じゃあ、文系が好きだ

文系が好きだ、というのは、歌が好きだ、絵を描くのが好きだ、文章を好きだ、というのと同じだと思います。好きなのは結構だが、お金にするのは至難の業です。

非凡

文系というのは極めて曖昧です。何が正解なのか、何をすれば、評価されるのかすら不明確です。そんなことを知っていたからと言って、なんの得にもならないようなことをしてお金をもらえるようにする必要があります。

平凡な高校生が芸能人になりたい!と言っても、ほとんどの人が鼻で笑うでしょうが、文系に行く!だと言っても、なんとなく肯定されてしまうのは不思議な現象だな、と思います。どちらも、よほどなことがないとお金にならないのは同じなのにです。

トップスクール文系ならまだわかります。非凡とまでは言わないにしろ、一定の学力がないと、受け入れてもらえないので、食えるのかはわからないが、気合を入れて頑張りたい、という気持ちは理解できます。非凡ならフルスカラーシップも取れるかもしれません。

非凡であることを客観的に証明できない人間が、どんな意味があるのかわからないようなことを勉強する為に、富裕層でもない親に金を出せ、とねだるのはどうか?と思いますね。必死に働いて貯めた虎の子を使わせていいんでしょうか?

平凡だが、芸の道を生きるのなら勘当覚悟で家を出て、野垂れ死ぬ覚悟でプータローでもしながら、芸の道を突き進めば良いと思います。芸能人、とは本来そういう存在じゃないでしょうか?特殊な人を除いて親のお金でやるものではないのでは?

趣味

非凡であることは示せないが、勉強したいなら自習すりゃいいし、一般教養科目として受講すれば良いです。もっとキチンととやりたいなら副専攻でも良いと思いますね。それも、主専攻が食えることが大前提だと思いますよ。

それでも、文系に対する思いが捨てられないなら野垂れ死ぬ覚悟で修士で文系に進んだっていいんですよ。理系から文系は何の困難もなく変えられるんだから、好きにしたら良いです。逆に文系から理系はほぼ不可能、もしくは地獄の苦しみになります。

趣味としてやる分には無駄なことなんてありませんよ。人生が豊かになっている実感さえあるなら、とても有意義なことだと思います。ただ、それはお腹が膨れていることが大前提でしょう?腹すかしてまで、やり続けられるんですか?

慣習

実利と関係なく、意味もなく大卒を求める社会が悪い一面もあります。教育機関は密接に国、マスコミと結びついて、文系維持を声高に主張します。質問の答えにもなってない、詭弁で存在意義を訴えます。

単に慣習で大卒でありゃいいなら、通信教育で十分ではないかと思います。経歴で嘘さえついてなきゃ、あとは採用可否は定型の採用試験を突破するかだけですし、採用されてからも結果ベースでしか評価されないのが当たり前になりつつあります。

A大卒だから採用する、とか、ポジションを与える、とかなんてしているのは、もはや日本くらいでしょう。こんなことしていて国際競争できるわけないし、落ちぶれて当然だと思います。仕事上の成果と全く関係ないことで、評価しているなんて、気が狂っているとしか言いようがありません。

新卒は最大の資格、とかいうことが一昔前までありました。こんな時代遅れことを信じている人は阿呆だと思います。一度入ったら、犯罪でもしなきゃ、定年まで面倒見てもらえる、なんてことはあり得ませんよ。そんなことしてりゃ、無能で溢れかえって破綻します。

逆に言えば、文系だろうが、ポジションに対して要求されることが出来れば採用だし、結果をだせれば評価されるでしょう。文系がダメというか、文系で学んだことなんて仕事に活かせることがほぼゼロ、というだけです。

まとめ

文系行きたきゃ行けば良いですよ。ただ、富裕層でもないなら親に迷惑かけても行きたいのか?を聞きたいですし、丸四年もの間、何の役にも立たないことしていても、仕事で力を発揮できるくらいの飛び抜けた能力があるのか?聞きたいです。

四年間遊んでいたのに、社会で必要とされることをキチンと学んだ人たちを出し抜き、採用を勝ち取り、成果を出せるなら、好きにしたら良いでしょう。もしくは、自分の趣味のために親のなけなしのお金を奪い、野垂れ死ぬ覚悟があるなら勝手です。

