日本は入試シーズンですね。大学側の採点ミスで人生を狂わせる!っとか騒ぐ人がいますけど、それって違うんじゃないか?と思います。
受験
関西国立大の農学部を受験していた人が大学の採点ミスで不合格になり、東京私立大学の理工学部に通っており、前者に入る権利が1年後に与えられた、と聞いたときにこの人は何がしたかったのかな?と思いました。
もちろん、理工学部にも化学系があるので、農学部に近いことができなくもないですけど、環境、設備という点でいうと、農学部は国立のほうが圧倒的にいいですし、私立大学の化学系は理論、実験くらいしかできず、それがしたいことなら、それもいいのですが、なんかな?と思います。
文系進学で同じ大学の文系学部を乱れ打ちすることはあるんですけど、これは文系が何を勉強するか?でなく、どこで勉強するか?にこだわっているからであり、理系はそれでいいのかな?と思います。単に序列順に受けていくと、合格したことが全然やりたいことができない可能性があります。
私が知る限り、欧米で系統が違う学部を併願する人は少なく、同じ系統以外は出願すらしません。進学系統を決め切れていない人は高校の延長のようなリベラルアーツカレッジに行くとか、進振りが3年次にある大学に進学します。アジアでは何がしたいのかは後回しにして受験勉強だけ進めることはありますね。
統一試験
アメリカはSATという統一試験がありますが、国語と数学の二科目しかありません。もっと受けたい人はSATⅡという試験がありますが、これで学力アピールすることより、勉強以外の何かをアピールしたほうが有利に働きます。タイガーマザーが狂ったようにさほど興味も持っていない音楽を娘にさせていたのはこの事情があります。
シンガポールでは日本のセンター試験に当たる英式ケンブリッジAレベル、という統一試験がありますが、それには点数はついておらず、ABCとランクがついて終わりです。IB(インターナショナルバカロレア)採用校であっても、45点満点の内、3点は課外活動点であり、そんなにはっきりと差が付きません。
独アビトゥーア、仏バカロレアも同じようなもので、論文形式もあるので、はっきりと点数競争をするシステムではなく、点数が足りないから次の年に受けなおす、ということはほとんどなく、例外的に医学部だけは志望者に対して枠が少なすぎるため、し烈な競争があると聞きます。
AO入試
そもそも、日本以外の国はAO入試が多く、大学が個別試験を設けていないことがほとんどです。従って、日本のように大学の採点ミスなんていう問題は発生しないし、審査手順も公開しません。受験者は過去の傾向、大学の特色に合わせて想像して合わせていく必要があります。
そして、点数から順番に入学許可を出さないので、仮にミスがあっても受験者にはわかりません。英米はその傾向が顕著で、レガシー枠とか皇族、貴族、大金持ちの専用枠だとか、外交枠、州民枠、アファーマティブアクション枠とか、様々な要因が絡み合うので、何を基準にして判断してるかはわかりません。
だから、日本のように採点ミスが発覚するどころか、合否判定を公開する学校はありません。アファーマティブアクションに関しては裁判になり、憲法違反の判決が出たそうですが、何にも変わらないだろうと思います。アファーマティブアクションの存在は知られていても、その適応の仕方はトップシークレットなので大学が公表しません。
大学もビジネスなので、企業が応募者の採用、不採用を決めるのと同様に、理由なんていらない。内定を出す、出さないのは大学の自由であり、その内定を受けるか、蹴るかは応募者の自由である、という考えなんですよね。
まとめ
大学の採点ミスで人生を狂わせる、とか考えること自体が馬鹿なことだなぁ、と思います。そんなことは人生でいくらでもあることであり、大学、特に大学名を神聖視しすぎているし、学歴中毒なんですよ。良いおっさん、おばさんがこんなことを真剣に言うなんて苦笑いしか出ません。
たまたま出会った友達に誘われて芸能人になる人だっているし、たまたま出くわした人と仲良くなって結婚、しゃぶり取られてボロボロになって離婚することだってあるでしょう?たまたま目にした雑誌を手にしたことで一生の仕事を決めるかもしれないし、たまたま募集していた会社に入ってこき使われて鬱になるかもしれない。
なんで大学だけが点数を細かく決めて合否を決めるべきなのか理解できませんし、入学許可が出ないなら、縁がなかったと諦めればいいんですよ。別の大学に行けばいいし、同じ系統の大学は別にあるでしょう?どうしても、その大学のその学部に行きたいなら浪人したっていいです。長い人生で1年くらい棒に振っても、それはそれでいいと思います。本人が納得しているなら、多浪で国公立医学部進学にこだわるのも人生です。
何かを選択すれば、何かを失います。その事実を受け止めないから、何かにすがって、それがダメだから自分はダメだと思いこみます。そうじゃないんです。お前がダメなのは学歴がない、序列の高い大学出身でないからではない。お前という人間がダメだから、クソみたいな人生を歩んでいるんだ、と思いますね。
阪大も京大も出題ミスが物理だったので理科のなかで物理ってのは高校の科目のなかで難しい部類になるのでしょうね。
数学は教科書の範囲からしか出せないのと問題と考え方を使い回すことができるのに対し、理科は古い分野の問題を使い回すわけにはいかないだろうと思います。
国語は多少、正解が分かりにくくても悪問で処理されますからね。
その指摘は私の記事が意図することと無関係なので私が採点者ならニコさんのコメントは0点だし、不合格です。科目の出題傾向、難易度そのものを議論したいなら、そういう記事なり、ブログに行ってもらわないと得点、評価になりません。
そういう内容の記事です。ニコさんを責めているのではないですよ。面白い例だと思いました。
