国語、という言い方って、日本人にとっては日本語に他ならないんですけど、シンガポール人に国語と言う概念はありませんし、アメリカも英語を公用語として正式に定める憲法はありません。そうなってくると、曖昧な土壌にたった存在だな、と思います。
固有
日本人は原則として単一民族であり、アイヌ、沖縄ネイティブなんかを除けば、大和民族です。その大和民族も大陸系、南方系と別れているらしいですが、文化的に見ると中央政権が確立されて、一定の統一感を持って文化形成された国です。
そういう我々からしてみると、日本人が日本語を使うのは当たり前のことであり、空気の吸うくらい自然なことです。ネイティブ日本人で日本語として成立しないくらいおかしな日本語を話す人はいませんし、その能力は最低水準を満たしています。(頭がおかしい日本人で会話が通じないことはありますけどねw そういう人は何語でも無理でしょう。)
だから、日本人は外国人がつたない日本語を話すのは好意的に受け取っても、自分達と同じだとは思っていないし、日本人の見た目をして日本語がおかしい人はかなりバカにされますし、一般的な職業だとまともに勤まりません。
日本人の帰国子女などで日本語以外を教育言語のメインにして育った人が大人になって帰国したら、大卒レベルの仕事では奇異な目で見られて終われるように辞めていくと思います。単純な文法ミスが連発しているような報告書が上がってきたら、見捨てられるでしょう。
教育
言語の数はたくさんありますが、一定レベルまでの教育(中等教育)までを行うに耐えられる教材、語彙がある言語は少なく、欧州発祥の言語を除くと、日本語、韓国語、中国語、ベトナム語、タイ語(ギリギリ)などの儒教圏くらいしかありません。中国の影響によって文字、書物の文化が根付いたからでしょう。
他のアジアに目を向けると、バハサマラーユ、インドネシア、タガログ語は口語をアルファベットに当てはめただけの人工語であり、中等教育レベルで英語の語彙を使って教育しています。科学関係の語彙が元からないので、造語するよりも英語を代用したほうが楽だそうですね。
インドは古い歴史、文学があるにしろ、国内の混乱した言語環境から統一言語が発生せず、事実上の英語公用語状態になっています。ヒンディー語がわからないインド人はざらにいます。これはインド文化圏であるパキスタン、バングラデッシュ、ネパールあたりでも同じですね。
宗教色の強い、ブータン、アラブ諸国だと、あまりにも国語の語彙が宗教に偏りすぎていて、現代教育で必須語彙が足らないので、これも実質的には英語を教育言語として採用しています。旧フランス植民地だと、フランス語を教育言語として採用しています。
欧州の教育レベルは高いが、母語話者の少ない北欧語だと、中等教育までは国語で出来ても、高等教育からは英語を採用、ということになり、その傾向はどんどん広がってきています。
これらは母国語では教育の都合上、それで突き通すことが出来ないわけで、日本語で突き通すことが出来る日本人はラッキーな部類だと言っていいでしょう。そうでない場合、学力以前に言語能力が低い人は教育の機会を制限されてしまいます。
仕事
徐々にビジネスの範囲が大きくなっていくと、メールのやり取りは英語になっていくだろうと思います。日本人同士でも英語で記録を残しておけば、その後に読む人間が日本語がわからなくても、引継ぎがしやすいからです。
日本企業はタイに多くの拠点を持っています。口語レベルでタイ語を話せるようになる日本人駐在員は少なくないですが、やはりメールは英語で書きますね。タイ語を書くのはかなり難しいですし、仮に書ける人が担当していても、次の担当者が書けるとは限りませんしね。
楽天のような国内向けECを主戦場とした会社が社内公用語を英語にする意味はあまりないでしょうが、楽天の海外事業管理部は日本人同士でも英語でメールしたほうがいいだろうと思います。でも、日本人同士で英語で話しても、齟齬をきたすだけで効率が悪いだろうと思います。
でも、トヨタ自動車のように売上の半分以上が海外に依存しており、北米を主戦場とする会社なら、記録を出来るだけ英語で残すようにしたほうが、後々楽だろうと思います。国内の過去の事例を調べて、海外展開する時に圧倒的に楽になりますしね。
どんどん外国人が増えるごとに社内のコミュニケーション、特に文書は英語か啜るのだろうと思います。学術なんかはとっくに英語で書くのが当然になっていますし、いっぱしの研究者なら、英語論文も書けない、読めないなんて終わっています。でも、話せない人はたくさんいますw
