古今東西、世襲というのは難しいものです。私が見た世襲した経営者の中でこれは失敗したな、と思う例を挙げたいと思います。大体、四十代、五十代を想定しています。
教育
バブル期に少年、少女時代を過ごしたボンボン、オジョーの典型的な教育は塾づけ、習い事漬けで過ごし、学歴至上主義者になっている人が多いです。そういう家庭教育を受けると何を学ぶかでなく、どこで学ぶか、を最優先に考えて成長し、他人を評価する判断基準は学歴になってきます。
また、金銭的な甘やかされて過ごしたため、極めてお金にだらしなく、欲しければ考えなく、借金してでもバンバン買ってしまう癖に、他人に出すとなるとなると、途端にケチになるという最低の金銭感覚が身についている人が多いです。
家業の業種は関係なく多くが私立文系であり、経営、経済、法律を専攻していることが多いです。稀に勉強ができると東大文系卒、見苦しいくらいにひけらかします。今では信じられない話ですが、経営、経済を学校で学べると本気で考えられていた時代があったんですね。技術は出来る他人を雇えば良い、と考えていたわけです。
就職
これも信じられないのですが、継ぐべき家業が製造業だったり、メーカー販社であっても、修行先が銀行であることも少なくなく、実務を全く学ばないままに実家に戻っている人も少なくありません。
もしくは、取引先での修行一切なしで大卒後すぐなり、アメリカで無名MBAを取ってすぐに実家に戻り、申し訳程度に担当業務をこなし、数年で部長、取締役就任、というような実務経験がほぼゼロで経営者になっていることも少なくありません。
学校では家業に関係することを勉強しないだけでなく、修行先でもしない、実家に帰っても下積みしない、周りを黙らせるだけの成果もない、となると、完全に素人経営者になります。素人がダメとは言いませんが、素人に経営など無理です。
結果
実務で成果を出したことがない人が経営で成果を出せない、ということはありませんが、天才肌の人でなければ、自分で経験したことのないことを指揮して成果を出すことは極めて困難です。
自分が担当をしていた時は社内では当然、取引先にも特別扱いされているので、スムーズに出来て当たり前の状況だったことすら理解出来ず、自分と同じことを部下に求めて混乱させます。
新規採用判断も学歴、ノリというような薄い決め方をするので、規模に見合わないような高学歴がいたり、奇抜な経歴を持つ人が多くなります。そういう人は大抵は会社員に向いてないような人が多くなります。まともな人はそんな会社に入りませんからね。
当然、数少ないまともな若手から辞めていき、何かしらの大きな問題を抱えた人だと、ゴマスリが特技の人だとか、自分のことしか考えないベテラン、世襲経営者の友達なんかしか残らず、どんどん高齢化、新しい風が一切吹かなくなってきます。そうなれば、何やっても成果は出ません。
先代からの資産が残っているので、すぐに倒産することはないが、徐々に資産を取り崩しながら、世襲経営者は趣味の事業にのめり込んで本業に興味を無くしていきます。その代はなんとか持ち堪えるかもしれませんが、そこで世襲は終了でしょう。
まとめ
このオーナー企業はこの代で終わりだろうな、と思う企業の後継者は大体こんな感じです。その会社にとってコア技術、ノウハウになる部分をきちんと知らず、実体験せず、聞き齧りで覚えてしまっているので、現場と乖離を起こしてしまっています。
そもそもの話として、創業者が有能なのは当たり前、番頭が多く残る二代目まではなんとか持ち堪えることが多く、三代目以降は本人が優秀でなくては、時代の変化についていけなくなるものです。すでに創業者の頃とは市場環境が完全に変わっていますからね。
オーナー企業存続の可能性を高めようとするなら甘やかさない、コア技術を従業員よりも高度に身に付けさせるべきでしょう。中には天才的な人もいて、ほぼ独学、実務経験ゼロで事業を伸ばしている人もゼロではありませんが、そんな例外を期待することが間違いです。
こういったダメなところを反省してなのか、三十代、二十代の後継者は家業に関係することを勉強し、取引先での修業を行い、三十過ぎてから実家に帰ってきているケースが増えてきたように思います。
トップセールスは必要ですが、営業が文系でなくてはダメ、という理由はなく、家業に関連する技術を学校、社会で学んでから営業を覚えても良いと思います。いつも言いますが、文系にできることは理系にも出来ますが、逆は出来ません。
不動産投資業、とかでもなければ、ほとんどの仕事が理系的素養は必須の時代であり、文系出た後に独学するより、学校できちんと学ぶ方が益が多いでしょう。同窓会の繋がりという薄い縁に期待するより、確実に身になる知識を身につけることを優先すべきだと思いますね。
ダメな中小企業にありがちなことですね。
戦国武将でも滅亡する人は少なくないです。
戦国大名の後継者が無能なら滅亡するのは当然ですが、江戸時代でもほぼ例外なくお家騒動は勃発しています。名君は養子、分家出身、何かしらの事情で不遇の少年時代を過ごした人がほとんどで、嫡男かつ名君の誉高い人はほとんどいません。