文系に行きたい、というのは、親目線からすると、遊び金欲しさに財布からお金をくすねてくるクズガキと何ら変わらないと思います。親が文系を勧めてくるなら、放蕩息子、娘を育成しているのと同じです。家計破綻しても、恨むのは自分でしょう。

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ベル牛
2 years ago

記事の内容からずれるのですが
今の高校ってe-sports(ビデオゲーム)部というのがあるらしく
しかも 発足支援プログラムもあって 通るとゲーミングパソコンの貸与を受けられたりするようです。

全国高校e-sports選手権
https://www.ajhs-esports.jp/archives/2019/team/

出場校のコメントちらっと見たんですが、 初心者が集まりました 楽しみますとか
仲の良い友達と始めました みたいなのめちゃくちゃ多くて

こんなもん明らかにわざわざ支援してやるレベルじゃないよなって思いました。

ゲームの大会でも最近は賞金出ますし、プロとして専業で食べている方もあるので
職業としても 成り立ちうるので 部活動にしてもいいという意見があるのかもしれません。

ただ、学校はあくまで社会に出るまでの訓練の場という側面があるので、 流石にゲームなんて部活でさせるのかよ?って思います。 

実際、自身がゲームで育ってきた世代なので凄い実感持てるのですが、ゲームなんて学校でするもんじゃないって抵抗ヤバいですが それだと感情論になってしまうので

・ゲームってマジで全く歯止め効かなくて それこそ時間忘れて徹夜でも没頭しやすい。 
・ネット対戦が主流なので 環境を整えようとすると とんでもなくお金がかかる。
・e-sportsという 枠組みが広すぎる。

のがネックですね。 

ゲームの大会があるからって 毎日徹夜でゲームしてる子供なんて 普通の神経の親なら 許せないでしょうし それこそ ドしかるべきでしょう。 親の生活も破綻しかねないですし。 これがスポーツなら疲れて眠ってしまいますし、囲碁や将棋などのボードゲームでも そこまでのめりこめる人は極小数でしょう。 

お金がやたらかかるのも問題で ゲーミングパソコン・コントローラー ネット環境とか 拘りだしたら 無制限にお金がかかります。 それを部費とかの名目で保護者からお金とって集めることに、賛同が得られるとも思いません。

e-sportsって言ってますが、ゲームなんて山ほどあって 賞金が出るようなジャンルでも
FPSっていう 銃などで打ち合いをする タイプのゲームか 対戦格闘ゲームのどちらかがほとんどだと思いますけど  それでも数が多すぎますね。 部活動でやる人なんて少ないので タイトルは一つか2つで十分でしょう。

基本的に 部活動でビデオゲームなんてやる弊害のが大きいとは思いますけど
これを部活動として認めるなら
・動画配信をして ゲーミングパソコン・パソコンの自作やゲームの解説などで マネタイズ化を目指して 備品代に当てるなど 今更youtuberかよ感はやばいですが 変に専門学校行ったり 帰宅部やるより 動画配信・編集はできて損はない気がします。

・ゲームする環境については 最低限の設備(ゲーム機とコントローラー)レベルで ネット環境とか後回しで とにかくプレイスキルを磨く(FPSはわからないですけど 格闘ゲームだと そもそも基本的な コンボだったり 勝つための定石を習得するのがめちゃくちゃ難しくて それを覚えるのは ネットいらないです)。 お金をかけずに強くなる方法を探っていく。

・e-sports部ではなく 特定タイトルの研究会にする。 いろんなタイトルやるんじゃなくて
特定タイトル特化でいいでしょう。 賞金の出るゲームや プロの多いゲーム 日本だったら格闘ゲームと あとはオンライン環境必須の FPS系で各一タイトルで十分でしょう。

昔はゲームとか バイトで自分でためた金ぶっこんでやるか、 親から金くすねてコソコソやる アングラ要素あったから まだ歯止め効いてましたが 部活でやると歯止め効かなくて ニート養成スルだけだと思いますがねぇ・・・

2+
dw
Reply to  ベル牛
2 years ago

ゲームに限らず、昔から囲碁将棋は小さい頃から人生かけてやる割にはひと握りしか成功しないし、危険な業界だという認識です。囲碁将棋とe-sports、同じようなものだと思います。