まとめ
母国語、という観点で日本語を見たら、やはり中等教育までに徹底的にやるべきものであり、高等教育、研究、ビジネスは英語化していくのだろうと思います。フランス語にプライドを持っていたフランス人も英語化してきていますし、元からゲルマン語派のドイツ語話者は習得が簡単なので、積極的に英語を話したがるようになってきています。
日本語そのものを専門とするような人を別にしたら、高度な語彙はなくてもいいし、むしろ、それは英語で覚えたほうが便利なのかもしれません。それは世界的な傾向ですし、仕方ないです。であるからこそ、国語教育を見直して、限られた時間をもっと実践的な表現力の向上に当てるようなやり方をすべきだと思いますね。
難しい問題だなと思います。
高等教育やビジネスから英語で行うのはありだと思いますが、中等教育から英語で行うとよほど能力の高い人以外は内容がスカスカで中身がない内容のものになりますね。
近所に底辺高校でオール英語の授業をしてるのがありますが欧米カブレの人が量産されてあまり教育効果は高くないですね。
国語力の成績を伸ばすって難しいことで林修先生でさえ一部の生徒さんに講義を聞いて復習しても成績が上がらなかったとか苦情があったそうです。
私自身も経験あるのですが、参考書のテクニックが現代文だと人によってやり方が違うってのが見受けられ、自分に合うものを見つけるのが鍵だと思います。
また、出題される文章によっては合わないものだと点数が安定しません。
私も昔、公務員試験の文章題の対策法である程度はできましたがやればやるほど伸びるものではなかったです。
あと、シンさんの主張と違いますが帰国子女にとっては、母国語の収得の限界を悟り、推薦以外は理系のほうがイケると言ってた人もいました。
英語の勉強に時間を取られないため数学に全力投球できるのは大きいと言ってました。
>あと、シンさんの主張と違いますが帰国子女にとっては、母国語の収得の限界を悟り、推薦以外は理系のほうがイケると言ってた人もいました。
実はシンガポール人もキチンとしたネイティブレベルの英語を習得するより、数学に時間をかけた方が楽だと認識してます。英米式だと高校までの数学レベルが低いと言うのもありますが、SAT数学は9割以上が必須、英語は6-7割くらいしかないこともザラです。だから、暗記対応で得点を稼げる中等教育数学レベルは母語でない英語より楽だとも言えます。
シン
私は日本語を高等教育でもきちんと残すべきだと思います。
明治維新以降、多くのお雇い外国人を来日させ、英語やフランス語で書かれた学術書を大量に邦訳し、日本人の教授を大量に育成し、日本語での高等教育を可能としてきた先人達の努力を無駄にしてはいけません。
加えて、AIがここまで発展してくると、AIが英語論文を瞬時に翻訳してくれますから、英語が不得意でも最先端の英語論文を簡単に読める時代がもうすぐ来るはずです。特殊な言葉の使い方をする文学や法律の世界だと難しいかも知れませんが、それ以外はAIの翻訳で十分になるでしょう。
ノーベル賞受賞者の益川さんは英語が大の苦手であるようですから、英語が不得意でも何とかなるかもしれませんよ。
もしかしたら、AIで日本語での高等教育を残せるかもしれませんね。そうすれば、世界的に母語教育への引き戻しに流れるかもしれません。今のところ、英語化に流れてますが、引き戻せないレベルまでは行ってません。
シン
日本人にとっての日本語力、現国ってセンスだと思います。センスとある程度の知能が必要です。センスなので教えられる事ではないし、適性があれば勉強しなくても試験での高得点が取れる科目です。
単に国語試験なら単なる理屈付けでしかなく、問題文中に明らかな答えが見つかるように出題されてます。そうでなければ、責任問題になります。それを感覚的に見つけることができる人はある種のセンスと言ってといいのかもしれません。試験にあったトレーニングを学校教育でしていないのが問題だと思います。
語感、行間の使い方、という文章センスの話になると、才能だと思います。上手い人は特に訓練もなく上手いですからね。
シン
シンさんが前に英語力をランク付けしていて、TOEICで900点とってようやく初級レベルと言っていましたが、日本語力に関しては日本人は全員がネイティブなので、日本人の大人は皆が最高ランクの日本語力を持っているんですよね。ここがシンガポールと違うところです。
