子供の頃から塾漬けで育ってきた人って、共通点があるように思います。
評価
幼い頃からひたすら偏差値を追いかけ、順位付けされ、大学格を求めてきた為、価値基準の最優先が学歴になっていることが多いです。まず、新しい人と会うと、xxx大卒だから、、、というような判断をしがちです。
塾漬けの結果、本人たちが相応に高学歴なのか?、というと、そうでもないことも少なくないです。塾漬けの結果、トップスクール出てれば、ある意味で落ち着くところもありますが、それなりの上位校ではあるが、トップスクールではないとか、中堅校以下だと、更に学歴コンプから何でもかんでも学歴で判断しようとしますね。
世襲経営者はその傾向が強く、親が裕福であるが、将来経営者になることが宿命づけられていた為、周りを意識して箔付けする為に塾漬け、習い事漬けで育つわけです。そうすると、彼らの会社では、学歴最優先で採用活動となります。中小企業の割に採用実績校が華やかなところは大抵このパターンです。
それでも、世襲経営者はお金持ちなので良いですが、塾漬け人間で何も誇るものもないとなると、屈折、卑屈ぶりが嫌悪感を与えるレベルになっていることも多くなります。不必要に攻撃的だったり、態度が投げやりになりがちです。
上下
子供の頃から常に順位付けをされて生きてきたからなのか、学歴に限らず、どんな序列に対してもとても敏感で、相手を上だと見做すと酷く謙り、下だと見做すとバカにしたような態度になることが多いように思います。
結果、他人から嫌われることがほとんどとなります。人間関係は表面上の付き合いだけで、ガキの頃からのツレ、とか、仕事上の戦友みたいな人はおらず、人間関係の焼畑農業をすることになります。
下だと見做してバカにしている人たちに毛嫌いされるのは当たり前ですが、上と見做して謙れば、好かれるのか?、というと、バカにされ、利用されるだけで、良い関係にはならないものです。上下関係あれど、そこに人間性の尊重が介在しないと、良い関係にはならないからです。
視野
塾漬けで育った人は、視野が狭いな、と思うことが少なくないです。実利的なこと以外は何にも知らなかったりするのです。子供の頃にしょうもないことをやる時間が与えられなかったからなのでしょうか?
この手の人と一緒に出張に行っても、現地の歴史、文化、名所などに全く興味を示さず、仕事の話題以外は一切しないことが多いです。人間としての深みを感じないと、本当の意味で仲良くはなりませんね。
話題が学歴、会社格、上下関係、金銭、飲み、異性なんかの欲に直結することに集中することが多いので、聴いていて面白くもないし、新鮮な気持ちにならないので、一緒に時間を過ごすと損をした気分になりますね。
Googleの面接では、飛行機遅延で強制的に長時間一緒にいても苦痛でない人を採用しろ、ということらしいですが、長時間仕事の話ばかりされても、鬱陶しいし、だいたい説教じみた流れになりやすく、立場の低い人間には苦痛となります。
私は実利的なことばかり言っているような印象を与えますが、むしろ、余暇は実利とかけ離れたことをすべきだと考えており、まったく利益はないが、楽しいことをすることが、人生を豊かにすると思っています。単にそれだけではメシを食えないので、メインではやらないだけです。
まとめ
私が経験した塾漬け人間の特徴を挙げてみました。そうではない人もいるだろうとは思いますが、どうしても上記傾向にはなると思います。幼い頃に順位付けして競争を煽り、選択肢を与えないと、それが当たり前になるのは自然でしょう。
実際、ひたすら競争を煽られた団塊世代なんかは、上記傾向が強いと感じますし、ゆとり世代はもっと感性が自由だと感じます。
超ゆとり、で育てられているアメリカ人がめちゃくちゃ自由人が多いのも頷けます。彼らは学歴の話なんてまずしないし、普段の生活で明確な上下関係をつけることを嫌い、仕事と関係ない話ばかりしている印象です。仕事せず、小話ばかり仕込んでいる人もいます。
日本の比にならないほど、ひたすら競争を煽られてきたシンガポール人は上記の特徴を持つ人が本当に多く、心の底からつまらない奴だなぁ、と思う人が大半です。もちろん、深みのある人もいますが、大抵は純粋なシンガポール育ちではないです。
少なくとも、私は自分の子供を塾漬けなんかにしないし、必要以上に上下関係を持ち込まないようにしつけます。時間が許す範囲、自己責任下で、全く利益のない趣味に勤しんでもらいたいですね。それも、本人の勝手ですが。
塾に行ってはいましたけど友達に会いたいから行きましたね。お受験が盛んな地域ではないし部活にも参加してましたね。
親が塾漬けにする人の特徴って親が学歴がないケースが多くて課金ゲームみたいに授業を取らせまくる、拘束時間を増やすしかしないですね。
本当に優秀な家は親が読書家だったり、勉強熱心で自主的に真似して勉強する印象があります。
塾も週1,2回の習いごと程度なら好きにしたらいいんですよ。塾漬けって、受験を控えてもないのに週5とかで通わせ、夏は夏期講習にぶち込む、という感じです。隙間時間は他の習い事をさせるので自由時間がほとんどありません。まさに課金ゲームみたいな感じです。普段から月十万円、夏休みは50万円とかみたいな狂気の課金をしてると親子共々狂ってきますよ。
シン
そりゃシンさんのお子さんは塾なんて意味なんてないでしょうからね….
