と同等以上の実力を持つ人間を夫に選んでいる事です。同業結婚なのでいわゆる上方婚とは言え無いかも知れませんが、自分と同様以上の能力の相手を選んでいるというのは上方マインドかと思います。
実力に性差が無いなんてこの業界では当たり前過ぎて意識する事も無いです。それとこの何かにつけて男女に振り分ける論調飽きました。
鬼のような反論はいつものことでしょう?w 今更、驚いたんですか?
実体験をベースに語るのに、自分が知っている分野の名前は出さないのでこれ以上議論は難しいですね。単なる感情論になります。
>それとこの何かにつけて男女に振り分ける論調飽きました。
単に気に入らないだけでしょう?体力、生理による一定ペースでの継続困難、妊娠出産によるキャリアの中断、というわかりきっている事実だけで、一般論としてまともに女性が男性に敵わないことは明白でしょう。でも、物事には例外もあるので、あなた(コメントによってコロコロ名前を変えるのでなんと呼んでいいのかわからないです。)の分野ではそうなのかもしれません。例えば、元から女性が天才の場合(継続の努力で一流になったのではない人)はその限りではないですね。そういう例外が知れるなら、大歓迎ですね。
私は本質に迫りたいので、生、性、お金の話を止めることはないでしょう。昨今の世の中で男女論は危険ですが、人間のトラブルに常に付きまといます。女性の中には男女は本質的に同じで、同じ能力だと言い張る人もいますし、違いを語ることに圧力をかける人も少なくないですが、読者さんが気に入らないから止めることはありません。私の考えが間違っていれば改めるし、今までもそうしてきました。同じテーマだけでは飽きるので、視点は毎回変えますが、基本は同じ流れにあるのは仕方ないです。お金の話もそうですしね。
シン