シン
私が数年前受験生のときに予備校の先生から聞いたことなのですが、大学の先生は問題を作り採点する中で、ある程度の学力とそれに見合うある程度の点数さえあれば合格でいい、と考えていると言っていました。一点刻みで合否を出すのは定員の都合からで、大学の先生からすれば後継者を探すのに高得点を取る層を確実に受からせてあとはある程度どうでもいいというのが基本的な考えのようです。
今回の採点ミスに関しても大学の先生はどうでもいいと思うのが本音ではないでしょうか。ただでさえ入試問題作成を面倒臭がって早く終わらせたがる人たちです。
日本人は学歴を「頑張ったご褒美」のように考えているから数点の採点ミスで大騒ぎしますが、要は一般人と大学側の考えが違うのではないでしょうか。もちろん大学の先生でも教育的な人は深刻に捉える人もいますが。
>大学の先生からすれば後継者を探すのに高得点を取る層を確実に受からせてあとはある程度どうでもいいというのが基本的な考えのようです。
入試で高得点だから後継者にする、と言うことは無いと思います。そうなら、研究者は全員東大上位合格者になないとおかしいです。学力と専門力も一致しないし、学部の時点では細かく専攻も決まってません。自分の研究室に来るかもわからない人、研究者になるかもわからない人を気にもしてないです。変に目をかけてもポストの確保までしたくないし、少子化の時代に簡単には出来ません。無責任に研究の道に来させても恨まれますからね。政治力をつける為に入試を気にしている人もいますが、そうでない人は研究と関係ない面倒な行事でしょうね。
シン
文系進学で同じ大学の文系学部を乱れ打ちすることはあるんです。
箔つけるためだけに、大学行くなと思いますよ。
その箔も、金の価値はなく、金色の色紙の価値しかありません。
本来、学校って、自分の能力、適正、思い描く職業、その職業の将来性なんかを総合的に考え、次に、その職業につくにはどういう道を取ったら有利かを考えていくものだと思うのですが、採点ミスで不合格になった人は、何をしたいのかよくわかりませんね。
自分のしたいことより、学校のランクを優先的に考える人って、なんだかなーとは思いますね。
日本の入試は一発筆記試験で、私は、それはいいんじゃないかと思います。
AO入試の様にわけわからない採点方法で合否を決められるより平等で、不合格でもあきらめがつきやすいです。
結果的には、より能力の高いものが集まりやすいとも思います。
ついでに言わせてもらえば、経済学部を受験するのに私立の大学で数学必須のところがないのは、なんだかなーと思います。
経済勉強するのに高校で習う科目で一番重要なのは数学だろう。
これを受験科目から外すのは何考えてるんだと思いますよ。
もっとも、数学必須で経済習って社会に出てもよっぽど優秀でなければ経済を習ったところで、食っていくためには、何の役にも立たないことはその通りだとおもいます。
逆に国立の理系特に機電・情報系と建築土木系は入試は数学、物理、英語で十分だと思います。
大学というフレームに入りたいなら、そこに自分を合わせるしかなく、AO入試をするなら、そこに自分を合わせるしかないし、学力入試をするなら、学力をつけるしかありません。そして、採点ミスだろうが、それがフレームの決定なんだから、回答も出す必要ないし、入試点数も出す必要などないと思います。大学の自治ってそういうことだと思いますが、情報公開だ、なんだと、出させるからこういうことになるんですよね。
シン
nobunobuさんに同調しますが、私も一般入試は公平である必要があると考えており、シンさんの言われる大学の欲しい人材を集めたいならAO入試ないし推薦入試の公募枠内で要件をつけて面接で精査すればいいだけではないでしょうか?
今回の件では間違いなくどこの大学でも問題作成・採点の点で不備をおかしており、それを海外の大学の入試はブラックボックス化してるので不備があっても公表しない、という海外の事情に当てはめて考える事に無理があります。少なくとも日本では現行制度上ではペーパーテストで合否がほぼ決まるので、採点ミスで本来は合格だった人が不合格になるのならそれは不合理です。本人他人ともに憤りがあってもおかしくないでしょう。
少し話が脱線するかとは思いますが、大学が欲しい人材を集中的に集めたいなら日本の場合ならAO入試や推薦枠があるのでこちらを用いればいいと思います。(個人的にはAO入試も推薦入試もザル試験で機能していないでしょうけれども・・・)
また、シンさんは大学経営もビジネスと仰っていますが、大学には国庫金が使われているのと国立の場合は設立に国策の絡んでる大学も多々ありますのでビジネスライクな視点で大学運営をしていいのは私立大のみだと思います。
完全に公平になんてなりませんよ。公平にするならマークシート式にしか出来ません。そして、マークシート式自体が公平に学力審査できない、とすら文句が付けられます。論述式なら採点者の裁量の大きく、例えば、上のニコさんのコメントを私はゼロにしますが、多少関連のあることをコメントしている、とするなら部分点を与えられます。数学なら部分点を与えないとある程度難しくて、解答に時間がかかる問題は出せなくなります。そして、その一問で合否が決まりますが、それは公平ですか?とも言えます。
世の中に公平なことなどありません。それでも点数だけで合否を決めるのが最も公平なので、日本がこれを維持するのは良いと思いますが、大学側のミスをしつこく追求するようになると、入試に労力を使いすぎて本来の教育機関としての役割が果たせなくなってきます。本末転倒です。