それが、障害児向けの塾のような教育ビジネスというのもあるんですよ。途方に暮れている分、藁にもすがるつもりで依存する人も少なくありません。
本質的には健常児だろうが、障害児だろうが、親がきちんと軸を決めなければ、誰かに食い物にされて、親まで引き摺り込まれるのは同じです。
シン
人として最低な発言だと思います。
いくらなんでも、こんな発言にまで、シンさんもいちいち相手にする必要はないのでは?
削除しようかとも思ったのですが、実際、障がい児を持つ親の方が、塾漬けみたいな状況に陥りやすいことをみなさんに知ってもらいたかったので、コメントしました。
親が無理をさせて子供に二次障害を引き起こしたり、怪しい民間療法にハマって身包み剥がされたり、と悩みが大きい分だけ、騙されやすいし、依存しやすいので、単なる健常児の塾漬けよりも悲惨になる現実を知ってもらいたかったんですよ。
シン
深いお考えあっての対応なのですね…。
実際に困られている方への情報提供を考慮してのコメントでもある旨、承知しました。
当事者でもないのに、感情的なコメント失礼しました。
いえいえ、ありがとうございます。
障害児に塾なんて関係ない、という意見ももっともと言えば、もっともです。普通の人はそう思うでしょう。ただ、現実は沢山あるんですよ。
シン
シンさん
>>障害児に塾なんて関係ない、という意見ももっともと言えば、もっともです。普通の人はそう思うでしょう。ただ、現実は沢山あるんですよ。
私もその例知ってます。
障がい児って いうほどでなくても
自閉症スペクトラム + 学習障害の一種で 数学(算数)の習得がめちゃくちゃ遅くて 必死に勉強しても 学校の授業レベルでも遅れる位のレベルの子がいる 親御さんから話聞いたことあるんですが
やたら大卒にこだわってましたね。
数学の学習障害あるなら 文系しか絶対無理ですけど
自閉症スペクトラムもあるなら、相当自覚して訓練してないと、仮に総合職つけたとしてもほぼ詰むと思います。
専門職で スキル磨いて ニッチポジション掴むのが そこまで能力がない自閉症スペクトラムが 唯一と言って生き残れる可能性がある現実的な方法だと思いますがね。
しかもその親御さん 田舎の情弱で見えっ張りな 方でもなくて
仮に英語力とか磨いたところで 就活無双できたり、海外就職で成功できるとか そんな甘いわけがないっての 熟知されてたので 驚きました。
自閉症スペクトラムで 学力勝負無理なら
ルールかっちりして動く 自衛隊とか 警察・消防とかの 公安職とか
抵抗ないなら そういう系行ったほうが続く可能性あると思いました(しかも 聞いた感じ 子供自体が そういう道興味示してるらしいので なおさら思いました)。
それとか 工場で 合いそうな職種探すか(ライン工ばかりが工場でもないですし)。
自閉症スペクトラムなんて 間違いなく 仕事があわなくて ボロボロになる可能性高いのに 大学に大金使うなら リスクヘッジして 貯めて上げて、仮に仕事合わなくてやめたとか ヤバいときに助けてあげたほうが 生き残れる可能性高いと思いますけどね。
それでも可能性見るのが親心なんですかねぇ・・・
自閉症スペクトラム、というのは、本当に幅広いので、人によっては、学力そのものはかなり高いこともあります。集中力が高く、ハマると徹底的にするからでしょう。ただ、人付き合いに問題があったり、並外れて抜けていたりするので、仕事を選ばないと使い物にならないこともあります。この辺を親が理解せず、ひたすら追い込んでいくことは割と見ます。この手の子供に必要なのは学力向上させる塾ではなく、自分に合った生き方の模索でしょう。やれることが限られているので、単に社会的地位だけで選んでも不幸になるだけです。
また、明確に障害児認定されている子供が、無理に普通級に通わせていじめを受け、パニック障害を併発しているのも見たことがあります。行政は進学先を決めません。親が申請しない限りは障害児認定もされません。あくまで、親が障害を認めず、強固に希望をすれば、どう見ても特別支援学級、学校が適正な子供でも、普通級に進学は可能です。そうなると、周りに負担が大きくなるので、陰口、不平不満はどんどん大きくなり、本人にとっても負担が大きくなります。そこを理解せず、ひたすら療育を増やしたり、厳しく躾けることで普通級をムリクリ継続させることも見ます。教員、同級生を責めるのも酷な話で、全くついてきてない子供がいるせいで、何もかもが予定通り進まなくなっても、一切文句を言うな、というのは難しいでしょう。結果、陰口に怯えるようになり、被害妄想が強くなり、些細なことでパニックになり、手がつけられなくなるほど、情緒不安定になります。もはや、こうなると、他人と関わることすら困難になります。
この辺の図式はどう見ても学力がない子供に中学受験を強いて塾漬け、徹底監視をする親とさほど変わらないように思いますし、画一化された価値観を強要して、明らかに合わないことを継続させることと同じでです。
