西洋史に突入します。エカチェリーナ二世、女帝についてのリクエストがありましたので、書きたいと思います。
生い立ち
エカチェリーナ二世はロシアの女帝なんですが、神聖ローマ帝国の小領主の娘として、さほど目立つような名門の家に生まれていません。ドイツ生まれ、ドイツ育ち、母語はドイツ語、教育はその当時の欧州共通語であるフランス語で受けています。ロシアとはほとんど無縁です。
こういう人が他国の皇帝になる、ということを考えると、欧州というのは密接な関係ですし、現代でも外国人が皇室に入るのも、白人であるなら、そこまで抵抗がないのは理解できますね。流石に離婚経験者、白人血統でないのも抵抗があるみたいですが、成立はするのでしょう。島国、他国と距離を置いてきた日本とは大きく違うな、と思います。
そのエカチェリーナ二世はエリザベータ皇帝の養子、ロシアの皇太子、ピョートル三世と結婚することになり、ロシアに行くことになります。ピョートル三世もドイツ生まれですし、エリザベータ皇帝もドイツ人と婚約していたこともあり、ドイツ系の相性がいいだろう、ということだったのだろうと思います。
エカチェリーナ二世は絶世の美女というわけではなかったようですが、非常に努力家でロシア語習得に努力をし、ロシア皇室に馴染む努力を惜しまなかったため、外国人であるものの、民衆からの指示を受けていったようです。そういった事情から後のクーデターに担がれたんでしょうね。
ピョートル三世
エカチェリーナ二世の配偶者であるピョートル三世は前述のようにエリザベータ皇帝の養子であり、実家であるドイツ風を貴ぶタイプだったようで、元々人気がなかったようです。知的障碍者だったという話もありますが、正当後継者ならともかく、養子に障碍を持った人が選ばれないでしょうし、皇位簒奪したエカチェリーナ二世の作り話ではないか、と思います。
ともかく、彼らの婚姻関係は早い段階で破たんしており、エカチェリーナ二世は半ば公然と愛人を持ち好き勝手にしていたみたいです。そして、ピョートル三世は生殖能力がなかったといわれており、エカチェリーナ二世が産んだ子供は愛人との子供ということで間違いないようです。
エリザベータ皇帝が亡くなると、ピョートル三世が即位するのですが、この人は地元ドイツびいきからプロイセンとの交戦をすぐに止めてしまい、実質的にほとんど全部譲って負けのような形で講和を結んでしまいます。
これにロシア人は耐えられなくなり、不平不満が噴出し、逮捕、軟禁、殺害されることになります。「痔の悪化でなくなる」とか誰も信じるわけない冗談みたいな発表をしたらしいですから、よほど嫌われていたんでしょね。
ある程度国力の拮抗した国同士の戦争、というのは総力戦になるので、どちらも多大な被害を被りながら突き進む行為です。その対価が全く得られないどころか、すでに得られているものすら手放して、賠償金も取らないとなれば、怒り狂うのは当然ですね。
日本でも日露戦争の賠償金が取れないことで暴動が起きましたし、ハルノートによる無条件降伏が受け入れられず、全面戦争に突き進んだのは血と汗の結晶である満州国の利権を手放せば、内乱が起こることは明確だからです。逆に言うと、アメリカは開戦を望んでいた、と言えます。
さて、話をロシアに戻すと、ピョートル三世は絶対にしてはダメなことを自分の好みで感情的にしてしまったので、トップと言えど、クーデターを食らうのは当然と言えば、当然ですし、それが養子後継者なら猶更でしょう。そして、その旗印に選ばれたのがエカチェリーナ二世だということです。
政権
エカチェリーナ二世は名君と言ってよく、ロシアは対外戦争でポーランドを割譲し、オスマン帝国との抗争によって何かに成功し、クリミア半島まで勢力圏を伸ばしています。前に取り上げたオスマン帝国はロシアの南下に耐え切れなくなり、崩壊をしだしています。