ただゲームは刺激が強いので頭がバカになっていく気がしますねw

5+
くろねこ
Reply to  ベル牛
2 years ago

e-sportsは、そもそも興行として成り立ってないと思われますので、完全に趣味の世界だと思います。

2+
チバ☆
Reply to  ベル牛
2 years ago

まだまだ趣味の範疇から脱しないeスポーツですが、個人的にはサラリーマン以外の新しい金の稼ぎ方として、コンテンツが生まれたこと、気軽に体験できる土壌が生まれたこと、体験者を支援する組織(学校)ができつつあること、大会・イベント・競技人口が増えて盛り上がっていることについては抵抗感はなく、肯定的です。

ただ問題点は既出のとおり、日本でeスポーツやってみよう、上を目指していこう、プロになって賞金稼ごうと思ったら、少なからず余計な金をスポンサーやってるゲーム会社やよくわからん協会に支払わないといけないシステムが既に構築されていることでしょうね。

市場規模が小さい萌芽期なので、利権握ってる団体が搾取してくるのは、市場や業界をリード、盛り上げてもらっている、ある種の手数料だと思って割り切れる部分もありますが、このまま市場が成熟していった場合、どこからしらのタイミングで業界自体をもう少し健全な体質にさせた方が良いとは思います。

3+
ベル牛
Reply to  チバ☆
2 years ago

チバ☆さん

>>ただ問題点は既出のとおり、日本でeスポーツやってみよう、上を目指していこう、プロになって賞金稼ごうと思ったら、少なからず余計な金をスポンサーやってるゲーム会社やよくわからん協会に支払わないといけないシステムが既に構築されていることでしょうね。

e-sports協会ってのが あるみたいですが スポンサー企業もいるようですが 何やってるかよくわからないんですよね。 HPも異常に見にくくて 何やってるかよくわかんかったんですが どうも

・ プロライセンス取得者に 登録料と更新料を課している。
・ 2年に一回 プロ選手に e-ラーニング講習を課している
・ そもそもプロライセンス取得の条件が 曖昧で不明で 到底マネタイズできないようなタイトルにも プロライセンスが発行されている。 取得した場合のメリットも不明瞭(賞金付きの大会では一応メリットあり)。

ちらっと見て こんだけ問題がありましたね。

まず、登録料と更新料をとって それを原資にしないと 高額の賞金付き大会ができないらしい(景表法)のせいですが こんなもん詭弁以下でどう考えても 景表法自体の改正が必要でしょう。

e-ラーニング講習自体を プロ選手に受けさせる意図も全く不明です。 
工場や自動車免許のの安全教育ではないんだから 明らかに不要では?

プロライセンス取得の条件が曖昧なのも駄目ですね。 他の競技であれば マネタイズできるかどうかはともかく この大会で〇〇位 とか プロライセンスが発行される大会があったり プロ試験などがあったりしますけど。 そこがふわっとしていては 価値が全く担保できないでしょう (他にもそういう競技ありますけど 麻雀とか かなり怪しいですね)。

こういうわけがわからない協会が噛んで e-sports界が発展するとも思えません。 ゲーム会社も 最近のゲームは 開発工数激増で 儲けるのメチャクチャ難しくなってるので
ゲーム会社側 主導でもっと儲けやすい仕組みができないと 発展できないんじゃないかなぁとは思います。 大会の主催なども 場所の手配や 試合中に 機器の不具合などトラブルも

なので、当然大会主催者側・ゲーム会社が儲かるような仕組みが 必要でしょうね。

改善する方向性としては

①時代遅れの景表法を変えて 賞金付きの大会については 主催者(ゲーム会社等)の自主性に任せる。 
②賭け金額の上限を儲けて 賭け試合をOKとする。e-sportsは オンライン観戦と 相性がめちゃくちゃいいので オンライン観戦チケット に賭けを 付随させて 順位予想や 勝敗予想をさせると メチャ盛り上がるでしょう。
賭けがOKなら 絶対選手のこと深掘りして メチャクチャ調べる人増えるので 人気が爆発的に上がると思いますね。