フレームは自分でルールを決めれば良いんです。推薦、付属校を増やしまくって私立校はどうなりましたか?それは学校の自己責任です。点数にこだわるも、リア充競争にこだわるも、マークシートだろうが、論述だろうが、好きに決めて欲しい人を取れば良いです。そして、その大学のブランド力が結果です。
大学は公平であるべきだとか、甘えんな!っと言いたいです。就活と公平であるべきなのか?企業競争も公平であるべきなのか?と進んでいってそうやって極度の公平を求めた社会主義はもっと酷い腐敗になっていくことは歴史が証明しています。
シン
大学が公平であるべきというよりも試験が公平であるべきです。
完全公平・平等は不可能ですがそれでもそこに近づける必要があり、今の試験制度になっています。
論述式は確かに採点者の裁量が大きく加点・減点具合に影響しますが、それでも同じ組織内の人間が採点するのですから公平と言えると思います。
本筋から逸れましたが、今回の場合は大学の作成した問題そのものに不備、または採点にミスがあり、本来は没問として対応すべきところのものを得点調整をせずに合否を決め、内部・外部からの指摘があったにも関わらず、それを大学が認めずに今に至って大事になっています。該当する受験生は足切りくらったわけでも合格点に足りなかった訳でもなく、本来であれば合格していた人です。シンさんの記事ではこの部分が完全に抜けおちていて全く共感できません。
>今回の場合は大学の作成した問題そのものに不備、または採点にミスがあり、本来は没問として対応すべきところのものを得点調整をせずに合否を決め、内部・外部からの指摘があったにも関わらず、それを大学が認めずに今に至って大事になっています。
私はそんなことを大学が責任を取る必要はないと思っていますし、公表する必要もないです。上にも書いてますが、そういうことをしつこく情報公開させるとキリがなくなります。入試は大学の本業ではありません。
そんなことが当たり前になると、就活でなぜ落ちたのか?を公表する義務が発生しかねませんよ。公務員だから試験の点数、面接評価点数、その理由、客観性など、延々と続きますが、それによって本来の業務である行政業務が滞ることが国益になりますか?という話です。
>該当する受験生は足切りくらったわけでも合格点に足りなかった訳でもなく、本来であれば合格していた人です。
そんなことは世の中にいくらでもあります。たまたまそのへん歩いていて交通事故で死ぬ人もいますし、たまたま出張中に災害にあって死ぬ人もいます。そんなことは世の中からなくなることはないし、そんなことをごちゃごちゃ言う暇があるなら、本来すべきことをしろ!っと言いたくなります。時間が勿体無いです。
シン
>そんなことは世の中にいくらでもあります。たまたまそのへん歩いていて交通事故で死ぬ人もいますし、たまたま出張中に災害にあって死ぬ人もいます。そんなことは世の中からなくなることはないし、そんなことをごちゃごちゃ言う暇があるなら、本来すべきことをしろ!っと言いたくなります。時間が勿体無いです。
申し訳ないですが全く同調できません。と言いますか話をでかくしすぎです。私には論点のすり替えにしか聞こえません。
繰り返しになりますが、今回の場合の問題点は当該大学で入試に不備があったが、問題作成にあたった教授のメンツか大学長のプライドか大学のブランドかは解りませんが、外部からの指摘があったにも関わらずその事を長い期間認めなかった、及び精査しなかった、という1点に尽きます。
話が脱線しますが2015年度の司法試験の答案が漏洩しました。
これもシンさんからすれば起こってもしょうがない事なのでしょうか?またその責任は誰も取る必要がない、と言うのでしょうか?該当の答案漏洩をした教授は起訴されています。在籍していた大学からは懲戒免職をくらっています。今では立派な犯罪者です。シンさんはこれすらも容認しますか?社会じゃ普通にある事だし仕方ないんじゃないの?で済ませるんですか?
今回の場合はここまで酷くありませんが、本来取るべきアフターフォローを蔑ろにし、大なり小なり受験者・関係者に損害を強いているにも関わらず、その責任を大学側は取る必要がないとシンさんはおっしゃいます。全くもって同意できません。
ここまでのシンさんの話を聞いていますと、裏口入学すら是として認めらて当然、と言いたがってると感じられます。
他の方でもいいので教えてください。私は間違ったことを言っていますか?
交通事故、災害は例としてメチャクチャでした。申し訳ないです。
>2015年度の司法試験の答案が漏洩しました。
これはまったくのルール違反なので話が違います。独占業務を持つ国家試験の入試問題を自分の利益のために他人に漏らしたのだから、刑事罰対象でしょう?そして、それを認めると、国家としての信用がなくなり、司法の独立が保てなくなり、法治国家ではなくなります。
>ここまでのシンさんの話を聞いていますと、裏口入学すら是として認めらて当然、と言いたがってると感じられます。
そういうルール設定になっているならいいと思いますよ。英米では権力者子弟の裏口入学は公然の秘密ですし、日本でも私立校は実質的にそうなってます。国立大学でも帰国子女枠なんかは一般枠とはかけ離れた選考してます。そういう意味不明な選考が東大はなくなったにしろ、京大は今でもありますよ。それも糾弾しますか?お金があってバカ高い英語圏の私立校に行ける家庭に有利すぎる!っとわめき散らしますか?そんなの無意味なんですよ。
多かれ少なかれ教育だって商売なんだから、メリットがあるならお金なり、権力との見返りに枠を出せばいいです。一般企業はみんなそうですよ。政治家の子弟を既得権益企業は受け入れるのは世界中どこでも同じです。
日本の国立大学は純粋に商売ではないので、一定のルールは必要ですが、あまりに厳密に適応を求めると、とんでもないコストがかかり、教育の質が落ちますけど、それは本末転倒ではないですか?