例えば、名君として知られる島津斉彬は嫡男ですが、お由羅騒動で弟の久光を擁立して大騒ぎになってた末の相続というだけでなく、相続が決定したのも四十過ぎであり、苦労を重ねてから島津家当主になっています。
シン
これと全く同じ例を見てきました。
判断基準としては、社内で「2代目になったら終わりだ」と噂されているケースです。
この場合は1代目がいつまでも続けます。その場合、最後にはいわゆる老害になってしまい、無茶苦茶をしてしまうかもしれません。それもこれも、2代目にいい状態で継がせるため、2代目が頼りにならないのでいつまでも働かなきゃいけないためです。
稀に2代目が優秀な場合はその後も安定するケースがあることも知っています。
どちらにせよ、必要なのは優秀な右腕です。
家系じゃないから経営者にはさせてやれないが、高い報酬などで特別待遇をさせてやれば身を粉にして働く優秀な人材をゲットしたら儲けものです。その人が会社を動かしてくれます。
>どちらにせよ、必要なのは優秀な右腕です。
自分の器を見極めて適任者に任せることができれば無能ではないのかもしれません。私が見てきたパターンだと、無能な人ほど、自分が無能だとは思わないし、人間不信で権限委譲を拒みます。オーナーとして象徴的な存在に退き、重要決定権以外の細かな決定権を渡してしまうことはなかなか難しいです。
シン
なるほど
他人に任せまくる怠け者の無能は、本当の無能ではないということですね。働き者の無能が一番困る、と。
確かにそうかもそれませんw
神輿は軽いほうがいいって言いますしね
そうせい候、としてしられる毛利敬親も養子ですが、細かなことは一切指示せず、若い才能に任せっきりにしています。彼が細かいことにうるさい専制君主であれば、長州志士の飛躍はなかったでしょう。
山内容堂も養子、彼は感情に任せて意見が変わる上、細かいことに口を出すタイプです。その場の雰囲気で武市半平太を殺してしまったことが、明治維新後の土佐藩閥の立場を弱くしました。彼は優秀とまでは言えないが、それなりに剛毅で果断の人物だったことが、逆に災いしました。
シン
経営者の能力なんて一種の才能に近いものがあるので、教育や環境で何とかなるものではありません。世襲というシステム自体に無理があるのだと思います。
最も無難なのは、2代目以降は権限を縮小して優秀な役員たちとの合議制とする事でしょう。
戦国大名を例に採ると、合議制による2代目経営で巧くいったのは毛利家・北条家です。英傑の元就・氏康の後を継いだ輝元・氏政は凡庸でしたが、一族に支えられながら順調に勢力を伸ばしていきました。
しかし、毛利輝元は関ヶ原で妙にやる気を出して、西軍総大将を引き受けてしまったので大減封を食らいました。北条氏政は秀吉に攻められた時も、前例主義で謙信・信玄相手の時と同じ手を使ったので滅ぼされました。激動の時代を乗り切るには合議制ではいずれ無理が生じるのかもしれません。
徳川家も同じく、2代目の秀忠は真面目だけが取り柄の凡庸でしたが、天下泰平になっていたので巧くいきました。そのような状況を初代のうちに確立する為、家康はなりふり構わず豊臣家を潰して憂いを無くしました。
いっそのこと実権は番頭に委ねて、2代目社長は象徴的な存在となった方が良いのかもしれません。世襲社長は天皇、番頭は関白か征夷大将軍みないな感じですね。その点では、社長の息子は経営・経済・法律なんか勉強して変にやる気を出すよりは、文学とか生物学とか歴史とか浮世離れした分野を学んで、ビジネスとは無縁の風流人・趣味人として社長室の飾り物に徹する方が良いのかも知れません。
>いっそのこと実権は番頭に委ねて、2代目社長は象徴的な存在となった方が良いのかもしれません。
これで上手くいったのがトヨタですね。章男さんは私立文系卒、修行先は銀行、まあまあレベルのアメリカMBAを取りはしたが、英語も中級レベルでしかありません。家業と関係ないことをして実家に戻ってきました。
典型的な危険ダメ世襲パターンですが、親の指令で現場に近い生産管理に長く勤務し、四十過ぎまで係長レベルまでしか上がっていません。社長になっても実権は各部門の番頭格に任せてしまい、自分はトヨタ直系として広報活動に専任しています。
社長後継して早々にアメリカ公聴会に呼び出しくらい、英語で意思を語ることすらできず、厳しく突っ込まれて涙ぐむ失態を犯しています。しかし、その恥を隠すことなく、敢えて自省の材料とし、工場内にその時の苦難動画を流しています。家康が三方ヶ原の合戦でクソを漏らしてしかめ面している絵を描かせた故事に倣っているのでしょう。
子飼いの友常さんは駅弁学卒にすぎず、元々はほとんど期待されてない社員でしたし、現場出身初の副社長、河合さんは高卒、抜擢者の多くが学歴はほとんど関係ないものであり、バカボンにありがちな闇雲な学歴至上主義でもなく、実力があれば、経歴は関係ないと考えているようです。
能力は凡庸ですが、他人に任せる、経歴にとらわれない中立な評価をする、恥を受け止める度量はあるのだろうと思います。案外、これが難しいです。ボンボンに生まれてからずっとチヤホヤされてきたわけですから、成果はなくとも妙な万能感を持っているのが一般的なボンボンです。
シン