選手側が 儲かる方法としては
まず 選手って収入源が
① 大会の賞金
② youtube配信などによる 収入
③ 企業などのスポンサー

が主になるそうです。 しかも大会の賞金自体では 高額の大会も少なく 優勝レベルでないと 賞金もそれほど出ないので 殆ど食べて行けないそうです。

となると、youtubeのメンバーシップ + 視聴がベースで 知名度を上げつつ 週に兎を確保して 企業などのスポンサーを見つけていく感じになりますね。

それを加味すると 大会の運営や 選手の活動(配信面)については youtuber事務所みたいなところが噛んで サポートしていってもいいかもしれませんね。 検索に引っかかりやすい 内部対策や サムネづくりなどの ノウハウは ああいうところ強いですし。

マネタイズ考えると 実力は勿論ですが それ以上に その人自身のキャラクター 人気が重要な感じですね(これはプロ選手の方も明言していました)。

そういう意味だと 格闘ゲーム(ストリートファイター)で 凄い面白い方が居て

19歳の若手女性プロ格ゲーマー! にゃんぴ選手 取材
https://gamer2.jp/10125/

なんと女性唯一のプロ格闘ゲーマーです。  格闘ゲームって ゲーセンで タバコ吸いながら ガラの悪いあんちゃんが やってたイメージもろに持ってるので 女性がプロって言うと  重量挙げとかの 男性的な競技以上に 個人的には 衝撃でした。

この方凄いのが 高校卒業後 プロゲーマーとして活動にできるだけ専念するために 起業されて ゲームの配信や大会開いたり + ゲーミングPC 作って販売等していて、 なんと活動を支援してくださる スポンサー企業も何社かついたようです。 実力もですが 行動力が素晴らしいですね。

一人でスルゲームが元々好きで
練習も、研究時間含めて 毎日12時間位 するらしく メチャクチャ向いてるし可能性感じるなぁと思って 少し投げ銭とか支援したくなりました。

まだトップ選手とは少し差があるように感じましたが、今後こういう人が活躍して盛り上がると良いなぁと思いました。

ただにゃんぴさん見てて 元々ゲームかなり上手い上に これだけ時間割いてて
プロになっていらっしゃるので

e-sportsのような 中毒性あって 歯止め効かないものを 学校の部活動で支援するのは やっぱり 違うなとは改めて思いましたね。 

1+
Last edited 2 years ago by ベル牛
つけもの
2 years ago

この文系・理系の2分に昔から疑問を感じていますが
技術系の仕事であっても数学的な力が必要だとも限らないし
学問を必要としないハズの仕事で、学問を使うこともあるだろうし

偏った人間や認識を作る2分は改めたらどうだ?と思っています
文武両道 という言葉がありますが、日本の学校教育の とりあえず全部やらせる
全体の底上げを目指すというやり方は、1人の人間を育てるという意味では優れていると思います

自然言語と計算の両方のアプローチを併用することが、人間として最も有効なハズですが
この学問分類で、片方だけあればいいんだとか  片方は捨てたわ
とかいう奴が発生しますね

考えてみると、昔から人間を導いてきたのは宗教(聖書)とかの文章の集合体で
理工系が出来たのは近代になってからですよね

1+
つけもの
Reply to  シン
2 years ago

そうですね

機械科を出たのですが、科学技術とかって  あくまで物質相手のことなので
理工教育が行き過ぎると、中国のスコア社会みたいにならないか?
ということです

科学技術のことはわかるけれども、小説を1冊も読んだことがありませんとか
宗教は知りません  非合理なので、全て排撃しますとか

教養学部とかに行く必要性は感じないのですが、本読んだことがありませんとか
専門外のことは一切興味ありませんとかは やばいですね

文学部を削減?というか文系が近年叩かれまくってますが
文学を捨てていくとかなり不味い事態になると、危惧しています

職業教育8割で2割くらいの教養であっても、教養を教えることは
学校の役目だと思います

1+
たか
Reply to  つけもの
2 years ago

>この文系・理系の2分に昔から疑問を感じていますが

とありますが、文系という学問が成り立つことができているのはまさにその2分という形式をとった実質文系保護策なのではないでしょうか?文系が存在するためにはあくまで文系と理系が並び立っているという共同幻想を作り出す手法をとるしかないので、後段で教養を教えることが学校の役目だと思うと述べているつけものさんの主張と自己矛盾していると思いますし論が破綻しているのではないでしょうか。単に現在の制度がそうなっているから文理を学べばバランスが取れるかのように刷り込まされているだけでしょう。

