これもリクエストからの記事です。消えてしまった三洋電機について記事にします。
兄弟
三洋電機って、松下電器の兄弟会社だと認識されてますが、創業者同士が義兄弟に当たり、本当に兄弟です。(松下幸之助の妻の弟が井植歳男さんになります。)元々、井植さんは姉の紹介で松下電器に勤めることになり、番頭役となりました。戦中、松下は軍需産業に関わったため、アメリカ主導で公職追放が行われた際に義兄を守るために松下を去り、起業しました。
そういう関係なので、松下、三洋の関係はずっと良好で、三洋がどうにもならなくなった時に松下(パナソニック)が救済?に乗り出したのは当然だといえます。会社組織は違うものの、三洋は松下の分工場みたいなもので、製品ラインナップは似通ってはいますが、お互いに積極的に攻撃するような商売はしてきていません。
パナソニックが前面に出たのに対し、三洋が得意としたのは縁の下の力持ち的な産業資材部門と言えるでしょう。半導体などがボロボロになったところで、経営は悪化し、最後に残ったのが太陽光、電池部門です。特に電池部門は優良資産だとみなされており、現在、パナソニックはこの技術を使って、テスラに電池供給しています。パナソニックがこれからやっていくための重要な事業です。
破綻
他の弱電メーカーと同様に、2000年前後から、白物家電など、技術革新のなくなった電気機器が価格崩壊を起こし始め、経営体力が失われつつあったところに、2004年の中越地震で半導体工場が被災、地震保険に入っていなかったため、直撃弾を食らうことになります。更に2011年にはタイ洪水の被害も受け、三洋半導体は完全に破綻します。
実権を握り続けてきた創業一族、井植家も責任を取り、一線から退き、外部からジャーナリストの野中ともよさんを招聘し、トップにすえ、経営の一新を図りますが、素人に市況の変化に対応できるはずもなく、すぐに解任し、ドタバタ劇を演じ、色んな金融機関と絡んで、三洋はグチャグチャになって行きます。
そして、ずっと続けてきたリストラが効果を出して、2007年には黒字化しますが、そんなのは焼け石に水であり、2008年には将来性のある電池事業を狙ったパナソニックの買収話が持ち上がり、「救済」という名の美味しいところ取りをされることになります。
その後
買収当時、パナソニックは「出来るだけリストラはしない、パナソニックに取り込んでいく」という口約束をしましたが、買収したパナソニックすら経営危機なのに、そんな約束が守れるはずもなく、三洋従業員の強い反対を避けるためについた方便として、最初からなかったことにされ、当初の予定通り、家電部門は中国、ハイアールに投売り、電池部門だけ取り込んだのです。
パナソニックは三洋電機株式会社、という名前を残して、コアエンジニアはそのまま囲い込み、残りはあの手この手でリストラしていきました。ハイアールは生産技術、品質保証エンジニアを欲しがって、高待遇で引き取っていったらしいですが、技術を吸い尽くして、抜け殻を捨てることで定評のある中国企業で未だに生き残れているのかはわかりません。
パナソニック、ハイアールにいかなかったエンジニアはちょうどリーマン前のプチバブルだったため、若手エンジニアは電気化が進む自動車業界を中心に引き取られていったようです。オッサンエンジニアはその人の技術、経験、人脈によって千差万別だろうと思います。
事務系はパナソニック、ハイアールも引き取らないし、他企業でもほとんど引き取り手がなく、特に今までの経験が生きることもない中小、零細企業に再就職したのではないかと思います。メーカー事務系は歳を食って、捨てられると、どこ出身でもほとんど同じことになります。取り立てて売るものがなく、ごく一部の人を除けば、惨めな末路となります。
まとめ
弱電の中で三洋が特別ダメだった、というわけではなく、弱電業界が技術的限界に来たため、新興国メーカーがほとんど同じ品質の製品を格安で市場投入してきました。どの会社も価格勝負ではどうにもならず、元々、体力がなかった三洋がやられて、次にシャープがやられ、東芝は自滅した、というだけのことです。
ずっと、私はこのブログで弱電はもうダメだ、といい続けていますが、すでに世の中の構造が変わっているので、完全に業種を変えない限りは復活するわけありません。重電ですら、日本には会社が多すぎるので、もっと統廃合していくしかありません。視点を日本市場で戦うことでなく、国際競争を勝ち抜くことに変えていかないと、日本という国がどんどん体力を失っていくでしょう。