そういった中で国語力の優劣をつけるとしたらセンスが問われるようになってしまい、センスがある人は高得点を取れるが、そうでない人は得点が伸びないというのは仕方ないと思います。
でも、日本人として・日本国として日本語を守る必要があるのは当然だと思いますので、学校で国語という科目を設け、理解度を測るテストをする必要性は理解できます。
シンガポールでは免除されていない限り、中国語なり、民族語が必修科目に設定されており、統一試験を受けることになります。その際、民族語をほとんどできない人は国内大学への進学が認められないので、大学進学をあきらめる、海外に行くことになります。彼らの学力が低いわけでもなく、英語しかできない分、一般的なシンガポール人よりも英語力は高いので、公平ではないように感じます。
日本でも英語が大きな配点、必修になっているので、英語は苦手だが、学力はそれなりにある子供を圧迫する、ということはあります。逆に英語しか得意でない子供が私立文系に安易に進んでも、先に何かがあるわけでもないので、英語重視政策は国力低下につながるなぁ、という思いもあります。AIがこの問題を解決するまでは世界の英語化は止まらないでしょうね。
シン
普段、英語を使わない職場なのですがセンター試験レベルの長文を読める単語力、熟語力は維持したいと思ってます。
語学は筋トレと同じで続けることが大事なので速読英単語、熟語を毎日読んでます。
シンさんや読者さんのように優秀でないので低い目標ですが、簡単なウェブサイトや簡単な文章でも読めると世界が広がります。
あと、慣れてくるのでわからない単語があっても繰り返してれば意味の把握ができます。
どんなことも毎日続けると効果がありますし、特に語学はその傾向があります。自分の趣味が海外でどうやって評価されているのか?を覗き見れるだけで楽しいと思います。
シン
英語が得意な人が、速読英単語はとてもいい教材だと言っていました。
単語帳ですが、単語帳として使うのではなく、英文集として使うと言っていました。
まず日本語訳を読まずに自力で読んでみて、その後日本語訳をみて内容を理解する。
わからない単語を覚えて、わからない構文は先生に聞くなどして理解する。
そして、CDを聞いて正しい発音に慣れたら、1つの長文につき20〜50回は音読するらしいです。
地道に音読を繰り返す事で、単語力や熟語力だけでなく速読力もつくそうです。
自分は英語が苦手だったので、この勉強方法をやってみようと思いましたが、地道に音読を繰り返すのが面倒で辞めてしまいました。
結局、長文を読まず発音も確認せず、単語だけ覚えて、試験に臨んだので結果は散々でした。
精密な翻訳ソフトが開発されるのを望んでいます。
単語や熟語や文法だけやってもなかなか英文が読めないので速読英単語や熟語で読む、音読はいいですよ。
また、単語や熟語を知っていても文章に合わせた訳やイメージができないと意味がわからなくなりますので読む練習も大事です。
今後さらにAIが進化していき、言語間の互換性機能が向上するならば、わざわざ英語を言語のハブにするよりもいっそのことエスペラントのような世界共通語を導入してしまった方が効率的だと思うんですがいかがでしょうか。
人工言語の場合、おそらく作る方も単語にしても文法にしても簡単で使い勝手の良さが重視されるでしょうから、人工知能との相性も良いような気がします。
まずは世界各国の有名学術論文辺りから世界共通語に置き換えて、AIを介して読みたい母語で読めるシステムを構築していったら面白いと思います。
私もエンペラント語に興味を持ったことがありますが、人口語には生活に根ざしてないので変化がなく、廃れてしまうみたいです。言語は生き物で、日々の生活で変わっていき、新しい語彙が生まれます。どの国でも、文化でも母語として使われていない言語は発展がないんでしょう。ここをクリアしないと、人口語は共通語にはなり得ないと思います。結局、新しい語彙は英語なら、英語を共通語として使った方がいいです。
シン
世界の言語統一は人類に課された神からの課題かもですね、
ダイナマイトなノーベル賞や原子力を超える賞の創設は意外と身近、
日本語の特に敬語の機微はぜひ世界共通語の玄人Ver.教科書『Cool Japan』(仮)へ、
全ては人類の平和・コミュニケーションの円滑化のために、それがGoogle2.5(翻訳)ならば、
Google3.0に勝る温利の『個の力』の結集こそが目指すべき場所、
結集は日本人の得意分野かと存じます、『個の力』の未熟は仰る通り日本人の課題!