そもそも文系分野は学問としての体を全くなしていないですよ。観察と論理によって一般法則を導いていくという共通認識もないと思いますし、何らかの定理を発見して系統化していく建付けにもなっていません。文系の教授は利権とコネでそのポストを維持しているだけの人ばかりですし、はっきり言って何の意味もないことをあたかも意味があるかのようにこねくり回してるだけですね。例えればチャートには波動や波形があると大真面目に論じて商材売ってる人達と同種の滑稽さと悪質さがあると思います。後世に名が語り継がれるレベルの歴史家で大学の史学科が輩出した人はいませんし、哲学科から哲学者が生まれることももちろんありません。経営学を学んでも経営者になれるわけでもなく、政治学科を出たからといって政治家にはなれません。法学部だって一種の専門学校でいいと思います。司法のシステム化が進んでAIやデータベースを活用できるようになれば弁護士や裁判官も単なる技能職みたいになってもおかしくないと思います。そうすれば先生と呼ばれてエリート気取りできるような環境もなくなるでしょう。法律の研究も実務に出てから興味を持った者が行えばいいのであって純粋な研究者は不要だと思います。過去の膨大な判例や法制史は全部データベースにできるでしょうし、彼らが何か世界を革新するかのような発明をできるわけでもないでしょう?

大学入試を見ても文系に対する保護的性格を見て取れると思います。これはただ区分しているのではなく、実際は理数系の素養がない者に文系学部の入学定員数を割り当てて優遇措置を与えているだけです。せめて国立大学は全学部共通の入試問題にしたらどうでしょう?もちろん理系を専攻できるのに必須な科目基準と配点に合わせるんです。文系受験者は理数系の科目ができないなりにその中で上から順に採っていけばいいし、理系科目が得意だけど文系が好きだという物好きがいればそういう人が入学できるようにするべきです。そうした文系を設置するのは日本で5校も要らないのではないでしょうか?

こうすれば理数系がずば抜けてできる人は自由に選択することができますし、文系科目しかできないという人は大学生になることができません。文系は文系科目だけじゃなく理系の勉強もしっかりできるという人であって初めてその地位が与えられるという、ある種のご褒美的な位置づけでいいと思います。国語も入試科目として一応存在することで、文章を全く書けないようなよほど酷い文系希望者はそこで足切りされると思います(文系科目は最低限の足切り要素として機能すればいいと思います)。一方で理数科目の難易度を高めて差がつくように上手く問題を作れば、天才的な数学の才能を持つ者は国語や歴史が0点でもさしてハンデにならず合格できると思います(そういう人は文系学部を希望しないでしょう)。オイラーやニュートン並みの天才が国語や歴史が苦手で進学できないということは悲劇ですが、その逆に文系の天才というのは論理的にはありえないと思いますので保護する必要はありません。本人が数学が苦手だったために偉大な歴史学者や文学者が生まれそこなったという想定は成り立ちません、そんな人は自分で趣味で歴史学んだり本読んだりしとけばいいんです。文系の学問はある種の特別の恩恵として行われればいいと思います。

>考えてみると、昔から人間を導いてきたのは宗教(聖書)とかの文章の集合体で
理工系が出来たのは近代になってからですよね

それは大学の起源が近代科学が開花する前の中世ヨーロッパにあり、神学や法学が特権的地位を占めていたからでしょう。むしろそうした宗教や文系学者の存在が自然科学の邪魔をして発展を遅らせた側面も大きいと思います。むしろ古代の方が自由に数学や科学の研究を行っていたようですし、ルネサンス期に科学が発展したのもギリシャやローマの自然科学の遺産を受け継ぎ再評価したことが要因となっているという考えもあります。中世と近代の自然科学者が人文科学の既得権益とどれだけ闘ってきたかを考えると、その蒙を啓いてきたのが人類の歴史といえるのではないでしょうか。キリスト教に覆われる暗黒時代の前、古代ギリシャの哲学者の対象は自然でしたし、自然科学の素養は必須でした。その時代の哲学者を指して文理両方必要だという人もいますが、それは後世の目から見て文理を2つにカテゴライズしているだけで、当時は垣根なく諸学問が存在し、あくまで素養として歴史や論理学を身に付けていたというのが実態でしょう。古代の哲学者が自然科学と人文、社会科学を身に付けていたということと、人文科学の分野を自然科学から切り離して自然科学の素養もない人間に学者としての地位を与えるなどということは対極の位置にある考え方だと思います。

>理工教育が行き過ぎると、中国のスコア社会みたいにならないか?