ルルさんが今のままの考えで社会に入り、その考えを改めないなら、早い段階で潰れることを保証します。世の中は不公平、理不尽なことの方が多いです。
シン
ルールを整理します。
1) 法律
国のルールなので日本国が決めたルールを守れば、罰則があります。司法試験という独占業務のある資格試験の問題を自分の利益のために漏洩したなら、背任罪になるでしょう。
2) 約束
点数試験で合否を決めます、という約束を大学がするのは法律ではないです。しなくてもいいし、守らなくても罰則はありません。しかし、社会的責任、信用問題として守るべきですから、まったく合格点に到達していない子供を合格にして、到達している子供が不合格になったら大学の信用問題になります。信用を失えば、子供が来なくなり、教育機関として機能しなくなります。
だから、点数試験をしない、上から順番に入学許可を出すわけでない、と断言しているなら、どういう方法で入学許可を出しても、それは大学の自由です。英米の大学は点数試験をするとは表明してませんし、試験方法を公開もしてません。それで、不信感になるなら、誰も来なくなりますが、来ているんだから問題ありません。
推薦、AO、帰国子女、地域枠など、一般入試でないやり方も事前にルール設定していれば、特に問題ではないし、さほど、トラブルにはなりません。
3) 実施
今回の問題、採点ミスは事前に決めたルールが実施しきれなかった、というだけの話で、それを責められても起こるときには起こってしまうので、責めるだけ無駄です。人が作業してミスはあるし、機械だった誤作動することはあります。それを延々と責めると、延々とミスを防ぐためだけにコストをかけるやり方が出来上がります。それはまったくの無駄です。
まとめ
つまり、大学側が法律違反の背任罪をしたかのような騒ぎ方をすると、本末転倒になるってことです。ほんの些細な手違いが、その後の人生に何かしらの影響を与えることはザラにありますし、そういうことを嘆く意味もないです。だから、今回の騒動はギャーギャー騒ぐことでもなく、内で処理すりゃよかった話だと思いますし、不合格になったら子供に伝えることはないし、運が悪かったと諦めてもらうしかありません。
どちらのルートに行っても、その子供の運と能力なりの方向に行くだけで、学歴はそこまで神聖視する価値なんてないし、そういう考えは自分の視界を狭めるだけです。
シン
>そういうルール設定になっているならいいと思いますよ。英米では権力者子弟の裏口入学は公然の秘密ですし、日本でも私立校は実質的にそうなってます。国立大学でも帰国子女枠なんかは一般枠とはかけ離れた選考してます。そういう意味不明な選考が東大はなくなったにしろ、京大は今でもありますよ。それも糾弾しますか?お金があってバカ高い英語圏の私立校に行ける家庭に有利すぎる!っとわめき散らしますか?そんなの無意味なんですよ。
これは(裏口入学)私立大学なら仕方ないしあって当然と考えています。勿論無いに越したことは無いです。私も私立はビジネスとして運営している側面が強いので、運営に膨大な資金や各方面へのコネ等が必要なのは理解しているつもりです。ここで公平性を問うのは無理です。
京大が行っている、という事に関しては大反対ですね。糾弾できる立場にいるなら糾弾しているかもしれません。京大の運営側に私が居るとするならなら反対はするでしょう。
私の情報ソースは大体2chとかになるので、玉石混淆ですし真偽も不明の物が多いですが、議論されていた内容に関しては東大がAOか推薦入試を始めたことに関しては批判多数だったと記憶しています。これが大体の人の認識ではないでしょうか?
>多かれ少なかれ教育だって商売なんだから、メリットがあるならお金なり、権力との見返りに枠を出せばいいです。一般企業はみんなそうですよ。政治家の子弟を既得権益企業は受け入れるのは世界中どこでも同じです。
日本の国立大学は純粋に商売ではないので、一定のルールは必要ですが、あまりに厳密に適応を求めると、とんでもないコストがかかり、教育の質が落ちますけど、それは本末転倒ではないですか?
海外の事情と私立大学・AO入試・推薦入試の事を持ち出すときりがないので割愛させていただきますが、基本的に日本国内では国立大学の一般入試に関してはかなりの透明性が求められています。ゆえにすべての大学ではないでしょうが試験後の得点の開示もあるところもありますし、その為に受験者・大学・国と3者ともに莫大な資金を使ってセンター試験、2次試験を行っています。カンニングなどが発覚すれば一発で受験資格剥奪ですしその透明性と厳密なルール適用に対して更なるコストが必要なのであればそれは当然に必要なものかと考えます。蛇足になりますが受験料を値上げすればいいのではないでしょうか?
総論と言いますか私の結論としましては、シンさんの仰りたい事は私立なら適用されてもよく(無い方がベターだが(要は必要悪))、国立大学での運用は言語道断である、と私は考えます。繰り返しになりますが統一試験を課すのであれば公平・公正が是であり、これはどの試験やスポーツでも変わらないとの結論を私は持っています。
勿論、社会ではそんな事は有り得ないし、シンさんの仰る事の方が多いのは百も承知ですが、この前提が今回は崩れてしまった為これだけ騒がれているのだと思います。
言いたいことはわかりますよ。
私も国立大学は事前にルールを決めて純粋な点数試験にすることが望ましいと思ってます。それが最も公平です。でも、それを決めるのは大学であり、国なんですよ。受験者が騒いでも時間の無駄になります。フレーム側に合った立ち回りをするしかありません。騒いで行政賠償訴訟まで持ち込んだら、何年掛かるかわかりませんよ。それを趣味とする弁護士くらいしか出来ません。
次に上に書いてますが、ルールを完璧になんて実施できないんですよ。それをするには受験料を上げるくらいでは対応できないくらいコストがかかります。ミスがないか?だけを監査する人が必要になり、出題専門の人が必要になり、その人たちが不正をしないか?を見張る人がいる、とか延々と続きます。それが日本の役所、大企業であり、国力が落ちている大きな要因です。
他の記事で書きまくってますが、ある程度の精度まで行くと、それ以上にするのにメチャクチャお金と時間がかかるんです。完璧にしようとすればするほど浪費になるんですよ。それを日本人は理解しないと自滅しますね。
シン
ルルさんのおっしゃることは、心情的には理解できます。