世界が二、三の大きなプラットフォームで統一されると、逆に個の力が重要になり、各自が味を出さないと、プラットフォームに飲み込まれます。チームワークとは必ずしも我慢することではなく、お互いのぶつかり合いで新しい発想が生まれることでもあるのだ、ということを日本人は理解すべきだと思います。
シン
理想を言えば、世界の言語は一つに統一されるのが良いと思います。
(その場合の世界語は多分英語になるでしょうが、別に何語であっても構いません)
言葉は文化だの情緒だの民族性だの言う「知識人」「文化人」がいますが、
言葉など所詮は意思伝達の手段であって、
合理的かつ効率的に意思を伝達できればそれで良いのです。
「文化」などというのは、役立たずのカス文系どもが
利権を確保するための詭弁に過ぎません。
必要なのは、物を生み出す理系でかつ実学の技術です。
言葉など、最小限の労力で済ますべきです。
そのためには、世界中の人々が何らかの共通言語を
母語とするようになれば理想的です。
かくいう私も英語が苦手で、ほとんど海外へ行ったことはないし、
技術畑一筋で今さら語学をやる気にもなれませんが、
だからこそ、後の世代の者には「言葉を覚える」などという労力を使うことなく、
理系の学習に専念できるようになって欲しいと願うのです。
共通語と母語というのは別れるべきで、いつきさんだって、母語が消滅すると何の情緒もない均一化された世界に嫌気がさすと思いますよ。京都の街並みに日本の過去を感じたり、バルセロナでガウディ建築の壮大さを見たり、パリの歴史に想いを馳せる、というのは全部文化であり、違いが作ったもので、その違いの根底がお国言葉なので世界の言語が統一されるのはつまらなくなります。
共通語としては、そのうちAIが意思疎通してくれるので、各自、技術を磨いておけ!っという話になるのかもしれません。
シン
話が世界の言語統一まできましたか。そうなると、世界のほとんどの人が自分の言語を捨てるわけで、言語文化の多くが失われたディストピアになると思います。
それでは、世界の言語が統一されるたらどうなるかですが、英語を基層言語とし、それに中国語やスペイン語といった大言語が混交したピジン言語、クレオール言語になる可能性が高いです。
日本語(標準語)や中国語(普通話)がそのような過程を経て統一されていますので、前例がないわけではないです。問題はそこまで行くかどうかです。
世界中の人間の言語を全て同一化する労力よりは、AIの自動通訳・自動翻訳により世界中の文書を自言語で読めるようにする労力の方が遥かに少ないし、より現実的だと思います。
知人に見た目は丸っきり日本人で、母語がドイツ語の人がいます。逆のパターンとして、見た目は全然日本人ではない(インド人と日本人の混血でインド人が強め)のに、母語が日本語の人がいます。前者は見た目が日本人であってもどうも発する雰囲気というかオーラが日本人ではなく、物の考え方も一般的な日本のものとは大きく異なります。一方で後者はいかにも日本人的な考え方と空気の読み方をします。
使用する言語によって物事の見方が異なる例は知られており、論文でも発表されています(Two Languages, Two Minds – Flexible Cognitive Processing Driven by Language of Operation)。論文内での例のように、元々は同じ言語であった英語とドイツ語でさえ、両言語の(完全な)バイリンガルが同じ映像を見たとしても、その時どちらの言語で考えているかによって同じ映像に対する見え方が異なり、したがってその映像を言語化して表現した内容も異なるとのことです。
個々の人格も思考の仕方も文化も言語と切り離すことはできませんが、それはマイナス要素というよりもむしろ多様性という意味でのプラス要素であると考えています。外国に住んで実感しましたが世界は多様だからこそ面白く、反面軋轢も生み出し、そこから発展も起こり、そうやって世界を豊かに彩っていくものと感じます。皆同じ言語になったらおそらく物の見方や感じ方も平板になり、とてもつまらないものになると思います。
言葉は変遷するものではありますが、本来の言語の連続性を失った文化は根本的な柱を失って崩れて最終的にはドロドロに溶けていくものと思います。
日本人は多様性、ということを苦手とするので、まったくの日本人の見た目をして母語がドイツ語の人を自然に受け入れることは困難で、金髪碧眼のドイツ語話者よりも敬遠します。実際、母語が違う人間は思考の流れが違うのでなかなか噛み合わないんですが、その相手の見た目が自分と同じ人種だと違和感も大きくなりますね。多民族国家に住むシンガポール人でも、得意言語の違いで別れて暮らしている部分もあります。
シン