日本の産業の将来性について調べれば調べるほど、
安泰といえるものはなく、日本の経済的凋落は避けられないと思います。
それでも、国民がそれなりの生活をできるなら、自分はそれでいいと思います。
ただ、日本は食料と資源のない国なので、食料と資源を自給するか、円の価値を高めてくれる産業分野がないと、それなりの生活すら送れなくなるでしょう。
後者の分野は、今のところ自動車などですが、将来的には市場価値の低いニッチな分野で細々とやるしかないかもしれません。
食料自給率250%のオーストラリアや石油王国の中東は、政治や経済の指導者が無能でもなんとかなるので、羨ましいです。
食料は、平野が狭いので安く量産化するのは不可能ですが、海底資源や太陽光発電など自然のエネルギーを利用した発電の技術の発展が進めば、完全に自給は無理でしょうが、今よりはマシになると思います。
原発は安全面ばかり批判されますが、原料のウランを輸入しないといけない点も問題だと思います。
それは、火力にもいえることですが。
記事ありがとうございました。
三洋電機が特別経営に問題があったわけではなかったのですね。
周りに元三洋電機の社員がたくさんおりなぜこんなに優秀なのにって思うことがあり、気になってました。
末期の三洋に入社した友人曰く、同期は様々な部門に配属されたが、リストラの一環である事業売却で、同期は事業部門ごと売却先に売られて、バラバラになったという悲しい末路が印象に残っています。
日本の最大の弱点は、食料と資源のなさだと思います。
第二次世界大戦に入ってしまったのも、
イギリスやフランスのブロック経済で輸入ができなくなった事と、
植民地が朝鮮と台湾だけで、広大な平野がなかった事で、食料や資源に困り、満州を侵略したところ、アメリカや中国、オランダから貿易禁止され、さらに食料・資源不足なったため、侵略を繰りかえしたら潰されました。
日本は、あのとき侵略せずにアメリカや中国と貿易して、不景気に耐えるのが1番マシだったんだろうと思います。
侵略という概念が最近できたもので、当時は帝国主義は当たり前です。今から考えれば、他国なんかに積極介入せず、貿易だけで、旨味をしゃぶればいいのに、と思いますが、そんなことはその当時不可能でした。
あの当時、日本に残された大敗戦以外のシナリオは満州の権益を守り、資源を発掘し、アメリカの嫌がらせをスルーして、徐々に譲歩を引き出すだけだったでしょう。大連に眠る資源を見つけられなかった時点で、どう足掻いても負けてます。
今の価値観で過去の事象を語り、判断するのは本当に情弱です。王貞治さんが今の野球選手なら、草野球レベルだ、という意見くらいバカらしい言い分です。その時点でホームラン王になったことに意味があるのです。
シン
当時の日本の指導者が悪かったというわけではなく、食料と資源がなかったという土地柄のせいだとしか言いようがないです。
侵略を望んだのは、軍部だけでなく当時の国民の多くだったはずです。
自分も当時の人間なら、満州侵略には賛成したと思います。
しかし、アメリカがあそこまで厳しい対応をとるとは思いませんでした。
研究者の間でも意見の違いがありますが、アメリカは巧妙に決定的な言い回しを避けて、ごちゃごちゃ言いながら、日本に満州での権益を放棄させるつもりだった、と私は考えています。実際、今のアングロサクソンの交渉術も同じです。戦局が片付いて、証拠が残り、責任追及されると困るので、あの手この手で証拠を残さず、煽りに煽ってきます。
だから、ハルノートは事実上の宣戦布告であり、少なくとも当時の軍部はそう受け取りました。そして、開戦になるのですが、後はシナリオどおりで、序盤だけ少し勝たせて、猛反撃によって、弱らせて、新兵器の原爆で止めを刺して、核の威力を見せ付けて、戦後の覇権を握るつもりだったのでしょう。彼らは同じ白人のドイツ、イタリア人に原爆を落とすつもりはなく、猿である日本人に落とすつもりだったはずです。
つまり、自活状態に持っていき、のらりくらりとアメリカの挑発をかわしていく他に開戦を避ける方法はなく、それをするには日本人はあせりすぎていたし、それだけの国力がありませんでした。今の経済戦争でも同じことで、アメリカとガチンコ勝負するのでなく、のらりくらりとかわしながら、隙間産業で国力を蓄えるしかありません。日本は地下資源利用、ロボット、など、人口減でも内需を増やせる方法を編み出して、国策的に支援して身を守るのがいいだろうと思います。広大なアメリカ、中国とまともに競争できると思っているのが間違いです。