しかし、シンさんがこのブログでずっと述べているように、何事もその作っている製品に対して完璧を期すということは、95%までの完成度に比べものすごい労力を必要とします。ならば、95パーセントまでの完成度で市場に出しその後、問題点を改善していこうという考え方でないと他の企業に市場を取られるというのも本当のことです。
日本企業は完璧を期すというやり方に固執するあまり、外国の企業に負けてきました。
市場に出す前に完璧を狙っていると負けるのです。
入試も同じで完璧なものを作るのは相当の努力を要すると思います。そのために、労力を割くものでもないと思います。
本来取るべきアフターフォローを蔑ろにし、大なり小なり受験者・関係者に損害を強いているにも関わらず、その責任を大学側は取る必要がないとシンさんはおっしゃいます。
製品については、改善しながら、より良い製品を供給しないと消費者から干されます。しかし大学受験においては、選ぶ側はあくまでも大学側です。
今回のようなエラーも当然発生することはありますが、日本の一般入試は、平等だと思います。
本来合格したであろう受験生が不合格になったのは残念ではありますが、他の大学で頑張ってもらえばいいことで一生の間で見れば、大したことはありません。
問題は、その受験生がどういう信念で受験したかということの方が大事です。
感情を優先させず、全体の利益を考えるべきだってことなんですよ。一人救うために部隊を全滅させるつもりですか?という話です。幹部は後味悪くても、全体を救う為に黙っていなければならないこともあります。
>本来取るべきアフターフォローを蔑ろにし、大なり小なり受験者・関係者に損害を強いているにも関わらず、その責任を大学側は取る必要がないとシンさんはおっしゃいます。
システムエラーならともかく、単なるケアレスミスなのでミスを公表する必要はないと思いますよ。そもそも、大学は選ぶ側であり、選考基準を公表するのも任意です。今回の件でどうでもいい事務作業が膨大に増えるでしょうが、それは国税を使うんですが、それでも公表すべきなんですかね?こんなバカなことをしてどんなメリットがありますか?日本の国立大学なんて他に例がないくらい公平なのに、更に完璧を求めて本末転倒にするんでしょうか?となります。
この辺が日本人らしいな、と思います。アングロサクソンはそんなことをそもそも公表しませんし、ミスも出来うる限り認めません。それどころか、システムエラー、不正すら誤魔化します。そして、仕方なく認めて大盤振る舞いして気前がいい振りします。iPhoneのバッテリー問題なんてまさにこのケースでした。完全に不正していて、それが暴かれてから認めて、タダ、格安で交換するから騒ぐなよwとなだめてしまいました。これが必要だと思います。
トータルで見てどっちが得か?という話です。更なる公平を目指して時間とお金を浪費し、ケアレスミスによる不合格者に税金を使って転居させ、毎年、多くの不合格者から開示請求を受け付けていたら、そのうち答案用紙そのもの、部分点の付け方まで騒ぎ立てられるんじゃないでしょうか?だったら、黙っている方がいいです。
ルルさんの言いたいことはわからなくもないですが、ミスを潔く認めて誰が得をしますか?国税は浪費され、受験者は疑心暗鬼になり、間違いによる不合格者は知らなければそのまま流れたことで悩むことになります。気持ちいいのは告発者だけです。
これじゃ、日本は食い物にされるなぁ、と思います。今までもされて来たし、これからもされて、どうもならなくなるほど落ちぶれるのかなぁ、と思います。
シン
日本が食い物にされるのは悲しいですね。私は日本人ですが、アメリカ人や華僑の立ち回りってカッコいいなと思います。日本人的正義側からみれば、不公平であり狡いのかもしれませんが、彼ら以上の結果を出せないならば、狡さを糾弾する権利も場所も与えられないのかなと思います。
>彼ら以上の結果を出せないならば、狡さを糾弾する権利も場所も与えられないのかなと思います。
結果が出てなきゃ、正義も全く響かないんですよね。何のメリットもない正義感を振りかざして、結果が出ないなら惨めなだけです。
シン
先ず、この度シンさんはフレームという言葉を多様されています。
枠組みの事と私は理解していますが、点数で争う試験に対し、回答不能に近い問題が出題されています。これは私はフレームが歪んでいる、と認識します。歪んでいるなら正すべきです。
次に、今回の責任を取る取らないというのは当事者ではないので意見しませんが、今回の試験の問題は今後赤本なり青本なりの過去問集に間違いなく収録されるでしょう。そこで今後の多くの受験生なり指導者がその問題を見る事になるでしょう。そういう意味で問題を作成した大学に責任が無い、とは言えないです。もっと言えば受験側は採点側に幾ばくかの受験料の支払いを行っています。これは金銭の授受も発生している契約行為ですのでやはり責任が伴います。
その上でですが、シンさんのご意見と言いますか発言されている内容は余りにもでかすぎます。私にしてみれば不公正な試験が行われてしまったのでそれを是正すべきだ、であるなら問題作成、答案のチェック機能を今までよりも正確にすべき、最低でも今まで以上のものを用意すべき、で結論が出ます。
別にアングロサクソンがどうだ、とか外国の大学がどうだ、とか日本が食い物にされる、なんて事はどうでもいいんですよ。
要は今回起こってしまった事を反省し、今後は不備不正のない統一試験を行い厳正な審査を行って欲しい、と言ってるだけです。少なくとも今後は今までよりもチェック機能、機会は多くなるでしょう。100%は勿論無理ですが今まで以上はできる筈です。
また、今回の記事内容は余りにも大学側・ビジネス寄りになりすぎてます。ここまで読んできましたが受験生に対して気の毒だ、というニュアンスの言葉が1つも見つかりません。本記事も確認しましたがダメだったのだから浪人すればいいだろう?とぶった切ってしまっているだけで本来は必要のない1年であり、これは理不尽であり当事者なら怒るのが当然です。私が検索した範囲では
あんまり長く言い合うのも他の方に悪いのでこれで最後にしますが、これが私の今回思った本音です。
私もこれでお終いにするのでハッキリ言いますね。
>ここまで読んできましたが受験生に対して気の毒だ、というニュアンスの言葉が1つも見つかりません。
私は気の毒だと思ってませんし、こんなバカなことで騒いで税金使うことをアホくさいとしか思いません。今以上に公平にする為にコストをたんまりかけて万全にして行こう!とか言って、誰がそのコストを払うの?それは税金ですよ。それで誰の為になりますか?