内政も啓蒙主義を取り入れ、インフラ整備、教育の充実などを進め、身分制度の緩和など、国を富ませるために新しい手法を取り入れようと試みました。残念ながら、当時のロシアは欧州の片田舎に過ぎず、最新の手法が浸透、成果を上げるほどではなかったものの、エカチェリーナ二世は先進的なことに抵抗がなかったと言えるでしょう。
晩年もきれいなものでした。体調悪化で一気になくなり、自分で用意した遺書に従って、思う通りに埋葬される、という最期を迎えました。後継者の息子、パーヴェル1世との確執、彼の治世によるエカチェリーナ二世政策否定など、死後は幸福とは言えませんが、それを知らずに亡くなったのは良かったでしょう。
まとめ
正式な愛人10人以上、後宮を持ち、夜ごとに相手を変え、孫のニコライ一世に玉座の上の娼婦、とまで言われていますが、男性皇帝であるなら、特に珍しいことではないですし、ちゃんと仕事するなら、なんで悪いのだろうか?と思いますが、ミソジニーがあるのは致し方ないですね。
現代男性は社会、財政状態が許すなら、相手にできる限りの女性を侍らせたい人は少なくないですし、スタートゥデイの前澤さん、オウチーノの穐田さんなんかは何人もの女性に自分の子供を産ませていますが、女性は男性を侍らせたいのでしょうか?それとも、優秀な自分よりもっと優秀な男性に一番愛されたいのでしょうか?
現代でも白人社会の政治トップに女性は少なくないですが、純粋な経済戦争の経営者より、色んなしがらみの中で仕事をする政治家のほうが女性に向いている気がしますし、日本では女性の大企業創業社長が出る前に女性首相が登場するのかもしれません。今のところ可能性がある女性政治家は見当たりませんが、将来的にはあり得ると思います。
リクエストありがとうございました。
非常に面白かったです。
オスマン帝国の天敵からの繋りで、ロシアのエカチェリーナ二世を依頼しました。女性でしかも他国からの姫様でここまでの政治家はなかなかいませんね。
残念ながら、農民の解放など彼女がやりたかった政策は全て達成できませんでしたが、近代化の基礎をつくり、ロシアで人気がある人物ですね。
エカチェリーナ2世並みの女傑というと、中国では呂后、武則天、西太后、現代欧州のサッチャー、メルケル、日本だと推古天皇、皇極天皇、孝謙天皇、北条政子あたりでしょうか。
日本で2度天皇に即位(重祚)した人は2人だけ(皇極天皇、孝謙天皇)であり、2人とも女性というのは面白いです。
こちらこそありがとうございます。
他国から嫁いでトップに立ったというと、インドのソニアガンディー氏がいますね。彼女はまだ生存しているので、後世に評価は委ねるとして、このパターンは例がないわけではないですね。
エカチェリーナ2世は当時としてはかなり先進的で、内外ともに優秀な政治家だった思います。
シン
ロシアは革命までシリーズ化しても面白いと思いますね。
または、女傑シリーズもいいかもしれません。
シンさん
日露戦争で賠償金が取れなかったことは理解できるのですが、日清戦争で二億テールの賠償金と台湾、朝鮮の独立を取れたということはもう19世紀の清国がそれだけ弱かったということでしょうか?
台湾で下関条約の書類を見たことあるのですが悔しそうに李鴻章が署名したんだろうなと思いました。
日清戦争は明治維新で近代化に成功した日本、グダグダになって欧州の食い物になっていた清では勝負にならなかったので、ほとんど無条件降伏に近いような講和条件になったんですね。日本の楽勝だとは言えませんが、国力の差がモロに出て、東アジアの勢力図が一変しましたね。
シン
ロシアでは、エカチェリーナ二世以外は啓蒙専制君主と言われるような庶民に奉仕をするような立場で政治はしてないですね。
世界史の先生が言ってたことですが、農奴制の厳しい身分制の元で国民に教育を与えないで愚民化させて、皇帝の権力を非常に強くしてきた歴史がロシア革命が起きるまであったと言ってましたね。
農奴制がしっかりしている頃は大した芸術も生まれてませんし、国民全体の知的レベルが上がらないと、本当の意味で国力は上がらないんでしょう。
シン