その原因は理工教育にあるんでしょうか?いい大学からいい企業に入るために凄まじい競争率で受験勉強が過熱していることが原因だと思います。高考のために果てしない暗記が必要とされるので、文系を今より重視するとむしろ状況は悪化すると思いますが。むしろ科挙の時代は四書五経という教養の最たるものを試験として課していましたが、科挙受験者の労苦は現在の中国人学生のそれとは比較にならないほどですよ。

>教養学部とかに行く必要性は感じないのですが、本読んだことがありませんとか
専門外のことは一切興味ありませんとかは やばいですね

とありますが、やばい実例を教えてくださいよ。理系一筋だと人間性が狂ってくるとかいう証拠があるんでしょうか?むしろ地道に研究を続けて謙虚で尊敬できる人が多いと思いますけどね。一つのことに必死に夢中になれるのは才能なんですよ。文系は自分達のポストのためにそういう才能ある人たちの足を引っ張るんです。むしろ文系の学問の方が社会にとって害をなしたことの方が多いと思いますよ。共産主義の熱狂によって今まで一体何千万人が殺されたのでしょうか?宗教が今まで何億人の人類を殺したでしょうか?文系の学問こそ、自分たちの都合で価値観を勝手に造り上げたり、それを世の中に強制したりとむしろ混乱を生み出してきたんじゃないでしょうか。
教養なるものが欠けてどうやばいことが社会に起きるのか実例を挙げて教えてください。私は仮に教養とされるものがない研究一筋の科学者がいたとしても尊敬しますけどね。ただ案外理系で歴史好きって多いですよ、優秀な理数系の研究者は知能も高いし知識欲もあるので大学に文学部があろうがなかろうが教養課程があろうがなかろうが自分で勝手に歴史の本読むんです。経済学を趣味で学ぶ人はあまりいないと思いますけどね(理系から見たら馬鹿らしい学問ですから)。

4+
たか
Reply to  シン
2 years ago

>カント、ニーチェ、サルトル、と近代以降の哲学者は哲学科を出ていますね。ただ、ご指摘の通り、神学、自然科学と深く結びついています。そして、哲学を学んだら哲学者になれるわけではないです。

ご返信ありがとうございます。シンさんはそれらの人物が論じたことは本質的に意味がある事だったとお思いですか?自然を対象にすることに完全に背を向け、人間や神だけを対象とした時点で近現代哲学はもはや学問とは言えなくなったと思ってしまいます。まだ古代の哲学者はその時点で入手可能な最大の知識で真摯に世界を分析、解釈しようとしていて尊敬できます。本当に真理を追究しようというのなら、例えば理性や認識といった分野を考察しようというのなら、人間の脳という器官を対象とした物理的なアプローチが必要だと思いますし、量子力学の知識が必要になるかもしれません。物心二元論的なドグマは廃れてほしいと考えています。
私はアダムスミスだってケインズだってマルクスだって評価したくないんですよね。カントは人生の指針になったことも多いのであまり悪く言いたくありませんけど。

0
たか
Reply to  シン
2 years ago

文学や美術、音楽は皆芸術なので確かに社会を豊かにしてくれると思うんでよね。しかし思想や経済学、社会学というものは自分の脳内に留まらず、権威を利用して他人や社会にその価値観を強要する傾向にあるので腹が立つんですよね(しかも何の裏付けもない理論によって)。
文系が東大と京大にあれば十分というのは全く賛成です!

3+
たか
Reply to  つけもの
2 years ago

スコア社会は多分信用スコアのことでしたね、大変失礼しました。

0
ニコ
2 years ago

愛知県のローカルラジオで大学の先生がゲストで毎週お話をしてくれる番組があって面白いので聴いているのですが、民俗学や土着の宗教の話が出てきてよく沖縄に行って観光地を巡る話がありました。思ったことはこれは学問なのか?や大学で勉強する必要ある?と感じましたね。
目的がないのに学問といえば何でも学問になっている印象でしたね。これで飯が食えるならいいかと思いましたが。

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