多分、ルルさんにとっては学歴とは世の中で最も大事なもので、それがミスによって序列が下がってしまったことはとてつもなく大きなことなんでしょう。そういう学生はよくいるので理解できます。
でも、就職すると学歴なんてどうでも良くなって来ますよ。そうならない人もいますが、そういう人は学歴しか拠り所のないつまらない人です。お金はない、仕事にやり甲斐はない、生き甲斐も感じてないから、序列作って自分の下を見て悦に浸ることでしか、自分のつまらないプライドを守れないんです。
いくら説明しても、この感覚は社会に出ないとわからないんだろうと思います。そして、社会に出ればこの程度の理不尽なんて日常茶飯事です。どこの大学出てようがパワハラ受けることはあるし、仕事はキツイです。公平、平等の為にメリットもないのに無駄なコストをかけることなんて社会ではあり得ません。
いい加減に目を覚ました方がいいですよ。学歴なんて目的に対するツールでしかないです。拘ったところでそれ自体は1円にもなりません。その一番大きな目的とはお金もらって生活していくことです。貧乏人はずっと学生ではいられません。奨学金という名の学資ローンをたんまり借りて、年齢に見合った経歴がなければ、どんなに序列の高い大学出ていようが仕事がまともに見つからなくなります。職歴なくストレートに対して文系なら2年遅れ、理系ですら4年遅れ超えたらアウトです。外資でも似たようなものです。今更、元の志望校にやっぱり入れてやる、とか言い出すことで、逆に人生を狂わせかねませんよ。日本企業は遅れた理由と平気で聞いてきますし、蒸し返されます。本人のためになりますか?そうなれば、人生は自分で借りた借金すら返せない、腐ったものになっていきます。前向いて行くしかないんです。私は気の毒に思うのでなく、悔しければ、今の学校でもっと勉強しなよ、と言いたいです。それしか、本当の意味で乗り越えることは出来ません。
シン
国立大学の入試では、理系でも古文・漢文がいりますね。
エンジニアになった後で、古文・漢文が役に立つ場面なんて無いと思いますね。
理系の入試では、古文・漢文の科目を削除しても良いと私は考えますね。
意味あるか、必要とするかを決めるのは大学で良いと思いますよ。それが嫌なら子供は受けなきゃ良いんです。そして、人気がなくなりゃ、それは大学の責任です。
シン
やはり、学歴ネタになると、議論湧いて面白いですね。今回はシンさんの仰ることには総論賛成です。ただ、各論ではルルさんに近い考えです。
まず、総論部分は、仰るように大学名など入社試験で有利なだけで、将来の成功と収入にはほとんど関係ないという私も思います。
このへんのことは『日本人の9割が知らない遺伝の真実』安藤寿康という本で、研究結果が紹介されていました。
成功者の進路選択に関して偶然がかなり影響していることも『キャリア教育のウソ』児美川孝一郎で、研究が紹介されていました。
引用は省きますが、シンさんの仰るように、実力社会においては、もはや大学名は「無意味であるべき」(無意味とは言っていません。アメリカは超学歴社会ですよね)だと思います。
各論については、
(1)一般入試の公平性について
教育については生徒の「学び」と「評価」は一対ですので、適正な評価が必要になります。もちろん、教員も評価が不完全であるのを知っていると思います。
ただ、主観を完全に取り除くのは無理です。ですから、大人数が納得し時間の試練に耐えた妥協案で評価基準を作っていると思います。このへんは会計のGAAPと同じでしょうか。
決まった評価基準に従って、あとは客観的に徹底的にお役所的にやらざるを得ないと思います。決まったことですので、下っ端事務員はミスは許されません。
この辺が非効率な、てにをは、誤字脱字チェック、日本人本領発揮です。これ、仕方ないです。制度変えないと。
(2)大学側の自由な裁量での入試について
多額の寄付金、人種、宗教など、これで選別がでにそうなのは、日本では私学くらいでしょう。国公立では、不公平度合いが強すぎるので無理でしょう。
一発勝負ではない、高校時代の長いスパンでの学業・生活を評価するのがアメリカ的な入試だとすると、日本も2021年辺りから大学入試を変えるようです。
複数回受験可能な英語テストと暗記マシーンではない「考える力」を測るものになりそうです。
仮にどんなに客観性を担保したとしても、ほとんどの日本人にとって唯一頑張った経験が大学入試でしょうから、感情的になるのは仕方ないと思ったりもします。
本来はシンさんが仰るように、大学入試など鼻で笑い飛ばせればいいのですがw
学歴コンプレックスで未だに大学受験する芸能人見ると、なかなかそうもいかないのでしょうねw
>決まったことですので、下っ端事務員はミスは許されません。この辺が非効率な、てにをは、誤字脱字チェック、日本人本領発揮です。これ、仕方ないです。制度変えないと。
根本的な間違いがあって、まったくルールを反映されてないなら問題ですけど、たかが1点、2点差がついて合否を分けてしまったなんてことはザラにあります。それこそ、論述の部分点の1点、2点を細かくごちゃごちゃ言う入試官僚wみたいな専任がいりますよ。それは大学の仕事ですか?と聞きたくなります。
>仮にどんなに客観性を担保したとしても、ほとんどの日本人にとって唯一頑張った経験が大学入試でしょうから、感情的になるのは仕方ないと思ったりもします。
今の日本人は不平等に慣れてないんですよね。戦後、延々と平等教育をしてきましたから、全員に等しく機会があるべきだと信じ込んでます。そして、社会に出て初めて、不平等であることを知ります。こんなことを言う私とて若い頃はコネ採用に怒りを覚えていたアホでしたw 若い人が感情的になるのはわかるんですよ。でも、それは間違っていると言いたいです。それは仕方ないと諦めて持って生まれたカードを上手く使って、人事を尽くして天命を待つ、というスタンスでないと結果は出ません。