シン
アメリカ首脳陣が、強くなってきた日本を潰したがっていたのは事実です。
しかし、アメリカ国民は戦争を嫌がっていました。
真珠湾攻撃で日本から仕掛けなければ、民主国のアメリカが日本に戦争は仕掛けられません。
だから、中国や東南アジアだけを侵略は仕方ないかもしれませんが、太平洋戦争はかなりの悪手だったと思います。
アメリカは物理的に先制攻撃できないから、精神的にハルノートで煽りまくって手を出させてのではないですか?我慢できなくなるまで、要求をエスカレートするなら、先制攻撃しているのと変わりません。日本が東南アジアに手を出したのが悪手で、当時の日本に広大な防衛ラインを形成するほどの力はありませんでした。北進論を守って、アメリカをいなすしか、選択肢はなかったとおもいます。
日本の夫婦関係とまったく同じです。妻は夫をひたすら屈辱的要求で煽り続け、飲んだら、更に屈辱的な要求をします。離婚したくなったら、口頭で罵倒に罵倒を重ねて、手を出させるまでわめき散らします。夫が我慢できず、妻に手を出したら最後、警察呼んで、医者の診断書を取り、DVとして全面的勝利で離婚を勝ち取ります。夫側に出来るのは妻をいなして相手にしない、我慢できなくなる前に家を出てしまう、屈辱的要求、暴言の証拠を取り続けてることしかありません。その時に資金を妻に抑えられていたら、どうすることも出来ません。
シン
そういえば、手塚治虫のアドルフに告ぐというヒトラーがユダヤ人だったという設定の歴史漫画があります。
そのなかで、北進論派の日本軍の大佐が
「南進論を唱える財界人は、目先の資源の事しか考えていない。
日本が南進すると世界を敵に回す事になる。」
と言っていました。
南進すれば、アメリカだけでなく、イギリス、フランスも敵にするので、どうにもならなくなります。三国同盟しているドイツ、イタリアは東南アジアに権益を持っておらず、軍事協調することも出来ず、単独で英米仏を攻略し、ロシアの南下に備えるなんて、頭おかしい考えだと思います。それは陸海軍双方の共通認識で、我慢できず、手が出てしまった、という類の悪手です。
シン
日露戦争後にアメリカから満州を共同経営しようと持ちかけられたのを断ったのがターニングポイントだったのかな、と思います。
アメリカのお陰でボロボロの判定勝ちにもかかわらず大ロシアに勝った、と官民上から下まで調子に乗りすぎたようで、米大使館焼き討ちとか、これ以降日米関係は民間レベルでさえ悪化したようですね。
桂ハリマン協定が結ばれていたら、日本はアメリカのアジアでの代理人的立場になりえたかもしれません。石井ランシング協定はアメリカの日本への牽制だと言ってもよく、徐々にアメリカが日本を仮想敵国にして警戒しているのが伺えます。
元々、アングロサクソンはロシアへの対抗から、日本に比較的好意的で、日英同盟、ポーツマス条約の仲介など、骨を折ってくれたとも言えるのに、日本は調子こきすぎたと思いますね。屈辱的であろうが、アングロサクソンの下につきながら、もっと力を蓄えるべきでした。
シン
ところで、シンさんの石原莞爾の評価はどうですか?
満州事変を成功させたので、軍人としての能力もあり、日中戦争に反対するなどの政治に関する慧眼も持っていました。
しかし、中央の命令に逆らってよいという前例を作ってしまったため、後に日本の戦争の泥沼化が進んでしまいました。
他の軍人が、石原莞爾並みに国際政治が分かっていれば、そうはならなかなかったでしょうが、優秀な自分基準で他人も考えてしまったのが敗因だと思います。
しかし、優秀な反面、世界最終戦争論などの著書を見る限り、アメリカと戦争しなければならない、日蓮云々とオカルト的なところが多く、戦後は日本は非武装でいくべきだ、と非現実的な事を言っているので、天才的なところだけでなく非合理的なところもあったと思います。
自分が他に優秀な軍人だと思っている秋山真之も日露戦争後は、大本教にハマったりしていたので、戦争などの強いプレッシャーを受けると、超自然的なものを信じるようになるのかな、と思いました。
評価の難しい軍人ですが、「独断専行」の前例を作り、後輩達が勝手に現場で決めて、石原の真似をしたんだ、と居直るようになってしまったのは悪影響だと思います。
実戦を戦ったことはないので、指揮官としてどれくらいの能力があったのかは疑問です。戦略家、戦術家は違います。実戦で大勝していたら、日本は変わっていたのかもしれません。
シン