シン
障害児向けの塾とか療育とかって、「この壷を買えば病気が治る」という霊感商法を同じだと思います。障害児を好んで育てる親はいません。自分の子供に「普通」であって欲しいと願うのは、親として自然な思いでしょう。何とか健常児に近付けようとする親心に付け込んだ、悪質な商売です。
ただ、こうして障害児を無理くり健常児に似せるやり方は、新卒一括採用・終身雇用が活きていた30年前であれば、一応の合理性があったとは言えます。
何とか勉強だけ徹底して仕込んで有名大学に入れさえすれば、大手企業に入社する事も可能でした。そして一旦正社員になれば、滅多な事では解雇はされません。仕事で使い物にならなくても窓際族にあっても、一定の収入を得て「有名企業の正社員」の肩書が得られました。その収入と肩書きがあれば、見合いで結婚も出来たでしょうし、妻とのコミュニケーションに難があっても「浮気・暴力が無く安定した仕事があるならば、夫に対して妻が不満を持ってはいけない」との通念があったので、家庭を築く事も出来ました。
しかし現在では、大企業といえども成果が出せない社員は解雇されます。肩書きだけでは婚活も巧くいかないでしょうし、例え結婚出来たとしても、少しでもお妻様のご機嫌を損ねれば、DVだ、モラハラだと喚かれて人生詰みです。
とにかくいい学校、いい会社に入りさえすれば、誰でも一定の幸せが得られた、「古き良き時代」のモデルケースに、親がしがみついているのだと言えます。
>障害児向けの塾とか療育とかって、「この壷を買えば病気が治る」という霊感商法を同じだと思います。障害児を好んで育てる親はいません。自分の子供に「普通」であって欲しいと願うのは、親として自然な思いでしょう。何とか健常児に近付けようとする親心に付け込んだ、悪質な商売です。
療育というのは、普通にするためにするものではなく、放っておいても学ぶことの少ない障がいを持つ人が少しでも生きやすくするための助けです。その観点では、やった方が良いと思います。
共働きに学童が必要なように、障害者を持つ親には放課後デイサービスも必要です。そうでなければ、そもそも生活が成り立たず、生活保護を受けることになります。いずれにしても、必要なら療育機能を持つ放課後デイサービスは良いと思います。多少宿題を見てくれる学童みたいなものです。ただ、効果なんて期待する方がおかしいでしょう。
別問題として、訳の分からない宗教じみたセミナーみたいなものも、少なからず存在して困り果てた親を食い物にする塾みたいな組織も多々あります。どんな根拠があるのかわからないやり方で「壺を買ったら病気が治りました」みたいなことをしています。これは明らかに詐欺です。
健常児だろうが、障がい者だろうが、そもそも持って生まれた能力を無視して何かを身につけることなど無理であり、そこに期待していれば、食い物にされますね。
シン
障害者(児)向けの学習塾どころか、就職対策のためのビジネスマナースクールまであるようですね。
自分の勝手なイメージですが、障害者の社会的な位置付けとしては、少し前までは言葉は悪いですが、国がしかるべき手当や補助を出すから、(健常者の邪魔にならないところで)ありのままに自分らしくいきいきと生きてください。
また、障害者自身や障害者の親族・支援者たちも、健常者でない以上、最低限しか望みません、平和に毎日生きれれば良い。といった感じのイメージを抱いていました。
ただ、10年くらい前からユニバーサルデザインやらノーマライゼーションが強く叫ばれて、障害の有無に関わらず平等に生活できる社会を作ろう。
全員が生活や権利の保障されたノーマルな生活を作ろう。そのためには、障害者雇用促進法を改正して、企業の採用枠の中で、一定人数以上の障害者の雇用義務を拡大させよう。
といった風潮や制度になり、ありのままに平和に生きていたはずの障害者たちも自分の意思とは関係なく、望まぬ競争の渦に巻き込まれたり、無理やり土俵に引きずり込まれているように思えます。
大手企業に入ることが、人生に置いて良いか悪いかはここでは議論しませんが、少なくとも入社のチャンスが昔よりも与えられ、本人や周りの『努力次第』で、現状よりも人生の未来や活路が見い出せる可能性があるかもしれないとなったら、その競争に人が集まり、金が集まり、その金を狙うハイエナが集まり、最終的に勝者敗者の序列が生まれ、混沌としていくのは競争を良しとする資本主義社会の常なんでしょうかね。
前置きが長くなりましたが、今まではほとんどなかった競争の場や競争する喜びを与えられることが、嬉しいか嬉しくないかは実際に競争する本人にしかわかりませんが、少なくとも障害者、健常者に関係なく、誰得か理解できていない状態で、勝手に競争にエントリーさせられて、勝手にトレーニングプログラム(塾漬け)を組まされるのは相当苦痛でしょうね。