シン
宋代の科挙の時代からもそうですが、大学入試も不平等といえなくはないですよね。
お金があって予備校や参考書に投資できる親が有利ってのはあります。東大でも金持ちのご子息が多いです。
また、教育困難校だとバイトしないと授業料や教材費が払えない生徒であったりしますので入試も平等に見えて不平等ですよね。
突き詰めれば、生まれた家の環境が平等ではないという観点からアファーマティブアクションがあるわけでキリがなくなります。適当に線引きして、それ以上は踏み込ませないようにすべきで、今回のようにほんの僅かな点差、ミスを公表してしまったのは泥沼になりかねない決断だったと思います。続々と情報開示を求める人が現れて、その為の時間、人が必要になりかねません。
シン
たしかに、生まれながら不平等ですよね。自分の容姿、知能、親の経済力、等々。
結局、用意ドン!で競争させて、当局が優劣ハッキリさせるために。同じスタートラインに立たせて、一定のルールで形式的にやらせてるだけですよね。
これを箱の中の運動場の我々は、平等と思っているだけで。
知らないって、幸せですよ。
愛知県の公立高校の推薦入試に生活保護家庭、片親向けの枠、施設の子向けの推薦がありますね。
進学校なら生徒会長やるよりこの推薦が一番合格しやすいと聞いたことあります。
学費の安い公立ならではの配慮ですね。
そこまで支援があり、私立の無償化はちょっとないんじゃないか?と思います。
試験は公平であるべき、的な論調が多いのがいかにも日本人らしいなあ、と思いました。
平等絶対主義かつ教育を神聖視しすぎてますね。
大学だって商売でやってるわけですからね。
こっち(受験生)は選んでもらう立場であることを理解できてないんでしょうw
そもそも社会に出れば公平とか平等とか存在しないわけで、運が悪かった、と一足早く社会勉強した、と思うべきでしょう。
この話は単に起こり得ることが起きちゃった、そしてバレちゃったということじゃないでしょうか。
割を食った学生の扱いを議論するのはともかく、大学側、運営側を批判したところで何も生まれないと思います。再発防止策の議論なんて時間の無駄で採点を間違えないような出題形式に変わるだけでそれこそ本末転倒でしょう。
今は入試の得点開示があるようですが、それでも模試のように採点基準が公開され、部分点まで採点された答案が返却されるわけじゃないでしょう。合否が決まったあとに知って何の意味があるの?と思います。果たしてたったこれだけの透明性の維持のためにコストを掛ける価値があるのでしょうか。
日本の入試制度は落ちこぼれようが多少貧乏であろうが、特定期間その気になって点数を上げることのみに集中すればそれなりに何とかなりますから、それだけでも相当公平ですし、自力で何とかなる最後の機会かもしれません。クズな私が言うのもなんですが、それを認識した上で今後生きていけるかが重要だと思います。
そうなんですよ。すでにかなり公平なシステムなのに、もっと、もっと、と詰めていくと、不要なコストばかりがかかって来て、本来の仕事ができなくなりますけど、それで良いですか?という話です。
日本人にとって入試は人生最後の比較的公平な競争で戦える機会なので感情的になる気持ちはわからなくもないですが、そこに拘るより、さっさと前に向かって進んだ方がいいです。
その拘ってた子供が農学部に落ちて、理工学部に行っていたのはなんかなぁ、と思ったんですよね。国立農学部の環境がいいと思うなら、後期で少しランク落として行けばいいのに、なんで理工学部なのかな?と思いましたね。こういうのは日本独特だよなぁ、とも思いましたね。
シン
想像になりますが、理工学部に行ったのは周りの大人の影響が大きかったのかなと思います。関西の子じゃないようなので、これからどうするのか家族会議になるんでしょう。
国立大学の学費は30年位前と比べてほぼ2倍になっていますが、親世代の収入はほとんど変わっていません。私立大との格差是正、公平化の結果がこれですからね。公平さを訴えたところで、もともとそんなものは存在しないんですからどうしても歪むんですよ。
>公平さを訴えたところで、もともとそんなものは存在しないんですからどうしても歪むんですよ。
そうなんです。公平さを訴え続ければ、続けるほど、意味のないお金と時間が費やされ、本来の目的、最大幸福から遠ざかってしまうんですよね。
シン
テ―マとしている大学の『採点ミス』なんですが、よくよく報道を見てみると採点ミスではなく単に大学側の『出題ミス』の話です。
焦点となっている大学側が出した問題は選択肢の中から回答を選ぶ選択問題でしたが
『条件設定が不十分だったため、二つの解答から正答が選べなくなっていた』との事です。
よって袋小路の問題を出してしまった大学側に非があって、受験生側に同情の余地が集まるのは致し方ないと思います。
ですので、 既出している面接、論文、AO入試といった採点方法がブラックボックス化していて評価軸の幅が広い試験と今回の選択問題のように誰が採点しても個人の裁量を挟む余地はなく、回答が当たってれば○、間違ってれば×の試験とを同列に語ることに違和感を感じます。
ちなみに冒頭の
大学側の採点ミスで人生を狂わせる!っとか騒ぐ人がいますけど、それって違うんじゃないか?と思います。
という意見には賛同してます。
偏差値順に志望校を当てはめてって卒業後の進路が不透明な学生にとっては、長い人生で見たら大勢に影響はないと思いますので。
>テ―マとしている大学の『採点ミス』なんですが、よくよく報道を見てみると採点ミスではなく単に大学側の『出題ミス』の話です。
