じゃあ、不安と向き合う

人間は弱く、不安から逃れることは出来ません。何かしらの方法で不安と付き合っていく必要があります。

逃避

現実として抱える不安から目を背けて何かに逃避してしまうのも不安と付き合う方法ではあります。最も手軽であり、努力もほとんど必要としません。何かしらの対象を盲目に信じて、根本的な問題解決をあきらめてしまえば、現実逃避はできるので楽になります。

宗教なり、思想なり、他人なり、自分がいいと思う対象に依存しきってしまって、そこを絶対正義と認定することで、自分の不安を解消することができます。これだけ科学が発達しても、非科学的存在である宗教が大きな意味を持つのは人間の不安は消えないからだと思います。

完全に何かに依存しきった人って澄んだ目をして不安から解放されたように見えます。それを死ぬまで継続できるなら、逃げ切れるのでしょうし、安らかな死に際を得ることができるのでしょう。何かしらのきっかけで目が覚めてしまうと辛いのだろうと思います。

克服

仏教がキリスト教、イスラム教に比べて普及しなかったのは自助努力を要求しすぎるからだろうと思います。自分の精神をギリギリまで追い込んでいき、その先にある解脱を目指していくっていうのは非常にストイックな考えであり、誰にでもできることではないからです。

イチローさんは自分の精神を安定させるために良くても悪くてもルーチンを繰り返し、終わりなき高みを目指していく、という求道者なんですけど、それでもWBCのプレッシャーで胃をやられるくらいストレスを感じたそうですから、不安を克服する、というのは強烈に難しいですね。

凡人には不安を努力によって克服することが難しいにしろ、何かしらのルーチンを持って、辛くなってきたときは何も考えずにそのルーチンに立ち返るっていうのはできるのではないか?と思います。私にとってはブログはそのルーチンであり、いい時、悪い時、どちらも何かしらを書くことで平穏を取り戻そうとしています。

同居

凡人にとって最も手軽な不安との向き合い方は同居だと思います。不安から逃避しなくても、克服しなくても、そこにあるものとして受け入れて、同居していくことはできるのではないか?と思います。

「まあ、人間なんだし、不安を感じるのも仕方ないよね?」というような開き直りに似た感覚で受け入れてしまうことはできると思います。不安はなくなりはしないし、迷うことは多いし、後悔することもあるけど、それが人生の醍醐味なんだと受け入れてしまうのもいいと思います。

私の心の師である邱永漢先生も「四十にして惑わず」は迷ったり、悩んだりするのは年齢のせいじゃない、ということがわかるのが四十歳だとおっしゃってますし、先生ほどの多才な方がそうおっしゃっていたのだから、私、凡才、温利が悩むのは当たり前なんだよな、と開き直ってますね。

まとめ

世の中には色んな人がいて、色んな考え方があるんでしょうけど、多かれ少なかれみんな不安を感じているんだと思います。何かにすがって依存したくなり、現実逃避してしまうこともあるだろうし、努力によって克服しようとすることもあるだろうけど、それはそれとして付き合っていくことを選択するのが最も手軽だと思います。

涅槃まで到達して、不安が一切ない精神状態になったら、それはそれで人生が面白くないのではないか?と思います。常に不安があるから、安定した時の喜びがあり、ほんの少しでも打ち勝つことができたとき、うまく付き合うことができた時の達成感があるわけで、それが人生なんだと、弱い私は言い訳してますねw

16+