こんなことは事前に決まっているルール違反をしたわけでもなく、どんなに気をつけていても起こりうる話なので、そこをひたすら叩いて大学が入試官僚wを必要とするまで細かいことにこだわるようになってもいいのですか?って話です。そうやった結果、日本の国力は落ちているんですよね。
>偏差値順に志望校を当てはめてって卒業後の進路が不透明な学生にとっては、長い人生で見たら大勢に影響はないと思いますので。
何がしたいのかすらわからずに偏差値順に志望校を決めるような子供の将来なんて知れたものだろうと思います。どっちのルートでも、毎日愚痴を吐いてイヤイヤ仕事をする、しがないリーマンでもするより他にないと思います。
逆にはっきり志望が決まっている子どもは多少筋道が変わっても最終的には同じルートに進んで行くだろうと思います。
極少数の天才、天運を持っている子供は学校教育すら意味ないので、大学入試なんて何の意味もないだろうと思います。
シン
私は多少の採点ミスなど、問題にすることではないと思います。
人間がやることに全くの平等・公平など現実的に有り得ません。
成績が合格点を大幅に上回っている受験生を不合格にした、
作為的に採点を改変した、というなら問題ですが、
数点の採点ミスなど、大勢に影響はありません。
大体、その程度のミスで不合格になるということは、
そもそも志望校のレベルに対して十分な学力ではなかった、ということです。
ギリギリの成績で合格したとしても、入学後に授業についていけなくなると、
理系の場合は巻き返しが困難になって、留年・退学など悲惨なことになります。
文系はバカでクズなので、入ってしまえば何とでもなりますが、
大学のネームバリューしか誇れる物のない文系など、最初から終わっています。
受験生に向けて以下の言葉を送りたいです。
「入試を含めて、何事にも理不尽な不確定要素は存在する。
だが、圧倒的な実力の前では、それは許容範囲の誤差となる」
話の流れが「学歴なんて関係ない」から「学歴なんてどうでもいい」に昇華してませんか。
学歴なんて高いに越したことないです。モテやすくなるし、周りからの評価が高くなるし、その後の人生が大きく戦いやすくなりますよ。人生は仕事だけではないです。
なんだかんだいっても、世の中には学歴や会社の格を重視する人が多いです。それらに無駄にマウンティングされないように、学歴はできるだけ高いほうがいいと思いますけどね。学歴に振り回されすぎないようにするのが大切なだけで、入れるならできるだけ高いところに入るほうが良いです。
渦中の学生については、国立のほうが学費も安いし、入れたところに入れなかったっていうのは、素直に気の毒だなと思います。でも、それとこれから多大な税金を使うかどうかは別問題です。
確かに脱線してますね。
私の意図としては学歴なんてどうでもいい、と言うことではなく、何をしたいのか?と言うことがハッキリしているなら進むルートは同じだろう?と言うことです。元々の志望校に修士なり、博士なりで進んでもいいです。もっとレベルの高い環境を目指してもいいです。私は農学部に行きたかったはずなのに、理工学部に在籍している、という事が気になりましたね。それって偏差値順に受けてない?と思ったんですよね。それじゃ、農学部に入る権利を取り戻しても活かすこともできないでしょう?と思います。
シン
ツイッターで、
大阪府立大工学部の学生が、大阪大工学部に本来なら合格だったという通知が来たことを明かしたうえで、
仲のいい友達もできたし、また一回生をやるのは時間の無駄だから、この大学でやっていく、というツイートをしていました。
それに対して、無関係の人が、日本は学歴社会だから、大阪大に入学した方がいい、といった内容のリプライをしていて、
自分の事をよく知りもしない人間に、クソみたいな一般論を言われる事ほどウザい事はないと感じました。
また、記事の内容とはズレてしまいますが、推薦は実力じゃないからダメだ、という風潮は、とても害悪だと思います。
推薦に限らず、日本の無駄に努力するのが偉いという風潮は、大嫌いです。
理系は推薦だと授業についていけないという意見は、よく聞きますが、
推薦でも大学で必要な学力をつけるための勉強をしてきた人なら、問題ないです。
大学の成績は、数学や物理の基礎学力があれば、あとは真面目にやったかどうかで決まるので、
入試では下位でも成績が良かったり、その逆のパターンも珍しくはないです。
また、大学の勉強が実務で役に立つわけではないので、成績は重視しない企業も意外と多いらしいです。
わざわざツイートみつけて「日本は学歴社会だから大阪大学に行ったほうがいい」とかリツイートする人は学歴中毒なんでしょうねw 無関係な他人から薄っぺらい一般論言われてもウザいだけです。本人の好きなようにすればいいし、本人の志の高さなりの着地点にしか行きません。
どんな選抜方式で入ろうが、入って目標を持ってきちんと努力をし続けるならそれでいいし、入るまでは努力したけど、入ったらそれで満足して目標はなく単位を取るだけの惰性で学校に通っているなら時間の無駄です。就職することもゴールではないですし、死ぬまで何かしらの勉強ですからね。
シン
文科省が入試問題の解答を公表するようルールを決めたようですね。
公表自体は賛成ですが、運用が難しいと思います。
公表後3日間のみ、予備校及び教員の身分証付きなら指摘を受け入れる、審議結果も公表し、不適切ならボツ問題とする。
これらが終わってから合格発表、という感じなら何とかなるでしょうか。
指摘を無制限にすると、回らなくなります。
少しテーマとは脱線しますが、医療ミスも過剰にたたくと外科医などの医療ミスのリスクが高い診療科の希望者が減るので悩ましいですね。
明らかな隠蔽工作や薬害エイズなどの明らかに方向性を逸した薬の投与などに関しては懲役刑はやむなしですが・・・。
最近のお医者さんの中には弁護士資格を取得される方もいらっしゃいますね。